進化する企業のCSR

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 (社)経済同友会主催の「CSR:Corporate Social Responsibilityシンポジウム~社会的課題をビジネスにしたCSR経営の実践」が600名を越える参加で開催されました。経済同友会ではこれまでも「企業の社会的貢献(CSR)」に関して、積極的な提言を行ってきていますhttp://www.doyukai.or.jp/csr_summary.html
 
 先日のシンポでは基調講演として、グローバル・コンパクト・ボード・ジャパン(http://www.ungcjn.org/)議長の有馬利男氏が、国連のこの活動の背景と経過説明と、今後のCSRのあり方への仮説を提起しました。国連グローバル・コンパクト(http://www.unic.or.jp/globalcomp/)は、2000年にダボス会議での提唱を基に創設し、その後も継承されています。特に、「10原則」は人権・労働・地球環境」に対して、「コンパクト:誓約」としてまとめられています。「Conpact」という言葉は、「Promise:約束」と「Contract:契約」との中間的意味あいで、「誓約」と認識するのがベストとか。

先進的企業の取り組み

先進的企業の取り組み

パネルディスカッション

パネルディスカッション

 この流れに沿った形で活動している先進的企業の取り組みが紹介されましたが、いずれも地についた自社の強みの延長として位置付けており、新しい時代のCSRとして新鮮な印象でした。事例紹介は下記の企業です。

味の素(http://www.ajinomoto.co.jp/company/csr/)、住友化学(http://www.sumitomo-chem.co.jp/japanese/society/index.html)、ネスレ日本(http://www.nestle.co.jp/japan/j/csr/shared-values.asp)、ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス(http://www.unilever.co.jp/sustainability/

 有馬さんもおっしゃっていましたが、現在の認識としては、1)CSRは経営そのもの、2)CSRはグローバル競争力の源泉、3)グローバル・コンパクトはグローバルなCSRのプラットホーム、であることを再確認しました。

 一方これとは対照的に、スモールビジネスとして「ソーシャルビジネス・コミュニティビジネス」の起業も世界各地で活発です。いずれにせよ、一昨年のリーマンショック以降の新しい資本主義経済を志向する意味でも、金融至上主義・利益至上主義から脱却する「社会課題解決型ビジネスモデル」の構築が企業競争力として重要だと思いました。そしてこれが、21世紀型「成長戦略」に違いありません。

 「景気が悪い」一辺倒の昨今の日本国内の論調ですが、国際社会の中では確実に新しい時代が到来しています。

濃霧の羽田空港

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 昨日の羽田空港は、視界100メートル、朝から濃い霧の中でした。予定の羽田発便が欠航となり、振り替えて座席も予約しましたが、その便の予定飛行機が着陸できずにまた欠航、結局遅れてまだ搭乗口に停まっていた前の便の空席を貰って、札幌に戻ることができました。何だかんだはありましたが、最終的には札幌に着いた時刻は当初予定より若干早く、結果オーライということでしょうか。

ジャンボも霧の中

ジャンボも霧の中

  今まで何十年も羽田空港を利用していますが、濃霧での欠航というのは初めてでした。釧路空港では何回か札幌の便が霧で着陸出来なかったり、或いは釧路から札幌の便が欠航でJRで戻ったことはありましたね。

 飛行機の不都合で思い出したことがあります。もう20年以上前になりますが、ロスアンゼルスからハワイ・マウイ島に行く便の飛行機DC8に乗った時、全ての準備を完了してタクシーイングし、滑走路の端まで来た時に、「エンジンから若干の煙が出ているので搭乗口まで引き返します」との機長のアナウンスでした。戻って飛行機から全員待合室に戻されて待つこと約4時間、その間一つのエンジンの下でつなぎ服を着た整備員がスパナ一つ手に何やら作業をし続けていました。かなり時間が経って、その男が親指を立てて「治ったよ!」のサイン、一瞬喜んで「やっと今日中に着ける」かとマウイ空港で友人と待ち合わせをしていたので、そう思いました。

 しかしそれから約6時間くらいでしたか、マウイまでの道のりでずっと例のエンジンを見続けていたので、深夜に空港に着いた時は目の疲れと大変な全身の疲労感だったことを覚えています。何のトラブルもないと便利な飛行機、「安全運航」への努力は日常的に大変なものでしょうし、時々今回のような不都合があると、あらためて「普通」であることの有り難さを感じますね。

「届かなかったラヴレター」、ブラボー!

