年度末、それぞれ

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  今年の冬は雪が少ないのかと思っていましたが、3月に入ってからの小刻みの降雪でまだまだ春は遠いようです。JR車窓から滝川郊外をみても、一面銀世界でした。

滝川郊外ではまだ一面の雪

滝川郊外ではまだ一面の雪

  高校の後輩でもある旭川の「もりねっと北海道:http://www.morinet-h.org/」代表・陣内雄(じんのうち ゆう)さんの活動拠点を訪問しました。JR旭川駅から車で30分、森の中にご自分の設計・施工の一軒家は、外の自然と一体化した素晴らしい自宅兼事務所でした。

旭川郊外の森の中の手造り一軒家

旭川郊外の森の中の手造り一軒家

 

 一方、東京・六本木は、まだまだ冷たい風ではありましたが日差しはすでに柔らかく、ミッドタウンhttp://www.tokyo-midtown.com/jp/index.htmlの広場には巨大なイチゴショートケーキ(?)の出現に、記念撮影の人で賑わっていました。http://www.tokyo-midtown.com/jp/event/feature2010/blossom2010/art/index02.html

六本木ミッドタウンの巨大ショートケーキ?

六本木ミッドタウンの巨大ショートケーキ?

  3月の東京というと、今からもう50年以上も前になりますか、昭和30年代後半(1950年代)の新鮮な記憶があります。東京・世田谷の親戚を訪問した時のことです。まずは沈丁花の香り、これは今も東京の匂いとして出張していても懐かしく感じます。次は幼い自分にはびっくりする程大きな、今でいう「フランクフルトソーセージ」。缶詰か何かでしか見たことがなかったソーセージの巨大さに驚いたのも忘れられません。次は「生クリーム」でしょうか。牛乳瓶みたいな入れ物に入った白い液体をボウルに移して、泡だて器で混ぜていると段々クリーム状になってくる、そのプロセスに見とれていました。更に洋式便器ですね。初めての時はトイレに入ってタンクの方を向いてそのまま座って事を済ませましたが、何と使いにくいと思っていましたら、後日外国映画か写真で後ろ向きに座っている場面を見て、ひょっとしたら後ろ向きに座るのかと初めて気がつきました。親戚のずっと年上の礼子さんの優しい笑顔とともに、懐かしく想い出します。当時から、東京のマチの舗装道路の多さも印象的でした。当時の札幌では見たこともないものばかり、東京は私にとっては「無いものがある所」でしたね。

 更に3月の飛行機内では、私の気に入り「チャンネル9」で懐かしい曲が幾つか、西田佐知子(http://www.youtube.com/watch?v=0yNEZ15n1MQ&feature=related、これはおまけですが  http://www.youtube.com/watch#!v=msSznHB4OyY&feature=related)、そして中尾ミエ(http://www.youtube.com/watch?v=8RTfjN6WcUM)です。

 私の周りでは、新年度から新しい会社・赴任地・部署となる方も多く、それぞれ皆さんのご活躍を期待しています。

宮の森あったかコンサート、第4弾

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  札幌市中央区の「宮の森の環境を守る会:http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/report/rep_hokkaido32/3-1/3-1-jro_3151102/index.htm」が主催する「宮の森あったかコンサート、第4弾!」が、宮の森明和会館で開催され、地元町内会の皆さまはじめ大勢の方々にお集まり頂き大盛況でした。

 このシリーズ、第一回目は「奈良祐之:ならゆうじ(http://www.narayuji.com/)さん」、二回目は「白田路明:しらたみちあき(http://con-sent.net/peace/shirata_michiaki/)さん」、三回目は「瀬戸田アキ(http://ameblo.jp/natural-notes)さんとそのグループ」で、今回は「嵯峨治彦さんののど歌と馬頭琴のハーモニー」です。

チラシより

チラシより

  嵯峨治彦さん(http://tarbagan.net/saga/home.html)は、「のどうたの会:http://tarbagan.net/nodo/throat-homeJ.html」の中心メンバーで、今月は中東・アフリカのライブも大成功で世界で活躍中です。昨日も、数種類の馬頭琴の音色と歴史的背景、中東・アフリカでのライブのこぼれ話、のど歌の数々、本当に生演奏の素晴らしさを感じました。モンゴルの平原を吹き抜ける風にのって、人間の体にも優しく通り抜けていくような自然さが不思議でした。

70人の聴衆を魅了

70人の聴衆を魅了

 同じ町内の方々と準備から後片付けまで、嵯峨さんのリハーサルをバックに心地よいひと時でしたね。始まる前に何となく客席を見渡してみると、この方もいらっしゃっていました。北海道・大空町を拠点にテレビ・ラジオで大活躍の神田山陽(http://www.kandasanyou.net/)さんです。何故ここにいらっしゃるか、それは別の機会に・・・・。

