今年も館山、花火大会!

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毎年恒例の千葉県館山市の花火大会、今年も、「水中花火」、「打ち上げ花火」、「大学フラメンコフェスティバル」の競演は素晴らしかったです。

* 館山花火大会 http://hanabi.walkerplus.com/detail/ar0312e00871/

* 第21回全国大学フラメンコフェスティバル http://www.city.tateyama.chiba.jp/files/300249983.pdf

水中花火

水中花火

浜にはフラメンコフェスティバルの特設舞台

浜にはフラメンコフェスティバルの特設舞台

東京外国語大学

東京外国語大学

昨年は風の具合で花火の煙が浜の方に流れてきて視界もままならず、今年は爽やかな空気でコラボを満喫でした。フラメンコの音楽を聴きながら、昼の浜辺とは違った独特のひと時の夏の夜でした。

これまでの様子はこちら ――>

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E8%8A%B1%E7%81%AB%E5%A4%A7%E4%BC%9A

もっともっと学び、行動しましょ!

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 この8月、マスメディアでは戦争に関係する素晴らしい番組・記事が多かったですが、インターネット上にもそれ以上の優れた報道があり、民主主義国家・日本の一縷の希望を繋ぐ思いです。

原発に絡む報道として二つ:

* 8月23日「NNNドキュメント」 https://www.youtube.com/watch?v=3KBxosFcprs

* http://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/nuclear-plant_b_8035750.html

 もう一つは、今、国会等でも大きな局面を迎えている安倍政権が言う「積極的平和主義」について。「積極的平和」の提唱者 ガルトゥング博士が市民の招聘により来日して語りました。目的は、本来の「積極的平和」の概念に基づいた日本への提言をするためです。

* http://www.huffingtonpost.jp/kenji-sekine/johan-galtung-peace_b_8035140.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 記事からの抜粋

 「日本には平和運動(Movement)がない。あるのは反応(Reaction)だけだ。憲法9条を「安眠枕」に寝続けている。起きて未来に向けてクリエイティブに何ができるのか右派左派を超えて考えねばならない」

 「日本には何かに反対するムードで覆っている。政府が恐れるのは反対ではなく代替案を国民が出してくることだ」

 このように語ったガルトゥング博士が提案する安保法案に替わる「積極的平和」に基づいた代替案は以下の3つでした。

1.北東アジア共同体を構築すること
 中国、台湾、北朝鮮、韓国、極東ロシア、そして日本が公正で共感を持って参加する北東アジア共同体(NEAC)を構築すること。沖縄を特別県としてNEACの本部を置く。6ヶ国から始まった欧州共同体(EC)や東南アジア諸国連合(ASEAN)から学ぶことが出来る。米国との関係は、良好なままを保つこと。

2.専守防衛に徹すること
 集団的自衛権ではなく専守防衛を提案する。敵地攻撃能力のある武器ではなく、防衛のために短距離な武器を所有する。沿岸を防衛するために、自衛隊だけではなく民兵にも役割を求める。スイスをモデルに日本が占領された場合にどのように市民が抵抗するかということも準備する。

 例えば日中が抱えている尖閣諸島(中国名釣魚島)の解決方法としては、共同管理を提案する。日中がそれぞれ40%ずつの権益を分けあい、残りの20%をNEACか周辺の環境整備のために使う。中国の40%のうちの5%を台湾に渡してもいい。分け方はいろいろ考えられる。

3.憲法9条1項を世界のために
 憲法9条1項を日本のためだけではなく世界に広げること。世界で最も好戦的な国はある調査によるとアメリカ、イスラエル、英国だが、彼らの憲法に日本の憲法9条1項を盛り込むように働きかける。日本はアメリカの従属国でなく、このような平和貢献の分野において世界のリーダーとなることができる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 抜粋 おわり

 「安眠枕」、言い得て妙ですね!自分の立ち位置から、今、何ができるのか、私なりに信念を持って実践し続けることを再確認する昨今です。

フクシマの「今」を語る

Posted by 秋山孝二
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 今月初め、両国・回向院(http://ekoin.or.jp/)で、「一般社団法人 AFW(http://a-f-w.org/」代表の吉川彰浩さんから、「フクシマの今」の報告を伺う機会がありました。吉川彰浩さんのお名前を耳にしたのは、昨年の早稲田大学での以下の会合でした。

