たくさんのことがあった2017年もあと一日、今年は本当に多くの皆さまにお世話になりました、心から御礼申し上げます。手元にファイルしながらアップできなかった写真をいくつかご紹介して、年末のご挨拶と致します。
そして最後は、年末のススキノです!
皆さま、良いお年をお迎え下さい。
たくさんのことがあった2017年もあと一日、今年は本当に多くの皆さまにお世話になりました、心から御礼申し上げます。手元にファイルしながらアップできなかった写真をいくつかご紹介して、年末のご挨拶と致します。
そして最後は、年末のススキノです!
皆さま、良いお年をお迎え下さい。
先月40年ぶりに会った教師時代の教え子たち、その時会った生徒たちが、都合が付かなかった子たちと地元で会う場をセットしてくれました。大勢では話を聞けなかった一人一人の人生、なかなか多彩で味わいのあるひと時でした。
*先月の様子はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32009
ラーメン店を地元でやっているある教え子が、卒業文集と卒業アルバムを持ってきて、本当に懐かしい自分の文章、寄せ書き、写真に触れました。なぜか当時、私は「できるだけ遠くまで行くんだ!」のフレーズに心酔していたようです。さらに「静かに目を閉じよう」、誰の言葉か思い出せません。長渕剛(http://www.nagabuchi.or.jp/)の「しあわせになろうよ(https://www.youtube.com/watch?v=ifdG375NZ_U)」の一節に同じようなニュアンスの言葉があったかな?いや、今、歌詞をチェックしましたが何かの勘違いのようです。
他のクラスのページに、何と私の理科の授業風景。黒板をみると「ウェゲナーの大陸移動説」を紹介している所です、懐かしいですね、はっきり覚えています。理科の授業では、実験をたくさんして器材も随分壊したなぁ、教科書になかった「昭和新山の話」、「ギリシア神話と星座」とか、今思うと少々恥ずかしくなるようないろいろなエピソードを子供たちに語ったような気がします。
* 大陸移動説 https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E7%A7%BB%E5%8B%95%E8%AA%AC-92248
理科の授業と言えば、当時「第二分野」といわれていた生物系の授業で、「生殖」を懸命に教えていた時、「卵細胞に精子が向い・・・・」と、回りくどい説明で格闘していると、あるクラスの前の方に座っていた女子生徒が、「先生、そんなに気を使わなくってもいいよ、分ってるから」と不規則発言(!)、未だにあの瞬間は忘れられません。
一方、卒業文集にも、担任教師として書いていたのです。
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「予感を越えるもの」に期待をよせて
三年三組 担任 秋山孝二
人は何を行う時も、見通しを持つものだ。それを計画性というのかもしれない。しかし、君達の人生はこれから計画通りにはいかない。ミュンヘン五輪男子バレーボール準決勝戦、対ブルガリア戦の全日本の大逆転。いわゆるセオリーでは負けの試合が結果的にひっくりかえった。深夜テレビを観ていて深く感動した。選手12人、コーチ、監督など社会人が八年間自らをかけて努力してきた。彼らは言う。「根性」といった精神力だけでは勝てない。なぜなら、相手だってそれ位持っているだろうから、と。結果というのは多くの場合あまりに非情である。血の出るような努力を一瞬にして切り捨てる。しかし、勝負というのは時として夢を越える。まさに信じられない瞬間をつくり出す。自分をとりまく現実との勝負。心の底から感動できる時を夢みながら、私は静かに目をつぶりたい。
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この文章はすっかり忘れていましたが、当時のバレーボール指導に没頭していた自分の姿がいじらしく感じます。この日の帰りは、3年の時私のクラスだった竹川君、仕事以外に東京下町でボランティアで祭の応援をしているNPOの理事をやっているとか、昔とちっとも変わらない笑顔で、江戸川区から浜松町まで車で送ってもらいました。40数年経た今、胸に手をあてて振り返れば、自分の人生どうだったのか、余韻の残る出会いでした。
突然の訃報とはこのようなことなのか、今月19日午後のことです。(公財)秋山記念生命科学振興財団の常務理事、宮原正幸が急逝しました。
昨日、お通夜、本日告別式、ともに滞りなく終了しました。ご会葬頂いた皆さま、弔電、ご供物、ご供花を頂いた皆さま、心から感謝申し上げます。
葬儀の私の弔辞~~~~~~~~~~~~~
弔辞
公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団常務理事、故宮原正幸さんのご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。
