この地に眠る「いのち」から

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 「歴史を踏まえて、東アジアの真の和解を~2009年浅茅野発掘と別院遺骨問題の解決を目指して」をテーマにした集会が開催されました。

主催したのは、「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム http://www.asajino.net/」で、秋山財団からも平成19年度と20年度、社会貢献活動助成で支援をしています。この市民活動の中心は、様々な分野や団体の方たちで、共同代表も多彩な顔ぶれですね。北海道華僑総会、韓国民団北海道地方本部、朝鮮総連北海道委員会、日本キリスト教会、浄土真宗等、国・宗教を越えています。個人の資格での参加として、特定の政治方針、宗教的信条に縛られることなく、「犠牲になった遺骨のご遺族を探して、遺骨をお返しすること」を目的とする市民運動にしようと合意してスタートしています。

ところで、北海道内の遺骨情報というのを、私は良く知りませんでした。この北海道の各地の寺院納骨堂に、記録とともに残されている場合も多々あるようです。根室市の寺院には、飛行場建設に伴う強制連行による朝鮮人犠牲者、老人ホームで亡くなられたとみられるご遺骨、美唄市の寺院には、炭鉱坑内事故の犠牲者、室蘭の寺院には、軍事工場に強制徴用されて、終戦直前に艦砲射撃によって犠牲になった朝鮮人犠牲者、そして道東猿払村の浅茅野(あさじの)飛行場建設現場横の土に眠る強制連行された朝鮮人、タコ部屋労働者のご遺体・遺骨等。この北海道に眠る、多数の「いのち」の足跡に対する無知を恥じる私です。

しかしながら活動は、それら犠牲者の身元を調査して探し出し、返還すれば済むという簡単なものではありません。ご遺族を探し当てる活動も大変な努力ですが、見つかったご遺族側として、直ぐに引き取るというお気持ちにはならないようです。経済的事情の他にも、全く理不尽にお亡くなりになり、そして60有余年も「放置されてきた」事実を、無かった事としてすぐに受け取るのが難しい現実である事は、私たちにも容易に理解出来ます。「遺骨をこのまま持ち帰ったのでは、謝罪を表明すべき人たちの責任が曖昧にされたままになる」という主張です。雇用していた企業の責任、日韓交渉時日本国政府の戦後賠償問題等、複雑な歴史からくる感情により、敢えて「持ち帰る事を断念する」ご遺族の行動に心が痛みます。

昨年7月9日に、G8サミット開催と時を同じく、国際シンポジウム「市民がつくる和解と平和」が札幌で開催されました。http://kitay-hokkaido.net/modules/event/index.php?lid=12&cid=2 韓国・中国・ドイツ・オーストラリアからゲストも出席されて、内容の濃い意見交換が行われました。

今年5月に、猿払村浅茅野で遺骨発掘事業が計画されています。2006年8月に、海外からの参加者も含めて300人を越えるワークショップが現地で開催されましたが、それ以来です。戦後を生きる日本国民として、海外の市民と連帯して、過去の歴史の犠牲者及びその家族の方々とどう向き合うのか、東アジアの新しい時代を切り拓く為にも、過去から逃げることなく真摯に考え、議論し、行動して行きたいものです。