2010年、少しの満足!

Posted by 秋山孝二
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 今年は、私にとっては情報発信をする機会に恵まれました。この欄は勿論ですが、北海道新聞の1年間の「新聞評」担当、パネルディスカッションのパネラー、札幌劇場祭審査員等です。「新聞評」は、辛口でと担当の方から言われて多少意気込んで取り組みましたが、多くの新聞等も読まなくてはとても辛口での論評は難しく、予想以上の作業でしたね。でも、本当にたくさんの方からの反応も直接頂き、手応えがかなりあったので嬉しかったです。

北海道新聞「新聞評」・担当3回(各1300字)で、以下その抜粋:

<2月上旬掲載>・・・・・・未来は予測するものではなく創り出すものであり、激変期にありながら「従来型」の視座に固執では感動はない。特に「東アジア共同体」構想の国際社会での意味、4つの密約等について、編集には座標軸と原点を示す「覚悟」と「勇気」を期待したい。

<6月上旬掲載>・・・・・・「APEC札幌会合まで1ヶ月」(5日朝刊)、「日本酒外交舞台で存在感」(17日夕刊)に接して、2年前のG8北海道洞爺湖サミットの記憶が蘇った。私は留寿都・国際メディアセンター(IMC)にNGO枠でしばし滞在し、海外からを含めて4000名を越える報道関係者の活きた取材・発信現場を垣間見た。NGOメンバーの記者会見等を含めた真摯で積極的な情報提供活動、市民メディアの的確な課題把握力、日本の映像メディアの浅薄さ、そして質・量ともに贅を尽くしたセンター内の無料飲食メニュー等である。国際会議で大切な地元の姿勢は、上滑りな「おもてなしの心」ではなく、しっかりした議論に裏付けられたメッセージの発信であり、日本のマスメディアに今問われているのは、目の前の状況から課題を認識・抽出する感性と能力なのではないだろうか。

<10月上旬掲載>・・・・・・・・・昨年、足利事件の菅家利和さんが釈放されたのは、元局長が逮捕されるわずか10日前である。多くのメディアは、今年3月に菅家さんの無罪判決が出た時、「捜査の全面可視化」を提起する一方、裁判員制度の導入も踏まえて事件報道のあり方に関して、捜査中心から公判中心へ基本的に転換したはずではなかったのか。本紙には、発表依存の報道から脱却し、以前、道警裏金報道で見せたような、果敢な取材に基づく調査報道の復活を期待したい。

<10月・新聞週間特集(800字)として>~~~~~~~~~

 メディアとしての「新聞」の危機は、諸外国の事例で頻繁に語られている。日本では、発行部数の多さ、テレビと内容的に同期している点、広告料の構成比の違い等、特有の環境があり、必ずしも同じ道をたどるとは思えない。ただ、本来の新聞の強みを関係当事者が見失った時、衰退が始まるのだろう。

 先月の記事で、私が数社を比較して注目した一行の見出しがある。2010年版防衛白書・閣議報告は「沖縄海兵隊の役割強調」(10日夕刊)、他紙は「防衛白書、薄い民主色」(11日朝刊)と、一歩踏み込んで沖縄普天間問題の迷走との関連を表現していた。また青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場問題で、本紙が「再処理工場2年延期」(10日夕刊)とした記事が、他紙では「核燃 展望なき操業延期」(11日朝刊)だった。「安心・安全」への国民の高い関心に応える見出し、記事になっているかどうか、考えていただきたい。

 私はこよなく新聞を愛する読者として、期待を込めて望むことがある。一つは、「時代を展望して」、「流れを読んで」と難しいことを言うつもりはないが、少なくともリアルな現場から発せられる「今」を伝えてもらいたい。現場を深く掘る取材によって、「時代の空気」を読者に提供できないものだろうか。もう一つは、「たれ流し」のごとき発表報道ではなく、徹底した取材を基に、主語の明確な検証・調査報道を行ってほしい。発表報道の偏重は、いずれテレビやインターネットへ取って代わられる自滅行為ではないか。

 戦前、新聞は「上から目線」の国民教育機能で、権力の監視機能とは大きく性格を異にしており、さらに「報道」が「宣伝」に変わっていった。検証・調査報道の意義は、出来事には時間がたってから分かることがあり、安保・沖縄関連の「密約」でも明らかなように、当時「報道されなかったこと」の意味も、後に検証すると重要性を再認識することができるということである。

 市民の視点を貫き、立ち位置を明確にするためにも、記事の検証企画・調査報道にこだわって頂きたい。冷戦後の国際社会、政権交代後の日本社会、今、新しい時代に会社としての「覚悟」が問われているような気がする。

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パネラーとして: 

8月「札幌の芸術都市構想フォーラム」http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5134

12月「社会起業研究会フォーラム」http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6770

 

劇場祭審査員として:

11月札幌劇場祭審査員講評:http://www.s-artstage.com/2010/tgr/2010/12/936/

 

 いずれも多くの皆さま方からご批判、お褒めを頂き、私自身大変励みとなりました。世の中まだまだ先の見えない混とんとした時期が続きますが、やらなければならない事がたくさんあります、来年も一日一日丁寧に生きていきたいものと心に決めています。今年1年、この欄を読んで頂いた方には心から感謝申し上げます。どうか、良いお年をお迎え下さい。

映画「ZERO:9/11の虚構」

Posted by 秋山孝二
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 「あなたは、どれだけ知っている?」と問いかける衝撃のドキュメンタリー、「ZERO 9/11の虚構:http://zero.9-11.jp/」は、期待を上回る驚がくの105分でした。今月30日まで、札幌のシアター・キノ(http://theaterkino.net/)で午後7時20分からの一日一回上映です。昨晩は30分前で番号札16番、その後続々と多様な世代のお客様が押し寄せて、上映直前には満席状態でした。シアター・キノの株主としては嬉しかったですね。

