栃木県庁&その界隈

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 栃木県とハンガリーの関係から、先日は県庁を訪問して福田富一知事と面談しました。県庁ビルを入ると正面には大きなイチゴが浮かび上がる階段が、『いちご王国栃木県』!!

知事応接室のテーブルには、県のロゴの入ったレース。

県のロゴ入りテーブルクロス

県のロゴ入りテーブルクロス

紅白のイチゴ!!

紅白のイチゴ!!

中まで真っ白!

中まで真っ白!

 訪問終了後に時間があったのでJR宇都宮駅まで街なかを散策、なんと『餃子通り』ですよ!

街灯の傘まで餃子!!

街灯の傘まで餃子!!

教え子たちの今 2024

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 私が50年ほど前に東京都江戸川区の公立中学校で教師を5年間やっていたことは、これまで何回か記事を書いていましたが、先日はその中で女子バレーボール部だった教え子からFacebookでメッセージが届きました。久しぶりにチームメンバーだった同期が集まって思い出を語り合い大いに盛り上がったようです、写真も送ってくれました。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 鹿本中学校生、40年の時を越えて (akiyama-foundation.org)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 祝 オリンピック選手に選出! (akiyama-foundation.org)

 後から聞いたら今年「還暦」を迎えたとか、『還暦!!!!』、信じられません。年月を経る毎に私と年代が近付いてくる気がするから不思議ですね!でも、皆さん元気そうで嬉しいです。

 今、彼女たちが中学校時代をどう感じているのか、直接聞いてみたいし不安でもあり、ですね。

白えび @ 東京駅

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 久しぶりに東京駅地下の富山名物『白えび』のお店に行きました。食べ物はもちろんですが、ここのお店の店員さんたちが素晴らしい!!

* 『白えび屋』ーー> 白えび富山の特産品、せんべい、お刺身、白えび丼の白えび屋 (shiroebiya.co.jp)

白えびの刺身

白えびの刺身

 これがまた最高、白えびの唐揚げ!

 以前、昼どきに行った時は長い列ができて諦めたのですが、これからもまた行ってみたいお店ですね。

機内の番組『TED』から!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 今月は頭から出張が続く日々で、こんなに間が空いたのも1年ぶりくらい、すっかりこのブログがご無沙汰でした。

 出張中の機内で、ふと何気なく選んだチャンネルが大変面白かったです。

~~~~~~~~~~~~~~~

* ジュリアン・トレジャー『人を惹きつける話し方』

TED日本語 - ジュリアン・トレジャー: 人を惹きつける話し方 | デジタルキャスト (digitalcast.jp)

* ロバート・ウォールティンガー『人を幸せにするのは何?』

TED日本語 - ロバート・ウォールディンガー: 人生を幸せにするのは何?最も長期に渡る幸福の研究から | デジタルキャスト (digitalcast.jp)

* ダニエル・ピング『やる気に関する驚きの科学』

TED日本語 - ダニエル・ピンク: やる気に関する驚きの科学 | デジタルキャスト (digitalcast.jp)

* ダニエル・レヴィティン『ストレスを受けても平気を保つ方法』

TED日本語 - ダニエル・レヴィティン: ストレスを受けても平静を保つ方法 | デジタルキャスト (digitalcast.jp)

~~~~~~~~~~~~~~

 それぞれの内容はもちろんのこと、彼らの話のスピード感、リズム、ユーモア等、学ぶことが多いです。私は普段は音楽とか資料を読むような機内の時間ですが、今回はあっという間の飛行時間、充実していました!!

追悼 伊藤義郎さま

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 先日は昨年12月5日に96歳でお亡くなりになった伊藤義郎さまの『蒼空(そうくう)の集い』に参列しました。「蒼空」の意味合いは青く美しい空のこと、こよなく愛した飛行機が真っ青な空を突き進む様子に安らぎを感じてたとのこと、96年の生涯を札幌・北海道を世界に発信し続けたそのご功績を偲ぶとともに、首尾一貫した「つどい」の企画に感動致しました。

 とにかく経済界はもちろん、スポーツ界、芸術界等、特にアメリカ海軍との深い繋がりは、まさに民間人としての信頼を築き日本を代表する人物、今回の「つどい」でもアメリカ海軍の元大将ほかの参列者も多く、その重鎮たる存在感を示していました。式次第はじめ配布パンフレットも英語併記、

