この地に眠る「いのち」から

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 「歴史を踏まえて、東アジアの真の和解を~2009年浅茅野発掘と別院遺骨問題の解決を目指して」をテーマにした集会が開催されました。

主催したのは、「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム http://www.asajino.net/」で、秋山財団からも平成19年度と20年度、社会貢献活動助成で支援をしています。この市民活動の中心は、様々な分野や団体の方たちで、共同代表も多彩な顔ぶれですね。北海道華僑総会、韓国民団北海道地方本部、朝鮮総連北海道委員会、日本キリスト教会、浄土真宗等、国・宗教を越えています。個人の資格での参加として、特定の政治方針、宗教的信条に縛られることなく、「犠牲になった遺骨のご遺族を探して、遺骨をお返しすること」を目的とする市民運動にしようと合意してスタートしています。

ところで、北海道内の遺骨情報というのを、私は良く知りませんでした。この北海道の各地の寺院納骨堂に、記録とともに残されている場合も多々あるようです。根室市の寺院には、飛行場建設に伴う強制連行による朝鮮人犠牲者、老人ホームで亡くなられたとみられるご遺骨、美唄市の寺院には、炭鉱坑内事故の犠牲者、室蘭の寺院には、軍事工場に強制徴用されて、終戦直前に艦砲射撃によって犠牲になった朝鮮人犠牲者、そして道東猿払村の浅茅野(あさじの)飛行場建設現場横の土に眠る強制連行された朝鮮人、タコ部屋労働者のご遺体・遺骨等。この北海道に眠る、多数の「いのち」の足跡に対する無知を恥じる私です。

しかしながら活動は、それら犠牲者の身元を調査して探し出し、返還すれば済むという簡単なものではありません。ご遺族を探し当てる活動も大変な努力ですが、見つかったご遺族側として、直ぐに引き取るというお気持ちにはならないようです。経済的事情の他にも、全く理不尽にお亡くなりになり、そして60有余年も「放置されてきた」事実を、無かった事としてすぐに受け取るのが難しい現実である事は、私たちにも容易に理解出来ます。「遺骨をこのまま持ち帰ったのでは、謝罪を表明すべき人たちの責任が曖昧にされたままになる」という主張です。雇用していた企業の責任、日韓交渉時日本国政府の戦後賠償問題等、複雑な歴史からくる感情により、敢えて「持ち帰る事を断念する」ご遺族の行動に心が痛みます。

昨年7月9日に、G8サミット開催と時を同じく、国際シンポジウム「市民がつくる和解と平和」が札幌で開催されました。http://kitay-hokkaido.net/modules/event/index.php?lid=12&cid=2 韓国・中国・ドイツ・オーストラリアからゲストも出席されて、内容の濃い意見交換が行われました。

今年5月に、猿払村浅茅野で遺骨発掘事業が計画されています。2006年8月に、海外からの参加者も含めて300人を越えるワークショップが現地で開催されましたが、それ以来です。戦後を生きる日本国民として、海外の市民と連帯して、過去の歴史の犠牲者及びその家族の方々とどう向き合うのか、東アジアの新しい時代を切り拓く為にも、過去から逃げることなく真摯に考え、議論し、行動して行きたいものです。

「メディア・アンビシャス」、始動!

Posted by 秋山孝二
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 「メディア・アンビシャスhttp://media-am.org/」という任意団体が始動しました。

より良いと感じた番組や報道を応援し、それらが少しずつ増えていくこと、そのことがメディア状況の改善に少しでも役に立つ事を願って、活動を開始します。多面的な視点を持ち、志あるメディアと、携わる人たちを勝手に応援するもので、私も世話人の一人として関わります。23日に「設立の集い」がシアターキノhttp://theaterkino.net/で開催されました。

「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」上映とシンポジウムでした。制作した東海テレビプロデューサーの阿武野勝彦さんのご講演とその後のパネルディスカッションでしたが、今年5月からの裁判員制度にも言及され、大変内容の濃いひと時でした。以下に印象に残る言葉を書き留めました。

*裁判員制度とメディアの関係は、大変重要になってくる。メディアの役割を徹底的に議論する必要性

*過剰な「忖度(そんたく):他人の気持ちを推し量ること」によりかたち作られる世論、それが異常なバッシングへ

*「分かりやすさ」と「単純さ」の違い、「パブリック・オピニオン」と「ポピュラー・センチメント」、世論と輿論、そして世間

*映画ドキュメンタリーの方がテレビドキュメンタリーより高級イメージ?

