ナンドール展、さくら市ミュージアムで

Posted by 秋山孝二
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  ワグナー・ナンドール展が、栃木県さくら市ミュージアムhttp://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/sakuracitymuseum.htmlで開催されています。栃木県益子町にあるワグナー・ナンドール・アートギャラリーhttp://wagnernandor.com/indexj.htmでは恒例の秋季展示会も同時に開催中です。

エントランス

さくら市ミュージアム・エントランス

 宇都宮からJRで15分、氏家駅近くの勝山公園内で素晴らしい環境の中、彫刻・水彩画・テラコッタ等の展示が豊富にされています。簡潔にまとめたナンドールの生涯は、大変分かりやすく理解できます。訪問者名簿にも沢山の方々が記名されていました。もともと地元出身の日本画家・荒井寛方(あらいかんぽう)氏のメモリアルミュージアムですので、地元の歴史と一緒に、今回日本に帰化して栃木県に骨を埋めたワグナー・ナンドールの展示会は、新しい価値を双方に創造した気がします。
 芸術家として学び、戦ったハンガリー・ブダペストの丘にも、彼の作品「哲学の庭」作品群が近年設置されて、その価値の再評価が進んでいます。

ハンガリー・ブダペストで

ハンガリー・ブダペストで

  今年12月には、ハンガリーと日本の友好50周年を記念して、東京都中野区の哲学堂公園http://www.tetsugakudo.jp/top.htmにも「哲学の庭」作品群が設置されると聞いています。作品の持つメッセージと説得力に圧倒されます。日本とハンガリーとの懸け橋として、彼の生涯は更に重要な価値をもたらしました。同時に札幌出身の妻のワグナー・ちよにより、彼の作品は今もしっかり守られて多くの方々に更に感動を与えています。そしてハンガリーと札幌と益子のネットワークも拡がることを期待したいです。

 東京への帰り道、宇都宮で乗り継ぎに少々時間があり、夕方でしたが餃子屋2軒に寄りました。

外せませんね

外せませんね

台風一過、深まる秋

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 東京は台風一過の快晴で、雪を頂いた富士山もくっきり見えていました。

都心から富士山も

都心から富士山も

 一方札幌は、北風も強く、公園の木々の葉も風に舞っています。一気に冬に向けて衣替えですね。

札幌はもう冬に向かって

札幌はもう冬に向かって

 昨日の鳩山由紀夫首相の所信表明演説、新聞で読み返し、これまでとは大きく異なって随所に歴史的「覚悟」のフレーズを見つけました。今日の早朝のワイドショーをほんの少し見ましたが、登場していたいつもの方々は、「文字数が多くて長かった」、「情緒的」、「具体性がない」等、またゾロ批判の嵐でしたね。本当にあの種の方々は演説の内容をしっかり読んで聞いて理解しているのでしょうか。「変革」という言葉を何回使ったとか、歴代首相と文字数がどうとか、「オバマを真似しているみたい」というに至っては、それこそ「お前は日本国民か」と思いましたね。

 残念ながら日本語には褒める表現・言葉が少ないですかね。いや、やはりテレビに出ている連中が貧弱なのでしょう。ニュースで見聞きしたあのヤジの品格の無さに比べて、鳩山首相の演説は間違いなく格調が高かったと思います。そして歴史認識を変える幾つかのキーワードが随所に決め言葉として入れ込まれていました。企業経営でも、社長が高い見識で企業理念を語るとレベルの低い連中は必ず「抽象的」、「具体性がない」というのです。哲学・理念とはそういうものですよ。

 メディアの政治の取り上げ方が、相変わらずの野次馬から一歩も出ない、とにかく貧困ですね。新聞では、朝日の政治献金への異常なこだわりは何なのでしょうか。数年前の選挙の時は、「学歴詐称」にやはり特別な執着を見せて、担当記者設定して候補者にいちいち「同窓会名簿のコピーを出せ」と言っていましたが。全く別の次元で、自立した市民がどんどん表に出てきて、本物・偽物をしっかり見極める場を創りたいものです。私の身の回りの方々の中では、今、随分変化が起きている気がします。満を持して、今やっと国造りの担い手の舞台に登場しつつあります。

