連休前の大学キャンパス in Ebetsu

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  今年も札幌学院大学(SGU:http://www.sgu.ac.jp/information/index.html)で「経営組織論」一コマを受け持ち、今月からスタートしました。学部の3年生が主体で、受講の人数も理想的なので、かなり基本的な所からじっくり話をし始めて、若い世代がビジネスへの興味を抱くような、そんな内容になれば大変嬉しいですね。

札幌学院大学・昼休みの中庭

札幌学院大学・午後の中庭

  普段、都会の喧騒の中を行ったり来たりしている自分にとって、ひと時郊外の大学キャンパスに入るとまるで別世界のような光景ですね。流れている時間とバックグラウンドミュージックが全然違う、実に平和なうらやましい空間です。学生時代は、その場をそうとは受け止めてはいないのでしょうが、暫く一人静かに座っていたい雰囲気です。

 私の卒業した千葉大学(http://www.chiba-u.ac.jp/)西千葉キャンパスを、昨年久しぶりにぶらりと散歩する機会がありました。まず驚いたのが40年程経て、キャンパス内の樹木が大変大きく成長して、木陰が素晴らしく形成されていた事です。別の場所に来たような、月日の流れを強く感じました。私たちの時代は、笛の音とシュプレヒコールの毎日、拡声器から聞こえる演説は内容に乏しく、いわゆる「雑音」と化していたような気がします。教室の壁にはビラが貼られ、時々は破られたものがそのままになっていたり・・・・。

 ただ、今の日本の経済・社会状況を鑑みると、私たちの時代の方が学生の未来はそれでも明るかったのかと、妙に感慨にふけってしまいます。ここで学んだ学生達が卒業して、社会とどんな関わりを持って生きていくのか、私自身不安でもあり、楽しみでもあります。

 昼下がりのキャンパスを通り過ぎながら、ふとそんな気持になりました。

「ネットワーク形成事業」、報告会

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  公益財団法人秋山記念生命科学振興財団の「ネットワーク形成事業:http://www.akiyama-foundation.org/network/」の報告会を開催しました。

 

2年目を終了した5つのプロジェクトの中から4つの報告

* 「健康自給率向上の実技市民講座:http://www.akiyama-foundation.org/network/tema01.html

* 「持続可能な地域社会形成に向けての新たな公的事業活動システムのあり方についての調査研究事業: http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html

* 「十勝農業イノベーションフォーラム・十勝の大地が地球を守る:http://www.akiyama-foundation.org/network/tema04.html

* 「日本列島の原生的森林において、伐採・環境攪乱が森林生態系及び生物多様性に及ぼす影響評価:http://www.akiyama-foundation.org/network/tema05.html

 そして初年度を終了した一つのプロジェクト

* 「世界先住民族ネットワークAINU:http://www.akiyama-foundation.org/network/tema06.html

の力の入った報告でした。

最終年度に向けて、仕上げの年

最終年度に向けて、仕上げの年

 

 この事業は、あらたな予算の目途がついた一昨年から開始した新しい事業です。これまでの研究助成・市民活動助成の経験から学び、秋山財団としては初めての3年助成でスタートしました。企画・組立・実施・修正・構築には、やはり単年度ではなかなか無理があり、このような形で始めました。「北海道発の新しい公共の担い手(社会起業家)を育成して、分野横断的な課題に対してネットワークを形成し、解決に取りくむプロジェクトを支援」を目的に、主眼は人材育成、ネットワーク構築です。

 先日の報告でも、北の大地・北海道の多様な「いのち」に対して、地道な取り組みを続けている様子を知り、今後への期待を膨らませました。とにかく活動の中から担い手を育成して、北海道の未来を構築していきたいものです。

北海道の「流儀」

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 今年で20年を迎える異業種交流「北を語る会」の例会は、毎回内容が濃く印象的です。私自身、仕事の関係で暫く欠席が続いた時期もありましたが、この数年は出席率も上がり、多彩な方々のお話・演奏等を、ひと時楽しんでいます。

 先日のゲストスピーカーは、磯田憲一さんでした。元北海道副知事で、現在は(財)北海道文化財団(http://haf.jp/)・理事長、(財)北海道農業企業化研究所(HAL財団:http://www.hal.or.jp/)・理事長、NPO法人アルテピアッツァびばい(http://www.kan-yasuda.co.jp/arte.html)・代表、旭川大学客員教授等でご活躍中です。

