北海道日米協会新年例会2014

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 北海道日米協会の新年特別午餐会は、「NEW YEAR CONCERT」です。

 フルート&ギター、ソプラノ&ピアノと盛りだくさん、素晴らしい演奏と歌のひと時でした。

フルート 立花 雅和 さん

ギター  薮田 健吾 さん

ソプラノ 浅原 富希子 さん

ピアノ  森吉 亮江 さん

 途中、「AMERICA THE BEAUTIFUL(http://www.geocities.jp/eden_o1/top.htm)」、「ふるさと(http://www.youtube.com/watch?v=PiUJV3qz5oU)」を参加者皆さんで大合唱でした。

フルートとギターのコラボレーション、尺八とお琴の音色!

フルートとギターのコラボレーション、尺八とお琴の音色!

「Amerika the Beutiful」を皆で

「America the Beautiful」を伊藤会長、ラッツリフ校長、ディール領事も

ソプラノ独唱

ソプラノ独唱

 今年9月には日米協会・米日協会合同の国際会議が札幌で開催予定です。ケネディ駐日アメリカ大使もいらっしゃる計画もあり、ホスト役としての北海道日米協会も忙しくなりそうです。

「北海道倶楽部」、新たな出発!

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 東京に本拠を置く「公益社団法人 北海道倶楽部(http://www.hokkaido-c.or.jp/」は、新渡戸稲造先生も深く関与して永い歴史を誇りますが、先日、新年交礼会が行われました。今年から「公益社団法人」としてリスタートです。

「公益社団法人」としての新たなスタート

「公益社団法人」としての新たなスタート

松田昌士会長のご挨拶

松田昌士会長のご挨拶

 「北海道倶楽部」は、昭和2年に新渡戸稲造ら北海道に縁を持つ首都圏在住者を中心に、北海道の開発と発展を目的として「任意団体」で設立されました。昭和41年に「社団法人」化、今年、「公益社団法人」化して、今日的テーマとして、北方領土返還、ふるさと納税等の推進、及び北海道新幹線早期実現の3大運動を柱として、北海道及び道内市町村の健全な発展を推進することを目的としています。会員数は現在600名、先日の新年交礼会には200名程の方々がご参加でした。

 今月この欄に記載した昨年の北方領土返還フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17954)もこの活動の一環でした。

 東京に居て「北海道」を想う、熱き心を感じます!

秋山財団、さぁ行こう!

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 公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/の評議員会ほかが開催され、以前から出席率は大変高かったのですが、今回、評議員は全員出席でした。今年は新たに「プログラム・デザイナー」として、若き女性が二人事務局に加わり、28年目の事業に向けて「さぁ、行こう!」といった感じの雰囲気でした。

 私は秋山財団の設立以来この間、約30年の関わりがありますが、当初から理事会、評議員会、選考委員会での議論は格調高く、特に設立時の理事会での議論は、財団活動、生命科学の理念・哲学等について、それぞれの専門的立場からの鋭い所見が披露されていました。

 先日の会議でも、出席者の皆さんは穏やかで抑制の効いたお言葉ではありますが、研ぎ澄まされた剣のような切れ味鋭いコメントのやり取りでしたね。例えば、「生命科学」と「自然科学」、どちらの概念がより広義なのか、言い換えると、「自然科学」の一部として生命科学があるのか、或は、「生命科学」の中に自然科学、社会科学、人文科学、すべての従来の科学が包含される、そんなやり取りです。

 また、これまでの「アウトリーチ」という言葉も、研究者が社会にアウトリーチする(?)どこか上から目線の印象であり、そうではなく双方向性のコミュニケーションをベースとした秋山財団が目指す「アウトリーチ」を明確に世の中に発信する必要があるのではないか、と。静寂な深い森の中の熱い議論のやり取り、ひと時、インテリジェンスの深淵を覗いた気がしました。時代とともに言葉の概念も変わってくることは共有しながら、会議での格調高い議論は、終わってもその余韻が素晴らしい、一級の作品を見終えた感動を覚えたのは私だけではないと思います。

 ところで、何故ここでこの写真なのか、それは知る人ぞ知る、です!

秋山財団の会議終了後に、ありがとうございます!

秋山財団の会議終了後に、ありがとうございます!

 今年からは新しい事務局二人を含めて、私自身、若い世代への「継承モード」となりそうです、ワクワク感を大切に、民の担う公共の矜持を胸に、頑張ってみようと思います、頼みますよ!