ジッと聴き入っていました

ジッと聴き入っていました

  モンゴルの世界史的存在感は、日本ではかなり軽視されているような気がします。「元寇」としてごく断片的にしか日本の歴史では語られていませんが、ヨーロッパの国々でお会いする方からは、よく「アジア」の記憶として「モンゴル帝国」が話題に出てきますhttp://www.vivonet.co.jp/rekisi/b07_mongol/mongol.html。21世紀に生きる我々としては、「ユーラシア」を語る時に、再度この「モンゴル」を掘り起こすことも大切な気がします。朝青龍のバッシングばかりではなくですね。

 いすれにせよ、素晴らしい音色と歌でした。

愛生舘の「こころ」 (10)

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 STVラジオ・毎週日曜日午後5時からの番組「ほっかいどう百年物語」で、2008年10月19日、私の曽祖父「初代秋山康之進」が取り上げられ、今回、中西出版から「第十集」として出版されました。東京・神田岩本町に本部を置き、全国展開した「愛生舘」事業の理念に基づき、北海道支部長として北海道開拓に携わる人々の後方支援としての「健康」に貢献しました。支部を開設して2年後に館主・高松保郎が亡くなり、その後も「愛生舘」の商号を堅持して、「明治」「大正」「昭和」「平成」の時代に活動を続けたのは全国で北海道の地だけでした。

第十集・表紙:右上肖像が初代康之進

第十集・表紙:右上肖像が初代康之進ラジオ番組でも放送されました

 医薬品と衛生書の普及に尽力した様子をリアルに再現したラジオでしたが、本になるとまた別の記録として貴重ですね。取り上げて頂いた関係者の皆さまに感謝致します。

 一方、先日は、青山学院大学名誉教授・片桐一男先生とお会いして、今年9月8日の秋山財団講演会に向けた打ち合わせをして、演題は「松本良順と愛生舘」と決まりました。これまでのこのシリーズで掲載しましたが、民間の健康予防・増進活動の先駆者だった松本良順が、「愛生舘」事業を興した時代背景等について、更に医療・健康分野における近代化の始まりといったテーマにも言及して頂けると期待しています。秋山財団創立25周年記念講演に相応しい、原点を見つめ直す内容となるでしょう。

 幕末から明治の蘭学等を幅広く研究されている片桐一男先生は、北海道とロシアの関係性にも注目をしているとのお話をお聞きしました。ラックスマン――レザノフ――プチャーチンの流れ、当時の日本にとって「北方」からの脅威は、ペリー来航以前から日本への歴史的圧力だったとのご認識でした。

 それにしても古文書を読み解く研究は、大変な忍耐と好奇心がないと難しいですね。達筆な文章を前後関係及び時代背景からその意図を読み取り、時には誤字・脱字からもその人となりを推測する想像力も必要のようです。先日の東京・吉祥寺での幕末史研究会、「勝海舟から龍馬へ:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3148」でも感銘を受けました。

アフリカの余韻に身を任せ・・・

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忘れられない笑顔

忘れられない笑顔

 わずか2週間程前のアフリカ行きが、何かもう随分前のような気もします。帰国後ゆっくり振り返りを、と思っていましたが、現実の厳しさがそれを許してくれません。葬儀、溜まった仕事の整理、課題への急ぐ対応等、首都圏へも行ったりきたりの毎日です。3月中は、まだまとめ切れていない思い出と手元にある写真を見ながら、その余韻に浸りたい気持ですね。

 書き留め忘れていた幾つかのことです。

1) 南アフリカと言えば、私は世界初の心臓移植手術を最初に思い出します。1967年12月3日、ケープタウンで クリスチャン・バーナード教授によって行われましたが、今回ケープタウン訪問の際に、ガイドさんがその病院を教えてくれました。日本では札幌医科大学で和田寿郎教授の執刀が最初でしたが、その後大きな議論となりました。次に浮かぶのはネルソン・マンデラ氏の名前です。ついこの間、この欄で「Invictus:インビクタスhttp://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3298」として紹介しました。30年近くの牢獄生活の後、大統領に就任し、5年間執務した建物もテーブルマウンテンから見ました。

2) 「ウォッシュレットは日本人を弱くした?」: 数年前のトヨタ財団の贈呈式で、「おむつなし育児」プロジェクト(http://www.toyotafound.or.jp/00topics/topics02/2009-0826-1552-1.html)代表の津田塾大学国際関係学部・三砂ちづる教授のお言葉、「最近の若者は、ウォシュレットで促されて便意をもよおすそうだ。そんなひ弱な若者ばかりで日本の将来は大丈夫?」と。一方旅行会社のある方が、「最近旅行プランの中、宿泊ホテルのリクエストで、ウォッシュレット設備をあげる日本の若者がかなり多い」、とおっしゃっていました。生まれたときからそういった環境で育った人間は、恐らく出口の粘膜がかなり弱くなっているのでは?との意見に、今回の旅行を通じて説得力を感じましたが・・・・。昔、トイレ、というよりは厠(かわや)・便所の方が雰囲気が出ていますが、寒い空間で、そこに置いてあった厚めの紙を手でもんで使っていた時代が長く続いていました。

