札幌 宮の森・小別沢 界隈!

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 今日で8月も最後、今月は東京・関東からのお客さんが多数、宮の森を訪問されました。最初は、全国ママさんコーラスコンクール全国大会に参加された栃木県代表の皆さん、愛生舘ラボ(HöRM CLINIC | ホルムクリニック 再生医療 (horm.co.jp)の3階で発声練習から直前稽古と素晴らしい歌声がフロアーいっぱいに響いていました。

 続いては同じく愛生舘ラボの見学・体験で東京からのお客様。終了後に秋山財団にもお越しになり、夕食は小別沢トンネルを越えたレストラン「アグリスケープ(INFORMATION | AGRISCAPE」で。

 酷暑の本州を束の間離れての札幌滞在は、大変思い出になると喜ばれていました、嬉しいですね。

真夏の関東 2024

Posted by 秋山孝二
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 ほぼ一か月半ぶりの関東圏への出張、暑さは報道の通り、私が50年近く前に暮らしていた時期とは比べものにならないような熱波でした。そんな中、やはり街に出て行き、人と会ってお話をしていると新たな気付きもあるので楽しいですね。

 先ずは熱帯夜の東京タワー、どこか涼しげに感じます。

 日中訪れたあるオフィス会議室の一角、ゆとりと安らぎを感じます。

 都内から足を延ばして栃木県宇都宮市内の旧家を訪問、街なかにひと際静寂な場所のご自宅、ご神木とお社が抜群の存在感です。

銀杏の巨木とお社

銀杏の巨木とお社

戊辰戦争の傷跡も

戊辰戦争の傷跡も

 東京都内はどこもインバウンド観光客が溢れていて、空港、駅、飲食店等も人でいっぱい、京都辺りは暮らす住民の方々の生活にも不具合が出るほどとか。北関東の栃木県宇都宮市でも外国人の方々の姿を多く目にします、日光方面の魅力のようですが。そんな宇都宮市内の真ん中に、歴史を刻む大木、お社、オアシスというにはあまりに窮屈ですが、その静寂にひと時の癒しを感じます。

滝田修さん 肺炎で死亡

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 「滝田修」こと竹本信弘氏が7月14日、肺炎のため84歳でお亡くなりになったとの報を目にしました。1960年代後半、私が大学生時代に当時の学生の間で教祖的存在としてしばしば登場していました。

 毎日新聞記事より~~~~~

 京都大大学院博士課程中退。同大経済学部助手として独の社会思想史、特にローザ・ルクセンブルクを研究。1969年の京大闘争に参加し、滝田修のペンネームによる革命論で全国の学生活動家に影響を与えた。映画「パルチザン前史」(土本典昭監督)に出演、「過激派の教祖」とも呼ばれた。71年に陸上自衛隊朝霞駐屯地(埼玉県朝霞市など)で起きた自衛官殺害事件の首謀者として指名手配されると容疑を否認し潜伏。京大で竹本さんの免職処分反対運動が77年まで続いた。82年逮捕、89年に懲役5年の有罪判決確定。釈放後は過去の革命論の非を認めた。著書に「ならずもの暴力宣言」「只今潜行中・中間報告」「滝田修解体」「今上天皇の祈りに学ぶ」など。

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 今、思い出そうとしても何を語ったのかをにわかには記憶が蘇らないのですが、とにかく当時はたくさんの評論を目にした気がしています。

* 京大パルチザン - 京大パルチザンの概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

俳優 山本耕史の魅力

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 私は舞台とかテレビに登場する俳優に特段強い魅力を感じることはないのですが、一昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に相模の三浦義村役で出演していた山本耕史さんは、その後のテレビ、舞台等での活躍でも注目しています。大河ドラマでは小栗旬とか大泉洋とかのように主役ではないのですが、常に冷静で忠義に篤く、彼の眼の力、セリフの言い回しは強く印象に残りました。

* 「三浦義村/山本耕史」の記事・ニュース・速報 | ORICON NEWS

 先日もテレビ番組で彼の特集を観ていましたが、彼の魅力を引き出した脚本家・演出家のお話からも、その人を惹きつけるポイントが浮き彫りになっていました。幼い頃からの長い俳優歴、テレビより前の舞台での活躍がその基礎を形づくっているのでしょうね。

* Bing 動画

 そして彼を起用した皆さん、彼を脱がしたがるから不思議です?!!

* 三谷幸喜『大地』Bing 動画

 実はもう一人、私が注目している俳優は山崎育三郎さんです、いつか彼についてもここでアップしたいと思います。

為末大さんの深いお話!

