インターネット時代、マスメディア以外でもたくさんの情報に接することが出来て、昔と比べてはるかに情報的には質・量ともに豊かになっている気がします。この数か月、目の前のスケジュールに追いかけられて、時として熟考を見失う場合もありましたが、幾つか記憶に残るコメントを書き留めます。
まずは、FBでも「保存」している、むのたけじさんのメッセージ。「人さまに頼むのはやめよう!」は、究極の自立に向けた発言ですね。(https://www.youtube.com/watch?v=UTPtxOu-0XE)
次は北海道新聞に掲載されていた白井聡さんの意見。「もう、騙されないこと」と、現在の政治状況に警鐘を鳴らしています。「戦前の支配勢力は敗戦の責任を問われて退場しなければならなかったが、冷戦構造の中、米国の反共戦略により戦後も権力の座に居座り続けた。それが世代交代して今日まで続いている。安倍晋三首相はその象徴だ」、「異様なる対米従属。天皇の代わりに米国を戴(いただ)いている。米国中心の世界秩序というものが天壌無窮(てんじょうむきゅう)のものとされている」、「現に戦争をしている状態を作れば、憲法改正は現状の追認に過ぎなくなる。まずは後方支援から始めるのではないか。戦死者が出るのを待っているんですよ、彼らは」。沖縄へ連帯のメッセージは力強いですね。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books_visited/2-0031759.html
そして、長渕剛ですね。Web記事からのコピーです。~~~~~~~
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これら奥田氏の活躍に長渕は「よし、っと、久しぶりに拳が上がりました。希望を見ました」と絶賛の言葉を寄せる。それに引き換え、彼が気になったのは若いミュージシャンの日和見な態度だった。何者でもない、普通の大学生があれだけ自分たちの意見を主張しているというのに、率先して言葉を紡ぐべきミュージシャン、表現を生業としている者たちが意見を主張するそぶりすら見せない。
「おかしいです。誰に口止めされているのか? 誰かに操られて音楽を作って、それで楽しいんだろうか。自分の言葉を持ち、そして発言する。音楽家がやるべきことなんてそれしかない。ロックでもパンクでもヒップホップでも、ジャンルはなんだって良い。日頃、社会に対してああだこうだ難癖つけてるくせに、いざとなったら、何にも言えない」
「若いミュージシャンを見ていてもね、「おい、お前は何に寄り添っているんだ? 銭か? ったく、若いのによぉ」、しょっちゅうそう思う。パフォーマンスを見ても、歌を聞いても、「そんなに銭が欲しいなら、もっと勉強して、医者か弁護士になれば?」と思う。表現で飯を食う、なんてね。笑わせるなよ。その前に荒くれろ!」
長渕が若いミュージシャンたちに対してここまで強い言葉を投げかける理由、それは彼の音楽的ルーツにある。長渕は同書に収録されている、写真家・作家の藤原新也との対談でこんな言葉を語っている。 「ギターは攻撃するための武器でした。どちらかと言うと関西フォークの源流やその周辺に傾倒していたんです」 「関西フォーク」とは、ザ・フォーク・クルセダーズ、高石ともや、中川五郎、高田渡、岡林信康といったシンガーを中心に60年代後半から70年代始めに最盛期を迎えたムーブメント。彼らは色恋の歌に終始する売れ線のカレッジフォークとは違い、政治的なメッセージ色の強い楽曲を数多く発表。学生運動華やかりし時代、若者たちのテーマソングとなっていった。
南北に分断された朝鮮半島の悲しみを歌うザ・フォーク・クルセダーズ「イムジン河」、学歴偏重社会をコミカルに皮肉った高石ともや「受験生ブルース」、安保条約や自衛隊を揶揄した高田渡「自衛隊に入ろう」、山谷に住む日雇い労働者の哀愁がテーマの岡林信康「山谷ブルース」……etc、彼らの楽曲は歌詞の過激さから放送禁止楽曲に指定されるものも多かったが、それにも屈しない気骨溢れるアティテュードは多くの人々を魅了する。長渕もまさしく魅了された一人であり、それが前述の「親知らず」「静かなるアフガン」といった楽曲につながっていく。・・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~ コピー 終了
* 「イムジン河」 https://www.youtube.com/watch?v=1-eJDL3zLCQ
* 「受験生ブルース」 https://www.youtube.com/watch?v=cCxIuxGdi24
* 「自衛隊に入ろう」 https://www.youtube.com/watch?v=QfffBvRhlNA
* 「山谷ブルース」 https://www.youtube.com/watch?v=yuPyhdzyGlI
岡林信康は今も元気に歌っていますね(https://www.youtube.com/watch?v=gx9PiBYRQ2M)。数年前にライブを聞きに行きました。
私は長渕剛とはほぼ同世代、出てくる歌・歌手たちも懐かしく、首都圏での学生時代を想い出します。そして、沖縄の米軍基地反対闘争と機動隊を見ていると、当時の三里塚空港反対闘争とダブります。今、国際空港はやっぱり羽田空港だよね、みたいな論調を目にすると、一体あそこまで反対を圧殺して新空港建設にこだわる大義は何だったのかと、ただの権力の誇示と膨大な予算消化の利権だったのではないかと、思わざるを得ません。
今、時代を構図で見つめる、過去の歴史に学ぶ、そんな古典的な条理が手元に温める情報から読み取ることができるような気がしている私の師走です。