札幌の農業は、今どうなってるか?

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 異業種の方々との月例会「サンプロ21」は、いつも大変刺激になります。それぞれのフィールドでしっかりした理念の下に活動されている方々の姿は、自分にとって最高の学びの場です。

今月はたまたま、「札幌の農業」についての話題が続出し、まず、知らない現実に気がつきました。と同時に、何となくは想像していたことが、説得力のある統計数字で裏付けられたとも言えます。たとえば、農家数が激減していて、とりわけ兼業農家の減り方が顕著なこと。農産物販売金額規模別農家数では、年間200万円以下が圧倒的に多いこと。更に法人化率が、わずか1.7%とのことです。「都市近郊農業として何をしたいのか」、「顧客は誰なのか」等を明確にして、速やかに担い手の育成ととともに、農業経営の企業化支援が急務との報告がありました。190万人の人口を抱える大消費地に近接する優位性を活かして、新鮮な食物を提供出来る環境は、これからの持続可能性から言っても有望ではありませんか。

またある方は、これまでは「土地の売却先」が主たる興味となっているので、そうではなく、「農地は社会資本である」という大原則から、「札幌のインフラ」と考えるべきではないのか、と都市近郊農業の再生に、市民の意識改革と政策立案を指摘する意見も出ました。

3月15日の朝刊に、「きらら」時代に幕、という見出しで、「ななつぼし」が食味向上・耐冷性で優位に立って作付が逆転したと報道されていました。更に新品種の「ゆめぴりか」も今秋には登場予定で、世代交代も加速するとの予測も出ていました。北海道の水田がここに来て注目されていますが、水田のフル活用には「食」、「米粉」、「エタノール」の三つの用途を考慮するのが重要との報告も先日の会で提起されています。

「自給率の向上」と総論の概念的な話より、身近な自分たちの日常の食生活をどう変えていくのか、それが問われているのでしょう。アメリカのミシェル・オバマ大統領夫人が、ホワイトハウス内の芝生を剥がして、菜園を作り始めたとのニュースを目にしました。まさに、最も身近な「庭を耕す」ところから、持続可能な地球を考えるというメッセージを発信する、ただ者ではない雰囲気を感じさせますね。http://www.cnn.com/2009/POLITICS/03/20/white.house.garden/index.html

比較にはなりませんが、私自身、5年前からささやかな自宅の庭の一部を耕し始めています。ほぼ時を同じくして、札幌市西区小別沢にあるNPO法人あおいとり http://homepage.mac.com/onnn/ が企画・主催する「農的くらしのレッスン」http://homepage.mac.com/onnn/Aoitori/Lesson_Home.html を受講し、また千葉県鴨川市の鴨川自然王国が主催する「里山帰農塾」http://www.k-sizenohkoku.com/satoyama/satoyama_top.htmlにも参加して、座学・実習で学びました。今、「農的くらしのレッスン」卒業生を中心として、「庭しんぶん」http://homepage.mac.com/niwa_niwa_niwa/index.html も発行しています。

長く「企業戦士」だった私は、最も身近な「土」との対話を通して、遅ればせながら「持続可能な地球」を体験し始めています。始めた頃は収穫が楽しみでしたが、この所は種を捲いてから芽を出す瞬間の日々を愛おしく思います。友人には、広い土地を確保して、本格的に農作業を行っている方々も多く、新しい時代の到来を感じています。私の場合はまだまだぎこちなく、また今後農業に従事するつもりもありませんが、スーパーで食品を買い求めながら、「農的くらし」を目指してはいます。ただスケジュールがたて込んでくると、直ぐに昔の「勝とう負けまい」精神に逆戻りするのではありますが。ベランダ菜園、家庭菜園、週末農作業等、農的くらしは多様で、中でも「半農半X(エックス)」的ライフスタイルは、なかなか素晴らしい生き方のような気がします。

夢を託すよ、若手ミュージシャン

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津軽三味線 白田路明 http://con-sent.net/peace/shirata_michiaki/

