2015年・2025年の医療と介護

Posted by 秋山孝二
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 医療経済研究機構(https://www.ihep.jp/)が主催する今年7年目の「新春特別講座」、数年前までは毎年参加していました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=424)が、今年も興味深かったですね。

 今年のテーマは、「2015・2025年の医療と介護―在るべき姿とそこへ至るための課題―」。「高齢社会」と言われて久しい日本ですが、何だかんだと時間が過ぎていくと、2040年を境にして、突然この傾向にもブレーキがかかるそうです。制度改革論議も、時間を掛けてじっくりやればよいというものでもなく、今考えるは2015年に向けての改革、それ以降は、医療も、介護も、その連携も、かなり柔軟な変更ができる構図が重要とのこと、言い換えるならば、改革論議・実践にはスピードが必要なのでしょう。

 

 北海道の医療の先駆的実践者と言えば、北海道室蘭市にお住まいの西村昭男先生が頭に浮かびます。私も医薬品卸の経営に身を置いていた時、経営戦略、将来の医療への視座に関して多くのことを学ばせて頂きましたが、年明けに室蘭市の素晴らしい景観のご自宅を訪問して、久しぶりにゆっくりお話を伺って参りました。

 2010年7月末で社会医療法人社団カレスサッポロ(本部札幌:http://www.caress-sapporo.jp/)の理事長を退任し、大城辰美理事(スクウェア・ワン社長)にその職を譲られました。現在「アグリ工房イタンキ:http://d.hatena.ne.jp/n43dkht/20101021/1287651641」という株式会社を立ち上げ、室蘭の自宅近くで野菜生産工場を今年3月に稼動させる予定です。これまでの資料を整理しながら、20年前に自分が提起した様々な指摘・プランが、今もなおそのまま通用するように今の医療は旧態依然であることを、嘆いていました。医療とのかかわりは患者としてだけと笑われていましたが、間違いなく辛口の患者(?)でしょうね。

遠くに冬の樽前山

札幌・室蘭のJR車窓から、遠くに冬の樽前山を望む

  病院経営について、数十年間、数々の改革・先駆的実践をされた西村昭男先生は、「今後はアグリ事業に力を注ぎ、共に生命を扱う使命が共通しているので、経験を活かした研究開発ができれば嬉しい」と、お元気な姿でお話になっていました。農業を通じて命に寄り添い、北海道の限りない価値を高めていかれる姿勢を語っていました。昨年は日本の豪華客船「飛鳥」のクルージングで、2月のニュージーランドの地震に遭遇し、3月に帰国した直後には、羽田空港で3・11の大震災にも巻き込まれたそうです。

お元気な西村先生ご夫妻

お元気な西村先生ご夫妻

 ますます意欲旺盛な西村先生のご活躍を、心から祈念しております。

ダルビッシュ、君ならできる!

Posted by 秋山孝二
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 何とも爽やかな、誇り高き若者、ダルビッシュ・有(http://ameblo.jp/darvish-yu-blog/)!

 そして、ここまで彼をきっちり育てた北海道日本ハムファイターズ(http://www.fighters.co.jp/)の経営陣・選手たちに、心から敬意と感謝です。24日、札幌ドームで記者会見がありました(http://www.fighters.co.jp/news/detail/2501.html)、1万人を越えるファンの前で、途中、記者のつたない質問にも優しい眼差しで応える姿勢で、実に堂々と、気負いも無く自然で、立派でした!

堂々たる若武者、ダルビッシュ・有

堂々たる若武者、ダルビッシュ・有

 これまで彼については何回も書きました。

* WBCでの活躍(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=760)、この後決勝では締めくくりで再度投げて、優勝のマウンドに立っていました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1813

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2528

 

 彼のブログでは、こう語っています。~~~~~~~

 昨日会見で話したメジャーに行く理由ですが、日本のプロ野球が物足りなくなったのではなく、戦えなくなったのだと言うことです。モチベーションを保つために一試合の中で自分なりに制限をかけたりもしてましたが、やっぱり全部の力を出したいと思うのがアスリート!自分の仕事や勝負を全うしたいと思ったのでメジャーに行く事にしました。
 メジャーではどうなるかはわかりません。ただ自分の出来る事をこなしていればいい結果になると思います。これからも野球をはじめ、トレーニング、栄養の事をちゃんと勉強して、さらに上へ行きたいと思います。

 個人的に鶴さんへ:7年間首を振り続け、後輩らしからぬ態度を取ってすみません。しかしちゃんと感謝していますよ!鶴さんがいなかったら自分はいなかったと思っています。鶴さんが選手会長は不安ですが、いい方向に行くことを願ってます。

 ファンの皆様へ:7年間ありがとうございました!常に応援してもらい幸せでした。これからもファイターズをよろしくお願いします!あとレンジャーズも!(笑) それと一つだけ。あなた達が選手を愛すようにファイターズの選手もあなた達を愛しています。あなた達が想像する何十倍もです。どんなことがあっても支えてあげてください。打てなくても、抑えられなくても、いつもの温かい言葉と拍手を送ってあげてください。またオフに北海道に行きます。最高の思い出をありがとうございました!!
ダルビッシュ 有 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「求道者」と言うのでしょうか、道を究めようと理想に向けて突き進む姿は美しく、感動します。記者会見でスタンドを埋めた、或いはテレビの前の多くのファンは満足したと思いますね。とにかく、彼の言葉には力があったし、「本当に勝負したい」、まさにプロフェッショナルの真髄でした。

 ダルビッシュ・有、君なら間違いなくメジャーリーグでも勝ち続ける、これまでのたくさんの感動をありがとう、是非、頑張ってね、応援し続けます!