Posted by 秋山孝二
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  かなり前から楽しみにしていた、クミコさんhttp://www.puerta-ds.com/kumiko/と井上芳雄くんhttp://www.grand-arts.com/yi/&徳光和夫さん(フリーアナウンサー)と上柳昌彦さん(ニッポン放送アナウンサー)のコラボレーションで、「感動の実話集『届かなかったラヴレター』の朗読を名曲で綴るハートフルコンサート」が札幌コンサートホール・キタラhttp://www.kitara-sapporo.or.jp/で開催されました。東京では渋谷のBunkamuraオーチャードホールhttp://www.bunkamura.co.jp/orchard/index.htmlで2日間だったようです。両方とも本格的クラシックホールですね。 

CDより

CDより

  私はクミコさんのファンで、札幌のライブハウス「tone:http://www.cafe-tone.com/」で最初にお会いして以来、店主の宮澤洋子さんからもご案内を頂き、ほぼ毎回出かけていますし、ライブ終了後の打ち上げにも参加させて貰っていました。昨年このコラムにも書き留めました。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=648

 一昨年は、武道館での複数でのライブも行ってきましたが、とにかく歌が上手で雰囲気があります。シャンソンを基盤に素晴らしい伸びのある声は、長い下積み時代に培われた「本物」の魅力を感じます。この日の「届かなかったラヴレター:http://www.youtube.com/watch?v=tLGFIwueQIs&feature=related」も最高でした。

 一方井上芳雄クンについては、私がスズケン時代にお世話になった管理薬剤師で自閉症に関する沢山の著書もある明石洋子さんhttp://www.budousha.co.jp/booklist/book/arinomama.htmのご家族が、九州時代から井上クン一家とは長い家族ぐるみのお付き合いということで知り、ミュージカルのお誘い等もあり足を運んでいました。抜群の歌の上手さに伸びしろも広く、日本を代表するミュージカルスターとして世界で活躍して欲しいと願っていました。

プライベートな時の井上くん

プライベートの井上くん(明石さん撮影)

 そんな感じで私としては全く別々に応援していたら、数年前からこのお二人がコラボレーションでライブとか曲「車輪」を出しているではありませんか。「最高のコラボ」だと感激しました。とにかく両者ともプロフェッショナルとして歌が上手いのと、人間的な奥行きがあります。 

 先日の朗読とライブでも、沢山の歌が披露されましたが、特に印象的だったのは次の2曲です。一つは、 中島みゆきの「ホームにて:http://www.youtube.com/watch?v=DI9hFRa5yEI&feature=related」です。30年近く前、私が東京での教員生活から札幌に家族全員で行く直前に、レコードのシングル盤でよく聞いていました、確か何かの曲のB面だったと思います。当時、最終列車とホームの様子が心にしみてきました。クミコさんが歌うこの曲を初めて聞きましたが、自分の若い頃の印象とはまた違った感じで良かったですね。

 もう一つは、佐々木祐滋さん作曲「INORI:http://www.youtube.com/watch?v=p68-l_Px3YA」です。広島の「原爆の子の像」のモデル・被爆者佐々木禎子さんを歌った曲で、クミコさんのCDが本日リリースされるといいます。佐々木さんは禎子さんの甥(おい)になり、シンガーソングライターとして全国の小学校等300校以上でもこの歌を紹介してきたそうです。

 納得のいく方々のステージは、聴衆に素直に入ってきます。始まる前のグラス一杯のワインも良かったのでしょうが、ライブ終了後の後味の良さは格別でした。それにしても身近でお会いしている時と違って、舞台で活躍されている方々は、ステージでは本当に大きく見えるものですね。

大盛況、後藤ちしをさんのリサイタル

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  今月2日に続き、更に一つ「2」が増えた平成22年2月22日です。

 北海道演劇財団http://www.h-paf.ne.jp/の応援団、「TPSくらぶ」の新年会でもお会いしたソプラノ歌手・後藤ちしをさんのリサイタルが札幌でありました。500席を越えるホールは満席の盛況で、イタリアオペラ、日本のオペラ等幅広いジャンルから素晴らしいコンサートでした。

プログラムとチラシ

プログラムとチラシ

  以前、土田英順さんのミニコンサートを中島公園のシアターZooで行いましたが、その時にほんの少し後藤さんの歌を聞かせて頂きました。今回は、日本の「芭蕉布」、「落葉松(カラマツ)」は綺麗な日本語を久しぶりで聞く感じがしたし、「さくら横ちょう」は加藤周一の詩で意味が深かったですね。後藤さんの歌声は若さゆえか力がありました。

