「人間復活へ」 by むのたけじ

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 8年前に出版され読み続けられている、むのたけじ著「戦争絶滅へ、人間復活へ~93歳・ジャーナリストの発言(https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0807/sin_k423.html」、鋭い指摘は今も健在です。

 むのたけじさんは今年で101歳、先月も少しご紹介しました――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25156

 強く印象に残ったコメントを書き留めます。

* 成田空港建設に反対して三里塚の農民闘争が起こった時の取材から: ものを見るときに、いったいどちらの側に立つのか。大きいものと小さいものが対立していたら、私はまず小さいものの側へ行く。そして、強そうなものと弱そうなものがあったら、弱そうなものから見る。それは、自分の生活環境から身につけたことですね。

* 「すりかえる」権力、「すりぬける」民衆: 「すりかえる」手口というのはさまざまで、たとえば、戦争体制の準備を「有事」なんていう言葉でごまかす。こうしたことは一朝一夕にできたものではない。まるで呪いをかけて人間を金縛り状態にしてしまうような、そんな支配力が民衆のなかに作用している。

* 戦争をやめさせた反戦運動はない: 戦争は悲惨だ、兵士はかわいそうだ、あれは許せない罪悪だ、ということを百万回大声でしゃべったって、戦争をやろうとしている連中には、痛くもかゆくもない。戦争が始まってから反戦平和運動をやったところで、戦争の論理とエネルギーに引きずられてしまう。戦争をなくすには、戦争をする必要をなくして、戦争をやれない仕組みをつくらなければだめ。かつて、そこまで踏み込んだ平和運動は一つもなかった。

* 戦争の準備段階で計画をあばく: どんな戦争にも必ず準備段階がある。とくに現代の戦争では、何万、何十万という大きな兵力を動かすので、少なくとも5,6年というような準備期間がある。ただし、どんな国でも軍事は国家の最高機密として、法律で完全に守られている。したがって、ジャーナリズムが戦争をやめさせるには、この準備段階で法や制度と闘いながら戦争計画をあばき、告発するしかない。

* ジャーナリズムとは何か: 「ジャーナル」とは、日記とか航海日誌とか商人の当座帳とか、毎日起こることを書くということ。それをずっと続けていくのが新聞。それは何のためかというと、理由は簡単で、いいことは増やす、悪いことは二度と起きないようにする、ただそれだけのことなのだ。

* 一人、一つ、一個から始める: ともかく日本人全員が、人類の一人として戦争をやめさせることに結集していくこと。要するに、単なる組織の大きさや、人数や、それがもっている力量の大きさなどに頼る時代ではない。それ以上に大事なのは、個々の人間が自分自身に責任を持ち、何よりも自分に誇りをもつということ。それに裏付けられた組織というのは、これまでにつくられたことがほとんどない。歴史は一人から始まる、自分から始まる、ということをもう一度、みんなで見つめ直さなければいけないのではないか。

* 新しい歴史観をもって生きる: 人間が歴史をつくれなくなれば、歴史のほうで人間をつくるのではないか。歴史がそれを要求する、と言ってもよい。やはり、歴史は地球を滅ぼすわけにはいかないし、その意思を通そうとするではないか。人類が核戦争で地球を滅亡させようとしても、地球が一つの生命体のように、「おれは滅びないぞ。おれを滅ぼそうとするものを滅ぼす」という意思を貫くのではないか、と。そう思うと、これまでの歴史学などでは考えられなかった力が、働いていくような気がする。

* 最後に語り手としての思い: 私は平均より長く生きてきたので、「死」がそれだけ近くなっている。でも、悲しくも怖くもない。だって、地上の万物のどれをもごらん。終えた所から新しく始めているではないか。「死」は生の完結であって、新しい自由の獲得だ。だから私は、にこにこ笑いながら絶息したい。

 著書最後の「結び書き」にある「スットン罪」を含めて、以上、鋭い指摘、表現の的確さ、恐るべき101歳ですね!

SAS北海道、新年会

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 SAS北海道の新年会に参加しました。若手テーブルと年寄りテーブルが見事に別れましたが、楽しいひと時でした。今年は札幌で全国大会のようです。この会は、はるか40年程前に、私が東京から札幌に移ってきた時、ビジネス仲間から誘いを受けて入会した異業種交流会でした。産学官の若手が集まって、北海道について熱心に議論した思い出は今も大切にしています。

 昨年(2015)夏、久しぶりにSAS北海道のセミナーに参加したました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24058

 会場の「SappoLodge(サッポロッジ)http://www.sappolodge.com/」は、「札幌のゲストハウス」と銘打っているだけあって、たくさんの外国からの宿泊客でいっぱいでした。若い皆さんが、安い価格でお客さまの札幌滞在を支えている、新しい取り組みは素晴らしいですね。

入口もロッジ風

入口もロッジ風

中は高い天井と木材仕様

中は高い天井と木材仕様

カウンターテーブルも一本の大木

カウンターテーブルも一本の大木

 帰り道、ふと横切る創成川は素晴らしいモノトーンの世界、「サッポロの冬」ですね。

南4条から上流を臨む

南4条から上流を臨む

愛生舘の「こころ」 (14)

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 このブログのシリーズ「愛生舘の『こころ』」は、第13回を終えてしばらくお休みしていましたが、本当に久しぶりに再開致します。というのも、今年4月から始まる年度は、秋山財団設立30周年の節目の年になり、基本財産の出捐者・秋山喜代の遺志でまだ私が実現していない「愛生舘文庫」の創設に向けて、新たなスタートを切りました。

 これまでのシリーズ「愛生舘の『こころ』」はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

  この4年間、私は、秋山喜代の最後の住まいで、今は秋山財団事務所になっている建物倉庫の整理と、「愛生舘」にまつわる資料の収集・整理を空いた時間を見つけては行ってきたつもりです。なかなか進展していなかったのですが、昨年、助っ人を得て、資料収集も最後の局面を迎えつつあります。

 先日は、これまでも「古文書講座」等でお世話になっている青山学院大学名誉教授・片桐一男先生とご一緒に、松本順先生のご親族・松本和彦先生を訪問して参りました。貴重な資料をお借りできたので、さらに資料整理と分析・解読を進めていきます。

* 古文書講座 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AC%9B%E5%BA%A7

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

 貴重な品いくつかも拝見しました、刻まれた文字に価値があります。

蘭畴は松本順先生

蘭畴は松本順先生

 松本順先生のご業績と愛生舘との繋がり、そして秋山財団がなぜ「愛生舘文庫」なのか、以前のブログから引用します。

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 片桐先生は冒頭、「世界の中で新しい国家建設が迫られている時期、必要とされていたのは『海軍力』で、それも緊急性を帯びていた。日本が独立国家として成り立っていく思想・技術、そしてそれを担う人材、すなわち『体力』をつける目的で長崎海軍伝習があった」、とおっしゃいました。そもそも蘭学が江戸時代に静かに研究されていたのは、北方ロシアの東方進攻・南下の脅威に対してその対抗的思想・哲学の必要性からと、先生から伺ったことがありました。

 以前にも書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1096)、その第二次海軍伝習(実質的な「医学伝習」)で松本順は中心的役割を担いました。ポンぺからのオランダ語を介した伝習を、集まった全国各藩の弟子たちに伝えることで、それ以降の近代医学・医療の基礎を築きました。