 「北海道の流儀」と題してのスピーチは大変素晴らしい内容でした。行政マンとして、従来型の殻を破り、実に多くの足跡をこの間北海道に残しています。全国的にも有名になった「時のアセスメント:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/gkk/toki/tokiindex.htm」、「試される大地」のキャッチフレーズ、BSEの全頭検査実施等、勇気をもった施策の数々は、今の道政には見る影もありません。

 ご紹介のあった中標津の「マイペース酪農」を実践する三友さんご夫婦(http://www.goto-chi.com/seisansya/mitomo.htm)は、豊かさの基準として「草をミルクに変えられる」、「乾いた薪をストーブへ」、「家族で夕食を食べられる」等でも有名です。また、海に投げ出されて漂流する人が、たいまつを灯しているゆえに周囲が真っ暗で何も見えずに方角が判別できず、ひとりの人が「この灯を消せ」と言って暫く周囲に目を凝らすと、ある方角の遠くにうっすらと光るマチの灯を見ることができた、というお話を引用して、今の北海道が、「たいまつの灯を消す勇気があるか」、と鋭く問題提起をされました。

 「観光」、「観光」と時流に乗った観光客の入れ込みにただ大騒ぎするのではなく、「生き方に迷った人がやってくる北海道」とか、そんな奥行きのある魅力づくりにこそ我々はまい進すべきではないか、とメッセージも発信されました。

 磯田さんというと、忘れられない思い出があります。10数年前の北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)設立時は、行政側の責任者として本当にお世話になりました。設立記念パーティでのご来賓挨拶で、中島みゆきの「ファイト:http://www.youtube.com/watch?v=9TH1Xm25FIM」の一節

「 ああ小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく 諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく

  ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ」

を引用して、これからの活動を激励して頂きました。そんな来賓挨拶を、私はそれまで、そしてそれ以降も聞いたことがありませんでした。言葉に対して素晴らしいセンスをお持ちだと興奮致しました。その後も韓国・光州市、ソウル市で、北海道演劇の海外公演でも磯田さんとは文化財団理事長として何回かご一緒し、引き続きご指導を頂いています。 

 本当に久しぶりに聞く格調の高いスピーチでした。つい先週、高知で行われたブータン王国ジグミ・ティンレイ首相の基調講演と重なって、「本当の豊かさとは何か」を問う、感動的な言葉とメッセージがぎっしり詰まっていました。本物を目指し、それを実現する「勇気」を持て、まさに「Boys,be ambitious!」の心意気、それこそ「北海道の流儀」と受け止めました。

馬立誠さんが語る、「当代中国の八つの思潮」

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  先日、北海道大学東アジアメディア研究センター(http://ceams.imc.hokudai.ac.jp/)で、中国に関する講演会「当代中国の八つの思潮」が開催されました。当日配布の資料は、ここhttp://ceams.imc.hokudai.ac.jp/sub13.htmlからPDFで読むことができます。

 演者の馬立誠さんは、以前、人民日報に所属して、「対日関係新思考http://www.japanology.cn/japanese/essay/suibi/05.htm」を主張し、当時の中国で大変なバッシングに遭われました。自宅に脅迫の手紙等が多数寄せられたり、お子様のプライバシーがインターネット上に公表されたりと。

 この欄の’09.11.5付「http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510」でも簡単に記載していますが、現在の中国は、基本的に鄧小平氏の「南巡講和」の延長線上に社会が成り立っている、すなわち「改革・開放」路線により目覚ましい発展を遂げている事実、そしてその過程で複数の思潮が現在混然となって今を迎えている様子を、大変分かりやすく語っていました。

 今後の日中関係は、「和解」と「協力」を軸に一層発展させていかなければならない、今の日中関係は昔よりはるかに緊密になってきており、北朝鮮の核問題に関しても日中協力の必要性を説いてまとめられました。

 講演の通訳は、今年北大に入学した中国からの留学生4名がつとめましたが、皆さん大変立派な語学力でした。そしてそんな若い彼女たちを気遣う馬先生のお人柄の優しさも見てとれました。中国のインターネット事情は巨大なマスとしてのネガティブ・キャンペーン他、日本とはかなり違った現実と受け止めました。日本のメディアにも、冷静で正確な報道を期待したいものですね。

 一昨年のリーマンショックで全世界を覆った100年に一度の危機後も、中国市場はいち速い立ち直りで、アメリカ・ヨーロッパ・日本と比べて、着実な経済成長を遂げている姿が印象的です。それでも馬先生は、「まだまだ日本から学ばなければならない技術・文化は沢山ある」とおっしゃっていました。「今の日本は満足している状態ゆえに、若い人々も外国へ出ていく数が減っているのではありませんか」と、やんわり指摘されていました。北大を始めとした日本の大学への中国からの留学生の多さを知って、そんなコメントもありました。