熱く語る、サープリン総領事

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 異業種交流で永く続く「北を語る会」の第95回が開催されました。これまでにもこの欄でご紹介しています。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%97%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E4%BC%9A

 今回は、今年に離任予定のサープリン在札幌ロシア総領事のスピーチがメインプログラムでした、情熱と愛情に満ちた素晴らしいメッセージを受けとめました。私たち北海道民への辛口メッセージとしては、「冬を『凌(しの)ぐ』ではなく、『楽しむ』発想が大切ではないでしょうか」、と。一昨年の札幌市南区定山渓での「環日本海経済同友会フォーラム」を含めて、たくさんの場でアドバイスとエールを伝えて頂きました。

今年、離任予定のサープリン在札幌ロシア総領事

今年、離任予定のサープリン在札幌ロシア総領事

奥さまのタチアナさんも、日本への造詣は深いです!

奥さまのタチアナさんも、日本への造詣は深いです!

 3年前、この会が札幌のロシア総領事館で開催された時(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8364)に、中川さんが熱唱しましたが、今回はダンディ・フォー(http://mizuciao.blog.so-net.ne.jp/2010-12-21)が歌うロシア民謡「鶴」が素晴らしかったですね。

最後は参加者全員でロシア民謡の大合唱!

最後は参加者全員でロシア民謡の大合唱!

 今月年頭にもこの欄に書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17954)、今年はロシアと日本との友好・経済関係では大きな期待ができそうです、楽しみです。

THANKS JUMBO !

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 私が初めてジャンボジェット機に乗ったのは、今から40年以上前(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4431)の1971年12月、パンナムかJALのサンフランシスコからの便でしたが、機内の広さに驚きました。ANAは1979年からの就航だったようですね。

 記録によると、日本航空は1970年4月に747-100型機を就航させ、2006年10月までは-100の発展型747-100B/SUD(アッパーデッキ延長型を運用していました。また、原型ともいえる747-100B(全3機)も運航していましたが、これは2006年初頭までに退役。-100Bは短距離機として-200Bと並行生産されたもので、世界でも日本航空とサウジアラビア航空しか発注していないそうです。日本航空の-100Bは後続機のSRの増備機で、このうちの数機が貨物型に改修されたようです。

 この世界、この間の技術革新は目覚ましいものがあり、燃費、安全性、居住性等、次々と新しい機種の登場と老朽化により、いよいよ今年の3月末で退役です。

 先日、羽田空港のANAラウンジロビーにも、「TAHNKS JUMBO!(http://www.ana.co.jp/thanks_jumbo/」キャンペーンの案内が出ていました。

ANAラウンジロビーで

ANAラウンジロビーで

 これまで私にとって、特に札幌ー東京間の移動が多かったので、実によくこの飛行機を利用してきました。いつも前方通路側でしたが、数年前のアフリカ行きの時は、機内満席、最後方座席で12時間、赤道を横切る揺れっ放しの苦行も。全てが懐かしい思い出となりました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3680)。

 札幌ー東京間の距離でジャンボジェット機のような大型機種を導入している路線も他に例がないですよね。これからは利便性、経済性から言っても、中型機時代の到来のようです。

 あと2か月少々、何回かの出張ですが、味わって乗らなければジャンボジェットに失礼かと思っています。

「経営組織論」、いよいよ終わりに

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 札幌学院大学(http://www.sgu.ac.jp/)で今年度後期に一コマ、「経営組織論」を講義してきましたが、あと一回で15回の最終を迎えます。

 「客員教授」の立場を頂き、これまでも学生を前にお話をして参りました。今年の登録166名の学生たちは、就職戦線の厳しさも相俟ってか、初回から集中力を持続してなかなかの反応でした。これまでの講義についてはこの欄でも記載しています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1155

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2439

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4052

私は、5年前の札幌学院大学の記念論文集に、「組織と経営者の責任:093sgue8a898e5bfb5e8ab96e69687efbc88final」を寄稿しました。その終りの部分に、次のように若い世代への期待を込めて書いたのを思い出しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~論文からの引用

若い経営者への期待

企業・組織にとって継続的な人材の新規採用は大変重要である。と同時に、社会にとって、若い世代の経営者は宝物に違いない。新しい価値の導入は新しい担い手によって成し遂げられ、経営におけるイノベーションの原動力を、これらの人材に求めるのである。