3) 世代の着眼点の違いが新鮮: 飛行機に乗り込む時、空港搭乗口を通過してすぐに私たちのグループの若者が、「今の係の女性は魅力的!」と言うではありませんか。私などは搭乗券の半券ばかりを眺めて通過しているのに、やはり若者は女性に視線を集中するあたり、「着眼点の違い?」をあらためて感じましたね、自分もいつの間にか年を取ったとのか、とも。同様に、情報に対しての感度も勉強になりました。Twitterを使っての「ささやき方」、とても私には真似が出来ません。今回一緒の一人が、往路のキャセイ・パシフィック航空チェックインカウンターで長く待たされている時のクレームのささやきに対して、即座に会社からお詫びのメッセージがTwitterを通してアップされていたとか。企業の顧客への対応が、ここまで来ている「今」の時代をリアルに感じました。しばらく私は「無口なおじさん」でいくしかないですね、とてもこのテンポについていけません。

4) フィールドを持っていることの価値: 同じ現場に立ち会っていても、普段のフィールドが違うとそこから読み取るメッセージも多様で、面白いですね。一人だとただの待ち時間になるようなひと時、空港内チェックイン・カウンター、搭乗待合室、食事中、全ての時間での意見交換が一つの現場を数倍の価値として自分には感じられました。今回は「アース・カフェ」仲間という軸で繋がり、多様なフィールドで活動する皆さんとご一緒で、本当に貴重な体験となり感謝です。

5) ガイドの言葉・眼差し: ケープタウンでのガイドはアラブ系の地元生まれの男性でしたが、「アパルトヘイト」を語る眼差しが真剣でした。彼らは白人とは差別された「カラード」として、マチの中では住む場所が強制的に分けられ、場所によってはつい最近まで鉄条網で囲われていた所も車窓から見ましたし、運転手等の日給も未だに大きく違うようです。

6) 「MAIZE:メイズ」: イギリスではトウモロコシを 「maize 」と呼び、穀物全般を指して「 corn」 と言うようです。マラウィ―はイギリスの植民地だったので、現地では「メイズ」でした。長く英語を勉強していながら、初めて聞くことも多いです。

7) 香港からヨハネスバーグの13時間の飛行中、赤道付近のかなりの揺れ: ジャンボジェットの後部座席だったからかもしれませんが、長時間の巡航中、揺れっ放しでした。特に赤道付近と思われる時間帯は、ストーンと落ちるような揺れこそありませんでしたが、通常のヨーロッパ線のロシア上空、アメリカ線の太平洋上空では経験の無い、上下左右の連続的「揺れ」でした。気流の状態が違うのでしょうか。私の国際線での最も大きな揺れは、忘れもしません25年くらい前の冬、アメリカ・シアトル行きのノースウエスト機でした。発達した低気圧の中を通過中に、ゴーゴーと大きな音を立てて機体が上下左右に揺れ、ある瞬間ストーンと落ちました。手にしていたコップのビールが上に飛び出して、隣の女性のスカートにかかったではありませんか。離陸して間もなくで、その後も全身冷や汗でびっしょりだったことを今でも忘れません。「恐怖」というよりも、「非日常」体験後の風呂上がり状態といいましょうか、不思議な感動(?)を覚えました。

8) 復路の香港国際空港で、中国語のニュースを見ていて驚きました。今年の第82回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を「ザ・コーヴ:http://thecove-2010.com/」が受賞したそうです。ニュースでは日本の青い海が、イルカの真っ赤な血で染まっていく場面が繰り返し放映されていました。実はその時は何の話か分からなかったのですが、日本に帰ってきてオスカーのことだと知ったのです。日本の地元は、世界にきっちり発信しているのでしょうかね。

 

プランタイア空港に来ていた見学の子供たち

プランタイア空港に来ていた見学の子供たち

帯広畜産大学の現地実験農場

帯広畜産大学の現地実験農場

スコールですぐに道が川に

スコールですぐに道が川に

 肝心の農業技術支援については、帯広畜産大学の先生達も戻られたでしょうし、今後も引き続き意見交換をしようと思っています。私たちはマラウィ―から何を学ぶべきか、どういう活動をこの北海道ですることが支援に繋がるのか等を含めてですね。まだまだ尽きないアフリカ体験ですが、取り敢えずこの辺でアップに致します。