卒後40周年の同期たち、そして同窓会

Posted by 秋山孝二
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  今年は高校卒業後40年、そこで以前から計画していた「卒後40周年同期会」を開催した所、全国から60名を越える同期生が集まりました。場所は登別「滝の家:玉の湯」です。須賀社長が同期で、玄関の看板も同期生の制作によるものです。

入口看板

入口看板

  10年前は「卒後30周年」で同じような企画をしましたが、半分程度の出席者。夜の懇親会で「50周年は何人集まるのかな?増えるのか減るのか」、日本の高齢化社会の中で、世代によるライフスタイルの推移を実感するひと時でした。

 翌朝、バス組が洞爺・支笏方面に出発した後、須賀社長に案内して貰い昨年新築した「滝の家http://www.takinoya.co.jp/」を覗きました。川に掛かる橋は、「My 橋」。中庭は以前と同じですが、紅葉も素晴らしく、「日本の秋」を象徴するような素晴らしい景観です。中国他アジアからのお客様も多く、大変印象的な場となっているようです。朝日と静寂さの中、なぜか「平和な日本」をしみじみ感じました。

My 橋

My 橋

   夜は例年通り札幌で同窓会総会・懇親会でした。毎年プラスバンド部がオープニングを飾るのですが、今年は現役高校生がインフルエンザで「学校閉鎖」中とのこと。9月の記念イベントのビデオがそれに代わりました。今年を象徴するような、まさに「ハプニング」ですね、今年は650名を越える参加者でした。

 同窓会の幹事長を拝命している私は、依頼があり会誌にメッセージを送りました。昨年、枝廣淳子さんが主催するワークショップhttp://www.es-inc.jp/で学んだ「多様性」をベースに、「人の多様性」の価値を語ったつもりですが。

同窓会旗は来年当番期に受け継がれ・・
同窓会旗は来年当番期に受け継がれ・・

自立、絆、そしてバランスでしょうか

 

 ・・・今年のテーマ「六華繚乱」は、数々の華の眩しいほどの乱舞をイメージさせるまさに多様性の象徴ですね。生物多様性のキーワードは「つながり」と「バランス」と指摘する方が多く、その実態は「つながり」を取り戻す活動であり、更に厳密にいえば「戻す」よりも「先へ進む」ことなのでしょう。「Resilience」という言葉が「温暖化リスク」と同様に、この頃この分野では良く使われていて、「しなやかな強さ」と一般的には訳しているそうです。

一方昨年のリーマンショック以降、ビジネスの世界でも企業経営者のマインドは随分変化してきている気がします。最近のある経営フォーラムでは、「スピードを上げることは企業競争力を高める手段だったが、人間をハムスター化した。これからは人生のスピードにプレーキを掛ける必要があるだろう」と言い切るコンサルティング会社のトップもいました。そしてこれからの時代は、企業の成長を個人の幸せにつなげる時代、「多様性のシナジー効果」としてのイノベーション等、価値の大転換と位置づけていました。

静かに考えてみると、21世紀は「ひと」の時代に間違いなく、イノベーション、リーダーシップ、ライフワークバランス、コラボレーション等、昨今繰り返し重要性を指摘される言葉は、みな「ひと」に絡む課題ばかりです。私のように高度経済成長期を生きてきた人間の視点からは、まさに様変わりの様相を呈していますが、別の言い方をすれば一中・一高・南高の志で育まれた六華同窓生たちには、まさに「我々の時代」の到来とも言えるのではありませんか。「未来は予測するものではなく、創り出すもの」と、ハンガリーの哲学者アービン・ラズローはメッセージを提起しました。

多様な「いのち」が存在できる世界、それは人間社会でも自然界でも、最も豊かで健康で価値のある状態だと確信しています。六華同窓生、そして現役在校生を含めた将来の仲間たちの多様な「いのち」の躍動を期待し、大切にしたいものですね。・・・・

 

 

ところで母高の同窓会館には、以前から鳩山一郎氏による大きな「有愛」の書が飾られています。どういった因縁なのでしょうね。

 

札幌の国際交流の原点

Posted by 秋山孝二
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  5月23日のこの欄でも紹介した杉岡昭子さんが、国際プラザ主催「ポートランドを知るセミナー~札幌の国際交流の原点~」と題して講演をされました。三国志に出てくる「根深叶茂」という言葉で口火を切り、この50年の国際交流の歴史を語りました。

