本物の大人の真剣さを伝えたい

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 私は3年前から札幌学院大学(SGU)客員教授をしています。「経営戦略論」、「経営組織論」も一時講義をしました。昨日はスポット的に、「現代ビジネス論」の講座の中で、外部の実際の経営者という事で学生の前でしばしお話をしました。

学生たちに伝えたかったのは、今は100年に一回の大激変期、こういった時期ほど過去の経験は意味を持たず、若者にとってエキサイティングな時はないという事。もう一つ、グローバルなビジネス環境は、国境が無くなっていることであり、これからは「都市・地域」の個性による直接的競争・自立・責任が価値を持ってくる時代、それ故にコミュニティビジネス、ソーシャルビジネスが面白いよ、という事でした。

ただ、それらはあくまでもマクロの環境であり、その中でどう経営者として事業を組み立てるか、若い世代に大いに期待したいとも語りました。最後に、真剣に人生を歩んでいる「本物の大人」と数多く出合って貰いたいとも欲張りました。私のささやかな経験では、素晴らしい出会いで同じ時間・空間で呼吸を共有すると、足のうらから感動が伝わって来る時があったものですから。

終了後に男子学生が質問に来ました。きれいな眼で良い顔をしていましたよ。いずれ起業したい、そんな素晴らしい志を聴き、帰り道に私の方が元気を貰いました。多少遅めの昼食は、JR札幌駅近くのいつものカレー南蛮そばでした。

市町村合併の現状と課題は

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 29日は、北海道経済同友会地方行財政問題委員会の今年度第一回目が開催され、出席しました。北大の先生を講師に、ご講演と意見交換の1時間半でしたが、企業経営の立場からこの間の市町村合併の過程を見ていると、如何にも危機感とスピード感に欠ける印象です。

その地域の住民の意向は、「合併してもしなくてもどちらでも良い」というのが大勢を占めている場合が各地で多いようですが、そもそも今後の将来を展望して、首長がまちづくりのビジョンを示して、説得していく過程を経なくては、成功するはずもないと思うのです。住民の意向をアンケートで取ってみたり、意識の遅れた議会議員、変わらぬ自治体職員の意識等、それぞれに本気と覚悟を感じませんね。時代の大きな転換を認識出来ないというか、したくないというか、浅いですね。

それともう一つ感じることは、地方分権が進んだ場合、それぞれの地域の自立する市民の声が、政策決定プロセスで大変大きな力になると信じるのですが、道庁はじめそんな時代の展望を全く持っていません。自立する市民を歓迎しない、政策は自分たちの仕事だとの思い込みがあるのではないでしょうか。

経済界からも、陳情ではなく、政策提言を積極的に行っていく気概を持ちたいものです。

新渡戸・南原賞の再出発にあたって

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 5

 昨年末に、講演で札幌にいらっしゃっていた順天堂大学の先生から、新渡戸・南原賞のお話を伺いました。5年間、新渡戸稲造、南原繁のお二人の偉大な教育者の軌跡を記念して、授賞事業を継続していたそうです。財政的事情から、今後の事業継続に懸念が出てきて、受け皿を模索中とのお話でした。

 一方秋山財団では、この間の努力により新たな財源が生み出されて、新規事業の検討を行っていました。テーマ性のある事業への支援、将来の新しい担い手を育成する事業等への応援を軸に構想を練っていた時だったので、この新渡戸・南原賞の件を伺って、トントン拍子に事が進み、来年度から秋山財団での事業とする事に致しました。

 私は、何か事を始める時に、「原点」を大切にしたいといつも思うのです。新渡戸稲造、南原繁という人物はどこに生まれ、どういった時代、どんな人生を生きた方なのか、まずお二人が眠る東京の多摩霊園に墓参に参りました。6月8日、この事業の代表者東京大学名誉教授の方、他2名とご一緒に、新渡戸稲造、内村鑑三、南原繁、矢内原忠雄の各墓前にお花を捧げ、各先生のご功績等を話合いながら、約2時間を掛けて回りました。途中、日本海軍の英雄、東郷平八郎、山本五十六の墓前にもお参り致しました。私の父、秋山宏(旧姓野田宏)は海軍兵学校66期卒で、キスカ撤退作戦、レイテ沖海戦で旗艦の通信長を務めましたが、2年前に90歳で亡くなりました。

 8月末に、その父の故郷青森県八戸市で「いとこの会」が開催されました。20名程の親戚が一堂に会し、在りし日の先祖をそれぞれに語り、絆を再認識しました。翌日に妻と二人で、盛岡市の先人記念館に紹介されている新渡戸稲造の資料、花巻市の新渡戸稲造記念館を訪問して、あらためて新渡戸稲造の多彩な功績の数々に圧倒されました。

 そして、先日10月23日、四国香川県東かがわ市三本松の南原繁の生誕地を訪問することが出来ました。今も現存する県立三本松高校の同窓会100周年会館内の記念展示を拝見して、今もなお地元でしっかり受け継いでいる南原繁の精神を目の当たりにして、その偉大さとそれを継承している帝國製薬社主の方をはじめとする地元の方々の活動に、強く感動しました。大坂峠からみる景観は、南原繁がしばしば思い出したふるさとの原点となっているとの事でした。

 私もこれまで数多くの国・都市を訪問しましたが、結局自分の心の中にある原風景は、ふるさと札幌の藻岩山であり、豊平川の水の流れであり、円山公園の空に向かう木々でした。

 どんな時代においても、変わらぬ立ち位置、ポジショニングは、すなわち変わらないミッション(使命)を意味している訳で、今年の故郷巡礼の旅は大変貴重なひとときとなりました。