「月光」、そして「孔雀の舞い」

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  中国雲南省のヤン・リーピンが総合演出した「シャングリラ」を、澁谷の東急Bunkamura・オーチャードホールで観てきました。

http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/10_liping/index.html

 澁谷は相変わらずの大変な人、人、・・・そして人。

ロビー・ポスター

ロビー・ポスター

 中国の国民的スター、ヤン・リーピンの踊りは現在、地元中国でも滅多に見ることはできない稀少なもののようです。そんな彼女が日本公演では全ステージに出演すると意気込みをみせています。まさに幻のステージがこの日本で実現するというのですから大変です。

 先日も勿論、素晴らしいパフォーマンス・「進化的再演」でした。前半の「月光」、そしてエピローグの「孔雀の舞い」は、何とも表現する言葉もない程繊細な、指先からつま先の動き、上半身の柔らかい筋肉の動き等から発せられる強いメッセージ、ただただ感動しました。

 少数民族の色々な踊りも興味深かったです、出演の皆さんは現地で実際に踊っている地元住民だそうです。ホール全体に響く太鼓の音、太陽と月、母系社会の表現、そして8メートルもある「竹笛」もすごかったですね。一本の長い竹、枝も葉もついた竹を男と女が支えながら、横笛とたて笛として一緒に別の場所を吹くのですよ。場面場面の道具が予想を数倍超える「大きさ」ですね、これが中国サイズでしょうか。音・照明の色も数倍「強烈?」、それゆえにヤン・リーピンの体による一層の繊細さが表現されていました。

 直接は何の関係もないのですが、私は以前テレビで見た草刈民代さんのドキュメンタリー番組を思い出しました。あの番組でも超スローモーションカメラでの彼女の舞いに驚きました、微妙な筋肉の動きを捉えていました。踊りから舞台俳優に転身した彼女のインタビューも最近見つけましたhttp://doraku.asahi.com/hito/interview/index.html?bnum=138。札幌オリンピックのジャネット・リンが彼女のバレエ人生のきっかけとなったようです。

学生教育ツール、「パンデミックドリル」

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 秋山財団の評議員には、様々な分野で活躍する方に就任して頂いています。秋山健一氏は、東北大学医学部を卒業後、呼吸器内科の臨床医を経て、現在日本医科大学で教えていますが、医療経済・病院管理等で著書もありhttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAU10346/、つい最近は、「パンデミックドリル」で注目を集めています。

 パンデミックドリルとは,米国ピッツバーグ大学メディカルセンターで4年前から実施されている新型インフルエンザ対策演習のことです。パンデミック下では,多数の患者さんが病院に押し寄せるだけでなく,医療従事者自身が患者になることも想定されます。そのため,学生のうちから危機発生時の対処法を理解させることが目的となっています。

http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02866_05

 日本ではこういった現場で即役に立つ実践的教育・実習が不足しているのではないでしょうか。政策として「水際だ」とか、「基準がどう」とか、「危機管理」と同時に、「クライシス管理」の重要性ももっと議論されてしかるべきだと思います。メディアも大騒ぎかと思うとのど元過ぎればすぐに別の話題と移ろい易く、底の浅いメッセージしか提供出来ていませんね。

 冷静なこの「パンでミックドリル」のような実習を経て、現場で活躍する医師を育てて頂きたいものです。

「密約」調査発表に思う

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  今年1年、他の3名の方々と「北海道新聞・新聞評」をするように言われました。4名でそれぞれ一カ月を受け持ち、年3回紙面上に「新聞評」が掲載されます。今年の初回は私の担当で、2月に掲載されましたが、その末尾に以下のように書きました。

・・・未来は予測するものではなく創り出すものであり、激変期にありながら「従来型」の視座に固執では感動はない。特に「東アジア共同体」構想の国際社会での意味、4つの密約等について、編集には座標軸と原点を示す「覚悟」と「勇気」を期待したい。・・・・ 

  先日、以前から約束されていた外務省の有識者報告書が発表されました。昨年9月の外務省内部調査報告書、及び今回の報告は次のとおりとなっています。http://www.nikkei.co.jp/topic/100309_a.html

新聞各紙1面トップで

新聞各紙1面トップで

 大きく分けると「核持ち込み」と「お金の動き」に関する密約だと思います。新聞は10日の報道で大きく取り上げる以外は、この件の認識を敢えて過小評価しようとしているのか、或いは余りに重大な事実の判明に苦慮して扱いに時間が必要なのか、連なる報道が続いているとは思いません。