 馬先生は、当日司会をされた北大メディア・コミュニケーション研究院長である高井潔司先生に対して、「自分が社会からバッシングを受けている時に、北京で全面的に支援をして頂いたことは忘れられないし、今も感謝しています」と、最後に語っていらっしゃいました。馬立誠さんと時間・空間をひと時共有して、先生のお人柄に一層尊敬の念を抱きました。壇上に、まさに「人間がいる」、そんな感動でした。 

初めての土佐の地で(3:最終)

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  この地からは多数の維新・改革の志士たちが歴史に登場しています。町なかの通りにも「土佐の誇り」として掲示されていました。

幕末・明治維新に活躍した多くの歴史上人物

幕末・明治に活躍した多くの歴史上人物

 今年のセミナーのテーマは、「今こそ、日本を洗濯いたし申し候――『国民総幸福(GNH)の視点から始める新たな成長理念の構図」でした。http://203.139.202.230/?&nwSrl=258109&nwIW=1&nwVt=knd

 ご承知のように、GNHとは、「G(グロス)N(ナショナル)H(ハッピネス):国民総幸福」という指標です。

http://www.gnh-study.com/

http://eco.nikkei.co.jp/column/edahiro_junko/article.aspx?id=MMECc3010011092007

 基調講演としてブータン王国のジグミ・ティンレイ首相が、「地球規模での幸福な経済成長の実現――GNHの国、ブータンからの提言――」の演題で、示唆に富むお話でした。国内総生産(GDP)を過度に重視してきた資本主義を、「幸せになるための手段と目標を取り違え、限定的な尺度だったGDPを生きる目的にしてしまった。どうすれば人が幸せになるかを忘れた結末」と指摘しました。今日の「富」、「繁栄」に対しての問題提起も鋭かったです。
 生活水準、保健衛生、教育水準、多様でしなやかな環境、地域社会の活力、時間の使い方、統治の質など、GNHを測る指標を4つの柱、9つのドメイン、72の変数で国民に提示している現状を説明し、「歴史や文化、日本人の気質からすると、家族的民主主義の伝統もあり、日本こそGNH社会をつくっていく最も適した国だと確信し、新しい倫理を創り出してソリューションを必ず見つけ出すだろう」と語り、最後は聴衆全員総立ちの拍手でした。

 これまでGNHについてはいろいろな場面で話題としては耳にしていましたが、「都市化がもたらす地域の崩壊」等、現代の先進国が抱える課題認識も実に的確で、昨日今日の議論ではない奥行きの深さを感じました。国王が理念を明示して、首相が具現化していくブータン王国、「物質と精神とのバランスのとれた状態、それが“幸福”であり、これに応えることこそ国家の役割」と明言するジグミ・ティンレイ首相の誠実さに、理想的リーダー像の印象を受けました。

 その後の4つの分科会のテーマは以下の通りです。

1) 日本の「国民総幸福(Gross National Happiness)」――持続可能な成長への必要条件――

2) 国家のあり・政治のあり方――閉塞感の打破に向けて――

3) これからの成長と経営者の役割

4) 民から官を変える――地方が輝く活性化策――

 二日目の特別講演は「人生雑記帖」と題して、2002年に「あかね空」で直木賞受賞の土佐出身の作家・山本一力さんでした。私とほぼ同世代、年を経てくると故郷がどんどん自分の中で膨らんでくると表現されていましたが、全く同感です。長宗我部元親の妹・養甫(ようほ)とその婿・波川玄蕃(はかわげんば)の波乱の人生を通して、戦国の世から今を読み解くお話でした。

 2日間のセミナーで、何回も「危機感の欠如」という言葉が出ていましたが、お見受けする所参加者のかなりはすでに功なり名を成した方々、ブータンのリーダーのお話に対しても、「小さい国だから・・・」とか、「GNHというのはGDPからの逃避でしかないのでは・・・」とか、従来型の発想を抜けきれない(抜ける必要がないと思いこんでいる?)経営者も多かったような気がします。また、会場中央付近の多くの座席に、早々と自分たちの団体名の紙を置きながら、講演が始まっても殆ど空席のままといった状態も見られ、このセミナーに来る以前の心構えを問いたい気持も正直ありました。まだまだの「危機感」なのでしょうね。

 今の日本の現状(惨状?)を変革する担い手は、やはり新しい世代の「突破力」に期待でしょうか。今回の土佐での開催で、幕末・明治の志士たちの「命を賭ける」迫力を、あらためて感じ取った気がします。

    こじゃんと、良かったです!!