祝・芥川賞受賞、円城塔さん!<改訂版>

Posted by 秋山孝二
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 私の高校(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10719http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4447)の22年後輩、円城塔さんが、今年の芥川賞を受賞されました!言い換えると、私は彼の「先輩」です(??)

 第146回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞に円城塔さん(39)の「道化師の蝶(ちょう)」(群像7月号)と田中慎弥さん(39)の「共喰(ぐ)い」(すばる10月号)、直木賞には葉室麟さん(60)の「蜩(ひぐらし)ノ記」(祥伝社)が選ばれました。副賞は各100万円で、授賞式は2月中旬に東京都内で開かれるようです。新聞・テレビで、円城塔さんが札幌出身とは知りましたが、もう一人の田中慎弥さんのユニークさの報道が多くて、数人の方から同窓だと教えてもらい、初めて知りました。何と言っても肝心の作品「道化師の蝶」を読んでいないのですから、話になりませんね、「文学」は私にとって遠いなと、あらためて感じました。

 受賞発表後のやり取りは、こちらに:http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/106745.html

 円城さんは現在は大阪市在住で、東北大学理学部を卒業して東大大学院博士課程修了、理学部での専攻は物理学です。報道によると「受賞作は5章構成。各章ごとに違う『わたし』の視点で語られる。『着想を捕まえる虫取り網』を軸に、時も場所も登場人物も変化しズレていく小説。円城さんは『小説は色々あるので(私の作品も)広めていいと判断して頂けた。ただ、分からないという人がいるのは力不足。精進します』とあり、少々難しそうな小説ですね。

 さらに、選考委員を今回で退任する黒井千次さんが、「道化師の蝶」は「不思議でファンタスティックな面白さを追いかけることができる。今までの小説と違う新しさと面白さが注目された」と評したそうです。

 とにかく、すぐに読んでみます、そして、まずは、芥川賞受賞おめでとうございます!、ですね。

 後輩と言えばあと二人、是非紹介したい方がいます。一人は、防衛省の重責を担う立場に近く就く方で、岩崎茂航空幕僚長の統合幕僚長への就任に伴い、私の高校2年後輩の片岡晴彦・空将が後任の航空幕僚長に就任予定です、頑張ってもらいたいですね。

 もう一人は今月メディアでも話題になりました、将棋の米長邦雄・永世棋聖を破った将棋ソフト「ボンクラーズ」の開発者、伊藤英紀さんです、彼は一回り(12年)後輩です。彼の挑戦はまだ始まったばかり、竜王、名人に勝てるソフト開発が目標とのことです。

 素晴らしき後輩たちです。

「寺島文庫リレー塾2011」、終了

Posted by 秋山孝二
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 寺島文庫(http://www.terashima-bunko.jp/about.html)主催の第2回リレー塾(http://www.terashima-bunko.com/bunko-project/relay.html)計6回が、先日、終了しました、毎回200名を越える参加者で大盛況でした。

10数人いらっしゃいました

1期・2期の皆勤賞は、10数人いらっしゃいました

 数年前に、札幌医科大学でもリレー塾が開催されました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7141)が、今回の東京でのシリーズは、「日本創生への視座」と題して、現在の日本・世界の課題に対して思索を続ける論客ばかり、日頃テレビ等のメディアでは聞かれない突っ込んだ言及で興味深かったですね。私にとっては、寺島実郎さんは勿論ですが、西部邁(http://www.hatugenshajuku.net/)さんの「危機における『実存的保守』の構え」が印象的でした。もう20年近く前になりますか、「発言者塾」を札幌で開催して、私も続けて参加していました。昨年11月は一層分かりやすいお話でした、その一部から~~~~~~~

* 3・11で被災した85歳のおばあさん3人の言葉:「こんなこと、あの戦争に比べれば何のことはありません」、「娘・孫、みな死んだ、こんなことならいっそ死んだ方がよかった」、「生き残った一本の梅の若木、残り5・6年、これを育てることが私の人生の役割です」

* 生きるための「よすが」、「基準」みたいなもの、それが「実存の姿」

* 死へ向かって人間はどう生きるか、廃墟の中から浮かび上がる「基準」は実にシンプル

* 1930年代、ヨーロッパは危機の中で徹底的に考え抜いて、「実存哲学」は生まれた

* 「tradition」は、「伝統」と訳されてきているが、本来は「trade:トゥレディーノ」で「運ぶ」という意味、意訳して「運ばれ来たれしもの」となる――習慣の中にある平衡感覚を保とうとする概念:「保守」~綱を渡る時の「バランシングバー(棒)」

* 昨今の議論では、左翼はこの「伝統」を「拘束衣」と思いこみ、右翼は「岩盤」と誤解している、山の尾根を歩く、或いは綱を渡るがごとき緊張感に満ちた歴史から生まれた概念である

* 近代主義:「自由」・「平等」の二分割

* 18世紀・近代保守思想の祖:エドモンド・バーク

* 「維新」の本来の意味:孔子の「天命――変わらぬもの」、「維」は、「房」の意で、糸が縦横にしっかりしている状態

* 「revolution:革命」の「革」は、皮を剥ぐから派生して「変える」の意、「命」は「天命」で変わらぬものの意、すなわち、「革命の本来的意味は、「不変なものを守るために今のものを変える」である~~現在は、この「変わらぬもの」の議論が無いではないか!

* 「危機管理」という言葉は、言語矛盾!