――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21276

代表の吉川彰浩さん

代表の吉川彰浩さん

HPからの引用~~~~~~~~~~~~~~~~~

 現在につながる活動は2012年の7月から始まりました。当時代表が一人、福島第一原発作業員の方々の現状を世に伝え、廃炉現場の環境を社会が支えるよう訴えていました。ですが、それはとても小さい取組で現場を変えるに至たらず、2013年の11月、仲間と共に任意団体「Appreciate FUKUSHIMA Workers」をたち上げ、社会に廃炉現場を支えることの重要性を、支援物資を贈る活動を通じて行ないました。その後、廃炉後の浜通り地方が豊に暮らせるよう復興への取組も同時に始めることになりました。私達は福島第一原発と向きあいながら、「次世代に託せるふるさとを創り」を始めました。

~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 震災から4年半が経つと、吉川さんが住まわれていたアパートの階段には植物が繁茂しているそうです。

住居の階段の今

住居の階段の今

 そして、除染作業はかなり進んではいるそうですが、裏の広場では軽トラックが当時のまま置かれていて、その下だけは除染がされずに残ったまま、とか。お役所仕事の限界を垣間見る光景も。

ポツンと軽トラックが放置されて

ポツンと軽トラックが放置されて

 来月からは双葉郡楢葉町の避難解除が始まります。多くの協力がなければ楢葉町の方々の生活再建は成り立ちません。今回は楢葉町さんの状況を詳細にご紹介頂き、福島第一原発では事故当時から変わっている状況も資料を基にお話を伺いました。

 被災した現場は、時々刻々と変化し当初よりは改善されていたり、或は全く変わらず時間が止まったかのような場所もあったり、いずれにせよ思い込みや想像で語ることが、如何に現地に暮らす方々のモチベーションを下げるかを学んだひと時でした。

 吉川彰浩さんは、来年(2016年)2月に北海道で講演をされるようです。

戦後70年、私なりの思い(7 最終)

Posted by 秋山孝二
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 お盆を過ぎて、私の叔母・和久奈ちよ(公益財団法人 ワグナーナンドール記念財団理事)からメールがきました、また一つ、身内と関係する終戦前後です。

* 公益財団法人 ワグナーナンドール記念財団(http://wagnernandor.com/indexj.htm

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

孝二様

 お盆が終わり、ナンドールをお墓に送りました。そちらは助成事業などでお忙しいことでしょう。二、三日前、映画「日本のいちばん長い日(http://nihon-ichi.jp/)」を見ました。考えてみると私も少なからず、登場する方々を知っていました。
 東条英機さんは父の陸軍省の上役、正二お義兄さんは終戦時参謀本部に所属し、終戦前後の行動をいろいろ聞きました。三笠宮老殿下は、戦後ですが札幌で父のところにお訪ねくださり、戦中、木村昌福司令官に秋山家でお会いしたこと、戦後、幣原喜重郎さんは、私が大学生の時に学長から命じられて英文学者の御長男のお手伝いに通ったのでお会いし、宮内大臣の石渡さんご家族ともお付き合いしてたり、寿美子お姉さんは原爆雲を見たのですし、いろいろ考えさせられました。

 幣原喜重郎(私の英語教師のお父様)さんが憲法9条の創案者です。今、検索して其の項を読みましたら、大変はっきり書いてありました。お宅でお会いした時はそんな偉い方とは知りませんでした。天皇陛下に北海道のカボチャを献上したいと言われて、秋山の父がアレンジしてお送りしたことがあります。

 幣原喜重郎を検索、ちょっと便利帳「幣原喜重郎元首相が語った、日本国憲法」を読みました、 私には大変良かったのでお知らせします。

* ちょっと便利帳「幣原喜重郎元首相が語った日本国憲法(http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html)」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~メール おわり
 このシリーズ、これで本当に終わりに致します。

戦後70年、私なりの思い(6)

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 何だかんだとこの時期思いを巡らせてはいますが、結局は番組・記事紹介に終始している私です。

 最後は、NHK総合テレビ「『終戦』知られざる7日間」です、16日に放映されました。8月15日では「終戦」しなかった事実を追い、実はこの7日間が占領政策、そして戦後日本の方向性を決めた、とのコメントは、大変興味深い視点でした。海軍の特攻の動き、「支那派遣軍」動向等、予断を許さない状況と連合国軍との交渉の中で、「戦闘停止命令」が出されたのは8月18日、その効力は8月22日からだったのです。

