昨年11月のこの欄に、私は松本良順(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2682)について書きました。その後半部で:~~~~~~この辺りの歴史は、歴史小説で名高い吉村昭の2005年著「暁の旅人」http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=276139 で詳細を知ることが出来ます。吉村さんは今から4年程前に、この本を携えて札幌の私の所を訪問されました。埼玉県の古文書館で調べて、愛生舘北海道支部の発祥の地を訪ねての調査だったようです。松本良順と新撰組近藤勇との交遊他、良順の情に熱い人柄がきめ細かく表現されています。~~~~~
お亡くなりになる1年程前でした、お会いした時には新聞記者の取材のようでしたが、私は何かの用事で忙しく、実はあまりゆっくりお話が出来なかったのです。吉村さんが、「対象人物ゆかりの地で、地元の方にお墓に案内されるのには閉口します」とおっしゃったのを妙に記憶しています。今、考えてみると、松本良順のお話他を、たくさん聞くチャンスだったのに、貴重な機会を逸し実にもったいないことをしました。
「暁の旅人」、書評もたくさんあります、 1)http://blog.livedoor.jp/shunp1/archives/51716512.html、2)http://pub.ne.jp/shisekihoumon/?entry_id=1691154、3)http://hos.sci.hokudai.ac.jp/mutter/2008/09/post-170.html、4)http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/337
もう一つ、1988年の著書「帰艦せず」でも不思議なご縁を感じます。この作品は、北海道小樽港に巡洋艦「阿武隈」が入港した時に、失踪して帰艦しなかった一水兵の物語です。この巡洋艦「阿武隈」こそ、キスカ撤退作戦を成功させた後に、幌筵(ホロムシロ)を経由して小樽に寄港したのです。この艦の通信長をしていたのが私の父で、司令官だった木村昌福さんが、私の両親の結婚の仲人となった方です。
吉村さんの作品は、「休暇」、「桜田門外ノ変」をはじめ、幾つか映画化されています(http://www.eigakyuka.com/、http://www.sakuradamon.com/)。
著書「戦艦武蔵」でノンフィクションの時代を拓き、不動の地位を築かれましたが、綿密な取材に基づく力強いタッチは、蝦夷地の取材でも存分に発揮されました。1959年に「鉄橋」が第40回芥川賞候補になって以来、度々候補になりましたが受賞を果たせず、そうこうしている内に、1965年に妻の津村節子が受賞しました。
吉村昭資料室(http://www.geocities.jp/bunmei24jp/index.htm)では、更に詳細を知ることができますし、そんな吉村昭さんと少しでも時空を共有できたのは、私にとっては宝です。私は今回の特別展示期間中に、もう一度足を運ぶつもりです。