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 以前から注目している為末大さんのFacebookでのメッセージ、以下は2021年のものですが、今回パリオリンピックが終了して間もない今も、彼のメッセージは深く、心に響きます。

写真の説明はありません。

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 2021年の記事ですが、五輪選手の方へ。

 このようなタイミングでお話しするのは憚られますが、オリンピックに出たりメダルを取っても幸せになるとは限りません。

 『東京五輪の残像』という本があります。1964年に東京五輪に出場した選手を追跡取材しているものです。オリンピックの光があまりにも強いために、呪縛から逃れられず苦しむ様子が描かれています。オリンピックに出る方法、勝つ方法はたくさん語られていますが、出てしまった後どのように生きていくかは実はあまり語られていません。
 まず第一に大きな大会の後や目標を達成してしまった後に、「燃え尽き症候群」と言われる症状が出ることがあります。アスリートは極度の重圧にさらされているために一般の方よりも精神的なダメージを受けやすい状況にいます。人間が精神的に落ち込むのは危機的な状況の最中ではなく危機的な状況が過ぎ去った後だと言われています。

 オリンピックに向かう時には自分では気がつかなくても、強い重圧の中で自分も抑制し集中していますから、精神的に疲労しています。身体の疲労は実感しやすく、最近は血液検査などで測定も可能なのである程度予測がつきますが、精神の疲労は実感しにくいために見過ごされがちです。またアスリートのメンタリティとして弱さを認めないところがあるので余計に無視されがちです。

 まずグラウンドに行こうとするのだけれど、行く気が起こらない、やる気が出てこないという症状が出ます。その時にああ疲れているんだと休めればいいですが、それができない時は第二段階に入ります。次第に身体が思うように動かない。練習をしていても楽しくない。1日でボーとする時間が増えるなどの症状が出てきます。

 私はこの辺りまでしか経験がありませんが、もう一段階進むと症状が重くなり回復も遅くなります。深刻になるところまでいけば競技人生や引退後の人生にまで影響を与えるようになります。疲れたなと思ったら半年、または一年以上心を休めることをお勧めします。今まで我慢してきたことを思う存分やって、好きなことをしながら心を休めてください。身体の怪我はまだなんとかなりますが、心が壊れて仕舞えば全ての原動力を失います。

 次に狙われることが出てきます。有名人が問題を引き起こすことが多いのは、有名人に近づくとうまみがあるからです。

・開放感を感じているなかで、ハメを外している様子を写真に撮られて、どこからか流出する。※友達が友達に写真を送った後はもうコントロールは効きません。

・試合がおわってほっとしているタイミングで思わずLINEや内輪だけで話した不適切な内容が流出する。※どこに書いてもスクショしてしまえばパブリックと同じです。

・今までに会ったことがない人や、華やかな場所に出ることになり、そこであった人に夜の世界を紹介されて、そのままずるずるいく。

 私の20代は知り合いといえば競技関係者がほとんどという人生でしたから、免疫がありませんでした。寄ってくる人はみんな感じが良くていい人に見えました。もちろんいい人もたくさんいますが、実際にはそうではない人もいます。

 お金も知名度もない人には利用価値はありませんが、今皆さんには利用価値があります。狙う側の人からすると「無知で無防備で無警戒な使い勝手がいい存在」に見えています。自分でコントロールできている感じがしても、実際には相手の掌で転がされていたりするのですが、知識がないときはそれに気がつけないのです。

 相手が自分の何を狙っているかは経験を積まないと分かりません。かといって怖がって扉を閉じすぎても交友関係が広がらず人生が狭まってしまいます。生きていればぐらぐらしたり、ちょっと道を外れることとぐらいはあるかもしれませんが、踏み外しすぎると戻ることが難しくなります。

 おすすめは恩師に会うこと、信頼できる人に会うこと、昔の友達と会うこと、グラウンドの近くに住み続けることです。自分のホームからは完全に離れない方がいいです。

 最後にこれは主に今回で引退する選手が対象になりますが、競技癖を抜くのに苦労すると思います。競技の世界はゼロサムゲームです。誰かが勝つと誰かが負ける世界です。また少しでも気を抜くと足元を掬われる世界でもあります。

 このような世界で競争にさらされていると自然と出来上がるメンタリティがあります。常に油断せず、高い目標を立て、絶対に妥協せず、何事にも全力で挑む姿勢です。しかし、社会で生活しているのは必ずしもそういった人ばかりではありません。