8月15日、中国大陸の日本陸軍

8月15日、中国大陸の日本陸軍

日本本土海軍軍令部の命令書

日本本土部隊へ・海軍軍令部の命令書

米国の事前の予想

米国の事前の予想

「戦闘停止命令」、最後まで曖昧な内容で

「戦闘停止命令」、しかし、最後まで曖昧な内容で

 この7日間を検証してみても、当時の日本国の責任ある人々の当事者能力の欠如が伺われます。満州事変、さらに遡って日露戦争の勝利から、日本の「軍国主義の結末をみる思い」とでも言うのでしょうか。始まりはほんの些細なことからですが。お盆が過ぎて、世間は通常の仕事モードになりました。連日の高校野球の熱戦ほか、経済活動も、日本が平和である、世界が平和であればこそできる訳ですよね。

 このシリーズ、最後は品川正治さんの言葉で終わりとします。「戦争を起こすのも人間、しかしそれを許さないで、止めることができるのも人間ではないか。天災ではない。なぜそれに気がつかなかったのか」。不戦の誓いを新たにしました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%93%81%E5%B7%9D%E6%AD%A3%E6%B2%BB

戦後70年、私なりの思い(5)

Posted by 秋山孝二
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 戦後70年の節目の年、重要なコメントが続きます。

* 2015.8.14 安倍談話(http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

* 2015.8.15 天皇陛下追悼式 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7597.html

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

* フランスメディアの報道:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150814/k10010190411000.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~

* 「談話」と言うと、思い出すメッセージがあります。ドイツのワイツゼッカー大統領の戦後40周年の節目の演説です。安倍首相のそれと歴史の認識とそれへのコミットメントに大きな違いを感じてしまいます。自国のトップを誇りに思えない、何とも鬱陶しい自分です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~ 演説の引用

・・・・・・・人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

 われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

 われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

 人間は何をしかねないのか——これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

 道徳に究極の完成はありえません——いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

 ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

 若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、黒人や白人これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。

自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。

今日5月8日に際し、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 演説の引用 おわり

* 現代の日本の若者も語ります http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258019

 改めて節目の年に考えるべき第一は「アジアにおける日本の加害責任」、第二は「戦争被害」とりわけ「原爆被害」でしょうね。ただ、この両方の立場を曖昧にして、あの戦争から逃避する姿勢が大きな問題を先送り、未解決のまま残してきたのではないでしょうか。日本がアジアにおける「戦争責任」と真摯(しんし)に向き合っていたら・・・。加害責任を認めて謝罪したうえで原爆投下の非を問えば、核廃絶にむけての日本の主張は説得力を持ってきたはずです。日米安保体制下で自立した姿勢をとることも可能だったでしょうし、日本国憲法の平和主義も、もっと積極的姿勢を求めていたのではないでしょうか。でも、まだ未来に希望を捨ててはおりません。

 戦前も戦後も、ひとえに国際社会における「外交の稚拙さ」が、戦争を引き起こし、戦争から学ぶことなく、これからまた戦争をする「普通の国」へと突き進む気がします。今、自分を含めた市民の声を日々の行動に変えていく、そんな歴史の大きな岐路に立っている実感を持ちます。

戦後70年、私なりの思い(4)

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 8月に入り、近代の日本の歴史に関する番組、記事が多いですが、原爆投下から15日の終戦記念日にかけては更に一層拍車が掛かっています。

 その中で、朝日新聞2015年8月4日「オピニオン」掲載の<戦後70年 日本の誇るべき力>は、MIT名誉教授のジョン・ダワー氏のメッセージです。ピューリッツァ賞を受賞した「敗北を抱きしめて」等で著名ですが、彼の指摘にあらためて気づかされることが多いです。<http://www.asahi.com/articles/ASH7W6CQ1H7WUPQJ00J.html

 彼は言っています、「戦後70年、日本が国際社会で成したこと、それは日本国憲法の下で国民が守り育てた『反軍事の精神』、それこそが日本の外交上の力であるとの指摘。この力は、政府主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものであり、日本人は誇りとすべきである。郷土を愛する気持(パトリオティズム)ゆえに過去を反省し不寛容と一線を画すべきである」、と。