 今回のリサイタルは、彼女の世界というか、ホールの空間丸ごとの雰囲気を感じ取ることができて素晴らしかったです。札幌ご出身でこれまで多くの方々の支援で海外留学も経験して学ばれて、現在はイタリア・ミラノを拠点に活躍されているようですが、これからも楽しみなプロのソプラノ歌手です。普段あまり使っていない脳の部分を大いに刺激されて、大変心地よいひと時でした。こらからの活躍を期待しています。

Smarter Cities

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 日本アイ・ビー・エムの広報誌「無限大」最新号http://www-06.ibm.com/jp/ibm/mugendai/no126/index.htmlは、特集「Smarter Citeies 2050年、来るべき都市の未来のために」です。他社の広報誌と比べて格段に深いメッセージに、毎回注目しています。

表紙:リビアのローマ遺跡からメドゥーサ像

表紙:リビアのローマ遺跡からメドゥーサ像

 冒頭のグラビア「古代都市からの伝言」では、世界各地の砂漠化した古代都市の遺跡群の光景です。近い過去ではアラル海の写真も不気味な様相から多くのメッセージを発しています。これは想像ではなく、現実であるがゆえにですね。

右・サハラくみ上げ井戸の土台、左・アラル海

右・サハラくみ上げ井戸の土台、左・アラル海

 

 1世紀前、人口100万人以上の都市はわずか16だったそうです。現在は、その数450にものぼります。そして世界の都市人口は13%に過ぎなかったのが、現在すでに50%を越えていて、2050年には70%に達すると予測されると。

 便利で暮らしやすい都市を目指すだけでなく、限りある資源利用の最適化をすることにより、地球とともに生きる知恵も必要なのでしょうね。「エネルギー」「行政サービス」「交通」「教育」「医療」等においてです。そこには「テクノロジー」とともに、「リーダーシップ」の必要性も極めて重要なのでしょう、すべては、人間の営みですから。

 身近な「まちづくり」にも、この程度の哲学と理念が必要です。執筆者の見識の高さを感じ、多くのヒントを得ました。

インビクタス、負けざる者たち

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  今、上映中の「インビクタス、負けざる者たち:http://wwws.warnerbros.co.jp/invictus/」を観ました。クリント・イーストウッドの30本目の作品です。私のずっと使っている英和辞典には、この単語「INVICTUS」は載っていません。「私が、我が運命の支配者、我が魂の指揮官」とチラシにはあります。「不屈」との訳も見つけましたが・・・・。

 南アフリカ共和国を舞台とした実話をもとに作られており、「ネルソン・マンデラの人を許すことに価値を見出した」テーマは、感動的でした。クリント・イーストウッドの監督作品は、「グラン・トリノ」はじめ幾つか見ていますが、押しつけがましくなく、説明過剰でなく、映像とセリフから観客それぞれに想像させる余地を残す優しさを感じさせます。

クリント・イーストウッド監督

クリント・イーストウッド監督

  それにしても、27年間も牢獄に入れられて後、怨念とかではなく、大統領として課題山積の国状でリーダーシップを発揮する姿に、胸を打たれます。投獄中に心の支えとしていた詩の題名「INVICTUS」、感動で世界を変える、奇跡で世界を変える、まさにフィクションを越えた現実の迫力でした。ラグビーチーム主将役のマット・デイモンもいいですね。

 変革への活動とか、集団を鼓舞する時の「歌の力」は歴史的にも証明されていますね。陣営のシンボルとしてのフラッグ・ソングとでも言うのでしょうか。

  映画を観終わってから、何となく中島みゆきの「宙船(そらふね):http://www.youtube.com/watch?v=vGVTiCg8DNI」を思い出しました。その歌詞の一部、

         その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
        おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

どこか共通する心があるのかなと、勝手に納得していました。。「INVICTUS」、一つ新しい英単語を覚え、久しぶりにすっきりした後味の映画でした

懐かしい名、「ウェイン・グレツキー」

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 第21回冬季オリンピックhttp://www.joc.or.jp/vancouver/が、カナダ・バンクーバーで開催されました。開会式の様子をほんの少しだけテレビで見ましたが、懐かしい姿と注目する人がいました。 

