私の【戦後80年談話】(1)

Posted By 秋山孝二
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 8月は多くのメディアでは『戦争』特集で溢れ、明日の広島原爆記念日以降に本格的になるのでしょう。日本では時の総理大臣が10年毎に「談話」を発表してきましたが、今年は戦後80年の節目、これまでの報道によると今の政府は今月には「談話」を出さないとか、短期的政局を考慮でしょうか、何とも情けない、戦後80年、昭和100年の総括が出来ないというメッセージに他なりません。

* 【戦後50年・60年談話】村山談話・小泉談話<全文> | 政治備忘録

* 戦後70年 安倍首相談話の全文 - 日本経済新聞

 1951年1月生まれの私は「20世紀のド真ん中」に人生が始まり、こんな昨今、私なりに自らの生きてきた戦後を自らの視点で総括したいと思い、今頭に浮かぶテーマを書き留めます、私の【戦後80年談話】です。

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私の視点

* 戦後民主主義教育 日本国憲法ほか

* 食料から見る戦後

* アメリカとの関係

* 国際社会との関係

* ETC

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 先ずは初回として、「戦後民主主義教育~日本国憲法ほか」。

 私は、自分自身がいわゆる「戦後民主主義教育」を受けてきたと認識したのは、10代後半のことでした、受験勉強真っ盛りの高校生時代、時々、旺文社ラジオ講座、北京放送局のテーマ曲、ジェットストリームを聴き午前2時頃まで机に向かいながら、「現代高校教育の矛盾を晴らせ!」と紙に書いて壁に貼っていたのを思い出します。18歳まで育った札幌を離れて1969年から首都圏に住み、激動の大学生時代を過ごす過程で、近代の日本の歴史を学び直して、自ら受けてきた教育を再認識しました。「日本国憲法」、「教育基本法」、それと同時に「大日本帝国憲法」、「教育勅語」、「軍人勅諭」とかの学び直しです。「日本国憲法」に関しては、私は小学校でも中学校でもかなりしっかり教えて頂いた記憶があります。基本的人権、主権在民、戦争放棄等、先生も熱心に語っていましたし、私も率直に受け止めていました。小学校5年生の時でしたか、体育の時間に「やすめ」の姿勢が、昔の日本は旧軍隊でもそうだったように片足を斜め前に出すやり方だけど、今は進駐軍の指示で両足を横に開いて手を後ろに組むようになったとの説明を妙に覚えています。今考えると、そこまで教育の刷新が行き届いていたということになるのでしょうね。

 大学卒業後、私は東京都江戸川区の公立中学校に赴任し、まさに教育現場で日々生徒・保護者と向き合い、格闘(!)していました。幸い20歳代の若い教諭も多く、かなり自由闊達・リベラルな雰囲気ではありましたが、時々は教頭・教務主任・生活指導主任等とはぶつかり合う場面もありました。組合の中でも意見の相違もあり、私は分会内では少数派、江戸川区教組青年部の部長選挙に立候補した立ち合い演説会では、日共系執行部から演説中に再三打ち切りの嫌がらせにあったりもしたり。組織維持のためには権力の行使も辞さない、「民主主義教育」も一筋縄ではいかない現実を目の当たりにしたものです。指導要領の改訂等、国レベルではいろいろありましたが、教育現場では私の周りではそれ程の締め付け等はほとんど感じられず、私は私なりに子供達に、クラス、部活動を通じて自らの意思を伝えた5年間だと振り返っています。当時は「能力別学級」の是非等が論点になっていて、私は差別・選別教育との認識で反対しましたが、これにも組合とは相容れない主張でぶつかり合いました。

 企業経営に携わる経営者時代は、教育は企業内の採用・社員教育に限定されていて、自分の子供たちの学校生活を通じて垣間見る以外はあまり「戦後民主主義教育」を意識したことはなく、印象には残ってはいません。

 大企業の代表取締役を退任してからは、まさに私自身のあらゆる分野の「学び直し」が始まった貴重な時間です。それまで置き忘れてきた日本の近代史の学び直し、地域の歴史、「愛生舘」の歴史の深掘り等、やり残し感のあった幾つかを調査・検証する時間に恵まれています。一つの例が、5年間秋山財団として実施した「新渡戸・南原賞」の過程で、南原繁先生のご功績に触れた時、「教育基本法」制定時の議論ほか、まさに戦後の民主主義教育の原点を確認した気がします。

* 新渡戸・南原賞: 秋山孝二の部屋

* 関連記事: https://www.akiyama-foundation.org/honor/honor_02

 そんな私にとって昨今の一部政治家たちの改憲論議を目にすると、本当に日本国憲法の理念、戦前の憲法、教育勅語を熟読しているのかと疑わらずにはいられない程断片的認識と幼稚なやり取りに愕然とします。数年前の教育基本法の一部改訂時の議論(議論にもなっていないつまみ食い的修正)でも、終戦直後の南原繁先生達の見識の高さと熟議と比べると、時の政治家たちは天と地との差の貧弱なものでした、まさに戦後日本の政治家たちの劣化ですね。

 メディアではよく「戦争体験者が減ることの危惧」と報道されますが、私は以前から体験者ゆえに語れないことの多さも感じており、歴史を継承する使命をひとり体験者だけに負わせることは今を生きる世代の怠慢なのだと思っています。ただ昨今感じるのは、いわゆる「フェイク」な歴史観、意図的歴史事実の隠蔽・捏造等に対して、自信を持って反駁する一群の弱さを危惧します。歴史的に日本国は歴史の事実の記述を燃やしたり、隠したり、改ざんしている場合が多く、残念ながら正確な記録を外国の公文書館に依存せざるを得ない情けない状況、それこそが危機だと私は認識しています。正しい「歴史認識」、それは戦後民主主義教育を受けた私たちの世代の最も重要な使命だと思います。

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