市民の熱い力に、ただ感動です!

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 秋山財団の「社会貢献活動助成」事業http://daily-ondanka.com/partnership/partnership?rm=detail&id=29 の報告会が、先日財団で行われました。6年前から始めたこの事業ですが、今年は報告団体数が多く、二日間の日程となりました。中標津からの高校生のみなさん他、財団理事・評議員・監事の方々のご参加もあり、熱心な報告の場となり、心から感謝致します。

2009(平成21)年度・秋山財団・社会貢献活動助成・報告会プログラム

 

5月23日(土)

 

 発     

助成年度と助成テーマ

出席者(★が発表者)、

敬称略

1

特定非営利活動法人・公共政策研究所

2007年「行政への市民参加の環境調査」

★水澤雅貴

2

特定非営利活動法人・交通倶楽部ゆうらん

(NPO法人・交通まちづくりコンソーシアムゆうらんに改名)

2007年「なまら便利なバスマップ第3版の発行と使い方講座の実施」

★松本公洋、内山到

3

北海道中標津農業高等学校

2007年「花と緑で彩る計根別ミルクランドまちづくり」

★川又竣・松崎愛、

杉田慎二

4

特定非営利活動法人・炭鉱(やま)の記憶推進事業団

2008年「空知産炭地域での高齢者の社会的活動促進モデル事業」

★吉岡宏高

5

たんぽぽ文庫

2008年「たんぽぽ文庫新しい子供の居場所作り事業」

★中野由美子、高橋雅子

6

間伐ボランティア「札幌ウッディーズ」

2008年「札幌市及び周辺地域における森林の保護と育成活動」

★中野常明

7

手引きの会ステッキ

2007年「視覚障がい者に対する優しい気持ちと共に生きる大切さを知ってもらう」

★三川博子、関谷洵子

今井寿満子

8

北海道学習障害児・者親の会「クローバー」

2007年「発達障害児・者への就労支援事業」

★永瀬次郎

9

強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム

2007年「東アジアの和解と平和づくりを担う、国境を越えた市民社会の育成」

★殿平真

 10

日高山脈ファンクラブ

2008年「日高山脈幌尻岳登山者排泄物除去推進事業」

★高橋健

 11

NPO法人・カラカネイトトンボを守る会

2007年「札幌市篠路福移湿原の埋立阻止、乾燥化防止、希少生物の保護」

★佐藤知宏・山本郁佳

 12

北海道千年の森プロジェクト

2007年「ポット苗づくり講習会・DVD作成並びに育苗

里親プロジェクト」」

★見延和俊

 

全体質疑

 

 

5月24日(日)■ 

13

特定非営利活動法人・日本のうらほろ

2007年「食を主とした都市住民と農山漁村との交流を

目指したまちづくり」

★近江正隆

14

特定非営利活動法人・北海道職人義塾大

2007年「こどもモノづくりマイスター事業」

★藤田和久

15

北海道ブックシェアリング

2008年「不要な図書を再利用するブックシェアリング活動」

★荒井宏明

16

特定非営利活動法人・教育キャリアプロデュース

2008年「豊成北翔土曜友の会サポート事業」

★三井貴之

17

NPO法人・ボラナビ倶楽部

2008年「月刊ボラナビ紙面特集・NPOな人」

★高山大祐

18

鍵盤ハーモニカアンサンブル「コロポックル」

2008年「ボランティア演奏活動」

★三宅英八郎

19

北広島コミュニティレストラン研究会

(地域食堂かえでに改名)

2008年「コミュニティレストランでまちを元気に」

★樫見由美子

20

特定非営利活動法人・レッドリボンさっぽろ

2008年「エイズ電話相談」

★本庄真美子

21

特定非営利活動法人・子育て支援ワーカーズプチトマト

2008年「ババジジ・ママパパ&こどもカフェ事業」

★喜多洋子

 22

北海道札幌南高等学校林

2007年「学校林を環境林として活用した昆虫の棲む森づくり」

★箱崎陽一

 23

特定非営利活動法人・あおいとり

2008年「農的くらしのレッスン・研究科第3期の企画・実施」

★永田塁・谷川真弓子

 

全体質疑

 

 

 

公募時の申請書では、なかなか日常の現実の活動が見えてきません。アメリカの民間財団には、「申請書だけで選考している財団は『レベル1』である(レベルが低い意味)」という言い伝えがあります。実際の活動を見抜き価値を評価するその眼力こそが、支援する民間財団の最高の価値であり、権威であるのでしょう。そんな「眼力」、「強いメッセージ性」を持った民間財団でありたい、と思っています。

活動助成というよりは「研究助成」というレベルの高い活動報告も多く、本当にこれからが楽しみだと思いましたし、私たちの財団の責任も大きくなっている事を痛感致しました。

 

 

ビー・アンビシャス!

