東京駅八重洲バスターミナル

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 私はいつもは札幌の家に暮らしていますが、もう一つ、千葉県館山市に小さな家があります。妻の出身地であり、両親が元気な時は、実家に家族を連れて毎年夏には海水浴をしながら館山に滞在していました。その実家から妻が通っていた県立安房(あわ)高校(http://cms2.chiba-c.ed.jp/awakou/)の近くに土地を求めて、15年位前に屋根に太陽光温熱パネルを貼った2階建ての家を新築し、私が東京出張の折、或は夏休みには家族が使っていました。その後、インターネット環境も順次整備して、今では札幌と同じ状況で仕事もできます。この欄にしばしば館山が登場するのはこの理由からです。

*これまでの館山関連のメッセージ――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E9%A4%A8%E5%B1%B1%E5%B8%82

 県立安房高等学校と言えば、昨今では「YOSHIKI(http://www.yoshiki.net/」の出身高でも有名になりました、昨年末の紅白歌合戦でも抜群の存在感でしたね。

 東京湾アクアライン(https://www.pref.chiba.lg.jp/doukei/aqualine/aqualinegaiyou/)が開通して、東京駅からは館山までバスで2時間弱、朝早くから夜遅くまで、羽田空港と館山も1時間半程度で繋がっています。さらに、昨今の外国人観光客の激増で、これまで使っていた都内のホテル予約が難しく、或は極端な値上がりで、このところ一層、この館山の家に泊まる場合が増えてきています。

 3年前の暮れに、東京駅八重洲バスターミナルが整備され、同時に歩道沿いビルは「風」をイメージした形状に変わり、一階にはガラス張りのカウンターラウンジも出来ています。何となくバスの待ち時間を、おつまみと各地の日本酒をチビチビ飲みながらボヤッとしているのは、つかの間のリラックスです。

* http://www.bushikaku.net/article/28/

バスターミナルを見ながらカウンターで

バスターミナルを見ながらカウンターで

 一日の日程を終えて、夜、バスの中で何となく外の灯りを見ていると、遠く19歳でアメリカ大陸をグレイハウンドの深夜バスに乗っていた時を思い出すこともあります、不思議な世界です。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3979

「ICANS」 by トヨタ財団 に参加!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 40年ぶりにアジア各国の非営利活動組織が日本に大集合。トヨタ財団(https://www.toyotafound.or.jp/)の企画による3日間のプログラム「ICAN」でした。海外の方は、4日目に東京江東区山谷ほかのフィールド視察も組み込まれています。

151222-e382a2e382b8e382a2e99d9ee596b6e588a9e382bbe382afe382bfe383bce59bbde99a9be4bc9ae8adb0e6a682e8a681

 目的は以下の通りです。

* アジアの非営利セクター(特に財団、NPO/NGO、社会的企業)を支援する組織や既存の域内ネットワークを再構築し、情報を共有するための場を設ける 。その際に、過去のネットワーク(APPC/CAFO 等)の成果に基づき、近年の新たな動きや、次世代の人材を巻き込む。

* 共同プロジェクトや調査等の、国を越えた協働の可能性について検討する 。

* アジ各国における社会的課題を解決していく上での非営利セクターの役割や現状について比較の上、各国で必要となる社会的インフラや環境整備について検討していく 。

「ICANS」、120人の参加者で熱気!

「ICANS」、120人の参加者で熱気!

 前日のウェルカムパーティです、ベトナム、南アフリカ、シンガポール、インドネシア、韓国、日本の方々と。

ウェルカム・パーティで

ウェルカム・パーティで

 初日は全体会からスタート。パネラ―の方々のプレゼンに続いてディスカッション。

アジア各国からの参加者で盛況

初日からアジア各国からの参加者で盛況

全体会1でのパネルディスカッション

全体会1でのパネルディスカッション

 午後は分科会に分かれての密度濃い意見交換も。

分科会1でのパネラーほか

分科会1でのパネラーほか

 食事前の待合場でも交流の輪は続きます。私も台湾からの参加者から直近の政権交代について、ホットのお話を聴くことができました。

一日目終了後の夕食前

一日目終了後の夕食前

 二日目は分科会から開始、インドネシア、韓国、日本の事例から、共通する地域再生についての意見交換が充実していました。

二日目の分科会

二日目の分科会

 草の根の国際交流では、山本正(http://www.jcie.or.jp/japan/tym.html)さんのお名前が随所に出ていました。アジアにおける日本のリーダーシップは、しかしながらこの20年間、ほぼ空白となっていて、国際社会におけるプレゼンスも大きく後退している現実を直視しなければなりません。

 今後も継続的な会合になるかどうかは未定のようですが、「Asian Nonprofit sectors」の草の根交流は、こういった地道な活動の積み重ねの上に成り立っていくのでしょう。トヨタ財団さんに感謝すると同時に、コミュニティー財団として、私たちの活動も課題解決で繋がっていくヒントを見出した思いです、今回ご招待頂き誠にありがとうございました。