 メディアはどうあれ、戦後を生きてきた私を含む世代としては、今回の件は決して見逃すことが出来ない事実であり、一国民として歴史の転換点との認識から、新しい日米関係(決して反米・嫌米になるという意味ではなく)構築に向けた議論をしっかり始めること、そして日本国においてある時間を置いて外交情報等を公開する義務を課する、言い換えるとその間は機密を義務付ける「機密保護法」の早急な制定を感じます。

 残念がら昨年お亡くなりになりました江畑謙介さん著「情報と国家http://d.hatena.ne.jp/kurohige-ossadot/20090709/1247129572」に、「機密保護法」の必要性が提起されています。235・236ページに明確に記載されている通りだと思います。当事者に情報の秘密指定の選択をさせてはならなく、まずは「公開ありき」の原則を貫くべきでしょう。その中で、誰にどこまで公開してよいかが規定されるので、それに準拠される限り情報を公開した者の責任は問われない、そんな概念です。今の日本では、先進国の中では特異的にこの種の法律が存在しなく、幾つかの職種にのみ立場上知り得た機密保持が義務付けられているので、どうしても自分の責任が問われないようにと、まずは「秘密ありき」となってしまうのでしょう。情報の機密・公開を、個人の職種・判断に任せては同じことが何回も起きてしまいます。そうさせない制度・法律等の「装置」が必要だと思います。

もうお一人、「世界平和アピール七人委員会」の委員、池田香代子さんのブログ(http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51362122.html)では、市民の意識改革として新鮮な視点からの提言です。一昨年札幌にいらっしゃった時にしばしお話を致しましたが、彼女の無理のない眼差しは、札幌西高生、翌日の市民400名参加のパネルディスカッションでも新鮮でした。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=88

 歴史の転換点を見逃さない、大事なポイントで思考停止にならない、新しい政権で是非新しい歴史の方向性を示すべく、一市民からも声を出し続けたいと思いますね。

栃木県益子では・・・

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 私が常務理事を務めるタオ財団(http://wagnernandor.com/indexj.htm)の定例理事会・評議員会が、ギャラリーのある栃木県益子町で開催されました。この欄でも何回かご紹介したワグナー・ナンドール(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=67)の作品を保全・公開を主活動とした財団です。今、「公益財団法人」格取得に向けて準備を進めています。

共販センター横の小道を上っていくと玄関です

共販センター横の小道を上っていくと玄関です

 

庭に展示される作品の数々

庭に展示される作品の数々

  益子焼の共販センター(http://www.mashikoyakikyouhan.jp/)入口です。

タヌキです

特大のタヌキ

 一方JR宇都宮駅前には「餃子像」他の石像も設置されています。

ガマと餃子像

ガマと餃子像

今西祐一さん、逝く

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  まさに突然の訃報でした。9日にケープタウン・ヨハネスバーグ・香港と飛行機を乗り継いで香港空港に到着して、空港搭乗口ロビーでパソコンメールを確認したら、(株)スズケン執行役員・愛生舘営業部長の今西祐一さんが急逝されたとの報でした。札幌で昨日お通夜、本日告別式があり、私は弔辞を述べさせて頂きました。

花で飾られた美しい祭壇でした

花で飾られた美しい祭壇でした

 

「弔辞

  株式会社スズケン執行役員・愛生舘営業部長今西祐一さまのご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

昨年末、愛生舘営業部の方から今西さんがご入院中とお聞きしており、新しい年にはご回復して少しでも早い現場復帰をと、お祈り申し上げていました。三日前の朝、私はアフリカからの帰国途中、香港国際空港でメールを確認して今西さんの突然のご逝去を知り、しばし呆然としてその場に座り込みました。

平成十七年七月に愛生舘営業部長として着任してすぐに、大変明るいご性格でリーダーとしての風格を漂わせながら、早々に秋山財団にご挨拶にお越し頂いた時のことは忘れることができません。まだ着任間もないにもかかわらず、「北の大地・北海道」をこよなく愛するお言葉の数々に、私自身この地域のスズケンの営業活動に一層の期待を寄せた次第です。以来、秋山財団の活動にも大変深いご理解をお示し頂き、昨年九月の講演会・贈呈式開催に際しても、道内の支店長全員のご出席を促して、お陰さまで成功裡に終了することが出来ました。

また平成十八年一月の私の父の葬儀では、ご多忙の中、株式会社スズケン及び関係グループの社員を代表して弔辞を読んで頂き、大変感銘を受けました。心から感謝申し上げます。

それ程回数は多くはありませんでしたが、故郷土佐のお話も伺った気がします。昨年五月、私も所属する北海道経済同友会がホスト役で、年一回の全国会議が札幌で開催され、約九〇〇名の方々が参加されました。その少し前に今西さんにお会いした時、「来年は土佐経済同友会がホストで四月に開催予定です」とお話を致しました。その会議もいよいよ来月に迫り、私は近いうちに土佐のお話をあらかじめ詳しくお伺いしようと思っていた矢先のご逝去でした。四月に訪問する時は、今西さんの育った土佐の地を、一層の思いを込めて肌で感じて参ります。