*刑罰に「仇討」概念を入れてはいけない

*「記者クラブ」の存在そのものが報道の「しばり」として機能――社会が持つ「横並び意識」

優れた番組や記事の表彰などを通して、質の高い報道を市民が支えようとするこの活動に、メディアリテラシーの大切さを思う多くの方々のご参加をお待ちしています。

「話を聴く姿勢」は基本ですよね

Posted by 秋山孝二
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 これまで私は、数多くのフォーラム・シンポジウムに参加していますが、来ている方々の「聴く姿勢」も実に様々ですね。

私はいつも開会の15分前には受付を済ませ、好きな座席、殆どの場合中央部分左側か右側サイドに座ります。先日のフォーラムでは、いつもの様に着席していましたら、開会前のアナウンスでは「満席の予定ですので、お詰め下さい」との司会の説明にもかかわらず、壁際の左隣が二つ空いていました。基調講演が始まって20分位したら、若い男性がやってきて私の二つ隣の壁側に座りました。講演がいよいよ主題の重要ポイントに入った所で、何気なく左に目をやると、何とその男性が壁に寄りかかり目を閉じて口を開けているのです。前方舞台右にお立ちになっている演者からは真正面ですので、さぞお気を悪くされているだろうな、と余計な心配でしばしハラハラでした。と同時に、こんな人物をこの貴重な講演会に出席させている団体のレベルも知れると言うものです。

そう言えば思い出すことがありました。もう20年以上前ですが、企業経営者時代に、毎年1月、あるコンサルタント会社が2泊3日で東京で開催している「年始経営フォーラム」に連続して出席していました。年の初めに政・財・学界の素晴らしい方々が、大変貴重なメッセージと時代のトレンドの数々を提供してくれて、毎年楽しみにしていたものです。ところが、数年経って気がつく事がありました。初日のスタート時で、毎年少なくとも1割は空席で3日間ともほぼ現れません。2日目になると2割以上が空席となります。多額の参加登録費を事前に支払って、上場企業が多く、一社から2名という所もありました。経営トップの方ばかりではなかったのですが、「経営者というのも突然の用事で大変だな」と最初は思っていたのです。ところが休憩時に主催者の方との何気ないお話の中では、会社には「出席している」事になっている場合がほとんどとか・・・・。それでは出席登録している人たちは何処へ(?)行ってしまっているのか、と疑問に思ったものでした。私は高い旅費を払って楽しみに来ているというのに、です。バブル華やかな頃でもありましが、企業を支える方々のモラルも緩んでいたのでは、と後になって、妙に納得した次第です。

そうかと思えば、昨年末の札幌での比較的少人数の講演会は、全く逆に大変引き締まった緊張感を受け止めました。どうしても前の会合の都合で冒頭からは参加出来ず、30分程遅れて会場に入りました。静かにドアを開けたその瞬間の会場内の雰囲気が、ピーンと張りつめた演者と若い世代の聴衆の一体感をかもしだしていました。息を堪えて空いている一つの席を見つけて着席し、充実したその後のお話を聞いておりました。

ある講演企画時に、事前に演者が、「午前中の人たちに集まって貰いたい」と言われました。話を聴いて、「良い話だった」と横になって寝てしまう様な夕食後のタイプ、あるいは「一服の清涼剤のようでした」と一言発してお仕舞いのような方々には、来て頂きたくないとのメッセージです。せいぜい午後3時位までの方々という感じでしょうか。

90年代後半に、「21世紀を語る」みたいなフォーラム・シンポが随分流行しました。そう言ったテーマには結構沢山人が集まっていましたが、時間のある方が集まる傾向も強く、そうするとどうしても年配の方が多くなります。年寄りがダメとは言いませんが、「この方は21世紀まで生きていられるのだろうか」と思われる方が、延々と質問と称してご意見を述べられるのには、何回も閉口致しました。

人の話を「聴く」のは、なかなか難しいものなのでしょうね。

お目出度過ぎですよ!