 私の小・中・高の大先輩、それぞれの同窓会でも役員としてお世話になり、札南高学校林財団では永きにわたり理事長を務め、三代後に現在は私が理事長になっています

 私がまだ幼い頃、南1条の秋山の自宅でパーティがあった時に、当時伊藤組の社長になったばかりの伊藤義郎さまが奥様の寿美子さまとご一緒に出席されて、テーブルの上の「春巻」を見て「ああ、スプリングロールですね!」とおっしゃったのを何故か鮮明に覚えています。アメリカ留学6年間と先日の「つどい」で紹介があり、そんな言葉がすぐに出てくるまさに国際人なんだと、私が強く心に残りました。

 翌日の新聞各紙にも紹介されていました。

 長い間大変お世話になりました、どうか安らかにお眠りください。

伊藤美誠選手@卓球

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 卓球女子の戦いは、昔よりはるかに高速になり、まるで別の競技のようです。先日のパリ・オリンピック日本代表選出を巡っての一連の報道で、私は伊藤美誠選手の言葉に感動しました。

 いわゆる補欠候補を自らの意思で辞退する旨の報道でした。彼女はすでに金・銀・銅メダルを勝ち取っているので補欠としては将来的視点から若い選手を選ぶべきと、彼女の勇気ある発言に私も全く同感で、チャンスはこれからの選手たちに譲るべきだと思うのです。SNSではいろいろな批判もあるようですが、今の日本社会全般に若い世代への場をもっと積極的に作っていくことが肝要かと私は以前から感じていましたので。

https://news.ntv.co.jp/category/sports/85081190265a4d85ae53efa79dcbb28e

~~~~~~~~記事より

 卓球・世界選手権女子団体の決勝で中国と激闘を繰り広げた日本代表選手が26日に帰国。記者会見ではパリ五輪のリザーブメンバーについて、伊藤美誠選手が消極的な姿勢を示す場面が見られました。

 今大会の伊藤選手は2試合に出場したほか、ベンチで早田ひな選手、平野美宇選手、張本美和選手らにアドバイスを送る姿がSNSで“伊藤監督”と呼ばれるなど話題に。

 そのサポートする姿から、伊藤選手のパリ五輪リザーブメンバー選出を願う声もありましたが、伊藤選手は「これから五輪に出場したい選手や五輪で金メダルをとりたい選手がリザーブとなって帯同するべきかなと私自身は思います」と自身の考えを語りました。

 過去の五輪を振り返り「リオ五輪の時は平野(美宇)選手にすごくサポートをしてもらって、初めての五輪でたくさんの先輩方がいる中で同世代がいることが思いっきりできた理由でもあって、その中でメダルを取ることができた。東京五輪では早田(ひな)選手にサポートやアドバイスをたくさんしていただいて、早田選手がいてくれたから絶対に金銀銅をとることができた」と、献身的にサポートした同学年の2人に感謝の思いを伝えた伊藤選手。

~~~~~~~~~~

 その上で、「平野選手、早田選手がやってくれてたことを、私自身リザーブは今後将来を背負っていく選手が経験すべきだなと思ってます」と、より若い選手が担うべきだと語りました。

 今回の件に比べて、何とも残念なのは前回の東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会人事です。1964年の時に比べて高齢者がその幹部に名を連ねて、次の時代を担うであろう人材育成に失敗したばかりでなく、その後の不祥事の連続によりレガシィどころか大きな汚点をだけを歴史に残す始末となりました。年寄りがポストをいつまでの占有する今の多くの日本のセクター、これこそ日本の凋落の最大の原因だと私は強く思います、まさに「老害」です。

札幌の2月も過ぎゆく 2024

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 今年の札幌の冬、新年早々は雪もそれ程多くはなかったのですが、その後は連日の降雪、1月のごみステーション当番としては連日夜・朝の雪かきを家の前に加えてのお仕事、いい運動でした。能登半島地震ほか、自然災害の土砂等に比べれば、「いずれは水になって流れる雪」、雪かきは毎年大変ですが、災害に比べれれば北国に住む人間にとっては当たり前と受け止める方が心身に良いのでしょうね。

 今シーズンは気のせいでしょうか、家の前の道に入るブルトーザーの回数も少ないようで、降っては踏み固めていくとどんどん高くなり、3月にはこれが氷となって今度は氷割作業に代わっていきます。ずいぶん前には春の日差しの中でスコップ・つるはしで氷を割った記憶もあります。
 
 年によって降雪量も降り方も違うので、雪かきの頻度も変わります。全国放送のテレビの天気予報はどうしても首都圏中心で違和感があり、昨今ではスマホの天気予報が一番信頼できる感じでしょうか。これまで雪が解けて4月中旬過ぎには庭の木々も息を吹き返しますが、今年はどうなるやら。生垣のドウダンツツジほかにはかなり雪が積もっているので、枝が折れていなければと少し不安ではありますが、植物の「レジリエンス」を信頼しましょう!!