新しい人材は、人的資源の補充という数の意味以上に、当該集団の「価値の革新・移転」を早期に促す意味が本来的に大きい。しかしながら、日本の伝統的経営だった「終身雇用」はごく限られた人材にだけの適用となり、昨今の見識のない経営者は、グローバル競争の中で本来の価値をかなぐり捨てて、当面の利益追求に終始し、貴重な財産を放棄して、人的資源を単なる人件費の削減の手法に落としめてしまった。

日本のレベルの高い労働者に依拠して創り上げてきたこれまでの実績を、何と心得ているのだろうか。再度原点に戻って、経営者は、イノベーションの最も有効な手段として、時代のセンス、将来を読み取る新鮮な感性を期待して、定期的新規採用を行い、同時に自らのポストの明け渡しを含めて、若い世代の台頭、世代交代を積極的に促すべきである。激動の今、過去の経験・実績が必ずしも役に立たない時代は、冷静に考えるとまさに絶好の機会に違いない。

7  結びにかえて

第二次世界大戦終了後、日本は直後の混乱を乗り越えて、30年を越える高度成長期を謳歌した。その後バブル経済が崩壊し、暫く調整期が続き、ようやく新しい方向性の兆しが見えてきた時、今度は国際金融恐慌の嵐で、今大きな試練に立っている。

確かに100年に一度の事態なのかもしれないが、私は本来の経済構造への回帰の過程と受け止めたい。この数年間、世界経済の異常な伸長を警告していた識者は何人も居たし、身近で尊敬する経営者も繰り返し指摘していた。

経営者の最も重要でかつ究極の役割は人材の育成である。長期的視点に立った教育プログラムは、理念に裏打ちされていなければならず、職域階層毎、世代毎との縦軸横軸で、同時に次世代の経営者の育成プログラムも構築する事が大切である。高度成長期には次々と育ってきた人材が、競争力に富んだ技術を継承してきた。座学としての教育プログラムばかりではなく、日本の労働力としてのレベルの高さに自信を持って、現場に思い切って権限を委譲し、機会を与えて育成していく事(OJT)が今必要なのではないのか。一般的に言って、これまでの日本企業の競争力は、経営者の優秀性というより、この現場の優れた人材に依るところが大きかったはずである。

更に自らへの戒めとして、私はこのような時代に、持ち続けている問題意識がある。それは日本の組織におけるリーダーの「責任の取り方」、「責任の取らせ方」だ。戦争責任、不祥事の責任、みな明確ではなく、当事者は言い逃れに終始し、責任を論じる「装置」が不明確、或いは不在で、そしてそれを裁く司法も明解ではない。ほとぼりがさめると何食わぬ顔でまた表舞台に登場する一方で、本来は責任を負うべき立場にない者が、その身代わりの如く責任を取らされている事例もあるのではないか。誰に責任があり、誰が一体責任を取るべきか、この曖昧さを容認してしまう日本社会を私は危惧する。次世代の育成の為にも、現役世代が理屈の通る見本を示してこそ、明るい未来を描く事ができるのだと思う。

折りしもアメリカでは現在、公的資金注入を受けた大手保険会社が、その後、多額の役員賞与を支払っている事案が議会で問題視されている。このような現実を目の当たりにすると、「アメリカ型」経営・倫理に対する違和感を強く持つ。私は、社会の価値観、企業経営の価値観等を通して、この数十年に粗末にしてきた「日本型経営モデル」の再評価を、企業のCSR、そして新しい起業の中で見出したいし、実労働人口が減少していく中で、若年層の価値増大への道も切り拓きたいと思っている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

大学内の掲示板に、活躍する卒業生・学生が紹介されていました、ソチオリンピックでの活躍を期待したいですね!

カーリングでの活躍を!

カーリング、アイスホッケー、リュージュでの活躍を!

選考中、メディア・アンビシャス大賞は?