杉岡さんの情熱

杉岡さんの情熱

 「Born in Portland,Oregon」は、橘宗一少年http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/nagoya/nag023.htm の墓石裏に刻まれているフレーズです。今回、アメリカ・オレゴン州ポートランド市を、この視座から「地域と地域へ」と説明された杉岡さんの講演に、少々驚きを覚えました。因みに彼の墓が現在置かれている名古屋市の日泰寺は、1998年から2002年末まで単身赴任していた名古屋のマンションから歩いて数分の場所でした。
 「ありのままに・・・・」を交流の基本概念として始まった札幌の国際交流の原点は、まさにこのポートランド市自体が持っていたホスピタリティとボランティア精神だったのでしょう。ポートランドの魅力と札幌の成り立ちと歴史、その50年の交流にはこれまで沢山の方々の汗と涙の物語が綴られています。
 私もこの歴史の中で、杉岡さんのご講演でも紹介されていました「経済交流」において、ほんの少しではありますが役目を果たした気がします。当時の板垣札幌市長への表敬訪問時の写真を見て、感慨を新たに致しました。私も現地の日系人会の方他沢山の方々に出会いましたが、その中でポートランド市のバド・クラーク市長時代の秘書ジャン・ヴァン・ドメレンさんとは、今も交流があります。彼女は結婚してJan McGwonとして現在オレゴンコーストでコンサルタント会社を経営していますhttp://janmcgowannonprofitconsulting.web.officelive.com/default.aspx。会場でもこれまでお世話になった沢山の方とお会い出来ました。時代は変わったとしても、人と人との関わりにはそれ程大きな違いはありません。若い世代を中心にして、これからも草の根の交流を積極的に支援していきたいと思います。

チャレンジ、飛翔する道産米!

Posted by 秋山孝二
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  札幌市東区の千野米穀店http://www.chino-grain.co.jp/・徳永社長のチャレンジで、千歳空港と札幌駅大丸で21日から販売する「北海道の米」。まさに空を飛ぶ米となって貰いたいですね。

箱入りの道産米

箱入りの道産米

 

 「ゆめぴりか」だけではありません。北海道にはこれまで多くの方々の地道な努力の結晶として、優れたお米が幾つも世に出されています。今年のような不順な天候の時でも、本当に美味しいお米を作って頂いた生産者の方に感謝致します。

 日一日と深まりゆく秋を感じながら、収穫の時期を楽しむ余裕を持ちたいものだといつも思います。

明月カエデも赤が深まります

明月カエデも赤が深まります

少しずつ、秋ですね

Posted by 秋山孝二
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  この所の温度差で、札幌の紅葉も次第に進んできています。北海道神宮の境内でもあちこちが色づき始めてきました。

神宮の境内

神宮の境内

  七五三のお参りで、神殿前は写真撮影の親子姿で賑わっていました。「千歳飴」の長方形の袋をもった子供たちも多く、変わらぬ風情でした。

七五三の神殿前

七五三の神殿前

  秋山財団建物のホールでは、昨年から開始したネットワーク形成事業http://www.akiyama-foundation.org/network/で取り組んでいる一つのチーム「増毛のくだものをもっと有名にするぞ!プロジェクトhttp://www.akiyama-foundation.org/network/tema03.html」のイベントが、行われています。二日間ですが、昨日も開場前から集まって頂き、夕方の終了まで沢山の地域の方々にお越し頂きました。大通・地下街での場合と違って、説明をよく聞いてくれる、お米も重くても持って帰って頂ける等、連合町内会規模での特異性もあったりで、開催したチーム側にこそ大きな「収穫」だったようです。今日も一日、またあらたな気づきがあると嬉しいです。

収穫の秋です

収穫の秋です

愛生舘の「こころ」 (6)

Posted by 秋山孝二
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 怒涛のような9月を過ごし、しばらくぶりに「愛生舘」についての話題に戻ります。ポンぺ・松本良順・長崎大学医学部に関して、今年の5月13日のこの欄「愛生舘の『こころ』(3)」で下記のように書きました。

・・・そんな中で、江戸時代の外国との窓口長崎では、ポンぺが海軍伝習・医学伝習で滞在し、特に「近代西洋医学の父」として数多くの事業の種を蒔き、歴史にその名を刻まれています。1858年伝染病治療、1861年養生所・医学所の設立(長崎大学医学部の原点)等とともに、1848年オランダ王国が民主主義に基づく憲法を制定した時代の影響も受けて、ポンぺはその民主主義に立脚した医療を施した、と記録に明記されています。