「宮原さんが倒れて心肺停止で今搬送中です」、と財団職員の救急車内からの報を受け取ったのは、わずか5日前の午後6時過ぎのことです。その日の午前中には、宮原常務理事、事務局の桜井、城越、私とで、年明け開催予定の財団理事会、評議員会の議案を巡って、最終の確認をしたばかりでした。いつもと変わらぬ姿、わずか数時間後のこの連絡に、私はにわかには信ずることができませんでしたが、すぐに気を取り直して西区の病院に駆けつけました。こうして弔辞を読んでいる自分は、未だに現実とは受け入れがたい正直な気持です。
宮原正幸さん、初めて私が出会ったのは、今からもう30年以上前になるでしょうか。北海道銀行のホープとして、新しい事業づくりに懸命に努力していた時でした。「北の大地に種を蒔く」と、北海道の将来ビジョン、新しいビジネスモデルによる北海道の活性化等、当時、企業経営に携わりはじめたまだ新米の私は、前向きな意見交換を何回もしたような気がします。銀行というのはただお金を預かる、貸し付けるだけでなく、地域の開発・活性化なくして繁栄はないとの信念、地域住民の豊かな暮らしに関しても真摯に向き合うものなのかと、私は、そんな高度経済成長を支え、バブルに向かう当時の間接金融機能の原点に対して、また、組織の中で意志を貫こうとしている一人の人間に対して、素朴な感動を覚えたことを今でも記憶しています。
その後、私との関係で濃淡はありましたが、思い出すと会ったりし、縁あって秋山財団に迎えて以来5年7ヶ月、丁度、財団設立25年の直後から30年の重要な時期を、本当に全力で「民が担う公益財団活動」に邁進して頂きました。
思い出します、毎年9月の贈呈式、理事長挨拶として原稿を書いていた宮原さんの幾つかのこだわりの言葉を。「大平洋戦争末期の沖縄戦からの学び」、「ヒューマニズム」、「民間が担う公共」、「科学者の矜持」、「アンチテーゼ」、「アウトリーチ活動」等々、そして「いのちの尊厳」です。私との意見の相違で何回も議論したことも、今となっては過去の思い出となりました。
贈呈式では、祝賀会の終わりの挨拶で、ふるさと芦別の幼い頃の記憶と愛着、大学時代に暮らした弘前、東北地方に寄せる想い、銀行・生命保険会社での経験と誇り、ある時は激しい憤り、ある時は貴重な教訓として語り、そして必ず毎年、ご両親の想い出に言及していた姿も忘れられません。
宮原さんの最期の仕事となった秋山財団来年度事業計画の策定作業では、自ら力を入れて挿入した二点、「生命科学の概念を明確に提起し、『北海道学』という新しい概念の構築を提唱する中で『地域』を深掘りする」、「生命科学の基礎的研究に取り組む若手研究者を重視した助成を継続する」、私は、年明けの会議で、宮原さんの遺志として理事・評議員・監事の皆さまにお伝え致します。
宮原正幸さん、秋山財団でのご業績が、言い尽くせぬ貴いものとして私どもの心にしっかり残っております。歴史に刻まれたこの財産と宮原正幸さんの生前のご尽力に深く感謝するとともに、これからも永く継承し力強く歩んでいくことをお誓いし、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
どうか安らかにお眠り下さい。
平成29年12月24日
公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団
理事長 秋山 孝二
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私の自宅は、すでに築30年以上経っていますが、当初から暖房はペチカです。江別のペチカ屋さんとのお付き合いでしたが、少し前に毎年お願いしていた煙突掃除の職人さんが高齢となり仕事を閉じたので、その後の掃除をしてくれる方を探していました。
そんな中、環境系市民活動で知り合いの旭川を本拠とする「円筒の横山(http://entotuya.com/)」さんにお願いして、若手お二人の職人、奥山寛仁工事部長、設楽照久主任が札幌まで出張して下さり、先日、手際よく終了しました。
HPより~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コピー おわり
仕事の合間にお二人といろいろお話ができました、その前向きな姿勢に胸が熱くなりました。黒の制服と胸の素敵なエンブレム、ドイツを発祥とした面白い話の数々、「幸せを呼ぶ煙突掃除屋さん」として、街の人気者だとか。作業服にタッチすると、良いことが起きる!って言い伝えもあるそうです。さらに新年には、多くの家庭で「煙突掃除人形」を飾り、どの人形も立派な髭をたくわえ、煙突ブラシにシルクハット姿、そして、必ず四つ葉のクローバーを持っていると。きっと、汚れをきれいに落して新しい年を迎える習慣なのでしょう。加えてこの仕事に就くには、「マイスター」の称号が必要で、見習い3年、職人2年の後、試験に合格して初めて開業できる仕組とか。
ドイツの様子を話す二人の目の輝きと笑顔を見ているだけで、私は大いに元気になりました。「この仕事が本当に楽しいんです!」と言って車に乗り込んだ姿は久しぶりにみる若者の光景、本当に素晴らしいひと時でした、奥山さん、設楽さん、そして横山社長、ありがとうございます!!!