 依田郁子さんという方がいます。東京五輪にハードルで出場しました。五輪が終わり結婚をするのですが、なかなか周囲と馴染めずにいる依田さんは近所のバドミントンクラブに入ったらと勧められます。楽しくバドミントンをやるという地域のクラブだったのですが、依田さんはそこでも力を抜くことができず全力でトレーニングに挑み周囲と少しずつ距離ができていってしまいます。

 東京五輪を終えて20年も経った時の同窓会でも唐突に「先の五輪では結果を出せなくて申し訳なく思っています」と挨拶しました。依田さんにとって東京五輪は忘れることのできない大きな存在であり、誇りでもあり、全てを犠牲にしてきた理由でもありました。

 依田さんは結局45歳で自ら命を絶ちました。東京五輪は一体、依田さんの残りの人生にとってどんな存在だったのでしょうか。

 オリンピックが終わっても人生は続きます。私も引退して10年ほど経ちましたが登ることより降りることの方が難しく感じます。一番大切なことはみなさんがオリンピックに出て幸せになったと感じられることです。そしてぜひ自分の体験を子供達や地域のみなさんに伝え、それから社会をよくする活動に関わってもらえればと思います。

 人間は社会の中に生まれ社会の影響を受けて生きていきます。社会の中に新しい自分の位置を見つける作業は大変ですが、きっと皆さんならできると思います。

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 アスリートの「セカンドキャリア―」についてはこれまでも日本で時々話題にはなっていましたが、オリンピックのようなどうしても国を背負うみたいなイベントに出場した選手たちは、メンタル的なダメージというのが金メダルを獲得したとしても何がしか与えるのでしょうね。依田郁子さん、円谷幸吉さん、日本社会の目に見えない圧力というのか、少なからずミッションを背負った立場の方々には共通するプレッシャーなのでしょうか。

今年も公法協コラムに掲載!

Posted by 秋山孝二
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 今年も8月を迎えて、(公財)公益法人協会のウェッブ版にコラムを書きました。これまで書いたものは以下の通り。
* 2018年 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 公法協コラムに掲載 (akiyama-foundation.org)
* 2019年 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 公法協月刊誌コラムに寄稿 ! (akiyama-foundation.org)
* 2020年 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 公法協ウェッブ版に寄稿! (akiyama-foundation.org)
* 2021年 2050年へのロードマップを | 公益財団法人 公益法人協会 (kohokyo.or.jp)
* 2022年 ガバナンス偏重への疑問 | 公益財団法人 公益法人協会 (kohokyo.or.jp)
* 2023年 今こそ、長期的な視座を | 公益財団法人 公益法人協会 (kohokyo.or.jp)
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  ◎「託す」、「寄り添う」こと
                       (公財)秋山記念生命科学振興財団
                               理事長 秋山 孝二

◆◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◆

今年6月、私は「北海道経済同友会」の副代表幹事に就任しました。
この28年間、幹事を務めていたので今更という気もしますが、経団連等の経済団体とは違って、
経営者個人の資格で入会するこの全国的コラボ団体で活動を続けてきました。
私は活動の濃淡はありましたが、この間6回、所属・役職変更を経て異なった視座から
会員を続ける中、一貫していたのは地元・北海道への地域愛とでも言えましょうか。
そして、地域経済における経営者マインドの変遷も具に観ており、一例としては、
経営者自身が最近は人手不足といった自社の直面する問題だけでなく、地域課題解決の
テーマにも強い関心を抱き始めていることです。

経済団体における私の経営者ロールモデルが、今は亡き(公社)経済同友会の
終身幹事だった品川正治さんです。
学生服から帝国陸軍服へ、戦後は背広にと変化はしても、その人生の基軸は
中国最前線の戦場経験から、経済人として命の尊厳、反戦平和と社会正義の
揺るぎない信念でした。
その昔の現役時代、企業トップとして札幌の私どもの本社にもお越しになり、
その後リタイアして経済同友会のご意見番として永く羅針盤の様な存在、
原理原則からブレることなく、時の政権におもねることもなく、凛とした姿から
私は人間として多くを学びました。

今年5月1日に、熊本県水俣市で開催された水俣病被害者・支援団体と環境相の懇談で、
被害者側の発言中に環境省職員がマイクの音を切った事件、私は時を経た今も
被害者の方々の表情を忘れることができません。
戦後、高度経済成長の時代を経て、1971(昭和46)年に公害克服を目指して
環境庁が設立した経緯があります。
そしてこの日は68年前に水俣病が公式確認された日、にもかかわらずです。
この間に企業・行政は一体何を学び、克服できたのでしょうか。