 また、今年は若者の団体「SHEALDS(http://www.sealds.com/)にも注目です。その一環として以下も。

* 7月15日大阪梅田での演説: http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253905

* 8月7日京都での若者の集まりでの演説: http://iwj.co.jp/wj/open/archives/257253

* 高校生の集まり: http://teenssowl.jimdo.com/

一方、この間出張中に読んでいた「日米開戦の正体(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/160651」(孫崎享・著)は、戦争を時間軸でしっかり捉えての歴史検証で、大変興味深かったです。2012年の「戦後史の正体」もすごい本でした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14211)。

* 「真珠湾攻撃への愚」と、今日の「原発、TPP、消費税、集団的自衛権等の安保法制の愚」とは驚くべき共通性がある。1)本質論が論議されないこと、2)詭弁、嘘で重要政策がどんどん進められること、3)本質論を説き、邪魔な人間と見なされる人は、どんどん排除されていくこと

* 外務省の人間が戦争阻止のために必死に動いた姿はほとんど見えない

* 「真珠湾への道」で顕著に見られる日本の特性は「勝手読み」、自分の都合のいいように解釈すること

* 記録を検証してみると、日本は戦前、戦うにあるべき態勢を取っていなかったといっても過言ではない。ある外国人通訳は、日本は政界も経済界も、トップはじめ責任ある立場に行けばいくほどIQが低くなる、と。

* 上村伸一氏は、「昭和の動乱期を通じて私の痛感したことは日本の世論の頼りなさということである。もし日本が真の民主主義を願うなら、とりわけ民主主義の政治形態は、市民一人一人が良心に対する危機感を強くし、個人的な責任を果たすことである」と指摘。

* 最後に教訓を一つ、「発言すべきことを発言できる」、それを確保する社会を維持していくことである

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 多彩な角度からの歴史検証は、ある時はハッと気づきを与え、ある時は再確認を致します。今年の若者たちの街頭での演説、デモ行進は、新しい時代の到来を感じさせます。

戦後70年、私なりの思い(3)

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 NHK総合テレビ特集「70年目の戦争と平和」シリーズ、以下の番組も多くの取材と新技術に基づいた画像解析等、力作でした。一つ一つの番組を紹介していると多くのスペースが必要なのでNHKのHPに任せ、タイトルとサイトだけにします。今年の番組は特に力が入っていますね。

憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150807

きのこ雲の下で何が起きていたのか(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150806

特攻~なぜ拡大したのか(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150808

あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150811

女たちの大平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150813

 全ての番組の基本は、証言のみならず、「戦闘詳報」、「業務報告書」等の詳細な「記録」による読み解きです。従軍看護婦の活動も、彼女たちの派遣先での日々を記録した「業務報告書」200冊が日本赤十字本社に残されていることが明らかになったからです。報告書には、次々と担ぎ込まれる重傷者の看護に忙殺される日常や、作戦の展開や戦況の変化にともない頻繁に移動を命じられた様子など、現地に着いてから敗戦にいたるまでの詳細が記されています。南方の激戦地の中で特に多くの看護婦が派遣されていたインパール作戦ほかビルマ戦線とフィリピン戦線を、この報告書と、20人を超える元従軍看護婦の証言を通してたどっています。年齢的には、丁度私の母の世代です。

 彼女たちの心の底にも、「捕虜になってはいけない」の意識が根強くありました。「自活自戦永久抗戦」といった勝手な命令を出す本部、当時の軍幹部・政府当局者は、「自らの死に場所」をただ探すばかりです。

 看護婦たちの証言の最終部分、「あの時間は何だったのだろうか」、「戦後、傷病兵から感謝されるたが、そのようなことは何もできていなかった」の言葉は重たく私たちに迫ってきます。生還した方々の苦しみ、恐らく初めての気持の吐露だったのではないでしょうか。

 70年を経て、切々と語る元少年兵、元従軍看護婦、これらを今年聞いた世代は使命感をもって今後の不戦に活かしていかなくてはなりませんね、「戦争を知らない世代」とは言ってはいられません。

戦後70年、私なりの思い(2)

