大盛況!「夏季古文書講座」

Posted by 秋山孝二
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 公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の25周年記念事業の一つ、「夏季古文書講座」が今週月曜日から5回開催されて、今晩で最終回を迎えます。連日熱心な受講者と相まって大盛況です。講師の片桐一男先生は、蘭学史・洋学史・日蘭文化交渉史の第一人者で、幕末・維新ほか、オランダ(阿蘭陀)との関係からみる日本のこの500年の歴史は興味深いです、以下、チラシからの転載です。

~~~~~~ 講師   青山学院大学名誉教授  片桐  一男 先生(洋学史研究会会長)

 

「『くずし字』の古文書(こもんじょ)が読めたらいいのになぁ」と思ったことはありませんか。取り上げます古文書教材は、「水書板」に「ふで」を使って『くずし字』の古文書の全文を書き写し、そのうえで、読解文を全文書き示しますので、初心者の老若男女、みんな楽しんで読めるようになります。

鎖国から開国への急激なショックで始まった長崎の海軍伝習と医学伝習は、日本の近代国家建設にどのように役立ったのか。

勝海舟と松本順の狙いと行動を示す古文書の読解を通じて、歴史の現場が鮮明に浮かび上がります。未公開古文書の読解を楽しんでください。

 

◎ プログラム(どの回からでも受講できます)

   

       

7月25日(月)

勝海舟の狙い ― 「愚存申上候書付」 ―

7月26日(火)

長崎の海軍伝習 ― 時間表・オランダ通詞・咸臨丸 ―

7月27日(水)

勝海舟の「蚊鳴餘言」 ― 世界のなかのトクガワ・ニッポン ―

7月28日(木)

長崎の医学伝習 ― ポンペ・松本順・養生所 ―

7月29日(金)

「愛生館」事業 ― 松本順と髙松保郎 ―

夜間講座にたくさんの受講者

夜間講座にたくさんの受講者

テキストとして:「咸臨丸」、「松本良順」

テキストとして:「咸臨丸」、「松本良順」

 これまで私にとっては少々敷居が高かった「古文書」ですが、片桐先生の分かりやすい解説により、「解読する楽しさ」を体験しています。日記というものから、本人の心証だけではなく、時代の様子、伝習の雰囲気等を読み解き、想像していくわくわく感とでも言うのでしょうか、新しい発見でした。個別の古文書を重ね合わせる、誤字を発見する、省略の記号を解釈する、そのプロセスの面白さは、かなりの根気も必要ですが、扉を一つづつ開けて新しい世界を知っていくような、素晴らしいひと時でした。

 鎖国から開国への急激な時代の変化の中で始まった長崎の「海軍伝習:http://www.mirai.ne.jp/~jkj8/nagasaki.htm」と第二次海軍伝習としての「医学伝習:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5595」は、日本の近代国家建設にどのように役に立ったのか、その一端を理解できたような気がします。

楽しみな若手和楽器奏者たち

Posted by 秋山孝二
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 「夏夜会」と題して、若手の和楽器演奏家が3人集い、熱い演奏でした。以前から応援している津軽三味線・白田路明(http://con-sent.net/peace/shirata_michiaki/)、和太鼓・橋口隆之(http://edktbk.exblog.jp/)、尺八・中村仁樹(http://www.masaki-nakamura.com/)のコラボレーションは、伝統的であり、イノベイティブであり、それぞれの個性が魅力的でした。疲労感が全くない、心地良さは最高です。

津軽三味線:白田路明

津軽三味線:白田路明

和太鼓:橋口隆之、尺八:中村仁樹

和太鼓:橋口隆之、尺八:中村仁樹

 今、若い和楽器演奏者が活躍していますね、素晴らしいことです!「伝統を守る」という観念的な話では無く、「独創的」とか「挑戦的」という言葉がぴったりなパフォーマンスです。それぞれが楽器を通して個性を表現し、多様な他者も受け入れている状態のコラボレーション、実にイイです。

 橋口くん、ブログにありましたが北海道でも「打ち上げ」とも言いますよ、「なおらい」は「直来」で神道の言葉かと、参考になるのであれば以前私が書いたこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8359)の後半部もご覧頂ければ嬉しいです、先日のパフォーマンス、「見せる」演奏は「魅せ」ました、素晴らしかった!!

 中村くん、いつもいつもオシャレな演奏は感動を与えてくれます。立っているだけの姿も決まっているし、尺八の高音があんなに魅力的だとは思いませんでした。これからもチャレンジし続けて下さい!!

 白田くん、同じテーブルでお父さまと久しぶりにゆっくりお話が出来ました。ご両親の絶妙なコンビはうらやましい環境です。でも、これからはこれまでの実績から更に脱皮して、一層世界に羽ばたいて欲しいですね、親元を離れて東京生活、しっかりした自分のポリシーを持っているあなたなら、素晴らしい仲間たち、演奏の場との出会いもたくさんあるでしょう、そして、ふるさと北海道も忘れずに、どうかいつまでもチャレンジャーであって下さいね!!

 自分を一層磨き続けて下さい、今後を託せる若手3人に、心からの拍手です!!!!!

松山城は坂の上の「城」!

Posted by 秋山孝二
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  先日、この数年話題の松山に行く機会がありました、出張の目的は来月にでも書きます。窮屈な日程の合間をぬって、早朝5時半過ぎに松山城(http://www.matsuyamajo.jp/information/)を、黒門道から登りました。「丘の上のお城」くらいに思っていましたが、かなり急な坂と石段、久しぶりに汗びっしょりとなりました。上の本丸では地元の方々が早めのラジオ体操、毎朝恒例となっているようでした。私自身は早朝1時間半くらいで、一日のエネルギーを使い果たした感じです。

130メートルの山の上

130メートルの山の上

登って見ると

登って、本丸から天守を臨む

天守閣を臨む

NHKテレビ「坂の上の雲」の冒頭場面の背景

石垣が織りなす景観

石垣が織りなす景観

 多様な石垣が印象的でした、天守に向かう道筋も複雑に折れ曲がり、要所要所に門も配置されて、当時の戦略性を感じます。松山市内はもちろん、遠く瀬戸内海も見通せる眺望は素晴らしいですね。

「震災後」から「戦後」を検証する

Posted by 秋山孝二