 彼の医学教育伝習は5年間に渡り、解剖学から物理学、薬理学、生理学他全般に及んだ一方、その講義を筆写し、日本語で分かりやすく復講したのが、松本良順でした。学びに集どった延べ40名を越える幕臣伝習生・諸藩伝習生は、松本良順の言わば「弟子たち」であり、それ故に「近代西洋医学のもう一人の創立者松本良順」と、今でも語られているのです。1861年養生所・医学所設立時、初代頭取となりました。長崎大学医学部の創立者であり、現在も大学構内にポンぺとともに顕彰碑として配置されています。また、創立150周年記念事業として長崎医学同窓会が記念同窓会館を建て替え、「良順会館」となっています。http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/med/top/message.html・・・・・・

 

 私は更にこの辺りを知りたくて、元長崎大学学長で医学部長でもあられた土山秀夫先生にお伺いをしてみました。土山先生は平和7人委員会のメンバーhttp://worldpeace7.jp/のお一人で、昨年11月に北海道にもお越しになりました。http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090810/202138/?P=1

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090817/202599/?P=1

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090820/202961/

 今年8月の長崎市長による「平和宣言」の起草委員長もお務めになったことを、土山先生からのお手紙で知りました。先生から北海道立図書館にある「長崎医学百年史」に詳しい旨をご連絡頂き、先日取り寄せて読みました。

長崎医学百年史より

長崎医学百年史より

  それによりますと、この江戸時代末期の医学的背景の手掛かりを知ることが出来ます。漢方医学が本流であり、蘭学は禁止令の時代に蘭方の教育を受けるには、海軍伝習のためとせざるを得ない事情が理解出来ます。海軍伝習の世話係をしていた勝麟太郎(後の勝海舟)にもかなり反対された経緯も記載されていて、結局はポンぺの講義を聴くのは伝習生である松本良順一人として、他の者は、良順の聴講に陪席する即ち付添い人として講義に列席するという形にしたようです。

 ポンぺの講義は従来行われてきたような素読式の医学教育とは全くやり方を異にして、自然科学による近代的な教育方法でした。この点からしても、我が国の医学教育に全く画期的な形態を示したもので、それ以来今日に至るまで、日本の医学教育はこのポンぺ式に準拠しているといえるのでしょう。まさに「最初に井戸を掘った人」でした。更に解剖実習、時を同じくして長崎に勃発したコレラに対してはその予防法を長崎奉行に上申したばかりでなく、率先して学生を指揮して予防と治療にあたりました。これはその後の我が国の伝染病予防の指針となりました。

 ポンぺには沢山の功績がありますが、簡単にまとめると次の点でしょうか。

1) 旧来の医学教育方法の全面的改革

2) 学科制度の確立

3) 医学校への病院付設を必須とした

ポンぺ、松本良順は、パイオニアとしてまさに歴史の転換点に貢献した人物だったのですね、更に興味が湧いてきましたので、引き続き調べていきたいと思っています。松本良順が処方した医薬品群の「愛生舘三十六方」にも、そんな先駆的勢いをあらためて感じ取ります。

活躍する後輩に、乾杯!

Posted by 秋山孝二
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 青春のホンの一時期、同じ学校で学んだ(遊んだ?)だけなのに、その歴史が時間軸で「同窓生」として脈々と繋がる、そんな不思議な意識は誰にでもあるのでしょう。多様性という意味では、私は高校時代がその後一番多彩な人材を輩出している気がします。

 9月に行われた「音と光のパフォーマンス」でも、15年後輩の勝井くん他のエレクトリック・ヴァイオリンと映像の新しい試みのひと時でした。「VJ」なる言葉も初めて聞き、後半のトークでの解説がないと、疲労感が強く私にはよく理解出来ませんでした。新しい時代はこうやって新しい担い手によって創造されていくのでしょうね。当日は現役高校生も多く来ていて、最前列でライブを楽しんでいました。