第104回 「北を語る会」

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 第104回「北を語る会」が開催されました。

 一部は講演会 「“学び”に定年はない!」 かわにしの丘 しずお農場(株) 代表取締役社長 今井 裕 さん

* http://www.shizuo-farm.com/

* http://www.kentsu.co.jp/mlmg/272/news/000000000003.html

あつし農場社長

しずお農場社長 今井裕さん

 第二部は演奏会、ボーカルの宮田圭子さんのジャズメドレーです。

* http://www.sapporoza.com/member/%E5%AE%AE%E7%94%B0%E3%80%80%E5%9C%AD%E5%AD%90/

ジャズメドレー

女優&演出家&歌手&司会ほかの宮田圭子さん

 今井裕社長の壮絶な人生のジェットコースター、想定外のすごいお話でした。

 昨年1月の「25周年・100回記念」の様子はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=22227

寺島文庫:北海道研究会で

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 東京・九段の寺島文庫(http://www.terashima-bunko.com/)では、「北海道研究会」が定期的に開催されています。先日も北海道に縁のある方々が30人程集まり、北海道の立ち位置、プロジェクト創造等で貴重な意見交換でした。

 寺島実郎さんにとっての北海道は、労働力の吸収源としての「炭鉱」、九州に次いでの北海道の役割であり、世界史的脈絡では極東ロシアと双生児、日本の近代史の始まりと言われている1853年ペリー浦賀来航以前に、1792年ラックスマン根室来航、ウラジオストク建設(1860年)へと続くロシアとの関係性を抜きには考えられないと。因みに「ウラジオストク」の都市名とは、「ウラジ(東へ)」+「ボストーク(攻めよ)」の意味で、当時のロシアの建設意図が明確である。

「北海道」は地名ではなく、「思想」であるはず!

 ロシアと北海道の関係に見られる気迫をもった思想性、緊張感を持つべきだろう。断片的知識ではなく、「繋がりを理解できる力」、別の言い方では「物語を創る」、「うねりを理解する」、それが「知性」である、と。

 クラーク博士、新渡戸稲造、内村鑑三は、明治の知的青年たちに大きな影響を与えた。懸命に生きた記憶であり、それらに比べて突き上げるメッセージが今の北海道に何があるのだろうか!

 「観光を産業に」の意味合い:今の北海道における観光は「産業」になっていない。サービス産業の高度化が必須であり、インダストリアル・ツーリズムはハイエンド対象であり、プラットホームの上に引き付けるプロジェクト・物語が必要である、移動と交流による歴史ツーリズムと同様に。

 次々と繰り出される厳しいメッセージの奥に、深い愛情に満ちた眼差しをひしひしと感じているのは私だけではなかったと思います。交流会冒頭にお時間を頂き、今、札幌で展開中の「札幌遠友夜学校記念館建設(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19508」、「新渡戸稲造記念遠友みらい塾(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25048」についての説明をさせて頂きました、ご配慮に心から感謝致します。

「人間復活へ」 by むのたけじ

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 8年前に出版され読み続けられている、むのたけじ著「戦争絶滅へ、人間復活へ~93歳・ジャーナリストの発言(https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0807/sin_k423.html」、鋭い指摘は今も健在です。

 むのたけじさんは今年で101歳、先月も少しご紹介しました――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25156

 強く印象に残ったコメントを書き留めます。

* 成田空港建設に反対して三里塚の農民闘争が起こった時の取材から: ものを見るときに、いったいどちらの側に立つのか。大きいものと小さいものが対立していたら、私はまず小さいものの側へ行く。そして、強そうなものと弱そうなものがあったら、弱そうなものから見る。それは、自分の生活環境から身につけたことですね。

* 「すりかえる」権力、「すりぬける」民衆: 「すりかえる」手口というのはさまざまで、たとえば、戦争体制の準備を「有事」なんていう言葉でごまかす。こうしたことは一朝一夕にできたものではない。まるで呪いをかけて人間を金縛り状態にしてしまうような、そんな支配力が民衆のなかに作用している。

* 戦争をやめさせた反戦運動はない: 戦争は悲惨だ、兵士はかわいそうだ、あれは許せない罪悪だ、ということを百万回大声でしゃべったって、戦争をやろうとしている連中には、痛くもかゆくもない。戦争が始まってから反戦平和運動をやったところで、戦争の論理とエネルギーに引きずられてしまう。戦争をなくすには、戦争をする必要をなくして、戦争をやれない仕組みをつくらなければだめ。かつて、そこまで踏み込んだ平和運動は一つもなかった。

* 戦争の準備段階で計画をあばく: どんな戦争にも必ず準備段階がある。とくに現代の戦争では、何万、何十万という大きな兵力を動かすので、少なくとも5,6年というような準備期間がある。ただし、どんな国でも軍事は国家の最高機密として、法律で完全に守られている。したがって、ジャーナリズムが戦争をやめさせるには、この準備段階で法や制度と闘いながら戦争計画をあばき、告発するしかない。