 明日から弥生三月、春はもうすぐの札幌です。

愛生舘の「こころ」 (30)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 四街道市教育委員会から松本順、川口家繋がりでご紹介をして頂いた四街道市下志津新田の『近藤家』、代々守ってこられた古民家を訪問し、7代目の近藤貴子さんから深いお話を長時間伺うことができました。デジタル情報が少ないので、大変濃密なパンフレットをここに掲載して報告に代えさせて頂きます。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 近藤家@四街道(上) (akiyama-foundation.org)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 近藤家@四街道(下) (akiyama-foundation.org)

 松本順の揮毫はこちら、戊辰戦争・会津での戦いで旧幕府軍野戦病院で治療にあたった立場として、新選組ほか旧幕府側に対する世間の不当な評価への嘆きと痛烈な批判。。

 今回は、裏の里山、土蔵ギャラリーは時間がなくゆっくり見学できなかったので、再度時間を見つけて訪問することをお約束して帰りました、まさに「宝の山」といった感じの『邸宅美術館』でした。栃木県益子町の『ワグナー・ナンドール財団』に通じるコンセプトと受け止めました。

* 『(公財)ワグナー・ナンドール記念財団』ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

近藤家@四街道(下)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 千葉県四街道市の近藤家には古民家の他にも敷地内建物に歴史的資料が大切に保管されています。ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーと近藤家との深い関係も大変貴重でした。

* ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーーー>https://enartsu.co.jp/artist/michael-coudenhove-kalergi/

 ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーは、クーデンホーフ=カレルギー伯爵家の方で、オーストリアの画家。日本研究者ゲオルフ・クーデンホーフ=カレルギーのご子息。「欧州統合の父」リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは、ミヒャエルの伯父にあたります。ミヒャエルの父方祖母クーデンホーフ=カレルギー・光子は日本人( 1874年7月24日 - 1941年8月27日)旧名:青山 みつ(あおやま みつ)、オーストリア=ハンガリー帝国の貴族ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の妻、欧州統合の母としても有名ですね。

 近藤家のご親族は、代々ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーと親しく、絵画にも幾つか残されています。オーストリア・ハンガリー帝国として私が理事長を務める「ワグナー・ナンドール記念財団(Wagner Nándor Foundation (wagnernandor.jp)」に繋がるご縁、『邸宅美術館』としての共通点を発見しました、同時に、オーストリアとハンガリーの不思議な出会いでした。

 近藤家とのご縁は秋山財団『愛生館文庫』を通じてでしたが、四街道の場を訪問して、もう一つの『ワグナー・ナンドール記念財団』とも繋がり歴史の面白さに感動した一日でした。

 今回、途中寄ったJR千葉駅の変貌ぶりには驚きましたね、モノレール駅とJR駅が合体し、エキナカのお店もたくさんできて活気があふれていました。思えば私がこの駅界隈を歩いていたのははるか50年以上も前ですから。この写真は敢えて人通りの少ない場所のもの、他のエリアは人で溢れていました、念のために。

近藤家@四街道(上)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 秋山財団の『愛生館文庫 - 秋山記念生命科学振興財団 (akiyama-foundation.org)では、デジタルコンテンツ作成で取材に行った先で新たな発見が生まれてきています、歴史の中の人々の繋がりには何か運命的な出会いを感じる昨今です。

 その一つ、四街道市の『近藤家近藤家住宅主屋ほか/千葉県 (chiba.lg.jp))』をご紹介します。四街道市下志津新田地区の中央部に位置、江戸末期に武州多摩郡から犢橋村(こてはしむら、現在の千葉市)に移り、さらにこの地に移り住んだとされている旧名主、旧千代田町長宅です。

門には近藤登之助の表札

門には近藤登之助の表札

 一歩入ると、広大な敷地の庭が広がり、奥には林の景観も。

 敷地内の隣には古民家に似合った賃貸のアパートも。

 主屋にはそれぞれ趣のある部屋が幾つもあり、由緒ある展示物が所狭しと並んでいました。とても一回の訪問では理解できないので、またお伺いすることをお約束しました。

 その中で、近藤家は川口家、松本家とも姻戚関係にあり、松本順(良順)揮ごうの掛け軸が目に留まりました、二行書です。幕末から明治に掛けての世の中の世情に対する彼の思いを表しています、新選組の近藤勇ほか旧幕臣たちへの思いを馳せてでしょうか。