日々「生命科学」を名乗る私たちの財団活動上、中間支援、助成財団として
地域に根差し、常に「託す」思いで寄り添っていくことを肝に銘じています。
資金的に応援するだけでなく、研究者・市民の活動にエールを送り続ける、
大変難しい立ち位置ですが、そんな姿勢です。
採択は関係性構築の始まりに過ぎず、時を重ねてその後の研究・活動を振り返り、
お互いにコラボする機会の創設にも注力し始めています。
設立準備からほぼ40年、この財団活動に携わりながら、「心に寄り添う」姿勢は
実に微妙で難しいと感じています。

子供・孫たちの世代に、多大な国の負債、放射線汚染物質を付け回さない努力、
それは戦後日本を生きた我々の世代の責任なのだと思います。
「個人の尊厳」、「自由」と言っていたものはただの安っぽい「私生活主義」に
過ぎなかったのではないか、そば打ちと旅行三昧の定年後の生活でいいのか、
1960年後半・70年代に主張したメッセージを今どう総括するのか、
与えられ恵まれた環境をただ消費してきた世代等、若い世代からの厳しい問いかけに
リアルな現場で応えなければなりません。
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散華の世代からの問い

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 NHK特集「散華の世代からの問い 〜元学徒兵吉田満の生と死〜」は、1980年に放映された作品、例年8月の戦争特集の中で、心に響く作品でした。語り手の加賀美幸子さんの声も若い!
HPより~~~~~~~~~~~~~

 九死に一生を得た吉田満は、戦後に「戦艦大和ノ最期」を書き、目撃した悲劇を現代に伝える語り部の役割を果たした。彼の著書につづられた戦没学徒兵の手記に現代の風景を重ね、吉田の問いの意味を探る。遺稿から…「妹よ、清純に生きていけ。心の最も美しいところであなたを愛し続けてきた兄の最後の言葉を忘れないでくれ。」「敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。いま目覚めずしていつ救われるか。」

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吉田(よしだ みつる、1923年〈大正12年〉1月6日1979年〈昭和54年〉9月17日)は、日本の作家。日本銀行職員。キリスト者。

 大日本帝国海軍における戦時体験をもとにした戦記を残すとともに、日本銀行職員の要職を歴任する傍ら、「戦中派」として独自の著作活動や言論活動を続けた。代表作の『戦艦大和ノ最期』は、映画化、長時間テレビドラマ化もされ、海軍での上官であった臼淵磐も吉田の著作を通しても広く知られるようになった。

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 異なった視点からの回想の言葉、特に臼淵大尉の「三バカ:万里の長城、ピラミッド、戦艦大和」の発言は衝撃的でした。

* これまでの戦艦大和の記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

* これまでの海軍兵学校関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

北海道科学大学 創立100周年!

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 北海道科学大学 (hus.ac.jp)の『創立100周年記念式典ライブ&祝賀会』が開催されました。秋山財団理事でこの大学の渡辺泰裕前理事長ほか選考委員、研究助成でも関係があり、私と当財団の大原常務理事とで参加しました。

* 学校法人北海道科学大学|創立100周年特設サイト (hus.ac.jp)

 T型フォードをシンボルに、今も動き続けるモデル、自動車関連専門学校をルーツとするこの大学の原点を見つめ直して向こう100年の展望です。

 ライブプログラムは卒業生で北海道で多彩に活躍する方々の登場。

 書道部によるパフォーマンスで書き上げました。

 会場を札幌グランドホテルに移しての記念祝賀会、終盤には北海道新聞号外も配られました!!

 帰りには記念品の詰め合わせ、全て科学大学に因んだ貴重なものばかり。

 翌朝の北海道新聞見開き全面広告です!とにかく全体を通じて若い方々のセンスが盛りだくさん、それを100周年記念で場を与えた現学校経営陣に拍手喝采ですね!これまでの100年を今後の100年につなげるビジョン形成、素晴らしいです!

k* 教育理念・ビジョン|学校法人 北海道科学大学 (hus.ac.jp)

* 

外岡秀俊 追悼公演

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 先日はメーリングで、「外岡秀俊追悼公演」の実行委員会の方からご連絡があり、3年前の暮れに亡くなった彼を偲のび『外岡秀俊の世界』と銘打って、合唱他のライブコンサートが開催されました。