Posted by 秋山孝二
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 この所のニュースのドタバタを見えていると、何かを語らねばという以前に、認識のお目出度さに恐ろしさを覚えるのは、私一人ではないでしょう。政治家の云々を言っている暇は私にはありませんが、来日したクリントン長官に関しては、どうしても認識を間違えないようにしなくては、との強い危惧を抱きます。

メディアでは盛んに「最初の訪問に日本を選んだ(?)」、「日本重視のあらわれ(?)」との見出しですが、とんでもないという感じですね。同時にオバマ政権内での「知日派」に対しても、お目出度く「親日派」との思い込みが強すぎます。その立場立場での発言を冷静に吟味して対応しなければ、まさに国民は大変な犠牲を強いられます。メディアも深読みして貰いたいと思いますね。

「クリントン長官がアジアを最初の訪問先にしたのは『消去法』の結果だったといえる。米国の外交全体のなかで、オバマ政権の他の大物たちが手がけたために国務長官自身が少なくとも当面、すぐには踏み込めないという地域やテーマを除外していくと、残された地域は北東アジアと中南米だけだった。だが中南米にはベネズエラのチャベス政権はじめ反米の政府や国民感情を抱く国もあり、米国務長官のデビューの歴訪の対象としてはリスクが高すぎる。その点、北東アジアはわりに米国に友好的な諸国が多く、残された唯一の候補地域となった。」、「ましてクリントン長官は就任後すぐ、このアジア歴訪の途につく前に、ワシントンで英国やフランス、ドイツの外相と、それぞれ個別に会談しているのだ。」との報道も目にします。「日本が最初」ではないのですよ。

先日、証券会社の国際金融のプロから個別にお話を聴く機会がありました。新しい時代の基軸通貨はどうなるのか、国際金融の中で米ドルの位置づけは今後どうなるか、円高はどういう展開になるかについて、興味深いお話の数々でした。その中で、今世紀における米国の通貨政策の主たる対象通貨は、日本円ではなく中国元ではないかとの観測は、特に興味を引くものでした。先日のガイトナー財務長官の中国政府の為替介入への牽制等も、そうした背景からくるものだったと理解すると、腑に落ちます。そして、更に衝撃的なのは、日本の位置づけが「アメリカのポチ」、すなわち交渉を必要とする相手ではなく、いつでも言う事をきかせられる相手であると。

オバマ政権は急激に膨らんだ軍事費を何とか削減しようとするでしょう。それが「軍縮」を意味するのなら国際社会も歓迎ですが、極東における場合、仮に基地等の削減ではなくコストを日本国に肩代わりさせる戦略だとすると、日本は国際紛争へ否応なしに引きづり込まれる事になります。1400兆円を越える財源をさほどの交渉もなく引きずり出させる、そんな泥沼だけは避けなければなりません。アメリカ国債を買っている国では、日本を抜いて中国が初めてトップになりましたが、二重三重の意味合いで、「ポチ」で良いはずはありません。国際金融の視点からも、防衛の視点からも、本来の自立する「パートナー」である事こそ、真の「国益」だと思います。

随分前ですが、確かアメリカの陸軍幹部候補学校のカリキュラムだったと思いますが、リーダーの向き・不向きという項目で、能力の高い・低いがX軸、やる気の高い・低いがY軸をイメージして、どのタイプが最もリーダーに向いているのか、という問いがありました。普通は最も適性のあるタイプは、能力が高くかつやる気も高い人と答えるのですが、実は現実はそれではないそうです。リーダーが能力・意欲ともに高いと、部下が馬鹿に見えるのと誰もついていけない場合が多いそうです。正解は能力が高くやる気の低い(低い素振り?)人だそうです。その次は意外なのですが、能力が低くかつやる気も低い人、この場合は部下がこのままではいけないとの思いで危機感を持ち、結構人材が輩出される場合が多いそうです。最悪は、能力が低いのにやる気のある人だそうです。判断の間違いが多く、蛮勇タイプでやりたがり、無理が多くて犠牲者が増えるそうです。言わんとする所は、結局はリーダーは能力が高くなければいけない、なのですが・・・。この所のアメリカ・ロシア首脳とのやり取りを見ながら、思い出しました。

国のリーダーを選ぶのは、疑いなく投票を行う国民です。ワイドショーでさんざんこき降ろして、「ハイ、次のニュースです」では済まされません。国の民度は、リーダーをみれば一目瞭然です。夜明け前の暗さの中で、暫くは国民は我慢でしょうか。

富良野塾に思う

Posted by 秋山孝二
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 14日に富良野演劇工場での富良野グループ公演「屋根」http://www.furanogroup.jp/furanojyuku/index.html の千秋楽、昼・夜2回の公演を観てきました。17・18日には札幌公演も予定されていますね。富良野塾からはこれまでに300名を越える若い有能な役者・脚本家が育っています。勿論、芝居自身の面白さもありますが、私は倉本 聰さんの一番の功績は、今日までの人創りへの情熱だと思います。