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 「九条の会:http://www.9-jo.jp/」の事務局長・小森陽一さんをお招きして、「エンレイソウ9条の会」主催の「原発震災と憲法」と題した講演会がありました。3・11以降の日本の現状を、あらためて憲法に立ち戻って議論を組み立て、貴重なお話でした。

 「日本国憲法(http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM)」の前文

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(後略)

 

* 前文の諸前提が崩れている現状、 「3・11」から問い直す憲法の「主権」者性は、前文と第13条における「生命、自由、幸福追求の権利」の思想に拠り所がある、今、「主権者としての自覚」が重要である(第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする)

* 第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の思想と「復興計画」の矛盾、生存権に基づく項目として思想の基軸にすべきである(第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない)

* 被災地で問い直される福島の子供たちを取り巻く現実、第22条、27条、そして26条の相互関係(第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない:第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ:第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する)

* ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちへの裏切りとしての「フクシマ」

* 「軍国主義の時代」から「原発主義の時代」への同質的な社会構造の移行、「震災後」から「戦後」を検証すべきである

* 3・11以降の日本では、「立憲政治」が行われていると言えるのだろうか、今、私たちが主権者としての自覚を持って事に当たらなければ誰が国を縛ることが出来るのか

* 現在の放射能汚染の諸基準は、ヒロシマ・ナガサキ、そして100キロ圏外にも関わらず被曝した1954年の第五福竜丸の犠牲に基づいて、医師・研究者により設定されたものである

* メディアに踊る言葉:「原子力神話」は、本当の「神話」に失礼である。「原発アレルギー」、そんなアレルギーなど存在しない

* 丸山真男が「現代政治の思想と行動:http://www.geocities.co.jp/fwtetsu/maruyama.html」で語るように、「無責任の体系」と「犠牲」が一対となって進行してきた、典型的な「フクシマ原発」である

* 復興議論中で、町の歴史の尊重か、新自由主義の復活か、引き続きの見極めが重要

* 今こそ、「原子力発電」は何をもたらすか、これまで何をもって「安全」と言ってきたかを検証すべきである。安全性の実証などどこにもなく、最終処分も全くの未知である

* 「脱原発」への政策転換とエネルギー政策の転換

* 「3・11」の経験と憲法九条の思想の統一

   1) オキナワとフクシマを同時に捉える視点に基づく東アジアの平和構想

   2 )放射能被害の拡大を食い止め、生命・健康・地域社会の健全を最優先させる政策へ

   3) 「大連立政権」と憲法改悪と原発推進勢力の一体化に対して、草の根で対抗する重要性

   4) 「核抑止力」と「安全な原発」の考え方が、同じ根を持っていることを明らかにする対話運動を!

 

 そして最後に、これまで「唯一の被爆国」であり、国際社会の中で「核廃絶」を主張する立場だった日本国が、3・11以降、「原発テロ国家」になってしまった、と。これからは、たとえば漁業関係者がアジアと草の根で連帯する方策、本当の復興とはどういう形かを議論する文化を醸成していこう、と結ばれました。

前田一歩園財団の理念と実践(2)

Posted by 秋山孝二
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 二日目は、財団の新井田利光常務理事、西田力博部長、酒井賢一係長のご説明で、阿寒湖北「一歩園・湖北の森」でのワークショップでした。パンケトーから阿寒湖に流れるイベシベツ川を上ってパンケトー畔まで、ポイントポイントで解説を聴き、針広混交林・倒木更新・萌芽更新等の森林樹木編、湿地、キノコ類、川の生態等、あらためて森の多様性と奥深さに圧倒されました。

阿寒湖近くの川面

阿寒湖近くの川面

パンケトウから阿寒湖への急流で

川真珠の群生

川真珠貝がびっしり

パンケトウ湖畔から山並みを臨む(背景の雄阿寒岳は霧の中)

パンケトー湖畔から山並みを臨む(背景の雄阿寒岳は霧の中)

 管理山林は、全域が阿寒国立公園に包含されていて、水源かん養保安林、風致保安林など保安林指定にもなっています。さらに、鳥獣保護区の指定を受けているので、自然環境の保全には特段の配慮が欠かせないとのこと。財団では前田一歩園財団 “森づくり 6カ条”を打ち立てて、森づくり活動を行っています。

第一条 一度に大面積にわたり一斉に木を切らない――>皆伐を行わない

第二条 300年前の姿に戻す――>山全体で針葉樹と広葉樹の割合を70:30とする

第三条 鳥や動物の巣になる木は切らない――>大径木、景観木、鳥獣類の営巣木、貴重木などは努めて保残する

第四条 川のそばの木は切らない――>河川の流域は原則禁伐とする

第五条 大人の木も、子供の木もある山にする――>人工林の上木と天然性幼稚樹を保残育成する

第六条 木の無いところには木を植える――>更新不良地には植え込みを行う

 

 私はこれまで阿寒湖畔には数回行ってはいましたが、湖北を歩いたのは初めてで、温泉街とは違った「自然」の姿を垣間見た気がします。川の流れの音、植物のかもしだす香り、パンケトー湖畔の静寂、写真に映った緑の多様性とエネルギー等、全てが新鮮な驚きでした。

 戦前・戦後と幾多の困難な時期、特に高度成長期・バブル経済期の「開発」という名の破壊行為をも跳ね返してこられた前田一歩園さんのこれまでのご努力に心から敬意を表するとともに、今後の益々のご活躍を祈念しています、この度はありがとうございました。

前田一歩園財団の理念と実践(1)

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 NPO法人・北海道市民環境ネットワーク(http://www.kitanet.org/index.html)が主催し、この度、北海道の道東・阿寒の「前田一歩園財団:http://www.ippoen.or.jp/」の多大なご協力を得て、「森づくりセミナー」が一泊二日で行われました。

阿寒湖北側の一歩園財団の森

阿寒湖北側の一歩園財団の森