尺八 中村仁樹 http://www.masaki-nakamura.com/

パーカッション つちだゆうき http://06.mbsp.jp/pb2.php?ID=kuromame&c_num=11546&serial=19354&page=a&page2=0&guid=on

の3人の若手ミュージシャンによる「間の空間」ライブが北区和田珈琲館http://r.tabelog.com/hokkaido/A0102/A010202/1009103/ で行われました。

白田くん、つちだくんは今年1月のコラボレーションで聴いていましたし、中村くんは昨年9月の芸術の森でのライブで尺八の新しいジャンルに衝撃を受けました。楽しみにしていましたので、当日の尺八のソロと3人のコラボレーションも大変素晴らしかったです。若手の方々が三味線・尺八・パーカッションとそれぞれの楽器から独自のリズムと曲と、そして「間」により音を紡ぎだし、コラボレイトする、聴く方もハラハラドキドキの時間でした。

それにしても尺八の音色は心に沁みますね。多少かすれた感じの音から、奥行きのある低音域、針のような鋭い高音域、幅広い表現がリズムの変化とともに織りなす様子は、日本文化の心でしょうか。中村くん、これからの進化が本当に楽しみです。世界に向かって、大きく羽ばたいて欲しいです。

 

もう一つ、若手ミュージシャンと言えば津軽三味線の「吉田兄弟」です。先日札幌厚生年金会館で、10周年記念スペシャル「全国ツアー2009 いぶき」が行われました。デビュー10周年記念というだけあって大変盛たくさんの内容。前半の特別ユニットは個性溢れるミュージシャン達の登場で、私にとっては少々「too much」の感ありでした。音が多すぎる(?)、そんな感じで最初から最後までトップスピード、聴く方も目一杯で音が入って来なく、終わった後はかなりの疲労感もありました。後半は素晴らしかったですね。特に兄弟による「津軽じょんがら節」は、ソロありコラボあり、緩急も見事で、15分以上の演奏でしたか、やっと気持が落ち着きました。周辺の比較的年配の聴衆も、ここでやっと演奏に付いて来れた感じでした。

ツアータイトル「いぶき」も彼らのデビューアルバムよりの命名。原点回帰として10年間の思いを込めて、との意気込みもあったのでしょうね。「新たな挑戦」と若いミュージシャン達の「心意気」を受け止めました、ありがとう。

Information On Demand

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 「~危機を好機に変える情報の戦略的活用~」のサブタイトルがついて、日本アイ・ビー・エム株式会社主催のカンファレンスがあり、2000名以上の登録でした。http://www-06.ibm.com/itsolutions/jp/solutions/leveraginginformation/events/iodc2009/

私にとっては本当に久しぶりの情報系フォーラムへの参加でしたが、「情報の価値・認識」では時代の変化を具に感じて、今の時代の難しさも再認識しました。そんな中で私が経営の現場にいる時と変わらないテーマも多く、経営陣にとっては環境は一層厳しくなってきているのだろうと推測しました。このフォーラム、第一回が500名、第二回が1200名、そして今回が2100名の登録と年を追うごとに盛況になっている様子でした。

思い起こせば私は、1979年に札幌に戻って会社に入り、3年後に第2次オンラインシステム構築に向けたプロジェクトの責任者になりました。全社から現場の人間をピックアップして、仕事の分析から始まり、課題の抽出、創業100周年に向けて将来のあるべき姿等、しつこい議論の繰り返しをし続けた事が懐かしいですね。その結果出来あがったシステムは、今も陳腐化することなく動き続けていますから、しっかり議論した結果のシステムの根幹は、時代がどんなに変わっても普遍なんだとつくづく感じています。アプリケーションレベルでは沢山のシステム追加があったとしても、根幹を根こそぎ変える必要はないのです。企業というのも同じで、理念がしっかりしていれば、それに基づく事業も、人々に価値を提供し続けるのだと確信しています。入社間もない私にとっては、出来あがったシステム以上に、短い間に現場の人間たちと沢山のコミュニケーションが取れたし、頭の中だけですが業務の流れを広範囲に掴む事が出来ました。今考えてみると、将来経営者になるのに、最も基本的な実務を学んだ時代でした。