10年の時間軸で振り返ると

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 5

 忙しい合間にふと考える時間があると、10年くらい前は自分は何を思っていたのかな、と振り返りたくなります。

10年前の自分は医薬品卸業の企業経営者で、出張も多く忙しく活動していましたが、やはりその時も更に昔を振り返っていたようです。業界紙に寄稿したエッセーより・・・。

 

もうひとつの顔 「そんな時代もあったよね」 ’98.8

 

「もうひとつの顔」というより、「本来の顔」というべき私の公立中学校教師人生は、今考えると僅か5年間の短期間ではあったが、大学生活・教育実習等を含めるとほぼ二倍の実質的意味合いになる。その大学の館山臨海実習所で出会った女性との結婚、そして共稼ぎの生活を実時間で換算すると、人生に占める期間は更に長くなる。現在の顔こそが私にとっては、ひょっとするとひとときの旅姿かもしれない。

 

 子供が特に好きだった訳でもなく、印象深い恩師がいた訳でもないが、私は中学校時代から将来は中学校教諭になりたいと考えていた様で、中3卒業文集には「僻地教育――千里の志」と書いてある。その後、朝永振一郎博士に憧れ、「物性物理学」に挑戦するも、大学卒論作成過程で私は研究職には向いていない事を痛感した。

 

 この業界に入り、数多くの勉強会で多数の全国の経営者二世達にお会いした。「私は教員という職ほど世の中で楽な仕事は無いと思う」と力強く言われた時は大変なショックで、私は思わずその冷酷な表情を睨みつけた。「皆大人になると、自分一人で大きくなったと思いやがって・・・」。足を洗ったはずの職業を侮蔑されたと大いに反発したものだった。今の会社で4・5年経った時だったろうか。ふと仕事で考え事をしていると、「こんな風に思考した事が以前にもあったな」と気がつく時があった。不思議にも机の引出しに確かに仕舞い込んだ教師生活の数々の経験が、鮮やかに甦り、経営の場にしばしば役に立った。

 

 男子・女子バレーボール部の監督で、子供達と365日の生活はその中でも一番貴重なものである。当初は出ると負けのチームで、試合場に向かう我々は、屠場(とじょう:動物を食肉用にする為に殺す場)へ引かれる牛の心境だった。負けても笑顔の子供達に、「お前達、悔しくはないのか!」と怒鳴り、試合後バスも使わせずトボトボと歩いた日々。学校近くまで来た時、一人の男子が「先生、今度は恥をかかせないように俺達頑張るから」と一言。弱小チームは練習場にも当然恵まれない。何とか一勝したい、という共通の気持で毎日遅くまで練習の日々。「お前達!試合に勝てないなら、せめて試合場で他校のボールを取ってきて沢山練習しようじゃないか」ととんでもない目標を与えると、素直な子供達は試合に勝つ前に、まずその目標を達成した。「よし!良くやった」、このあたりから、この地区の教育は乱れ始めたのかもしれない。

 

 やがて厳しい地区予選を勝ち抜いて、都大会へ男女そろって出場できるまで成長した。特に女子は、接戦を粘り準決勝まで進出し、あと少しで全国大会出場まで強くなった。夏休みに小平市の日立体育館で、全日本女子山田重雄監督に教えを請うたこともあった。テレビで見る全日本女子チームの選手が練習する中で、ソ連のスモレーワ、リスカルのスパイクコースのデータ等がびっしり貼られた壁は、もはや情報戦であった。「バレーボールは難しい競技ではないんだよ。床とボールの間に手を入れればよいのです」。外為法違反で捕まろうと、私の山田重雄氏への尊敬の念は今も変わらない。

 

 元全日本の名セッターMさんは釧路出身である。食事をする機会が有りお話を伺った。「金メダリストを幸せにする自信はない」と去っていった男性のお話が妙に心に残っている。中学校のバレー部の子供達はその後、インターハイで全国優勝したり、大学進学し、テレビのバレーボール中継で見たり、日本体育大学応援団長になったり、なかなかの活躍のようだった。当時の子供達が札幌を訪れた時、会社の連中に「今度、東京からクラブの女の子が遊びに来る」と宣伝し、大いにひんしゅくをかった。

 

 生活指導は、子供達にとってより、私自身の人生勉強になった。二十代の私は、正義感ゆえに子供達を随分傷つけたような気がしている。「教育とは子供達に自信を与える事である。その為には教師は立ちはだかる壁になり、時には支える踏み台になれ。教師自身の正義感で、子供を悪者扱いしてはいけない」。私の尊敬する学年主任の一番印象に残る言葉であった。家出した子、万引きした子、捕まった番長等を理科実験準備室に個別に呼んで話をすると、皆実にいい子達ばかりだった。自分の学校の下級生が他校生にお金を強奪された時、「俺の力が足りなかった」と号涙した番長。「いや、お前のせいではない」と肩をたたき、ともに涙を流した自分が懐かしい。

 

 「まわるまわるよ、地球はまわる」。時の流れに驚きながら、「そんな時代もあったよね」と、今夜も中島みゆきのCDで「時代」を聴いている。

 

スタートを前に

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 2

 ホームページ検索・メール受送信を10年以上続けてきましたが、沢山の情報を自分の中だけにしまっておくのはもったいない気がしていました。公開することによって新たな価値が生まれるのなら、それも世の為、人の為かと思います。

 予めのカテゴリー分けもままならず、最初のしばらくはアトランダムに垂れ流しになりますが、そのうちに整理していこうと思っています。取りあえずスタートを前に、「決意表明!」です。