~~~~深々と水をたたえてマリモが生息する湖と、その湖面を囲む広大な森林を有する阿寒国立公園:昭和9(1934)年指定。「この景観はスイスのそれにも比肩する。阿寒の山林は切る山ではなく、見る山だ」といったのは前田一歩園の初代園主・前田正名(まさな)翁でした。その自然への思想は子息の正次(まさじ)、光子夫妻へと受け継がれました。ことに“阿寒の母”と慕われた故光子さんは「『自然を保護する』という言葉さえも人間の傲慢であり、自然に人間が保護されているのだ。前田家の財産はすべて公共事業の財源とす」の家憲を体現するため、全財産を投じて宿願の『前田一歩園財団』を昭和58(1983)年に設立、その18日後に世を去ります。いま、その遺志を継いだ財団は、阿寒の森を守り、森林保全の施業と環境思想の普及に貢献する事業を着々と進めています。~~HPより(http://www.ippoen.or.jp/naritatsi1.htm

 「りんゆう観光(株):http://www.rinyu.co.jp/index.php」のウェッブマガジン「カムイミンタラ」にも、その歴史・理念が紹介されています(http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=34198909t01)。

 セミナー一日目は、ゲストハウスで前田三郎理事長のお話と新井田利光常務理事の現況報告、続いて山本光一課長のガイドで財団事務所そばの「ボッケの森」散策でした。「一歩園」は正名の座右の銘「物ごと万事に一歩が大切」に由来すること他、いずれも歴史の重みと設立趣旨・哲学を分かりやすくお話して頂き、あらためて森を守る意気込みも感じ取りました。今風に言えば、「民が担う公共」の原点がここにあり、日本でも草分け的存在です。前田三郎理事長は、秋山財団設立以来、評議員として18年間ご指導して頂き、初代の評議員会議長も務められました。

阿寒湖南岸・ボッケから雄阿寒岳を臨む

阿寒湖南岸・ボッケから雄阿寒岳を臨む

前田光子記念館(旧ゲストハウス)外観

前田光子記念館(旧ゲストハウス)外観

ゲストハウス内でセミナー:前田三郎理事長のお話

ゲストハウス内でセミナー:前田三郎理事長のお話

 今年は、このすぐ近くでも熊が数回目撃されて数日間通行禁止になったとか、まぁ熊のテリトリーですから、それ程驚くことでもないですかね。地面から湧き出る温泉、熱を帯びた散策路の岩盤等、火山群の中にある湖畔も実感出来ました。思えば、雄阿寒岳・雌阿寒岳はじめ、周辺にはたくさんの火山があり、古阿寒湖の面影、ペンケトー・パンケトー等の湖も大自然の変わって来た今の姿です。何か大自然のとてつもないエネルギーを感じとり、畏敬の念を抱きます。

感動をありがとう、なでしこジャパン!

Posted by 秋山孝二
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 今朝のFIFA女子ワールドカップ2011(http://www.jfa.or.jp/index.html)決勝、日本対アメリカの試合は、「なでしこジャパン」の驚異的粘りと執念で2度にわたって追いつき、最後はPK戦の末に初めての優勝を飾りました、実に堂々たる戦いぶり、澤穂希キャプテンをはじめ、各選手がそれぞれの仕事をしっかり成し遂げて、体力的にはかなり優位なアメリカチームの攻撃をしのぎ、我慢して、最後はゴールキーパー・海堀あゆみの好捕で終了しました。

 以前にも書きましたが、この所私はサッカーの90分を試合開始から見続ける集中力に欠けていて、最近は後半部分を見ることにしています。(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4630)、(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7389

 今回の時間帯は、この後半部分からというのが普段の目覚めとほぼ同じで、特に今朝のような素晴らしいゲームでの勝利は、何にも代えがたい元気の源となります、感謝です。朝から各テレビチャンネルをいろいろ変えながら、久しぶりにテレビにかじり付いていました。応援している方々の喜ぶ様子を見ていても涙が出て来るから不思議です。どの局でも澤選手、海堀選手等をヒロインに取り上げていました、表彰式の様子も、選手の皆さん、監督・コーチ、本当に素晴らしい笑顔でしたね、特にPK戦前の全員の笑顔は本当に素晴らしかった、何回も何回も見てはその度に感動していました。

 今日の試合の流れを見ていて、誰か一人この決勝戦のヒロインをと言われれば、私は迷いなく、延長後半のロスタイム、ファウルを取られた日本のディフェンス・岩清水梓を挙げます、レッドカードの判定で一発退場となりましたが、このプレーが最高のチームプレーだと確信します(後でスロービデオを見ても、相手選手には全く触れていない見事なセーブでしたが)。マスメディアは勿論そうは言えないでしょうね、表彰式でフェアプレー賞まで獲得した「なでしこジャパン」ですから、「意図的ファウル」という訳にもいかないでしょう。でも、このワンプレーは、ペナルティエリアギリギリの外、1名減で戦う残り時間は1分程度のラストプレーでしたか、致命的失点を避けるこの時あの場所での「究極のディフェンス」、まさにレッドカード覚悟のディフェンスとして、チームの危機を救いました。頭を使うサッカー、まさに「なでしこジャパン」の真骨頂をここに見た感じでした。「フィジカル」+「メンタル」、それぞれ「飛び抜けた」能力と、それを引き出した監督・コーチ陣に脱帽です。

 日本サッカー協会のHPには、「フェアプレー」とは~~~~~~

  1. 1 ルールを正確に理解し、守る
    フェアプレーの基本はルールをしっかりと知った上で、それを守ろうと努力することである。
  2. 2 ルールの精神:安全・公平・喜び
    ルールは、自分も他人もけがをしないで安全にプレーできること、両チーム、選手に公平であること、みんなが楽しくプレーできることを意図して作られているのである。
  3. 3 レフェリーに敬意を払う
    審判は両チームがルールに従って公平に競技ができるために頼んだ人である。人間である以上ミスもするだろうが、最終判断を任せた人なのだから、審判を信頼し、その判断を尊重しなければならない。
  4. 4 相手に敬意を払う
    相手チームの選手は「敵」ではない。サッカーを楽しむ大切な「仲間」である。仲間にけがをさせるようなプレーは絶対にしてはならないことである。

~~~~~~と明示されています。

 男子の岡田監督、ザッケローニ監督にも共通していますが、今回の佐々木則夫監督は、事前情報を基に戦略・戦術を駆使して、試合が始まってからは選手に全幅の信頼を寄せて、試合後は選手を称賛してやまない、実に素晴らしい采配であり、リーダーです。

 とにかく凄い試合の連続で、どんどん進化していった「なでしこジャパン」、チームが日本に帰ってくるのを楽しみにしています。彼女たちがチームを応援する全ての人々に与えてくれました、実に立派でした、感動をありがとう!!!

懐かしの「ANA モヒカンジェット」

Posted by 秋山孝二
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 「ANA モヒカンジェット:https://www.ana.co.jp/dom/promotion/mohican-jet/」 、話には聞いたり遠くからは見ていましたが、先日やっと近くでじっくり見物でした、懐かしいですね。

 2009年9月のANA広報では:

~~~~~創立記念日でもある、来る12月1日(火)に、かつてのANAのコーポレートデザインであったモヒカンルックをあしらった「ANA モヒカンジェット」を復刻版機体デザインとして復活させます。

 「ANA モヒカンジェット」は、1969年5月の1番塗装機以降、1989年3月の最終機の運航に至るまでの約20年間、日本の空を就航しました。垂直尾翼にはレオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプターの図案をモチーフにしたANAの社章も塗装されていました。

 「ANA モヒカンジェット」の就航期間は、日本経済の高度成長期であり、大阪万国博覧会(1970年開催)、時代の象徴であった宮崎、鹿児島への新婚旅行など、航空機での旅行が一般的となった時代でもありました。また、純民間航空会社として創業したANAの事業拡大期の象徴でもありました。~~~~~~~  :、とあります。

懐かしい機体です

羽田空港ターミナルで、懐かしい機体です

  当時、機体先部分の「モヒカン」はあまり意識しませんでしたし、全体ももっとずんぐりのイメージ、垂直尾翼のラセンと明るいブルーの色は印象的でした。カラーは今のブルーと同じかと思いましたが、かなり明るい色だったのですね、機体がスマートだからでしょうか、今でも違和感はありません。

 丘珠空港の小さなプロペラ機時代を知っている私にとって、最初は水平に止まっている飛行機に驚き、次は60年代ですね、羽田空港でジェット機DC8の姿を見た時は興奮しました、プロペラがなくジェットエンジンの空洞が印象的でした。ジャンボジェット機では、機内で映画が見られるのに驚き、その後90年代前半では、ロシア国内のイリューシン型機体のジェットエンジンの後方部が煤で黒くなっていたこと、ジェット燃料の質の違いかと、当時のロシア事情を知った気がしました、ただ、離陸・着陸が恐ろしくスムースで、パイロットの技量は確かだったようです。

 今日から「ニュー新千歳空港ターミナル」がオープンとか(http://new-chitose-airport-open.com/pc/)。「ニュー」と「新」ですから、時代の最先端なのでしょうか、ターミナルビルも時代の流れで変わっていくのでしょうね。

北海道エネルギーチェンジ100!

Posted by 秋山孝二
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北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト」とは

 豊かな北海道の環境を未来の子どもたちに引き継ぎたい。安全・安心な資源を被災した方に届けたい。北海道の地産地消エネルギー最大限の活用、さらに自然エネルギーアイランドへのシフトをめざす団体・個人が、声をあげ、北海道の未来をつくるための提案を行うとともに、北海道の「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例」の周知と、自然エネルギー推進のために活動する市民活動の支援ネットワークをつくるプロジェクトです。

WEB◆http://www.enechan100.com/

Facebook◆http://www.facebook.com/enecha​n100

Twitter◆https://twitter.com/#!/enechan​100

毎日新聞朝刊に掲載(http://mainichi.jp/hokkaido/news/20110709hog00m040004000c.html

<4つのアクション>

1.私たちは、北海道の「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/kke/johrei/johrei.htm」を支持し、自然力100%の北海道を実現します。~~みんさんの「エネルギーチェンジ宣言」を、HPに掲載します~~

2.私たちは、北海道の市民の力を結集して、自然エネルギー100%を実現するためのロードマップをつくります。

3.私たちは、北海道の産学官民を結び、持続可能な自然エネルギー政策実現の働きかけを行います。

4.私たちは、北海道の生物多様性と自然エネルギーの共存を実現するために活動します。

呼びかけ人

秋山孝二(NPO法人北海道市民環境ネットワーク 理事長)
金子正美( 酪農学園大学 環境共生学類 教授)
藤田郁男(環境学習フォーラム北海道代表)
岩井尚人(プロジェクトデザインセンター 専務理事)
高木晴光(NPO法人ねおす 理事長)
草野竹史(環境NGO ezorock 代表理事)

北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト事務局

事務局長 宮本尚
岩井尚人 有坂美紀 松本公洋 相蘇かおり 黒子奈美江 

 

札幌市中央区南9条西3丁目1-6 彩木ビル2
NPO
法人北海道市民環境ネットワーク内
電話  011-531-0482  FAX  011-531-0483
E-mail
 e-office★enechan100.com@に変えて送信してください)

 本活動に、資金協力をお願いいたします。
使用目的/広報費・郵送費・印刷費・交通費等。
収支につきましては随時、本ホームページに掲載していきます。

寄付窓口
1
)ゆうちょ銀行 振替口座 口座番号 02760-3-84980 口座名義 北海道エネルギーチエンジ100
 他銀行から振り込む場合は
 ゆうちょ銀行 二七九店 当座預金 口座番号 0084980 
 口座名義 北海道エネルギーチエンジ100 (ホツカイドウエネルギーチエンジヒヤク)
 2)NPO北海道市民環境ネットワークの口座に振り込み(事前にメール、電話等でその旨をお知らせください。)
北洋銀行 本店営業部  普通預金 口座番号  2292978  
口座名義  トクヒ)ホツカイドウシミンカンキヨウネツトワーク
楽天銀行  ビート支店(210) 普通預金(1) 口座番号 7027982
口座名義  トクヒ)ホツカイドウシミンカンキヨウネツトワーク
近日、カードでのお振り込みも可能になります。もうしばらくお待ちください。

請求書・領収書の発行が可能です。事務局にその旨、お伝えください。

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 地に足をしっかり着けた取り組み、全国でもこんな取り組みが始まっています(http://ishes.org/news/2011/inws_id000118.html)。