 松本順の功績のまとめとして 1) 持って生まれた資質を生涯を掛けて伸ばし続けた:ポンぺの伝習から総合的技術を取得、実践――野戦病院・衛生思想等

2) 人との出会い、ポイント3人:松本良甫(ポンぺからの伝習)、山県有朋(陸軍病院等の基準策定)、高松保郎(愛生舘事業)

3) 彼のしなかったこと:オランダに留学等で行かなかった、制度が出来るとバトンタッチ・チャンスの移譲

4) 彼の目指したこと:庶民への眼差し「愛生済民」――愛生舘三十六方、衛生思想の徹底、アジア・世界の体力向上

5) 彼の日常生活――身の回りをいつも「楽」にしておくこと

 最後のまとめで、片桐先生は、「松本順の活きた人間像が把握されていない、激動の歴史の中で埋もれていた原因は、激変する維新から明治時代では文字を通してのメッセージの伝達が難しかったのではないか、それは庶民の教育レベルが江戸時代よりもむしろ劣化していたことを意味している」、と看破されていました。

 牛乳の効用、海水浴の普及等、今では常識になっている健康増進・普及に関して最初の井戸を掘った人物、それが「初代陸軍軍医総監」等の評価以上の歴史的意味を、彼の人生から読み取ることが出来るのでしょう。

 翌日、私の手元に「松本順と北海道」という3部にわたる小論文を届けて頂いた札幌在住の医師・宮下舜一先生とお話をしました。講演会にもご出席頂き、先生の論文には、何と明治24年6月に、松本順が北海道(函館・小樽・札幌)に20日間程度来ている記録が、小樽では道内に在住していた弟子たちと一緒に撮影した記念写真まで掲載されていました。

 (株)秋山愛生舘が「愛生舘北海道支部」から独立したのが明治24年11月ですので、この時にどこかで初代秋山康之進と再会していた可能性は大変高いと思いました。引き続き調査・研究の必要がありますね、また一つ目の前に解き明かす課題が見つかりました。

 今回、私は片桐先生に敢えて「秋山愛生舘」ではなく、「愛生舘」についてお話をして頂きたいと事前にお願いを致しました。講演会に参加された道内の「シンパ」の方々には、「愛生舘事業をしっかり今の時代にも受け継いできたのは、唯一この北海道の地ではないか、どうしてもっとそれに言及しないのか!」と叱られそうですが、21世紀の今、広い意味で「愛生舘事業のこころざし:愛生済民」の原点回帰を、秋山財団的には記念すべき25周年を機に目指す、そう是非ご理解を頂きたいと思います。

 この講演会をキックオフとして、今後「愛生文庫」を軸とした資料室の創設も企画する予定です。ご関心のある方の率直なご意見もお待ちしています。 ~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 宣言をしてから4年以上経ってしまいましたが、今年・来年中には必ず創設しますので、乞うご期待!です。

渋沢栄一史料館を訪ねて

Posted by 秋山孝二
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 以前から訪ねてみたかった東京都北区飛鳥山にある「渋沢史料館(http://www.shibusawa.or.jp/museum/」に、時間を見つけてやっと行くことができました。昨年11月の公法協トップマネジメントセミナーで「渋沢栄一記念財団」の中村圭一総務部長とお会いしたので、先日も再会し、副館長・学芸員の桑原功一さんにご説明をして頂きました。生家の深谷市には市営の記念館が別にあるようです。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24966

 渋沢史料館は、近代日本経済社会の基礎を築いた渋沢栄一[1840(天保11)~1931(昭和6)年、号は「青淵」(せいえん)]の思想と行動を顕彰する財団法人「渋沢青淵記念財団竜門社(現 公益財団法人 渋沢栄一記念財団)」の付属施設として、1982(昭和57)年、渋沢栄一の旧邸 「曖依村荘」跡(現在東京都北区飛鳥山公園の一部)に設立された登録博物館です。

 当初の渋沢史料館は、旧邸内に残る大正期の2つの建物「晩香廬」と「青淵文庫」(いずれも国指定重要文化財)を施設として開館しました。その後1998(平成10)年3月に本館を増設し、現在は3つの建物で運営しています。

正面玄関から

正面玄関から

史料館入口

史料館入口

旧渋沢邸の広大な庭、茶庵跡も

旧渋沢邸の広大な庭、茶庵跡、東屋も

戦災でも残った青淵文庫建物

戦災でも残った青淵文庫建物

戦災でも残った青淵(せいえん)文庫

青淵(せいえん)文庫図書館

壁上部のステンドグラス

壁上部のステンドグラス

 常設展示は興味深かったですね。後半生は比較的「事業家」として数多く紹介されていますが、以下のような彼の人生は、それぞれが後の活動の原動力になっていることを知りました。新渡戸稲造とも同時代を生きて、国際連盟への熱き応援にも感動します。

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1.郷里にて: 生家の家業、幼時の学習、尊王攘夷運動への参加など、郷里・血洗島で活動した若き日の栄一の思想と行動

2.幕臣となる:
* 一橋家の家臣としての活躍 (歩兵募集、領内産業振興など)を挙げ、後の栄一の活動の基盤を探る

* 徳川昭武に随行して訪れたパリをはじめとしたヨーロッパ各地、パリ万博の様子、栄一が先進社会で何を感じてきたかを示す

* 徳川慶喜が蟄居した静岡において、株式会社のテスト版として創設した小さな金融商社「商法会所」の概要

3.維新政府の一員に: 明治維新政府における栄一の位置、「改正掛」の関係したプロジェクトを取り上げ、栄一の熱意と仕事の幅の広さ

4.実業界を築く: 第一国立銀行を創設・近代的企業を設立・経済団体を組織化
* 「銀行条例」の制定から、栄一の実業界における活躍の拠点となった第一国立銀行の創設など、銀行制度の進展等を振り返る

* 設立・育成等で深く関わった企業の資料を通じて、栄一の実業界における実績を顧み、併せて『論語と算盤』に表わされるような営利活動と道徳の両立を願う栄一の経営思想の根幹を観る

* 現在の銀行協会、証券取引所、商工会議所など経済団体を組織し、実業社会全体の成長・発展に尽くした栄一の活動を振り返る

5.民間外交を担う:
* 「国民外交」の先駆者として特に、日露戦争後に悪化した日米関係の修復に努めた栄一の活動を振り返る

* 「国際的に国をなして行くには他国を慮る道義が不可欠だ」と国際連盟精神を説く満88歳の栄一の力強い肉声

6.社会公共事業を推進: 福祉医療活動に尽力、教育を重視、東京の街づくり、労使協調を目指す
* 長く院長を務めた「東京養育院」の事業を中心に、社会福祉・医療における栄一の活動と考え方

* 実業教育や女子教育を中心に、教育支援における、栄一の実績

* 「東京会議所」との関わりにはじまる首都・東京の社会資本整備事業への栄一の関わり

* 「協調会」を中心に、栄一の労使関係への考え方

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 とにかく幅広い活動で、徹頭徹尾「事業家」としての人生でした。企画を練ってプロジェクトを立ち上げ、実行に移す時には必ず集団を形成しており、決して一人で突っ込んでいくことはしていません。事業の何たるかをしっかりわきまえていて、所有に拘らず、次々と人を育てて移譲していき、得た資金等は次への事業の投資に役立てています。

 まさに、「論語」と「算盤(そろばん)」のバランスが最適です。

父のアルバムから・・・

Posted by 秋山孝二
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 何故、今、こんな写真なのでしょうか。もう少しすると、出版される方がいらっしゃいますが、そこに寄稿した時の挿入写真です。

昭和19年父母結婚式

昭和19年父母結婚式

アリューシャン洋上・旗艦「阿武隈」甲板で

アリューシャン洋上・旗艦「阿武隈」甲板で(左)

レイテ沖海戦、攻撃を受ける戦艦武蔵を重巡「利根」から

昭和19年10月レイテ沖海戦、攻撃を受ける戦艦「武蔵」を重巡「利根」から

 今年も引き続き「戦争」と向き合い、自分の近くの反戦の立ち位置から思索を深めたいと思っています。

今、企業経営のトレンドは?