「あなたは、どれだけ知っている?」チラシより

「あなたは、どれだけ知っている?」チラシより

あの日、本当は何が起きたのか

あの日、本当は何が起きたのか

 アメリカ政府の公式見解、それに依拠した「同時多発テロ」の世界のメディア報道、9・11を契機に始めた戦争等、何の確証もない(ZERO)一連の出来事に対して、今を生きる私たちは「真実」と真摯に向き合う必要があります。2007年秋にイタリアで原版が制作されて以来、注目された映画ですが、日本では事件から9年を経て、2010年9月11日以降全国で順次上映されています。あらためて制作者の覚悟と勇気に敬服致します。

 とにかく証言の全てが実に説得力が有るのです、いやアメリカ政府の公式(?)見解があまりにもデタラメと言った方が良いのかもしれません。プロパガンダにもなっていない作り話の数々を指摘、立場を越えて記録映像を分析するその道のプロ達の科学的アプローチ、ノーベル賞受賞者のメッセージ、国を越えた人間の良心が振り絞る言葉の重みを感じます。「アルカイダ」の本来の意味も、恥ずかしながら初めて知りました。

 本当にアッと言う間の時間だったのですが、私にとっては、では「誰が一連の事件を仕掛けて実行したのか」を帰り道で考えると、現代社会の「底知れぬ闇」・「一群の存在」を感じて、「面白かった」では済まされない気持でした。それ以上に、それぞれの当事者たちが、真摯に、勇気を持って事実を証言する姿に、「良識」の価値、何にも代えがたい力を得ました。

~~~~~~~ジュリエット・キエザ:ジャーナリスト/前欧州議会議員/共同制作者の言葉から~~~~

 日本の人々に言いたいことはただ一つ、“彼ら”、つまり9・11を画策した人たちは、人類にとって非常に危険な存在だ、ということです。彼らは今でも権力のある地位にいて、強大な力を持っています。また新たな惨事を次々に引き起こすかもしれません。彼らを阻止することが、現代を生きる私たちの責務です。私たちは、自分や子どもたちの未来を守らなければならないのですから。

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映画「海炭市叙景」

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 映画「海炭市叙景:http://www.kaitanshi.com/」が、今、シアター・キノ(http://theaterkino.net/)で上映中です。

チラシより

チラシより

シアターキノのロビーで

シアターキノのロビーで

  1990年に命を絶った函館市出身の小説家・佐藤泰志の原作(http://www2.ttcn.ne.jp/~crane/index.html)を、「海炭市」のモデルになった函館市の市民によって企画・協力、帯広出身の熊切和嘉が監督となり、映画が出来上がりました。佐藤泰志の短編18の中から5つを選び、脚本の宇治田隆史とモザイクを組み合わせるように、「海炭市」とそこに生きる人々の姿を、ドック、海、路面電車、雪等、故郷・函館を背景として、切ない人間模様で描き出しています。

 「函館で市民参加の映画」と聞き、私は真っ先に元(株)秋山愛生舘・函館支店の萩原清さんを思い浮かべました。今から30年ほど前に、私が入社して間もなく全道の支店を研修で訪問していた時、函館支店の配送業務で大変お世話になった方です。初対面では、どう見ても企業の社員とは思えず(失礼!どこかの「組」の方みたいでした)少々躊躇していましたが、お話をするうちに実に人間味あふれる人柄に、すっかりとりつかれました。

 ある時、萩原さんが、映画「飢餓海峡:http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/kigakaikyo.htm」で、市民から選ばれたエキストラとして出演したとの話を聞き、その後ずっと心に残っていました。今回、函館を舞台にした映画で、市民も出演すると聞き期待して観に行ったのですが、何と、やはり出演していたのですよ!ガス販売会社の事務室で、堂々たる存在感でした、少なくともあがた森魚よりは。そして最後のクレジットで「萩原清」の名前もはっきり記載されていました、嬉しかったですね。

~~~~~~~追加の部分:12月29日~~~~~~~~

その後、この映画上映に関係した方とたまたまお会いしてこぼれ話を聞くと、今回プロの役者たちは、意図して「プロ的演技を抑えた」とか。市民役者たちとのコラボレイトを最優先した監督の意思だそうです。映画づくりも奥が深いのですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~おわり

 映画の楽しみ方は、人それぞれなのでしょう。今回は、どこにでもある市民の日常生活の中に、言い知れない苦悩を垣間見る気がしました。

シアター・キノでは、今日から6日間、話題作「ZERO:9/11の虚構(http://zero.9-11.jp/)」が上映されますね、これも観に行かなくては・・・・。

吉村昭の世界

Posted by 秋山孝二
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 札幌の中島公園にある「北海道立文学館:http://www.h-bungaku.or.jp/」で、今、「吉村昭と北海道~歴史を旅する作家のまなざし~:http://www.h-bungaku.or.jp/index.html」の特別展が開催中です。
ポスターから
ポスターから

  昨年11月のこの欄に、私は松本良順(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2682)について書きました。その後半部で:~~~~~~この辺りの歴史は、歴史小説で名高い吉村昭の2005年著「暁の旅人」http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=276139 で詳細を知ることが出来ます。吉村さんは今から4年程前に、この本を携えて札幌の私の所を訪問されました。埼玉県の古文書館で調べて、愛生舘北海道支部の発祥の地を訪ねての調査だったようです。松本良順と新撰組近藤勇との交遊他、良順の情に熱い人柄がきめ細かく表現されています。~~~~~

 お亡くなりになる1年程前でした、お会いした時には新聞記者の取材のようでしたが、私は何かの用事で忙しく、実はあまりゆっくりお話が出来なかったのです。吉村さんが、「対象人物ゆかりの地で、地元の方にお墓に案内されるのには閉口します」とおっしゃったのを妙に記憶しています。今、考えてみると、松本良順のお話他を、たくさん聞くチャンスだったのに、貴重な機会を逸し実にもったいないことをしました。

 「暁の旅人」、書評もたくさんあります、 1)http://blog.livedoor.jp/shunp1/archives/51716512.html、2)http://pub.ne.jp/shisekihoumon/?entry_id=1691154、3)http://hos.sci.hokudai.ac.jp/mutter/2008/09/post-170.html、4)http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/337