初めての土佐の地で(2)

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 セミナー本体の報告はどうした?と言われそうですが、(3)できっちりしますよ。酒を飲んで維新の志士たちの気分になっていただけではありません。

 高知市内には、こんな場所もありました、大変興味深いです。http://www.lalastyle.net/lala/fsa/

婦人参政権・発祥の地

婦人参政権・発祥の地

 

 セミナー終了後のオプショナルツアーは、「最後の清流『四万十川』と土佐一本釣りのふるさとを訪ねて」に参加しました。

四万十川に架かる「沈下橋」の一つ

四万十川に架かる「沈下橋」の一つ

幸徳秋水のお墓もひっそりと

幸徳秋水のお墓もひっそりと

 四万十市中村の町なか、静寂に包まれた場所に幸徳秋水(http://www.shuusui.com/)のお墓がありました。
 

太平洋を望む高台「黒潮本陣」からの景観
太平洋を望む高台「黒潮本陣」からの景観

  そして広大な太平洋です。

初めての土佐の地で(1)

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 第23回全国経済同友会セミナー「今こそ、日本を洗濯いたし申し候――『国民総幸福(GNH)』の視点から始める新たな成長理念の構図」が、高知県高知市で約900名の参加者で開催され、北海道からも35名が出席しました。昨年は札幌での開催(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1272)で、新しい方向の模索は今年も続き、各地の経営者達の苦悩も伝わってきました。

 <前夜祭> 

本会議に先立って前日の夜に、「前夜祭:土佐のお客」が、屋外で企画されました。坂本龍馬像で有名な桂浜を舞台に、特別講演予定のブータン首相ジグミ・ティンレイ氏、高知県知事尾崎正直氏をお招きし、全国の会員約500人が出席して、大変な盛り上がりでした。

桂浜・坂本龍馬像

桂浜・坂本龍馬像

 

土佐琵琶奏者:黒田月水さん

土佐琵琶奏者:黒田月水さん

 黒田月水(http://profile.livedoor.com/gessui/)さんの素晴らしい演奏でした。

夜の桂浜

夜の桂浜

 「おもてなし」の心を、久しぶりに感じました。私が到着した時はオープニングまだ30分くらい前にもかかわらず、多数の皆さんですでに始まっていましたよ。幕末から明治維新の担い手達も、場所はどこでも毎晩酒とともにの談義だったのでしょうね。

「いこい荘テラス」は今、

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以前、アメリカ・オレゴン州ポートランドのヘンリー上野さんご夫妻とお会いしたことをご紹介致しました。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=323

 先日引き出しを整理していると、ポートランド日系人会が主体となって寄付を幅広く集めて設立したリタイアメントホーム、「いこい荘テラス」の写真が出てきました。札幌とポートランドとの交流活動の最中に、上野さんらから要請を受けて、私たちのグループは、札幌市民にも寄付依頼をお願いしました。連邦政府の支援も受けて、予定通り設立し、今その目的を果たし続けています。周辺も整備されて、素晴らしい施設に成長しているとのお話をお聞きしました。

正面玄関エントランス

正面玄関エントランス

 

外観と内部:日本の有料老人ホームと同様の雰囲気

外観と内部:日本の有料老人ホームと同様の雰囲気

 

 寄付の中心になったのは日系人会でも、入居者を日系人だけと制限することは許されないそうです。収入の基準他、あらかじめ明示した公正な基準に基づき、公平な選考過程を経て入居者を決定する義務を負っていると。マイノリティの比率も決められているとのことです。アメリカ社会では、市民による「ファンドレイジング(資金集め)」は実に盛んで、いわゆる「シビル・ソサイアティ」の確立が素晴らしいですね。意思ある方々がそれを形にしてお金を集め、そして運営していく手法が確立しているような気がします。まさに「新しい公共」を現実に実践しているのでしょう。

 同時に設立する時の建設費だけではなく、その後の運営する費用と仕組みもセットになってプロジェクトを組む、そんな知恵もうかがえます。日本でも昭和30年代のまだインフラが貧弱な時に、「00期成会」みたいな活動が地域有力者を中心に立ち挙げて、積極的な活動をされていました。今は、どの世界でもただ苦情を申し立てるモンスタークレーマーが多いような気がします。自分たちの意思を「見える化」して、幅広い賛同者からお金を集めて実現する、そんな原点を見つめ直したい気がします。