勝井祐二http://www.katsuiyuji.com/、迫田悠http://www.sakotaharuka.com/

VJ:ビデオジョッキー(video jockey)または ビジュアルジョッキー(visual jockey)とは、映像を素材としてディスクジョッキー(DJ)と同様の行為を行う者を指すそうです。略称は「VJ」、DJと同じく、2通りの意味があるとのこと。

http://www.youtube.com/watch?v=skVbPzVuXMg

エレクトリック・ヴァイオリンと映像

エレクトリック・ヴァイオリンと映像

 
 一方、秋の高校野球北海道地区大会では、我が後輩たちが頑張っていました。試合ごとに力をつけて決勝戦まで進みましたが、惜しくも敗れました。私も円山球場に応援に行ったのですが、順延となった晴天の中、大変な人出で外野も開放してお客さんを収容していました。終了後のOB会懇親会には池田監督も途中駆けつけて、42歳の大変爽やかな口調で今後への抱負を語ってくれました。私は野球部員ではなかったので賛助会員ではありますが、77歳の大先輩の当時の練習・試合模様のお話、大事な場面でタイムリーエラーをしたOBの話等を、久しぶりに涙が出るほど笑いながらお聴きしていました。

監督に感謝

監督に感謝

  元気な先輩の姿、溌剌と活躍する後輩・現役の姿から、私自身エネルギーを貰って幸せな気分になります。何度も書きますが、自分自身の高校生活は本当に納得のいかないものだったのです。今こうやって集えるのは、それゆえに本当に心から感謝ですね。

ムーランルージュの舞台に立った夜

Posted by 秋山孝二
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  先日来のTPS東欧公演ツアーに同行していて、急に思い出したことがあります。

もう15年以上も前になるでしょうか、私は以前の仕事でヨーロッパ出張の折りに、パリ・モンマルトル下の「Moulin Rouge:ムーランルージュhttp://www.moulin-rouge-japon.com/about.html」に行く機会があり、座った場所も前方の臨場感あふれる席でした。当時のテーマは、「ムーランルージュ伝説の『F』http://www.moulin-rouge-japon.com/topics/history.html」の中の「FORMIDABLE」。

 以前から評判は聞いていましたが、伝統ある絢爛豪華な舞台が続き、暫くしてパントマイムなのかコメディアン風の山高帽姿のエランが登場しました。とにかく何もしゃべらずに音楽をバックにジェスチャーがまるでリアルな場面を描き出していて大いに沸いていた場内です。

パリのムーラン・ルージュ

パリのムーラン・ルージュ

 

マジシャン・エラン

パントマイム・エラン

 すると彼が何やら観客席を眺め始めて、どうやら客席の中から舞台に上げて一緒に演技をする人を探す様子。一瞬本能的に目をそらして再度彼を見た瞬間に、何とビシッと視線が出会ってしまったのです。ニヤッと笑った彼が私の席に近づいてきて舞台に上がれと腕を引っ張るではありませんか。日本男子(?)がパリのここでしり込みするのもみっともないと思って数段の階段を昇り、促されるままに舞台中央へ進みました。振り返って客席を見ると満席の場内(850席)、飲み物・食べ物でいっぱいのテーブルの周りの人々が笑顔で私を見ていました。

 エランに言われるままに「素直(?)」に演技をすると、その度に場内は笑いと拍手喝采で盛り上がるではありませんか。実は彼はその都度、こと細かに耳元で簡単にアドバイスをささやいてくれていたのですよ、舞台表面にある沢山の目印を示しながらです。5分以上も舞台上に居たでしょうか、不思議と段々快感になってきました。最後は彼のお礼の言葉と客席の拍手で舞台を降りましたが、かくして私はライザ・ミネリやエルトン・ジョンのように「ムーランルージュの舞台に立った輝かしいセレブ」の一員となったのです。

その後、この伝統あるレビューのディレクターからは何のオファーもなく、私は日本に戻り、変わらぬ経営者人生を続けました。今、以前よりもかなり芝居を観ている日々ですが、舞台の沢山の印を見ると不思議にその時の興奮・感動が昨日のことの様に思い出されるのです。

ブダペスト公演を終えて

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  7日、ブダペスト公演二日目を終えて、今回の海外公演を全て終了しました。毎回進化していくTPSの「冬のバイエル」を観ることが出来て、あらためて芝居の奥行きを感じました。ハンガリーはその歴史からもアジアとの交流には大変熱心で、特に今年はハンガリー・日本国交50周年記念の年として、盛だくさんの文化交流企画も開催されていました。http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/hungary/info/2009ev.html