「屋根」は、戦前・戦中・戦後の歴史を物凄いスピードで駆け抜けていく一つの家族の物語。濃密に時代時代が凝縮されていて、舞台とはいえ映像の世界でもありました。「川の流れのように・・・・」、「誰を恨むのでもなく・・・・」、「“屋根”が満天の星たちに語った物語・・・」、「熊を追い出しての自分たち人間の生活・・・」、「果たしてこの豊かさはいつまで続くのか?」、沢山のキーワードが、終演後も頭の中を駈け巡ります。そして、時代を越えた“本当の幸せ”とは?、のメッセージが分かりやすく伝わると同時に、場面場面の暗転は流した涙を拭くための気配りと、終わってから気がつきました。

今回やっと富良野の現地、富良野演劇工場に足を運ぶ事が出来ました。札幌駅バスターミナルから富良野駅前まで2時間50分、三日月食堂で懐かしいラーメンを食べて、富良野駅前から演劇工場までマイクロバスで10分、振りかえってみると札幌駅のバスに乗る所から、何か今回の芝居が始まっていたような気がします。富良野に近づくにつれて山並もそびえ立ち、駅前からは北の峯のスキー場も白い帯状に見えました。もう20年以上前でしたか、本州からのお客さんと一緒に滑りに来たのは。ダイナミックな素晴らしいスキー場だと感嘆していました。

会場入り口で防寒具に身を包み車の誘導をしている方が、どうも私の知っている方に似ていました。昼の部終演後には、その方がロビーで観客のお見送りをされていました。近寄ってお話をすると、何と今回の1か月公演の実行委員長をされているとか。実行委員長が率先して寒空の中車の誘導、地元の沢山の方々の協力・支援も受けての公演に、一層観劇、いや感激しました。

近年は、夏の観光客の方が多いそうですね。5年前に、私の東北の親戚たちとの「いとこの会」で、富良野のラベンダー園、美瑛のパッチワークの丘等を見て回りました。ラベンダーの畑は色も香りも写真以上でしたね。ラベンダーソフトアイスクリームも忘れられないし、経営者の富田さんは随分前からラベンダーの研究をされていた事も知りました。

昨日の早朝、ホテルから駅までのタクシー運転手が、「倉本さんの後が心配です」と言っていましたが、私は「沢山の若い方々が育ってきているではありませんか。むしろこれからが楽しみですよ」とお話をして、車を降りました。

1984年に設立した富良野塾は、富良野GROUPという創作のプロ集団として活動してきましたが、2010年の25期生卒塾をもって閉塾するそうです。この間の育成された数々の人材は、今羽ばたいていてこれからも活躍してくれるに違いありません。ホテルの窓から丘にある演劇工場の建物を見ながら、「担い手を育てる」価値を再認識し、私の夢は膨らみました。

あらためて「民」が担う「公共」

Posted by 秋山孝二
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 この所、「公益法人」という活字がメディアに再三登場しています。ある時は、「天下り」、「渡り」の受け皿として、そして「漢検」理事長の儲け過ぎ等、いつも悪役です。

昨年12月1日に公益法人改革三法が施行されました。その意味会いについては、この部屋の’08.11.28付で書いています。NGO・NPOに比べて、「財団法人」、「社団法人」が話題にのぼる時は、ほとんどいつもネガティブニュースとしてであり、20年以上財団法人に関わる私としては、大変残念に思っています。日本には沢山の優れた財団・社団も多く、実に堅実な活動を続けている事実を、出来るだけ多くの方々に知って頂きたいし、世界のすう勢として、民間の諸団体・NGOが国を越えて世界の課題に果敢にチャレンジしている現状を忘れてはならないと思います。常に「本物」を求める姿勢、あるいは「本物」を見極める眼力を養うとでもいうのでしょうか。メディアを筆頭に、そんなスタンスであって欲しいものです。

それにしても冒頭に掲げた事例は、日本社会の民度の低さを露呈していますね。「いかがわしい」の一言です。こういった「エセ公益法人」に対して、厳格な評価を下す勇気を日本国民が持たない限り、まだ残る「エセ公益法人」は生き長らえるし、今後も更に出現する危険性もあると思います。厳格な評価は、しかしながら、管理・監督を強める事によって為されるとは思いません。役所の仕事は所詮その場限りで、設立後の活動の評価などは期待するのも無理というものです。天下り先の確保という動機以上の、継続的評価をする気もないでしょう。日本に「民」が担う「公共」を定着させる唯一の方法は、優れた活動の継続と連鎖によって、地域の人々の信頼を得る事以外には無いのだと思います。行政は、その意味では「邪魔をしない」事が、最も重要なポイントです。