画期的判決、「情報開示」への新たな時代

Posted by 秋山孝二
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  沖縄返還時の日米政府間の密約を巡る情報公開訴訟は、先日東京地裁で画期的判決が出ました。

http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201004090506.html

http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/

 山﨑豊子著「運命の人:http://bunshun.jp/pick-up/unmeinohito/#character」でも、リアルに表現されています。長い戦いの末に獲得した「判決」と言えましょうか。控訴するかどうかはまだ分かりませんが、戦後生まれの私としては特段に重要な今後の動きであり、引き続き注目して参ります。

 今年2月2日、北海道新聞朝刊に掲載された私の「新聞評」の原稿です(太文字はこの欄用に編集)。 ————–

 日韓併合100年、日米安保条約改定50年、冷戦終結20年、2010年をどう位置付け認識するのか、転換点として期待と不安を抱きながら、私は選挙による政権交代後の新年を迎えた。

 「新春四季対談:時代を開く」(4日朝刊)の歴史学者加藤陽子氏・川島真氏の対談、「小樽商大生と記者座談会」(11日朝刊)は、新鮮な視座を提供して、時代の変化をそれぞれの立場で実に的確に指摘している。特に昨年の衆院選での出口調査の経験から時代を読みとる若い感性に、メディアは大いに学ぶべきではないか。対談では説得力ある史料公開の重要性を語っていたが、モスクワ・ロンドンからの「北海道の独立・英米が警戒」(5日朝刊)、冤罪根絶を語る「徹底した証拠開示を」(18日朝刊)にもあるように、「情報公開」により時代認識を変え、新しい方向性を見出せる。モスクワからの記事は、昨年5月の連載「シェワルナゼの証言」とともに興味深かった。

 新政権誕生によりメディアの自由度は高まり、政権・検察ばかりでなく、権力とメディアの新たな緊張関係が生まれて、本来の監視機能が問われる。情報文書は国民のものであり、「情報公開」への扉を是非こじ開けて頂きたい。         

 特集「多極化すすむ世界」(18日朝刊)は、寺島実郎氏の枠組み論議の構想力が際立つ。軍事同盟としてだけの日米関係は片肺であり、21世紀の日本の安全保障という視点から、日中米関係、及びグローバル社会での気候変動等、日本の果たすべき役割の企画も期待する。「COP15に参加して」(7日夕刊)は、全員参加型秩序の時代とはいえ衝撃の結末で、結果的にG8・G20の枠組みでも間に合わない「転換期」を印象づけた。

 経済分野では経営破たんとなった日本航空の会社更生法適用、すでに十数年前から利用者としてその体質を感じていた私は他社を選択していたが、今回は膨大な税金投入による再建で、納税者として注視せざるを得ない。「信奉者多い起業家」(14日朝刊)、この時期に日航CEOに就任した稲盛和夫氏の「覚悟」と「勇気」に対して、この程度の記載では全く物足りない

 一方北海道との関係性で、「地域主権改革勝負の年」(6日朝刊)が具体的で分かりやすかった。同じく地元に根付いた地道な活動の連載「変える変えたい2010」(3-9日朝刊7回)は、キーワードの解説も毎回コンパクトに含まれて、担い手達の力を実感した。

 未来は予測するものではなく創り出すものであり、激変期にありながら「従来型」の視座に固執では感動はない。特に「東アジア共同体」構想の国際社会での意味、4つの密約等について、編集には座標軸と原点を示す「覚悟」と「勇気」を期待したい。

——————-

  判決後の記者会見で西山さんがおっしゃっていましたが、この判決は「情報開示に対する『革命』だ」と。昨年の政権交代後、時代は少しずつ変わってきているのでしょう。メディアの情報開示に対する姿勢も転換して貰いたいものです。

 

‘71 北アメリカへの一人旅 (3)

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 一人旅をされた方は良くお分かりかと思いますが、旅の道中での人との出会いは、良くも悪くも印象に残るものです。一人気持が沈んでいる時には予期せぬ会話で大いに励まされ、或いはとんでもない状況の中で恐怖を感じる場合もあったりと。今年の冬季オリンピックが開催されたカナダ・バンクーバーという名を耳にすると、私は忘れられない旅の思い出があります。良いのか悪いのか、「不思議」という表現が一番ぴったりですね。勿体ぶるわけではありませんが、それを語る前に二つほどのストーリーを紹介しておかなければなりません。