 来週札幌ではこのような集会も予定されています。

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「子どもの未来と、食を守るネットワーク」~北海道の大地にたねをまこう~

第2回 意見交換会のご案内

子どもたちの未来と食を守るために私たちが出来ることは何か、

また、しなければいけないことは何か・・・

想いをひとつにし、認識を新たにするための1回目の意見交換会には、

たくさんのみなさまの参加を得ることが出来ました。

そして、様々なメッセージも頂きました。

その想いを共有し、さらに一歩踏み込んでネットワークをより有益なものとするために、第2回意見交換会を開催いたします。

前回以上のみなさまの参加をお待ちしています。

 

今回のメッセンジャーは、以下の方々を予定しています。(順不同)

 

①安斎伸也氏 福島市庭坂「あんざい果樹園」4代目 

②上島信一氏 北海道コカコーラボトリング執行役員(CSR担当)

③大島美貴子氏 神奈川の座間で麦っ子畑保育園 園長

④秋山孝二氏 NPO法人北海道市民環境ネットワーク理事長

開催日時 2011年7月22日() 午後6時30分~午後9時

開催場所 「札幌エルプラザ」3階ホール 札幌市中央区北8西3

 

今回は、資料代として、ネットワーク会員500円、

非会員1000円を頂きたいと考えています。ご協力よろしくお願いいたします。 

  

開催呼びかけ人代表

荒川義人 (天使大学教授)

       湯浅優子 (北海道スローフード・フレンズ リーダー)

                開催事務局 オフィスアイズ 今宮廉

                        問い合わせ先 011-215-8871

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 首都圏以外の「地方」から、今、エネルギー自給への模索が始まっています。今後のエネルギーについて、地域にあるものを棚卸して、その地に暮らす全ての人たちで、将来のエネルギー資源について議論し、提言していこうではありませんか!!

名古屋は、今

Posted by 秋山孝二
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 先日、ほぼ1年ぶりに名古屋に行く機会がありました。(株)スズケン(http://www.suzuken.co.jp/)の代表取締役副社長として、私は4年8ヶ月名古屋に居りました、とは言っていも、東京を主として全国への出張が多く、名古屋に留まっていたのは月10日程度だったでしょうか。週末の空いた時間に、街なかを随分一人で歩き回りましたね。

 名古屋は道が広いと言われますが、一歩メイン通りを中に入ると、昔の城下町ほかの風情を残した小路が今もたくさん残っています。今回、都会の喧騒から少し離れた堀川沿いの四間道(しけみち:http://matinami.o.oo7.jp/tyubu-tokai2/sikenmiti.htm)にある「右近:http://www.jfood-ukon.com/welcome.html」でひと時を過ごしました。江戸時代は名古屋城の城下町として賑わいをみせていた界隈です。四間道は元禄13(1700)年の大火の後、道幅を四間(約7メートル)に拡張して、東側に石垣を積み、土蔵を建てて火事を防いだと言われています。

堀川の畔、「右近」周辺で風情ある街並み

堀川の畔、「右近」周辺で風情ある街並み

店内の古地図

店内の古地図

  もう一つの大きな目的は、NPO法人地域の未来・志援センター(http://www.c-mirai.org/)の萩原喜之理事長との意見交換でした。萩原さんは、NPO法人中部リサイクル運動市民の会(http://www.es-net.jp/)、NPO法人エコデザイン市民社会フォーラム(http://eem.jp/ecode/)においても重要な役割を担っていらっしゃる市民活動一筋の草分けです。

愛知万博での地域通貨

愛知万博での地域通貨:EEM金町駅のお店で

 3・11以降のエネルギー政策に関して、企業・市民から代替エネルギーへの提案を行うべく、萩原さんは今、経済団体とのコラボを企画していて、つい先日立ち上げた北海道の「エネルギーチェンジ100プロジェクト:WEB◆http://www.enechan100.com/、Facebook◆http://www.facebook.com/enecha​n100 、Twitter◆https://twitter.com/#!/enechan​100」とも、どこかでコラボレイトできる可能性を確信しました。首都圏以外の「地方」から、今、エネルギー自給への模索が始まっています。

活躍した札幌市消防局

Posted by 秋山孝二
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 先月30日の野田正彰さんの講演会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9201)で、一つだけ違和感のあったお言葉が、「北海道の人間は今回の災害に対してどんな支援活動をしてきているのか、殆ど現地で出会わなかった。遠い場所での出来事と考えているのでは」、でした。とんでもありません、少なくとも私の周辺で知っているだけでも、行政・NPO・医療機関・企業等、たくさんの方々がすぐに駆けつけましたし、今も継続して活動しています。限られた地域での野田さんの体験だけから断定するのは間違いだと思いますが。

 先日、私的病院経営者の20年以上続く勉強会「木朝会」の特別例会で、「防災及び震災支援」と題して、札幌市消防局の方から報告がありました。今回の東日本大震災で、札幌市も迅速で地道な支援(http://www.city.sapporo.jp/kinkyu/index.html)を行ってきています。お話をされた札幌市中央消防署予防課・課長(指令長)の佐藤利博さんの語る姿勢も素晴らしかったです。

 とりわけ札幌市消防局の震災直後からの活躍(http://www.city.sapporo.jp/shobo/koho/enjo.html)は、私は札幌市民(納税者)の一人として誇りに感じました。

東日本大震災で活躍した札幌消防局の報告

東日本大震災で活躍した札幌市消防局の報告

  一つは、3月11日(金)15時00分(地震発生からわずか14分後)に決定された「指揮支援隊派遣」です。すぐにヘリコプターで札幌を出発し、翌12日から宮城県庁で県内部隊指揮活動を開始しました。一方11日15時30分に、15隊58名からなる「陸上部隊派遣」準備が決まり、13日朝には石巻市に到着して救援活動を開始していました。情報が錯綜し流動的情況の中、指揮部隊・現場陸上部隊と素早い取り組みが行われ、現地でも高い評価を得ました。5月10日までに、札幌からは133隊503人が出動しています。先日のご説明では、国内ばかりではなく、日常的に海外災害派遣を想定して、定時予防注射を受けている隊員も複数名いるとのお話でした、いつでも出動できる危機管理体制です。