* 川口家ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

* 松本順ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 さらに敷地の隣には、また貴重な歴史史料の展示もありました、(下)につづく。

新渡戸連続講座 2月 最終 2024

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 今年度の「新渡戸連続講座」、先日は最終回として、北海道大学名誉教授・小笠原正明先生のお話『南部の侍:佐藤昌介と新渡戸稲造の生き方』でした。

* これまでの「連続講座」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 盛岡藩の藩校『作人館 - 作人館の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書』に集った少年たち、佐藤昌介、原敬、栃内元吉、田中舘愛橘、新渡戸稲造、後に明治期に大活躍する人材を輩出しています。さらに盛岡の『求我舎(きゅうがしゃ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)』では自由民権運動を担った人材の輩出も。その底流には、キリスト教によって活性化された地生えの武士道といえる思想があったようです。

 今年度最後の講座には多くの方々が出席されていました。

館山 2月 2024

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 千葉県館山市は、房総半島の南の端、私のもう一つの小さな家がここにはあります、もう30年近くなりますでしょうか。昨今では東京出張の折に、ホテル代が急騰していることもあり東京駅からの高速バスで約1時間40分、宿泊に使っていて、翌日朝には館山から羽田空港行きで札幌に帰ることも多いです。

* これまでの館山関連記事ーー> 山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 館山駅前ロータリーには菜の花も満開で、タクシー乗り場前には新たな花球形!!

 今回は久しぶりにJR館山駅海側の『南房総・館山 たてやま旬鮨 海の花│公式ホームページ (uminohana.com))』で地魚寿司、菜の花のお浸し、クジラのたれを食べる時間もあったり。

地魚寿司と菜の花お浸し酢味噌和え!

地魚寿司と菜の花お浸し酢味噌和え!

クジラのたれ

クジラのたれ

 この50年以上、私はたくさんの思い出の詰まったこの地に来ていますが、空き地が増えて駅前の灯りも消えて少し寂しさは感じますが、海の幸あり山の幸ありで、豊かでしたたかな地方都市の姿も見る思いです。駅前の『中パン(館山 中村屋 (nakapan.co.jp))』、那古船形の寿司『茂八(千葉県 南房総 茂八寿司 公式ホームページ (mohachi.com)』、鰻の『新松(六代目・新松 | 江戸の香り老舗の味 (fc2.com)』、今も健在で嬉しいです。

2月の札幌 2024

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 2月の札幌は、雪まつり期間中に大雪となり、普段広い車道は車線が狭まり大渋滞、歩道も除雪の後は雪山が連なって大変です。

 円山公園、北海道神宮界隈では、真っ白な新雪にアジアからの観光客とみられる方々が大喜び、思い思いに雪像を作って残していました。私のように永らく札幌に住んでいる人間からは珍しくもない光景ですが、何よりの観光資源なんでしょうね。

 雪まつりが4年ぶりにフル再開した今年でしたが、終わって間もなくは最高気温が10℃を越える暖気が襲来、あっという間に雪も融けて、今度は路のあちらこちらに水たまりです。日差しも相まって3月下旬の風景でしたね、やはり温暖化の影響でしょうか。

斎藤歩、受賞祝賀パーティー!!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 (公財)北海道演劇財団の斎藤歩理事長が昨年『札幌芸術賞』を受賞したことは私のブログでもご紹介しましたが、昨日は私も含めた有志が世話人となって「祝う会」を開催し、120名を越える参加者で大いに盛り上がりました。会場にはテレビ局のカメラが3台も入り、今後何らかの番組企画があるようで楽しみです。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 祝、歩さん、札幌芸術賞受賞!! (akiyama-foundation.org)

 冒頭の祝辞として私がご挨拶をしました。普段は舞台に上がっている方々ばかりを前に挨拶するのもなかなかの緊張感、それでも私なりのメッセージを短い言葉に詰めたつもりです。

~~~~~~~~~~

1)「偲ぶ会」ではなく「祝う会」ですよ、いや、「お祝いライブ・ディナーショー」というべき今日の参加者の顔ぶれ!

2)この数年のコロナ禍 (公財)北海道演劇財団理事長としての斎藤歩の業績 

~~~~「不要不急ではなく『インフラ』だ!」の信念で公演を続けた演劇人としての矜持

~~~~先だって作成の「コロナ禍における演劇公演ガイドライン」ー>全国のスタンダードに

3)沢則行さんとの直近の公演『カフカ経由シスカ行き』で「まるで閉店セールだ」

~~~~~真に受けるな:稲毛の潮干狩り、ある団体の理事長の「オレの遺言を聞け!」

4)是非、作品を『困ったがんサバイバー!』―今はその取材中なのではないか?!