Posted by 秋山孝二
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 昨年も「戦略経営塾」等でお話がありましたが、1990年代以降の日本の企業経営について、時間軸をやや長く取って傾向を分析すると下のチャートのようになります。

日本企業経営の変化

日本企業経営の変化(BS11寺島実郎さんの番組より)

 要するに、日本の伝統的企業経営の理念から大きく変遷して、人件費を抑え(流動化し)、設備投資を控え、配当を増やし、内部留保を大幅に増やして株主価値を上げてきているのです、刹那主義、グローバルマネーに翻弄される危険性を感じます。

 先日も、ある企業に務める方とお話をしていて、90年以降のリストラの嵐が今も続いており、そのしわ寄せの殆どが現場の従業員に向けられている様子を具に知りました。いったい本来の「リ・ストラクチャリング」の意味合いはどこへ行ってしまったのか、長年現場を支えてきた第一線の社員に対して、管理者・経営幹部は一体どんな応分の責任を果たすのか、さらには、やろうとする「リストラ」の目的は何か、コストダウンによって利益を出してそれが何なのか、話を聴いていて憤りすら感ずる昨今の経営者の劣化です。

 年末にも書きましたが、東芝、化血研等の経営トップの記者会見でも、まるで他人事の表情で語る姿は、覚悟を持って経営に当たっている姿ではありませんね。どうして、日本の大企業はこうも筋が悪くなったのでしょうか。

 私は時々出会う金融機関窓口でも同様ですね。昔に比べてかなり顧客対応が下がっていますし、窓口のコミュニケーションも全く内向きで紋切り型が横行しています。散々待たせておいて、急ぐならATMに行けと言い放つ女性の言葉に出会うと、今の金融機関の体質を目の当たりにします。低金利・高額手数料等、顧客不在の収益向上で一体誰が利益を貪るのか、書き始めたら留まるところを知りません。

 「経営組織論」を教える立場から、これまで何回も書き留めてきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%B5%8C%E5%96%B6%E7%B5%84%E7%B

 私は、単なるノスタルジックな感情でモノを言っているのではありません。今日の日本社会を支えてきた柱となる企業の「人材育成」をないがしろにして何を上位の価値と置くのか、経営者のきっちりとした説明を聞きたいのです。自分が所属する経済団体での経営者の劣化も甚だしい、もっともっと平和に関してコミットしなければならないですし、芸術・文化に対してももっと造詣を深くしなければ、国際社会の中での日本の立ち位置も低下し漂流していくでしょう。

 ニュースを見ていても、直接経営者の話を聴いても、現場で働く能力の高い人々の声を聴いても、今の日本の企業経営者は危機的です。そんな状況の中で、地域に生きる若い経営者に期待したいですね、これからの時代は君たちが担うのです、と。

「言葉」って重要ですよね

Posted by 秋山孝二
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 年末・年始、普段なかなか意見交換できないテーマについて議論を深めることができました。折しも、私が理事長を務める複数の非営利活動団体が、あらたに向う5年の長期計画策定の時期を迎えて、丁度、活動を振り返り、これまでの軌跡の上にどういった未来を展望するかの局面となっています。

 この間の議論で共有できたのは、「言葉って大事だね」でした、新たな概念・枠組みを想定していても、従来の言葉を使ってそれを表現すると、どうしても手垢にまみれた従来のイメージに引き戻される、或は従来の枠の中で多くの方々には受けとめられてしまう、そんな意味合いでした。ですから、将来の新しい展開を語る、見える化する場合は、やはり少々の違和感が在っても新しい言葉で表現することが肝要だとの共通理解を得たのです。

 もう少し、今年設立30周年を迎える秋山財団を例に説明をしてみましょう。

 HP(http://www.akiyama-foundation.org/aboutus/aboutus_01)にもありますが、財団設立の志は、「北海道」という地域と、「生命科学:いのち」に対する特段の思い入れと言えます。「固有の土壌や地形、水系や気候、動植物をはじめ、多くの自然の特徴を備えた独自性を持つ生命の場」としてのこの北海道。こうした「生命の場」の中に共に住む共同体の一構成員として、切り離されては生き得ない人材の育成を最高の価値としています。私たちは一貫して、「地域・民間・自立」財団として地道に活動をしています。

 さらに、秋山財団の原点を、設立当初の理事のお一人が語っています。「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあると言えましょう。『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思うのです。それは人間のコモンセンスに属すべきものであり、秋山財団の地味ではあっても着実な助成・育成活動が、北海道から日本へ、そして世界へ向けて、人類のそうしたコモンセンスの確立へと発展し、貢献する事を期待して止みません」。

 私たちは、30年目を迎える今年、この原点に立ち戻り、さらに進化していきたいと決意しています。この間の関係者は以下のそれぞれの言葉にどんな意味を込めていたのか、私なりに向き合ってみました。

 まずは、「生命科学」ですが、これはいわゆる近代の学問領域、すなわち「自然科学」、「人文科学」、「社会科学」の上位概念として位置付けられるもので、あらゆる「生命(いのち)」と向き合う姿勢だと考えています。秋山財団設立時、名付け親の伴義雄先生は、「21世紀は『生命科学』でしょう」と迷いなくおっしゃいました。当時はよく理解できませんでしたが、このところ時代が追いついてきた感じがしています。新しい概念としての「生命科学」、これをどう基軸に私たちの活動を展開していくか、それと従来の枠組みとのせめぎ合い、30年以降の私たちに課せられたテーマです。

 次に、私たちが言う「地域」は、よく使われる「地方」とは一線を画している概念です。「地方」はその意味合いとして「中央」に対しての意味が一般的で、これは今、政府が言う「地方創生」も同じですね、あくまでも中央から見て地理的に離れた場所の意で、中央政府からの眼差しを脱却できません。私たちが30年前に「地域」と敢えて宣言したのは、「北海道」が行政府の一都道府県としてではなく、多様な生命が宿る場、「バイオリージョン(生命地域)」として、ユーラシア大陸のユニークな地域として存在するとの意味合いからです。この島を深く掘り下げて研究、活動することは、即、日本のみならず世界へも発信できる価値を持っていると認識しています。

