このブログ(コラム)を始めて、早くも丸2年が経ちました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24)。「それも世の為、人の為かと思います」と書きましたが、この間、多くの方々からメール、お手紙、直接のご意見を受け取り、心から感謝申し上げます。随分たくさんの方に読んで頂いていることを知り、当初は独善的独り言でスタートしたつもりが、インターネット時代、予想もしなかった展開となっています、結局は「自分の為」だったようです。これまで頂いたご質問、ご意見に対して、私なりのコメントで御礼の言葉に代えさせて頂きます。
1)随分いろいろな場所に出かけているのですね(暇とお金があるんですね)?:1回の出張中に体験したことを数回に分けて書いたりすることも多く、実際はそれ程のことでもありません。以前の上場会社社長・副社長時代は、もっともっと忙しい毎日で、それこそ「忙しい」と言う暇もない程忙しかった、それも看板を背負って、機密性の高い、利害の絡む出張ばかりでしたから。「書く余裕があるんだね」と言われればその通りですが、「書ける出張」に時間を取れる状態ともいえます。
2)踊り場みたいな多少の休息も必要では、今のペースで大丈夫?:「『下山の哲学』と言いながら(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=307)、まだ頂上を目指しているのでは?」とのご指摘がありました。ご心配に感謝しますが、以前からみると信じられないくらいに、「自分の為だけの時間(これを説明するのが少々難しい)」を持つことができています。書いているそのこと自体が、自分にとっては「休息」みたいなもので、ペースに無理はありません。もっと率直に言うと、頭に思い浮かぶ6割程度しか活字になっていない、そんな雰囲気の昨今です。
書くことが無くなればそれで終了、いずれはただ消えていく、気楽なものですね。一つ掲載すると体に空きスペースが出来て、新たなテーマが生まれてくるような気がするのです。また、掲載することにより新しい出会いがあり、そこからまた新たな地平のスタートとなる、以前ビジネスの世界でも似たような体験はしましたが、役回りではなく、現在のように等身大の自分で活動していると、その何倍もの不思議な、新鮮な感じです。
3)毎回重たいテーマ、気まじめで息が詰まります!:一つ書き始めると次から次へと関連する事柄が頭に浮かび、どんどん広がっていきます。この際だから、あれも書きたい、これも書きたいと言葉が「湧き出て」きて、つい詰め込み過ぎる傾向はあるのか、と反省はしています。ただ、若い連中のような軽いノリで文章は書けず、どうしても「気まじめ?」になってしまいますね。特に強いインパクトを受けた時の表現が、「感動しました」、「印象的でした」と型通りの言葉しか出てこない、自分のボキャブラリーの貧困を感じます。読み手にとって息が詰まると言われれば、何ともコメントのしようがありません、お許しください。
4)書き過ぎ、公開し過ぎて支障はありませんか?:一番注意しているのは、文章でも写真でも「プライバシー」なのですが・・・。自分のことは多少出過ぎても責任の範囲ですが、他の方へのご迷惑は注意しているつもりです。最初は固有名詞も全て控えていましたが、回を重ねて変化しました、逆になぜ名前を書かないのか、が明確に説明できない場合も多いので。マスメディアではないので、その辺は自由度大きく考えています。お気づきの方も多いと思いますが、かなりオープンにしているようで、幾つか全く書いていない領域もあります。たくさん発信すると機密も守られる、そんな謎めいた言葉を信じています。
最初の6カ月は文章のみで、次は写真を加え、更に関係ウエッブサイトを出来るだけ掲載し、と少しずつ進化させてきたつもりです。いつも取材のように小さなデジカメをバッグに入れて、少し違ったアングルの写真を撮るのも、楽しみの一つです。
今後に,今幾つかプランを持っています。一般的には、「テレビとインターネットの融合」とかいろいろ言われていますが、Twitterとか携帯電話を使っていろいろ発信していければと思っています、無理のないテンポでですが。先日NHK-BS1で、慶応大学の村井純教授(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5162)がコーディネーターで、「ABUスペシャルセッション・イン・トウキョウ:http://www.abutokyo2010.com/」が放映されていました。グローバルな社会の中で、「つながり」、「関係性」、「ネットワーク」を求めて、新しい時代が各国で始まっているようですよ。
お読みの方々で何か面白いアイディアをお持ちの方は、是非ご提案をお願いします。それではまた、歩き始めます!