私の本の作り方・売り方

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 高校の六華同窓会(http://www.rikka.net/)の今年度の特別事業として、「私の本の作り方・売り方~出版不況と言うけれど」が、札南高視聴覚室で開催されました。雨が降るあいにくの天気でしたが、会場は現役生、校長はじめ学校関係者のみなさん、同窓生であふれ、トークショーは大盛況でした。

当日の報告――> http://www.rikka.net/news/892016101/2016_2.html

 芥川賞作家の円城塔さん、小学館DIME編集長の大高和久さん、文藝春秋文春文庫部の吉田尚子さんの同窓のこの分野の方々をお迎えして、高校時代のお話から現在のお仕事、今の出版業界のお話など、オフレコの話も盛りだくさん交えながら終始リラックスした雰囲気でお話をしていただきました。私にとっては、ふだんあまり深く立ち入った分野ではなかったので、出版社泣かせの小説家、芥川賞の内幕ほか、面白いお話でした。ここではあまり披露しない方がいいかな、と。

http://www.minami41.org/special/

当日案内

当日案内

* 円城塔(https://www.amazon.co.jp/%E5%86%86%E5%9F%8E-%E5%A1%94/e/B004LVAL6M

* 大高和久(http://d.hatena.ne.jp/teru0702/20151030/1446167147

* 吉田尚子(https://www.bunshun.co.jp/recruit/about/magazine/bessatsu.html

トークで盛り上がり

トークで盛り上がり

視聴覚室は満席!

視聴覚室は満席!

 私の後輩たち、皆さん、この分野でも大活躍ですね、本当に嬉しいことです!

第10回 相模原臨床アレルギーセミナー

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 第10回目となる「相模原臨床アレルギーセミナー(http://sgmseminar.umin.jp/)」が、全国からの医師300名の参加により、今年も充実した内容満載で横浜で開催されました。独立行政法人 国立病院機構相模原病院(http://www.hosp.go.jp/~sagami/rinken/crc/index.htmlが主催し、「臨床アレルギー」の多彩な演題で全国の臨床医、とりわけ小児科医の学びとして貴重な場となっています。

広大なパシフィコ横浜展示場

広大なパシフィコ横浜展示場

暑い日、パシフィコ横浜で

暑い日、パシフィコ横浜展示場2階会議室で

会場内は300人の参加者で熱気ムンムン!

会場内は300人の参加者で熱気ムンムン!

懐かしいKENZMEDICOの聴診器、私が副社長だったスズケンの関連会社!

懐かしいKENZMEDICOの聴診器、私が副社長だったスズケンの関連会社!

 このセミナー会場で強く感じたのは、参加される先生方の熱意です。主催関係の方にお聞きすると、講演開始前1時間前から来場される参加者が少なくなく、前方座席から着席され、途中退席が極めて少ない現象は、期待の大きさと責任をひしひしと感じると。私も扉を開けてすぐに感じたのですが、普段の学会以上の非常に熱意にあふれた雰囲気は、来賓者や講師の先生方も皆驚かれるようです。そう言えば、昨今の学術的な諸「学会」は、登録者はそれなりで登録料も払い込まれるので運営自体は成り立つのですが、実際、会場に足を運んでみると、開会式はじめ参加者席は閑散としてる場合が実に多いですね、特に、6月、9月頃開催される札幌での学会は、いずれもこのような傾向です、残念なことに。

 それはさておき、今年度から、秋山財団では故秋山一男(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21621)の業績を記念して研究助成の中に新たに「アレルギー特別(http://www.akiyama-foundation.org/history/history_05)助成」事業をスタートし、特に「臨床アレルギー」分野の研究者を継続して応援したいと思っています。要項は以下の通りです。

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■助成の目的

 この研究助成は、長年にわたり臨床アレルギー学の発展に多大な貢献をされた故秋山一男氏(前日本 アレルギー学会理事長、前国立病院機構相模原病院院長・臨床研究センター長)のご遺志を受け継ぎ、 アレルギー領域の研究を支援する目的で開設したものです。秋山一男氏は秋山財団の基本財産に多額の寄附をされ、今日の研究助成事業の基盤を築きました。 すでに北海道地区のアレルギー領域の研究は世界的なレベルにあります。この研究助成はさらなる アレルギー領域における独創的な研究や社会に貢献できる成果を期待して行われるものです。道内の アレルギー領域の研究者の方々には、幅広く応募して頂くことを望みます。