Posted by 秋山孝二
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 優れた番組・報道を勝手に誉めようと活動している「メディア・アンビシャス(http://media-am.org/」が、毎年「活字系・映像系の大賞」を選考して授賞式も開催しています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7303

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15609

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15670

 今年も年始からメンバー他市民が集って第二次選考中ですが、優れた作品が多くて、「選ぶ」などというのが僭越な気がしてきます。

~~~~~~~~~~~~~

<第二次選考> 場所:愛生舘ビル6階愛生舘サロン(南1西5)
1月12日(日)
10:00~10:50 「核のゴミはどこへ ~検証・使用済み核燃料」(NHK)
10:50~11:20 「死の棘~じん肺と戦い続ける医師」(静岡放送)
11:30~12:30 「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸」(NHK)
13:30~14:50 「僕は忘れない~瀬戸内ハンセン病療養所の島」(NHK)
14:50~15:20 「ルル・ランどこに帰ろうか~タンチョウ相次ぐ衝突死」(STV)
15:30~16:25 「チェルノブイリから福島へ~未来への答案」(日テレ)
16:25~16:55 「今そこにある詐欺」(HTB) 6回分を収録
1月13日(月・祝)
10:00~10:55 「お願い強く抱きしめて~若年性認知症の妻と生きた日」(HBC)
10:55~11:25 「消せない放射能~65年後の警鐘」(STV)
11:35~12:35 「ありがとう!チィ先生~カンボジアの子供たちに夢と笑顔を」(HTB)
13:30~14:55 「原発と原爆~日本の原子力とアメリカの影」(テレビ朝日)
上映終了
15:00~   19日に向けての絞り込み
*映像部門
*活字部門
*活字部門について
12月15日の第1次選考では記事14本のエントリーでした。協議の中で、いくつかのテーマが話題になり、すでに追加エントリーがありました。これらの記事はコピーして、参加者に配布しました。
【今後の日程】
■最終審査会は1月19日(日) 愛生舘ビル6階愛生舘サロン。時間は午後1時から
当日はノミネートの中から2作品を上映し、映像と活字の両部門の賞を投票確定します。
■表彰式は2月26日(水)午後7時 愛生舘ビル6階愛生舘サロン
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マスメディアの姿勢を批判するのは簡単ですが、社会においてのメディア機能は今のような時代には特に重要であることは疑いのないことです。報道各社の中で、真実を地道に掘り起こす活動、テーマを基に時間を掛けて取材しての番組制作等、ジャーナリストとして奮闘している多くの方々の応援に少しでもなるのであれば、メディア・アンビシャスの活動も社会的意義を感じることができます。今年の選考結果が楽しみです!

夜、「母子像・ふるさと」周辺 in 2014

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 FBではすでにアップしましたが、札幌市中央区の円山公園(http://www.sapporo-park.or.jp/maruyama/)北東角、「母子像・ふるさと」広場を夜通ってみると、昼間に子供たちが作った動物の雪像がまるで活きているようで可愛かったですね。ブロンズの母子像と雪像の動物たちが、見事なコラボレーションでした、動物たちの目・鼻は松ぼっくり、口は木の枝です。

 雪の上にはたくさんの足跡、そりすべりの跡、昼の賑わいを感じて心がポッと温まります。冬ごもりではなく、冬こそ人が集まる空間、まさに「北国の醍醐味」です、ね。

「母子像・ふるさと」と一緒に雪像群が

「母子像・ふるさと」と一緒に雪像群が

「八重の桜」、余韻覚めやらず

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 昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜(http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/」は、私にとってこれまでで最も印象に残った番組でした。年始に総集編として2日間に渡り放映されて、録画でじっくり見ました、幾つか見逃していた回があったことも知りましたし、年が明けて、余韻覚めやらずですね。

 何といっても私にとって、戊辰戦争が、「愛生舘」の生みの親、松本順と密接な関係があるからです。ドラマの一場面でも繰り広げられた藩校「日新館」での負傷兵たちの看護、あの場で院長として指揮を執っていたのが、長崎でオランダ医学の一環で野戦病院医療を学んだ松本順その人だったからです、恐らく八重さんとともに活動していたものと、ドラマでは名前は出てきませんでしたが、私にはその姿がくっきり見えました。

 松本順と愛生舘との関係は、これまでたくさんこの欄で書いてきました。

< 松本順 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%A0%86

 同時に、一昨年、3・11以降の初めての福島訪問の際に、会津若松市で一泊して、若松城、日新館ほかをゆっくり見学したことも記憶に新しかったからです。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12677

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12692

 その時のブログにもあるように、ドラマを見ながら自分のその時の想いに確信を得ました。