北海道で活動する愛生舘営業部の社員を、ある時は深い愛情をもって励まし、ある時は厳しいリーダーとして指導されていた今西さん、あなたの部下たちは、その志をしっかり個々で受け止めて、これからの社業に貢献すべく努力してくれることを私は確信しています。

 一昨日ご自宅に参りました時、奥様・お子様からご家庭での今西さんが、会社と同じご様子であったと伺い、あらためて生前のお姿を思い出して胸が詰まる思いでした。残されたご家族に対して、これまで今西さんにお世話になった愛生舘営業部で働く人々、そして秋山財団関係者は、少しでもそのご恩に報いるためにもお力になることをお誓い申し上げます。

 今西祐一さまの生前のご尽力に対し、深く感謝の念をささげてご冥福をお祈り申し上げます。

 どうか安らかにお眠り下さい。

 

 

平成二十二年三月十二日

 公益財団法人

秋山記念生命科学振興財団

理事長 秋山孝二     」

 

今西祐一さんのご冥福をお祈りすると同時に、残されたご家族のご健勝を祈念致します。

 

 

旅を終えて、思うこと

Posted by 秋山孝二
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 ケープタウンから20時間以上飛行機を乗り継いで、昨晩遅く札幌の自宅に戻りました。今回のこの旅行では、帯広畜産大学マラウィ・プロジェクトチーム、小疇(こあぜ)浩先生、手塚雅文先生、河合正人先生、谷昌幸先生、現地コーディネーターの大山美砂子先生、教育研究部の牧孝幸さん、高橋真紀さんとお二人の学生さん、JICAマラウィ事務所の齊藤大輔さんには大変お世話になりました。

 そして同行ツアーのアースカフェ・チームとして旅行に参加した、(株)リープスの鈴木善人社長http://www.leaps.jp/、オグデザインオフィスの小椋代表http://tetsuya4444.com/(株)バイオマスソリューションの藤本達也社長http://twitter.com/tatsuya_fmにも多くのことを教えていただき、心から感謝致します。 

左から鈴木さん、小椋さん、私、藤本さん

ケープポイント近くで、左から鈴木さん、小椋さん、私、藤本さん

  良き仲間に恵まれたというか、各人のブログを見ても分かる通り、みなそれぞれ独自の立場から今回のアフリカをコメントしていて、自分にとっても大変勉強になりました。プランタイヤ最後の夕食で、18人の中で私が最年長参加者だと初めて知った時は、少々衝撃でしたね。10数年前まではどこの集まりでも「最年少」参加者だったのにーー。役回りで参加したのではなく、それぞれご自分のフィールドでの課題と興味をお持ちだったので、食事の時、待合時間での意見交換が本当に面白かったです、すべて出来ない理由の言い合いではなく前向きの話でした。

 ほんの一例としては、「出口(EXIT)戦略の重要性」。これは経営の話ではなく、食べ物の話であることを身をもって体験した方がいます。要するに口にした時に辛いとか辛くないばかりではなく、それ以上に出るときに刺激が自らの体が受け止られる範囲かどうかを予め考えることが大切という意味です(文字にすると大変難しく感じられますが・・・)。

 これからのそれぞれの活動に実に沢山のヒントを得ました。これまで「アースカフェ:http://www.akiyama-foundation.org/network/tema04.html」で、活動を積み重ねてきたその中から、いよいよネットワーク形成へのステージへと進化・発展する気配です。要するに結論を言えば、あらゆる活動は「担い手の育成」につきるのです。 

 もう一つだけ旅行中に感じたことを書き留めておきます、日本という国の「地盤沈下」。

 私が1971年に北アメリカ大陸を一人旅をしていた当時、日本は「エコノミックアニマル」と揶揄されて、ラジオ・カメラ等優れた商品を世界で販売しているけれど、まだまだ国際社会では2流扱いでした。それが80年代にエズラ・ヴォーゲル先生の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が世に出されてから一躍世界舞台にのし上がり、GDP世界2位として自他ともに上りつめていきました。

 今回札幌からマラウィまでの道のり、新千歳・羽田・成田・香港・ヨハネスバーグ・マラウィ(プランタイル)・ケープタウンの各空港の機能・設備を体感しても、日本国内の顧客不在は余りにも明らかでした。そして活動の担い手としても圧倒的中国人(中国語圏の人々)、英語圏としてのインド人等、アジアの中の日本人の存在の薄さを痛感します。そんな思いの私にとっては、やっと辿り着いた喜望峰に建つ「各都市への距離表示」はダメ押しでしたね。日本の都市が一つも入っていませんでした。「いや、地盤沈下ではなくもともとなかったのではないか」との指摘もあるかもしれませんが、そうだとしても日本の存在感の無さは否めません。

各都市までの距離表示

各都市までの距離表示

 最近、企業でも大学でも、海外で活躍したいという人材が減ってきていると聞いています。商社等でも今の若い世代は外国に行きたがらないというではありませんか。これから人口が減っていく日本社会、何とかこの辺で存在感の向上を、軍事力ではない国際貢献・安全保障として、食・農分野、環境分野で果たすことこそ「成長戦略」だと信じて疑いません。

ケープタウン、想像を超える迫力!