 福島原発事故現場での東京消防庁レスキュー隊が、マスメディアに繰り返し登場していたので注目されていましたが、今回の被災地では、全国からの多くの組織的応援が迅速に行われたことを、私たちはしっかり認識する必要があります。この震災に対しての特別の支援ではなく、このような大規模災害を日常的に予測し、日頃から準備を怠っていない、そんな意識と体制から学ぶことは多いです、命令指示系統等の事前の約束事、情報共有、訓練、そして迅速な初動動作ですね。

 

 7月の札幌は、お陰さまで例年と変わりない夏を迎えています。先日、演劇鑑賞の合い間に、近くの中島公園のショウブ池の畔で缶ビールを飲みながら、池に浮かぶ手漕ぎボート、際立って素晴らしい光景に見えました。

日曜日の午後、中島公園での一コマ

日曜日の午後、中島公園での一コマ

シアターZOO演劇祭、「ZOO11」

Posted by 秋山孝二
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 北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)では、毎年いろいろな取り組み・企画を実践しています。今年3月、初めての試み、「レパートリーシアターhttp://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7699http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7983」では、大震災の最中も継続して敢行し、いらっしゃった観客に力を与えました。
 「シアターZOO演劇祭:http://zoo11.seesaa.net/」は、今年で5年目を迎えました。今年は「ZOO11:ズー・イレブン」と銘打って、「弦崎東総合病院」の一室を舞台に、6つの若い劇団の熱演が続いています。

シアターZOO演劇祭「ZOO11」

シアターZOO演劇祭「ZOO11」

  この企画は、小劇場で演劇を続ける劇団同士が出会い、観客に何度も足を運んでもらおうと始まり、今年で5回目の開催となります。プロデューサーはシアターZOOフランチャイズ劇団・弦巻楽団(http://tgakudan.blog98.fc2.com/)代表の弦巻啓太さん、今年で3年目ですが、最初は「旅館」、2年目は「ファミリーレストラン」、そして今年は「病院」が舞台です。彼は演劇製作に関して、その周辺でたくさんメッセージを発信しているので興味深いですね。私は以前から感じているのですが、劇団代表とかプロデューサーの方は、いろいろな場で遠慮なく芝居に関しての情報発信を広く一般向けにするべきだと思います。役者のインタビューをチラシに掲載するとか、ブログなどは多くあり、観劇前も後も楽しめます。普通の人、或いは劇場に足を運んだことがない人たちにも目に触れる場での発信が、すそ野を広げることになっていくのだと思います。もちろん、私のような素人が、観た感想を率直に書き留めることも少しの応援になるのかな、と。

 私はこの企画、これまで時間が取れなくて、全ての劇団を観る(10日予定の二つを含めて)のは今年が初めてです。ベッドが4つ並ぶ病室、全く同じ舞台にもかかわらず、患者と看護師、患者同士、患者とその関係者、それぞれのストーリーで観客を楽しませてくれます、実に面白い企画ですね。昨晩は、同じ劇団で5人の役者が全て違う芝居を観ましたが、まあ、全く別物ですね。同じ劇団でも初日と千秋楽、役者の違い、その回の観客の雰囲気等で大きく印象が変わる、一回一回が「オンリーワン」、その辺が演劇の面白さなのでしょうね。

 そう言えば、私が最初に演劇の魅力に取りつかれたのは、今から40年くらい前に、東京新宿で演劇学校の卒業公演観劇に誘われた時からでした。朝から同じ演目を役者を変えての卒業公演、夜まで観ていましたが織りなす雰囲気の違いが実に面白かったですね。今回の演劇祭、足を運んでいる方々は若い世代も多く、これからの北海道で担い手となる期待も大きく、楽しみです。演劇を「消費」するだけではく、「表現」し、「生産」していく担い手の育成、芸術・文化の土壌を育みたいですね!

悲しみを抑圧してきた社会

Posted by 秋山孝二
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 財団法人 北海道文化財団(http://haf.jp/)主催の「アートゼミ」が開催され、今回は特別講座として「いのちと心を支えるアートの役割~長期災害救援の視点から」と題して、関西学院大学・野田正彰教授の基調講演、後半は北海道大学・定池祐季助教、北海道文化財団・磯田憲一理事長も加わっての意見交換でした。当日会場は、日頃から芸術・文化分野で活躍する方々100名以上がお集まりになり、野田先生の鋭いご指摘・認識を真摯に受け止めていました。

アートゼミ/特別講座「いのちと心を支えるアートの役割~長期災害救援の視点から」開催のお知らせ 2011年05月31日
○ 趣旨
 平成23年3月11日(金)に発生した東日本大震災の発生を受け、長期的な災害救援の視点から、特に被災地の子ども達が立ち向かう社会的な場面に応じた、さまざまな「いのちと心」のケアの場面において、「被災地が今どのような現状なのか」、「モノ以外の目に見えないことに対して、被災者の心に必要なことに対してどのように接していくのか」、「その中でアートの果たす役割を知ってもらう」ことを目的に、この特別講座を開催します。 ついては、道内における、アートNPOやアーティスト、地域の文化施設・事業に関わる多くの方々に、『アートの役割~文化芸術活動』による支え方、被災者への接し方、生活場面でのコミュニケーションづくりなどについて、「講師の講演と意見交換」から知っていただき、今後の支援の心構えを広げていくきっかけづくりとしていただきたいと思っています。○ 内容
・災害救援からみた「阪神・淡路大震災」などと「東日本大震災」との差異
・物理的な被害以外の「目に見えない」間接的な被害への影響
・「社会的悲哀」を大切にする今後の救援の方向性
・アートNPOの活動や文化芸術活動の社会的役割        など□ 主催等 ・主催;(財)北海道文化財団
・協力;札幌市教育文化会館(札幌市芸術文化財団)
・後援;北海道、北海道教育委員会、札幌市、札幌市教育委員会□ 日 時 平成23年6月30日(木) 18:00~20:00□ 会 場 札幌市教育文化会館 4F講堂  http://www.kyobun.org/

□ 定 員 156席(定員になり次第、締切とさせていただきます。)
□ 参加者 *特に制限はありません。どなたでも自由に参加できます。

□ 事業内容
・講師;関西学院大学 野田正彰教授
  内容(第1部)野田正彰教授による基調講演
   (第2部)野田正彰教授と磯田憲一理事長による意見交換

 