私のシステム担当経験で、一番印象深いのは、「経営シュミレーション」ですね。当時社長だった4代目社長の経営計画策定プロセスを、何とかシステム的に転換出来ないか、ほぼ毎日のヒアリングとコンピューター会社のSEの方との議論の連続、「PLANCODE」というシュミレーションプログラムをベースに休日も返上して、創っていました。1年くらい掛かって、やっと完成と大喜びで実際の経営計画策定で使用を開始。多くの変数を瞬時に変える事で、沢山の場合を想定した計画を策定して、経営者に対して提供できる素晴らしいツールと自負したものでした。ところがそれから数か月後に、今のパソコンレベルで出来るシュミレーションソフトが発売されて、入社1年目の社員でも簡単なシュミレーションが出来てしまうではありませんか。この数年の自分の努力と時間は何だったのか、と嬉しくもありちょっとした虚脱感もあり、複雑な暫くの時間でした。

ツールは簡単になったとしても、なお難しいのが「経営」ですね。外部環境は常に揺れ動き、競争環境も日々変動し、時には追い風、時には向かい風、そして社内環境も新陳代謝をしていくし、人が居るだけで問題が次から次に起きてきます。営業は人の為す技ではありますが、その人であるが故に課題も尽きないです。

まだインターネットというのも無い時代です。「ナプルプスかキャプテンか」、と一生懸命沢山の案件にも首を突っ込んでいましたが、インターネットの普及で世の中が様変わりでした。技術革新の不連続な発展を実感しています。

先日のカンファレンスですが、学者の方の話は難しいですね。簡単な事例をどうして難しく説明しようとするのか。アカデミックセクターには裏付けを得るような貴重な役割と同時に、社員も顧客も研究者じゃないですよ、と言いたくなる場面と同居する様な気がします。

「Information On Demand 」、その「Demand」のプロセスに経営者の力量が問われるのでしょう。

ダルビッシュは、良く頑張ったじゃないか!

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 今日のWBCキューバ戦で、日本が勝って準決勝進出を決めました。岩隈・杉内が本当によく頑張りました。

私は、今朝の朝刊各紙の見出しには、大いなる疑問でした。昨夜の韓国戦、ダルビッシュがわずか3点取られて、どうして責められなければならないのでしょうか。侍ジャパンは1点か2点の得点で勝つイメージでいたのでしょうか。5回20人を相手に、4安打、7三振、1四球ですよ、本当によく頑張ったではありませんか。北海道日本ハムファイターズなら、チームメイトは皆、「よく頑張ってくれた、後は俺たちに任せろ」と言うに違いありません。「サムライ」の文字が泣きますよ。

中継テレビの解説者・アナウンサーも、何の見識もない、ひどいコメントの連続ですよ。結果を出せないイチローに対しても、ここにきて、やれ「年齢から来る衰え」とか「一人安打が出ずチームの足を引っ張っている?」、何なんでしょうね、まったく。大体、現役時代に脇の甘い野球しかしていなかった連中が、解説席に陣取って、無責任な話ばかりです。今の侍ジャパンの課題は、ひとえに打撃でしょう。打撃コーチは何をアドバイスしているのか。稲葉も上向きですし、今日以降は期待に応えてくれるでしょう。

ダルビッシュくん、君は本当によくがんばりました。これからも是非大活躍をお願いします。北海道から応援しています!

祝! 内藤財団40周年

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 秋山財団の創設から今日までご指導頂いている内藤記念科学振興財団http://www.naito-f.or.jp/index2.html が、今年創立40周年を迎え、昨日今年度助成金贈呈式が開催され、出席しました。

今年度は総件数236件、総額4億315万円、これまでの40年間の累計では、件数で4000件を超え、総額でも45億円超となっています。自然科学系を中心として大変着実な実績を残して、同時にこれまでの私どもに対する適切なアドバイスに、心から感謝しています。