Posted by 秋山孝二
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  ケープタウンで、朝から一生懸命に観光をしました。最高気温は33度を超える暑さでした。

テーブルロックの最先端です

テーブルマウンテンの最先端です

Simon's Townのアフリカペンギン

Simon's Townのアフリカペンギンです

半島最先端を背に、右にインド洋・左に大西洋

半島最先端を背に、右にインド洋・左に大西洋

アフリカ大陸・最西南端

アフリカ大陸・最西南端

テーブルマウンテン最後尾から

テーブルマウンテン最後尾・北方面を望む

最も古いワインセラー玄関

最も古いワインセラー玄関

ウォーターフロントに賑わい

ウォーターフロントの賑わい

 とにかく大変な観光地です。半島と言っても大変奥深く、歴史上の人物に対するコメントもあります。

マラウィ編(6)、支援活動に感動!

Posted by 秋山孝二
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 マラウィでの帯広畜産大学チームの技術支援活動(http://www.obihiro.ac.jp/project/intcollabo/index.html)とほんのひと時同行して、大変密度の濃いメッセージの数々を受け取りました。昨日午後プランタイヤ空港から週2回の便で南アフリカ・ヨハネスバーグを経由して、夜ケープタウンに到着しました。それぞれ2時間程度のフライトです。

 現場感覚と言えば、高さと関係する気温・湿度とは別に、赤道に近いことを痛感するのは太陽の角度でしょうか。

ほぼ真上からの昼時の太陽

ほぼ真上からの昼時の太陽

 

 空港では限られた本数の飛行機便を見学に、多くの地元の人たちが時間前から空港バルコニーにやってきています。これも懐かしいですね、幼い時、千歳空港で当時のアメリカ軍千歳基地(クマベース)MPの門番からパスを貰って空港ビルに行ったこと、少し時代が過ぎて羽田空港でDC8機を初めて見た感動等、飛行機・飛行場の思い出も尽きないです。着陸する飛行機から降りて来る人たちへの興味、離陸する飛行機に子供心に託す「夢」に似た高揚感、昨日空港に来ていた子供たちも、私と同じような思いだったのかも知れません。

2階バルコニーで、この後更にたくさんの地元の人であふれました

2階バルコニーで、この後更にたくさんの地元の人であふれました

 

 日本の大学の国際貢献の現場を、今回つぶさに自分の目で見ることが出来ました。気負うことなく、しかしながら本当に感動する先生・学生達の情熱に、地元の人たち、地域に向ける眼差しの重要性を感じました。今の日本から見ると毎日の通勤等、生活を始め何かとご苦労も多い中、しっかり地域に根差した継続的活動をされている今回の帯広畜産大学の皆さんのご活躍を祈念しています。北海道で再会して、もっともっとお話を伺い、何か地に着いたプロジェクトを起こしていきたいですね。

 この度は大変お世話になりました、心から感謝致します。

マラウィ編(5)、現場の説得力

Posted by 秋山孝二
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 とにかく沢山のメッセージが詰まっていて、時間限定のインターネット環境ではなかなか表現しきれません。またまた、同行しているセミプロカメラマン・Oさんのブログhttp://tetsuya4444.com/で詳細報告されていますので、そちらにもアクセスしてみてください。

丈の高さだけではない、幹の太さ等も大切です

丈の高さだけではない、幹の太さ等も大切です:適量な肥料の重要性

村人の新しい試みを支援

村人の新しい試みを支援

プランタイル北東の山から:眺望

プランタイル北東の山から:眺望

プランタイルから北200キロ・世界遺産マラウィ湖畔

プランタイルから北200キロ・世界遺産マラウィ湖畔

 

 子供たちの写真、あの写真の見出しはどうにでもつけられるのだと思いますね。「貧しさに苦しむ(?)裸足の子供たち」、「今日の食物に追われる生活(?)」、「スコールの中でも外で(?)」etc・・・・。でも、現場から確かに発信されるメッセージは、そんなネガティブなものではありません。あの明るい表情、目の力、家族単位と思われる確かな絆、地域に生きる人々の「確かな暮らし」を感じます。何なのでしょうか、この力強さと明るさは。あの目線でじっと見つめられると思わず目をそらす自分に気がつきます。