 最後の「民間・自立」というのは、税金で賄う「官」とは一線を画して、「民」の意志を持った自主財源によって、機動的にダイナミックに社会課題を解決していく、そんな心意気を示してきたつもりです。さらに、自主財源(基本財産)の資金運用においても、ファンド等では私たちの意志に沿う企業を選択し、同時に戦争関連・環境破壊企業は拒否する意思を運用する側にしっかり伝えているつもりです、この辺りが今、巷で言われる「ソーシャル・インパクト・インベストメント」です。「グローバルマネーは悪!」と言い切ってしまっては、今の時代に資金運用する我々としては少々乱暴です。お金にも意志があると思うし、これからもこの分野での研究を続けたいと思っています。

 私は昨年末のこの欄で書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25282)。その中の一節に、「『助成金』から『投資』への概念進化」と表現したのですが、その後、財団内で議論をすると、どうしても「投資」という言葉から連想する「金銭価値」みたいなイメージが、本来の意味するものとは異なった印象を与えるのでは、との疑問が提起され、私自身、なるほどなと思いました。秋山財団の宮原正幸常務理事は、この意を汲んで「種を蒔く人の育成~次世代へ『託資(タクシー?)』社会変革『拓資(タクシー?)』未来『種』(みらいだね!)いのち『種』(いのちだね!)」と表現しました。

 ここまで、「一線を画す」と繰り返し書きました、この間の議論では、何れもマスメディア等で露出する言葉と私たちが展望する概念との差、距離感をきっちり伝える几帳面な表現に努力したいのです。それはしつこく、時間の掛かるプロセスですが、先々中途半端に取り込まれないためにも、必ず必要な過程だと再確認した次第です、「言葉を吟味する」ことの大切さとも言えます。

二つの映画、重たいテーマ

Posted by 秋山孝二
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 年始は映画からスタートです、「私はマララ(http://www.foxmovies-jp.com/malala/」、「ヒトラー暗殺、13分の誤算(http://13minutes.gaga.ne.jp/」。それぞれ楽しく観られる映画ではなく、上映後も何か胸にずっしり重たく響きます。この数年、そしてこれからの数年、日本自体に立ち込める暗雲みたいな雰囲気を感じてしまうからなのでしょう。重要な時期、長くお休みしていた日本の国会が、新年4日から始まったようですが、今年の国政選挙のことばかりマスメディアも報道しています。

 「わたしはマララ」は、2014年にノーベル平和賞を史上最年少で受賞した17歳の少女マララ・ユスフザイを、「不都合な真実(http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E4%B8%8D%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AA%E7%9C%9F%E5%AE%9)」のデイビス・グッゲンハイム監督が取材したドキュメンタリーです。パキスタンで学校を経営する詩人の父と文字の読めない母の長女として生まれたマララは、タリバンに支配された教育事情や暮らしについてブログに綴りはじめたのですが、ドキュメンタリーへの出演によって身元が知れ渡り、タリバンに命を狙われる身となってしまいます。そして2012年、当時15歳だったマララと友人は、スクールバスで下校途中に銃撃され、頭に大怪我を負います。世界に衝撃を与えたこの事件を中心に、マララの生い立ちや父が彼女の名に込めた想いを明かし、普通の少女がなぜ教育活動家としての道を歩むことになったのか、その真相を描いています、「ごく“ふつう”女の子」を浮き彫りにしながら。

 マララは14歳で「国際子ども平和賞」の候補にあげられ(二年後受賞)、パキスタンで最初の国民平和賞も受賞しました。タリバンは少女が有名人になりすぎるのを危惧したのでしょう。しかし、彼女へのテロは、皮肉にも彼女を国際的有名人にしました、ある意味では利用した勢力もあることは否めません。2013年7月12日は、マララの十六歳の誕生日、国連はこの日を「マララ・デー」と定めました。当日、マララはニューヨークの国連本部でスピーチを行い、「本とペンこそが私たちの武器である。一人の子ども、一人の教師、一冊の本、一本のペンが世界を変える。教育こそ解決策」、と。

* http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/12/malala_speech_n_3588163.html

 もう一つは「ヒトラー暗殺、13分の誤算」、監督は名匠オリヴァー・ヒルシュビーゲル、こちらも衝撃の感動実話です。1939年11月8日、恒例のミュンヘン一揆記念演説がいつもより13分早く終わらなければ、歴史は大きく変わっていたことでしょう。「ヒトラーが最も恐れた暗殺者は、平凡な家具職人ゲオルグ・エルザ―だった」、と。

実話

衝撃の感動実話

 どちらも、ごく「普通の人」の強靭な信念と勇気がテーマです。人が生きるとはどういう意味なのか、今の日本に生きる自分に引き寄せて考えると、実に重たいテーマの映画でした。

年始いろいろ 2016

Posted by 秋山孝二
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 一年前の「木朝会」でのお話、ずっと手元に温めていたので、「年始いろいろ」に免じてアップさせて下さい。新しい時代の医療と地域の関係は、この処の厚生労働省マターでは優先順位が高いですね。この数年の検討課題かと思っています。

地域医療計画・地域医療構想の行方

地域医療計画・地域医療構想の行方

 今年の<箱根駅伝>、青山学院の完全優勝で終わりましたが、サイドストーリーが面白いです。

 一つは、順天堂大学は総合6位でしたが、「27歳小盛が感動の30メートル給水ラン」との見出しの記事は興味味深いですね。テレビでも取り上げられていました。小盛玄佑君の今後の活躍を期待します。

小盛玄佑(http://www.hochi.co.jp/sports/feature/hakone/data/2016/member/juntendo/komori.html

* http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160103-00000138-sph-spo

 もう一つは青山学院大学の7区区間賞の小椋裕介君です。札幌山の手高校出身で、この数年注目していましたが、4年間7区を走り続けました。特に今年は4年生としての新たな責任を背負いながら、堂々たる走りでしたね。

小椋裕介(http://www.hochi.co.jp/sports/feature/hakone/data/2016/member/aoyamagakuin/ogura.html

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18860

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=22110

小椋選手

小椋裕介選手

 ある意味ではただ走るだけの競技ではありますが、歴史を重ねた大会となると様々な物語が生まれて、多様な人生模様も見て取れます。来年もまた新しいヒーローの出現を期待しながら、若い世代の躍動が楽しみです。

2016年、あらたな気持で!

Posted by 秋山孝二
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 2016年、明けましておめでとうございます。昨年は皆さまに多方面にわたり大変お世話になりました、心から感謝申し上げます。今年も宜しくご指導、ご支援をお願い致します。

 年末、家の棚を整理していると、もう20年近く前になる地元月刊誌に掲載の自分の記事を見つけました。随分生意気なことを言っているのですが、思いは今も変わっていません、それにしても「見出し」が刺激的で困ってしまいますね。

1998年年初の記事です

1998年年初の記事です

 記事の中から幾つかをご紹介します。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~表紙に自分の写真が載った『ニューズウィーク』を手にして、ご機嫌な笑みを見せているのは医薬品卸の秋山愛生舘社長・秋山孝二氏(47)。といっても、これは秋山氏が米国出張中にお遊びで撮った記念写真なのであってホンモノではない。

~~いまさら言うまでもないが、秋山愛生舘は東京・神田で始まった愛生舘事業(早く言えば国民の健康増進を図る意味合いの事業)の北海道拠点として創業している。今年で106年の老舗だが、今では札証・東京二部の上場企業で売上高は1200億円を超えている。本道の旧家としては今井家や地崎家、伊藤家、福山家などが知られているが、秋山家もその一角を占め、秋山ファミリーはそれこそ鉄の結束を保ってきたのである。