 もう一つ、1988年の著書「帰艦せず」でも不思議なご縁を感じます。この作品は、北海道小樽港に巡洋艦「阿武隈」が入港した時に、失踪して帰艦しなかった一水兵の物語です。この巡洋艦「阿武隈」こそ、キスカ撤退作戦を成功させた後に、幌筵(ホロムシロ)を経由して小樽に寄港したのです。この艦の通信長をしていたのが私の父で、司令官だった木村昌福さんが、私の両親の結婚の仲人となった方です。

 吉村さんの作品は、「休暇」、「桜田門外ノ変」をはじめ、幾つか映画化されています(http://www.eigakyuka.com/http://www.sakuradamon.com/)。

 著書「戦艦武蔵」でノンフィクションの時代を拓き、不動の地位を築かれましたが、綿密な取材に基づく力強いタッチは、蝦夷地の取材でも存分に発揮されました。1959年に「鉄橋」が第40回芥川賞候補になって以来、度々候補になりましたが受賞を果たせず、そうこうしている内に、1965年に妻の津村節子が受賞しました。

 吉村昭資料室(http://www.geocities.jp/bunmei24jp/index.htm)では、更に詳細を知ることができますし、そんな吉村昭さんと少しでも時空を共有できたのは、私にとっては宝です。私は今回の特別展示期間中に、もう一度足を運ぶつもりです。

再び、「伝えるのは命の輝き」

Posted by 秋山孝二
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 先月、この欄で予告(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6506)しました酪農学園大学(http://www.rakuno.ac.jp/)での講演会が、100名以上の参加者で開催されました。

 旭川の旭山動物園・坂東園長のお話は、今年7月にも聴きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4855)が、先日の内容は、卒業生でもあり、母校で更に進化した「いのち」の哲学を語られ、あらためて感動致しました。

熱弁の坂東元(げん)園長

熱弁の坂東元(げん)園長

  会場には学校法人酪農学園(http://www.rakuno.ac.jp/houzinn.htm)の麻田理事長はじめ、ご支援頂いた江別商工会議所会頭ほか地元企業経営者の皆さま、とわの森三愛高校の校長・教頭・生徒さんたち等、幅広い方々にご参加を頂き、素晴らしい企画と相まって充実した内容となりました。

麻田理事長も冒頭でご挨拶、講演を最後までお聴きになっていました

麻田理事長も冒頭でご挨拶、講演を最後までお聴きになっていました

会場外の「黒澤酉蔵」記念像

会場玄関横・雪の「黒澤酉蔵」記念像?

  坂東園長のご講演から印象的なフレーズを幾つか書き留めます。

* 「生きる」とは、「共に生きる」こと、「生物多様性」とか難しいことではない

* 現実は取り返しのつかない状況ではあるものの、私たちが大切にできる「いのち」はあるはず

* 最近の富山県・動物園での鳥インフルエンザ発生に強い危機感を抱く:ニワトリでは農水省、野生の鳥では環境省、ヒトでは厚労省、国の「総合防疫体制無し」の状態に、メディア・国民はもっと関心を持つべき、「どうやって国(=国民)を守るのか!」

* 「ただのアザラシ(?)」、大人の不用意な言葉で子ども達のいのちへの価値が歪む――動物園飼育員には、飽きることの無い素晴らしい「普通の動物」たち

* ワンポイント・ガイドの意義――思いを伝えること、具体化すること

* 「ありのまま」が、一番美しいはず!

* 動物のための動物園か、動物園のための動物か

* 「いのちを伝える」ことは、誕生の数だけ死があるとを知ること、死を受け止めることから心の中で生き始める

* いのちを終わらせてくれる仕組みの中で、いのちが溢れているのが「自然界」

* 受け継がれるいのち・食物連鎖――無駄になるいのちはない、いのちの完全なリサイクル

* ヒトは「共有」が出来ない「占有」をする生きものだ、同時にヒトは「大切だ」と思うモノを護る生きものとも信じたい、それはヒトに対する最後の「希望」である

 

 講演の翌日から、今年も旭山動物園で人気の高い「ペンギンの散歩」が始まるとか。7月の講演でも強調されていましたが、旭山でやっているのはペンギンの「パレード」でも「行進」でもなく、ペンギン自身の意思による「散歩」であると。飼育員が先導してここを歩けではなく、全く「自主的(?)」で、その日その日で気が向かなく残るペンギンも時々いるそうです。

 そんな矢先、インターネットのニュースに、首都圏のどこかでペンギン達にクリスマス衣装を着せて人気だとありました。企画をした連中、それを見て喜んでいる人々、取り上げるメディアに、先日の坂東園長のお話を聞かせたいですね、「動物の尊厳」への冒とくでしょう、“Shame on you!”、と突然の英語を投げかけます。

 あっという間の2時間少々、講演後の質問に丁寧に答える姿から、野生動物と真摯に向き合う坂東園長の優しさを感じました。今回の企画をした酪農学園大学の卒業生・現役学生たちの「語り部屋☆レラ」に、心から感謝の拍手です!!!!

ノーベル賞受賞、鈴木章先生

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 今年度のノーベル化学賞に輝いた北大名誉教授・鈴木章先生(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6045)は、工学部応用化学科教授として、18年前の平成4(1992)年度、秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)研究(一般)助成金(100万円)を受賞し、当時の贈呈式・懇親会にもご出席されました。研究テーマは、「医薬品など生理活性物質合成を指向した高選択的炭素ー炭素結合形成反応」で、この年の選考委員長は、後に財団理事としてもご尽力頂いた米光宰先生でした。

秋山財団年報より:第6回研究助成(一般)で

秋山財団年報より:第6回研究助成(一般)で

  このレポートの最後に「ひとこと」として、次のように結ばれています。

―――日頃、学生には「重箱の隅をほじくったり、人真似のような仕事をするな。そして教科書に載るような研究をせよ」と言っている。この言葉は、実は私に対する戒めなのである。―――

最前列中央が秋山喜代理事長・その右が特別講演者の日野原重明先生、その後が鈴木章先生

最前列中央が秋山喜代理事長・その右が特別講演者の日野原重明先生、その後が鈴木章先生

1988年(平成4年)秋山財団初代理事長・秋山喜代から贈呈書を受け取る鈴木章先生

平成4(1992)年:秋山財団初代理事長・秋山喜代から贈呈書を受け取る鈴木章先生

当時の贈呈式後の懇親会で、鈴木先生(右端)

当時の贈呈式後の懇親会で、鈴木先生(右端)

 鈴木先生は、これまで各種の助成金を受け取られているのでしょうが、今から18年前に、秋山財団が研究助成金を鈴木先生グループに贈呈していることを、私たち財団関係者は大変誇りに思います。ノーベル賞・北海道・秋山財団が、鈴木章先生のご業績を通じて確かな繋がりとなりました、こんな嬉しいことはありません。これからも多くの北海道からの研究者が、世界に飛躍して頂きたいものですね。あらためて、おめでとうございます!!!