* IT革命は「将来を確率的に予測する」(?):条件が変わらないことを大前提として、言い換えれば、昨日・今日の変化を将来としてしまう「近視眼的」な発想。欲望・技術・制度等、そんなことはあり得ない

* 「モノづくり」には、必ず長期的イメージがあるはず

* 「テクネー」は「生きる知恵」の意、そこから派生したテクノロジー(技術)の言葉、戦後日本は「テクノマニアック:技術狂」、昨今の原子力議論は、技術に話を落とし込んでおいて最後は井戸端会議かよ!

* 人間が「生きる」ことは、「時代」を生きること、時間軸の中でイメージを組み立てることが大切である。定かでないものを、「変化」、「変化」と礼賛すべきでない、これが「実存のエッセンス

* 日本の伝統に立脚した「歴史的有機体――組織」が乗り越えられようとしている、すなわち、歴史の破壊である

* 日本的集団経営方法を如何に活かすかを考えるべき時

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~講演概略 おわり

 

 最終回に寺島実郎さんがおっしゃっていましたが、この20年間、社会科学的アプローチから指摘していた二つの視点、1)マネーゲーム批判、2)イラク戦争は間違った戦争については、今も変わっていないと。そして、昨今の日本の論評について、今必要なのは、政策科学的な「あるべき姿」を語り続ける「現状の変革者」ではないのかと、淡々と締めくくられました。

 私自身、今、テレビ・書籍で巷にあふれる表層感覚の教養主義、「時代の解説をして見せる人」ではなく、時代の課題に真摯に向き合い、提言を続ける人に、たまらない魅力を感じます。同時に、自分の頭で考え続けることを続けたいです、同じ時間・空間でお話を聴く価値、あらためて意義深いですね。

誇りです、澤選手、佐々木監督

Posted by 秋山孝二
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 「FIFA女子年間世界最優秀選手賞」に澤穂希選手、「女子年間最優秀監督賞」に佐々木則夫監督、「フェアプレー賞」に日本サッカー協会(http://www.jfa.or.jp/)が、それぞれ選ばれ、スイス・チューリッヒで授賞式が華やかに行われました(http://www.jfa.or.jp/jfa/topics/2012/6.html)、アジア初の三部門、爽やかな受賞でした!

メッシと握手する澤穂希選手

メッシと握手する澤穂希選手

  「世界」と名のつく褒賞で、堂々と和服姿で登場の澤選手、日の丸を付けていなくても、一目で「日本」をアピールする映像を見て、しばらく忘れていた国際社会の中の日本の存在感でした。昨年末、NHK・BSで、「なでしこジャパン」のワールドカップの試合をフルで見ていましたが、一戦一戦、成長・進化するチームの姿を再確認しましたね、特に、予選リーグのイングランド戦で敗れて、ヨーロッパ・アメリカとの戦い方を学んだ感じです。昨年夏の感動(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9370)を思い出すと共に、年明け一番の元気の出るニュースでした。

失くした手帳、戻ってきました!

Posted by 秋山孝二
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 昨年師走の中頃、東京出張した際に、私は大切にしていた手帳をどこかで失くしました。それには、これまで数十年の連絡先電話番号、各種のID・パスワード、札幌市営交通の残額7000円位のウイズユーカード、東京都地下鉄路線図、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン市の地下鉄路線図、NTTカードも一緒でした。

そのまま全部、戻りました

そのまま全部、戻りました

 これまで出張中に自分の持ち物を落としたことはありませんでしたが、失くしてみると大変な喪失感で、年末・年始、仕事の合間に出張行程を思い出しながら、問い合わせをしていきました。財布を取り出した時に一緒に落としたか置き忘れたか、ANA、新千歳空港ビル、羽田空港ビル、JR北海道、札幌市交通局、京浜急行、フォーラムのあった寺島文庫ビル、面談した品川のカフェ、etc。現実的にはカバンから他の物と一緒に出て落ちるというのはあり得なく、用事で取り出して、そのまま置き忘れた可能性が高いことに気がつき、最終的に、年明けの先日、JRバス関東館山支店から千葉県館山市警察署に保管されていることが分かりました。12月19日夜、東京駅からアクアライン経由館山行きのバス内で、座席上に置き忘れたようです。

 まあ、思い出そうとしても記憶がない、何とも情けない一ヵ月でしたが、全て手元に戻ってきて、「めでたし、めでたし」です。それにしても、日本の現場力のレベルは実に優秀ですね。どの窓口でも1分も待つことなく、「Yes」、「No」の返事があり、受け答えも実に丁寧でした。

 そう言えば昨年は、札幌ススキノでお店に名刺入れを忘れて、一緒だった方に預かって頂いたり、今回の手帳の紛失、たまたまともに手元に戻ってきたものの、集中力の欠如は如何ともし難いですね。今年は年明けから、反省しきりです、ある方は「縁起が良い!」と言ってはくれますが・・・・・。

 Facebookでは、たくさんの方々から「お祝い?」のお言葉を頂き、恥ずかしいやら何やらで、複雑な気持です。皆さま、この様なことでご心配を頂き、心から感謝致します!

屋根は、日本の資源です!

Posted by 秋山孝二
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 阪神大震災から17年目の今日です、私たちはあの地震から何を学んだのでしょうか?

 新しい時代ですね!!!年明けから、こんな広告がいっぱいです。

PANASONICの新聞広告から

PANASONICの新聞広告から

新しい時代に突入!

新しい時代に突入!