補助金の貰い上手な「公益法人」・NPO、極く限られた人しか知らない助成制度等、制度・基準の「透明性」も大切ですね。企業でも全く同じですが、日本社会は未だに「隠している方が得をする」、そんな社会なのではありませんか。

先日も助成財団センターhttp://www.jfc.or.jp/ のフォーラムで、演者がお話をされていました。国・自治体の官の政策としては、どうしても難しい分野の増大、対応の遅さ等に対して、グローバルな課題・ローカルの個別の課題への「民」の機動的な活動の価値は、これから更に拡がってくる事は間違いないでしょう。

「民主」と「愛国」

Posted by 秋山孝二
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今年の年始に一気に読もうと思っていましたが、正月の箱根駅伝とか他の面白いテレビに時間を費やして、机の上にそのままになっていました。1000ページの小熊英二著「民主と愛国」を、やっと読み終わりました。「戦後日本のナショナリズムと公共性」という副題もあり、永年、第2次世界大戦後を一度きっちり整理したいと思っていましたので、その中の「戦後知識人」について、今回は取り敢えず宿題を終えた気分です。

http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-0819-2.htm

価値の発掘、再評価という作業は、歴史認識に基づくものでしょう。私は今まで次から次と発生する目の前の事象に目を奪われて、20世紀の歴史をしっかり自分なりに振り返る時を持てませんでした。とりわけ第2次世界大戦の前後から今日までの歴史・思想の変遷を、あらためて自分なりに検証してみたいと思って、「東京裁判」に関する書籍、「戦後知識人」の足跡等について、この数年特に興味を持っておりました。

「東京裁判」については、それ自体の経緯と事実、そして世界の中での日本の枠組みとしての位置づけ、サンフランシスコ講和条約締結、国連加盟への一連の経緯について、より自分なりに整理をしたかったのです。靖国神社への総理の参拝、戦争責任の所在、組織活動責任の取り方・取らせ方等、現在にもつながる諸問題解決への沢山のヒントを得ました。日々の新聞記事・論評からは得られない確信みたいなものです。

「戦後知識人」については、私が大学に入学した1969年から40年、未着手の課題でした。18歳の時に札幌から首都圏に出てみて、吹き荒れる社会問題への学生たちの行動の時代、初めて「井の中の蛙」であった自分を自覚しました。大学入試それ自体が中止になったり、社会というのが変わるのだと実感しながら、札幌から汽車・連絡船・汽車を乗り継いで上野駅へ行った昔。

http://www.chiba-u.ac.jp/message/talk/36_akiyama.html

大学1年のある日、大学のある西千葉から遥か遠い東京都内の豊島公会堂に行きました。その日は、堀田善衛、大江健三郎、小田実の3人の講演会でした。恐らく私が「知識人」の話を直接聴いたのは、この時が初めてだったと思います。大江健三郎の話は訥々としていてなかなか聞き取りにくいお話で、文章で読むほうがはるかに理解しやすいな、と思ったものです。小田実は早口の大阪弁で、カン高い声でしたがストレートに心に響くものだったのを覚えています。

その後、数多くの集会・講演会に出かけました。その中で、丸山眞男、吉本隆明、江藤淳、等の戦後知識人の名前を繰り返し聞きはしましたが、じっくり著書を読む訳でもなく、時が過ぎていました。60年安保闘争以降の思想の流れの概略は理解していたつもりですが、「戦後民主主義」、「マッカーサー元帥の評価」、「日本国憲法」等の話題については、1945年直後から15年間の私なりの空白を強く感じて、自分の軸がぶれる時も多々あったように思います。そしてあの戦争をしっかり理解する為には、さらにその前の明治維新以降の歴史についての考察も必要なのだと感じました。宣戦布告への歴史は、決してあるひと時の熱病的なものではなく、歴史の「うねり」としてかなりの時間的幅があった事実、そしてそれ故に今の現状と将来に対しても、我々一人一人が自分の頭で考えて声を出していかなければ、同じ様な道を辿る危険性が十分にある、そう強く思うのです。

今回、この本を読み終えて、1)1955年を境にしてその前の「第一の戦後」、その後の「第二の戦後」と整理すると、同じ言葉の持つ意味あいが大きく変わっている事実、 2)戦争体験というものが実に多様であること、 3)自己体験により、その後の思想が大きく影響を受けること、別の言い方をすると逃れられない社会的制約要因を検証する大切さ、等で新しい気づきがありました。