~~そんな秋山ファミリーのレゾンデートル(存在意義)とも言える秋山愛生舘の“解体”を仕掛けたのがこの人。「合併を決めたのは昨年の7月ですが、秋山愛生舘という会社は札証への上場を決めた時からファミリー経営からの脱皮を進めたきたし、そういう意味では心の整理はついているのです。合併を決めて以降、全道のお得意さまを回ってきましたが、『名前が無くなるのは寂しい』とよく言われます。しかし、合併しても本道は『スズケン愛生舘営業部』として存続するわけですから、愛生舘の魂までがすべて消えるわけではありません」(秋山氏)

~~元中学校教師という肩書きを持っている秋山氏だけに、その口調はどことなくキレイゴトのような気もしないではないが、「要は合併によってスズケンと秋山愛生舘が力を合わせて新しい会社を創るということです。我々は新しい会社にどこまで貢献できるかが大事なのであって、北海道を見捨てるだとか、そんな気持ちは全くありません」(同)

~~それでも、昨年4月の大同ほくさん水島茂社長の解任事件や地崎工業、丸井今井と本道を代表する老舗企業の不祥事や苦境を目にしてしまうと、どうしても「大丈夫なのか」と思ってしまう。秋山氏は厳かに言う、「水島氏は債権者から破産の申し立てを受けているというから経営者としては論外ですし、今井春雄氏にしても株式公開企業なら完全にアウトです。要はそんな経営者を温存させてきた北海道という土壌にこそ問題がある」

~~最後に、秋山氏に沈没の危機に瀕している北海道経済にいてのご託宣を伺ったところ、「過去の後始末ばかりに時間をかけてもどうしようもない。いったん膿を出してでも早く後始末をして、今の時間を将来のために使うべきです、そうしないと次の時代を担う世代は窒息してしまいます」という答えが返ってきた。ドライでスピーディー、秋山氏が目指すのは米国型経営のように見える。あるいは本気でニューズウィークの表紙を飾ってカバーストーリーを狙っているのかもしれない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 合併の目的にはそれぞれのストーリーがあるとは思いますが、「新しい価値を創る」ことは、どんな場合でも共通することだと今でも思っています。昨今の企業の不祥事ほか、何もしないで本来の企業設立の理念から外れている企業の多さを目の当たりにすると、当時の私の発言は的を射ていると思われませんか?北海道自体の何もしない風土こそ問題です。

 出だしから挑戦的に過ぎますでしょうか、今年一年、変わらぬ信念で丁寧に一日一日を生きていきたいと思っています、今年も宜しくお願い致します。

今年を振り返る 2015 (番外編)

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 年末29日、もう十数年になりますか、今年もFM三角山ラジオで丸山哲秀先生の番組で1時間少々のトークに登場でした。私自身、毎年の振り返りができると同時に、丸山先生とのやり取りが楽しかったです。

* http://d.hatena.ne.jp/tessyu/

 戦後70年目の節目の年、歴史的転換点とも言える大きな出来事が続出しました。政治、経済では今後楽観を許さない危機感を抱きますが、世界で戦うアスリートたちの活躍からは、多くの勇気と希望を受け取りました。フィギャスケートの羽生結弦、宮原聡子、バドミントン、フェンシングの太田、ラグビーワールドカップで3勝の五郎丸歩、リーチ・マイケル、世界選手権優勝の男子体操、女子サッカーワールドカップの準優勝、テニスの錦織圭等、書き切れない程の活躍でした。それぞれ裏付けされる日頃の精進があり、日々切磋琢磨している姿には感動しました。

 私の活動の総括としては、上手く軌道に乗ったこと、苦闘していること、いろいろありますが、自分が関わるフィールドがあるということに感謝したい気持はあります。それぞれの場には、永年頑張っている人々がいる訳で、その努力へ報いるためにも、私の立ち位置でやれることを悔いなくやりたい、そんな姿勢で日々活動をしてきたつもりです。

 私(わたくし)的な一年のまとめ、今年も盛りだくさんでした。

* 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」、札幌遠友夜学校、遠友みらい塾関連

* エネルギーチェンジ100ネットワーク

* 演劇関係

* 秋山財団

* 北海道経済同友会

* 寺島戦略経営塾

* 政治情勢、特定機密法案、安保法制、沖縄基地問題

* SEALDsの活動

* 海外旅行から 5月ボストン、10月シンガポール

* 国内旅行 7月利尻・礼文、10月中山道(妻籠、馬籠ほか)、郡上八幡、高山「八幡祭」

* 六華同窓会、札南学校林財団

* 音楽ライブ 7月グラシェラ・スサーナ、8月美輪明宏、11月アルゼンチンタンゴ

 年末のテレビの特別番組、録画したものの果たして観る時間があるのかどうか。何はともあれ、今年一年、大変お世話になりました、来年も宜しくお願い致します、皆さまのご多幸をお祈り致します!

今年を振り返る 2015 (下)

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 日本の「ガラパゴス化」と昨日書きましたが、外国から見る、或は日本を愛する外国人のメッセージは傾聴に値し、今年も腑に落ちる場合が多かったです。

 まずは、秋に東京で食事をしながら外資系金融機関の方から聞いた話、数題。

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< 変革の「アップル」三世代?! >

* アダム&イブ の「禁断の実」

* ニュートン の「落ちるリンゴ」

* スマホ の「アップル社」

< 経済の三大潮流 >

* シェアリング・エコノミー http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h27/html/nc242110.html

* サステナビリティ 「持続可能性」をビジネスモデルの中核へー>価値創造能力を強化

参考 ESG(Environment + Social + Governance)

* ソーシャル・インパクト・インベストメント まとまった採用から市民生活の改善へ http://andomitsunobu.net/?tag=%E3%82%A4%E3%

事例 http://andomitsunobu.net/?p=7703

< 4つのメガトレンド >

* BOP市場(Bottom Of Pyramid) http://mf.nobisiro.com/kihon/bop.html

* LOHAS(Lifestyles of Health and Sustainability) http://www.lohasclub.org/100.html

* グリーン成長 https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/zu/h24/html/hj12010102.html

* 福祉国家の再編

<注目のポイント>

* マイクロファイナンス(グラミン銀行ほか) BOP(ボトム・オブ・ピラミッド)向けの金融システムー>貧困層が「被支援者から生産的な企業家へ

* 教育、保健医療、失業、環境、再生可能エネルギー等、社会課題の触媒的役割で市場を形成し始める

* 「助成金」から「投資」への概念進化

* 「社会貢献」と「経済的成功」の双方を実現しようとする「投資」

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 次は、海外試合で活躍した方々のコメントにも、今の日本の低迷を脱却するヒントがあります。今年、ラグビーのワールドカップでの初戦、南アフリカを劇的逆転で破った日本チーム。そのヘッドコーチ、エディ・ジョーンズの言葉には説得力がありました。何の遠慮も忖度もなく、「試合に勝つ」目的に対して、的確に日本人社会の弱点を指摘しトレーニングに励み、同時に長所を伸ばすサイドワークも欠かしません、根底に日本を愛する気持を持ってことに臨む姿は美しかったですね。