 家の屋根で「発電」ですよ、「電気を創り出す家」といったハウスメーカーのテレビCMも目にしました。

 このような企業の動きを裏付けるように、昨年、国に大きな動きがありました、2011年6月7日、新成長戦略実現会議(http://www.npu.go.jp/policy/policy04/archive02.html)の分科会として「エネルギー・環境会議:http://www.npu.go.jp/policy/policy09/archive01.html」が設置されました。10月3日には、その「エネルギー・環境会議」に「コスト等検証委員会:ww.npu.go.jp/policy/policy09/archive02.html」が発足しました。

 12月19日にこの委員会が報告書をまとめました。その中で、太陽光についての報告は以下のようになっています。~~~~~

(6)太陽光 (住宅用・ メガソーラ)
○太陽光については、2010年モデルシステムの発電コストは、30円/kWh以上(割引率3%、設備利用率12%、稼働年数20年)と、他の電源と比べても、高い水準であるものの、足元でも、システム価格が低下しつつあり、また、2030年には量産効果などにより、大幅な価格低下が期待され、現在の2分の1から3分の1にまでコストが下がる可能性がある。これが実現されれば、石油火力(割引率3%、設備利用率10%、稼働年数40年)よりも安い水準が達成される。次世代太陽電池など革新的な技術が実現すれば、さらに下がる可能性もある。
○ただし、太陽光の導入が拡大してきた場合、将来、配電系統における電圧変動抑制対策を含め、何らかの系統安定化のための追加的な投資が必要である。その中には、系統安定化のための調整電源の確保、系統連系強化、需要動向に基づく需給調整や、蓄電池の役割の整理・普及をどのように進めていくかという論点がある。
○住宅用でも、メガソーラーでも、既存の揚水発電所の活用や蓄電設備併設を含め電力システムの需給調整力の向上により、昼間しか出力しない、出力調整ができないなどの太陽光発電の課題を解決する可能性も出てくる。住宅のヒートポンプ給湯、電気自動車の充電などによる調整を利用すれば、蓄電機を別途付ける量も低減できる。現時点では、蓄電コストは高く、今後、どの程度低下するかが導入拡大の鍵を握る。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 経済同友会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8221)の昨年の会議資料にも、「太陽光発電の普及には、低コスト化に向けて、さらなる技術開発を進めていくとともに、耕作放棄地、マンション・工場の壁面、など、制度制約や転換効率等の課題が存在する場所での設置を進めていくための制度改革、及び、それに採算性を持たせる技術・ノウハウの開発が不可欠である。」とありました。

 恐らく、これまでの日本企業の技術開発レベルから想像すると、これを遥かに上回るスピードで課題が解決されると思います。「メガ○○」とかの巨大設備投資よりも、小規模分散エネルギーの製造であり供給が、安全・安心・省エネ・少エネのキーワードだと私は思います。今年は、自分でも真剣にエネルギーについて考えて行動しようと思います!

鴨下重彦先生の遺志を継いで

Posted by 秋山孝二
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 東京大学名誉教授・小児医学研究振興財団(http://www.jpeds.or.jp/zaidan.html)理事長・鴨下重彦先生が、2011年11月10日に前立腺がんでお亡くなりになりました。

 今から4年ほど前に、褒賞事業「新渡戸・南原賞」を秋山財団で引き受けました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)が、それから、ご一緒に多磨霊園へ新渡戸稲造・内村鑑三・南原繁・矢内原忠雄のお墓参り、南原繁の母校の四国・三本松高校の訪問等、鴨下先生には運営委員長として、この間大変お世話になり、昨年9月の秋山財団「新渡戸・南原賞」授賞式には、お元気な姿でご出席・ご挨拶をされていました(http://www.akiyama-foundation.org/nitobe/)。

 その後、11月3日、東京神田・学士会館で、「南原繁研究会:http://nanbara.sakura.ne.jp/」シンポジウムが開催されて、そこでの基調講演が最期の講演となりました。私はこのシンポジウムに3年前に出席(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=215)しましたが、昨年は出席できず、後日、山口周三事務局長から送って頂いたDVDで拝見しました。概略は下記の通りです。

* 南原繁「人間の使命」:昭和23年9月30日、東京大学卒業式での演述(http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-001004-7.html

* 矢内原忠雄:昭和36年7月8日、北海道大学で最期の講演:内村鑑三とシュバイツァー「畑は広い、働き人は少ない」

* 内村鑑三:明治27年7月(日清戦争2週間前):「後世への最大遺物・デンマルク国の話:http://www.aozora.gr.jp/cards/000034/card519.html

* 大災害をどう受け止めるか、「災害社会学」~~「非常時の礼節」-大混乱の中で日本人が世界に示した勇気と美徳

* 渡辺和子(ノートルダム清心女子大学学長:http://www.ndsu.ac.jp/):2・26事件で射殺された渡辺丈太郎教育相の娘さん、目の前で射殺され、その後の人生に強い影響を与えた。第7師団長の時に、北海道・旭川市で誕生

 

 「鴨下重彦先生を偲ぶ会」は12月4日に国際基督教大学で開催されましたが、私はどうしても都合がつかず欠席でした。その数日前にご自宅に弔問に参りました時、奥様がご在宅でしばしお話ができて、先生の書斎にもご案内して頂きました。あふれるほどの書物に机、ここで鴨下先生が深く思索されていたのかと思うと胸が詰まってきました。

 2月には「新渡戸・南原賞」運営委員会を開催して、新しい代表を決める予定です。鴨下重彦先生、これまでのご指導に心から感謝申し上げます、先生のこの「新渡戸・南原賞」に込めたご遺志をしっかり受け継ぎます、どうか安らかにお眠り下さい。

温暖化を肌で知る?