ドナウの真珠、ブダペスト

ドナウの真珠、ブダペスト

  4年前にTPSの「亀、もしくは・・・」を上演したメルリン劇場は、オシャレに変わって更に新しいジャンルへの挑戦を続けているようです。二日目は若い学生の方々も多く、これまでの中で芝居への反応が一番良かったですね。終わってから役者の方々もそう感じていました。中にはあらかじめ脚本を読まれている方もいたりで、しっかり舞台を追いかけている姿を、後の席からもうかがいしることが出来ました。

若い方々も多かった二日目

若い方々も多かった二日目

盛たくさんの50周年記念日本交流企画

盛たくさんの50周年記念日本交流企画

  「グッド・パフォーマンス!」、「日本的テーマではあるけれども、ヨーロッパ・テイストの芝居に新しさを感じた」等、上々のお客様の評価でした。特に二日目は若い世代も多かったせいか、父と娘のやり取りに反応が強かった気がしますが。「冬のバイエル」の面白さでしょうか。

 終了後の簡単な打ち上げで聴いたのですが、今回の海外公演、最初は会場の事情他で随分苦労したようです。会場自体の事前準備不足、予定通りに進まない資材の搬入他、国内ではなかなか経験の出来ない予期しない現実にも、一つ一つカンパニーとして乗り越えて全ての公演を終えました。また一つ成長したに違いないでしょうし、更に今後の課題も見つけてくれたと信じています。
 4年前の同じ時期のブダペストは、暖房をガンガンたいてコートを着て皆さんと懇談したのに、今年は日中は30度近くにもなり、夜もとても10月という気がしない程暖かでした。

ブダペスト、初日公演は盛況!

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 昨日、バス移動で8時間、ハンガリーの首都・ブダペストにTPS・同行ツアーともに元気に到着しました。ルーマニア内の国道1号線は道幅も狭く、予想以上に時間もかかりましたが、国境は以前に比べてスムースな通過でした。6年前とは周辺の雰囲気もかなり違っていて、時の流れを感じましたね。30分以上も待ちましたが、ただのインターチェンジゲートのようでした。

ルーマニア・ハンガリー国境

ルーマニア・ハンガリー国境

ハンガリー国内は農業王国を誇るだけあり、一面に手の入った畑の光景でした。高速道路も整備されていてました。

一面のトウモロコシ畑

一面のトウモロコシ畑

今回の公演も「メルリン劇場」です。

入口右側

入口右側

入口左側

入口左側

国際交流基金のご支援で

国際交流基金のご支援で

宮田さんに花束でした

宮田さんに花束でした

 今回2回目のメルリン劇場での公演でしたが、レベルの高いお客様の前で、大健闘でした。終了後に花束をお持ちの男性が、宮田圭子さんに歩み寄ってお渡ししていました。ルーマニアとはまた違った反応に、明日の公演もまた楽しみです。

クルジュ・ナポカ、二日目

Posted by 秋山孝二
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 二日目の公演は、初日とまた違ってお客さんの反応が良かったですね。反応の速さと場所が違います。演技が違うのか、お客さんが違うのか、同行メンバーとも終演後話をしたのですが、とにかく前日とはかなり別物ですから面白いですね。

クルジュ・ナポカは旭川市くらいの人口です。学生が7万人を越える若い方々の多いマチでもあります。

快晴の空に日の出です

快晴の空に日の出です

 ホテルに程近い遊歩道周辺には、朝から夜まで若いカップル等沢山の市民が憩い語らっている姿を見かけて、素朴で懐かしい光景を目にしています。

高台への遊歩道

高台への遊歩道

 「新しい試み」と昨日書きましたが、二日目の会場にも若い世代も多く、トランシルバニアの今後も注目です。

開演前の客席で

開演前の客席で

 最後のご挨拶、こちらも拍手をしながらの写真で、こんな具合にしか撮影出来ませんでした。クルジュ・ナポカの市民にどんな印象を持って頂いたのか、もうしばらくしてからでないと分かりませんが、劇団員にも今日以降ハンガリー・ブダペストでも聞いて見ようと思います。