* ジャーナリズムとは何か: 「ジャーナル」とは、日記とか航海日誌とか商人の当座帳とか、毎日起こることを書くということ。それをずっと続けていくのが新聞。それは何のためかというと、理由は簡単で、いいことは増やす、悪いことは二度と起きないようにする、ただそれだけのことなのだ。

* 一人、一つ、一個から始める: ともかく日本人全員が、人類の一人として戦争をやめさせることに結集していくこと。要するに、単なる組織の大きさや、人数や、それがもっている力量の大きさなどに頼る時代ではない。それ以上に大事なのは、個々の人間が自分自身に責任を持ち、何よりも自分に誇りをもつということ。それに裏付けられた組織というのは、これまでにつくられたことがほとんどない。歴史は一人から始まる、自分から始まる、ということをもう一度、みんなで見つめ直さなければいけないのではないか。

* 新しい歴史観をもって生きる: 人間が歴史をつくれなくなれば、歴史のほうで人間をつくるのではないか。歴史がそれを要求する、と言ってもよい。やはり、歴史は地球を滅ぼすわけにはいかないし、その意思を通そうとするではないか。人類が核戦争で地球を滅亡させようとしても、地球が一つの生命体のように、「おれは滅びないぞ。おれを滅ぼそうとするものを滅ぼす」という意思を貫くのではないか、と。そう思うと、これまでの歴史学などでは考えられなかった力が、働いていくような気がする。

* 最後に語り手としての思い: 私は平均より長く生きてきたので、「死」がそれだけ近くなっている。でも、悲しくも怖くもない。だって、地上の万物のどれをもごらん。終えた所から新しく始めているではないか。「死」は生の完結であって、新しい自由の獲得だ。だから私は、にこにこ笑いながら絶息したい。

 著書最後の「結び書き」にある「スットン罪」を含めて、以上、鋭い指摘、表現の的確さ、恐るべき101歳ですね!

SAS北海道、新年会

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 SAS北海道の新年会に参加しました。若手テーブルと年寄りテーブルが見事に別れましたが、楽しいひと時でした。今年は札幌で全国大会のようです。この会は、はるか40年程前に、私が東京から札幌に移ってきた時、ビジネス仲間から誘いを受けて入会した異業種交流会でした。産学官の若手が集まって、北海道について熱心に議論した思い出は今も大切にしています。

 昨年(2015)夏、久しぶりにSAS北海道のセミナーに参加したました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24058

 会場の「SappoLodge(サッポロッジ)http://www.sappolodge.com/」は、「札幌のゲストハウス」と銘打っているだけあって、たくさんの外国からの宿泊客でいっぱいでした。若い皆さんが、安い価格でお客さまの札幌滞在を支えている、新しい取り組みは素晴らしいですね。

入口もロッジ風

入口もロッジ風

中は高い天井と木材仕様

中は高い天井と木材仕様

カウンターテーブルも一本の大木

カウンターテーブルも一本の大木

 帰り道、ふと横切る創成川は素晴らしいモノトーンの世界、「サッポロの冬」ですね。

南4条から上流を臨む

南4条から上流を臨む

愛生舘の「こころ」 (14)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 このブログのシリーズ「愛生舘の『こころ』」は、第13回を終えてしばらくお休みしていましたが、本当に久しぶりに再開致します。というのも、今年4月から始まる年度は、秋山財団設立30周年の節目の年になり、基本財産の出捐者・秋山喜代の遺志でまだ私が実現していない「愛生舘文庫」の創設に向けて、新たなスタートを切りました。

 これまでのシリーズ「愛生舘の『こころ』」はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

  この4年間、私は、秋山喜代の最後の住まいで、今は秋山財団事務所になっている建物倉庫の整理と、「愛生舘」にまつわる資料の収集・整理を空いた時間を見つけては行ってきたつもりです。なかなか進展していなかったのですが、昨年、助っ人を得て、資料収集も最後の局面を迎えつつあります。

 先日は、これまでも「古文書講座」等でお世話になっている青山学院大学名誉教授・片桐一男先生とご一緒に、松本順先生のご親族・松本和彦先生を訪問して参りました。貴重な資料をお借りできたので、さらに資料整理と分析・解読を進めていきます。