 その1) この旅行、宿泊はYMCAが多く、大きな都市の施設では男性用フロアーと女性用フロアーがはっきり分かれていました。サンフランシスコのYMCAでは女性用フロアーとは知らずに(本当に知らずにです)歩いていて、ガードマンの大きな男に退去させられました。東海岸フィラデルフィアのYMCAだったと思います。路線パスで到着してチェックイン、その後部屋の外にある共同シャワー室(となりとの仕切りも何もなし)から帰って少しすると、部屋の電話が鳴りました。男の優しそうな声で「How are you?」に始まり、私の名前を聞き出し、それ以来「Koji」のはずなのになぜか「Kijo」と発音してしばし会話の後、私の部屋にやって来ました。アラブ系の若い大柄な男で、今では何を話したかは覚えてはいませんが、何回も「Kijo」を繰り返し部屋を出ていったのです。ここは、ただそれだけです。

 その2) 2週間後位でしょうか、ボストンの有名な公園、「ボストンコモン:http://www.cityofboston.gov/FreedomTrail/bostoncommon.asp」の池のほとりで、秋の昼に一人でベンチに座っていると、「・・・・boy?」とか何とか言って横の方から近づいてきた中年の黒人男性がいました。私は突然ではあり、咄嗟に「I am a boy!」と訳のわからない返事をした所、私の隣に座り、にじり寄ってくるではありませんか。私はその場を離れましたが、その瞬間は今でも忘れられません。周辺にはかなりの人がいた様な気がします。

 その3) そして、いよいよバンクーバーです。旅も2ヶ月半を過ぎて北アメリカ大陸を東から西へ、カナダを大陸横断バスで移動しながら、西海岸のバンクーバーまで到着。大陸を往復した高揚感と、カナダの雄大さに感動していた自分がいます。市内の有名な公園、「スタンレーパーク:http://vancouver.ca/PARKS/parks/Stanley/」で、晴天の日中に一人何となくベンチに座っていると、30歳前後の白人男性がニコニコしながら近寄ってきて、自然な話で楽しく会話をしていました。すると「もし良かったら、自分の家に来ないか?」と言われ、過去の経験もあるので、「もしや?」と思いはしましたが、多少の好奇心もあり車に乗って橋を渡り、高台の一軒家に一緒に行ったのです。家のリビングルームからは海も見えて、しばし日本の話とか、久しぶりに会話らしい会話で過ごしていると、しだいに彼(?)がソファーの私の横に近寄ってきて、何やら耳元で語りかけてくるではありませんか。これも経験かと、暫くリスニングのテストのようによく聞こえる英語を聴いていましたが、やはり自分の人生を考えて(?)、「I have to leave now !」で立ち上がりました。彼は変わらぬ優しい笑顔で分かったという感じで、私と最初に会った公園の場所まで送り届けてくれましたよ。私は立ち上がる時、ピストルか何かでも出てくるか、或いは多少の格闘も覚悟はしましたが、そんなことも無く公園に戻り、「不思議な体験」としてバンクーバーの名前とともに、今でも遠い記憶に残っています。

 その後、バンクーバーには数度行く機会があり、今ではそれ以降の新しい思い出に上書きされている部分もあり、時の流れを感じています。たわいの無い話、ここまでお読みいただいた方には、心から感謝致します。

ゆとり?、脱ゆとり?

Posted by 秋山孝二
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 何なのでしょうね、一連の文部科学省がらみの報道「ゆとり、脱ゆとり」に対する私の違和感は。

 第一には、教科書のページ数という量で、その「ゆとり」を評価しようとするメディアのスタンスが違っていますよ。第二は、実際の教育現場で教員集団はそれ程忠実に教科書に沿って毎日教えているものでしょうか。私が教員の時は、熱心な先生は教科書を遥かに越える内容の自前プリントで教えていましたし、ひどい教員は休んでばかりで年間カリキュラムを3割以上残している場合もありました。個人差が大き過ぎです。30数年前の私の公立中学校の教員経験からは、決して教科書が標準だとは思えませんでしたが。そして第三には、子供達にとっては大変重要な場ではありますが、「学校教育」は生活のごく一部でしかないという現実を、文部官僚・メディアが理解出来ていないことだと思います。まさにお役所的に「部分最適」で学校教育の枠のみで「ゆとり、脱ゆとり」をいくら論じても、家庭・社会全体にゆとりがなければ、そもそも子供から見た「ゆとり教育」の定着など無理ではありませんか。子供は混乱の中、最大の犠牲者となってしまいます。 

ゆとりの尺度はページ数?

ゆとりの尺度はページ数?