■助成の対象となる分野

 臨床アレルギー領域

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 一日目終了後、谷口先生はじめ準備を担った皆さまの反省会に参加させて頂きました。全国から集まり、相模原病院でお仕事をされている若い医師の皆さん、事務方の皆さん、これからの日本を背負う人材に期待を抱かせるお話の数々でした。直接兄と仕事をした方は数人でしたが、若い力にこちらも元気を貰うことができました。

夜は準備された皆さまの反省会にも出席

夜は準備された皆さまの反省会にも出席

 セミナー内容は、第1回から一貫してアレルギー学会専門医到達目標の8割以上をカバーできる内容を目指して構成されているそうです。ただし、どうしても内科・小児科中心の内容にならざるを得ず、今後の重要な検討課題であると。また同時2科以上の複数会場開催、関東以外での開催への希望も多いため、今後は改善していくようです。近年では日本の臨床研究能力低下が指摘されていて、次年度以降は、若手医師にとって臨床研究の重要性も伝えていきたいと、谷口先生はおっしゃっていました。

 日本の医療の臨床現場で日夜奮闘する医師、病院スタッフの生のお話を伺い、何か強い希望の光を感じ、これからも出来るだけの応援をして参りたいと、決意を新たにした次第です、皆さま、この度は大変お世話になりました。

100回記念シンポ@北海道経済学会

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 秋山財団の理事・小磯修二先生が代表をつとめる「北海道経済学会(http://hokukeizai.webcrow.jp/」、現在は200名を越える会員ですが、第100回記念シンポジウムが開催されました。「人口減少、グローバル時代の地域戦略」について、それぞれの分野からのメッセージを貰いました。

100回の記念シンポ

100回の記念シンポ

経済、観光、農業、それぞれの視点から

経済、観光、農業、それぞれの視点から

代表の小磯修二先生

代表の小磯修二先生

 観光分野から登壇された大西雅之代表も、秋山財団の理事でお世話になっています。歴史・文化を背景とした骨太のツーリズムの提言は感動しました(http://biglife21.com/companies/706/)。

大西雅之代表のプレゼン

大西雅之代表のプレゼン

北海道の原点を見極めて

北海道の原点を見極めて

 そして、農業分野からは石橋栄紀さん、昨年浜中を訪問した時にも再生可能エネルギーと地域振興について、いろいろお話を伺うことができました。先日のメッセージも実に分かりやすく、農業と雇用と地域振興について実践報告と提言をされました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=22819

石橋栄紀さん:http://www.doyu.jp/topics/posts/article/20100507-093710

* ハーゲンダッツアイスクリーム(http://www.haagen-dazs.co.jp/ilove/index.html)の原料製造:白い牛乳の品質へのオンリーワンを目指しての取り組み、そして「世界標準」へ

* 組合員は自ら生産する牛乳が最高品質にあると自負している

* 健全な水、空気、土地  +  健康な人 と 牛

* 酪農事業における枠組みの変換は、「法人経営」

変わらぬ鋭いご指摘

変わらぬ鋭いご指摘

オオムラサキ & エゾエノキ

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 札幌南高学校林については、これまでいろいろ書き留めてきました。

こちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%9E%97

 その中の一つの活動プロジェクトは、エゾエノキの植林と国蝶オオムラサキの繁殖です。先日、札幌近郊で以前から試みている方を訪問して、たくさんの貴重なお話を伺うことができました。

日本の国蝶「オオムラサキ」

日本の国蝶「オオムラサキ」

羽化したばかり

羽化したばかり

エゾエノキもたくさん!

エゾエノキもたくさん!

美しい葉脈

美しい葉脈

 自然界での厳しい生存競争の中で、オオムラサキも必死に生き続けています。いつの日か、有明の学校林にオオムラサキが乱舞する光景を見たいものです。

枝廣淳子さんとともに

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 枝廣淳子さんが主催する「e’s未来共創フォーラム 異業種勉強会」~情報・考え方、行動・広がりへ!(http://www.es-inc.jp/network/index.htmlは、業種やセクターを超えて「共創力をはぐくむ場」を提供し、「共創のための作法と力」を身につける場となっています。東京での開催なので、なかなか毎回出席とは参りませんが、熱心な皆さまとの意見交換は大変刺激的であり、私自身の活動に役に立っています。