企業の力&地域社会の活性化

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 秋山財団・社会起業研究会主催のフォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6670)が、「企業の力と地域社会の活性化~新たなCSR、地域社会との共生~」と題して開催されました。

 IBMの「スマーター・プラネット:http://www-06.ibm.com/jp/press/2009/02/1901.html」への取り組みと、釧路の「スマーターフィッシュ・プロジェクト」の展開について、それぞれご説明を頂き、後半部は私を含めたパネルディスカッション。釧路のプロジェクトについては、12月15日朝7時40分過ぎに、NHK総合テレビ「おはよう北海道」の特集で報道され、築地の料理店で、釧路からの新鮮なタラを材料とした料理が紹介されていました。地元水産会社・IT企業・航空貨物企業の連携によるものとのメッセージでした。

パネルディスカッション

パネルディスカッション

  IBM広報紙「無限大:http://www-06.ibm.com/ibm/jp/mugendai/back.html」、今年2月のこの欄にも書きましたが、新春号に特集されている「スマーター・シティ:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3279」です。

 「社会起業」という言葉は、昨今ブームの如く巷に溢れていますが、ミソもクソも一緒になりがちで要注意です。市民活動的アプローチが以前は多かったのですが、今回この研究会でも取り上げているように、大企業の力を地域活性化に活用する取り組みも、実を結び始めている事例も出てきています。企業CSRについては、今年2月にこの欄でも書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3348)。大企業においては従来の「社会貢献」の概念から、更に進化したグローバルな活動に注目です。一方地場企業においては、地域に密着した「小さな循環」の中で、雇用の促進も含めた社会課題の解決への貢献が求められているのでしょう。

 高度成長期には、実績の向上それ自体が働く人々のモチベーション向上になっていましたが、このところの低成長時代では、人々の間では、「社会に役に立ちたいという思い」が、特に若い世代の働くモチベーションとなっているようです。価値観の転換、社会課題の変化等、確実に新しい時代に突入している気がします。

 「スマーター・フィッシュ」は地域ビジネスで、「一つ一つのモノとヒトの結びつき=産地の思いを見える『ストーリー』にする活動」となります。新しい「感動」と「共感」の価値共創!「トレーサビリティ―」は、安心・安全を「見せる化」しブランド化する価値を持ちます。「企業と地域の共生戦略」、すなわちソーシャル・イノベーションによるあらたな人との出会いが期待できます。

 札幌市立大学・原田昭学長(http://www.scu.ac.jp/news/message/)は、教育の発想を「異なった者の横断的連携」とおっしゃり、「サービスのデザイン化」がプラットホームであると。

 パネラーの皆さんは、ネットワーク形成の価値を語られ、アカデミックセクターのこれまでの教育・研究の機能に、プラス「地域貢献」を揚げられました。目前の社会課題に対して、その解決策を継続的に模索する、それがソーシャル・ビジネスの原点であるのでしょう。

「哲学の庭」、一周年記念フォーラム

Posted by 秋山孝二
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 先日東京で、「~中野区哲学堂公園:http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/504000/d005141.html『哲学の庭』建立一周年懇談会~」が実行委員会主催で開催されて、約100名の参加者で大変内容の濃いひと時でした。

中野サンプラザ会議室で100人の出席

ワグナー・ナンドール夫人ちよさんのご挨拶

 昨年12月、快晴の東京中野区・哲学堂公園での除幕式でした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2792)が、早いものであれから丸一年が経ちました。

 一周年記念懇談会では、実行委員会会長の和久奈ちよさんの開会ご挨拶、続いて来賓挨拶では、1)中野区長:田中大輔さま、2)駐日ハンガリー共和国大使館(http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/JP/jp/)文化担当官:アルベルト・ヤーノシュさま、外務省(http://www.mofa.go.jp/mofaj/)欧州局中東欧課長:河津邦彦さま、東洋大学(http://www.toyo.ac.jp/)学長:竹村牧男さま、にそれぞれ素晴らしいお言葉を頂きました。

 田中さまは今年の夏に、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘に建つもう一つの「哲学の庭」を訪問し、当日その「訪問記」をまとめられて参加者が受け取りました、歴史を踏まえた大変優れた紀行文でした。

 アルベルト・ヤーノシュさまは、ボハール・エルヌー駐日ハンガリー大使からの祝辞を述べて頂きました。ハンガリー共和国から中野区へ、日本・ハンガリー外交開設140周年・国交回復50周年記念事業として、贈り物としての意義を熱く語りました。

 河津さまは、同じく日本とハンガリーとの歴史の長い外交関係に言及されて、今後の発展に期待する旨のお言葉を述べられました。

 牧村さまは、東洋大学の創始者・井上円了の哲学と哲学堂公園の由来を懐深く語られ、最後は新年早々に開催される「箱根駅伝:http://www.hakone-ekiden.jp/」での3連覇への抱負を語られ、会場はドッと沸きました。

 続いて年明け1月に完成するDVD「哲学の庭」の放映でした。作品の紹介ばかりでなく、ハンガリーにも撮影に行き、これまでに関係の深い方々へのインタビューを通して、ワグナー・ナンドールの哲学、作品に賭ける思いも理解できました。ゆっくり流れる音楽、作品群のコンセプトも含めて、完成が楽しみです。

 ハンガリーでワグナー・ナンドールの作品保全活動を行っている財団のキッシュ・シャンドール(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6371)理事長のメッセージも紹介されました。