「護られるべき祖国とは何か」という問いに対して、「『祖国』とは自分が信ずる原理であり、地縁・血縁と一致する必要はない。『ナショナル』でも『インターナショナル』でもない、『人間』の原理である」と答える知識人の言葉が印象的でした。今、世界金融恐慌の中、日本がこれまでのアメリカ一辺倒から、本来の先進国パートナーとして自立し、アジアの一員としてのポジショニングを取ろうとする時、やらなければならない事は明確なのではないでしょうか。

キューバ映画祭、そしてチェ・ゲバラ

Posted by 秋山孝二
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 今年は、日本・キューバ外交関係樹立80周年、キューバ革命50周年という記念すべき年で、関連したイベント企画が相次いで開催され、1月31日から2月6日までは、キューバ映画祭が札幌で大盛況で行われました。http://cubanfilmfes.web.fc2.com/index.html

ウイークデイの日中はなかなか足を運ぶのも難しかったのですが、期間中に「ハロー・ヘミングウェイ」、「低開発の記憶」等6本を見る事が出来ました。また、この映画祭とは別でしたが、チェ・ゲバラの2本の映画も見ました。http://che.gyao.jp/

キューバと私とのはじまりは、1994年、高校同窓会の幹事当番期だった時、エリオ・レベ率いる「オルケスタ・レベ」のライブコンサートを企画した事でしょうか。札幌の狸小路6丁目にあるライブハウス「HABANA」

http://homepage.mac.com/salsacubana/habana.html

の経営者K氏の企画(思いつき?)により、同窓会では初めてのライブとなりました。同窓会創立99周年という事で、賑やかにやろうよとスタートはしましたが、来日までの苦労他、今となっては素晴らしい思い出ではありますがかなり大変でした。日本へのビザがなかなかおりなく、一時は入国も危ぶまれる状況でした。30名程の大男が同窓会前日に空港からススキノのライブハウスに現れた時は、思わず大拍手でした、「よくぞ来てくれた!」と。当日の音楽も素晴らしく、老若男女問わず、思わず踊り始めていました。リーダーのエリオ・レベのサインは、今も私のウインドブレーカーの背中に大切に残こしています。帰国して数年後K氏から、レベがハバナでトラックに轢かれて亡くなった事を知りました。眼差しの優しい「レベおじさん」でしたので、大変心が痛みました。

キューバは、今では「農業」、「医療」等で大変話題になっていますが、キューバ革命後も苦労の連続と言ってよいのだと思います。アメリカに接近するが故の難しさ、ソビエト崩壊等、貧しさとの戦いの中から、国民のニーズを国の指導者がきっちり掴んでの国家政策に、あらためてカストロの指導力を感じます。ゲバラが英雄になり得たのも、その後のコンゴ・ボリビアでのゲバラの活動を振りかえってみても、各国における革命のリーダーの大切さを強く感じます。

ゲバラという人物は、どうしてあれ程「革命」に身を捧げ続けたのでしょうね。自国で医師として十分活動できる基盤を持ちながら、ただ「正義」の為とはどうしても思えません。常に「危うさ」を伴いながら、ある意味ではいつ死んでも不思議でない状況の中で、それを越えてでも実現しようとした事、そしてその強い動機は、今も私にとっては謎です。

昨年、ゲバラの娘さんが来日して、数か所で講演をされていましたね。私は直接出席する事は出来ませんでしたが、父としてのゲバラ像を語っている記事を読みました。

集中的にキューバの歴史・文化に浸ったこの10日間でした。

生物多様性フォーラムで、一歩前進

Posted by 秋山孝二
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 秋山財団の助成事業の中で、環境をテーマにした活動への助成が多く、昨年開始した「ネットワーク形成支援事業」でも、同様の傾向が見られます。それらを評価する為にも、私自身が見識を高める必要を感じて、この数年遅ればせながら環境分野の勉強を深めつつあります。「温暖化リスク」に続いて、有限会社イーズhttp://www.es-inc.jp/ が主催する「企業と生物多様性フォーラム」に参加しました。企業の環境関係部署の方々、環境へのコンサルティング会社の方々等、大変インテリジェンスを感じる「知的集団」というか、熱心な雰囲気のひと時でした。遅れて関心を持った私としては、みなさん先輩という気がして得るものが多かったです。

特に「いまなぜ生物多様性か」で、最新の世界・日本の動向を知ったこと、と

ミレニアム生態系評価http://www.biodic.go.jp/cbd/2006/pdf/1204_2_4.pdf

生態系サービス評価(ESR) http://pdf.wri.org/corporate_ecosystem_services_review_jp.pdf 

について知る事が出来て、ストンと腑に落ちました。「生物多様性」と「人間の幸せ」との間に、生態系の機能として「生態系サービス」という概念を想起する事により、人間と生物多様性との関係性が大変明確になりました。橋渡しの「言語」としての4種類も分かりやすいですね。そのイメージをつかむと、生物多様性の「保全」と「活用」が人類にとってのテーマだと浮き彫りになってきます。以下、当日の私のメモから印象に残るフレーズを幾つか。