 まずは、最終聖火ランナーだったウェイン・グレツキー(Wayne Douglas Gretzky、1961年1月オンタリオ州生まれ )です。今から20数年程前でしたでしょうか、北海道と姉妹州のカナダ・アルバータ州、エドモントン市を訪問した時のことです。市長秘書の少し年配の女性が、市内を自分で運転されて案内中に、アイスホッケーの話で盛り上がりました。すると突然、ハンドルを握りながら飛び上がらんばかりの大きな声で、「ウェイン・グレツキーは最高!!」と絶叫したのです。地元の「エドモントン・オイラーズ」に所属している時で大変な人気でした。その後何回か北米大陸に出張しましたが、スポーツ番組では何回も彼の名前を聞きました。引退後はNHLフェニックス・コヨーテズの共同経営者兼ヘッドコーチを務めているようです。これまでのどの選手よりも偉大なプレーヤーだったようですね、人格的にも尊敬されていました。アメリカ・ロスアンゼルスのチームに移籍した時は、大変な喪失感だったとの話も後に聞きました。

彼の有名な言葉です、”A good hockey player plays where the puck is. A great hockey player plays where the puck is going to be.” 

   もう一人、私が注目した人物がいます。カナダの第27代総督、ミカエル・ジャン総督(Michaëlle Jean, 1957年ハイチ・ポルトープランス生まれ)です。新聞・テレビでもその姿が映っていましたが、グレーのスーツに身を包み、素晴らしい笑顔で「開会宣言」をされました。 五輪開会式での開会宣言は、「開催国の国家元首によっておこなわれる」とオリンピック憲章に明文化されており、国王、大統領もしくは準じる立場の方が開会宣言を行っています。1972年の札幌オリンピックでは、札幌真駒内競技場での開会式、私も観客席に居ましたが、昭和天皇が開会宣言をされました。

 ミカエル・ジャン総督は、先日大地震のあったハイチ・ポルトープランス出身の移民です。今の心境は大変複雑なはずですが、あの素晴らしい笑顔は実に魅力的でした。http://www.canadainternational.gc.ca/japan-japon/bilateral_relations_bilaterales/gg-priorities-priorites.aspx?lang=jpn

 冬のオリンピックには、北海道出身の選手が多いせいもあり、まるで自分の教え子が出場しているような雰囲気で応援にも熱が入るのですが、今回は正直言ってかなり冷静ですね。優勝に絡むような選手の実力ではないからです。決して選手をバカにしているのではありません。ここまでの日々の努力には拍手を惜しみませんし、是非頑張って貰いたいと強く思っています。ただ、メディアが大騒ぎする程の実力はないことも、予め十分知っておいてあげないと、終了後に日本に帰国する彼らがかわいそうだと思うからなのです。全員胸を張って空港に戻って欲しいし、「よく頑張ったね」と、メダルを取った取らないにかかわらず讃える国民の声も大切だと思います。

 それにしても一連のバブリーな「メディア」の報道は一体何なのでしょうか。かなり前からお祭り気分で自分たちだけがはしゃいでいる姿は吐き気がします、この厳しい時代に沢山のスタッフを派遣しての大騒ぎ、毎回のこととは言え、いい加減にやめていただきたいですね。長野オリンピック以降、ろくに選手育成政策も打ち出さずに、結局は個人と所属する団体の献身的努力のみに依存しての選手育成、これでは若い世代も気の毒です。

 メダルの数とか何とかよりも、それぞれの選手がベストを尽くして悔いのない思い出として頂きたいなと、心から祈念しています。

祝!「NORPAC」25周年

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 (社)北太平洋地域研究センター(NORPAC http://www.norpac.or.jp/)は、1984年に「フレッチャー法律・外交大学院大学分校等誘致促進協議会」を母体として発足し、1986年に「社団法人フレッチャー北海道プログラムセンター」に発展的に改組・法人化した後、1991年に現センター名に改称しました。

 発足以来、北太平洋地域の中心に位置する北海道を拠点として、北太平洋を取り巻く各国(アメリカ、カナダ、ロシア、中国、モンゴル、朝鮮民主主義人民共和国、韓国、日本の8カ国)の研究機関と協力し、この地域が直面する諸問題を多角的にとりあげ、学術的な調査研究活動を実施するとともに、それに関連する国際会議・フォーラム・セミナーなどを開催しています。また、この地域の安定と発展を持続させていくためには、国際的な感覚と専門知識を有する人材の育成が不可欠であるという認識のもと、人材交流や人材育成のためのプログラムを積極的に推進してきました。


  私もこの団体の理事を永年つとめてきましたが、先日、設立25周年の記念講演会・祝賀会が開催されました。講演会は、この会に当初からご尽力された木村汎先生により、「ロシア双頭政権の対日戦略~鳩山政権への提言」と題して行われました。