 マラウィ湖までの約200キロの道中、上り坂・下り坂を大きな荷物を運ぶ人々、自転車で行きかう人々、どの位歩いてこれから先更にどの位歩き続けるのか、車窓から見る私には気の遠くなるような暮らしぶりですが、道路沿いの露天市場も確かに聞こえる息遣いは、私自身を圧倒します。

 しばらく自分自身の内圧を高めてみたいと思います、今日午後マラウィ・プランタイルを発ち、南ア・ヨハネスバーグ経由でケープタウンに向かいます。インターネット環境の改善を願いながら・・・・。

マラウィ編(4)、現場の説得力

Posted by 秋山孝二
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トウモロコシ実験農場で

トウモロコシ(メイズ)実験農場で

村の子供たち

村の子供たち

 

どんどんやってくる子供たち

どんどんやってくる子供たち

強い目線の力

強い目線の力

遠くに望むアフリカ最高峰の山並み

遠くに望むアフリカ最高峰の山並み

マラウィ編(3)、現場の説得力

Posted by 秋山孝二
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 昨日は、帯広畜産大学の技術支援チームと同行しました。政府の農業政策機構の現地出先機関幹部への表敬訪問、農業技術試験場、現地の村、地元市場等、現場中心に大変密度の濃い一日を過ごしました。スコールもやってきて、滝のような雨も目の当たりにしました。写真ばかりとなりますが、最も説得力がありますので掲載します。

農業政策当局幹部・表敬訪問

農業政策当局幹部・表敬訪問

農業技術試験場・正面玄関

農業技術試験場・正面玄関

激しいスコール

激しいスコール

マラウィ編(2)、インターネット環境他

Posted by 秋山孝二
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 ここまでは順調に来ていて、メール環境も何とか確保出来ています。ただ私自身のeーメールは受信は全て読めていますが、発信メールが全てエラーとなっていて、現在フン詰まり状態です。頂いたメールへの返信は数日滞るかもしれませんが、宜しくお願いします。

 Oさんのブログhttp://tetsuya4444.com/で紹介があるように、まずはプランタイルでの初日を市内のごく限られた地域を徘徊(?)して見ました。空港も高地で、車で30分くらいの町中もそれほどの高低差がないので、あらかじめ聞かなければ「高地」の認識もありません。今日・明日は低い土地へも行くようですから、また違った印象かもしれませんね。

 昨日はマラウィの祭日でした。それにしても休日に出ているマチに居る沢山の人々の風景が、何となく懐かしいです。昭和30年代前半みたいな雰囲気をかもしだしているので不思議です。たむろする子供を含めた若い連中、道路の両脇をとにかく歩いている沢山の人の姿がそんな風情を感じさせるのかも知れません。マチだからでしょうか、身につけている服装が小奇麗で清潔そう、色も大胆でオシャレです。郊外に行くとかなり違う様子とも昨晩聞きました。地元スーパーにも、基本的食料は十分ありますし、贅沢な感じではありませんが暮らしには困っている様子ではありません。ただ、まだまだ初日の極めて限られた印象ではあります。

 今日はどんな光景に出会えるのか、ワクワク感は素晴らしいです。

マラウィ編(1)、無事着きました!

Posted by 秋山孝二
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 今日午後に、札幌から21時間以上飛行機に乗って、無事アフリカ・マラウィのプランタイヤに到着しました。南緯15度くらいででょうか、ただ1200メートルの高地なので、思ったより気温は高くありませんね。

 市内中心部は大変整然とした街並みです。

日本のODAで出来た道

日本のODAで出来た道

 今回一緒のメンバーにセミプロの写真家がいますので、映像はそちらのブログにお任せ致します。早速、香港の待合時間の様子もアップしています。http://tetsuya4444.com/

 取り急ぎメール環境は何とか確保出来そうです。

今から、アフリカ・マラウィへ

Posted by 秋山孝二
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 今日から9日まで、アフリカ・マラウィ共和国http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malawi/index.htmlへ行きます。私にとって初めてのアフリカですが、日本から香港・南アフリカのヨハネスバーグ経由でマラウィへ、空港から目的地には車で数時間の移動になるようです。マラウィは今、雨期で、今週の天気予報も全て雨マークです。

上部・中央・湖左岸

上部・中央・湖左岸

 

北部・プランタイル

南部・プランタイル

 帯広畜産大学のチームで、JICAプログラムhttp://www.jica.go.jp/malawi/の一環での農業技術支援に一部同行です。移動に4日間かかりますが、一応パソコンも持参するので、インターネット環境が良好であれば現地からの報告もできるかもしれません。或いは、しばしお休みの可能性もあります。