* http://president.jp/articles/-/16452

 今年10月に、シンガポールに行った時(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24868)、これからの日本はコラボレーションの中で日本の良さを活かしていくことに展望が見出されると感じました。日本チームを日本人だけでやろうとする時代は終わっています、母国の代表を捨てて日本チームで活躍した外国人ラガーマンのように、魅力ある日本の風土を築き、人が集まるプラットホーム創りに注力する、エディのパフォーマンスを見ていて、私の立つフィールドでの希望を抱いた今年2015年でした。

今年を振り返る 2015 (中)

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 1年おきに札幌学院大学で「経営組織論」一コマ15回講義を行っています。年明け早々に2回講義をして終了しますが、今年は「組織の病理」として、東芝問題、マンション杭打ち手抜き問題、化血研問題等も取り上げました。これまでは、10年ほど前の自動車メーカーのリコール隠しを題材としていましたが、次々と明るみに出る今年の企業の不祥事、というよりも「犯罪」については、学生たちにどう説明したら宜しいのか、私はいつになく悩んでしまいましたね、現場の不注意とか怠慢ではなく、明らかに組織の責任ある立場の意図的仕業だからです。これまで何回も使った言葉、「経営者の劣化」が露呈してきています。

* 東芝不祥事&リコール http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201512/CK2015122002000124.html

 「組織文化」は、「伝統」とか「伝承」とかと言い換えても良いのでしょう、今、日本国内の大企業で、その価値を壊している経営者とその取り巻きの連中、内部ばかりでなく監査役とか監査法人も含めて、多くいるような気がします。何年か前に私も出席した経済紙関連主催のフォーラムが東京で開催され、千人以上の聴衆が居たでしょうか、当時の東芝・西田厚聡社長が1時間の講演を行いましたが、私は正直、大きく失望しました、これが経済紙、メディアで評価されている人物かと。内容が陳腐であるばかりでなく、ただ傲慢な姿でした。同じ会場でお話をされたセブン・イレブンの鈴木敏文社長は戦略的で鋭い指摘等、経営者としての存在感を示していました。私は、人に対する自分の直観には自信を持っているので、この時、東芝は大丈夫かなと感じたことを鮮明に覚えています。今年の一連の不祥事を越えた「犯罪行為」を目の当たりにすると、それらの兆候は随分前からあったのだと妙に納得します。

 しかし、一方では、日本全国には数百年続く企業も多くあり、モノづくりの伝統とイノベーションによりそれぞれの時代に合った価値を提供しています。今月の最終講義では、老舗企業を幾つか紹介し、「変えてはいけないこと」、「変えるべきこと」の判断を的確に行って幾多の困難を乗り越えてきた様子を一緒に学びました、優れた経営者はいつの時代も地道に健闘しているものですね。

 以下は、私の論文から「組織文化」についての引用です。~~~~~~~~~~~~~~~~

 企業が持続的に成長していると、成長をもたらしている企業の外部内部環境を守ろうとする慣性が働き、大きな環境変化へ適応しづらくするリスクはある。あえて自社の成長をもたらしている経営資源や経営戦略とは異なる資源や手法を、自ら獲得していく、経営革新が必要である。そのため組織が一定の成果をあげていたとしても、経営を客観的に分析し、具体的な事象として現われにくい環境変化と経営課題を認識できるようなベンチマークを経営者が持つ必要がある。それに加えて、経営と組織の変革を躊躇せずに実行できるリーダーシップが、経営者に求められる。特に組織文化や成功のパラダイムを変えられる経営者の存在は、長期間にわたる企業成長には必要不可欠である。

 企業の中で舵取りをする経営者が日常の業務に追われていると、企業の外部環境と内部環境の漸次的変化を認識しにくく、環境変化への対応が遅くなってしまう危険性がある。そうした危険性を回避するためには、経営者はぶれない視点を持つことが求められる。ぶれない視点は、組織が受け継いできたDNAとの比較と、他組織との比較の中から生み出されると考える。組織のDNAは変化しない要素であり、現在の経営理念の解釈と形成されている組織文化が組織のDNAから逸脱していないか、判断することができる。そして、ベンチマークとすべき他組織のDNAとそこから生まれる経営理念や組織文化の解釈と比較することは、単一組織の中でDNAを解釈するときの異なった物差しを提供してくれる。

 企業を巡る環境変化を察知する経営能力は、経営者と社員が伝承するDNAを基盤にしたものであり、組織のDNAをしっかり解釈し、経営理念や組織文化として表現できない組織は、また後生へ伝承できない組織は、環境変化に不適応してしまう危険性がある。反面、経営能力はDNAから解釈される経営理念や、経営理念から形成される組織文化を構成要素としているため、漸次的に変化しやすく、大きな変化はしにくい。組織としてのぶれない軸や視点を提供してくれるDNAが、結果として組織の環境変化に対する経営理念や組織文化の適応を防げる逆機能をもたらすこともあり得る。

 結論的に言うと、組織の中のDNAを解釈し、伝承していくためのリーダーシップを発揮するのが経営者である。持続的経営の根幹をなす組織文化が自然に醸成されるのを期待するのではなく、経営者が長期間に渡って耐えうる、優れた組織文化を意図的に育成していくことが必要である。また、秋山愛生舘が医療費抑制に伴う薬価引き下げといった市場環境の変化に直面したとき、株式上場や多角化による組織文化の革新を図ったように、組織の環境変化に対して、組織文化を大胆に革新していくことも時には必要となる。 組織のDNAをその時代の環境に合わせて解釈し、組織文化を革新していくことが、結果として企業を守ることにつながり、そうした時にも経営者のリーダーシップと組織文化の変化を促進できる経営幹部が必要である。優れた組織文化も重要であるが、組織文化自体を変えられる経営者とそれを受け入れる社員も、持続的経営を成し遂げる重要な構成要素となる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 論文コピー おわり

 経営陣の不祥事・不始末の結果、大リストラで現場で働く人々が路頭に迷う不条理は許せません。メディアも「犯罪」としての認識を明確にして、責任の所在を曖昧にしないようにしなければ、今の日本の体たらくに歯止めが掛かりません。とにかく、日本の「ガラパゴス化」は深刻で、国際社会の中での地盤沈下を実感する今年一年でした。そんな中でも未来への展望を切り拓きたいですね。

今年を振り返る 2015 (上)

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 あっという間に2015年も押し迫ってきました、今年は相変わらず忙しかったですね。数日間で今年を振り返ります。

 まずは、この8年間務めてきた「六華同窓会(http://www.rikka.net/」幹事長を10期後輩の西尾長幸さんと代わりました。私よりはるかに繊細な心の持ち主、きっと素晴らしい同窓会にしてくれるでしょう。昨年、予期せずに「一般財団法人 札幌南高等学校林(http://www.rikka-forest.jp/」の理事長に就任して、結局、私は高校に一層関わることになっています。以下は、今年10月の同窓会総会の会誌に寄稿した内容です。

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歴史の一コマに生きて

六華同窓会 幹事長 秋山孝二

 2015年六華同窓会総会・懇親会の開催を迎えて、これまでご準備にあたられた南40期の小林伸行実行委員長はじめ、幹事当番期の皆様に心から感謝申し上げます。今年のテーマ「六華のキセキ」からは、学校創設120周年の「軌跡」、新たな「輝石」の発見、「奇跡」への思いを感じます。