* これまでの外岡秀俊さんに関する記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 合唱あり、朗読劇あり、管弦楽演奏の盛だくさん。何れも彼の朝日新聞時代のジャーナリストとしての人となり、業績を再確認する時間でした。朗読劇の中で、彼の高校時代の姿を語る部分、私の高校の3年後輩の彼の評価は、その後数十年経って私は耳にしているのですが、当時の同期からはかなり彼のパフォーマンスに関しては厳しい意見も散見しています。ある意味でバリケードの内と外との立場による評価の違いなのかもしれません。

第一滝本館 南社長のご講演

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 北海道経済同友会の例会で、登別温泉の操業160年の老舗「第一滝本館【公式】 (takimotokan.co.jp)」の南智子社長がご講演されました。彼女は私の高校の後輩で創業者から八代目、亡くなられたお父様は私の姉と同級生、演題:は『「選ばれる」だけでなく「ずっといたくなる」登別』でした。

* 南智子社長ーー> なまらあちこち北海道|第一滝本館女性社長がアドベンチャートラベルの新会社・登別温泉 (kita-hachi.com)

南智子 第一滝本館社長 新スタイルの旅を提供し、魅力あふれる街づくりへ | ニュース | Zaisatsu.jp【財さつJP】

 HPにも書かれていますが、この旅館の理念:

この宿の歴史は、このまちの歴史に他ならない。

 新しい旅のスタイルを提供し続けて、特に『アドベンチャーツアー』プログラムの試みが面白かったですね。

* adex - Noboribetsu | アデックス 登別アドベンチャー

 ご自身の会社の繁栄だけでなく、登別の発展を視野に入れた経営、老舗の矜持を感じました!!!

厚生福祉 巻頭言10回目

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 時事通信社週二回発行の『厚生福祉』に表紙の巻頭言を書いて2年で10回目、私の文章です(第6912号)。「寄り添う姿を求めて」と題して、財団運営で肝に銘じている点も含めて自戒を込めての文面です。

*  時事通信社 厚生福祉 (jiji.co.jp)

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寄り添う姿を求めて

今年51日に熊本県水俣市で開催された水俣病被害者・支援団体と環境相の懇談で、被害者側の発言中に環境省職員がマイクの音を切った事件、私は時を経た今も被害者の方々の表情を忘れることができません。戦後、高度経済成長の時代を経て、わが国は水俣病・イタイイタイ病などの公害問題に直面し、1971(昭和46)年に環境庁が設立した経緯があります。そしてこの日は、68年前に水俣病が公式確認された日です。大臣はこの記念すべき日、犠牲者慰霊式に出席した後、8団体との懇談に臨み、職員は予め設定したシナリオ「13分」を超過したとしてマイクの音を切って発言を遮りました。更に驚くべきことに、懇談の後、大臣は「音が切られたことは認識していなかった」と釈明したのです。そこに居た発言者のお一人は、その後、記者に対して「かつてのチッソの社長と同様、傲慢で儀礼的で切り捨ての姿勢は当時から何も変わっていない、これが行政の本質!」とおっしゃっていました。2011年の東日本大震災での原発事故を「放射能公害」と表現した方がいましたが、その後の企業・行政の対応をみても、以前の公害と同様の体を成している気がします。

以上のように憤りは収まらないのですが、今一度足元の自分の活動を振り返ると、自らにもその矢は向けられることに気が付きます。日々「生命科学」を名乗る財団活動上、中間支援、助成財団として常に「託す」思いで寄り添っていくことを肝に銘じています。資金的に応援するだけでなく、研究者・市民の活動にエールを送り続ける、大変難しい立ち位置ですが、そんな姿勢と言えましょうか。ほぼ40年この財団活動に携わりながら、「心に寄り添う」姿勢って、実に微妙で難しいと感じています。

子供たちの世代に、多大な国の負債、放射線汚染物質を付け回さない努力、それは戦後日本を生きた我々の世代の責任なのだと思います。「個人の尊厳」、「自由」と言っていたものはただの安っぽい「私生活主義」に過ぎなかったのではないか、そば打ちと旅行三昧の定年後の生活で本当にいいのか、1960年後半・70年代に主張したメッセージを今どう考えるのか、与えられ恵まれた環境をただ消費してきた世代等、若い世代からの厳しい問いかけに応えなければなりません。

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頑張れ、岩本勝太郎くん!!