* 古文書講座 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AC%9B%E5%BA%A7

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

 貴重な品いくつかも拝見しました、刻まれた文字に価値があります。

蘭畴は松本順先生

蘭畴は松本順先生

 松本順先生のご業績と愛生舘との繋がり、そして秋山財団がなぜ「愛生舘文庫」なのか、以前のブログから引用します。

~~~~~~~~~~~~

 片桐先生は冒頭、「世界の中で新しい国家建設が迫られている時期、必要とされていたのは『海軍力』で、それも緊急性を帯びていた。日本が独立国家として成り立っていく思想・技術、そしてそれを担う人材、すなわち『体力』をつける目的で長崎海軍伝習があった」、とおっしゃいました。そもそも蘭学が江戸時代に静かに研究されていたのは、北方ロシアの東方進攻・南下の脅威に対してその対抗的思想・哲学の必要性からと、先生から伺ったことがありました。

 以前にも書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1096)、その第二次海軍伝習(実質的な「医学伝習」)で松本順は中心的役割を担いました。ポンぺからのオランダ語を介した伝習を、集まった全国各藩の弟子たちに伝えることで、それ以降の近代医学・医療の基礎を築きました。

 松本順の功績のまとめとして 1) 持って生まれた資質を生涯を掛けて伸ばし続けた:ポンぺの伝習から総合的技術を取得、実践――野戦病院・衛生思想等

2) 人との出会い、ポイント3人:松本良甫(ポンぺからの伝習)、山県有朋(陸軍病院等の基準策定)、高松保郎(愛生舘事業)

3) 彼のしなかったこと:オランダに留学等で行かなかった、制度が出来るとバトンタッチ・チャンスの移譲

4) 彼の目指したこと:庶民への眼差し「愛生済民」――愛生舘三十六方、衛生思想の徹底、アジア・世界の体力向上

5) 彼の日常生活――身の回りをいつも「楽」にしておくこと

 最後のまとめで、片桐先生は、「松本順の活きた人間像が把握されていない、激動の歴史の中で埋もれていた原因は、激変する維新から明治時代では文字を通してのメッセージの伝達が難しかったのではないか、それは庶民の教育レベルが江戸時代よりもむしろ劣化していたことを意味している」、と看破されていました。

 牛乳の効用、海水浴の普及等、今では常識になっている健康増進・普及に関して最初の井戸を掘った人物、それが「初代陸軍軍医総監」等の評価以上の歴史的意味を、彼の人生から読み取ることが出来るのでしょう。

 翌日、私の手元に「松本順と北海道」という3部にわたる小論文を届けて頂いた札幌在住の医師・宮下舜一先生とお話をしました。講演会にもご出席頂き、先生の論文には、何と明治24年6月に、松本順が北海道(函館・小樽・札幌)に20日間程度来ている記録が、小樽では道内に在住していた弟子たちと一緒に撮影した記念写真まで掲載されていました。

 (株)秋山愛生舘が「愛生舘北海道支部」から独立したのが明治24年11月ですので、この時にどこかで初代秋山康之進と再会していた可能性は大変高いと思いました。引き続き調査・研究の必要がありますね、また一つ目の前に解き明かす課題が見つかりました。

 今回、私は片桐先生に敢えて「秋山愛生舘」ではなく、「愛生舘」についてお話をして頂きたいと事前にお願いを致しました。講演会に参加された道内の「シンパ」の方々には、「愛生舘事業をしっかり今の時代にも受け継いできたのは、唯一この北海道の地ではないか、どうしてもっとそれに言及しないのか!」と叱られそうですが、21世紀の今、広い意味で「愛生舘事業のこころざし:愛生済民」の原点回帰を、秋山財団的には記念すべき25周年を機に目指す、そう是非ご理解を頂きたいと思います。

 この講演会をキックオフとして、今後「愛生文庫」を軸とした資料室の創設も企画する予定です。ご関心のある方の率直なご意見もお待ちしています。 ~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 宣言をしてから4年以上経ってしまいましたが、今年・来年中には必ず創設しますので、乞うご期待!です。

渋沢栄一史料館を訪ねて

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 以前から訪ねてみたかった東京都北区飛鳥山にある「渋沢史料館(http://www.shibusawa.or.jp/museum/」に、時間を見つけてやっと行くことができました。昨年11月の公法協トップマネジメントセミナーで「渋沢栄一記念財団」の中村圭一総務部長とお会いしたので、先日も再会し、副館長・学芸員の桑原功一さんにご説明をして頂きました。生家の深谷市には市営の記念館が別にあるようです。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24966

 渋沢史料館は、近代日本経済社会の基礎を築いた渋沢栄一[1840(天保11)~1931(昭和6)年、号は「青淵」(せいえん)]の思想と行動を顕彰する財団法人「渋沢青淵記念財団竜門社(現 公益財団法人 渋沢栄一記念財団)」の付属施設として、1982(昭和57)年、渋沢栄一の旧邸 「曖依村荘」跡(現在東京都北区飛鳥山公園の一部)に設立された登録博物館です。

 当初の渋沢史料館は、旧邸内に残る大正期の2つの建物「晩香廬」と「青淵文庫」(いずれも国指定重要文化財)を施設として開館しました。その後1998(平成10)年3月に本館を増設し、現在は3つの建物で運営しています。