 同窓会は財政改革を終えて、昨年、懸案だった規約改正を行いました。決算期を3月から7月末へと変更し、今年度から運営の仕組を「4役会議」、「運営会議」、「常任幹事会」、「総会」とそれぞれの機能を明確にしてスタートし、今の時代に見合った、末永く安心して楽しめる活動体として再整備を行いました。

 一方、同窓のもう一つの宝である「学校林」活動も、「一般財団法人」として100周年を祝い、今、200年に向けた基本コンセプト「Rikka Forest」の理念に則り、大きな一歩を踏み出しました。恒例の春の散策会に加えて、5月末には初めての試みとして「林業体験プチワークショップ~ドンコロ集め」を実施しました。

 これまでは、「下草刈り」、「植林」等、将来への備えが主でしたが、今回は森に残された間伐材を回収する活動でした。地面に転がる間伐材は、大先輩たちが育てた「材」、「財」であり、現役高校生を含めた多くの参加者と手渡しリレーで運び出しながら、幾多の時代を越えた100年の歴史に思いを巡らせました。さらに、私も太いカラマツ材を一個だけ持ち帰り、家でじっと見つめながらハッと気が付いたのです、その年輪一つ一つの間から先輩たちのぎっしり詰まった意志とメッセージが聞こえてくることに。静まりかえる緑豊かな学校林の中に立つ自分、まさに歴史の一瞬間に生きている、これ程分かりやすい光景はありませんでした。

 皆さん、私は幹事長として長くお世話になりましたが、この10月総会で退任致します。この間は改革の連続でした、多くの若い世代と出会う機会も多く、そして、「未来プロジェクト」の優れたメンバーたちが、これからの六華同窓会を引き続き支え続けてくれるでしょう。今後の会の益々の発展を祈念し、これまでの皆さまのご支援・ご協力に心から感謝申し上げます。

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 改革に次ぐ改革でしたが、お陰さまで当分の健全な財政の目途はつきました。多くの幅広い世代が楽しく集える場となって欲しいですね。我ながらよく頑張りました、皆さま、ありがとうございます!

 こんな音楽とひと時過ごします――> https://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE&index=16&list=RD_k6AA1VsZLY

元気な日々、92歳の舞い

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 昨年7月にこの欄に書いたブログ「アッパレ、我が母、脱帽です!」に続いて、今年も踊りました、92歳です。昨年は「Waltz」でしたが、今年は「Standard Medley」。

母・寿美と平先生

母・寿美と平先生

 大トリはダンススクールの兎澤範子先生と平寿仁先生の「Latin」で締めくくりました。

大トリは兎澤先生と平先生

大トリは兎澤先生と平先生

 パーティ終了後には、ロビーに当日参加の「寿美・応援団」の皆さんと両先生で記念撮影、お忙しい中ご出席頂き、ありがとうございました。

寿美の大応援団が集合!
寿美の大応援団が集合!

* 昨年(2014)の30周年記念はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20454

「高尾の森自然学校」で!

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 以前から一度訪問したかった「高尾の森自然学校(http://www.7midori.org/takao/」で、先日会議がありました。鳥のさえずり、木々の揺れる音等、都会の中の小さな空間は本当にオアシスですね。

26haの森を委託管理
26haの森を(一財)セブン・イレブン記念財団が委託管理

セブンイレブンが建設して東京都へ寄附した木製建物

セブンイレブンが建設して東京都へ寄附した木製建物

トイレは総ヒノキ

トイレは総ヒノキ

 隣の研修棟では、(一財)セブン・イレブン記念財団(http://www.7midori.org/)が支援する全国4つの環境中間支援団体の年一回の合同会議が開催されました。

* http://www.7midori.org/katsudo/support/chiikishien/

 一泊二日の日程、私は、認定NPO北海道市民環境ネットワーク(http://www.kitanet.org/)の理事長として、黒子奈美江事務局長と共に参加しました。中部、大阪、九州地区の環境活動の現状も聞くことができて、今後の私たち北海道での活動にも大いに役に立ちました。

活動発表する黒子事務局長

活動発表する黒子奈美江事務局長

 会議の合間に裏の森を参加者全員で散策、沢には水の流れ、棚田跡も見つけました。

両手に花の平田理事長、右は辻さん、左は黒子さん両手に花の「エコネット近畿」平田通文理事長、右は辻郁子さん、左は黒子奈美江さん

* エコネット近畿 http://econetkinki.org/

武蔵陵墓地、しばし厳粛に

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 40年ぶりに東京都JR中央線高尾駅に行きました。一泊二日の会議を終えて、小雨の中、「武蔵陵墓地(http://syoujukai.com/kantou/img/140712musasinogoryosiryo.pdf」を訪問し、しばし厳粛な心持で参拝・散策しました。

大正天皇・皇后陛下、昭和天皇・皇后陛下の陵墓

大正天皇・皇后陛下、昭和天皇・皇后陛下の陵墓

表参道

表参道

大正天皇 多摩陵(たまのみささぎ)

大正天皇 多摩陵(たまのみささぎ)

昭和天皇 武蔵野陵(むさしののみささぎ)

昭和天皇 武蔵野陵(むさしののみささぎ)

香淳皇后 武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)

香淳皇后 武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)

お並びの陵墓

お並びの陵墓

公法協、評議員として初めて出席!

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 今年6月に、私は(公財)公益法人協会(http://www.kohokyo.or.jp/の評議員に就任しました。今回、理事会後に開催された報告会・懇談会に評議員として初めて出席し、初対面の理事・評議員の皆さまにご挨拶できました。日本の民間公益活動を常にリードしてきた公法協の活動に少しでも貢献できれば私自身の喜びとするものです。

開会のご挨拶をする太田理事長(中央)、左・金沢俊弘専務理事、右・鈴木勝治専務理事

開会のご挨拶をする太田理事長(中央)、左・金沢俊弘専務理事、右・鈴木勝治専務理事

理事会&報告会

理事会&報告会

 太田達男理事長には、公益法人改革の過程で、「公益認定」に絡んで数々のアドバイスと激励のお言葉を頂き、この分野での尊敬するリーダーです。理事会での議案では、政策提言等、日本の民間による公共・公益活動への指針を示す意気込みを感じます。

会議後の懇談会

会議後の懇談会

 懇談会の司会は金沢専務理事、先月のトップセミナー(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24966)のまとめのお言葉でもそうでしたが、簡潔明瞭な言葉の中にメッセージをいっぱい詰めたお話は、いつも素晴らしいと感じています。この日の司会でも、短い挨拶をきっちり誉めて、長いお話をやんわり評論するそのセンス、「いいね!」です。

 年数回の会合ではありますが、この場に集う皆さま方との意見交換が楽しみです。早速、懇談会の場で、来年2月の宿題を貰いました、日本の民による公益活動に希望の光を灯したいですね。

経済同友会幹部、北海道へ

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 (公社)経済同友会(http://www.doyukai.or.jp/)の幹部が、北海道経済同友会幹部と意見交換し、知事、市長、ホクレン幹部等とも懇談しました。夜は交流会で盛り上がりました。

 東京からは、小林喜光 (三菱ケミカルホールディングス 取締役会長)代表幹事ほか、副代表幹事、監事、地方分権委員会の皆さまがご出席、地方創成等、今の地方の課題について地元の生の声に耳を傾け、特に基幹産業としての農業の現在・未来について、質問が幾つかありました。「北海道のおける地方創生の取り組み」、「地域経済活性化に向けた取り組み」がメインのテーマでしたが、それに付随する意見交換も。

