鹿本中学校生、40年の時を越えて

Posted by 秋山孝二
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 このブログを始めた2008年10月、最初に掲載したものは以下のメッセージでした。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27

 そこに登場する子供たち、40年以上経て先月半ばに、当時の生徒たちの同期会が東京で開催されました。Facebookで幹事の一人からご案内が届き、期待と不安が混じりながら久しぶりに降り立ったJR新小岩駅、会場まで何となく歩きたい気分で約25分、そこには懐かしい顔がいっぱいありました。

 会場前の受付付近には、当時一緒に教師だった鳥取の石破孝行先生がすでにいらっしゃり、世話人の平田くん、羽田さん、担任だったクラスの今井さん、バレーボール部員だった坂田さんともご挨拶。

最初な何となくぎこちなく

最初な何となくぎこちなく

 バレーボール部女子の面々、40年を経ても顔を見てすぐに名前もフルネームで思い出すから不思議です。

左からエースの坂田、センターの佐野、エースの稲毛、センターの石久保

左からエースの坂田、センターの佐野、エースの稲毛、センターの石久保

 体育の石破孝行先生、国語の吉田孝子先生もご出席です。石破先生はバスケットボール部の顧問、当時の部員も皆さん元気でした。

石破先生は71歳、若い!

石破先生は71歳、若い!

 集合写真もワイワイガヤガヤで大騒ぎ。

懇親会場内で

懇親会場内で

 これでは納得いかないとロビーでまた一枚。

場所を変えての一枚

場所を変えての一枚

 あっという間の2時間少々、その後は生徒の一人がやっている居酒屋に移動してまた大騒ぎ。

店は閉めていたのを私たちの為に開店し

店は閉めていたのを私たちの為に開店し

 私は終電に間に合うように途中で失礼しましたが、最後まで見送ってくれた方々、ありがとう。

お見送りも

お見送りも

 次回は 五年後の還暦の年です、と宣言した今回の会、私にとってはわずか5年間の教師生活でしたが、本当に濃密な時代だったと帰りの電車でも思いを巡らせていました。ある男子生徒は、卒業後大学生の時に、近所で交通事故で亡くなり、またある男子生徒は病気で若くしてこの世を去ったとか。多くの生徒たちが地元に住んでいる様子も驚きでしたね、地域がまだまだ生きている、さすが東京の下町の力なのでしょうか。もちろん、遠くに住んでいて元気に暮らしている子たちも居ましたが。

 私は挨拶の中で、「今日はここに来るまで期待と不安が入り混じっていました。鹿本中学校は私の教師生活5年間の全て、皆さんは私にとって理科の授業で3年間、そして2回目の卒業生でした。私なりに当時、生徒たちと向き合って一生懸命だった自分を振り返るけれど、君たちにとって本当によい教師だったのかどうか、私自身のその後の人生で学んだ数々の教訓をもってすると、甚だ確信がなくなります。若さと未熟さ故にあの時のあの一言が生徒の心の傷になってはいないか、そんな重たい思いを抱えながら、今日この場にきました。」と。

 挨拶後の懇談である生徒が、「今日あるのは先生のお陰です」と言ってくれた言葉に、思わず涙が滲みました。自己満足と言えばそれまででしょうし、本当に良い思い出がない生徒はそもそもあの場には足を運んでいないのでしょうが、「先生の理科の授業で今の道に進んでいます」と話してくれた複数の生徒もいたりして。何とももったいないお話の数々。感動と興奮を抑えるのが大変でした。

 参加したかなりの生徒たちと話をして、皆笑顔ではありましたが、「先生、私の人生、いろいろありました」とつぶやく生徒もいて、個々の人生ではこの40年間、山あり谷ありだったと容易に推測します。また、何か別の機会に、観た映画(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29405)ではないけれど、そんな「人生フルーツ」の物語を聞いてみたいなと思います。

 いずれにしても、私にとっては宝物の5年間の教師人生です。