Posted by 秋山孝二
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 「温暖化」により北極の氷が溶け出しているとよく聞き、映像でも見たりしますが、遠い場所のことで今一リアリティがありません。

 札幌に住む私の身の回りで感じることは、特に冬の積雪の形状ですね。昔は、北海道は粉雪で、屋根の雪はしばし積もっていても、やがて傾斜でサーッと落ちていったような気がします。この数年は、粘り気(水分?)が強く、なかなか地表に落ちてきません。カーテン状につながって湾曲し、最終的には雪が落ちる場所も家に近い所になり、家の壁の傷み方も大きいような気がします。

家の屋根の雪

家の屋根の雪

  本州の人々は、「温暖化で雪が減ったのでは?」と言いますが、必ずしも雪の降る量と「温暖化」は、札幌の緯度では相関関係があるとは思えません。雪の「質」が変わるというのでしょうか、今年の冬、円山公園の雪も例年通りです。

円山公園入り口20mから北方面を望む

円山公園入り口20mから北方面を望む

 そう言えば、昨年秋にほとんど成らなかった柿の実(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10619)でしたが、前の冬にやってきていた鳥たち(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7104)は今年はどうやって冬を過ごしているのか、気がかりですね。さらに、昨年秋に札幌に出没していた熊も、無事冬眠に入ったのでしょうか?

松平康隆さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 公益財団法人 日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆さんが、昨年12月31日にご逝去されました(http://www.jva.or.jp/news/20120105.html)。バレーボール男子全日本コーチとして1964年東京で銅メダル、監督として1968年メキシコで銀メダル、そして1972年ミュンヘンで金メダル獲得の偉業を成し遂げました。

BSフジ番組から、在りし日の松平康隆さん

BSフジ番組(再放送)「堂々現役」から、在りし日の松平康隆さん

1972年ミュンヘンオリンピックで優勝!

1972年ミュンヘンオリンピックで優勝!

  私は1974年から79年まで東京都江戸川区で、中学校教員時代に、男子・女子バレーボール部を指導していました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27)。その時のバックボーンとして、男子では松平康隆さん、女子では14年前にお亡くなりになった山田重雄さんの哲学を忘れることができません。先日のBSフジの再放送で、早くに亡くなられた松平さんの御子息の筆箱に書かれた中央に立つ日の丸の絵を初めて見ました、覚悟を決めて目標達成に向けて努力する姿は、今も強烈に心に残っています。

亡き息子さんの筆箱に込められたメッセージ

亡き息子さんの筆箱に込められたメッセージ

  松平康隆さんと言えば、もう一人、12年前に58歳の若さでお亡くなりなった南将之さんも忘れられません、伝説の主将でしたね。ミュンヘン大会では、補欠に徹して、土壇場で一昨年に亡くなられた中村祐造さんとともに大仕事をしました、ミュンヘンの数年前までエースだった彼が、チームの裏方としてメダル獲得を支えた大ベテランでした。

伝説のキャプテン・南

伝説のキャプテン・南将之さん

 

 思い起こせば1970年代は、私にとっては激動の時期でした。71年に大学の教養課程を終えて休学し、秋にアメリカに船で行き(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%2771%E3%80%80%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E6%97%85)、72年の冬季オリンピックを札幌で迎えて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4981)、あの70m級ジャンプの「日の丸飛行隊(金・銀・銅メダル獲得)」を現場で応援しました。そして秋のミュンヘンオリンピックでバレーボール男子の劇的優勝。私は復学して大学卒業後に、教員として子どもたちとの日々。79年に、家族とともに札幌に移り、医薬品卸業の経営の道へ転身しました。

 この想い出多い10年間、山田重雄さんには、当時小平市にあった日立武蔵の練習場へ部活の生徒たちと一緒に行き、ワールドカップ前にも関わらず教えを請いました。松平さんには直接お目には掛っていませんが、「負けてたまるか」とか、「一流選手は人間的にも一流でなければならない」と言った彼の言葉は、深く心に刻まれました。今から5年前でしたか、韓国・光州市へ海外公演に札幌のTPS劇団員(http://www.h-paf.ne.jp/tps/tps.html)と同行した時、私は稽古の合い間に、民主化の聖地、「5・18光州事件:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=121」のモニュメント等に関係者全員を誘い見学しました。その時に、松平さんの「海外遠征に行って、試合場と宿舎だけを往復するような選手ではトップにはなれない」の言葉を思い出していました。

 70年代は、オイルショック等の苦難を次々と乗り越える勢いが日本社会にはありました。今、ふり返るとそんな時代、バレーボール界には優れた指導者・選手が活躍して、多くの感動を与えてくれましたね。松平さんのご逝去で、私の70年代にも一つの区切りです。

 スポーツの世界では、その後、高校野球の香田誉士史監督(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1904)、女子サッカーの佐々木則夫監督(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9370)など、優れた指導者も続々誕生しています、素晴らしいことです。

 後日、「松平康隆さんを偲ぶ会」も開催されるとか、都合をつけて最後のお別れをしたいと思っています、松平康隆さん、たくさんの教えを頂きありがとうございます、どうか安らかにお眠り下さい。

「Rio + 20」、あれから20年!