 最後は、特別講演「哲学の庭から、これからを考える」と題して、東京農業大学(http://www.nodai.ac.jp/)名誉教授・前学長の進士(しんじ)五十八先生のお話で、日本の文化を「柿の実と色」と表現されました。今年のCOP10の様子もご紹介があり、「環境持続性」は、「自然的環境:生物多様性」、「社会的環境:生活多様性」、「文化的環境:景観多様性」と説明され、更に、「農業は文化」、「『Civilization』とは野蛮からの脱却という意味」、「観光とは『地域が地域らしく』あること」であり、そのアウトプットが「景観:ランドスケープ」であると。講演では、箱根駅伝には東京農業大学も参加している旨応援宜しくとも付け加えられて、一堂、大爆笑でした。

 主催者の一員ではありますが、何とも「知的な」、「教養に満ちた」素晴らしいひと時でした。是非、東京都中野区の哲学堂公園に一度足をお運びになり、ゆったりした時間を過ごされることをお薦め致します。

師走の東京で・・・

Posted by 秋山孝二
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 師走の東京、コンクリート一色の中でも、人はやはり何か「たまり場」を求めるのでしょうか。有楽町の一角で、汐留の地下通路で、電飾とバザールに人々が集まっていました。

有楽町で

有楽町で

汐留・地下通路で

汐留・地下通路で

 雪のない地域でも、冬は雪をイメージする雰囲気が人気のようですね、一方で「雪国は寒くてキライ!」と言いながらも。生まれた時から冬の雪の地域で育った私は、これらの人工的な企画はどうしても違和感があります。雪が地面を吹きすさぶ寒さ、舞うような濃密な雪、視界全面の白、夜にぼんやり光る新雪、そんな臨場感があって初めて雪の魅力を感じるのだと思うのですが。

 東京駅八重洲北口では、パソナビル(http://www.nopa.or.jp/prize/list/18/09.html)の一階に水田が出現です。ここは日経の「ニューオフィス推進賞」受賞だそうです。大変申し訳ないのですが、稲がかわいそう(?)、何か違和感を持ちました。

パソナビル・一階で

パソナビル・一階で外堀通りから

 六本木ではこんなクリスマスシーズンです。

六本木ヒルズに向かうエスカレーターから

六本木ヒルズに向かうエスカレーターから

  大都会・東京では、人々の絆を再確認しようと模索しているような気がします。

道新フォーラム「現代への視点2010」

Posted by 秋山孝二
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 道新フォーラム「現代への視点2010~歴史から学び、伝えるもの~」が、11月に道新ホールで開かれ、昨年に続く2回目の今回も、満員の700人が集まったようです。私は出席出来ませんでしたが、第1部は作家の澤地久枝さん、東大大学院教授の姜尚中(カンサンジュン)さん、作家・評論家の保阪正康さんによるそれぞれ30分の講演、第2部は3氏による討論と、学生を中心とする30人ほどの若者たちとの質疑が行われました(http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/shiten_forum/)。

 最近は大変助かります、当日その場に行けなくても、「YouTube(http://www.youtube.com/?gl=JP&hl=ja)」とかで後日に映像で見ることが出来るからです。新聞では紙面に制限もあり、なかなか意を汲みきれませんが、映像は全くのライブ感覚で、会場からの不規則発言も臨場感を倍加します。パネルディスカッションの進行に対する聴衆からの指摘に、保阪さんが応える場面は面白かった(?)です。また、若者の長い発言、イベントの宣伝等も、私自身は前段の3人のお話の内容が充実していただけに、少々残念でしたね。

 

澤地久枝さんのお話

* 戦争の顔は、国とか時代が違っても同じ顔。満州事変、上海事変、ミッドウェー海戦でも、死者の多くは20歳から22歳までの軍隊経験の乏しい人たち

* このままでいったら日本はアメリカの補助的な存在として戦争する国になる。形骸化している9条も含めて今の憲法はボロボロに変えられ、日本は悪い方に生まれ変わる危険性がある。それを防ぐためには、一人一人が歴史を知る努力をすること、そして知り得たことを知識として持ち、次には行動すること

* 今の若い人は「戦争は知りません」という。そうではなく、私たちはどんな近現代の歴史を刻み、その時代に自分の父母や祖父母はどんな生活をしていたのか、そのとき他国との関係はどのようなものであったかを調べて勉強することが歴史を知ること

* 井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」の中には、「困難にぶつかったら過去を勉強しなさい。未来は過去の中にある」とある。過去の中には失敗や成功したことも含めて、人類の英知、知恵があり、それを読み取って自分のものにすることが大切

* そのときに大事なことは、だれが何を言ったかということよりも、どんな事実があったかを知ること。事実と言われてきたことが実はうそであったと分かれば、何が事実、真実であるのかを検証していく姿勢が重要

 

姜尚中(カンサンジュン)さんのお話

* 第二次世界大戦後の日本は、「ヨーロッパ的な冷戦、戦争がないという状態」を享受できた。しかし日本だけが例外で、朝鮮半島もベトナムも戦争状態、アジアでは「熱戦」だった

* 日本は何をすべきだったのか、あるいは何をする可能性があったのか。ドイツとの戦後比較、同じような復興をとげ経済大国になった二つの国、しかしその歩みは大きく違っていた

* 1969年に旧西ドイツの首相になったウィリー・ブラントは、東側との関係正常化を目指す「東方政策」。西側のフランス、イギリス、アメリカとの関係を深めつつ、東側に虹(懸け橋)をかける政策を実施

* ヨーロッパはいわゆる「ヤルタ体制」で分断、ドイツも東西分裂。このままいけば東と西の戦場になる、アメリカやNATOを頼りにするだけではなく、自分たちの力で虹をかけなければいけない、という哲学

* 隣国のポーランドとの国境、いわゆる「オーデル・ナイセ線」を認め、ソ連と東ドイツの存在を容認。この三つの国と関係を結ぶことによって緊張緩和を進め、まさに「革命的」

* 東アジアで分割占領されたのは日本ではなく朝鮮半島。その結果、ブラント的な緊張緩和政策は日本はとる必要がなく、「日米安保という2国間関係」を基軸にすえて、それ以外の全てのことをその派生とみるような思考。ブラント的思考とは正反対