木村汎先生の講演

木村汎先生の講演

 日本とロシアの交渉スタイルの違い、歴史認識の違い等を踏まえて、性急にではなく、根気強く粘り強い交渉をする構えの重要性等、幾つかの示唆に富むお話でした。

 その後の25周年式典・懇親会では、これまで特にご功労のあった松江専務理事他へ感謝状の贈呈がありました。思い起こせば、この「北海道フレッチャースクール」の絡みで、ハーバード大学のスーザン・ファー教授ともお近づき頂き、その後のネットワークも拡がりました。折からの公益法人改革もあり、今後は(社)北方圏センターhttp://www.nrc.or.jp/への事業統合で一層の発展をする旨も、先日発表されました。北海道の国際学術交流も、新たな時代への展開となってきたことを実感致します。

 これまで培ったネットワークを大きな財産として、「東アジアの中の日本」の価値を、創り上げていきたいものですね。

「さっぽろ雪まつり」が閉幕

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  昨日で「第61回さっぽろ雪まつりhttp://www.snowfes.com/」が終わりました。今年は240万人を越える観客で盛況だったようです。

北のいのちたち

多様ないのちたち

  私が生まれた札幌の場所は、この大通公園からすぐ近くです、本当に幼い頃から「雪まつり」とともに育ってきました。ただ、それもせいぜい小学校低学年くらいまでで、その後は地元を離れたこともあり、全くのご無沙汰、次は自分の子供を連れて何回か通った時期でしたでしょうか。その子供たちも大きくなってそれぞれの道を歩んで札幌を離れると、また訪れる年もありませんでした。

 今年は何となく、開催中に近所での会合もあり、久しぶりにぶらぶらと歩いてみました。一番驚いたのは食べる店の多さでしょう。「札幌『食』まつり」となったかのようですね。それぞれのお店にはたくさん人もいて、冬の市場の様子でした。

さっぽろ「食」まつり?

さっぽろ「食」まつり?

 誠に勝手なノスタルジアですが、騒々しいテレビ局(?)のアナウンサーの声・ミュージック、焼き鳥の匂い等は、私にとっては「雪まつり」らしくないのです。11丁目会場に静かに並んでいた従来型の「まっ白い雪像」群に、大変懐かしさを感じました。

キリンとサントリーの「破談」に思う

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 世界最大級の酒類・飲食会社を目指し(?)経営統合交渉を行っていたキリンホールディングスhttp://www.kirinholdings.co.jp/とサントリーホールディングスhttp://www.suntory.co.jp/でしたが、8日「打ち切り」を表明しました。メディア的には「破談」と言うらしいですね、新聞報道によると「両社の認識が一致しなかった」との理由だそうです。また、創業家と統合比率も大きな不一致材料だったと複数の報道もされています。

 この種の報道の時に、よく結婚前の「お見合い」に例える方が多いのですが、私は大変不適切だと思います。「お見合い」を一度も経験していない私ではありますが、昨今の「結婚」は大変多様ですし、大体伝統的なものが男女対等の関係とも思われません。「嫁をもらう」とか、仲人とか、およそ企業のM&Aとは無縁の構図だと私は以前から感じていましたが。

 直近5年間を見ても、ライブドアとニッポン放送(05.4)、王子製紙と北越製紙(06.8)、楽天とTBS(09.3)、日本通運と日本郵政グループ(09.9)等、経営統合交渉が打ち切りになった事例が目立ちますが、私にとっては「何か軸が違っている」、或いは「そもそも経営統合の目的でトップ同士の意思確認が出来ていたのかどうか」、トップ同士の信頼感に関して疑問を抱かざるを得ません。

 今回の場合、東証1部上場会社のキリンと、創業家が株式の9割を保有する未上場会社のサントリーとでは、外部の目からも、当初から「経営」と「所有」に対しての認識に大きな違いがありましたね。むしろ、よくこの状態でM&Aのテーブルに着いたな、と思っていました。そんな意味からは善悪の問題ではないのですが、今回の「打ち切り」は前向きな決断かもしれません。

 というのも、私は、1998年に医薬品卸業界で(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/と(株)秋山愛生舘の大型M&Aの一方の経営者として事に当たり、当時業界再編成の先駆的事例となった経験があるからです。ともに東証上場企業であり、トップ同士の信頼も最後まで崩れることなく交渉は進みました。「統合比率」でもめるなど、今振り返っても少しの可能性も無かったと思います。上場会社には株式市場で決まる「株価」がありますし、財務諸表も開示されていますので、予め大体の予測はつきます。極端に言えば「自ずから比率は決まってくる」に近い項目ではないでしょうか。腹の探り合い、創業家の主導権維持等での統合比率交渉だとすれば、事業統合の目的を見失った経営者の姿としか思えません。

