北を語る会・移動例会 2016 (1)

Posted By 秋山孝二
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 異業種交流「北を語る会」の移動例会が、増毛一泊ツアーで開催されました。

 これまでの記事はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%80%8C%E5%8C%97%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E4%BC%9A%E3%80%8D

 初日は札幌駅からまずは月形町の「月形樺戸博物館(http://www.hokkaidolikers.com/articles/2528」です。

 1881(明治14)年、現代日本の創世記のころ、1874(明治7)年の佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、1876(明治9)年の萩の乱、翌年の西南戦争など多くの内乱が発生しました。明治政府は、これら内乱で逮捕された人たちを国事犯・反乱分子として、隔離・収監する必要に迫られ、その地を北海道に求めました。こうして、アイヌの人たちが「川が合流する地点」(シベツブト)と読んでいた月形に、全国で3番目、北海道で最初の集治監「樺戸集治監」が建てられたのです。

 初代典獄(今で言う所長)は、月形潔でこの方の姓からまちの名前になりました。この地は、背後にヒグマが生息する樺戸山々を従え、前面にはとうとうと流れる原始の石狩川が広がる、逃亡不可能な自然の要塞だったのです。ここでは、樺戸集治監の開監から廃監までの39年間のあゆみを、豊富な資料でドラマチックに展示再現しています。

 この日案内して頂いたのは月形町長の櫻庭誠二さん、「矯正広報大使(名誉典獄)」の名刺もお持ちです。北海道の道路、鉄道は、殆どはここに収監されていたような囚人たちによって出来上がったものであり、今を北海道に生きる私たちは、その歴史と功績に感謝し、きっちり讃えて伝えていく責任があるとの町長のお話は、実に説得力がありました。

本部建物前で

本部建物前で

町長の熱弁!

櫻庭誠二月形町長の熱弁!

 初代の樺戸集治監典獄であった月形潔の功績をたたえ、北漸寺の境内に1906(明治39)年に建設され、現在は、月形樺戸博物館本館前に移設されています。

月形潔の顕彰碑

月形潔の顕彰碑

月形潔の銅像

月形潔の銅像

 月形町では、北海道の内陸に初めて道を切り開き、非人道的な使役で倒れた人びとを、毎年夏に「樺戸監獄物故者追悼式(http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/3680.htm」を町主催で開催し、今も手厚く供養し、囚人墓地に眠る1,022名を慰霊しています。

 私は、桜庭町長のお話を聞きながら、歌手の新井英一が歌う「無名戦士の墓(ヴィソーツキイ」を思い出しました。

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1. 十字架もなく眠る友よ 花に埋もれさびしく

涙そそぐ人の群れに 妻の姿さがして

ひとりひとり生きたのに みんな同じ墓の中

血のにじむ土の上に 冷たい石の記念碑

2. 君たちの胸に燃えさかった 炎は何を焼いた

ぼくらの国の畑と となりの国の都を

ひとりひとり生きたのに 妻たちも知らない

十字架もない墓場に 重たい雨が降るよ

ひとりひとり生きたのに 妻たちも知らない

十字架もない墓場に 重たい雨が降るよ

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 誰が最初に井戸を掘ったのか、私たちは決して忘れてはなりません。郷土の歴史を情熱を持って伝え続ける櫻庭誠二町長の姿に感動しました。

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