正面玄関から

正面玄関から

史料館入口

史料館入口

旧渋沢邸の広大な庭、茶庵跡も

旧渋沢邸の広大な庭、茶庵跡、東屋も

戦災でも残った青淵文庫建物

戦災でも残った青淵文庫建物

戦災でも残った青淵(せいえん)文庫

青淵(せいえん)文庫図書館

壁上部のステンドグラス

壁上部のステンドグラス

 常設展示は興味深かったですね。後半生は比較的「事業家」として数多く紹介されていますが、以下のような彼の人生は、それぞれが後の活動の原動力になっていることを知りました。新渡戸稲造とも同時代を生きて、国際連盟への熱き応援にも感動します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1.郷里にて: 生家の家業、幼時の学習、尊王攘夷運動への参加など、郷里・血洗島で活動した若き日の栄一の思想と行動

2.幕臣となる:
* 一橋家の家臣としての活躍 (歩兵募集、領内産業振興など)を挙げ、後の栄一の活動の基盤を探る

* 徳川昭武に随行して訪れたパリをはじめとしたヨーロッパ各地、パリ万博の様子、栄一が先進社会で何を感じてきたかを示す

* 徳川慶喜が蟄居した静岡において、株式会社のテスト版として創設した小さな金融商社「商法会所」の概要

3.維新政府の一員に: 明治維新政府における栄一の位置、「改正掛」の関係したプロジェクトを取り上げ、栄一の熱意と仕事の幅の広さ

4.実業界を築く: 第一国立銀行を創設・近代的企業を設立・経済団体を組織化
* 「銀行条例」の制定から、栄一の実業界における活躍の拠点となった第一国立銀行の創設など、銀行制度の進展等を振り返る

* 設立・育成等で深く関わった企業の資料を通じて、栄一の実業界における実績を顧み、併せて『論語と算盤』に表わされるような営利活動と道徳の両立を願う栄一の経営思想の根幹を観る

* 現在の銀行協会、証券取引所、商工会議所など経済団体を組織し、実業社会全体の成長・発展に尽くした栄一の活動を振り返る

5.民間外交を担う:
* 「国民外交」の先駆者として特に、日露戦争後に悪化した日米関係の修復に努めた栄一の活動を振り返る

* 「国際的に国をなして行くには他国を慮る道義が不可欠だ」と国際連盟精神を説く満88歳の栄一の力強い肉声

6.社会公共事業を推進: 福祉医療活動に尽力、教育を重視、東京の街づくり、労使協調を目指す
* 長く院長を務めた「東京養育院」の事業を中心に、社会福祉・医療における栄一の活動と考え方

* 実業教育や女子教育を中心に、教育支援における、栄一の実績

* 「東京会議所」との関わりにはじまる首都・東京の社会資本整備事業への栄一の関わり

* 「協調会」を中心に、栄一の労使関係への考え方

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 とにかく幅広い活動で、徹頭徹尾「事業家」としての人生でした。企画を練ってプロジェクトを立ち上げ、実行に移す時には必ず集団を形成しており、決して一人で突っ込んでいくことはしていません。事業の何たるかをしっかりわきまえていて、所有に拘らず、次々と人を育てて移譲していき、得た資金等は次への事業の投資に役立てています。

 まさに、「論語」と「算盤(そろばん)」のバランスが最適です。

父のアルバムから・・・

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 何故、今、こんな写真なのでしょうか。もう少しすると、出版される方がいらっしゃいますが、そこに寄稿した時の挿入写真です。

昭和19年父母結婚式

昭和19年父母結婚式

アリューシャン洋上・旗艦「阿武隈」甲板で

アリューシャン洋上・旗艦「阿武隈」甲板で(左)

レイテ沖海戦、攻撃を受ける戦艦武蔵を重巡「利根」から

昭和19年10月レイテ沖海戦、攻撃を受ける戦艦「武蔵」を重巡「利根」から

 今年も引き続き「戦争」と向き合い、自分の近くの反戦の立ち位置から思索を深めたいと思っています。

今、企業経営のトレンドは?

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 昨年も「戦略経営塾」等でお話がありましたが、1990年代以降の日本の企業経営について、時間軸をやや長く取って傾向を分析すると下のチャートのようになります。

日本企業経営の変化

日本企業経営の変化(BS11寺島実郎さんの番組より)

 要するに、日本の伝統的企業経営の理念から大きく変遷して、人件費を抑え(流動化し)、設備投資を控え、配当を増やし、内部留保を大幅に増やして株主価値を上げてきているのです、刹那主義、グローバルマネーに翻弄される危険性を感じます。

 先日も、ある企業に務める方とお話をしていて、90年以降のリストラの嵐が今も続いており、そのしわ寄せの殆どが現場の従業員に向けられている様子を具に知りました。いったい本来の「リ・ストラクチャリング」の意味合いはどこへ行ってしまったのか、長年現場を支えてきた第一線の社員に対して、管理者・経営幹部は一体どんな応分の責任を果たすのか、さらには、やろうとする「リストラ」の目的は何か、コストダウンによって利益を出してそれが何なのか、話を聴いていて憤りすら感ずる昨今の経営者の劣化です。

 年末にも書きましたが、東芝、化血研等の経営トップの記者会見でも、まるで他人事の表情で語る姿は、覚悟を持って経営に当たっている姿ではありませんね。どうして、日本の大企業はこうも筋が悪くなったのでしょうか。