先月、東京で開催された「『しあわせの経済』世界フォーラム 2017(http://economics-of-happiness-japan.org/)」を受けて、秋山財団でも応援した「『しあわせの経済』 フォーラム in 北海道(http://www.akiyama-foundation.org/news/2745.html)」が愛生舘サロンで続いて開催されました。
道内でローカリゼーションに取り組んでいる市民団体や支援団体を対象に、東京にゲストとして訪れたタイの先住民のカレン族の若きリーダーおふたりを迎えて、道内各地の実践例と共に学ぶフォーラム、参加者同士の情報交換から具体的な課題解決策、実践者の拡大につながるような意見交換でした。
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< 当日プログラム >
14:00 ~ 14:10 開 会
14:10 ~ 15:20 ゲストの講演と質疑応答
15:20 ~ 16:30 道内におけるローカリゼーションレポート
* 長沼メノビレッジ(荒谷明子) https://www.facebook.com/mennovillage/
* 余市エコビレッジ(坂本純科) http://ecovillage.greenwebs.net/
* 飛生アートコミュニティ(國松希根太) http://www.tobiu.com/
* 猿払村に集う若者たち(小泉浩) https://www.change-agent.jp/news/archives/000093.html
16:30 ~ 17:50 ディスカッション
18:00 閉 会
主催:ロコタブル(http://locotable.net/)
協力:公益財団法人秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)
<海外ゲスト>
スウェ氏
カレン族の村で伝統的な知恵や地域の文化を学びながら、父であり 部族のカリスマ的リーダー、ジョニ・オドチャオとともに先住民の権 利闘争にも参加。2009 年に栃木県アジア学院に 9 ヶ月間留学しグロー バル化の本質と土に根ざして生きる循環的な農業技術について学んだ。 2011 年、巨大企業の単一栽培プロジェクトが生態系やカレンの文化を 破壊すると危機感を抱き、それに対抗するため「レイジーマンファーム」 でコーヒー栽培を始める。森林農業を村人に教え、「地球のためにゆっ くりと」というスローガンを掲げて有機コーヒーの栽培、販売ビジネ スを展開している。
オシ氏
アメリカ旅行中、モンタナ族と出会い、自分のアイデンティ ティと役割について考えるようになり、現在は北タイ山岳民族 のリーダー、ジョニ・オドチャオの末娘の婿としてノンタオ村 で農業や森林栽培のコーヒーを育てて暮らしている。また、仲 間とセルフビルドで建てた家と「対話の庭」を運営し、アジア やヨーロッパ、日本からの研修やエコツアーなどの企画に携わ る一方、カレン族の民話や音楽、民話「レイジーマン」の教え
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「折り紙ヒコーキ」 & 「牡蠣マイスター」 = カキフライ!!!
何やらナゾかけのようですが、今月の「愛生舘サロン(http://aiseikan.net/salon)」例会は、忘年会を兼ねて、「JAL折り紙ヒコーキ教室(https://www.jal.com/ja/csr/society/origami.html)」と牡蠣マイスターの坪井さんの見事なまでのコラボレーションでした。
「JAL折り紙ヒコーキ全国大会」が来年3月予定され、年明け早々から地区予選(https://www.jal.com/ja/csr/origami_yosen/)も行われるとのこと、因みに北海道各地でも始まります。
* 以前の愛生舘サロン記事――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3
そして、今日のハイライト、牡蠣マイスターの登場です!