*生物多様性のキーワードは、「つながり」と「バランス」、そして「つながり」を取り戻す活動であり、「戻す」よりも「先へ進む」事。「Resilience」という言葉が「温暖化リスク」と同様に、こちらでも出てきました。「しなやかな強さ」と訳しているそうです。

*環境問題の人類としての進化: 公害ーー>温暖化ーー>生物多様性

*アービン・ラズロー 「未来は予測するものではなく、創り出すもの」

*企業としてポイントは、「どこで見切って活動を開始するか」である

*企業で多様性のリスク・オポチュニティを分かりやすくする為には定量化(お金に換算する必要性)も大切、アメリカでは連邦法でクレジットの売買を市場で初めているとか。

*日産自動車(株)の取り組み事例では、「水問題」もテーマの一つ

先進的企業は、本業での技術開発ばかりではなく、水問題への考察・取り組みにも着手している事を初めて知りました。講師だった有限会社イーズの枝廣淳子さんは、日本の企業は基本的に大変真面目なので、課題の認識が明確になって方向性が定まると、几帳面に推進していく信頼感があるとお話をされています。先日集まられた企業の方々とお話をしていても、強くそれを感じました。ただ、日本の90%以上は中小企業で、この企業群が日本経済を支えている訳で、先日の意識レベルと活動を、どう地元で展開していけばよいのか、知恵のいる所だと思います。逆に、地場企業は、地域環境とは密接ですので、環境悪化等は現場感覚として持ちやすいとも思いますね。一番の壁は、従来型の「経済団体」幹部の意識変革かもしれず、当初は恐らく抵抗勢力として構造的にはなるのでしょう。子供・孫の世代の為に、あきらめずにやれる光を見出した先日のフォーラムに感謝です。

オバマ演説を語らなければ

Posted by 秋山孝二
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 アメリカのオバマ大統領就任演説から2週間以上が経ちました。新聞は一段落しましたが、まちの書店ではどこも「オバマ演説集」コーナーが複数あって、大変な反響ですね。語学テキストコーナーにも沢山積んでありました。

今度の演説で私が最も「凄み」を覚えたのは、大統領としての就任演説が、明確に選挙戦での演説から決別した事でした。この間候補者として支援者向けに発信された内容から、世界のリーダーとしてこの世紀の難局に向かう覚悟への転換をした人物の、「勇気」と「見識の高さ」と「言葉の重み」を感じました。以下、思うままに幾つかを。

1) メディア的には「8割の感動」とか、「失望の書き込み」とかの見出しもチラホラ散見しますが、私はそんな皮相な論評を越えるオバマ大統領の決意とメッセージを受け止めました。「試練」「再建への決意」「リーダーシップ」「多文化社会の強さ」等、これ以上ないという程吟味された短い言葉に凝縮した表現によって、濃い内容でした。正直に言いまして、テレビで見て、聴いている時にはそれほどまではそしゃくできませんでしたが、活字で後から読み直して見ると、凄いなと感じました。ブッシュ政権への厳しい評価も、「Change」を実質的に表していました。

2) 少なくとも勝利演説までの選挙戦の雰囲気を期待して集まった方々には、確かに予想外だったかも知れません。それをオバマ大統領は、敢えて今日からは違うのだと語るのではなく、その演説内容で全世界の人々を意識して表現した、とりわけ選挙で支援してくれた人々にも強いメッセージを伝えた、と思います。途中では「あれっ」と思わせて、終わってみれば「あっ、そうか」という感じでしょうか。それでも演壇に立つオバマ大統領と時間・空間をともに感動を共有したいと集まった方々は満足だったのです。

3) 20代の日本の若者が言っていました。昨年初めからオバマ氏のスピーチに興味を持って聴いていたが、最初の頃から人の心に染み入る英語が素晴らしかったし、それが進化していく様子も理解できた、と。それは何なのでしょうねとその方とも話していたのです。新大統領は日本的に良く言われる「笑顔が大切」というスタイルで演説はしませんよね。むしろ厳しい表情で間合いを取って語りかけるその雰囲気に、人々は引きつけられるのだと思います。ブッシュのあの品格の低い顔、言葉には、何人かのアメリカ人の友人も、「アメリカの恥」と言ってはばかりませんでした。

