メッセージとしての言葉の力

Posted By 秋山孝二
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 この数か月、あらためて「言葉の力」によるメッセージ性、或いは説得力を感じる場面が多々ありました。

*オバマ大統領が就任する過程での節目節目の演説、今年4月のプラハ演説です。ただこれらは英語であり、その場に居たわけでもありませんので(6月にその広場には行きましたが)、感動は何分の一なのだと思います。

 http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-By-President-Barack-Obama-In-Prague-As-Delivered/、日本語訳http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20090405-77.html

http://jinandtonic.air-nifty.com/blog/2009/04/post-c97d.html

 *6月6日の品川正治さん講演会で、「『戦争を起こすのも人間、しかしそれを許さないで止めることができるのも人間ではないか。天災ではない。なぜそれに気がつかなかったのか』、それが私が戦争で得た基本的な姿勢です」と静かに語られました。この時のお話は2時間のDVDに収録しています。こちらまで green9zyonokai@gmail.comご連絡頂ければ送料込み1300円でお送り致します。

*秋葉広島市長は昨日の記者会見で、「核廃絶を願う世界の多数派を、『オバマジョリティー』と呼ぶよう提案したい。次世代への最低限の責任を果たすため、2020年までの核廃絶を実現するよう市民の力の結集を求める」と6日の演説概要を述べました。田上長崎市長も今年はプラハ演説を盛り込むようですね。今週のお二人の演説に注目です。

一方、スポーツの世界でも試合直後のヒーロー・ヒロインインタビューで、このところの若い選手たちは素晴らしいメッセージを私たちに送ってくれています。

*プロゴルフの男子・石川遼は、先日の小樽カントリー倶楽部で優勝した直後、一緒にプレーしたブレンダン・ジョーンズ(豪)選手http://www.golfdigest.co.jp/news/pro_profile/jgt/b_jones.aspを讃えるコメントを実に自然に表現していました。また、全英女子オープンで3位タイになった宮里藍も、一時トップタイになって惜しかったのですが、とても前向きなコメントにむしろそれを聞いた私たちが元気を貰いました。あの若さで素晴らしい日本語を使って自然に表現する能力、どこでそれは培われたのだろうと時々考えます。恐らく家庭環境が最も大きいのでしょうが、昔に比べて「話す力」「言葉での表現力」は格段に若い世代は進化しているような気がします。日本ハムのダルビッシュもいいですね。もし家庭以外で球団が彼にアドバイスをしていたとすれば、経営者の見識に感服いたします。プロ選手の子供たちへの影響等、まさに「社会的責任」の基本だと思うからです。

*プロボクシングの亀田兄弟は逆のモデルでしょうか。基本的な日本語が出来ていませんよ。年齢と立場を勘案してもひどい言葉使いですし、それ以上にそのままメディアの前に露出させるジム経営者、メディア関係者の見識を疑いました。それどころかメディアの、そんな非常識さを面白がるグロテスクな姿に憤りを感じます。言葉だけでなく対戦相手への侮蔑的雰囲気は、責任ある立場にいる者は当り前のこととしてきっちり叱責するべきだと思いますね。勝敗云々よりも、出来るだけ近いうちに兄弟たちの「気づき」を期待したいものです。マナーを越えた人格の問題だと。

*私が上場企業の代表取締役だった時に、人材開発部長に言ったことがありました。「取締役研修の教材として『放送禁止用語集』を使えないものか」と。当時、企業の不祥事等での記者会見で不適切な言葉・表現が頻発していました。予め用意しておいた原稿を読んでいるうちはごまかしが効くかもしれませんが、質疑応答の場面ではもろにその人柄が露出します。無意識の差別用語(片手落ち、バカでもチョンでも等)、不適切表現(女性蔑視等)は、命取りとなっていました。会社を代表する立場に在る者にとって、本来は持って生まれた能力と言い放ちたいのですが、これが個人の属性を越えて会社の品格・責任まで及ぶのであれば、不断の学びの中から吸収出来るようにプログラムを用意しなければならないでしょう。

外国語に対する認識でも、言葉が分からなくてもコミュニケーションは何とかなるものと言葉を軽視するのと、やはり言葉は極めて大切であると考えるのとでは大きく違ってきますね。先日、国際ソムリエコンクールで優秀な成績をおさめた日本人ソムリエが、「フランス語をもっと理解し駆使できれば、優勝できたと思う」と小規模の勉強会で謙虚に述懐していました。先日のゴルフの全英女子オープンでも、数人の日本人選手がキャディとの関係が明らかに上手くいっていない様子でプレーをしていました。案の定スコアは悪かったです。

昔、私が学生時代に通っていた東京の夜間の英会話学校である先生が、「とにかく、Talk! Talk! Talk!」といつもおっしゃっていました。「もし何も話することがない時は、今自分はこういう状態なので話が出来ない、と語るべき」とも。言葉・会話を通してコミュニケーションの重要性を伝えたかったのだと思います。

テレビのインタビューから、言葉にまつわるこれまでの場面が次々と頭を通り過ぎました。

2 Responses to “メッセージとしての言葉の力”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ダルビッシュ、君ならできる! Says:

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