 ところで、昨日昼過ぎにまち中で劇団員とバッタリ路上で出会い、これまでの準備の苦労をほんの少し聞くことが出来ました。今回の企画の中心として活躍しているイングリッドの並々ならない努力が随所で見られます。芝居で使っている包丁は、イングリッドがブダペストの実家から調達したもの、ピアノの椅子は何とブダペストのリスト音楽院から借用しての調達とか。少しでも傷をつけると罰金ものだそうです。普通の椅子タイプのピアノ用椅子はどこでもなかなか無いようですね。そう言えば2年前の光州でも行ってみると地元には無く、日本から持ち込んで、結局それを寄付して置いてきたとか聞いていますから。更に4年前のハンガリー公演「亀、もしくは・・・」では、予め送った図面と大道具の寸法が違っていて、仕込みの時に舞台上で溶接工が火花を出しながら切断して調整したとも漏れ聞いています。

終了でした

終了でした

 昨晩の会場、1日目と字幕のスクリーンの場所が異なっていました。パソコン・プロジェクターのケーブルが不具合で、急遽短いものに変更となり、当初の場所での字幕上映が叶わず急遽変更とのこと。地元のお客さんには少々目線が舞台から離れるので心配していましたが、反応を見る限り問題は無かったようです。見る方は気楽なものですが、「舞台は生き物」、をまたまた感じた時間・空間でした。

 今日はカンパニーと同行ツアーが一台のバスで、陸路ハンガリー・ブダペストに移動です。途中の国境の雰囲気も、この数年随分変わったようです。思い出します、6年前でしたか、国境そばのオラディア(昔の名称は「ナジュバラド」)にブダペストからマイクロバスで移動の時は、国境の入国・出国で1時間以上も待たされ、何とも言えない緊張感がありましたね。ナジュバラドは、私の叔父ワグナー・ナンドールの生まれたマチです。時代も変わり、ルーマニアもハンガリーもEU加盟を果たしましたが、国際金融の荒波の中、現在財政危機に直面しているから皮肉なものですね。

 たくさんの思いが交錯しながら、東欧の今を実感している旅です。

TPS海外公演、クルジュ・ナポカで!

Posted by 秋山孝二
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  北海道演劇財団http://www.h-paf.ne.jp/の専属劇団TPSが、ルーマニア・ハンガリーで今年も海外公演「冬のバイエル」を上演しています。私は、4年前のハンガリー「亀もしくは、・・・」、一昨年の韓国・光州市「冬のバイエル」、昨年の韓国・ソウル「春のノクターン」の海外公演同行に続いて、今回もTPSの活躍をこの目に焼き付けたく同行しています。昨日は、ルーマニアのクルジュ・ナポカで公演しました。この街は、「トランシルバニアhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C8%A5%E9%A5%F3%A5%B7%A5%EB%A5%D0%A5%CB%A5%A2」の中心都市です。

ルーマニアのクルジュ・ナポカ

ルーマニアのクルジュ・ナポカ

 

植物園

植物園

教会前の噴水と虹

教会前の噴水と虹

 「冬のバイエル」の現地でのポスターです。

昨晩は若いカップル他、沢山の現地の方々が来られました。因みにチケット代は13レウ:Leu(約400円)です。会場は昔の教会、そこには開演前にもすでに集まり始めていました。

昔の教会

昔の教会

会場入り口で待つ人々

会場入り口で待つ人々

 今回の公演ツアーは、東ヨーロッパでも新たなチャレンジとのこと。数年前までは「国立劇場」しか存在しなかったこのジャンルで、若者たちが企画する斬新な試みにTPSも果敢に参画したのです。それにしても今回のTPSはヨーロッパ経験者は二人くらいしかいないのに、昨晩の芝居でもあの落ち着きは何なのでしょうか。4年前にブダペスト公演で、始まって数分間の緊張感と比べると、いとも自然な役者の立ち振る舞いを見て、逆にこちらが驚きました。着実に経験が受け継がれている、そんな確信を得た気がしますが。

 今回は、これまでの作品とは一味違った「淡々とした会話」にこちらの人たちがどう反応するのか、私も大変楽しみです。今晩もまた出かけます。

興奮覚めやらず・・・・

Posted by 秋山孝二
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 以前から経営の大先輩として尊敬しているKさんから、早速メールを頂きました。やはりモハマド・ユヌスさんと握手をしての興奮が伝わって参ります。