秋山財団設立前に、私はエーザイ(株)http://www.eisai.co.jp/ir/index.html の当時の取締役研究開発本部長・内藤晴夫さん(現社長)に相談する為に、筑波の研究所に行きました。民間・自立財団の基本的な事項を教えて頂き、当時の事務局長熊谷さん、理事で以前北海道大学教授でもあった伴義雄先生をご紹介下さいました。熊谷さんには財団運営の実務、伴先生は当時習志野の東邦大学薬学部教授に就任されていて、研究室を訪問し、「21世紀はライフサイエンスですよ」とのアドバイスにより、秋山財団の名付け親になりました。もう24年前のお話ですね。その後、伴先生は北海道大学総長になられて、引き払ったはずの札幌に、またお戻りになりました。そのご自宅が私の家ともすぐ近くだったので、何かとお話を伺う機会もありました。

エーザイの創立者内藤豊次さん・祐次さんは、戦後すぐから、私の祖母・伯父・伯母はじめ秋山ファミリーとも親しくお付き合いをしていて、自然科学研究・創薬に関しての情熱は、当時から大変強いものがあったようです。そんな関係で、晴夫さんとも私は親しくさせて頂き、今日に至っています。

昨日配布になった40周年記念誌「若い研究者のために」という本の中で、内藤晴夫理事長は、「当財団の最大の誇りは、常に公正な最先端の科学的思考により物事が律せられていることであり、特に選考においては委員各位の客観的意見集約の努力により、科学的観点より最良の決定がなされていると自負しております。そして財団の資金面においては、多くの寄附者の持続的ご支援を得ていて、その裾野の広さも私共の誇りとするところです。」と述べていらっしゃいます。

内藤財団の理念・目指す目標の高さにいつも敬服しています。そして同時にそれを支援する方々の裾野の広さ、秋山財団もそんな民間財団のあるべき姿に向かって努力していきたいと思っています。

式が終了して受賞者の方々が前方から退場していく時に、後部にある来賓席のお一人が笑いながら、「頭を使っている研究者の方々には太った体型の方が一人もいませんね」と、隣の方にもらしていました。そう言えばそうかな、でしょうか?

いずれにせよ、40周年おめでとうございます!

早起きは三文の得

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 日曜日の早朝5時頃、何気なくテレビのスイッチを入れましたら、NHK教育テレビで「こころの時代~無は無限大~」が放映されていました。

相國寺派管長http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/index.html

有馬賴底(ありまらいてい)老大師http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%97L%94n%81@%97%8A%92%EA/list.html

「人間本来 無一物」と題して、「無は無限大」の意味を1時間、丁寧に語っておられました。以下、印象に残ったお言葉です。

*「知」は会得するもの、真の自由人は解き放たれる

*「転じる力」を培う ――>執着したり、とらわれたりしている時はダメ

*霊性を揺さぶる力 ――>眠っている力

*空っぽで生きていく事が、最も豊かな事

*僧堂にこもる + 行脚する  :黙想と行動のバランス、体験して初めて納得できる

*師匠の笑顔は見た事がない

*ボヤの直後の「片付けろ!」の師匠のお言葉、「見ていてくれた」事への感動

一方、つい先日、鈴木大拙著「禅と日本文化」(岩波新書)http://kindai.bungaku1.com/showa01/zen.html を読んだばかりでした。この本の初版は英文で1938(昭和13)年、和訳本は北川桃雄訳で1940(昭和15)年の出版です。禅と美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句、を通して禅の精神を几帳面に述べています。同時に日本文化を世界に説明する強い意欲を感じました。冒頭の第一章では「禅の予備知識」として、丁寧にその基本が記述されています。日本文化の非相称性、禅の精神の「孤絶性」、「孤独性」他、「無執着」と言い換えてもいました。

新渡戸稲造の「武士道」もそうですが、欧米人に対して日本文化を伝えたい、という情熱を全体を通じて感じます。

休日の早朝、頭が「空」の状態で響き会う言葉も多く、「三文の得」でした。

ムビラとパーカッションとのコラボレイト

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 「春よ来いこい 宮の森あったかコンサート 第三弾」が、私の住む町内会、宮の森明和会館で開催され、老若男女40名以上が参加しました。主催は私も世話人の一人ですが、「宮の森の環境を守る会」です。http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/report/rep_hokkaido32/3-1/3-1-jro_3151102/index.htm