Posted by 秋山孝二
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 NHK総合テレビの特集「NHKスペシャル~戦後70年目の戦争と平和(http://www.nhk.or.jp/special/70years/」は盛りだくさんです。恥ずかしながら、「捕虜」、「従軍看護婦」、「少年兵」、「原爆投下直後」等、60年以上生きてきた私にとっても初めて知ることがあり衝撃でした。順不同ですが、いくつか書き留めます、まずは「発掘・日本人捕虜の肉声(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150802」は見応えがありました。

 第二次世界大戦中、太平洋の激戦地で捕虜となった日本兵、連合軍の極秘の施設で尋問による『肉声」録音が、70年以上を経て初めて見つかったのです。NHK取材班は、入手した音源を、最新のデジタル技術で修復・解析。その内容は、殺すか殺されるかの戦場を生き抜いた日本人捕虜の壮絶な告白です。密室で、日本兵たちはひとりの人間として、自らの戦場と向き合っていました。そして、音源の分析から、捕虜となった日本兵と尋問が行われた「秘密尋問所」の場所を特定し、戦後、家族にすら伝えることのなかった密室での告白、現代に蘇った捕虜たちの肉声を通じて、歴史の闇に埋もれてきたもう一つの戦争が伝わってきました。

 旧帝国陸軍・海軍ばかりでなく、日本国民にすべからく「捕虜となることは恥ずべきもの」との社会通念が徹底しており、このような事実は永久に個人の心の中に仕舞い込まれていたのでしょう。市民を巻き込んだ戦争の現実では、「自決」と称して自ら命を絶つ人々はこれまでも報道されてきましたが、「捕虜」となった人の肉声は組織の一員というよりも、まさに一人の人間として戦争と向き合っている苦悩を感じさせます。「記録」の説得力、再現性等、多くの教訓を私たちに与えてくれます。

稲垣潤一

稲垣利一海軍主計大尉

 さらにホームページによると、アメリカ公文書博物館で発掘されたレコードは120枚、13時間の録音です。オーストラリアのブリスベーン郊外で録音が行なわれ、1942年から1945年まで、この施設は極秘の尋問所として使用されたそうです。マッカーサーはブリスベーンに拠点を築き、秘密組織のATIS連合軍翻訳通訳部隊を立ち上げました。そこでは日系人などを集め、日本兵の捕虜尋問や遺体の日記の翻訳を行い、オーストラリア軍の資料室に詳細情報が残されていました。特に重要な人物の尋問を密室で行っており、1105人の捕虜の尋問が行なわれました。

 残された音声の最初は海軍主計大尉・稲垣利一の尋問でした。稲垣は大変流暢な英語を話し、重要な捕虜と位置づけられていたようです。尋問で、稲垣は日本の軍国主義に不信感を示しています。東京帝国大学で外交官を目指し、海軍経理学校では中曽根康弘元首相と同窓。1942年8月、稲垣はニューギニアのブナに上陸、ポートモレスビー攻略を目指す無謀な作戦に参加、食料の供給が途絶え、兵士は次々と倒れ、連合軍の反攻の前に部隊は壊滅しました。稲垣は尋問で、部隊の悲惨な状況を話し、稲垣は自らも栄養失調とマラリアに倒れました。敵の兵士が近づき、稲垣は拳銃自殺を図りましたが泥水に濡れた拳銃は発砲されず、捕らえられた、その様子を証言しています。

 捕虜となった稲垣利一は日本語翻訳の仕事をATISから依頼されました。1943年10月14日の録音で、稲垣は一度受けた依頼を断わります。稲垣は頼まれた仕事は戦争を早く終わらせることは日本国民にはいいことだが、協力は裏切りになることで葛藤しています。稲垣は死にたいので、拳銃か薬を求めましたが、尋問官は責任を逃れる考えだと指摘し、説得を続け、日本の現状を伝え、早く戦争を終わらせるために協力を求めたのです。稲垣は決断を迫られ、苦しいと答えています。翌日、稲垣は仕事を受けると伝え、尋問は約半年に及び、協力を決断ました。

その後、本土決戦前の幾つかの戦い直前に投下された日本語の投降ビラは、彼らの仕事によるところが多いのでしょう。

連合国軍チーム

連合国軍チーム

ATIS作成の投降を促すビラ

ATIS作成の投降を促すビラ

稲垣の見識

稲垣利一の見識

 先月の保阪正康さんの小樽での講演で、日本に「軍事学」が存在していなかったとお話がありました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24010