~~~~~~~~~~~~~~ ブログからの引用

・・・・ 「ならぬことは ならぬものです」で結ばれる「什の掟」、日新館での教育は今の時代、一層価値があるメッセージですね。白虎隊と並んで紹介される場合が多いですが、私にとってはむしろ、松本良順と野戦病院院長の関係で記憶されています。戊辰戦争で幕府側の医師として、最後まで人々の治療にあたった彼は、戦いの後に捕われましたが、その後新政府にその類まれな近代医学の能力を高く評価され、近代医学の基礎を創り、初代の軍医総監として活躍しました。

・・・・ 近代日本への脱皮、その歴史は多くの命が失われる過程を経て、一歩一歩変わっていく時間の経過と理解すれば良いのでしょうか。日本人が、自分たちの「国」づくりを自分たちで必死に手に入れようとしていた真摯な姿を感じます。そんな歴史に対する「誠実さ」を、いつ日本人は失ってしまったのか、3・11の大震災、津波、原発事故による放射能汚染、この「機」を逃して復興しなければ、今、まさに社会の価値の方向転換をしなければ、あとは滅亡しかありません。

~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 個々の俳優のインタビュー(http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/special/)でもたくさんの話題ですが、私としては特に、綾瀬はるか(八重)、西島秀俊(覚馬)、高島政宏(槇村)が興味深かったです。

 また、演出の加藤拓さんの言葉も含蓄があります、これまでの大河ドラマとはかなり違った視点であり、3・11以降の社会への問題提起とも受けとめます。このドラマで新政府を樹立した指導者たちが、日清・日露戦争を経て国際社会においてどんな日本国に誘導して行ったのか、その危険な芽がこのドラマからも読み取れるような気がするのです。まさに歴史に学べ、ですね。

~~~~~~~~~~~演出 加藤拓さんの言葉 HPからの引用

<他者の正義vs自分の正義>

今まで幕末物語といえば、新しい日本を目指すことにおける正義が描かれてきました。ところが今回は、その正義がある種の悲劇を生んでいきます。国を変えようとする正義を掲げるのが薩長ならば、奥羽越の人々にもまた、守らなければならない正義があったのです。

変えるための正義と守るための正義…他者の正義と自分の正義とのぶつかり合いによって、日本が分裂しかねない状態にまで追いこまれる。そのぶつかり合いをつぶさに描くのがこのドラマ前半の特徴です。そして、この衝突の最終局面が、最後まで抵抗を続けた会津藩において繰り広げられることになるのです。

それと同時に、僕らが9か月間の撮影で体感してきた未知の歴史が、今まさに既知の歴史に集約されようとしています。 “あの歴史の場面”がいよいよやってきた!この感覚の新鮮さが、つくり手としての僕らの気持ちを高揚させています。

<極限において放たれる八重の輝き>

撮影を前に、ここぞとばかりに綾瀬さんといろいろお話をしました。会津戦争という歴史の局面一瞬一瞬において、八重ならどう振る舞うか…と。

誤解を恐れずに言えば、この悲劇的な場面こそが、八重がいちばん輝きを放った瞬間です。極限の状況で放たれた八重の輝き、それがこの会津戦争を描くうえでの核になりました。女性でありながら銃をとり前線に立つことへの決意、少年兵を死地に赴かせることに反対しながらも、いざ共に戦うべき相手は老人兵や少年兵だったという皮肉。「自分が戦う以上はひとりも死なせない」という巨大な責任感と苦悩に襲われる八重の姿を、綾瀬さんが全力を投じて演じてくれました。

城が文字どおり崩れ落ちる瞬間まで、存分に戦い、存分に生き抜いた会津の人々。彼らがどう戦い、何を失い、何を得たのか…。八重はもちろんのこと、その家族や仲間、容保、家臣団…それぞれの正義をかけた戦いにご注目ください。

~~~~~~~~~~~ 引用 おわり
 

 このドラマに関わったすべての方々のメッセージに比べて、メディア界の貧困さも終わってみての評価から見て取れます、ただただ「視聴率」に拘っているだけの姿です。「視聴率」?、ドラマを観続けた私のような一視聴者には何の関係もないですよ、その作品テーマ、演出、俳優に興味があるのであって、他の人がどれほどライブで観ていたか、そんなことはドラマの評価のごくごく一部に過ぎないではありませんか。今の時代にこういった素晴らしい番組を作成したNHKに感謝するだけです。

 まるで昨今の「経済成長」論議で、株価上昇だけが経済の指標であるかのごとく語るメディアと同じレベルの貧困さです、社会の薄っぺらさとも言えましょうか、学びましょうよ、歴史から。 

