北海道新聞3月8日朝刊の記事、私は札幌市民として全面的に支持します。
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札幌市、がれき受け入れず 上田市長、国基準に不信感
札幌市の上田文雄市長は7日の定例記者会見で、東日本大震災の被災地で発生したがれきの受け入れについて「(放射性物質が)国の基準を下回っていても受け入れるつもりはない」との考えをあらためて表明した。国の示す基準に対しては「放射性物質は微量でも有害で極めて長寿命。十分な知識を持ち、風評被害のことも考えた上で判断してほしい」との考えを示した。
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前日の道新朝刊第一面には、下記の記事が掲載されていましたが、190万都市の市長として、断固この姿勢を貫くべきで、アンケート等の声により方針を変えてはならないと、私は思います。
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泊停止64% 「電気料上がっても安全重視」 本社世論調査
北海道新聞は3、4の両日、原子力政策などについて昨年10月に続き2回目の全道世論調査を行った。北海道電力泊原発(後志管内泊村)の停止が長引いた場合の対応について、「電気料金の値上げを受け入れてでも、原発は不安なので止めておく」との回答が64%を占め、「経済の冷え込みにつながるので、値上げをせず再稼働させる」は30%にとどまった。東日本大震災で発生した岩手、宮城両県のがれきに関しては、「放射性物質のレベルが国の基準以下なら受け入れても良い」が84%と圧倒的だった。
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まず、メディアが使っている「瓦礫:がれき」という言葉自体、地元に暮らして居た方々への冒とくでしょう。「瓦礫」ではなく、「生きていた証」であり、基本的にはそれらをどう処理するかも、復興計画の中で、それぞれの地域として乗り越えて計画に織り込まれるものだと思います。「復旧」ではなく「復興」を考えるべきとおっしゃっていた方々ならなおのことです。遠距離を運び、「処分される」、「取り除く」類の議論ではないはずです。その由来からして、安全なのであればその地のどこかに埋める等の扱い以外はないでしょう。
次に、3月11日以降の東京電力福島原子力発電所事故では、国・東京電力・メディア等、推進してきた一切に対する国民の信頼は失墜しましたし、その後の事故処理・情報開示等においても、さらに不信感を募らせてきています。原発再稼働を巡っての事の運びも、「再稼働ありき」の臭いがプンプンで、誰も「安全性」への信頼を回復していません。そんな現在、「国の基準以下」という言葉は、何の安全性担保にもなりません、「信じた地域がバカだった」となるだけでしょう。
三つ目は、本来、「瓦礫の処分」は、国が地方に受け入れを迫る話では無いですよ。「ガンバレ!東北」の名の下に、「互助」を強いる姿勢は責任回避であり、高度に専門性を謳ってきた「原子力技術」が、結局は「井戸端会議」レベルの安易な感情に泣きつく醜い姿でしかありません。国・東京電力が、ここでも責任を持って処理すべきだと思います。「原発のゴミ」の処理と全く同じ構図が、ここにも顕われています、どこかが「引き受ける」という課題では無いのです。
私は、地域エゴから「がれき受け入れ反対」を言っているのではありません。本来の責任を不明確にする、或いはそらす意味にしかならない「がれき受け入れ」計画は、筋違いの方針だと指摘したいのです。同時に、うず高く積み上げられた「がれき」映像を繰り返し放映するメディアも、報道として間違っているのではありませんか。
全国の各地域が引き受けるべきことは、福島からの一時避難・移住希望者及び子どもたちに対しての受け入れなのだと思います。たとえば、震災直後から大活躍する「東日本大震災市民支援ネットワーク札幌・むすびば(http://shien-do.com/musubiba/home/)」、中心となって活動している私と同じ町内に住むみかみめぐるさん、「農的くらしのレッスン:http://homepage.mac.com/onnn/Aoitori/Lesson_Home.html」でお世話になった永田まさゆきさん達の献身的努力で、全国的にも先駆的取り組み実績を挙げられています。ただ、一番大変な局面を、結局は民間ボランティアに頼りっ放しの行政というのも、無責任ですね。福島の人々の基本的人権として、私たち地方の人間ができる「互助」、それをどう仕組みとして構築するか、行政の取り組みもスピードが必要です。
意見を聴くべき所を押しつけ、喫緊の課題として取り組むべき所を市民ともに語って時間を使うミスマッチ、職業として働く公務員への注文は尽きません。