この所、「公益法人」という活字がメディアに再三登場しています。ある時は、「天下り」、「渡り」の受け皿として、そして「漢検」理事長の儲け過ぎ等、いつも悪役です。
昨年12月1日に公益法人改革三法が施行されました。その意味会いについては、この部屋の’08.11.28付で書いています。NGO・NPOに比べて、「財団法人」、「社団法人」が話題にのぼる時は、ほとんどいつもネガティブニュースとしてであり、20年以上財団法人に関わる私としては、大変残念に思っています。日本には沢山の優れた財団・社団も多く、実に堅実な活動を続けている事実を、出来るだけ多くの方々に知って頂きたいし、世界のすう勢として、民間の諸団体・NGOが国を越えて世界の課題に果敢にチャレンジしている現状を忘れてはならないと思います。常に「本物」を求める姿勢、あるいは「本物」を見極める眼力を養うとでもいうのでしょうか。メディアを筆頭に、そんなスタンスであって欲しいものです。
それにしても冒頭に掲げた事例は、日本社会の民度の低さを露呈していますね。「いかがわしい」の一言です。こういった「エセ公益法人」に対して、厳格な評価を下す勇気を日本国民が持たない限り、まだ残る「エセ公益法人」は生き長らえるし、今後も更に出現する危険性もあると思います。厳格な評価は、しかしながら、管理・監督を強める事によって為されるとは思いません。役所の仕事は所詮その場限りで、設立後の活動の評価などは期待するのも無理というものです。天下り先の確保という動機以上の、継続的評価をする気もないでしょう。日本に「民」が担う「公共」を定着させる唯一の方法は、優れた活動の継続と連鎖によって、地域の人々の信頼を得る事以外には無いのだと思います。行政は、その意味では「邪魔をしない」事が、最も重要なポイントです。
補助金の貰い上手な「公益法人」・NPO、極く限られた人しか知らない助成制度等、制度・基準の「透明性」も大切ですね。企業でも全く同じですが、日本社会は未だに「隠している方が得をする」、そんな社会なのではありませんか。
先日も助成財団センターhttp://www.jfc.or.jp/ のフォーラムで、演者がお話をされていました。国・自治体の官の政策としては、どうしても難しい分野の増大、対応の遅さ等に対して、グローバルな課題・ローカルの個別の課題への「民」の機動的な活動の価値は、これから更に拡がってくる事は間違いないでしょう。