 夜の交流会では、日頃なかなかお話ができない東京の幹部とも親しく懇談し、認識を共有しました。北海道のポテンシャルに関しては、地元の私たち以上に期待感が強かったですね。

 交流会のアトラクションは、北海道で活躍する茂呂剛伸(http://www.goshinmoro.com/)グループの「縄文の響き、未来へ」の縄文太鼓演奏でした。

縄文太鼓とアフリカのコラボ

縄文太鼓とアフリカのコラボ・茂呂剛伸さん

アンサンブルも

アンサンブルも

 茂呂剛伸さんのプロフィール~~~~~~~~~~~ HPより

株式会社オフィスモロ 代表取締役
ジャンベ太鼓・縄文演奏家

自ら制作した土器の太鼓「縄文太鼓」をジャポニズムとアフリカンを融合した独自の演奏スタイルで独奏する太鼓演奏家。
銀座での個展を初め、CDメジャーデビューも果たし、コンサートホール キタラで演奏会を行い、2013年5月18日には、60年に一度行われる出雲大社「平成の大遷宮」にて奉祝奉納演奏を行った。
「縄文太鼓の演奏と制作」を通じ、北海道から世界に向けて北海道の縄文芸術や縄文文化の素晴らしさを発信する活動を行っている演奏家である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 当日出された日本酒には「北海道新幹線開業』スペシャルラベル入りも。

日本酒も開業を前にスペシャルラベル

日本酒も開業を前にスペシャルラベル

 東京からのご一行は、翌日朝から夕張市に視察に行かれました。今、地方における経済団体の重要性を再認識した次第です。

だまされないこと、ですね

Posted by 秋山孝二
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 インターネット時代、マスメディア以外でもたくさんの情報に接することが出来て、昔と比べてはるかに情報的には質・量ともに豊かになっている気がします。この数か月、目の前のスケジュールに追いかけられて、時として熟考を見失う場合もありましたが、幾つか記憶に残るコメントを書き留めます。

 まずは、FBでも「保存」している、むのたけじさんのメッセージ。「人さまに頼むのはやめよう!」は、究極の自立に向けた発言ですね。(https://www.youtube.com/watch?v=UTPtxOu-0XE

 次は北海道新聞に掲載されていた白井聡さんの意見。「もう、騙されないこと」と、現在の政治状況に警鐘を鳴らしています。「戦前の支配勢力は敗戦の責任を問われて退場しなければならなかったが、冷戦構造の中、米国の反共戦略により戦後も権力の座に居座り続けた。それが世代交代して今日まで続いている。安倍晋三首相はその象徴だ」、「異様なる対米従属。天皇の代わりに米国を戴(いただ)いている。米国中心の世界秩序というものが天壌無窮(てんじょうむきゅう)のものとされている」、「現に戦争をしている状態を作れば、憲法改正は現状の追認に過ぎなくなる。まずは後方支援から始めるのではないか。戦死者が出るのを待っているんですよ、彼らは」。沖縄へ連帯のメッセージは力強いですね。

http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books_visited/2-0031759.html

 そして、長渕剛ですね。Web記事からのコピーです。~~~~~~~

・・・・・
 これら奥田氏の活躍に長渕は「よし、っと、久しぶりに拳が上がりました。希望を見ました」と絶賛の言葉を寄せる。それに引き換え、彼が気になったのは若いミュージシャンの日和見な態度だった。何者でもない、普通の大学生があれだけ自分たちの意見を主張しているというのに、率先して言葉を紡ぐべきミュージシャン、表現を生業としている者たちが意見を主張するそぶりすら見せない。

 「おかしいです。誰に口止めされているのか? 誰かに操られて音楽を作って、それで楽しいんだろうか。自分の言葉を持ち、そして発言する。音楽家がやるべきことなんてそれしかない。ロックでもパンクでもヒップホップでも、ジャンルはなんだって良い。日頃、社会に対してああだこうだ難癖つけてるくせに、いざとなったら、何にも言えない」

 「若いミュージシャンを見ていてもね、「おい、お前は何に寄り添っているんだ? 銭か? ったく、若いのによぉ」、しょっちゅうそう思う。パフォーマンスを見ても、歌を聞いても、「そんなに銭が欲しいなら、もっと勉強して、医者か弁護士になれば?」と思う。表現で飯を食う、なんてね。笑わせるなよ。その前に荒くれろ!」

 長渕が若いミュージシャンたちに対してここまで強い言葉を投げかける理由、それは彼の音楽的ルーツにある。長渕は同書に収録されている、写真家・作家の藤原新也との対談でこんな言葉を語っている。 「ギターは攻撃するための武器でした。どちらかと言うと関西フォークの源流やその周辺に傾倒していたんです」 「関西フォーク」とは、ザ・フォーク・クルセダーズ、高石ともや、中川五郎、高田渡、岡林信康といったシンガーを中心に60年代後半から70年代始めに最盛期を迎えたムーブメント。彼らは色恋の歌に終始する売れ線のカレッジフォークとは違い、政治的なメッセージ色の強い楽曲を数多く発表。学生運動華やかりし時代、若者たちのテーマソングとなっていった。

 南北に分断された朝鮮半島の悲しみを歌うザ・フォーク・クルセダーズ「イムジン河」、学歴偏重社会をコミカルに皮肉った高石ともや「受験生ブルース」、安保条約や自衛隊を揶揄した高田渡「自衛隊に入ろう」、山谷に住む日雇い労働者の哀愁がテーマの岡林信康「山谷ブルース」……etc、彼らの楽曲は歌詞の過激さから放送禁止楽曲に指定されるものも多かったが、それにも屈しない気骨溢れるアティテュードは多くの人々を魅了する。長渕もまさしく魅了された一人であり、それが前述の「親知らず」「静かなるアフガン」といった楽曲につながっていく。・・・・・・

~~~~~~~~~~~~~~ コピー 終了

* 「イムジン河」 https://www.youtube.com/watch?v=1-eJDL3zLCQ

* 「受験生ブルース」 https://www.youtube.com/watch?v=cCxIuxGdi24

* 「自衛隊に入ろう」 https://www.youtube.com/watch?v=QfffBvRhlNA

* 「山谷ブルース」 https://www.youtube.com/watch?v=yuPyhdzyGlI

 岡林信康は今も元気に歌っていますね(https://www.youtube.com/watch?v=gx9PiBYRQ2M)。数年前にライブを聞きに行きました。

 私は長渕剛とはほぼ同世代、出てくる歌・歌手たちも懐かしく、首都圏での学生時代を想い出します。そして、沖縄の米軍基地反対闘争と機動隊を見ていると、当時の三里塚空港反対闘争とダブります。今、国際空港はやっぱり羽田空港だよね、みたいな論調を目にすると、一体あそこまで反対を圧殺して新空港建設にこだわる大義は何だったのかと、ただの権力の誇示と膨大な予算消化の利権だったのではないかと、思わざるを得ません。

 今、時代を構図で見つめる、過去の歴史に学ぶ、そんな古典的な条理が手元に温める情報から読み取ることができるような気がしている私の師走です。