 「捕虜となって恥をさらすな」みたいな戦陣訓をまき散らしておきながら、戦場の市民を放ったらかしにして撤退・逃走する旧帝国軍隊の卑劣さを、私たちは忘れてはなりません。そして番組でも紹介されていましたが、「捕虜になった後に、どう応対するかを日本兵は教えられていなかった」とも。「解除の命令がない」ことも含めて、もはや「軍隊」という体を成していない酷い状況だったのですね。

 「戦争とは何か」、私たちが努力と妥協と折り合いを付けながら生きてきたこの70年、これからも日本を、決して「戦争をする当たり前の国」にしてはなりません、強くそれを再確認致しました。

戦後70年、私なりの思い(1)

Posted by 秋山孝二
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 今年は日本にとって「敗戦後70年」の節目の年、正月早々から様々なメディアで特集が組まれていて、この8月は例年以上に、新聞、テレビ、インターネット等で優れた記事・番組を目にしています。見逃し、読み飛ばしも多い中、自分なりにこの「戦後」を振り返り、久しぶりのシリーズで追いかけて、今後への道筋を見出していきたいと思います、私自身の生きてきた時代そのものですから、いつにも増して注目しています。

 まずは、今年年始の天皇陛下のメッセージから

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=22092

 残念ながら、年初に危惧した通り、安倍政権は暴走を続け、国会議員の劣化等も相俟って、将来の日本の国の姿を決める「安保法制」議論は全く理解不能で極めて危険な状態で推移し、今後も目が離せません。

 下のコメントは、今年、安倍首相が春にアメリカを訪問した時に、私が原稿として手元に温めていたものです、題して「安倍首相の米国訪問に思う」です。結局、この記事をコピーしたまま掲載するにはあまりの醜さに憤りが強すぎて、仕上げられず今に至っていました。

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民主主義の成熟した日本かどうか。

<米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説>

「希望の同盟へ」 (2015年4月29日(米国東部時間))

http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html

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 今、振り返ってみると、その後の日本の国会でのやり取りの分かりにくさに比べて、このアメリカ上下両院合同会議での安倍の「高らかな表明」が、この政権及び支える勢力のまさに「本音」なのでしょうね。「希望の同盟へ」(?)(!)、実に、どこの国の代表者かと思わせるほど卑屈で愛国の精神のかけらも無い内容です。これが本音なら、どうして日本国会においてそう言わないのでしょうか。まさに「日本国民をなめるなよ!!!」ですね。

 安保法制ばかりでなく、基地問題等の日米地位協定、TPP、原発再稼働等、これまで戦後日本の政治が辛うじてアメリカとのパワーバランスの中で守り生き抜いてきた自主・自立をかなぐり捨て、アメリカの「ある勢力」への「従属」を心地よしとして心底「魂」を売り渡す、そんな現政権・与党の姿を目の当たりにして、私自身の「リベラル保守」的立場、愛国心と人間としての尊厳からは許し難い暴挙だと思います。本来の「親米」を自認する私、長いアメリカのリベラルとの信頼もあり、「アメリカ」と一括りにはできない多様性を実感するものですから。

以上のようなスタンスから、私は再度、過去の戦争を見直してみたいと思っていました、このシリーズにお付き合い下さい。

美輪明宏ライブ 2015

Posted by 秋山孝二
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 美輪明宏(http://o-miwa.co.jp/)さんについてはこれまで何回か書いています:

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%BE%8E%E8%BC%AA%E6%98%8E%E5%AE%8F

 先日、「ロマンティック音楽会 2015」、この3年間、毎年札幌でのライブは足を運んでいますが、今年は原点回帰とでも言いましょうか、シャンソンに軸足を置いての構成で素晴らしかったです。

入口ロビーで

入口ロビーで

 2,200人入る会場が満席でした。「反戦」への強い意志は今年も変わらず、直前に長崎で瀬戸内寂聴さんと対談したとか。NHKテレビで長崎では8月9日、全国放送は8月16日のようです。毎年、人間としての哲学を感じ、歌手としてのプロフェッショナルな姿に感動します。これからも活躍に目が離せません。