以下は坪井さんのメッセージからコピーです~~~~~~~~~~~~~~~~~
【折り紙ヒコーキ】と【カキフライ】
昨日は”牡蠣”以外で感動した「折り紙ヒコーキ」のイベントを行いました。
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▢開催動機はこちら↓…
https://oyster1595.wixsite.com/mysite
▢そもそもどんな活動?↓
https://www.jal.com/ja/csr/soraiku/origami.html
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もちろん牡蠣も絡めてますが。
ヒコーキとかけてカキと解く。その心は”カキフライ”!
という事で、牡蠣活動家曰く世界一おいしいカキフライも用意しました。
子供と大人がカミヒコを通じて「感動」を共有する。
牡蠣を通じて人々が「おいしい」を共有する。
年齢や属性など何かの柵をとりはずした純粋な繋がり。
繋がらないようで繋がる2つの活動。
コンセプトにぴったりな場所もご提供頂き、これからも続けて参りますので宜しくお願い致します。m(_ _)m
【そして翌日】
皆様、昨日はご参加本当にありがとうございました。
自分のヒコーキが指導員の魔法で遠くへ飛んで行く。この感動を共有して頂けていたら嬉しいです。子供たちと大人が同じレベルでヒコーキを飛ばし、それが共通言語となる。それが次なる感動で、更にその先に夢を見ております。今後は1月の北海道ブロック大会の日程が決まったらお知らせ致します。優勝者は羽田の全国大会へ招待されるそうです!全国大会の後に皆様とJAL指導員さんで集まり、再来年に向けて盛り上げる打ち合わせを行いたいと考えてます。是非その時はより沢山の共感下さる大人たちにお声かけくださると幸いです。
写真はまとまり次第後日お送り致します、本当にありがとうございました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 坪井さんメッセージコピー おわり
折り紙ヒコーキも牡蠣も深いですね、本当に!
(公財)ワグナー・ナンドール記念財団(http://wagnernandor.jp/)ではそれぞれ諸団体とコラボし、今年は「ワグナー・ナンドール没後20年記念」として、春からシリーズで彫像と縁のある場で記念会を開催しています。
* 宇都宮 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=30736
* 札幌 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31220
* ブダペスト http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31593
先月、東京・三田の駐日ハンガリー大使館(https://tokio.mfa.gov.hu/jpn)では、パラノヴィチ・ノルバート駐日ハンガリー大使閣下の招待による「ワグナー・ナンドール没後20年記念会」が開かれました。
プログラムは、10月に東京で演奏を行った堅田優衣さん指揮「ノエマ・ノエシス(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31770)」のユニットが再び登場して、素晴らしいハーモニーで参加者を魅了し、その後は別室でハンガリー料理を囲む懇談の場となりました、素晴らしいひと時でした。
アットホームな雰囲気の中、ワグナー・ナンドールを偲びながらの歌声と懇談のひと時、余韻を楽しみながら一人で三田から浜松町まで、閑静な町並みと東京タワーを見ながら帰りました。
今回のこのサミット、アイディアから実施まで、約2年間掛けてのプロジェクト、実に多くの方々のご尽力を頂きました。地道にご案内をし続けた「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/)」の三上節子さん、当日は記念館建設寄付ブースに張り付いての頑張りに頭が下がります。
従来型の硬いオープニングではなく、演劇的に始めようとの狙いで、今回のようになりました。まずは、「友あり、遠方より来たる」で、ワイワイガヤガヤの交流の場を創り出そう、そんな思いは参加者には通じたのかなと、自画自賛する昨今です。
北海道新聞、朝日新聞、岩手日報、岩手めんこいテレビ、北海道のuhbほか、その後、続々とニュース他特番でも放映されています。随時、こちらにアップして参ります。そして、HPにも当日の様子を全て録画でアップします、乞うご期待!