 今回は第40回、学生たちとのワークショップでした、今の学生たちを取り巻く環境も垣間見て、ひと時エキサイティングな時間を過ごしました。

 簡易版報告はこちら――> http://www.es-inc.jp/network/forum/2016/nwk_id008436.html

学生たちと一緒に

学生たちと一緒に

保阪正康さん@小樽市民講座 2016

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 昨年もご登壇された小樽市民講座での保阪正康さん、今年も含蓄のあるお話でした。

 昨年はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24010

 昨年の秋山財団贈呈式に先立っての特別講演会でも、研究者の方々へのメッセージを含む素晴らしいお話でした。

ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24387

 今回は、「昭和史から見た平成、平成からみた昭和史」との題です。近著の「田中角栄と安倍晋三」は、ご本人がおっしゃる通り、副題の「昭和史でわかる『劣化ニッポン』の正体」が内容を的確に表現しています。

小樽市民講座で、今年も

小樽市民講座で、今年も

歴史から学ぶ

歴史から学ぶ

新著での鋭い指摘

新著での鋭い指摘

 保阪正康さんは、仕事柄、よく本を読むほうだと。そのため本を読まない人の特徴が分かるつもりだとおっしゃいます。安倍首相には読書が少ない人の特徴がみられ、まず『美しい国』など形容詞を使うことが多い。『侵略に定義はない』などと物事を断定するが、その理由やプロセスを説明できない。もうひとつ、どんな話をしても大体は5分以上もたない。耳学問だから深みに欠けるのです、と説明を加えました。さらに、安倍首相は、「この道しかない」、「アベノミクスはまだ道半ば」などと威勢のいい言葉で大衆をけむに巻くような自己陶酔型であり、祖父・岸信介を妄信して日本を戦争する国家に変えようとしている、と。

 安倍首相には岸のほかに父方の祖父・安倍寛がおり、戦前、翼賛政治の妨害をはね返して選挙に当選した反骨の政治家です。しかし、安倍首相は岸の方ばかり見て、寛から目を背けて、視点が等間隔でないところに政治的な歪みを感じるとも。このことは、4年前の東京日比谷公会堂における「九条の会」で、澤地久枝さんから三木睦子さんの言としてお話を聞いたことがありました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14584

 近著でもそうですが、この日も、何か覚悟を決めたかのように現在の政治の劣化について痛烈に批判をされました。翌日、小樽で意見交換をした後、札幌にお連れして秋山財団事務所にもお越しになり、秋山財団へのアドバイスも頂きました。

第6回 遠友みらい塾

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 昨年11月に続き、寺島実郎塾長にご出席頂いての「遠友みらい塾(http://enyumirai.main.jp/」、今回は第6回目となります。

 これまでの「みらい塾」の記載はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%81%BF%E3%82%89%E3%81%84%E5%A1%BE

 今回は新しいメンバーも多く、冒頭で私から、ここまでの経過、現状、今後の展望をご説明致しました。ハードウエアとしての「記念館建設」プラン、ソフトウエアとしての「遠友みらい塾」、そしてネットワーキングとしての「INAZOサミット」、と機軸を考えています。「INASZOサミット」は、三浦按針の「ANJINサミット」をモデルに、これから企画を検討する予定です。

* 「ANJINサミット」: 徳川家康の外交顧問として活躍した英国人・三浦按針(ウィリアム・アダムズ)ゆかりの4市(大分県臼杵市、静岡県伊東市、横須賀市、長崎県平戸市)は、按針の功績の顕彰と各市の魅力の発信を目的に、平成25年4月、「ANJINプロジェクト」を立ち上げ、1年ごとに4市を回ってサミットを開催しています。今年4月も予定されていましたが、熊本・大分の大震災で中止となりました(http://www.usuki-kanko.com/?p=6054)。実は、私は参加しようと大分に泊まっていて地震に遭遇しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?m=201604)。

現状を私から報告

現状を私から報告

 寺島塾長からは、「歴史的に宗教間の対立を紐解き、最近起きている闘争を題材から日本のあるべき立ち位置をどう考えるか」、お話を頂ました。

寺島実郎塾長のお話

寺島実郎塾長のお話

 幾つかの個別プログラムもスタートしています。一つは、「北海道経営塾」です。これは寺島塾長の出演番組を視聴し、その後塾生にて議論し、理解を深めるという試みになります。初回はBS11『寺島実郎の先見未来塾(http://www.bs11.jp/news/6073/)』でのユニクロ柳井社長との対談を取り上げました。