 私は時々出会う金融機関窓口でも同様ですね。昔に比べてかなり顧客対応が下がっていますし、窓口のコミュニケーションも全く内向きで紋切り型が横行しています。散々待たせておいて、急ぐならATMに行けと言い放つ女性の言葉に出会うと、今の金融機関の体質を目の当たりにします。低金利・高額手数料等、顧客不在の収益向上で一体誰が利益を貪るのか、書き始めたら留まるところを知りません。

 「経営組織論」を教える立場から、これまで何回も書き留めてきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%B5%8C%E5%96%B6%E7%B5%84%E7%B

 私は、単なるノスタルジックな感情でモノを言っているのではありません。今日の日本社会を支えてきた柱となる企業の「人材育成」をないがしろにして何を上位の価値と置くのか、経営者のきっちりとした説明を聞きたいのです。自分が所属する経済団体での経営者の劣化も甚だしい、もっともっと平和に関してコミットしなければならないですし、芸術・文化に対してももっと造詣を深くしなければ、国際社会の中での日本の立ち位置も低下し漂流していくでしょう。

 ニュースを見ていても、直接経営者の話を聴いても、現場で働く能力の高い人々の声を聴いても、今の日本の企業経営者は危機的です。そんな状況の中で、地域に生きる若い経営者に期待したいですね、これからの時代は君たちが担うのです、と。

「言葉」って重要ですよね

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 年末・年始、普段なかなか意見交換できないテーマについて議論を深めることができました。折しも、私が理事長を務める複数の非営利活動団体が、あらたに向う5年の長期計画策定の時期を迎えて、丁度、活動を振り返り、これまでの軌跡の上にどういった未来を展望するかの局面となっています。

 この間の議論で共有できたのは、「言葉って大事だね」でした、新たな概念・枠組みを想定していても、従来の言葉を使ってそれを表現すると、どうしても手垢にまみれた従来のイメージに引き戻される、或は従来の枠の中で多くの方々には受けとめられてしまう、そんな意味合いでした。ですから、将来の新しい展開を語る、見える化する場合は、やはり少々の違和感が在っても新しい言葉で表現することが肝要だとの共通理解を得たのです。

 もう少し、今年設立30周年を迎える秋山財団を例に説明をしてみましょう。

 HP(http://www.akiyama-foundation.org/aboutus/aboutus_01)にもありますが、財団設立の志は、「北海道」という地域と、「生命科学:いのち」に対する特段の思い入れと言えます。「固有の土壌や地形、水系や気候、動植物をはじめ、多くの自然の特徴を備えた独自性を持つ生命の場」としてのこの北海道。こうした「生命の場」の中に共に住む共同体の一構成員として、切り離されては生き得ない人材の育成を最高の価値としています。私たちは一貫して、「地域・民間・自立」財団として地道に活動をしています。

 さらに、秋山財団の原点を、設立当初の理事のお一人が語っています。「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあると言えましょう。『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思うのです。それは人間のコモンセンスに属すべきものであり、秋山財団の地味ではあっても着実な助成・育成活動が、北海道から日本へ、そして世界へ向けて、人類のそうしたコモンセンスの確立へと発展し、貢献する事を期待して止みません」。

 私たちは、30年目を迎える今年、この原点に立ち戻り、さらに進化していきたいと決意しています。この間の関係者は以下のそれぞれの言葉にどんな意味を込めていたのか、私なりに向き合ってみました。

 まずは、「生命科学」ですが、これはいわゆる近代の学問領域、すなわち「自然科学」、「人文科学」、「社会科学」の上位概念として位置付けられるもので、あらゆる「生命(いのち)」と向き合う姿勢だと考えています。秋山財団設立時、名付け親の伴義雄先生は、「21世紀は『生命科学』でしょう」と迷いなくおっしゃいました。当時はよく理解できませんでしたが、このところ時代が追いついてきた感じがしています。新しい概念としての「生命科学」、これをどう基軸に私たちの活動を展開していくか、それと従来の枠組みとのせめぎ合い、30年以降の私たちに課せられたテーマです。

 次に、私たちが言う「地域」は、よく使われる「地方」とは一線を画している概念です。「地方」はその意味合いとして「中央」に対しての意味が一般的で、これは今、政府が言う「地方創生」も同じですね、あくまでも中央から見て地理的に離れた場所の意で、中央政府からの眼差しを脱却できません。私たちが30年前に「地域」と敢えて宣言したのは、「北海道」が行政府の一都道府県としてではなく、多様な生命が宿る場、「バイオリージョン(生命地域)」として、ユーラシア大陸のユニークな地域として存在するとの意味合いからです。この島を深く掘り下げて研究、活動することは、即、日本のみならず世界へも発信できる価値を持っていると認識しています。

 最後の「民間・自立」というのは、税金で賄う「官」とは一線を画して、「民」の意志を持った自主財源によって、機動的にダイナミックに社会課題を解決していく、そんな心意気を示してきたつもりです。さらに、自主財源(基本財産)の資金運用においても、ファンド等では私たちの意志に沿う企業を選択し、同時に戦争関連・環境破壊企業は拒否する意思を運用する側にしっかり伝えているつもりです、この辺りが今、巷で言われる「ソーシャル・インパクト・インベストメント」です。「グローバルマネーは悪!」と言い切ってしまっては、今の時代に資金運用する我々としては少々乱暴です。お金にも意志があると思うし、これからもこの分野での研究を続けたいと思っています。