(公財)大原美術館、「地方」を語る

Posted by 秋山孝二
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 SAS北海道(http://sas-hokkaido.jimdo.com/)セミナーで、「公益財団法人 大原美術館(http://www.ohara.or.jp/201001/jp/index.html」の代表理事・大原謙一郎さんのお話「地方の論理と主張~文化・事業・生活について~」をお聴きしました。

<大原 謙一郎さん> 実業家。大原總一郎の長男で、大原孫三郎の孫にあたる。 大原美術館、倉敷中央病院の理事長で、倉敷商工会議所の会頭。倉敷芸術科学大学客員教授、くらしきコンサート顧問も務められ、元クラレ副社長、元中国銀行副頭取。

大原館長

大原謙一郎 代表理事

 大原美術館は、倉敷を基盤に幅広く活躍した事業家・大原孫三郎が、前年死去した画家児島虎次郎を記念して昭和5年に設立した日本最初の西洋美術中心の私立美術館です。

 日本美術のコレクターでもあった孫三郎は、親しい友人虎次郎の才能と、美術に対する真摯な姿勢を高く評価し、三度にわたる渡欧を促します。虎次郎は、そこで制作に励むかたわら、孫三郎の同意のもと、日本人としての感覚を総動員してヨーロッパの美術作品を選び取るという作業に熱中します。

 大原美術館は、その後も、倉敷の地にあって活発な活動を続け、西洋の近代から現代の美術、日本の近代から現代の美術、民芸運動にかかわった作家たちの仕事等にコレクションを広げ、日本人の心情に裏打ちされた独特の個性を発揮するユニークな民間総合美術館として世界に知られるようになりました。

 今、大原美術館は、現場で子供達や社会人と触れ合う種々の「教育普及活動」に加え、毎夏の「美術講座」や、世界を代表する音楽家を迎えての「ギャラリーコンサート」等を通じ、諸芸術のフロンティアと広く関わりながら、21世紀に生きて躍動する美術館として、多彩な活動を展開しています。

芸術・文化の力は「地方」から!

芸術・文化の力は「地方」から!

 今回は大原美術館のご紹介に留まらず、本来の「地方創成」の意味と価値等について、大変示唆に富むお話でした。

* 全国に数多い美しくて価値ある町の美術館でありたい

* 受け継ぐのは、美しい景観や町並みと歴史・文化・心意気

* 地方が世界一流になって初めてこの国の姿は整う

* 芸術・文化を「集客のための装置」として、観光産業の下僕にしてはならない

* クリエイションのパワーを高め、「一流の地方」を創る文化の力

* この地で文化の力と使命をあらためて思い起こしたい

* 流氷漂う北の海から黒潮踊る南の島まで各地の文化力がこの国の風格を創る

* この国のクリエイションのエンジンとして働く地方を再生したい

 最後は、「東京中心の『地方』ではダメ、それぞれの地域・土地が『DNA』を見つけ出す、掘り起こす、それがすなわち自分たちの土地の歴史であり、それぞれの地域の仕事である」と結ばれました。まさに「地方の心意気ここにあり!」でした。

利尻島・礼文島 2015夏(3 最終)

Posted by 秋山孝二
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 最終日は礼文島・桃岩展望台への散策。朝霧の中、「はなガイドクラブ(http://www.hanaguideclub.com/」の浜さんのご説明で2時間半の散策でした、素晴らしいガイドをありがとうございます!

<はなガイドクラブHPより>

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はまちゃん
出身:大型帆船の母港がある国
趣味:漫画・アニメ鑑賞(釣りバカ日誌よりスタジオブジブリが好き)

一番の都会っ子でありながら、大の昆虫好き。コース上のミミズや
ヒルを見て大興奮し、部屋に出現する蜘蛛に差し出す手は慈愛に
溢れています。ガイド仲間にいじられて、出てくる新たな一面に
自分でも驚く毎日。私ってこんなキャラじゃなかったのに…(笑)

好きな花

ミヤマオダマキ
くるんとした蕾の
形が好き
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季節の礼文島の高山植物はこちらから――> http://www.hanaguideclub.com/hanagoyomi.html

 それぞれを近くでじっと観察するのはもちろん素晴らしいのですが、群落とか朝霧の中の一面のお花畑とか、写真とは違って「空間に浸る」楽しみと喜びみたいな、そんな臨場感、満足感があります。

はなガイドの浜さんの説明で

はなガイドの浜さんの説明で

 昼過ぎは香深からフェリーで再び利尻島・鴛泊港に向かい、利尻空港から札幌丘珠空港への帰路に着きました。

 昔は、仕事で札幌から稚内まで列車、稚内から礼文島まではフェリー、復路も同じ経路での長旅。今回は簡単に利尻島へ降り立ち、まさに「非日常」の3日間で心が洗われる思いでした。添乗員の山田さん、ガイドの皆さん、ありがとうございました!