BS11寺島番組のフォローアップチーム

BS11寺島番組のフォローアップチーム

 二つ目は「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/)」メンバーが中心となって開催している「読書会」です。『農業本論』(『新渡戸稲造全集』第2巻)」、柴崎由紀『新渡戸稲造ものがたり』銀の鈴社藤井茂『新渡戸稲造75話』新渡戸基金、等を使っています、農業本論の読書会では、毎回東京からの参加者もいらっしゃいます。

 更には、今回も報告がありましたが、「地方自治を見直そう』、「マチづくりの合意形成」、「アメリカオレゴン州ポートランドに学ぶ(http://enyumirai.main.jp/wp-content/uploads/2016/07/2016_PL.pdf)」等、地域に根差した活動をテーマにしたプログラムです。

 多彩なプログラムがこの「遠友みらい塾」をプラットホームにスタートして、これからが楽しみです!

北を語る会・移動例会 2016 (5 最終)

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 今回の一泊二日の終盤プログラムは、増毛を出発し雄冬峠を越えて、さくらんぼ狩りの「木村果樹園(http://www.kimurakajuen.com/」に到着です。園主の木村武彦さんから果樹園の歴史等を伺いました。1878(明治10)年に開園し、4代にわたって果樹園を営んでいるそうです。面積は約5ヘクタールあり、サクランボをはじめりんご、梨、ぶどうほか、たくさんの品種を生産しています。サクランボは「佐藤錦」、「南陽」、「紅秀峰」をその場で食べたり、持ち帰り用に採りました。

 「佐藤錦」は少し小さ目の実で色は深紅、昔からの品種ですね

 「南陽」は大きい実で色は黄色っぽい

 最後の訪問は、「はまます郷土資料館(http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/soshiki/h-syougai/2729.html」です。元白鳥家が経営していた鰊建網漁場の番屋で、1899(明治32)年に建てられたものです。鰊漁の歴史とともに歩んだ番屋も、1955(昭和30)年以降の漁の衰退によって放置され、崩壊寸前でしたが、1971(昭和46)年、浜益村は開村百年の記念事業の一環として、この番屋を復元、「浜益村郷土資料館」として甦らせました。

ニシン御殿跡は郷土資料館

ニシン御殿は郷土資料館へ

ヤン衆の集まる居間

ヤン衆の集まる居間

親方の場所

親方の場所

ニシン漁の熱心な説明

ニシン漁の熱心な説明

 そして名残惜しいですが、最後の休憩所で夕方の日本海を望みながら・・・。

どんより曇った日本海を名残惜しそうに見て

どんより曇った日本海を名残惜しそうに見て

 増毛町の「元陣屋(http://motojinya.blogspot.jp/」見学でも分かったのですが、北海道の近代史というと「松前藩」とか「開拓使」と言われますが、実は、北海道全域の統治には、実に多くの藩が参画してそれぞれ格闘していたことを知りました。歴史に学ぶ、まずは身近な地元北海道の文化の歴史、縄文、擦文、アイヌ等、まだまだ学ぶことがたくさん、近隣外国との交易も、随分盛んに行われてたことがたくさんの証拠品から分かってきています。

 実り多い郷土の歴史探索でした、ありがとうございます!

北を語る会・移動例会 2016 (4)

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 増毛駅(http://uu-hokkaido.jp/recommend/mashike.shtml)界隈は風情があります。

終着駅

終着駅

すぐ先には灯台も

すぐ先には灯台も

駅舎はお土産と休憩所

駅舎はお土産と休憩所

ニシン漁の舟(実物大)

ニシン漁の舟(実物大)

 高倉健主演の映画「駅(STATION)(http://blowinthewind.net/cinema/station.htm」の舞台でも有名です。

高倉健主演の「駅」も

高倉健主演の「駅」も

 国稀酒造に先立って訪問した「旧商家丸一本間家(http://www.town.mashike.hokkaido.jp/kyoiku/honmake.html」の帳場ほかも興味深かったですね、国稀酒造はここの酒造部が独立分離したものです。屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど 当時の建築職人の心意気が感じられます、今の企業に比べて文化の香りがそこかしこにあります。

 本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり、鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していったと説明してくれました。

本間家の帳場で

本間家の帳場で

一生懸命説明してくれた学芸員

一生懸命説明してくれた学芸員

 北海道の近代の一断面を、このような若い方が一生懸命に説明する姿、こみ上げる感動ですね、歴史ツーリズムは、まさに地域の歴史を紡ぎ出す今を生きる人間たちの努力の末に生まれるものなのでしょう、大変勉強になりました。「ひとりひとり生きた」軌跡をリスペクトして丁寧に拾い出す作業とでも言うのでしょうか。