 私は昨年末のこの欄で書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25282)。その中の一節に、「『助成金』から『投資』への概念進化」と表現したのですが、その後、財団内で議論をすると、どうしても「投資」という言葉から連想する「金銭価値」みたいなイメージが、本来の意味するものとは異なった印象を与えるのでは、との疑問が提起され、私自身、なるほどなと思いました。秋山財団の宮原正幸常務理事は、この意を汲んで「種を蒔く人の育成~次世代へ『託資(タクシー?)』社会変革『拓資(タクシー?)』未来『種』(みらいだね!)いのち『種』(いのちだね!)」と表現しました。

 ここまで、「一線を画す」と繰り返し書きました、この間の議論では、何れもマスメディア等で露出する言葉と私たちが展望する概念との差、距離感をきっちり伝える几帳面な表現に努力したいのです。それはしつこく、時間の掛かるプロセスですが、先々中途半端に取り込まれないためにも、必ず必要な過程だと再確認した次第です、「言葉を吟味する」ことの大切さとも言えます。

二つの映画、重たいテーマ

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 年始は映画からスタートです、「私はマララ(http://www.foxmovies-jp.com/malala/」、「ヒトラー暗殺、13分の誤算(http://13minutes.gaga.ne.jp/」。それぞれ楽しく観られる映画ではなく、上映後も何か胸にずっしり重たく響きます。この数年、そしてこれからの数年、日本自体に立ち込める暗雲みたいな雰囲気を感じてしまうからなのでしょう。重要な時期、長くお休みしていた日本の国会が、新年4日から始まったようですが、今年の国政選挙のことばかりマスメディアも報道しています。

 「わたしはマララ」は、2014年にノーベル平和賞を史上最年少で受賞した17歳の少女マララ・ユスフザイを、「不都合な真実(http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E4%B8%8D%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AA%E7%9C%9F%E5%AE%9)」のデイビス・グッゲンハイム監督が取材したドキュメンタリーです。パキスタンで学校を経営する詩人の父と文字の読めない母の長女として生まれたマララは、タリバンに支配された教育事情や暮らしについてブログに綴りはじめたのですが、ドキュメンタリーへの出演によって身元が知れ渡り、タリバンに命を狙われる身となってしまいます。そして2012年、当時15歳だったマララと友人は、スクールバスで下校途中に銃撃され、頭に大怪我を負います。世界に衝撃を与えたこの事件を中心に、マララの生い立ちや父が彼女の名に込めた想いを明かし、普通の少女がなぜ教育活動家としての道を歩むことになったのか、その真相を描いています、「ごく“ふつう”女の子」を浮き彫りにしながら。

 マララは14歳で「国際子ども平和賞」の候補にあげられ(二年後受賞)、パキスタンで最初の国民平和賞も受賞しました。タリバンは少女が有名人になりすぎるのを危惧したのでしょう。しかし、彼女へのテロは、皮肉にも彼女を国際的有名人にしました、ある意味では利用した勢力もあることは否めません。2013年7月12日は、マララの十六歳の誕生日、国連はこの日を「マララ・デー」と定めました。当日、マララはニューヨークの国連本部でスピーチを行い、「本とペンこそが私たちの武器である。一人の子ども、一人の教師、一冊の本、一本のペンが世界を変える。教育こそ解決策」、と。

* http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/12/malala_speech_n_3588163.html

 もう一つは「ヒトラー暗殺、13分の誤算」、監督は名匠オリヴァー・ヒルシュビーゲル、こちらも衝撃の感動実話です。1939年11月8日、恒例のミュンヘン一揆記念演説がいつもより13分早く終わらなければ、歴史は大きく変わっていたことでしょう。「ヒトラーが最も恐れた暗殺者は、平凡な家具職人ゲオルグ・エルザ―だった」、と。

実話

衝撃の感動実話

 どちらも、ごく「普通の人」の強靭な信念と勇気がテーマです。人が生きるとはどういう意味なのか、今の日本に生きる自分に引き寄せて考えると、実に重たいテーマの映画でした。

年始いろいろ 2016

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 一年前の「木朝会」でのお話、ずっと手元に温めていたので、「年始いろいろ」に免じてアップさせて下さい。新しい時代の医療と地域の関係は、この処の厚生労働省マターでは優先順位が高いですね。この数年の検討課題かと思っています。

地域医療計画・地域医療構想の行方

地域医療計画・地域医療構想の行方

 今年の<箱根駅伝>、青山学院の完全優勝で終わりましたが、サイドストーリーが面白いです。

 一つは、順天堂大学は総合6位でしたが、「27歳小盛が感動の30メートル給水ラン」との見出しの記事は興味味深いですね。テレビでも取り上げられていました。小盛玄佑君の今後の活躍を期待します。