 ただこんな経験もあります、私が合併後に関わった未上場会社との事業統合交渉では、毎回この「統合比率」、別の言い方をすると、未上場会社の社長の「俺の会社の株価をいくらに評価してくれるのか」という発言で、もめていました。自分の財産をどう評価するかが、創業家の経営者にとって、結局のところは最重要課題である場面を目の当たりにしました。

 私は1997年7月、(株)秋山愛生舘の5代目社長として、自分で事業統合への思いを「合併の趣旨」として冒頭に記載し、合併契約書を締結しました。当時相手方の(株)スズケン別所社長に事前にこの趣旨を提案した時、一言「これで結構です」とおっしゃいました。殊に「社会的使命」と「ビジョン」については、激変する社会環境への対応と果たすべき役割を共通理念としており、業務提携以来3年半に渡る経過で得た成果だったと自負しています。東証での記者会見の時、これに対する質問はどの記者からもありませんでしたが・・・・。

以下、その一部を抜粋して書き留めます。(下線は、ここに掲載の為に私が挿入したものです)

 

 

 <合併の趣旨>

両社が19942月に業務資本提携を締結して以来、約3年半が経過いたしました。この間、経営的視点からは、「21世紀に勝ち残る『新しい価値創造』が両社で可能かどうか」、「進化していく『力』が存在しうるか」、が最重要課題でした。一方各層での意見交換の場としての提携推進委員会の活動を通じて、商品供給、教育・研修、情報システム、新事業の開発と協同推進等の分野で相互理解を深め、幾つかの実績をあげて参りました。

 

この間の提携を冷静に総括し、

1)新しい価値創造の基盤、すなわち共有すべき理念(使命・ビジョン・価値・責任)

2)新しい価値創造のエネルギー、すなわち異質であるもの  

の存在に確信を得ました。異質なるものの確認は、この提携のマイナス要素ではなく、激しく変化する環境の中で、生き残るエネルギーとしてむしろ評価すべきものです。異なった地域で育ってきた人材、企業の成長過程、風土等は、多様性を包含出来得る可能性と評価し、新しい企業文化の創造に向けた限りない潜在的エネルギーとして、寄与できるものと確信しています。

 この様な背景の中で、異質なるものを包含した両社が、一歩進んで『新しい会社』を目指して合併する事により、激変する経営環境を乗り越える広域卸業としての確固たる経営基盤を築くことが出来るとともに、国内市場のみならずアジア等海外市場にも雄飛していくことを可能ならしめるものです。

 

企業理念として次の様な点において、基本的に同一の認識を共有しています。

社会的使命: 両社は、心から生命をいとおしみ、社会の幸福と繁栄を革新的に推進する「総合健康創造・支援企業」です。

ビジョン: 両社は、国際的視野を持って、常に力強く変革を遂げ、顧客・両社で働く全ての人々・ビジネスパートナー・地域社会・株主に対する責任を果たし続ける良き企業市民を目指し、すべての人々が信頼し期待するリーディングカンパニーになります。

 このような考え方のもと、両社は対等な精神で両社の経営資源を統合し、もって両社の社会的使命を確実に実現して参ることで合併に至ったものであります。

 

 この経験はもう10年以上前ですが、今も私はM&Aの話が出てくる度に、この「合併の趣旨」を越えるものは無いと考えています。共有する基盤は必須要件ですが、かと言って全く同じものであれば、規模が大きくなるだけで新しい価値創造はありません。「異質なもの」が交じり合う(ぶつかり合う)ことによって新しい価値創造のエネルギーとなり、全てにおいて一致している必要はないでしょう。。更に、「認識の共有」と「統合比率」は基本的に全く別問題、「株主比率」と「経営の主導権」も、別です。

 企業の生き残りをかけた選択は、まさに「理念」の勝負だと、私はささやかな自分の経験から思っています。

「上海モダン」の展覧会

Posted by 秋山孝二
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 今月6日から20日まで、上海の現代アーティスト8名による「上海摩登 SHANHAI MODERN」と題しての展覧会が、札幌市内の2か所で開催されています。

http://cai-net.jp/info/shanghai.html

 http://www.g-monma.com/top.html

パンフより

パンフより上海を代表する現代美術作家8名

上海を代表する現代美術作家・8名

上海を代表する現代美術作家・8名

  それに先だって、来札された中国人芸術家の皆さまの歓迎レセプションパーティーも催されました。7名の方とその奥様、その他札幌市長を含めた関係者が、「Gallery 門馬」に集まり、しばし上海芸術の今を語り合いました。上海からのゲストはほぼ1960年代生まれだそうで、大学教授や美術館館長などのお仕事、現在、中国美術界をリードしている皆さまとのことでした。