北を語る会・移動例会 2016 (3)

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 浦臼から宿泊の増毛町「オーベルジュましけ(http://www.auberge-mashike.jp/」へ。増毛の夜は、国稀酒造(株)(https://www.kunimare.co.jp/の林眞二代表取締役社長の講演でした。

 「国稀」は増毛町が暑寒別岳連峰から豊かな残雪を源流とする伏流水が湧き出ているため、非常に良質な水が得られることから、自家用として造り始めた酒が愛飲され今日に至っているとのこと。

社長の講演

林眞二社長の講演

 「国稀」は初代本間泰蔵が、増毛郡役所に醸造免許鑑札願いを届け出た1882(明治15)年が創業です。創業者本間泰蔵は、1849(嘉永2)年、新潟県佐渡の仕立て屋の三男として生まれ、1873(明治6)年23歳で小樽に渡り呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン景気でわく増毛にしばしば行商で来ていましたが、1875(明治8)年に増毛に移り住み呉服商を始めました。

 創業から20年間は、旧本店(現「旧商家丸一本間家 http://honmake.blogspot.jp/」、国指定の重要文化財)敷地内にある醸造蔵で酒が造られていました。しかしニシン豊漁による好景気が続き、酒の需要が増え続け、創業時の設備では量産できないところから、1901(明治35)年、現在地に地元産の軟石を使った酒蔵を建設しました。同年に合名会社となり、丸一本間合名会社酒造部として永きにわたり営業していましたが、合名会社設立から100年目の2001(平成13)年に、「国稀酒造株式会社」と社名を改めました。

ずらり試飲用ラインアップ

ずらり試飲用ラインアップ

 二次会は参加者の部屋で、差し入れの新鮮な甘えびをつまみにさらにお酒で懇談が続きました。

二次会の部屋には差し入れの甘エビが大盛りで

二次会の部屋には差し入れの甘エビが大盛りで

 翌日は遠藤水産(株)の港町市場(http://www.m-ichiba.jp/mashike.htmlです。新鮮な魚介類のほか、ウニの殻むきも忙しそうでした。

ウニをむく人たち

ウニをむく人たち

 前日、林社長の講演を聞き、一夜明けて国稀酒造(株)の酒蔵見学です。

銘柄がずらりと

銘柄がずらりと

樽の中で熟成

樽の中で熟成

 たくさんの見学者で賑わう酒蔵で、職員の方の熱心な説明を聞きました、試飲もできてよかったです、以前訪問した時は、車で行ったので私は飲めなかったので。

 ニシン漁、北前船、湧き水等、国稀酒造訪問から北海道の歴史をあらためて知る機会となりました。

北を語る会・移動例会 2016 (2)

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 午後からは空知の浦臼町へ、「内ファーム21(http://www.jinnaifarm21.co.jp/index.html」の見学です。設立者の神内良一(http://www.jinnaifarm21.co.jp/greeting/greeting.htm)さんは、大手消費者金融会社「プロミス」創業者、香川県の農家に生まれ、 北の大地・北海道での農業開拓を夢見て、会長引退を機に農業への貢献を新たな目標として私財を投じ、1997年、「神内ファーム21」を設立しました、「我が人生、最後の真剣勝負」と。

 北海道有数の農業地帯として知られる空知、そのエリア内にある浦臼(うらうす)町の丘に約600ヘクタールの農地を所有しています。マンゴーやパイナップルなどをはじめとする南国果樹の栽培、広大な敷地で育まれた栄養豊富な「あか毛和牛」の飼育。「克冬制夏」を合言葉に、寒冷な冬の気候に左右されず1年間を通じて安定生産の実現を目指しています。春は桜並木、夏はラベンダー畑といった北海道ならではの美しい風景や、果樹園でのフルーツ狩りなど、四季折々の魅力で、先日もたくさんの訪問客でいっぱいでした。

陣内ファームのラベンダー畑

神内ファームのラベンダー畑

 マンゴー栽培の温室で説明を聞きながら、科学的手法に裏付けられての信じられない程の手間の掛け方で、品質の高い実を生産している様子を知りました、温度、湿度、栄養バランスほか、ですね。

温室内はマンゴーの実がたくさん!

温室内はマンゴーの実がたくさん!

パイナップルの実も!

パイナップルの実も!