小盛玄佑(http://www.hochi.co.jp/sports/feature/hakone/data/2016/member/juntendo/komori.html

* http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160103-00000138-sph-spo

 もう一つは青山学院大学の7区区間賞の小椋裕介君です。札幌山の手高校出身で、この数年注目していましたが、4年間7区を走り続けました。特に今年は4年生としての新たな責任を背負いながら、堂々たる走りでしたね。

小椋裕介(http://www.hochi.co.jp/sports/feature/hakone/data/2016/member/aoyamagakuin/ogura.html

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18860

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=22110

小椋選手

小椋裕介選手

 ある意味ではただ走るだけの競技ではありますが、歴史を重ねた大会となると様々な物語が生まれて、多様な人生模様も見て取れます。来年もまた新しいヒーローの出現を期待しながら、若い世代の躍動が楽しみです。

2016年、あらたな気持で!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 2016年、明けましておめでとうございます。昨年は皆さまに多方面にわたり大変お世話になりました、心から感謝申し上げます。今年も宜しくご指導、ご支援をお願い致します。

 年末、家の棚を整理していると、もう20年近く前になる地元月刊誌に掲載の自分の記事を見つけました。随分生意気なことを言っているのですが、思いは今も変わっていません、それにしても「見出し」が刺激的で困ってしまいますね。

1998年年初の記事です

1998年年初の記事です

 記事の中から幾つかをご紹介します。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~表紙に自分の写真が載った『ニューズウィーク』を手にして、ご機嫌な笑みを見せているのは医薬品卸の秋山愛生舘社長・秋山孝二氏(47)。といっても、これは秋山氏が米国出張中にお遊びで撮った記念写真なのであってホンモノではない。

~~いまさら言うまでもないが、秋山愛生舘は東京・神田で始まった愛生舘事業(早く言えば国民の健康増進を図る意味合いの事業)の北海道拠点として創業している。今年で106年の老舗だが、今では札証・東京二部の上場企業で売上高は1200億円を超えている。本道の旧家としては今井家や地崎家、伊藤家、福山家などが知られているが、秋山家もその一角を占め、秋山ファミリーはそれこそ鉄の結束を保ってきたのである。

~~そんな秋山ファミリーのレゾンデートル(存在意義)とも言える秋山愛生舘の“解体”を仕掛けたのがこの人。「合併を決めたのは昨年の7月ですが、秋山愛生舘という会社は札証への上場を決めた時からファミリー経営からの脱皮を進めたきたし、そういう意味では心の整理はついているのです。合併を決めて以降、全道のお得意さまを回ってきましたが、『名前が無くなるのは寂しい』とよく言われます。しかし、合併しても本道は『スズケン愛生舘営業部』として存続するわけですから、愛生舘の魂までがすべて消えるわけではありません」(秋山氏)

~~元中学校教師という肩書きを持っている秋山氏だけに、その口調はどことなくキレイゴトのような気もしないではないが、「要は合併によってスズケンと秋山愛生舘が力を合わせて新しい会社を創るということです。我々は新しい会社にどこまで貢献できるかが大事なのであって、北海道を見捨てるだとか、そんな気持ちは全くありません」(同)

~~それでも、昨年4月の大同ほくさん水島茂社長の解任事件や地崎工業、丸井今井と本道を代表する老舗企業の不祥事や苦境を目にしてしまうと、どうしても「大丈夫なのか」と思ってしまう。秋山氏は厳かに言う、「水島氏は債権者から破産の申し立てを受けているというから経営者としては論外ですし、今井春雄氏にしても株式公開企業なら完全にアウトです。要はそんな経営者を温存させてきた北海道という土壌にこそ問題がある」

~~最後に、秋山氏に沈没の危機に瀕している北海道経済にいてのご託宣を伺ったところ、「過去の後始末ばかりに時間をかけてもどうしようもない。いったん膿を出してでも早く後始末をして、今の時間を将来のために使うべきです、そうしないと次の時代を担う世代は窒息してしまいます」という答えが返ってきた。ドライでスピーディー、秋山氏が目指すのは米国型経営のように見える。あるいは本気でニューズウィークの表紙を飾ってカバーストーリーを狙っているのかもしれない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 合併の目的にはそれぞれのストーリーがあるとは思いますが、「新しい価値を創る」ことは、どんな場合でも共通することだと今でも思っています。昨今の企業の不祥事ほか、何もしないで本来の企業設立の理念から外れている企業の多さを目の当たりにすると、当時の私の発言は的を射ていると思われませんか?北海道自体の何もしない風土こそ問題です。

 出だしから挑戦的に過ぎますでしょうか、今年一年、変わらぬ信念で丁寧に一日一日を生きていきたいと思っています、今年も宜しくお願い致します。