5)「『札幌芸術賞』を受賞した斎藤歩がすごい」ではなく、斎藤歩が受賞したから『札幌芸術賞』が益々輝く、私はそう思う。

 斎藤歩さんからは最後にご参加の皆さんの紹介と感謝のお言葉。

 俳優の柄本明さんほか多くの方々からビデオメッセージも!

俳優の柄本明さんもお祝いメッセージa

俳優の柄本明さんもお祝いメッセージ

 お祝いのアトラクション、まずはあしり座の人形浄瑠璃『三番叟』、素晴らしいパフォーマンスでした。

 続いては歌・廣田直美さんとギター・山木将平さん、『見上げてごらん夜空の星を』、斎藤歩も一緒に!

 祝辞はチェリストの土田英順さん、斎藤歩作の芝居にも演奏だけでなく役者としても大活躍でした。

 本当に多くの関係者・クリエーターの方々、昔懐かしいお顔もたくさん、素晴らしい雰囲気の会は大いに盛り上がりました。それにしても斎藤歩のこれまでの功績は実に大なるものがあることをあらためて実感した2時間少々でした。

 斎藤歩、おめでとう!!!!

『カプチル』、ナッツリターン事件

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 NHK総合テレビの「アナザーストーリー『韓国 ナッツリターン事件の衝撃』」、事件に関わった人々のそれぞれの人生を追う企画、今回は「カブチル」に行きつく深い内容。社会的経済的に地位の高い人が横暴な振る舞いをする「カプチル」という構造的な問題を炙り出し、さらにその後、韓国独特の階級社会に闘いを挑む人々の物語でした。

* 韓国 ナッツリターン事件の衝撃 - アナザーストーリーズ 運命の分岐点 - NHK

 この『大韓航空ナッツ・リターン - Wikipedia』事件は、当日大きく報道されてはいましたが、企業のオーナー家の横暴としか受け止めていなかった私ですが、今回、その背景の深掘り取材を観て、韓国社会の底流にある価値観、そして日本にも似たような深層意識を呼び起こしました、昨今の『モンスター○○!』です。

* カプチル 意味 - 検索 (bing.com)

* 「ナッツ姫」事件から8年、パワハラ告発が相次ぐ韓国 「カプチル」撲滅の道は遠い:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)

 その被害にあったチーフパーサーのパク・チャンジンさんは、その後の社内・職場での酷い扱いにもかかわらず、多くの市民の拍手に後押しされて敢然とこの悪に立ち向かい、社会運動としての潮流を創り出しました。

“ナッツ姫”への賠償請求は棄却されたが…「ナッツリターン事件」の被害者が一部勝訴 - ライブドアニュース

 大韓航空の副社長はもちろんですが、その妹も数年後に同じような事件を起こし、懲りないオーナー家として社会を騒がせています。韓国社会の話として片づけるのではなく、日本の各セクターにおける『いじめ構造』、『パワハラ・セクハラ』、『クレーマーの蔓延』等に立ち向かう勇気が我々にあるのかどうか、今問われているような気がします。

『バタフライエフェクト』(24)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 しばらく間が空いてしまいましたが、NHK総合テレビの映像の世紀シリーズ『バタフライエフェクト』は、引き続き歴史の中の人物の連鎖に焦点を当てて、その関連性を見事にあぶりだしていますが、ここでは以前の番組と最近のをご紹介します。

* これまでの記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%

 一つは昨年放映された『大東亜共栄圏の3年8か月』。太平洋戦争において日本は、欧米の植民地支配からアジアを解放するというスローガン「大東亜共栄圏」を掲げて、東南アジアの人々は当初は日本軍を救世主と歓迎しました。その実情は、日本精神が強要され、日本に協力する指導者を育成するために現地の秀才たちは「南方特別留学生」として日本へ送り込まれました。そして戦後、再び経済進出して来た日本に、元留学生たちは向かい合うことに。大東亜共栄圏は今のアジアに何を残したのか、残さなかったのか、戦後を生きてきた私にとっても新たな気づきとなりました。