 この間の「ゆとり教育」、「脱ゆとり教育」、私にとってはどちらも間違った現場認識でどうしてもピンときません。寺脇研さんhttp://diamond.jp/articles/-/5289が言い始めた時も、教師自体は毎日大変忙しくはしていたでしょうが、教育現場では「詰め込み」とは思われませんでした。教育内容が問題というよりも、授業へ集中できない教師の環境が問題であり、「落ちこぼれ」と「いじめ」に象徴されるように、教員集団が子供たちの心のあり様をしっかり把握出来ていない危機感を持っていました。

一方「脱ゆとり」を主張する方は、「子どもの自主性尊重が強調されるあまり、学級崩壊などの問題が起きたりもしている」(?)とよく言います。本当に自主性が尊重されていれば、他者の尊重もあり、自主管理のもと学級崩壊など起きもしないでしょう。「知識面での学力低下問題もしばしば指摘される」(?)、それは「ゆとり」から因ってくるものではないと思います。「学力」が何かとの根源的な問い直しが必要でしょう。要するにどちらも現実の教育現場からかなり遊離した認識と方針であり、間違った類推です。

 教育に対する議論は、どうしていつもこう的外れのやりとりばかりなのかと暗澹たる気持になります。私は数年前の教育基本法の改定プロセスで、もう愛想が尽きました。終戦直後の南原繁ほか、当時この法律の制定に関わった教育関係者たちの高い志と日本の将来を展望する英知を感じるゆえに、一連の空虚な過程は見識のなさを通り越して「不真面目」としか言いようがありませんでした。

 どの人間にとっても、子ども時代は一度しかない「その時」です。少なくとも義務教育年限においては一人の、一時の思いつき等で現場が右往左往する愚だけは避けなければなりません。自分の4人の子供時代の変遷を見ていても、学校教育の窮屈さは日増しに強まっているようですし、今私がやっている公立高校評議員で知る教育環境でも、将来の日本を背負う人材の育成は「至難の業」と思われてなりません。社会が人間を育てる、この信念に揺るぎはありません。ただ自分の出来ることは余りにも限定されいますね、諦めずに自分なりの努力は致しますが。こんな社会を反面教師として、たくましく育つ人材に期待したいです。

「地域連携」、帯畜大の更なる挑戦!

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 先月、アフリカ・マラウィ共和国で技術支援活動を展開されていた帯広畜産大学http://www.obihiro.ac.jp/のグループと、私たち「アース・カフェ」グループ4人とのフォローアップの意見交換を地元で行いました。

帯広畜産大学キャンパスのマスターデザインプラン

帯広畜産大学キャンパスのマスターデザインプラン

  キャンパス内に入ったのは私は初めてでしたが、正門からキャンパス全体がリニューアルの最中でした。若い方々が「マスターデザイン・プラン」を作成して、それに基づきキャンパスデザイン、校舎のリニューアル、建物内の斬新なリストラ等、随所に自然との共生、地域との協働みたいなメッセージも受け止め、新しい時代に向かう槌音を感じました。

校舎の正面玄関奥の展示空間

校舎の正面玄関奥の展示空間

 今回の技術支援活動は、JICAのプログラムでも新しい「草の根技術協力事業」の中で、「草の根パートナー型」ですhttp://www.jica.go.jp/partner/kusanone/country/malawi.html。その趣旨は、開発途上国の人々の生活改善・生計向上に直接役立つ分野で、草の根レベルのきめ細やかな活動、地域住民の生活に直接役立つ事業が対象とされて、例としては次のような多様な分野での事業が挙げられます。

*コミュニティ開発(農・山・漁村等の開発を含む)

*社会的弱者支援(高齢者・障害者・児童・女性・難民等支援等)

*ジェンダー平等推進(法識字教育、女性に対する暴力防止・対応支援等)

*保健医療(地域保健、母子保健、公衆衛生、栄養改善、プライマリヘルスケア、リプロダクティブヘルス、HIV/AIDS等)

*所得向上支援(伝統産業振興、住民組織化等)

*人材育成(教員養成、識字教育、ノンフォーマル教育、初等教育環境改善、職業訓練等)

*自然資源の持続的利用(荒廃地回復、森林・水産資源管理等)

 また、「草の根技術協力事業」では、人を介した「技術協力」であること、開発途上国の人々の生活改善・生計向上に直接役立つ保健や教育といった基礎的な生活分野であること、日本の市民に対して国際協力への理解・参加を促す機会となること、の3点が特に重視されるようです。

  今回担ったグループとの意見交換では、最初の1年間の実績に基づいた今後の方向性についても説明受けました。その中で、極めて基礎的な面積の概念、質量・容積の概念等、教育分野への言及も多くあり、同時に技術支援する担い手の「課題抽出」と「解決策の構築」への能力も問われるようです。私も気がつきましたが、考えてみるとこう言った視点は、何もアフリカ諸国への技術支援活動ばかりではなく、ごく身近な「地域との連携」でも全く同じですね。帯畜大では、この4月からそうした機能を一層充実する為に、これまでの「地域共同研究センター」を、「地域連携推進センター」と名称変更してリ・スタートです。