Posted by 秋山孝二
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 「Rio+20http://www.uncsd2012.org/rio20/」、今年は、1992年6月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロでの「環境と開発に関する国連会議」開催から20年の節目です。一般的には、「地球サミット(the Earth Summit:国連地球サミット)」と呼ばれています。この会議で採択された27の原則から成る「リオ宣言http://www.env.go.jp/council/21kankyo-k/y210-02/ref_05_1.pdf」が、国際社会の共通認識であり、原点です。

 特に、この会議に集まった世界の指導者たちを前に、12歳のカナダ生まれの日系四世少女、セヴァン・­スズキの伝説の6分間スピーチ(http://www.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg)は、今日まで語り継がれています。彼女は5年前、北海道二風谷から日本人へのメッセージも発信しています(その1http://www.youtube.com/watch?v=rZcQ_4vYq90&feature=related、その2http://www.youtube.com/watch?v=6-qAlS3IvIM&feature=relmfu)。

 「Rio+20」の北海道での取り組みは、先日1月3日北海道新聞朝刊に「北大・NPOが『環境白書』6月までに中間報告 北海道の未来像提言」と4段見出しで掲載されていました。これは、昨年末の提携に基づく最初の活動成果になるでしょう(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11135)。日本の市民セクターの取り組みは、「一般社団法人 環境パートナーシップ会議:http://www.epc.or.jp/summit/」に掲載されています。

 20年前の自分を思い起こすと、(株)秋山愛生舘の五代目社長就任目前で、延び延びになっていた札幌証券取引所への上場で頭がいっぱい、とても「環境」について思いを巡らすことはできませんでした。ただ、当時の宮澤喜一首相が、国会の日程でビデオ演説となり、メディアの批判を浴びていたのを覚えています。この節目の会議に日本の首相が参加していなかったこと自体、グローバルな環境問題解決への存在感の無さを印象づけたような気がします。

 今、ふり返ってみると、国際連合の招集を受けた世界各国の産業団体、市民団体などのNGO 、国連加盟国ほぼ全ての世界172か国の代表が参加し、のべ4万人を越える人々が集う国連の史上最大規模の会議となり、世界的に大きな影響を与えました。

 そして会議の成果として、リオ宣言の他に、この宣言の諸原則を実施するための行動計画である「アジェンダ21http://www.env.go.jp/council/21kankyo-k/y210-02/ref_05_2.pdfhttp://www.erc.pref.fukui.jp/info/a21.html」、「森林原則声明http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1353」が合意されましたし、別途協議が続けられていた「気候変動枠組条約http://www.env.go.jp/earth/cop3/kaigi/kikou.html」と「生物多様性条約http://www.biodic.go.jp/cbd.html」が提起され、この会議の場で署名が始まりました。さらに、国際連合の経済社会理事会の下に、「持続可能な開発委員会(CSD)http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/kikan/csd.html」が設置されました。

 この会議後、「生物多様性」「生物圏」といった用語が、各国の主要機関に認知され、一般にも知られるようになり、さまざまな地球環境問題や生態系、絶滅危惧種に対する関心が高まるきっかけともなったようです。

 あれから20年、昨年の3・11を契機に、北海道から、日本から、私たちが世界に発信しなければならない責任は、一層大きくなりました。今年は「民の力」で、一歩前に出て提言していきましょうよ!!

エネルギーチェンジ、チャレンジ始まる

Posted by 秋山孝二
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 年明けから「エネルギー」に関する記事が続々と掲載されています。昨年の東京電力福島原発爆発事故後、多くの方々が、今、エネルギーに関して真摯に向き合い始めている証拠かと思います。

 

1) 2011年7月27日衆議院厚生労働委員会で線量測定・内部被曝に関して怒りの論述をされた児玉龍彦教授(http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo)の試みです。現在しかるべき立場にいる方の説得力・影響力の大きさを痛感します。

<北海道新聞1月1日朝刊>

福島汚染米でバイオ燃料 児玉・東大教授、県内で実験へ:道内製造企業も協力~~~~~~

 放射性セシウムが検出され廃棄見込みの福島県産のコメを、道内企業の技術を使って、ガソリン代替燃料のバイオエタノールとして利用する計画が動きだした。政府の除染施策を批判して自ら福島で除染に携わる児玉龍彦・東京大教授らが、「福島再生のモデルに」と取り組み、2012年内に具体化に向けた実験に着手する。バイオエタノール生産工場は福島県内に造り、廃棄用や風評被害で売れにくいコメを有効活用しながら、雇用創出や耕作放棄による農地荒廃を防ぐ狙いだ。~~~~~~~

 

2) <1月5日北海道新聞社説>

ニッポンつくり直し(4) 原発頼らぬ生活目指そう 20年で5割も増えた電力消費/自然エネルギー普及の道筋を

 原発が担う3割分を差し引いた発電量は、およそ20年前の1990年前後の水準だ。日本経済にとって長期低迷の「失われた20年」が始まるころである。 北海道は一層厳しく、経済規模を示す域内総生産は当時と変わらない。この間、人口は減少に転じた。

 ところが、北海道電力の販売電力量は、泊原発2号機が運転開始した91年から現在までに51%増えた。成長ゼロで人も減ったのに、1・5倍の電力を消費している。電気を便利に使いこなしているつもりが、実は、原発を基本に据えた電力供給システムに、知らず知らず生活様式を合わせてしまったのではないだろうか。

 原発に頼らない未来を選ぶには、一人一人が暮らしを見つめ直し、エネルギーについて真剣に考えることが出発点となる。

 将来のエネルギーのあり方を検討する上で、北海道には指針がある。2000年に制定された道の省エネルギー・新エネルギー促進条例だ。放射性廃棄物の処理・処分技術が確立されていないことから、原子力を過渡的エネルギーと位置づけ、「脱原発」の視点で省エネ促進と再生可能エネルギーの導入に取り組むとしている。ただ、道の取り組みは不十分で、これまでは見るべき成果がない。福島の事故を経験した今こそ、その理念を生かすときだ。