* 今、北東アジアはきな臭く、米中の二つの超大国が東アジアをめぐって覇権の争いの危険性。放置していたならば新冷戦時代になる危惧の中で、交流が広がり、ともに歩もうとしている日本と韓国はどこに立つのか。民主主義のルールを知り、同じような価値観や生活水準をもった両国が協力し、ブラントのような東方政策を練り直すことが可能ではないか

* そのためには私たちは歴史に学ぶ必要性あり。自分の国や隣国の歴史を知ると同時に、遠いヨーロッパで起きた歴史をも学びながら、今の状態に対し何ができるのかを、ぜひとも考えてもらいたい

 

保阪正康さんのお話

* 戦後65年の中で、どういう形で日本の戦史が語られてきたのか。最初に語ったのは大本営の将官たち。「大本営弁護型の戦史」が幅を利かせた

* 65年たち、やっと最前線の戦場にいた兵士たちの声が記録されるようになった。1人の兵士の証言には何千人という声が入っている。歴史に耳に傾けると言うのは、こうした声を聞き取っていくこと

* 私たちは戦後の憲法の下で市民的権利が保障されている社会に生きている。しかしそれがどう溶解し、戦前のような軍事主導体制になってしまうのかを理解しなければならない

* 人間は四つの枠組みの中に入れられるとモノを言えなくなる。戦前の場合、その一つは国定教科書の改訂。昭和8年(1933年)に完全に軍事主導の教科書になり、「兵隊さんに感謝しましょう」という体制が固まる。二つ目は治安立法の拡大解釈。例えば治安維持法は本来は共産主義者が対象だったが、リベラリストらも対象になった。三つ目は情報の一元化。情報が一つのところから発せられるようになる。四つ目は官民挙げての暴力。「五・一五事件」のように、動機が正しければ何をやってもいいと暴力を肯定する風潮。昭和史の教訓として戦前の歴史から学ぶことは、このような四つの枠組みが今の私たちを囲い込んでいないかと注視すること

* それには自分なりの視座(ものの見方)を持つこと。その発想の形は三つ。一つは「縦と横」、つまり歴史と時代。歴史の中でこういうことはどうなっていたのか、今はなぜこうなっているのだろうかと考える癖をつける。同時に「公と私」。国はこう言っているけど自分は違うと思う、というように相対化すること。三つ目は「理論と現実」。こういう理想が言われるが現実はこうなっている、とすればそのギャップはどこに問題があるのか、と考えること

* ある事象を見たときに、そのように頭の中で考える訓練を積む。日常の中で小さな意識変革を常に意図していることが大切

 

 3人の演者のメッセージが、心に染み入りました。

演劇の審査って?TGRで

Posted by 秋山孝二
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 「審査」って何だろう?と思いますね。もう何回も書いていますが、この一カ月と少し、「さっぽろアートステージ2010劇場祭:http://www.s-artstage.com/2010/tgr/2010/12/865/」の審査員をやってみて、そう感じます。賞自体の存在が、この祭典に参加した方々の今後のモチベーション向上につながることが大切です。今回、更に初めての「公開審査会」とのこと、普段舞台を専門とする数多くの関係者の前で、ライブ中継もあり、作品の講評・審査を行う「素晴らしい?」機会を与えて貰いました。以下、いくつか審査を通じて感じたままを書き留めます。

 

* 演劇の劇評については、日頃からいくつかのブログが面白いです。加藤さんの「シアターホリック:http://theater-holic.seesaa.net/」、市民記者ブログ「http://ameblo.jp/s-artstage/」等です。同じ演劇を観ても、実に多様な受け止め方をする、その辺が楽しいところでしょうか。今回の審査員との意見交換、事前審査、公開審査、いずれも大変面白いひと時でした。

* 30近い演劇のうち、私は26を観ました。新人賞に輝いた学生達の芝居は、今回私は残念ながら観ることが出来ていませんでした。いつもでしたら開始3分くらいで「ハズレ」と感じる演目もあるのですが、今回集中的に観たものはいずれも面白かったです。この札幌劇場祭の過年度分の記録を読むと、審査員の大変辛口のコメントが多い年もあったりで、そんな意味からは今年はレベルが高ったのかもしれません、有り難いことです。

* こぐま座・やまびこ座(http://www.katsudokyokai.or.jp/sisetu/gekijou/)には、今回のような機会が無ければなかなか足を運ぶことがなかったかもしれません。小さなお子様を連れた保護者の方、保育園の先生たちを含めての観客に対して、熱演の人形劇・芝居・パフォーマンスは、大変感動的でした。舞台だけでなく、観客の子どもたちを見ていても面白かったですね。ちょっと退屈なセリフのやり取りの場面では、大変素直に寝転がったりぐずったりの反応、感情表現も豊かで舞台にまで駆け上がらんばかりに近づく子もいたりしました。小さい頃からこういった「優れた」芝居に接することが、将来の芸術・文化の担い手育成の基盤なのでしょう、これからも大切にしたい札幌の宝です。

* 札幌オペラスタジオ(http://www.sos-opera.com/)「COSI FAN TUTTE恋人たちの学校」も大変良かったです。あらすじがパンフに書かれていたので、翻訳に目をそれ程やらずに舞台に集中することも出来ました。クラシック音楽の奥行きと生の迫力を感じました。私はボリショイ劇場、サンクトペテルブルク、ウィーンと、海外出張の時にこれまで観る機会がありましたが、札幌で今回このような機会に恵まれて嬉しかったです。

* 「大賞候補」となった5つの作品のうち、原作が今回オリジナルなのは弦巻啓太さん(http://www.t-gakudan.com/)の作品だけでした。この演劇祭が「すそ野を拡げて基盤をつくる」、「担い手育成」を目的とするのなら、何か地元発の新しい作品・脚本を促進する仕掛けがあってもいいのかな、と思います。もう一つ、「劇場祭」と銘打っての企画ですから、9つの劇場の大賞みたいな賞があってもよいのかな、とも。これは後日の反省会で提案しようと思っています。