 もう一つは最近放映の『塩の行進 ガンジーの志を継ぐ者たち』です。この番組に登場する人々は、私自身の人生とも同時代に並走していた方々、その原点にマハトマ・ガンジーの志があったことをあらためて知りました。

 この回では、音楽も重要なメッセージでしたね。

* ボブ・ディラン 『Only a Pawn in Their Game(Bing 動画

* クリス・クリストファーソン 『They Killed Him(https://www.google.com/search?q=%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)、ワシントン大行進での有名な演説『I have a dream』

 若きボブ・ディランもそこで歌っていたのですね。

 暗殺されたメンフィスのロレイン・モーテルの306号室前のバルコニー、かなり前でしたが私は訪問する機会がありました。

 ガンジーの志はアジアのリーダーにも大きな影響を与えました。フィリピンのベニグノ・アキノ氏とその後継者のコラソン・アキノ氏。

 ミャンマーのアウン・サン・スーチー氏。

 バタフライエフェクトとして繋がりで見ると、一人ひとりの功績は必ず次の歴史の礎になっていると確信します。私自身の活動も、ほんの歴史の一コマを生きているに過ぎないとは思いますが、必ずやその足跡は次の世代が引き継いでくれると信じたいものです、素晴らしい番組でした。

姉・せつの一周忌

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 昨年2月、母の旅立ちを見送るように逝った私の姉の一周忌を、ごく身内で生前の姿を偲びながら昼食をともに過ごしました、あらためて姉の存在の大きさを感じたひと時でした。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 姉・せつが永眠 (akiyama-foundation.org)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 姉・せつの納骨 (akiyama-foundation.org)

 姉の生まれた時の写真、小中高時代の写真、母を介護していた時の写真等、今となっては懐かしいものばかり、3人の娘と孫たちと、生前のたくさんの思い出話も聞くことができて、あらためて姉の人生をかみしめた時間でした。それにしても1年の時の速さに驚きます。一周忌は一つの区切り、今日からまた前を向いて私自身歩いて参ります。

札幌の農業 @ 新渡戸連続講座

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 新渡戸連続講座、今回は『札幌の農業』と題して、三部英二さんのお話でした。200万都市札幌はともすると消費都市と言われていますが、市内でも多様な農作物が作られていることをあらためて知りました。

* これまでの連続講座記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

* さっぽろの農業/札幌市 (city.sapporo.jp)

 最後は新渡戸稲造の『農業本論』から言葉を引用されて終わりました。

復興モデル、女川町!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 先日の『モーニングショー|テレビ朝日 (tv-asahi.co.jp)』で紹介されていた災害復興の様子、宮城県女川町(女川町公式ホームページ (town.onagawa.miyagi.jp)の取り組みは大いに学ぶことがありました。2011・3・11の後に議会議員から町長にご就任された須田善明町長の解説、復興計画の担い手は基本的には20年後のまちづくりに責任を持てる30代・40代の方々が中心的で、それは60代の方々がそう提案してのことと。

 当時提起されていた画一的な「巨大防潮堤」設置ではなく、むしろ持続可能な町の価値としての「海が見える景観」を軸とした復興計画でした。

 今回の能登半島大地震においても、もちろん私たちもできるだけの応援はしますが、女川町のような実践を参考に、少しでも前を向いて立ち上がっていく地元の方々・活動に期待したいものです。

講演『樋口季一郎と北海道防衛』

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 樋口季一郎(https://www.nids.mod.go.jp/military_archives/siryo/siryo_13.html)のお孫さんの樋口隆一さんのご講演を拝聴し、ご挨拶もさせて頂きました。

~~~~~~~~~~~~

* 樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年明治21年〉8月20日 - 1970年昭和45年〉10月11日

 日本陸軍軍人。最終階級陸軍中将兵庫県淡路島出身。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長ハルピン特務機関長、第9師団長等を経て、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。

 第二次世界大戦前夜、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れた避難民に満洲国通過を認め、「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出路が有名。大戦中は麾下の部隊がアッツ島の戦い、ソ連対日参戦に対する抗戦(樺太の戦い、占守島の戦い等)を行った。

* https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/159110/#toc-1

~~~~~~~~~~~~

 今回は、樋口中将と北海道防衛に焦点をあてたお話の数々、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官としてのアッツ島玉砕、キスカ島撤退作戦成功との関係で、一度お話を伺いたいと思っていましたので、大変貴重な時間、キスカに関連した私の父・秋山(旧姓野田)宏の話に関連してです。

* 「キスカ」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)