懐かしい名、「ウェイン・グレツキー」

Posted by 秋山孝二
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 第21回冬季オリンピックhttp://www.joc.or.jp/vancouver/が、カナダ・バンクーバーで開催されました。開会式の様子をほんの少しだけテレビで見ましたが、懐かしい姿と注目する人がいました。 

 まずは、最終聖火ランナーだったウェイン・グレツキー(Wayne Douglas Gretzky、1961年1月オンタリオ州生まれ )です。今から20数年程前でしたでしょうか、北海道と姉妹州のカナダ・アルバータ州、エドモントン市を訪問した時のことです。市長秘書の少し年配の女性が、市内を自分で運転されて案内中に、アイスホッケーの話で盛り上がりました。すると突然、ハンドルを握りながら飛び上がらんばかりの大きな声で、「ウェイン・グレツキーは最高!!」と絶叫したのです。地元の「エドモントン・オイラーズ」に所属している時で大変な人気でした。その後何回か北米大陸に出張しましたが、スポーツ番組では何回も彼の名前を聞きました。引退後はNHLフェニックス・コヨーテズの共同経営者兼ヘッドコーチを務めているようです。これまでのどの選手よりも偉大なプレーヤーだったようですね、人格的にも尊敬されていました。アメリカ・ロスアンゼルスのチームに移籍した時は、大変な喪失感だったとの話も後に聞きました。

彼の有名な言葉です、”A good hockey player plays where the puck is. A great hockey player plays where the puck is going to be.” 

   もう一人、私が注目した人物がいます。カナダの第27代総督、ミカエル・ジャン総督(Michaëlle Jean, 1957年ハイチ・ポルトープランス生まれ)です。新聞・テレビでもその姿が映っていましたが、グレーのスーツに身を包み、素晴らしい笑顔で「開会宣言」をされました。 五輪開会式での開会宣言は、「開催国の国家元首によっておこなわれる」とオリンピック憲章に明文化されており、国王、大統領もしくは準じる立場の方が開会宣言を行っています。1972年の札幌オリンピックでは、札幌真駒内競技場での開会式、私も観客席に居ましたが、昭和天皇が開会宣言をされました。

 ミカエル・ジャン総督は、先日大地震のあったハイチ・ポルトープランス出身の移民です。今の心境は大変複雑なはずですが、あの素晴らしい笑顔は実に魅力的でした。http://www.canadainternational.gc.ca/japan-japon/bilateral_relations_bilaterales/gg-priorities-priorites.aspx?lang=jpn

 冬のオリンピックには、北海道出身の選手が多いせいもあり、まるで自分の教え子が出場しているような雰囲気で応援にも熱が入るのですが、今回は正直言ってかなり冷静ですね。優勝に絡むような選手の実力ではないからです。決して選手をバカにしているのではありません。ここまでの日々の努力には拍手を惜しみませんし、是非頑張って貰いたいと強く思っています。ただ、メディアが大騒ぎする程の実力はないことも、予め十分知っておいてあげないと、終了後に日本に帰国する彼らがかわいそうだと思うからなのです。全員胸を張って空港に戻って欲しいし、「よく頑張ったね」と、メダルを取った取らないにかかわらず讃える国民の声も大切だと思います。

 それにしても一連のバブリーな「メディア」の報道は一体何なのでしょうか。かなり前からお祭り気分で自分たちだけがはしゃいでいる姿は吐き気がします、この厳しい時代に沢山のスタッフを派遣しての大騒ぎ、毎回のこととは言え、いい加減にやめていただきたいですね。長野オリンピック以降、ろくに選手育成政策も打ち出さずに、結局は個人と所属する団体の献身的努力のみに依存しての選手育成、これでは若い世代も気の毒です。

 メダルの数とか何とかよりも、それぞれの選手がベストを尽くして悔いのない思い出として頂きたいなと、心から祈念しています。