 

 

 

 

 

 野田正彰(http://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E5%BD%B0/e/B001I7NB14)さんは、これまでたくさんの著書を出していますが、私は「喪の途上にて:http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/3/0022870.html」が印象に残っています。

 4月に行われたこちらの講演も参考になります(http://sankei.jp.msn.com/life/news/110527/trd11052707310003-n1.htm)。以下、先日の札幌講演からいくつかを書き留めます。

* 「映像災害」とも言える3・11以降のマスメディア

   :被災地からのいち早い逃亡、東電・保安院発表に依拠するのみ、現実を見ない報道

   :「がんばろう、日本!」、「こころは一つ」?「ひとりではない!」等のフレーズは、「悲しみの抑圧」でしかない

* 日本の近代社会は残酷な歴史の繰り返し:傷ついた人々に「ガンバロウ!」と言ってきた、「悲しみを抑圧してきた」社会~悲しみを悲しみとしてではなく、早く忘れて前へ進めと

* 少し時間が経っての避難所は、格差社会を実感:この段階での「支援」があるはず

* 「異常な事態」における「正常」な反応を、「病的」と言ってはいけない:人間には時間を経て、選びとって生きていける力がある

* 家族を失った人たちは、ショックの後に遺体を探す行動をとる。自分は何もしてあげられなかった等、故人との対話のプロセスと理解すべきであり、時間を経る中で故人の遺志を聴き、立ち直っていくプロセスである

* 震災と芸術:どう役に立つ等ではないはず:安易に「希望」などとは言って欲しくない、被災者と共に語り合うこと、「表現せざるを得ない人々の叫び」が芸術ではないか

* 柔らかい創造力が大切:被災者に共感すること、それは直接語ることを通してつながっていける

* 震災から学ぶ姿勢が重要:「助ける人」と「被災した人」という図式ではなく

* 以上のことから、芸術家の役目は、人が能動性を取り戻すプロセス、すなわち問題を直視して、抑圧しているものを表現することではないか

* 自分で課題を発見して行動する:ボランティアも同様だが、行政の指示の下で活動するのでは「勤労動員」である!

 

 大震災後の社会変化を、鋭敏に表現するものは何か、彼はそれを芸術に期待していました。歴史を振り返ってみて、関東大震災の後、エログロが流行して、治安維持法が制定され昭和の軍国主義時代へと突入、阪神淡路大震災後は、「心のケア」、「癒やし系」が流行し、厳罰化、テロ対策の日常化、派遣労働者の増加と変わっていった近い過去。「弱者の視点、今度こそ」、彼からのメッセージだったと思います。

放射能と共に暮らす時代に

Posted by 秋山孝二
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 私にとっての「放射能」認識は、広島・長崎への原爆投下が最初でした。この数年、時間を見つけて両都市を訪問し(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1602)、(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5199)、そこに至る歴史も再認識しながら反戦・平和の誓いもあらたにしています。そして 今年4月に掲載したように(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8116)、実際に自分の身に降りかかる「放射能の怖さ」を意識したのは、第五福竜丸事件でした。

 その後は特段な恐怖をもつことなく時代と並走していて、次に「放射線」を認識したのは1970年代初頭、大学で「物性物理学」を専攻していた時でしょうか。卒論のテーマは「X線と光弾性による単結晶応力解析の比較」で、「X線解析装置」と毎日付き合ってデータ取得の日々、指導の先生からも先輩からも、X線に対する注意事項を身をもって教えられました。たとえば、大学研究室で、X線が放射される方向に壁一つ隔てて男子トイレがあったのですが、「奥側はX線が漏れているかもしれないから、手前側を使う方が安全」という申し伝えが研究室にはありました。当時は半信半疑でしたが、それを忠実に守ったからか、その後の自分の生殖機能には異常は無かったようです。

 今考えると、「日常」であるがゆえに細心の注意を払うとでも言うのでしょうか。東電幹部が汚染水を海に放出して、「低濃度汚染水だから環境には大きな影響は無い」と言い放った時、私は彼らが放射線と全く寄り添ったことがない連中だと直感し、憤りを感じました、彼らに原子力を運用する覚悟はないと、犯罪行為です。

 話はそれますが、インターネットで検索すると、「X線解析」は、今は高校生でも研究しているのですね、装置がコンパクトになったからか、教育レベルが上がっているのか、私たちが大学で学んでいた「ラウエ斑点:http://nsmsxserve02.ph.kagu.tus.ac.jp/labexercise/XrayDiffraction/x-ray/laue01/index.html」等の言葉も、高校でも出てきています。

 そして、今、人生3回目の「放射線」を強く意識する時です。先日、市民活動を共にしている方と「放射線測定器:http://www.raesystems.com/products/doserae-2」を買い、手元に届きました。まだ説明書も十分読んではいないのですが、子どもたちが日常遊ぶ公園等を市民の目線から、定点・定時・継続観測し、公開しようとの思いからです。

 一口に「放射線」と言っても、(1)α:アルファ線、(2)β:ベータ線、(3)γ:ガンマ線、(4)中性子線の4種類の放射線があります。東電福島原発事故以降、よく見かけるようになった小型の放射線計測機は、低濃度のベーター線を測定するだけのものがほとんどです。政府や自治体の設置してる、いわゆる「モニタリングポスト」で計測できる放射線は、貫通力が高いガンマ線だけとか、いろいろですから、測る方もデータを読み取る方も注意が必要です。アルファー線や中性子線などの計測は非常に難しいです。また測定器のメーカーによっても精度が違い、大きく数値が異なってくることは珍しくありません。従って、今回購入した計測器を使う場合も、メーカー名、方法、場所等についての情報も一緒に公開することが重要ですね。ただ数値だけが一人歩きして「安全である」といった発表姿勢は、およそ科学的ではありませんし、それどころか恐ろしく無責任と言えます。

 25年前、秋山財団の最初の理事会で、理事のお一人が次のように語られていました。「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあると言えましょう。『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思うのです。それは人間のコモンセンスに属すべきものであり、秋山財団の地味ではあっても着実な助成・育成活動が、北海道から日本へ、そして世界へ向けて、人類のそうしたコモンセンスの確立へと発展し、貢献する事を期待して止みません」。