利尻島・礼文島 2015夏(2)

Posted by 秋山孝二
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二日目は朝5時から盛りだくさんのプログラム。風景、植物等たくさん写真は撮りましたが、後から検索してみたインターネット上のプロの写真にはかないませんね。

あの場の雄大さは上手く撮れないですね

あの場の雄大さは上手く撮れない!

数年前の強風で倒れた

数年前の強風で倒れた

利尻島南からの眺望

利尻島南からの眺望

午後からは利尻島・鴛泊から礼文島・香深へ。雄大な海岸、岬と多彩な愛おしい高山植物。

レブンソウ

レブンソウ

澄海岬

澄海岬

「最北端」ではなく「最北限」!

「最北端」ではなく「最北限」!

利尻島・礼文島 2015夏(1)

Posted by 秋山孝二
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 札幌丘珠空港から飛行機(HAC)で利尻空港へ。「花の浮島・礼文島と利尻島:自然散策ガイドと歩く2島めぐり」二泊3日の旅でした。天気にも恵まれ、海の碧さ、山の気高さ、可憐な高山植物、多彩な鳥たちの鳴き声、ウニ漁・コンブ漁の覇気、花ガイドの方々の丁寧な説明と相俟って、素晴らしい3日間でした。

利尻空港からいきなりの利尻山

利尻空港からいきなりの利尻山

 札幌から飛行機でわずか40分の空の旅。到着して飛行機を降りると一面に利尻山の力強い姿が迎えてくれます。すぐにペシ岬頂上を目指してハイキング。

遠くサハリン方面を望む

遠くサハリン方面を望む

 さらに「利尻はな講座」、夜はホテルでのボランティアによる「利尻島ガイド」と盛りだくさんで楽しかったですね。

「利尻はな講座」

「利尻はな講座」

ボランティアさんの利尻島総合ガイド

ボランティアさんの利尻島総合ガイド

長井淳子選手のこと

Posted by 秋山孝二
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 普段は、夜のニュース、ドキュメンタリー以外のテレビ番組にはほとんど興味がない私ですが、先日、たまたま見ていた番組で取り上げていた長井淳子(あつこ)選手のストーリーは感動しましたね。彼女の人生に心が揺さぶられると同時に、何かと「金メダル、金メダル」と絶叫する世の中で、その陰にある「人生の金メダル」に着目した番組関係者にも拍手です。

女子柔道48キロ級 長井敦子選手

女子柔道48キロ級 長井淳子選手

 
 長井 淳子さんは、埼玉県上尾市出身、埼玉大学教育学部卒業。身長155cmで、田村亮子と10度対戦して全て敗れるも一本負けしたことはありません。幻のオリンピック候補選手。得意技は大外刈、内股。フランス国際柔道大会で1997年にはアマリリス・サボンを大外刈で、2000年にはフレデリク・ジョシネを内股で破り優勝を果たしました。

今は女子柔道コーチとして

今は女子柔道コーチとして

 「オリンピックより大切なことがある」、そう、私はいつもそう思っていました。現役選手引退後も、コーチとして後輩たちの育成に努めて、2008年の北京オリンピック後に全日本女子柔道の監督に就任しました、その意味では「柔道の現役」ですね。

まさに至言、感動しました

まさに至言、感動しました

 当時、恩師の方に相談した時、こうアドバイスを受けたそうです、まさに教育者ですね。

 極限までの努力が結果として報われた方は、「諦めなければ結果に繋がる」みたいなメッセージが説得力を持つのでしょうが、私はそれ以上に、そのプロセスの価値は結果の勝ち負け以上のものがある、いつもそう思っています、「銀メダル」、「銅メダル」の輝く価値とでも言いましょうか。素晴らしい番組でした。

 こちらにも番組が――> https://www.youtube.com/watch?v=N0TWLLRcc1s