* http://nitobe-enyu.org/summit_movie/
ある方の1週間後、個人的感想です。~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 「第1回 稲造サミット」が、札幌で開催されたことの意義は、今後、どのように発展、深化していくのか……関係者ばかりでなく、参加された方々、こうした動きがあったことを後世の方々が知った時のことなど、いろいろなことが可能性として芽吹いてくるように思えます。
当日の記念品として「文庫ブックカバー」を思いついて実現できたのは、この話に即座に協力していただいた方々の存在があったからこそです。そのような方々に共通するのは、「時代と格闘」する心意気が「顔貌」にあらわれていることでした。
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そして、こんな視座からの評価も。
来年は盛岡で開催予定。さらに進化して多くの方々の集う場となれば嬉しいですね。ご支援・ご協力い頂いた皆さま、ありがとうございます、そして、お疲れ様でした!!!!
寺島実郎さんの基調講演に続いては、新渡戸稲造に縁(ゆかり)のある各地で活動されている方々の報告です。まさに、「友あり、遠方より来たる」です。
報告概略――> http://enyumirai.main.jp/2017/11/28/%E3%80%8C%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9Einazo%E3%82%B5%E3%
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【 活動報告 】
1. ブリティッシュコロンビア大学(UBC)NITOBE GARDEN http://botanicalgarden.ubc.ca/visit/nitobe-memorial-garden/
キュレーター 杉山 龍 氏『Nitobe Memorial Garden 新渡戸記念庭園~太平洋の架け橋~』
2.(公財)国際文化会館 新渡戸国際塾 https://www.i-house.or.jp/programs/activities/nitobejuku/
常勤理事 丸山 勇 氏 『新渡戸国際塾のご紹介』
3. 創価大学創価教育研究所 https://www.soka.ac.jp/edu/
創価大学大学院博士後期課程 岩木 勇作 氏 『新渡戸稲造と牧口常三郎』
4. 花巻新渡戸記念館 https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/505/507/p004141.html
学芸員 中島 明子 氏 『拓く、繋ぎつづけて、稲造へ』(オリジナルDVD)
休 憩 (10分)
5. (一財)新渡戸基金 http://www.nitobe.com/
理事長 藤井 茂 氏 『新渡戸稲造の生誕の地から皆さんへ』
6. (株)岩手めんこいテレビ http://www.menkoi-tv.co.jp/top.html
プロデューサー 工藤 哲人 氏 『稲造関係の海外取材、テレビ番組製作を通して』
7. 十和田 新渡戸記念館 http://www.nitobe.jp/
館長 新渡戸 常憲 氏 『新渡戸記念館(十和田)』
8. NPO法人十和田歴史文化研究会 https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/002000507
語り 小笠原 良子 氏 紙芝居『幻のふしぎなトンネル〜木枯らしに吹かれて』
9. 平成遠友夜学校 http://enyuyagakkou.web.fc2.com/top.htm
代表 北海道大学名誉教授 藤田 正一 氏 『札幌遠友夜学校に通底する精神』
10. 学校法人 北星学園 http://houjin.hokusei.ac.jp/
理事長 大山 綱夫 氏 『新渡戸稲造と北星学園—平和教育の源流—』
11. 北海道大学 新渡戸カレッジ https://nitobe-college.academic.hokudai.ac.jp/
学生 山瀬 和葉 氏、遠藤 和可奈 氏『北海道大学新渡戸カレッジについて』
12.(一社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会 http://nitobe-enyu.org/
副会長 高橋 大作 氏 『遠友学校と私たちの活動』
【 展示のみ 】
・ Naomi Darling, AIA, LEED, AP BD+C https://www.fivecolleges.edu/
Five College Assistant Professor of Sustainable Architecture(Hampshire College/Mt.Holyoke College/University of Massachusetts,Amherst)