 「放射能と共に生きる時代」、気温・湿度・花粉情報とともに、地道で継続的な「放射線」データ観測・記録・公開で市民は対処していきます。

「株主総会」とマスメディア

Posted by 秋山孝二
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 6月末は3月期決算上場会社の株主総会が相次いで開催され、その様子は毎年この時期、テレビ・新聞紙面を賑わして、まるで「6月の風物詩?」ですね、最近ではインターネットでのライブも臨場感いっぱいです。

 私は、未上場会社、札幌証券取引所上場会社、東京証券取引所上場会社の代表取締役として、この株主総会に企業側としてヒナ段に並び、議長も7年務めました。この経験からすると、株主総会に関するマスメディアの報道が、いかにも違和感があり、何かの機会にその辺を発信したいなと思っていました。今年3月、東電福島原発の大惨事が起こり、各地電力会社の総会、とりわけ東京電力の株主総会が今年は注目されていましたし、少しコメントしたいと思います。

 電力会社の場合は企業とは言え、「地域独占企業」という極めて特殊な立場ですから、いわゆる厳しい企業間競争の中にいる「一般民間企業」とはかなり様子を異にすることは考慮しなければなりませんね、顧客は選択の余地なく電気に依存せざるを得ないのです、私はそれゆえに電力会社の経営者には、特段の「顧客に対するサービス精神」と「社会への責任」があるのだと思いますが。

 まず、一般の企業側からすると、そもそも「株主総会」というのは、建前としては経営の最高決定機関ではありますが、その場で議論を沸騰させて決める場とは考えていないでしょう。日々リスクを背負って、まさに24時間勤務で企業活動に目配りしている代表取締役から見ると、1年に一回、総会に出かけてきて勝手なことを言って大騒ぎする(失礼!)少数株主は、必ずしも歓迎する方々でないと思うのは、ある意味で当然のことです。こんなこともありました、ある年、ひどい質問が出された総会があり、終了後の控室で思わず副社長が、「そんなに文句が有るのなら、さっさと株を売ればいいんだ!何も株主総会に出かけて来て、下らない質問もないだろう、株主には売る自由があるはずだ!」と怒っていました。

 大株主とは日常的に情況報告・アドバイス等で意見交換しているでしょうし、日頃から信頼関係を築くために最大・細心の配慮をしているはずです。また、企業の総務部は、訪れる株主への情報開示・説明等をいつも整えています、いわば「ご意見はいつでもお聴きする体制を取っている」状態ですね。 以上のような現状からすると、株主総会では、経営陣として形式上どうしても予定通りに成立させなければならないとすると、出来るだけ速やかに終了させようと努力するのは、ある意味で当たり前の姿勢かと。事前に十分な準備をして限りなく速やかに終了し、最近では同時に、「株主の声に耳を傾けています、大切にしています」というパフォーマンスも重要だとは思う、そんなマインドでしょうか。ですから委任状により開会前から成立している現実、社章を外し、年休を取らせ、前方数列を陣取る、或いは会場に散らばらせた社員株主に大きな拍手をさせる(以前は「異議なし、議事進行!」の威圧するような大きな声:まるでヤ○ザです)パフォーマンスも理解できはしませんか?

 今思うと、未上場会社の株主総会の方が、真面目で真剣な経営者のやりたいようにできる環境があります。(株)秋山愛生舘の場合も、未上場の時はホテルの小じんまりした一室で総会、その後は隣の部屋で昼食懇談会で日頃の感謝と意見交換、まさに理想的な場でした、特に上場した後の株主総会を経験すると、一層その感を強くしましたね。「株主の声を聴く」ことの原点がそこにあったからだと思います、会社をこよなく愛している方々が株主だったとも言えましょうか。上場すると「株主」の価値観が違いますね、経営者として株主と対峙して一番感じる違いでした。怒号とヤジが飛び交う株主総会、それ自体が資本主義のグロテスクな姿、未熟な企業のような気がします。

 一方メディアは株主総会をどう伝えてきたのか、これがまた変わらずひどい姿勢です。今から20年くらい前、地元新聞の記者はあらかじめ電話をよこして、「30分を越えたら連絡して下さい(?)」です、明らかに「長引いた総会は問題あり」の世界でした。几帳面に「35分で終了しました」と連絡すると、物足りなそうに「ああそうですか」の素気ない返事で。ところが、これが2000年くらいを境に大きく変わってきました、短く終了した会社は「株主の声を聞いていない」、と叩き始めたのです。企業側のアドバイスする弁護士陣も、期を同じくして事前指導に変化が出て来ました、「紋切り型ではなく、誠実に説明する姿勢が大切です」と。ある時は私は、「株主席から何かモノが投げつけられたら議長としてどうしたらいいでしょうか?」と冗談めいて聞くと、「当たって眉間から血を流すくらいがいいです」と真面目に回答がかえってきて驚いたこともあったり。

 相変わらずなのは、株主総会の価値をただひたすら「所要時間」でのみ評価している視点です、メディアの貧困・見識の無さですね。そんな報道ばかりだからこそ、企業側も強引に一気に議事進行せず、「適当な時間を費やして」アリバイをつくり、あらかじめ予定した時間で「打ち切り動議」を企業関係株主が提案して、採決・拍手多数で終了へと、「予定通り」のシナリオです。

 今回の電力会社株主総会後の新聞各紙、「脱原発株主ら無力感」、「建設的議論ない」等、私からすれば「何を今さら」ですね、メディアは株主総会を全く分かっていない、さもなくば明らかに「原発推進に加担している」姿です。株主総会はどんなにたくさんの出席者であっても「株主」の集まりでしかない、そこで電力会社の存在自体を議論することは不可能ですし、定款の目的事項を議論するのもかなり無理があります。勿論、それを承知でパフォーマンスの場と割り切ってのプレゼンスであればそれはそれで目標達成です。

 株主総会でどうあれ、3・11以降の日本社会は、まさに「放射能とともに生きる世界」になったことに何の変わりもありませんし、社会的議論が必要です。今、私たちは真剣に自然エネルギーへのシフト、制御不可能な原子力から離脱(これも実際は長期間必要)を、迅速に、自分のフィールドから始めなければなりません。