* 私は、「気に入られたいオジサン症候群」で、若い方々の芝居をかなりの違和感があっても「分かろう」と努力しているつもりです。「あのセリフは良く理解出来なかったけれど、多分こう言う意味なのだろうな」と身勝手に納得させる自分がいます。決して創り手に対して攻撃的にはならないタイプだと自認しているのですが。でも、審査・選考では、その辺の私の思いは恐らく若い世代には伝わらないのでしょうね。自分の感想を「講評」と称して語ると、「還暦世代のオヤジに何が分かる!」と、まぶしいライトの向こうに座っている関係者からの声を感じます。「新しい観客を増やすこともこの劇場祭の目的であれば、観劇の次の予定を設定する為にも上演時間をあらかじめ表示して欲しい、事前に演出家の作品にかける思い等をチラシで明示してもえないか」、先日の公開審査会でもそう言うのが精いっぱいの私でした。

* 個々の自分なりの「講評」は手元にありますが、今回残念だったのは韓国からの二つの演劇が大賞・特別賞に選出されなかったことですね、私は二つとも自信を持って推薦したのですが、ノミネートにもなりませんでした。一昨年・昨年と韓国各地に札幌からの同行ツアーで行きましたが、彼らの観客を意識した確かな演技力と楽しませようとする姿勢は、今回の芝居でも十分発揮されていました。しっかりと伝統を受け継ぎ、現在の社会問題にも鋭く問題提起をする、そんな誠実な姿勢に感動しました。今後は、外国作品には事前・事後の簡単な文化・芸術の背景説明をする企画も必要なのかもしれません。これも後日の反省会で提案してみます。多様性社会の価値は、すなわち「違い」から学ぶ姿勢だと思います。

* 次に残念だったのは、劇団千年王国(http://sen-nen.org/index.htm)「ダニーと紺碧の海」でした。審査とかを離れて素晴らしい雰囲気で、私が最も印象に残り、もう一度見たかったなと思う作品でしたね。オシャレな会場設定、審査員でなければビールを数杯飲んでいたでしょう。眼前で展開される若い男女の会話の激しいやり取り、やがて変わっていく関係性等、遠い昔を想い出す(?)ような、何とも愛おしい切ない舞台でした。原作がシャンティでアメリカ的だからなのでしょうか、むき出しの言葉のやり取りの中に優しさを感じました。是非、再演をお願いします。

* もう一つ、劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/index.html)「ミズにアブラ ヌカにクギ」でした。今回、大賞5つのノミネートに入らなかったのは残念でしたね、私は一票入れたのですが。昨年の設定の方が良かったという人が多かったですが、実は私は今年のしか観ていません。「ネット社会」の息苦しさ、初めてその構図を目の当たりにした感じです。私たちの還暦世代にとっては、ネット社会は「選択肢の一つのコミュニケーション」なのですが、若い世代にとっては「全て」なのですね。学校で、家で、「敵は誰なのか」と追い込まれていく様子がリアルでした。

* このような「劇場祭」、札幌市内9つの劇場が連携して年一回の「お祭り」にまで漕ぎ着けるまでには、かなりの関係者のご努力があったのだと思います。率直に申し上げて、これまでの私の体験から、芸術・文化の担い手は「自分が自分が」の世界で、口を開けば他者の批評と悪口の数々、ビジネス世界に長らく身を置いた私からは、いかにも子供っぽく感じたものでした。ここまで創り上げてきた価値を高く評価すると同時に、この企画が札幌のマチの世界へのプロモーションとしても一層発展することに尽力をすると同時に、これから知恵を出して更に創っていきたいものですね、関係者の皆さま、お疲れさまでした!!!

さっぽろアートステージ2010

Posted by 秋山孝二
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 10月末から12月中旬まで、「さっぽろアートステージ2010:http://www.s-artstage.com/」が開催中です。「舞台芸術部門」「学生音楽部門」「音楽部門」「美術部門」の4部門とひとつの「特別プログラム」で構成されています。

今年のポスターから

今年のポスターから

  「舞台芸術部門」では、「札幌劇場祭」と「第5回北海道中学生演劇発表大会」でした。中学校演劇(http://www.s-artstage.com/2010/tgr/2010/11/848/)では、各地区の予選を通過した6校が作品を披露しました。私はその2つしか観ることが出来ませんでしたが、素晴らしい表現力で感動しました。まさに世界に向けて将来の演劇を背負う人材が、北海道から輩出されるでしょう。指導の先生のご尽力にも頭が下がります。

第5回北海道中学生演劇発表大会で

第5回北海道中学生演劇発表大会で

 「美術部門」では、地下鉄大通駅からバスセンター前を利用した「500メートル美術館:http://www.youtube.com/watch?v=cYsTUVySv0Y」が見事です。

500m美術館

500m美術館

 今年、私は、「舞台芸術部門」の「札幌劇場祭:Theater Go Round 2010:http://www.s-artstage.com/2008/archives/90」の6人の審査員の一人になり、約1ヶ月間、30の演劇(オペラ・人形劇を含め)を観ての審査でした。先日、その締めとして公開審査会と表彰式が、演劇関係者の方々も多数出席して開催されました。

 「TGR札幌劇場祭2010大賞」、「特別賞」、そして「サプライズ賞」の決定。今年は初めての試みで「公開審査会」の形で行われ、なかなかの緊張感でした。日頃はただ、「楽しみながら」の観劇ですが、今回は「審査」という目的もあり、当初は少々緊張して足を運んだものの、時が経つうちにいつもと変わらぬ感じになってくるから不思議ですね。当日も言いましたが、「『スポーツ』とひと言で行っても、柔道、野球、バレーボール、サッカーの試合の中で、誰が一番?」と問われているような、そんな舞台芸術の幅の広さと多様性でしたね。また、「総合芸術」と言われるだけあって、舞台上の役者だけでなく、原作・脚本・演出・音楽・効果・道具等、多くの方々の努力の結晶であることを再確認しました。

 審査発表に向けた審査員会の議論も面白かったです。事前審査で、一人5つの作品をあげる時も、一人一人かなり違っているのです。中には、私としては「?」と思うものでも、「素晴らしかった」とおっしゃる方もいたり、またその逆もあったりで。それ程、演劇というのは「指向性が強い」のかな、とも。結局は、「好き・嫌い」の選考になるのかも知れませんね。個別の感想はまた別の機会に。