・ ハバフォード大学 https://www.haverford.edu/
鈴木貴美子 (東アジア言語文化学部日本語プログラム所属 日本語講師)
「ハバフォード大学の日本語クラス-新渡戸稲造・遠友夜学校を授業に」
【 御礼のご挨拶 】
(一社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会 代表理事 秋山 孝二
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最後は参加者全員で記念写真。
進行も予定通りで、参加者の皆さんはそれぞれにお話が続きましたが、次の隣の部屋の懇親会へと移りました。カナダ・バンクーバーからお越しの杉山龍(りょう)さんを囲んで、懇親会受付係の皆さんとも記念に。
岩手めんこいテレビでは早速報道も。(http://www.fnn-news.com/localtime/iwate/detail.html?id=FNNL00057081)
一昨年、寺島実郎さんからアイディアを頂いてから企画を温めて準備した「INAZOサミット」、その第一回を先日札幌で開催しました。定員200名でしたが急きょ椅子を増やして、カナダ、東京、東北からを含めて250名の方々が20の円卓に集い、開始前から交流が始まりました。
直後の報告はこちら――> http://enyumirai.main.jp/2017/11/28/%E3%80%8C%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9Einazo%E3%82%B5%E3%
第一回の趣旨は以下の通りです。
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< 「第一回INAZOサミット」in 札幌 開催趣意書 >
テーマ: 友あり、遠方より来たる
開催趣旨
「INAZOサミット」開催は、新渡戸稲造とメリー夫人、及び新渡戸家の業績を再確認して顕彰し、縁(ゆかり)の地のネットワーク形成を促し、個々の活動の相乗効果を発信する試みです。今回、それらを地域の繋がりで「見える化」し、さらに新たな気づきを得る場を、縁のある土地の持ち回りで今後継続開催したいと思っています。
そのキックオフとして、新渡戸稲造が札幌農学校の二期生として学び、その後メリー夫人とともに過ごしたこの札幌、教育ボランティア活動の「札幌遠友夜学校」の実践の地で、日本全国・世界の新渡戸ご夫妻に縁のある方々・団体・学校にお集まりいただき、「友あり、遠方より来たる」、多彩な人々が集うプラットホームを準備いたしました。
「INAZOサミット」の企画が、自由な環境の中で、参加される方々が互いに開かれて創発しあう場になることを期待し、未来の地域・世界を切り拓く活動として、多くの方々と共に歩むきっかけとなることを札幌から期待しています。
多くの皆さまのご参加と交流をこの機会に図って頂ければこれ以上の喜びはありません。2017年11月25日、札幌でお会いしましょう!
新渡戸稲造記念 遠友みらい塾 塾長 寺島 実郎
一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会 代表理事 秋山 孝二
「第一回INAZOサミット in 札幌」実行委員会 委員長 宮澤 洋子
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サプライズのオープニングの後はご来賓の在札幌米国総領事館レイチェル・ブルネット・チェン首席領事の素晴らしいご挨拶。チェン首席領事はその後も、基調講演、各地からの活動報告まで熱心に耳を傾けていらっしゃいました。
続いては基調講演、一般財団法人日本総合研究所 会長、新渡戸稲造記念遠友みらい塾(http://enyumirai.main.jp/)塾長の寺島実郎 さんのお話、『新渡戸稲造とは何か-現代に生きるそのメッセージ』でした。
当日用意された「寺島実郎の時代認識」(資料集;2018年新年号速報版)に挟まれていたA4サイズの一枚のレジメ「新渡戸稲造とは何か-現代に生きるそのメッセージ」は以下の通りです。
● 「太平洋の橋」になろうとした憂国の国際人、新渡戸稲造
・本質は「偉大な教育者」
・『武士道』と『世渡りの道』
・国際連盟次長としての活躍…板挟みの苦悩
・温かく厳しい魂の持ち主
・地方(ぢかた)学→民俗学の基礎…「グローカリティー」の原型
1898年『農業本論』:郷土教育の重要性
「郷土研究会」の意味…柳田國男との関係
● 青年にとっての2つの道標:新渡戸稲造の対照としての内村鑑三
(参考)キリストに生きた武士、内村鑑三の高尚なる生涯
・純粋で不器用な人生…「内村が父で、新渡戸は母」
・米国留学と日本再発見…クラーク博士との面談:「宗教者というより軍人」
・「不敬事件」という契機:第一高等中学校
・日本近代史との格闘:「一人の日本人、武士の子、独立のキリスト教徒」
