「ANA モヒカンジェット:https://www.ana.co.jp/dom/promotion/mohican-jet/」 、話には聞いたり遠くからは見ていましたが、先日やっと近くでじっくり見物でした、懐かしいですね。
2009年9月のANA広報では:
~~~~~創立記念日でもある、来る12月1日(火)に、かつてのANAのコーポレートデザインであったモヒカンルックをあしらった「ANA モヒカンジェット」を復刻版機体デザインとして復活させます。
「ANA モヒカンジェット」は、1969年5月の1番塗装機以降、1989年3月の最終機の運航に至るまでの約20年間、日本の空を就航しました。垂直尾翼にはレオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプターの図案をモチーフにしたANAの社章も塗装されていました。
「ANA モヒカンジェット」の就航期間は、日本経済の高度成長期であり、大阪万国博覧会(1970年開催)、時代の象徴であった宮崎、鹿児島への新婚旅行など、航空機での旅行が一般的となった時代でもありました。また、純民間航空会社として創業したANAの事業拡大期の象徴でもありました。~~~~~~~ :、とあります。
当時、機体先部分の「モヒカン」はあまり意識しませんでしたし、全体ももっとずんぐりのイメージ、垂直尾翼のラセンと明るいブルーの色は印象的でした。カラーは今のブルーと同じかと思いましたが、かなり明るい色だったのですね、機体がスマートだからでしょうか、今でも違和感はありません。
丘珠空港の小さなプロペラ機時代を知っている私にとって、最初は水平に止まっている飛行機に驚き、次は60年代ですね、羽田空港でジェット機DC8の姿を見た時は興奮しました、プロペラがなくジェットエンジンの空洞が印象的でした。ジャンボジェット機では、機内で映画が見られるのに驚き、その後90年代前半では、ロシア国内のイリューシン型機体のジェットエンジンの後方部が煤で黒くなっていたこと、ジェット燃料の質の違いかと、当時のロシア事情を知った気がしました、ただ、離陸・着陸が恐ろしくスムースで、パイロットの技量は確かだったようです。
今日から「ニュー新千歳空港ターミナル」がオープンとか(http://new-chitose-airport-open.com/pc/)。「ニュー」と「新」ですから、時代の最先端なのでしょうか、ターミナルビルも時代の流れで変わっていくのでしょうね。