Posted by 秋山孝二
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  毎年4月、「経済同友会http://www.doyukai.or.jp/全国セミナー」が、各地持ち回りで開催されています。今年は17年ぶりに札幌で2日間行われました。北海道は4月よりも5月の方が気候も宜しいということで5月になりました。私は、北海道経済同友会の幹事で、この6年間は毎年参加しています。その時々のテーマを振り返ると、その年の経営課題を推し計る事も出来ます。この数年、登録は1000人を越えていましたが、昨年9月以降の不況とごく最近のインフルエンザの影響で参加者数が心配されていました。しかし888人と予想を上回る登録参加数で、北海道人気の高さをあらためて感じました。2日目の締めのご挨拶で桜井代表幹事は、「20世紀的な規模の拡大を追い求める開催はもうやめにしましょう。21世紀は質の追求の時代で、我々の価値観も変革しなくてはなりません」と語りました。

今年のテーマは、「ビー・アンビシャス!-21世紀の新たな課題に挑む」でした。 

フォーラム参加者の紙袋
フォーラム参加者の紙袋

基調講演・分科会・特別講演のテーマは以下です。

基調講演「iPS細胞がつくる新しい医学」 京都大学教授 山中伸弥 氏

分科会1:「低炭素社会実現に向けた取り組みと日本の貢献」
分科会2:「資源問題に直面する日本の針路を考える」
分科会3:「東アジアの交流拡大を考える」
分科会4:「地域資源のブランド化を考える」

特別講演「動物園経営から学ぶもの」 旭山動物園 名誉園長 小菅正夫 氏

今のような時期に、全国から集まった経営者の方々と情報共有が行えたのは、大変有意義でした。

 主な経済団体には、経団連(地元では道経連:近藤会長)、日本商工会議所(地元では札幌商工会議所:高向会頭)、それに経済同友会(地元では北海道経済同友会:坂本・吉野代表幹事)がありますが、唯一経営者個人の登録である団体が経済同友会です。上場企業をはじめ企業経営者が個々の頭で考えての提言は、経団連の政治的・業界的立場を踏まえた発言とは一線を画しています。特に地球温暖化等の環境問題へのスタンスではかなり違っていると私は思います。

基調講演の山中先生のお話からは、日本とアメリカの研究環境の大きな違いを知る事が出来ました。

分科会パネラーの中でひときわ印象的だったのは、立命館アジア太平洋大学http://www.apu.ac.jp/home/学長モンテ・カセム氏(スリランカ出身)の発言でした。「教育はビジネスではない、志である」、「人材育成は迷いを希望にかえるものである」、「日本は世界から信頼されているが、友情を抱かれていない」等、ストレートに心に届くメッセージの数々に、会場内は興奮していました。

セミナー終わりの桜井代表幹事のご挨拶は、「今年のスイスで開催されたダボス会議でも、世界の方向性が大きく変わってきている。今までの価値観の限界を、各国・地域・ひとりひとりが認識しはじめている一方で、日本国内の経営者の意識の低さに、強い危機感を持っている。今回のセミナーは、次の新しい価値観は何かを探る議論だった。新しい時代の新しい価値観を求めて、今後も現実と真摯に向き合って努力して参りたい」とのメッセージでした。

ただセミナーを通して気になったのは司会者・パネラーの経営者の発言で、語尾が不明確、口の中でモゴモゴと言葉を飲み込んでしまう方が多かったこと、こういった会社の社員は社長のお話をいつもきっちり聞くことが出来ているのでしょうかね。そう言った事がこれまで指摘もされずに今日に至っている現実が危機的です。経営者はいつでも「裸の王様」になってしまいます。

1日目の懇親会では、ラーメン・カニ等地場産品に大行列で、800食以上用意した品があっという間になくなりました。翌日の朝、本州からいらっしゃった方々の会話をもれ聞くと、「ラーメン横丁に行ってきたよ」、「大通公園のライラックが綺麗でした」、「北大構内も良かったよ」、「ホテルの貸自転車で朝まわってきたけれど、すごく気持が良かった」、「地下鉄も便利で車両も大きいね」・・・・、あらためて札幌のマチを惚れ直しです。

来年のこのセミナーは、四月に土佐で開催されます。常に権力に対して勇気を持って活動していた心意気を、次年度開催地の代表の方が力強く語っていました。ひとくくりで「企業」とは言っても、21世紀の新しい価値観を模索する企業もあれば、相変わらず従来型の延長で経営する企業もあり、経営者の見識で結果も自ずから明確になるでしょう。「理念」が問われているのです。

 

札幌の国際交流の礎

Posted by 秋山孝二
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 読売新聞北海道支社主催第24回「ほっと茶論」で、「札幌の国際交流」と題して元札幌国際プラザ専務理事・杉岡昭子さん、池田食品社長(元札幌青年会議所副理事長)池田光司さんのご講演と鼎談がありました。