4) 日本人の翻訳者の方が、「久しぶりに国のリーダーの言葉に触れた気がした」と語る記事を読みました。その辺が語学コーナーにもオバマ大統領演説が登場する所以でしょうか。そう言えば、ここしばらく私は品格のある日本語に接する機会を持てずに居るような気がします。余談になりますが、これまで私が最も感動したお言葉、それは2000年の東京女子医科大学http://www.twmu.ac.jp/U/about-twmu/ab00spirit.html創立100周年記念式典での天皇陛下のご挨拶でした。当時医薬品卸会社の代表として、前方でそれをお聴きしていて、その深い内容とお言葉の美しさは今でも忘れられません。因みに宮内庁のスピーチライターは、中央官庁の中でも最高のレベルとか、後からある官僚の方から伺いました。

―――東京女子医科大学創立百周年記念式典
平成12年12月5日(火)(ホテルオークラ)

東京女子医科大学が創立百周年を迎えるに当たり,皆さんと共に,この記念式典に臨むことを,誠に喜ばしく思います。

東京女子医科大学は,当時低かった婦人の社会的地位の向上を願う女医吉岡彌生により明治33年東京女医学校として創立されました。医院の一室を教室にした生徒4人のささやかな学校の門出でありました。開校8年目にして生徒の一人,竹内茂代が医術開業の国家試験に合格し,初めて学校の卒業式が行われました。この医術開業試験の合格は学校中を喜びに浸らせるものでありましたが,卒業式に招かれた来賓の祝辞は女医の進出を祝福する発言とそれに反対する発言に分かれ,決して祝賀としてのみの行事とはなりませんでした。女性が生きる上において今日では考えられないような厳しい時代であったことが察せられます。東京女子医科大学の100年の歴史を振り返るとき,幾度も人々の無理解に傷つきつつ,本人の強い意志をもって様々な困難を乗り越え,その後の女医の道を切り開いていった吉岡彌生始め当時の女医の苦労がしのばれます。

東京女医学校は,吉岡校長始め,多くの人々の努力により,東京女子医学専門学校,東京女子医科大学と名称を変えつつ発展し,今日に至っています。その間,多くの医学,医療に携わる人々を世に送り,我が国の医学,医療に貢献した功績は大きく,ここに深く敬意を表します。

この100年の間に,吉岡彌生の女医学校創立の動機となった婦人の社会的地位も次第に変化を遂げてきました。昭和21年,戦後に行われた最初の衆議院総選挙で婦人参政権が初めて認められ,竹内茂代議員が誕生したことは,少年時代の私の記憶にもはっきり残っています。婦人参政権が認められたことは,戦後に行われた大きな改革の一つでありました。

今日,医学,医療は関連諸科学の発展とあいまって,非常な進歩を遂げています。この進歩により,人々の受ける恩恵は計り知れないものがありますが,一方進歩していく医学,医療に携わる人々の仕事に対する厳しい姿勢や人間性が,より深く問われるようになってきていることも事実であると思います。

東京女子医科大学が,そこに流れている至誠と愛の精神の上に立って,医学,医療を志す女性のために,また,医療を求める人々のために,今後とも大きな支えとなっていくことを願い,式典に寄せるお祝いの言葉といたします。――――――

5) 日本のメディアの扱いが、相変わらず浅薄でした。画面に登場するニュースキャスター・コメンテーターは、本当にオバマ大統領の演説をお聴きになったのでしょうかね。そんな時間もないほどに、テレビに出ずっぱりなのでしょう。コメントから逆にその人の品格と見識を知って(再確認して?)しまいます。その中で、「nikkeibp」で配信された「水野博泰の『話題潜行』from NY」は面白かったです。記者証を同僚に渡して、敢えて一市民の目線で列車で乗り込み、会場を往復しての取材は、臨場感あふれて印象的でした。終了後のゴミの山を見ての彼の感想にも共感しました、「アメリカ人は本当に変われるのか?」と。

6) 先月末のある新年の集まりで、自治体の保守系議員が挨拶でお話をされていました。「オバマ大統領の就任演説には本当に感動しました」と。乾杯の前の挨拶でしたが、「冗談じゃないぞ!あんたの立場はそんな事言っている場合じゃないだろう!」とつぶやいて隣の方と乾杯しました。日本の事は今日は言いたくない、そんな愚痴も言いたくなる保守本流日本国民の一人です。

これからが本番、沢山のネガティブ情報にさらされながらも、次々と政策決定をしている様子に、スタッフの実力も読み取れます。オバマ政権の中で、私としてはガイトナー財務長官に注目しています。