演奏 AKI SETODA ・・・・キーボードプレイヤー、ムビラ奏者http://ameblo.jp/natural-notes

         AYA IZUMI ・・・・ムビラ奏者

    詩・譜・音(し・ふ・おん)・・・・詩人、兼 パーカッショニスト http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewProfile&friendID=1000419355

ブラジル・キューバの「コンガ」、「ボンゴ」、アボリジニより伝わる世界最古の木管楽器「ディジュリドゥ」と、「ムビラ」のコラボレーションでしたhttp://www.mbirazvakanaka.com/mbira/about_mbira.html。「ムビラ」は、アフリカ南部ジンバブエに住むショナ族古来の民族楽器です。祭礼や儀式の時に、祖先の霊やスピリット(精霊)との交信をするために演奏されてきた神聖な役割を持つ楽器で、オルゴールの原型となった楽器です。先日の演奏は2台のムビラで、一般的にはこれが基本のセッションとの事、そのうち一台から複雑な音を紡ぎ出していました。

パーカッションとのコラボレイトは4小節ほどが一単位で、そのバリエーションが延々と続く感じでした。アフリカ現地の演奏では数日間続けての場合もあるそうです。原始の音と言うか、自然に体も動いてくるリズム感、人の生理にもあった心地よさというのでしょうか、体に染み入る感じでした。当日は背景に、1年間掛けてアフリカ大陸を一周して撮影してきた演奏者・瀬戸田さんのスライドショーも同時に映し出されていて、アフリカの臨場感もいっぱいでした。

後期高齢者医療と地域連携

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 医業経営セミナーで、旭川医大学http://www.asahikawa-med.ac.jp/new04/gaiyou/gakucho.html・吉田晃敏学長、医療法人財団夕張希望の杜http://www.kibounomori.jp/・村上智彦理事長、厚生労働省保険局・宇都宮啓企画官がパネラーのフォーラムがありました。それぞれご自分のフィールドから、貴重なお話の数々であり、秋山財団の理事でお世話にもなっている吉田学長は、立体ハイビジョン等を駆使しての遠隔医療の実践を、映像を使っての分かりやすいご説明、村上理事長は、地域医療について、行政・メディアへの問題提起を織り込みながら、夕張市の破綻の現実の中で、力強く活躍する姿に説得力を感じました。

昨年は「後期高齢者」という言葉に批判が集中しましたが、医療保険制度に近い位置で仕事をしていた私にとっては、この言葉への批判に当初は戸惑いを感じました。それ程、関係者の間では、日常的に使われていましたので。「終末医療」、「末期医療」、「前期高齢者」、とともにです。しかしながら、新たな社会制度として幅広い国民への説明には、ごく常識的言葉とか、事前のきめ細かい説明等が必要な事を痛感致しました。思い起こせば、介護保険導入に当たっての繰り返し全国で開催された説明会・意見を聴く会等の地道な努力と比べると、昨年の「後期高齢者医療制度」の導入時は、事前の努力が足りなかったとの批判も甘んじて受けざるを得ず、一層その説明責任の大切さを認識します。政策立案者の「コモンセンス」の重要性とでも言うのでしょうか。

その点、現場で日々悪戦苦闘する方のお話には、地域で暮らすごく普通の人(?)の息使いを感じて、「なるほど」と思う部分が多いですね。「村上スキームhttp://item.rakuten.co.jp/book/5703344/~地域医療再生の方程式」で村上先生も語られていますが、「生活習慣の重要性」とか、「赤ひげを作らない」、「医師に、骨を埋めよとは迫るな」とか、医療を担う側の生の声を率直に聞く事が出来ました。以下は、お二人のお話からの私の心に残ったお言葉の数々です。