・・・・・29日「宝くじに当たった」と云って帰宅しました。当日午後4時過ぎ紀伊国屋書店でムハマド・ユヌスさんの「著書サイン会」にめぐり合い、自伝を買い、サインのあと 「I am happy」といって握手をしました。柔らかいやさしい手でした。Blogに秋山さんが千歳空港でムハマド・ユヌスさんにお会いした感動がのっており、全く共感です。
数年前NHKTVでムハマド・ユヌスさんの活動のドキュメント放映があり、録画して小樽の塾で取り上げました。その後世界の話題になりノーベル平和賞をもらい、遠くの人と思っていた方と握手出来て感激でした。地域、国情によって必要なサービスは違うと思います。でも地域密着型の典型です。今こそ地方分権の哲学を確立し、地方の自立意識高揚のときです。嬉しさのあまり突然メールいたしました!祈ご自愛

 

 先日は700名以上の方が会場に詰めかけていて、更に入りきれない方々も沢山いらっしゃったとか。近頃のフォーラムでは珍しい熱狂でした。マイクロ・ファイナンスについて本では読んでいましたが、その基本にあるムハマド・ユヌスさんの哲学に直接触れた感じが、「出会ってしまった」のですよね。出席された方の今後の活動の責任は重たいです。

ムハマド・ユヌス総裁の感動的メッセージ

Posted by 秋山孝二
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 先日、北海道大学・北海道新聞連携マイクロファイナンス・シンポジウムが開催されました。秋山財団もネットワーク形成事業の一つ「社会起業研究会」で関係もあり、後援に名前を連ねていました。

http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html

 2006年ノーベル平和賞受賞者、ムハマド・ユヌス:グラミン銀行総裁を囲んで、「貧困のない社会づくりを目指して」と題しての基調講演、その後のパネルディスカッションでした。会場には溢れる聴衆で大いに盛り上がり、特に若い世代の方々が多かったのが嬉しかったですね。質疑応答も活発で、内容も濃かったです。

パネルディスカッション

パネルディスカッション

 基調講演では、ユヌスさんのお人柄を滲ませる貧困者への優しい眼差しと、既存金融機関への痛烈な批判に、会場からは割れんばかりの拍手が鳴りやみませんでした。

*公的生活保護等から如何に抜け出せるような手立てが大切――ここにマイクロ・ファイナンスの神髄がある

*人に頼らないで生活できる世界(一人一人が自立している)――貧困のない世界、福祉制度のいらない世界が理想

*昨年9月以降の世界金融恐慌、食糧、エネルギー等の課題は、これまでの枠組みの問題であり、変革への良い時期である

*マイクロファイナンスはバングラディシュばかりでなく、先進諸国でも社会的起業と市民の自立促進で機能する

*「貧困」は、どんな人権も拒否される状態であり、これは経済の問題に止まらず平和を脅かす「時限爆弾」

まだまだ、メモに書き留めたものは沢山ありますが、道新紙上にも近いうちに掲載されるとの事ですので省略致します。

 パネルディスカッションでは、越田清和さんのプレゼンテーションが抜群に良かったですね。ユヌスさんは、昨年のG8サミット市民フォーラムのオープニングでお招きしたい筆頭候補でしたので、今回実現して大変嬉しかったです。貧困問題が、安全・治安の問題であり結局は平和の問題となる脈絡を、実に分かりやすく説得力がありました。

 一つ極めて残念だったのは、北海道知事がユヌス総裁の基調講演の途中から遅れて入場、パネルディスカッションでは今度は用事があるとのことで、檀上から途中退席したことです。いかなる理由があろうとも、今の北海道の現状の中でマイクロファイナンスの重要性とユヌス総裁の存在を考えるなら、最優先出席事項として位置づけてしかるべきだと思いますが。発言の中で、「北海道にいらっしゃったことを歓迎します」と形式的におっしゃっても、プレゼンスが伴っていないではありませんか。

翌日・新千歳空港カウンターで

翌日・新千歳空港カウンターで

ストーリーはこれでは終わりませんでした。

 翌日早朝、私が新千歳空港から海外へ出かけようとチェックインカウンターにいると、ムハマド・ユヌスさんとバッタリお会いしました。「やあ、コージ!」とはおっしゃいませんでしたが、素晴らしい講演に対する感謝を直接個別にお伝え出来て、本当に感激致しました。何と表現して良いか分からない程オーラのあるお姿に、言い表せない感動をおぼえました。