 条例に共感した道内のNPO関係者や研究者らが昨年、「北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト」を発足させた。条例の周知を図るとともに、再生可能エネルギー普及の独自の工程表づくりに取り組んでいる。メンバーの北海道市民環境ネットワーク理事の宮本尚さん(52)は、「何かしたいのに、どうしていいか分からない人も多いはず。そんな市民の思いを形にして、条例に命を吹き込みたい」と話す。

 北海道新聞が昨年10月に実施した全道世論調査では、79%が原発の廃止を求め、今後の電力確保で再生可能エネルギーを重視する意見が6割を占めた。高橋はるみ知事はこうした声をくみ取り、原発に依存しない北海道を目指す姿勢を明確にして、再生可能エネルギーによる地域活性化を主導すべきだ。

 風力、地熱、太陽光、家畜のふん尿や間伐材を使ったバイオマスなど、北海道の潜在力は高い。道内各地の取り組みを束ね、運営の課題、送電網の強化にかかるコストなどを検証し、短期と中長期に分けた普及計画を練る必要がある。熱電併給などでエネルギー利用効率を高める工夫も欠かせない。

 北大大学院の吉田文和教授は、道、関係自治体、北電、専門家、市民団体などで構成されるエネルギー環境会議の設置を提案している。道はこうした意見を取り入れ、公開の議論を通じた合意形成を急がねばならない。道内の電力の4割は札幌市とその近郊で消費される。都市住民への省エネ意識の浸透が不可欠だ。脱原発を掲げ節電に取り組む札幌市は、道内の他の中核都市にも省エネを働きかけてもらいたい。

 再生可能エネルギーは、地域分散、地産地消が特徴だ。国の方針を待つことなく、地方からの積極的な提言が求められる。道は、東日本大震災後の新たなモデルを提示するぐらいの意気込みで、省エネと一体となったエネルギー計画を策定すべきだ。東北以外で無駄な電気、石油、ガスを節約すれば、その分を被災地に回せる。

 エネルギーを大切に使うのは環境にも家計にも優しい。自分にも他人にも得になる。そんなふうに考えられないか。オール電化住宅や24時間営業といった身の回りにあふれる便利さは、私たちが本当に求め、必要としたものだろうか。家庭で、職場で話し合うことから始めたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

「エネルギーチェンジ100」プロジェクト(http://www.enechan100.com/)、私も世話人の一人です。

 

3) 「ネットワーク農縁:http://www004.upp.so-net.ne.jp/net-nouen/」HPからエネルギーシフトに関してです。

http://suiden-trust.blogspot.com/2012/01/blog-post.html

 

 新しい取り組みが確かに始まっています!!!

2012年、企業の底力に期待!

Posted by 秋山孝二
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 この数年、市民活動を支える方々から、「企業って利益追求でしょっ!」とか、「経済界って儲けることばかり考えてる!」みたいな話をよく耳にしていましたが、私には実に不本意なのですよ。「それは間違いだ!!」と大きな声で言いたいですね、よく観察すると、素晴らしい企業があちこちに出現している昨今です。

 私は商売をする家に生まれ育ち、24時間・365日、自分たちの暮らしよりも会社とか仕事のことばかり考えている経営者しか知りませんでしたし、自分が経営の一翼を担うようになっても、ひと時もお得意先・社員のことが頭を離れたことがありませんでした。「儲け」は、設備投資原資とか、従業員給与とか、メインテナンスとか、自らのリスクで生き残るため、持続可能な企業活動を担保するために必要だと思っていました。そして更に、民間企業経営者が、納税はじめ社会のためとか、人々のために日々活動しているエピソード・経験談を、幼い頃から繰り返し繰り返し耳にしていたからだとも思います。

 たとえば、秋山愛生舘の「奉仕の精神」、「民の担う公共・志」、「社会への貢献」といった精神は、私は企業理念だと信じています。ワグナー・ナンドール財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)理事長で叔母の和久奈ちよは話していました、「関東大震災時、父母と従業員の献身的大活躍で倉庫の薬を殆ど全部東京に配送したこと、母は必死に薬品の木箱に縄をかけまくったこと。第二次世界大戦中も、母が社員とリュックを背負って立ちどうしの汽車で東京に薬の買い付けに行き、それを売るときに多少の運搬費をいただいた程度だった」と。戦後、叔母の知人の隣人が札幌出身の人で、戦時中家族が病気の際、 適正な価格で分けてもらって命拾いをしたと、涙ながらに知人の手を取って感謝を述べたとも聞きました。

 さらに叔母は、「自家製剤の『ネオ肝精』、『デルモライツ』の大成功も、北海道人の健康に役に立つと、父が即座に製造組織を構築し たこと、琴似の工場が火事になって軍部から来ていた材料の水飴が流れ出し、近所の人々が群がってスプーンですくっていたのを見た父が、そんなに物資が窮乏していたのかとびっくりして、『一地方商人がするビジネスでない』と、大手製造業に譲ったことなど、子供心に身内を誇らしく思ったことがいっぱいある」とも、鮮明な記憶として語ってくれます。 

 

 昨年末に、(株)スズケン(http://www.suzuken.co.jp/)の社内報が届き、そこには昨年の東日本大震災後に、懸命に医薬品を届けようと尽力する社員の多くの活動が語られていました。「生命関連商品を扱う社会的責任を痛感」、「『何としても薬を届けなければ』という社員のがんばりに驚かされる」、「震災を通して社員の成長を実感」、「みんなの力でセンター機能破たんを回避」、「物流で失った信頼は物流で取り戻す」、「日ごろから本物のお付き合いこそが信頼の礎」、「がんばりの源は『医療を支える一員』という意識」等、「今、伝えたいこと」の特集で、あらためて自らの社会的役割を、お得意先、社員の「絆」を通じて確認したようです。