吉田先生 *地域連携は同時に世界連携

       *個人の医療情報は個人で管理する時代

       *広大な北海道では、人(医師・患者)が動くのではなく、情報を動かす事で地域医療を創り出すべき

       *健康増進で、ITは極めて有効

村上先生 *夕張は日本の縮図

       *大量の医療費未納、市営住宅費滞納、学校給食費未納等、地域住民は「かわいそう」ではないだろう、義務を果 

       たしていない人と果たしている人とが、同じサービスを受ける事は問題ではないか

       *医療崩壊の原因は、都市部への患者集中、地域医療・連携は「棲み分け」であり、高齢者医療は「予防」と同時

        に「生き甲斐」が必要であり、医療はその手段と考えるべき

       *都市部は「戦う医療」で、地方は「支える医療」

私の高校同期で首都圏で活躍する医師の数人が語っていました。「自然環境が豊かで身近な北海道で医療を行いたいという医師は、自分の周りにもかなりいるよ。ただ、行政とか地域住民から、骨を埋めろと言われる事が一番の障害だろうね。そこまでの決断を迫られると躊躇してしまう。半年とか1年間の契約で、複数の医師或いは医療機関と契約してローテーションを組んで担い手を安定供給する、そんな仕組みを地元は考えられないものか」と。

医療を巡る最近のメディアの報道を読んでいると、あまりに患者サイド一辺倒という気がします。医師・コメディカル等の担い手にとって持続可能でない限り、結局は患者にとっても不都合な医療となってしまうのではないでしょうか。

「奇跡のリンゴ」と「希望のミルク」

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 酪農学園大学連続公開シンポジウム「健康な土から生まれるリンゴと牛乳」で、「奇跡のリンゴ」の青森県弘前市果樹農家・木村秋則さん、「希望のミルク」の網走郡津別町酪農家・山田照夫さんの講演会・総合討論が、500人を越える聴衆を集めて開催されました。

木村秋則さんhttp://www.sun-act.com/kimura/ は、農薬と肥料を一切使わない農法により、りんごと米を栽培しています。10年近い無収穫のリスクを取っての体験からとは想像も出来ない明るさで語られました。

山田照夫さんhttp://www.nhk.or.jp/tabemono/back_number/081109.html は、「自然」「人」「牛」全てにやさしい循環酪農をめざして活動してきたお話をされました。以下、キーワードを幾つか書きとめました。

*新しいことは何もしていない、自然の仕組みを取り込んでいるだけ

*ずっと土の上だけを見てきた、土の中を見ていなかった――山の土を畑に戻しただけ

*「熊も食わないリンゴ、9月に咲く花」、何か変でしょう

*葉の穴は、自分の病気を落としている跡――木が自分を治癒している

*「有機畜産」とは、1)有機飼料の給与 2)動物用医薬品の未使用 3)「家畜福祉」という考え方

*アブラムシの天敵はテントウムシ(?)、一日に何匹食べるか数えたのか!自分は数えた

*柔らかい土の驚くほどの保水性

*根が生えやすいように、その助けをしているだけ

*リンゴを作るのはリンゴの木

*土づくり、それは多種多様の雑草をはやすこと

*虫が虫を食べること、これが自然であり、対症療法は間違っている

*対症療法ではなく、予防が一番

とにかく、あっという間の4時間でした。予定を1時間以上もオーバーしましたが、誰一人途中で帰る者もなく、ホール全体は熱気と一体感で最後まで溢れていました。山田さんの「消費者が一番難しいね」とポツリと語ったのが印象的でした。

締めの酪農学園大学・谷山弘行学長のご挨拶では、「お二人のリスクを取った勇気ある試みに、これまでアカデミックセクターは農業分野で何をしてきたのか、大きな問題提起でした。酪大は『実学』を誇りとしてきましたが、『座学』であった事をあらためて認識しました」、とおっしゃっていました。大変謙虚で、そしてお二人への最大限の称賛のお言葉と受け止めました。新年度から、有機農業の講座も開設されるそうです。