・名著『後世への最大遺物』(1894年)…「あの人はああやって真摯に生きた」という記憶
★ 『二十世紀と格闘した先人たち 一九〇〇年 アジア・アメリカの興隆』(2015年、新潮社)
このブログを始めた2008年10月、最初に掲載したものは以下のメッセージでした。
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27
そこに登場する子供たち、40年以上経て先月半ばに、当時の生徒たちの同期会が東京で開催されました。Facebookで幹事の一人からご案内が届き、期待と不安が混じりながら久しぶりに降り立ったJR新小岩駅、会場まで何となく歩きたい気分で約25分、そこには懐かしい顔がいっぱいありました。
会場前の受付付近には、当時一緒に教師だった鳥取の石破孝行先生がすでにいらっしゃり、世話人の平田くん、羽田さん、担任だったクラスの今井さん、バレーボール部員だった坂田さんともご挨拶。
バレーボール部女子の面々、40年を経ても顔を見てすぐに名前もフルネームで思い出すから不思議です。
体育の石破孝行先生、国語の吉田孝子先生もご出席です。石破先生はバスケットボール部の顧問、当時の部員も皆さん元気でした。
集合写真もワイワイガヤガヤで大騒ぎ。
これでは納得いかないとロビーでまた一枚。
あっという間の2時間少々、その後は生徒の一人がやっている居酒屋に移動してまた大騒ぎ。
私は終電に間に合うように途中で失礼しましたが、最後まで見送ってくれた方々、ありがとう。
次回は 五年後の還暦の年です、と宣言した今回の会、私にとってはわずか5年間の教師生活でしたが、本当に濃密な時代だったと帰りの電車でも思いを巡らせていました。ある男子生徒は、卒業後大学生の時に、近所で交通事故で亡くなり、またある男子生徒は病気で若くしてこの世を去ったとか。多くの生徒たちが地元に住んでいる様子も驚きでしたね、地域がまだまだ生きている、さすが東京の下町の力なのでしょうか。もちろん、遠くに住んでいて元気に暮らしている子たちも居ましたが。
私は挨拶の中で、「今日はここに来るまで期待と不安が入り混じっていました。鹿本中学校は私の教師生活5年間の全て、皆さんは私にとって理科の授業で3年間、そして2回目の卒業生でした。私なりに当時、生徒たちと向き合って一生懸命だった自分を振り返るけれど、君たちにとって本当によい教師だったのかどうか、私自身のその後の人生で学んだ数々の教訓をもってすると、甚だ確信がなくなります。若さと未熟さ故にあの時のあの一言が生徒の心の傷になってはいないか、そんな重たい思いを抱えながら、今日この場にきました。」と。
挨拶後の懇談である生徒が、「今日あるのは先生のお陰です」と言ってくれた言葉に、思わず涙が滲みました。自己満足と言えばそれまででしょうし、本当に良い思い出がない生徒はそもそもあの場には足を運んでいないのでしょうが、「先生の理科の授業で今の道に進んでいます」と話してくれた複数の生徒もいたりして。何とももったいないお話の数々。感動と興奮を抑えるのが大変でした。
参加したかなりの生徒たちと話をして、皆笑顔ではありましたが、「先生、私の人生、いろいろありました」とつぶやく生徒もいて、個々の人生ではこの40年間、山あり谷ありだったと容易に推測します。また、何か別の機会に、観た映画(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29405)ではないけれど、そんな「人生フルーツ」の物語を聞いてみたいなと思います。
いずれにしても、私にとっては宝物の5年間の教師人生です。
今年の(公財)ワグナー・ナンドール記念財団(http://wagnernandor.jp/)の秋の展示会は、WN没後20周年を記念して開催されました。記念イベントも春から今月9日まで、縁のある各地で開催されています。
先月15日のワグナー・ナンドール20年目の命日、今年も秋の展示会は終了しました、たくさんのお客様にお越し頂き心から感謝申し上げます。
企画展示は乾剛さんの写真展です。
* http://inuiphotographoffice.weebly.com/introduce.html
栃木県益子町のギャラリー敷地は、すっかり秋の気配。今年は何か一層樹々も鮮やかな気がしました。
ワグナー・ナンドールとちよさんがデザインして制作したこの場所、水平・垂直にも景観が実によく練られていて、それぞれの建物から観る景色が四季折々、本当に美しく楽しめます。
その中でも、私の一番好きなアングルは、このヨーゼフ・アティラ像の後ろから茶室方面を眺めたもの。彼の後ろ姿が何とも言えない男の憂いと抵抗の精神を表現しています。
そして、一番新しく整備した東屋も人気のようでした。囲炉裏を囲んでしばし歓談、そんな時間が持てること自体が最高の贅沢かもしれませんね。
没後20年、ちよさんは元気で訪れるお客さまと歓談されていました。夫亡き後のちよさんの活動は、本当に妻として仕事をしている、そんな気がします、素晴らしい姿と身内ながら誇りに思います。