実験的に栽培中のバナナ、花(下)と実(上)

実験的に栽培中のバナナ、花(下)と実(上)

 「あか毛和牛」の牛舎前での説明では、新しいカテゴリーの「赤毛和牛」とそのブランド化への努力が注目でしたね。ストレスを掛けない牛の放牧・給餌ほか、細心の注意を払って科学的な飼育を試みています。生産・飼育から販売までの一貫したマーケット創造の理念は参考になります。

赤毛和牛の飼育

あか毛和牛の飼育

新しい赤毛和牛のジャンルで勝負

新しいあか毛和牛のジャンルで勝負

 さらに、2003年、21世紀の農業企業化モデルの開発を目的として「財団法人北海道農業企業化研究所(HAL)http://www.hal.or.jp/」、2005年、新しい農業ビジネスの実践、普及を図るため、「神内ファーム夢現塾(http://www.jinnaifarm21.co.jp/mugen/index.htm」をそれぞれ設立。 経済的にも精神的にも豊かな農業の結実を推し進めています。10年くらい前に、HAL財団の贈呈式に出席したことを思い出しました。

 やはり、商品開発、ブランド化の次は、人材育成にたどり着くのでしょうね、解説の濃密な内容とともに、そのプロセスを知ることができて貴重な訪問となりました。

北を語る会・移動例会 2016 (1)

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 異業種交流「北を語る会」の移動例会が、増毛一泊ツアーで開催されました。

 これまでの記事はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%80%8C%E5%8C%97%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E4%BC%9A%E3%80%8D

 初日は札幌駅からまずは月形町の「月形樺戸博物館(http://www.hokkaidolikers.com/articles/2528」です。

 1881(明治14)年、現代日本の創世記のころ、1874(明治7)年の佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、1876(明治9)年の萩の乱、翌年の西南戦争など多くの内乱が発生しました。明治政府は、これら内乱で逮捕された人たちを国事犯・反乱分子として、隔離・収監する必要に迫られ、その地を北海道に求めました。こうして、アイヌの人たちが「川が合流する地点」(シベツブト)と読んでいた月形に、全国で3番目、北海道で最初の集治監「樺戸集治監」が建てられたのです。

 初代典獄(今で言う所長)は、月形潔でこの方の姓からまちの名前になりました。この地は、背後にヒグマが生息する樺戸山々を従え、前面にはとうとうと流れる原始の石狩川が広がる、逃亡不可能な自然の要塞だったのです。ここでは、樺戸集治監の開監から廃監までの39年間のあゆみを、豊富な資料でドラマチックに展示再現しています。

 この日案内して頂いたのは月形町長の櫻庭誠二さん、「矯正広報大使(名誉典獄)」の名刺もお持ちです。北海道の道路、鉄道は、殆どはここに収監されていたような囚人たちによって出来上がったものであり、今を北海道に生きる私たちは、その歴史と功績に感謝し、きっちり讃えて伝えていく責任があるとの町長のお話は、実に説得力がありました。

本部建物前で

本部建物前で

町長の熱弁!

櫻庭誠二月形町長の熱弁!

 初代の樺戸集治監典獄であった月形潔の功績をたたえ、北漸寺の境内に1906(明治39)年に建設され、現在は、月形樺戸博物館本館前に移設されています。

月形潔の顕彰碑

月形潔の顕彰碑

月形潔の銅像

月形潔の銅像

 月形町では、北海道の内陸に初めて道を切り開き、非人道的な使役で倒れた人びとを、毎年夏に「樺戸監獄物故者追悼式(http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/3680.htm」を町主催で開催し、今も手厚く供養し、囚人墓地に眠る1,022名を慰霊しています。

 私は、桜庭町長のお話を聞きながら、歌手の新井英一が歌う「無名戦士の墓(ヴィソーツキイ」を思い出しました。

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1. 十字架もなく眠る友よ 花に埋もれさびしく

涙そそぐ人の群れに 妻の姿さがして

ひとりひとり生きたのに みんな同じ墓の中

血のにじむ土の上に 冷たい石の記念碑

2. 君たちの胸に燃えさかった 炎は何を焼いた

ぼくらの国の畑と となりの国の都を

ひとりひとり生きたのに 妻たちも知らない

十字架もない墓場に 重たい雨が降るよ

ひとりひとり生きたのに 妻たちも知らない

十字架もない墓場に 重たい雨が降るよ

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 誰が最初に井戸を掘ったのか、私たちは決して忘れてはなりません。郷土の歴史を情熱を持って伝え続ける櫻庭誠二町長の姿に感動しました。