お二人とも大地の現場からのお話で、大変説得力があり、明るく面白く、北海道・東北での食・農の可能性を感じた場でした。

「クミコ・ワールド」とでも言うのでしょうか

Posted by 秋山孝二
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 クミコ http://www.puerta-ds.com/kumiko/ ・プライベートライブコンサートが、札幌市北区のライブハウス「トーン」http://www.cafe-tone.com/ で開催されました。会場いっぱい、とは言っても50名程の聴衆でもう満席ではありますが、男性はその中で6人でしたか。

「トーン」のオーナー宮澤さんとはもう長いお付き合いのクミコさん、毎年ミニライブをここで行っています。先日も大阪からの追っかけの方も複数いらっしゃいました。ピアノは上条泉さん、いつも素晴らしい伴奏で、今回は特にテンポの速い「百万本のバラ」がまるで別の曲のようでした。

アンコールでは新曲「届かなかったラブレター」も聴く事が出来ました。   作詞 覚 和歌子、 作曲 三木たかし、です。

 

・・・・それは他愛もないくせに、かわりのきかない日々でした

一粒の勇気 それさえあったら、こんなに悔やまないのでしょう

ごめんなさい ありがとう、ずっとあなたを 愛していました

声を枯らして叫んでも、もう届かない言葉たち、もう届かないラヴレター

 

それは他愛もないくせに、抱きしめたいような日々でした

こんなに悔やんで悔みきれぬまま、それでも生きていくのでしょう・・・・

 

更にもう一曲、ミュージカル等で活躍する井上芳雄くんhttp://www.grand-arts.com/yi/profile/index.htmlとのデュエット「車輪」も入っていたCDも販売していました。昨年9月18日の満員の武道館でのジョイントライブ「Great Vocalist My Favorite Songs~私の好きなあの歌を~」も、クミコ、井上芳雄、イルカ、姿月あさと、白鳥恵美子、吉田美奈子、Bioom、日野皓正、とプロ中のプロばかりで、大盛況でした。当り前の話ですが、プロの上手な歌は本当に心に染み入る力を持っています。

井上芳雄クンの事は、彼のご両親と福岡時代からのお友達の方が、以前私が居た会社にいらっしゃって、私が副社長時代からその将来性は承知していました。時々機会があればコンサート・ミュージカルにも足を運びましたが、とにかく歌が飛びきり上手でした。上手過ぎるのが弱点と言いたい程でしたね。でも、これから経験を積むにつれて、間違いなく日本を代表するミュージカル俳優として世界で活躍すると思います。テノールの伸びのある声とともに人柄も素晴らしいです。

クミコさんの巧さは、何なのでしょうか。お話をする声とはまるで違い、シャンソニエで鍛えた艶のある澄んだ声、語るような表現力、先日の「愛の讃歌」を歌った時にも、隣の女性お二人は涙を流していました。昨年でしたか、「徹子の部屋」に出演した時の様子を何かで観ました。デビュー当時からの20年以上の苦労を笑顔で語る姿が印象的でした。今年7月11日(土)夜、12日(日)午後の2回、札幌でライブコンサートが予定されています。

井上芳雄クンとクミコさんがデュエットで歌う「車輪」も素晴らしいです。これからも二人の曲が続けて世に出る事を期待しています。歌の力による「ワールド」に感動致しました。

Departure,幸せあれ!

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 3月1日は、北海道の公立高校の卒業式でした。私は、学校評議員と同窓会幹事長の関係で招待状を頂き、午前中の全日制卒業式と、夜の定時制卒業式に出席しました。ともに「荘厳な儀式」というよりも、溌剌とした「卒業生ライブ」に参加している感じで、楽しかったですね。

以前、同窓会会報にも書きとめたのですが、40年前の自分自身の卒業式は、本州の大学受験と発表の合い間で、実は私は出席していませんでした。昨年、全日制卒業式に初めて出席してみて、時の流れを強く感じました。今年もやはり同様に、自分の時代との違いを感じました。違いと言えば、開始前に校長室で受け取った学事報告の中の卒業生名簿、男子・女子が混在でした。私達の世代は、名簿は男女別が当たり前で、それも男子がいつも先でした。