 昨年11月に札幌で「札幌ビエンナーレ(札幌国際芸術祭)」に繋がる企画のフォーラムがあり、パネラーの一人として私も参加しました。平成23年度開催を目指していることも、中心になっている方々から紹介もありました。ただ、一方で市民的な盛り上がりを基盤にしなければ、関係者だけの「イベント」になって、継続的な「札幌での催し」には進化していきませんよね。幸い札幌には、「雪まつりhttp://www.snowfes.com/」、「’72札幌オリンピックhttp://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/05/08.html」、「PMFhttp://www.pmf.or.jp/」等、国際的なフラッグイベントがありますし、「SAPPORO」の名も札幌市民が思っている以上に海外では有名です。今回のような展覧会一つ一つの企画を積み重ねて、芸術家他、経済界、市民等の応援を幅広く得て、世界に発信するイベントに育てていきたいものです。

 今年5月1日開幕の上海国際博覧会(上海万博)も、以前から中国でのオリンピック開催とともに注目されていました。中核となる施設「中国館」の竣工式典が昨日あったようです。全般的に工事の遅れが深刻になっている、との報道を目にしますが、「東方の冠」がテーマのこのパビリオンは高さ69メートル、建築面積は約4万6000平方メートルの逆台形の巨大な建物で、故宮と天安門を彩る赤色を参考にした「中国紅」で彩られているそうです。とにかく、一ケタ違う感じです。

長岡が育んだ人物を訪ねて

Posted by 秋山孝二
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  何回か通り過ぎてはいても、「一度はちょっと足を止めてみたいマチ」が、私には幾つかあります。新潟県長岡市はその一つ、山本五十六、河井継之助、「米百俵」の小林虎三郎でも有名ですね。

上越の今

越後の今

  駅の観光センターには沢山のパンフレットがありました、歩いて回れるコースも幾つか。

 * 脈々と受け継がれる越後長岡「米百俵の精神」――長岡藩文武総督・小林虎三郎http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kurashi/bunka/komehyaku/kome100.html

 * 「小千谷(おじや)会談」に臨んだ長岡藩軍事総督・河井継之助 http://tsuginosuke.net/

 * 山本五十六記念館の達筆な書簡の数々と「覚悟」 等 http://www.nagaokacci.or.jp/kankou/html/p4_yamamoto.htm

山本五十六の生家に建つ銅像

山本五十六の生家に建つ銅像

 その中で、山本五十六記念館では貴重な資料を幾つか見つけました。「山本五十六の『覚悟』」と題した冊子には本人直筆の「述志」2通他、手帳・書簡の写真と紹介記事が盛りだくさんです。「述志」の一つ、昭和14年記述のものは海軍次官時代に、昭和16年12月8日記述のものは、連合艦隊司令長官として開戦日に認めた遺書です。更に海軍兵学校同期で心の友・堀悌吉海軍中将との書簡等も、時代を担って生きたリーダーの品格をうかがい知ることが出来ます。こんな偉大なリーダーの存在がありながら、昭和初期から終戦まで、海軍内では結局は少数派、膨大な犠牲で敗戦を迎えた日本という国の現実を、私は見逃してはいけないとも思います。

 郷土の、ある住職は山本五十六のことを、「質実剛健、愛想なしで底の知れないという長岡人の典型みたいな人物。長岡藩が300年かかって最後に創り出した人間であろう」と語っています。各藩での「ひとづくり」、今「地方主権」などと声高に政治の場で騒がれていますが、ほんの百数十年前の日本を取り戻すだけでそのモデルを見出すことができます。

 

写真の数々

 今も郷土の誇りとして、「まちづくり」、「くにづくり」、「ひとづくり」を軸とした偉大な人物と偉業を語り継ぐ姿勢に敬意を表します。

 

 戦後の日本の政治を見ていると、やはり第二次世界大戦で数多くの優秀な人材を失った影響は大きいと言わざるを得ません。ただ人材がいないのなら、それを補うべく次の世代の台頭を促したのでしょうが、能力がなく志も低い連中がやる気を出してリーダー気取りでのさばり始めると、その損害は甚大なものになり、多くの犠牲者を出してしまいます。状況を易々と許してしまう思考停止の国民も危険です。

 でも、嘆いてばかりもいられません。私は思っています、ひどい社会にした責任だけは、残された時間で次世代以降の為にささやかな自分の活動で取っていかなければなりません。それが一人の凡人としての「覚悟」と言えましょうか。