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 第一回から秋山財団が応援している『SDGsQUEST みらい甲子園』、昨年度の北海道大会で秋山財団賞を受賞したプロジェクトメンバーの岩本勝太郎くんが函館から財団事務所を訪問して意見交換しました。

* これまでの関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

~~~~~~~~~~~~『SDGsQUEST みらい甲子園』2023年度受賞

<秋山記念生命科学振興財団賞>

* 函館ラ・サール高等学校

チーム名:タイのレモンだもん!美味しいもん!

プラン名:レモンが貧困を救う (100本のレモンの木プロジェクト開始)

<参考>

“レモンの木”でタイの子どもたちを貧困から救う 函館市の高校生が考えた持続可能なアイデア レモンジャムを作って日本で販売 函館ラ・サール高校 - YouTube

~~~~~~~~~~~~

 HBCテレビでも紹介されていましたが、植えたレモンの木の三分の一は枯れてしまっているそうですが、それを含めての持続可能な寄り添いの視点をこれから模索していくのでしょうね。

財団関係者と岩本くん

財団関係者と岩本くん

主催者のTREEの方々も

主催者のTREEの方々も

 お弁当を食べながらの意見交換、岩本君は今年はもうすぐフィリピンに行ってのボランティア活動とのこと、その活動力に拍手喝采ですね。

看護研究学会での再発見

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 第32回の(一社)日本看護研究学会の北海道地方学術集会が恵庭市の文教大学で開催されました。

 これまで「看護」と言うと医療機関内での職域に限定されている感がありましたが、今回は「地元創成における看護職の役割」、地域における高齢者、まちづくり等での看護専門職の役割を議論していて、私自身新鮮で勉強になりました。

 昨年度の秋山財団の『秋山喜代賞』、第一回受賞者の竹内美紀さんが基調講演、自らの豊富な経験を語りました。

* 昨年度秋山喜代賞関連の記事ーー>

ーーーー 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

ーーーー 2023年度 贈呈式の動画 - 秋山記念生命科学振興財団 (akiyama-foundation.org)

 基調講演に引き続いてのシンポジウム、小磯修二先生の冒頭講演に続いて、二つの会場での分科会。私は『高齢がん患者の周術期における睡眠変化量の検証』、続いて『在宅緩和ケアにおけるがん患者家族のwell-being関連要因の研究』を聴講しました。

 小磯修二先生がおっしゃる「地域政策のテーマ」は『高齢化』と指摘して、従来の福祉政策の限界と社会との関わりを求めての姿勢がポイントとお話されていました。

 終了後は、竹内美紀さん応援の関係者と玄関前で記念撮影、横浜時代の看護学校の恩師もお越しになりました。

 また、今回の学術集会の高岡哲子会長(北海道文教大学)とも記念撮影です。

 終了後は、恵庭市内での関係者の懇親会、介護を巡っての現場の貴重なお話の数々、竹内さんの活動の素晴らしさ等を引き続いて語り、楽しいひと時でした。これからの看護職の発展性に期待すると同時に、竹内さんのご活躍も楽しみですね。

ルスツでのひと時 2024夏

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 今年9月、秋山財団贈呈式で特別講演を予定している奈良・薬師寺の大谷徹奘執事長からお誘いがあって、先日はルスツにある「ヒノキ新薬株式会社(会社概要 | ヒノキ新薬株式会社 (hinoki.co.jp)」の「ルスツ山寮」に行きました。今年3月に文化庁の『登録有形文化財』に指定された建物で、その祝賀と大谷執事長の還暦お祝いを兼ねて、茶の湯とご講演でした。

* ヒノキ新薬株式会社ルスツ山寮 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)

* 有形文化財にヒノキ新薬ルスツ山寮 故白井氏設計洗練のデザイン 高い評価、喜ぶ地元:北海道新聞デジタル (hokkaido-np.co.jp)

 広大な敷地に9ホールのゴルフコースもあるとか、大変ご立派な施設です。館内は二階建て、一階ホールは吹き抜けで、講演はこちらで、茶の湯は隣のお茶室でした。

 お茶室の掛け軸、花卉、お花にはそれぞれの拠って来る物語とお心遣いがあり、解説をお聞きするのも楽しかったです。

 遠州茶道宗家十三世家元の小堀宗実さんのお話と薬師寺執事長の大谷哲奨さんのご講演。

* 13世 小堀宗実 – 遠州流茶道 (enshuryu.com)

* 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

* これまでの薬師寺の記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 人の道、伝統文化の継承等、そもそものお話は心洗われる時間となりました。

 もう何十年振りでしょうか、札幌市内から中山峠を越えてルスツに向かう行程、峠の茶屋も随分立派になって、時の流れを感じました。