 いずれにせよ、新しい国の方向性を創ることは、まさに価値観の「戦い」であり、「呻吟(しんぎん)」であり、ナチの暴虐を越えたヨーロッパ思想界のような過程を抜きには生まれることはないのかもしれないと、年始のまとまった時間にしばし黙想しました。

年末・年始、さまざま

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 話題の映画、「ハンナ・アーレント(http://www.cetera.co.jp/h_arendt/」を年末ギリギリにシアター・キノ(http://theaterkino.net/)で観ました。前評判通りの奥行きのある映画でしたね、できればもう一回観ようと思っています。

シアター・キノで上映中

シアター・キノで上映中

 4年前に、アウシュビッツを訪問した時、現地の日本人公式ガイドの中谷さんがおっしゃっていた言葉を思い出します。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1457

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1485

中谷さんの著書からの引用です *******

 実際にアウシュビッツを訪れてみると、たぶんここで何も考えない人はいないと思う。しかし、ここで起こった出来事を、ある国のある時期の話なんだと、僕を含めてみんな少しは思ってしまっているだろう。
ヒトラーがユダヤ人を迫害しようと考えたのは、歴史の中で急に現れた狂気的な発想というわけではない。ヒトラーがそれまでの人生の中で学んできたことの集大成で、そのような発想に至ったのだ。これは、それまでのヨーロッパの人々のユダヤ人に対する考え方というものとは絶対切り離すことはできないと思う。
 個人が持つちょっとした差別的な思いが、一気に突き進んでしまうと、こんな悲惨な歴史を作り出してしまうことになるのだ。そのことを意識して、個人それぞれが自分の中のそのような思いについて、もう一度振り返っておくということが、非常に大切なことだと感じた。

 最後に、アウシュビッツに行く前に見るべき映画を書いておきます。「シンドラーのリスト」、「夜と霧」、「ライフ イズ ビューティフル」。特に「夜と霧」はアウシュビッツで撮影された映画です。映画というよりもドキュメンタリーみたいなものですが、DVDも発売されていますので、ぜひ行く前に見てください。

****************************** 引用おわり

 恐らく最後の観るべき映画の中に、この「ハンナ・アーレント」が新たに加わることでしょうね、きっと。

 一方、年明け恒例の「箱根駅伝(http://www.ntv.co.jp/hakone/index.html」、今年も2日間飽きることなく見ていました。首位争いは勿論目を離せなかったのですが、今年は青山学院大学の7区を激走した小椋裕介君に注目でした。恐らく唯一の北海道出身者だったのではありませんか、素晴らしい走りでしたね。まだ2年生ですから、進化の著しい青山学院大学の中核として来年以降も楽しみです。

箱根駅伝復路で頑張る青山学院大学・小椋君(札幌山の手高校卒)

箱根駅伝復路で頑張る青山学院大学・小椋裕介君(札幌山の手高校卒)

北方領土問題の視点

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 昨年9月に(社)北海道倶楽部(http://www.hokkaido-c.or.jp/から「北方領土問題の視点(http://www.hokkaido-c.or.jp/kaiin/kaiin/kaiho/201310-1kaiho.pdf」と題してのシンポジウムのご案内があり、衆議院第一議員会館に足を運びました。

 北海道とはとりわけ深い関係のある北方領土問題は、サハリン州との関係を含めて、まさに日本の外交力が試されている場と言えます。そして、外交交渉はすなわち国内の政治基盤が大前提ということも明確です。

北方領土問題

北方領土問題

左:荒井總衆議院議員、右:松田昌士JR東日本顧問

左:荒井總衆議院議員、右:松田昌士JR東日本顧問

 松田昌士さんは、鉄道を軸とした永年の経験から、ロシアを知らな過ぎる日本の各セクターの指導者たちについて問題を提起しながら、排除の論理を捨て、交流の中から「超党派で」領土問題を考える視座を提起しました。例えば、ウラル西のヨーロッパロシアと、ウラル東のアジアロシア1200部族からなる多様で広大なロシアであること、アジアロシアは日本への期待が強く、私たちと一緒のプロジェクトに前向きである現実、そんな中で、命がけで解決しようとする人が日本国内に極めて少なく、今まさに政治家の出番である、そう主張されていました。そしてこの問題解決こそが、戦後処理の最終局面ではないか、と。