愛生舘の「こころ」 (9)

Posted by 秋山孝二
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  昨年5月に「愛生舘の『こころ』 (3)」で次のように書きました。

・・・・・片桐一男先生は、すでに「愛生舘のこころ(1)」でご紹介しましたように、「松本良順と愛生舘」の研究を長年されています。6年前に青山学院大学を退任された後も、毎年全国各地で講演をされています。その中で、長崎におけるオランダ人ポンぺと海軍伝習・医学伝習、そこでの勝海舟、松本良順との出会い、長崎大学医学部との関係等、実に興味深い歴史の研究で高い評価を得ています。・・・・・・・

 今年初めての「幕末史研究会:http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=1」が、先日東京・吉祥寺で開催されました、第172回目です。片桐一男先生によるシリーズ3回目の講義で、大勢の聴衆で会場は熱気につつまれていました。一昨年の「長崎海軍伝習」、昨年の「松本良順と愛生舘」に続く、今回の「勝海舟から坂本龍馬へ」、副題は「その、外への眼差し」とありました。

昨年と今年の資料より

昨年と今年の資料より

 「松本良順と愛生舘」に関してはすでに昨年書いていますので、重複は避けます。今回のメインは勝海舟の海軍伝習が近代的海軍の建設のみならず、科学技術の習得、そして単なる「学問」の伝習ではなく「文化」を学ぶ場であったこと、更には国家・社会の理解の必要性を指摘していた事実を、片桐先生の解説で彼の著書「蚊鳴(ぶんめい:「文明」をかけている)よ言」から知ることが出来ました。江戸城の無血開城を実質的にやり遂げた人物の哲学を垣間見る思いで、勝海舟のすごさを感じましたね。

 講義終了後の交流会が、また大変興味深かったのです。参加者が多彩で、勝海舟・坂本龍馬・榎本武揚の直系子孫の方々、渡米した咸臨丸の乗組員の子孫の方々等、幕末から明治を肌で感じるお話の数々でした。幕末・明治維新がそんな遠い時代ではなかったとの実感です。 それぞれの方々が、時代の中で祖先を心から「誇り」と認識している、その眼差しがさわやかなひと時でした。

 今年9月8日の秋山財団講演会では、財団設立25周年記念として「松本良順と愛生舘」の演題で、片桐一男先生にご講演をして頂くことになっています。秋山記念生命科学振興財団の設立趣旨の中に、「愛生舘の理念」の継承が謳われています。長崎の医学伝習で得たものを、実際の近代日本で展開しようと松本良順が試みた事業、そもそも「愛生舘事業」とはどんな理念だったのか、今年は大変興味深い年になりそうです。

 今の混とんとする時代には、原点を見つめる視座が何事にも必要だと思いますね。

キューバ映画祭、今年も

Posted by 秋山孝二
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  平成22年2月2日と「2」が並びました。先月下旬に今年も札幌市内で、「キューバ映画祭 in サッポロ」が開催されました。

ポスターから

ポスターから

 

 今年は狸小路5丁目とごくマチ中に会場を移して、集中しての映画上映・ライブの数々、私自身は何かと都合がつかず、結局足を運べたのは「ダビドの花嫁 UNA NOVIA PARA DADID」、「フルカウント EN TRES Y DOS」の二本だけでした。キューバというと「革命」、「戦い」と思いがちですが、切なくなるような日常の繊細な表現等、感情の機微に富んだ作品も多いのが魅力ですね。人間の生理に合ったテンポ、会話のやりとりが心地よいというか、やたらに人がバタバタと倒れることもなく、カーチェイスがこれでもかとたたみ掛けるでもなく、「人間的」なのですよ。

 そう言えば今月のANA機内誌で、面白いフレーズがありました。「才色兼備のカントリーシンガー」と題してのラスベガス在住「あきこ・まーしゃんと」さんのエッセーです。

・・・・カントリーはメロディと歌詞が一体になって心に共鳴する。歌詞の内容も「今度の彼も、燃やす写真が一枚増えただけ」とか、「デートを繰り返すたびにもっと犬が好きになる」とか、「なつかしいのは初恋の彼じゃなくて、恋をしていた若いイノセントな私」など、愛聴した往年のJポップと同じ感覚で・・・・・・

 彼女とは随分年代の差はあるでしょう、でもキューバの映画を観ても世代を越えた面白さと感動を感じることが出来る気がします。なかなか観る時間を作るのが難しいですが、来年もまた、宜しくお願いします。