 マラウィの現地で伝統的に存在感を示す「Traditional Authority(T.A.):トラディショナル・オーソリティ」(昔から地域にいる「酋長:しゅうちょう」とでもいうのでしょうか)を上手に活用し、村人への技術指導の定着を図る等、2年目以降の展望も期待したいですね。同時に、JICA職員には、支援を担う現場の方々の声を常に聴いて、一連のプログラムのアセスメントを行って、プログラム自体の進化への試みを仕事として頂きたいとも思います。貴重な国民の税金を、有意義な支援活動に使われることを切望致します。

 現場からは実に多様な、そして貴重なメッセージが、たくさん発信されていました。

西巻糸子さんのこと

Posted by 秋山孝二
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 先月26日、「足利事件」で無期懲役刑での服役中に釈放された菅家利和さんに対する再審が宇都宮地裁であり、無罪判決が言い渡され、同時に裁判長が謝罪をしたと報道されましたhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100326-00000033-mai-soci。謝罪の後、3人の裁判官が立ち上がって菅家さんに深々と頭を下げたそうです。再審で無罪を求めた検察側は同日、控訴しないことを地裁に申し立てたので、無罪が確定しました。「完全無罪」の文字も躍っていますが、突然の逮捕から18年以上を経ています。

  無罪が確定した菅家さんについて、宇都宮地検が無罪を証明する再審結果通知書を菅家さんの本籍地である栃木県足利市に送付し、3月30日付で受理されました。これにより、市が管理する「犯罪人名簿」から名前が削除され、14日開かれる市選挙管理委員会を経て、菅家さんの選挙権も復活するとの記事も読みました。当時のDNA型鑑定の信憑性の議論もポイントでした。

また、今月1日に最高検察庁・警察庁が足利事件を検証する報告書を公表しましたhttp://mainichi.jp/select/jiken/news/20100402ddm041040007000c.html、http://www.asahi.com/national/update/0401/TKY201004010113.html。当該HPを探しましたが、今現在は掲載されていないので、新聞報道からのものを添付致します。

 無罪により名誉回復、選挙権復活とは言っても、この18年以上にも及ぶ間に失ったものは余りにも多く、まさに「不条理」です。司法はこの年月をどう償うのでしょうか。私はこの冤罪(えんざい)事件について、一貫して支援してきた方々の常識を越えるご努力と勇気に、心から敬意を表します。「INVICTUS:負けざる魂」そのものですね。今回特に際立ったのは、菅家さんの送り迎えをはじめ、この間支援者として支えてきた西巻糸子さんの存在です。

 先日もテレビニュースの特集で、一連の支援活動における彼女の献身的な姿を報道していましたが、「幼稚園バスの運転手をする人が、幼児を殺すはずはない」との、ごく当たり前の情念を拠り所に今日まで全面的に支援してきた様子を知り、あらためて人間としての原点を確認した思いです。昨今、理不尽なことばかりの世の中、人間の尊厳と信念に基づいて行動する勇気を思い出させてくれました。

 それに対して、「捜査の可視化」への検討のフットワークの悪さは何なのでしょう。千葉景子法相は「こういう事件を契機に、捜査の可視化(録音・録画)にも踏み出してきたし、法相としても再発防止のために法的、制度的検討をしなければならない」と閣議後の記者会見で述べたそうです、記事の見出しでは「捜査の可視化へ法相改めて意欲」とあります。中井国家公安委員長も菅家さんから研究会で意見を聴く意向を示したようです。

 ちょっと待って下さいよ。民主党はこれまで、国会に完全可視化を実現する法案をすでに2回上程したのではありませんか。この段に至って法相・国家公安委員長が「検討する」だの「意見を聴く」だの、寝ぼけたことを言うではありませんよ。何を躊躇しているのか、誰に遠慮しているのか、ことの重大さを全く理解していないし、完全可視化への情熱を感じません。以前には「2年間は研究する」とも語っていました、情けないの一言です。まさに「法治国家」ならぬ「放置国家」です。

 加藤周一はある対談で人間の知的活動について語っていました。「情報収集というのはいくら頭が良くてもダメなんで、目の前で子供を殺されたら、怒る能力がなければなりません。あるいは、何か一種の感情を生じないとダメです。ただ情報を集めただけじゃどうにもならない。『人間の尊厳を守る』と言ってもよいかもしれません」。

 このような事件は二度とあってはいけないのは当然として、西巻さんに見る支援の姿勢から多くの教訓を学ぶ思いです。