 荒井總議員は、私の高校の4年先輩です。官僚、外交官、地方自治体幹部の経験から、外交は結局は個人の信頼関係と多様なレベルでのパイプが重要と指摘されていました。考えてみると、これまでの数多くの戦争も、クラウゼヴィッツの戦争論によるまでもなく、外交の行き詰まりの結果と検証される場合が多く、時の政府だけに任せている限り、「国家の面子」みたいな国民の意思とは異なった視点から展開していく危険性があります。

 ビジネスでも全く同様ですが、二国間の交渉事も、結局は信頼できる「誰か」の存在が必要なのだと思いますね。昨今の日本の政治には、そんな「誰か」が見当たらない、排除してしまった、気がします。経済界にも、国の将来を視野に入れた諸外国要人との付き合いをしてきた方々が激減しているのだと思います。今の経団連をはじめ、財界を代表すると言われる方の国際社会の見識の低さには、一経済人として「恥ずかしく」なるばかりです。これが戦後から驚異的復興を実現した日本国を支えてきた経営者たちの行く末か、とですね。

 でも、失望ばかりしてはいられません。現在の在札ロシア総領館のワシリー・サープリン総領事は、数回に渡り現在のロシアの「シベリア開発計画」について言及し、同時に北海道とロシアの長い歴史的つながりについても深い洞察をお持ちでした。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8364

~~~~~~~~~~~~ 私のブログからの引用

 サープリンさんのお話は、17世紀からカムチャツカ・サハリンに交易目的でロシア人は来ていた歴史に始まり、「赤蝦夷」と呼ばれた「赤」は、コサックの赤い服からそう呼ばれたこと、その後しばしばカムチャツカ知事の交易状を携えて北海道に寄港している事実等でした。ラクスマン、ゴローニンも函館を訪問しています。1855年下田条約締結により、長崎・下田・函館にロシア領事館が開設され、函館の初代ロシア領事はゴシュケヴィッチでした(http://orthodox-hakodate.jp/history)。函館港は不凍港として重宝がられ、軍艦・商船が来航して、北海道の国際交流は、ロシアとの歴史が最も古いのでしょう、少なくともアメリカとではないようです。

 それ以来、北海道はロシアの窓口となり、独自の交易を始めていました。今、ロシアは、2008年の経済危機を乗り越え、日本ともっと深く新しい交流の可能性を期待しているようです。LNG等のエネルギー、IT、科学技術、建設技術、農業(特にサハリンで)分野でですね。平和条約は難しくても、「北方四島を特別区で共同開発」といった具体的提案もありました。

~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 私たちは、シベリア再開発の大プロジェクトばかりでなく、冷戦構造崩壊後のロシアについて「思考停止」状態のような気がします。「領土問題」は、シベリアを含めた経済分野での協調の視点から、新しい日露関係構築の先駆けとして、北海道こそ取り組むポジショニングにあると思います。その点が、同じ領土問題として語られる「尖閣諸島」、「竹島」との違いではないでしょうか。

 こんな思いでいたところ、年明けの北海道新聞(1月3日朝刊)で見開きでの記事が掲載されていました。

「動くか領土交渉」?

「動くか領土交渉」?

2014年、よき年に

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 皆さま、新年明けましておめでとうございます!

 札幌は年末からの雪で、私の初仕事は今年も「雪かき」で、北国を満喫しています、この喜び、楽しさを皆さんに的確にお伝えできないのが残念ですが(?!)。時間を掛けての作業は体にもよく、朝6時からの「財団理事長」の冬期の仕事は、地域にも、財団事務局、そして勿論本人にとっても「三方良し!」。これが出来なくなった時には、理事長職辞任の時だと自分で決めています。

 昨年夏過ぎから、この欄にアップしようと準備していたテーマが二つ、「『日米地位協定』について」、「北方領土問題の視点」です。しっかり考えての掲載と思っているうちに、日々の活動で忙しく、結局年を越してしまいました。正月のまとまった休日を使って、早いうちに仕上げたいと思っています、本当に難しい課題ではあります。

 正月早々、毎月の勉強会「サンプロ」のお仲間、瀧元誠樹先生から素晴らしい富士山の写真が添付されてきましたので、皆さんにもご紹介します。

* 瀧元先生:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18511

 「天高く、すそ野は広く」、自分の活動もそうありたいものです、今年も宜しくお願い致します。

サンプロでの勉強仲間、瀧元先生の奥様のご実家から富士山

瀧元先生の奥様のご実家から富士山を望む