 昨年5月のスズケン出身者の会「ケンユー会・愛生舘支部総会:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8734」の様子をこの欄に書きました。「~~~~~~~~~~来賓で名古屋からお越しいただいた(株)スズケンの伊藤副社長のお話によると、3月の東日本大震災では、お得意先の医療機関に必死で医薬品をお届けし続ける一方、スズケンの東北エリアの物流センター、支店等でもかなりの被害が有ったようです。支店屋上に数日間避難したり、犠牲になった方もいらっしゃったと報告もありました。全国で営業展開し、医薬品の流通を通じて日々社会への責任を果たそうとするモラルの高さに感動しながらも、被災とは無縁ではいられない難しさもあるのですね。先日のお話では、被災復旧への投資等も多額に上り、来年の年間配当は、これまでの一株62円から50円へと減配の予定とか。秋山財団運営には大きな打撃であり、来年度事業計画に織り込んで対応を考えなければなりません。~~~~~~~~~」

 自らのリスクテイクと顧客への責任を全うせんがための全社一丸の努力を、伊藤副社長の言葉、社内報から読み取り、私は強い感動を覚えました。まさに、民の志の高さ、モチベーションに支えられた個々の判断の迅速性と適格性と言えましょうか。先見性のある優れた企業は、当事者能力も高く、新しい時代の変化に対していち早く対応しています。環境系等の社会貢献を標榜するNGO・NPOも、いつ実行されるか分からない政策に期待するよりも、これらの優良企業とコラボレーションする方が決断スピードも速く、規模も大きく、結果を出すことができると考え始めています。

 

 一方、下記のように、昨年お会いしたスイスの投資家から見る企業と国家の当事者能力の違いに対して、厳しい評価があります。

~~~~~ギリシア問題から始まり、EUについてはかなり悲観的な展望だ。スイスはEUに加盟していないので、スイスの政治指導者に感謝する。それでも日本同様、現在スイスフラン高で、輸出企業の多いスイスもチャレンジだ。ただ、今のところは企業業績は悪くは無い。アメリカも確かに難しい局面だが、それでも一国であり、まだ大統領・政府の統制下で政策変更等、方向性を見い出せるが、EUはその下に各国の政府・議会・国民がいて、あまりに関わる利害関係者が多すぎて、スピードのある決断による転換が難しく危機的である。そんな理由で、「社債」はまだしも、「国債」はリスクが高すぎる。~~~~~~

 

 なぜこんな話を念頭に書き留めるか、それは原発事故における政治、監督官庁幹部、東京電力の経営幹部に対する憤りがあるからです。「民主主義」は本当に優れたシステムなのでしょうか?もちろん独裁が良いとは全然思いませんが、「選挙」とか「国会審議」とか、手段が目的化してやたら時間を浪費する愚、部分最適ばかりで無駄が多く、構想力も欠如している中央官庁の政策、地域独占の電力会社は民間企業としての当事者責任を問いただすと、「国の政策だから」と逃げ込み、ある時は「電力の安定供給の使命」みたいなことを持ち出して電力不足と顧客を恫喝し原発推進を言いだす、私は彼らの無責任さとそれれに無批判なメディアが許せません。

 志ある市民の自立した活動と、優れた先見性と顧客志向の企業とがコラボレイトすることが、今、課題解決の最も実現可能な道なのではないかと、確信を得るに至りました。今年一年、「エネルギーシフト」も「環境」も、「企業とのコラボ」をキーワードにして結果を出したいですね。

2012年、次代につなぐ

Posted by 秋山孝二
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 新年明けましておめでとうございます。

今年も北海道神宮への初詣

今年も北海道神宮への初詣

 毎年元旦は、「新しい気持」で迎えてきていますが、私にとっては、今年は、やはり昨年の3・11の衝撃はその後も止むことなく続き、忘れてはいけない年と思うと同時に、「2011年がやっと終わった」みたいな、散らかった仕事場の片づけをしながら区切りをつけようとする自分を感じました。今年を展望する前に、時間を区切りたいと思ったのは初めてですね。

 仕事・活動を続けていると、「仕込み時期」、「刈り取り時期」みたいな、ステージの起承転結があるような気がします、だから人生それ自体がストーリーを持つのかも知れません。その意味では私にとって昨年は、「刈り取り時期」でしたね。今年は、幾つかのこれまでやってきた活動で、「次代につなぐ時期」の予感がします。

 よく「人材育成」と言いますが、少しでも人を育てる経験をされた方は感じられると思います、この「人を育てる」というのは、実に難しく、託すこと・期待することの苦しみとでもいうのか、裏切りにもめげず、繰り返し飽きることなく自分の経験とメッセージを伝え続ける、そんな地道な活動の繰り返しです。「這えば立て、立てば歩めの親心」の如く、期待はどんどん膨らみ、それも先回りをします。自分が充実して前へ前へと進撃すればするほど、育てる対象の歩みの遅さにいら立ちを覚えて不機嫌になってくる、思えば私は教員時代も、経営者時代も、その情況との葛藤でした。結局、「育てる」などということなどおこがましいことであり、せめて自分の思い・体験を「伝える」、「つなげる」、「託す」と考えるべきなのでしょう、いずれ否応なく、次代が世界を担うのですから。

 4年前のこの欄に書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=307)。先日、「人間の覚悟」に続いて、五木寛之著「下山の思想:幻冬舎新書」も出版されたようです。

 「林住期を生きる」、今再び肝に銘じつつ、今年も宜しくお願い致します!