全日制卒業式ではまず、会場に入って保護者席の存在感の大きさです。恐らくそれぞれの卒業生に複数の関係者が、この門出に同席しているのでしょう。更に、最後列壁際には、ビデオを構えた方々のまさに「壁」でした。小学校の運動会よりは少しは控えめに陣取っている風とは言えますが。会場の体育館に暖房が入っているのにも驚きでした。卒業式は寒いもの、と体に染みついていましたので。

午前10時、「卒業生入場!」の声、拍手に続いてやってくる主役の生徒たちの姿、とにかく華やかです。男生徒はブレザー・ネクタイが多く、数人は羽織・袴姿、ちょんまげ姿の将軍一名、着ぐるみ姿が一匹(?)。女生徒は一層多彩ですね、ドレス・袴・和服等色とりどりです。全道一斉卒業式なので、貸衣装の予約は1年くらい前に済ませていたとか、そして当日の美容室予約は午前5時45分だったと、終了後の控え室で、PTA役員の方がおっしゃっていました。制服姿の私たちの時代では、想像もつかない雰囲気です。

各クラスの代表が卒業証書を受け取り、そのまま降壇する生徒もいましたが、何人かは卒業に当たっての率直な言葉を述べていました。これまでの周囲の方々への、本当に心こもる感謝の言葉の数々、そして「今こそ、別れめ、いざ去らば」だけのフレーズを澄んだ声で歌った女生徒、水戸黄門の男生徒は「人生、苦もあり楽もある」と歌って、旅立つ心意気を伝えてくれました。式終了後に続いて、DVDで3年間の振り返り、入学式当時から一段と成長している姿も知る事が出来ました。

夜の定時制卒業式では、卒業生の人数は17人、3年で卒業される方もいるのですね。こちらは、一人一人に卒業証書が直接授与されました。生徒の方から握手を求める場面もあり、午前中とは違った感動を受けました。保護者席にも友人、職場の人と思われる方々も笑顔で着席していて、素晴らしかったです。入学時のDVDの場面から推測すると、やはり何人かの生徒は途中で教室を離れていったようです。卒業生が舞台に上がって、担任の先生に花束を贈呈するハプニングもあり、会場から暖かい拍手が沸き起こりました。もう一つ、出席者は「祝卒業」ののし紙つき「紅白大福もち」も受け取りました、懐かしいですね、紙の箱のアレです。企業の周年行事の時も、社員から最も要望の多いのがこの「紅白もち」でした。

昨年末、東京での同期会で、40年前の母校卒業式の新聞記事を持ってきた同期生がいました。彼は今、池袋の小学校の校長だそうです。小学校の校長?と、そんな年齢になった自分たちに、驚きもしましたが。5段抜き見出しは、「批判の高校  “先生たちは官僚だ” 改革、粉砕のビラも」。そして学生服姿の卒業生の答辞と式場に座る多くの卒業生を校長の背後から取った大きな写真の下には、「卒業生の答辞に、“高校教育批判”も出て、学校、父兄をヒヤリとさせた卒業式」との説明がありました。以前から気になっていたのですが、北海道では公式の場でも「父兄」とおっしゃる方が多いのには驚きです。東京都ではもう30年以上前に、教育の場で「父兄」は勿論ですが、「両親」「父母」でもなく、「保護者」という言葉は常識でしたが・・・。「母」他はどこへ行ってしまったのでしょうか。

記事では、その卒業生代表が「沖縄が返らず、ベトナム戦争も終わらない。また全国的に学園闘争が広がっているが、こうした深刻な問題について我々は無関心であってはならない。目をそむけず、責任ある行動をとることが問題解決への道だと思う。学校も在校生も自由な学園づくりにもっと積極的に取り組んでほしい」と述べたと書いてあります。時代を彷彿させますね。その後数年、卒業式は一層「教育批判」の場となっていたと、随分あとから聞きました。

それぞれの「DEPARTURE!」、おくりびとの思いも様々ですが、日本社会の改革の担い手になって欲しいですね。

君に幸せあれ!そう叫びたいです。