 とにかく、北海道の演劇創造を担う方々との新たな出会いに感謝します。

「社会起業研究会」シンポジウム

Posted by 秋山孝二
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 秋山財団の「ネットワーク形成事業:http://www.akiyama-foundation.org/network/」として、現在活動中の6つのテーマの一つ、「社会起業研究会:http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html」シンポジウムが、12月10日(金)午後2時から札幌で開催されます(http://www.kushiro-pu.ac.jp/center/seminar/pdf/20101210sapporo.pdf)。今年5月にも釧路でセミナーを開催しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4167)。

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●と き:2010年12月10日(金) 午後2時~午後4時45分
●ところ:ホテルポールスター札幌 2階 コンチェルト(札幌市中央区北4条西6丁目)
【 内 容 】
基調報告 社会起業研究会代表・釧路公立大学学長  小 磯 修 二
基調講演 「IBMのSmarter Planet への取り組み」  日本アイ・ビー・エム㈱ 執行役員  久 世 和 資 氏
事例報告 「スマーターフィッシュ・プロジェクトの展開」 日本アイ・ビー・エム㈱ バリューネット事業開発部長  久保田 和 孝 氏
パネルディスカッション 「民間企業と 域社会の創造的共生に向けて」
(パネラー) 札幌市立大学学長  原 田 昭 氏
北海道大学公共政策大学院教授  山 崎 幹 根 氏
日本アイ・ビー・エム㈱ 執行役員  久 世 和 資 氏
公益財団法人秋山記念生命科学振興財団理事長  秋 山 孝 二
(進行役) 社会起業研究会代表・釧路公立大学学長  小 磯 修 二
≪参加申し込み・お問い合わせ先≫
社会起業研究会事務局(プランニング・メッシュ内、担当:関口)
メール:msd@rc4.so-net.ne.jp TEL&FAX:011-631-0540
公益財団法人秋山記念生命科学振興財団・社会起業研究会 主催

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 今回のシンポでは、3年目の最終年として、企業のビジネスの力と自立活性化に向けた地域の力との創造的共生による、新たな「地域社会システム」の構築をテーマに、先進的な取り組みを進めている日本アイ・ビー・エム株式会社の活動や、現在、釧路で進むプロジェクトの事例を紹介しながら考え、新しいコラボレーションを具体的に提起します。

 この研究会で昨年10月には、マイクロファイナンスで有名なノーベル平和賞受賞者、グラミン銀行(http://www.grameen-info.org/総裁のムハマド・ユヌスさんをお招きしての講演会にも協力しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2289)。市民の自立を促す新しい金融の概念「マイクロファイナンス:http://www.cafeglobe.com/news/gramin/」、日本には、発展途上国での話といった大いなる誤解がありますが、今、北海道において、事業を興そうとしている個人への小さな「信用供与」も、「ソーシャルビジネス」には有効な仕組みだと思います。

講演会翌日、新千歳空港カウンターでご挨拶

講演会翌日、新千歳空港でもご挨拶

 この研究会では、研究しつつ地域においての実践を立ち上げて、本来の意味の「ソーシャルビジネス」の実現を目的としています。昨今、ブームのように猫も杓子も「ソーシャル・ビジネス」を唱えていますが、今一度、本来の基本に立ち戻って議論をしていきたい、そんなメッセージを込めてのシンポジウムの企画です。

釜山・光州から劇団が来札!

Posted by 秋山孝二
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  今年も、韓国から劇団が札幌にやって来ました。3年前から始まった複数の交流事業として、今年は釜山と光州からでした。これまでの交流については、数回この欄で書いています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=97、 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=148)。

 今回の二つ、一つはパムンサ(海と文化を愛する人々)の「その島での生存方式」、もう一つは光州演劇協会の「タシラギー再生ー」です。

開演前のステージ

パムンサ開演前のステージ

  韓国若手演出家キム・ジヨンの韓国現代劇作品「その島での生存方式」は、最初は釜山を連想する海辺ののどかな芝居かと思いきや、目の前の社会課題とグローバル経済に対する鋭いメッセージの提起でした。音の掛りの人、役者一人一人が、観客へのエンターテイメントを意識して、個性的でしっかりした演技が印象的で,一昨年来の韓国劇団の特徴なのかも知れません。交流会で間近に見て、「演劇・パフォーマンスの実験集団」と言うだけあって、体型も大きくがっちりしていましたね。

公演後の交流会で:釜山から監督・スタッフ・キャスト

公演後の交流会で:監督(青いTシャツ)・スタッフ・キャスト

  一方の「タシラギ―再生ー」は、演劇というよりも「伝統芸能」を観る感じでした。「タシラギ」と言う言葉は、「再び生まれ変わる」という意味の珍島に伝わる葬礼風習だそうです。死別の悲しみを、笑いと興趣に変えて、現世への早い帰還を望む先祖たちの知恵といえ、葬儀の場でありながら、笑いを誘う場面の数々、新鮮な葬儀文化を垣間見た思いです。姿・形は殆ど変わらないのに、「何か違うな」という思いの向こうに、固有の芸術文化を認識します。

コンカリーニョでは、光州演劇協会の「タシラギー再生ー」、開演前に観客も弔問?

光州演劇協会の「タシラギー再生ー」、開演前に観客も弔問?

 例えばこれまで観た韓国演劇では、トイレ(かわや)の場面がよく出てきます。聞いたところによると「庶民」の間ではかなりオープンで日常的な話題とか。舞台上での意味合いは、「仲間うち」、「地元に馴染む」、そんな表現なのかな、と勝手に解釈しています。

 昨年の光州では、一つの日本の芝居をそれぞれ韓国の役者バージョンと日本の役者バージョンとで2回上演したそうです。全く別の芝居のようで、観客の反応もかなり違ったとか。また、同じく昨年、札幌では一つの芝居を両方の役者が混在で上演して好評でした。舞台での様々な意欲的・実験的試みもあり、また交流会での質疑応答も実に興味深いですね。北海道の演劇に関わる皆さまのチャレンジに拍手です。