杉岡昭子さん
杉岡昭子さん

                     

杉岡昭子さんは、現在お母様の介護で、鳥取県に住まわれています。札幌の国際交流事業の基礎を創られた大変な功労者で、私自身、姉妹都市交流の担い手として、アメリカ・オレゴン州ポートランド、ロシア・ノボシビルスクとの経済活動の可能性調査等で、沢山の貴重な機会を与えて頂き、札幌とのネットワーク構築に少しは貢献出来たのではと思っています。このサイトの「’08.11.23:姉妹都市交流からの財産を活かしたい!」で少し紹介をしています。先日のお話からも、杉岡さんの前向きなご認識と今後への期待を込めた内容に、あらためて感動致しました。以下、印象に残ったメッセージを書き留めます。

*原田與作市長、「外国から一人いらっしゃれば10人でお迎えしなさい」

*姉妹都市交流ー>北方都市会議ー>国際協力への発展

*「あの国は」ではなく、「あの人がいる国」のはず:人と人との信頼の絆ーー当時の札幌は姉妹都市ネットワークでのリーダー

*姉妹都市交流を基盤に、経済・文化・スポーツとでの交流に発展:それを支えたホームステイ等の多様な札幌の「市民力」

*国際交流は役所だけでは無理、多様な市民の活動が不可欠

――今で言う「協働」の先駆けですね、ただ根底に市民活動への信頼と尊敬の念が今よりはるかに行政側にありましたね。

*コンベンション事業: 当時理解していた都市は皆無、四面楚歌の中「札幌がやる!」と手を挙げて、「まちづくり」の軸として先駆けて実践

*札幌の国際性: 1930年からの「宮様大会」、1950年からの「雪まつり」、そして1972年札幌冬季五輪、PMF等へ

*国際交流の土台「北方都市会議」――北方のくらしに根ざした“まちづくり”、第一回目は9カ国11都市の参加で、テーマは「冬と雪」、札幌市の除雪活動は先進的だった。66項目のテーマが提起されて、その中には「スタッドレスタイヤの使用」、「ナトリウム灯の街灯」等が含まれていた。特にこの会議の意義は、市役所内の技術部門への影響が大きかった事。国際交流が新たな段階へ進化していった

*苦労したことは、役所内の「前例がない」という反応:  人間が創ったものは壊せるのだ、という発想は大切。なぜなら国際交流はほとんどすべて「初めてのこと」ばかり

*国際交流における行政の役割――10年先を見据えての仕事、基盤づくりに責任を持つ

*経済界ともっと意見交換をすべきだった

*今、思う事: 北方都市会議では、会議の合い間合い間のコミュニケーションが重要、技術部門で英語の話せる人が必要、システム的な人材育成プログラムの必要性を痛感

*「時代」というものがある: その時代、その時代の課題と解決策、一度創ったものを切る勇気も必要。天神山ゲストハウス・姉妹都市コーナー等は、時代に沿った形での変遷と理解すべきで、価値が無くなった訳ではない。今関わっている人たちが考えて判断すべき。税金を使っているのだから、今その任にある方が責任ある判断をするのが最適である。

*女性の台頭――チャンスを与えるだけで十分、力ある人は必ず伸びてくる

出席した方々に杉岡さんの知った顔も多く、「まるで同窓会」と評されていましたが、参加者はとにかくお世話になった等、感謝の念を率直に語る方が殆どでした。私の時代は終わった、と控えめにお話をされていましたが、参加された多くの札幌市民の心の中には、しっかりと杉岡さんの情熱が受け継がれています。

グローバルな時代、今こそ地域が直接世界と結びつく絶好のチャンスです。こんな感じで時代背景をまとめる事も出来るのかと、先日の大学講義資料からの引用です。

*グローバル化:「地域」の位置づけの変化

国境が無くなる――> 「国」ではなく、「都市・地域」という単位で繋がる

キーワード: 個性(地域最適の実現:特色ある発展)、自立、競争、責任

 

「最初に井戸を掘った人を忘れるな!」、私の好きな言葉です。札幌の国際交流の礎は、間違いなく杉岡昭子さんによって築かれました。これからもお元気で、またお会い出来るのを楽しみにしています。今回の詳報は5月27日読売新聞朝刊で特集されるとの事です。

 

街に出れば、懐かしい人との出会い

Posted by 秋山孝二
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  札幌のまちは190万都市と言えども、中心部の繁華街を日中20分程も歩くと、必ず知った人に会うから面白いです。この数ヵ月間、駅の構内、地下鉄駅の通路他で、懐かしい人たちと「劇的に」お会いしました。

4月初めにJR札幌駅を地下鉄から北口方面に向かって歩いていると、昔の会社のMさんと思われる人が軽い足取りでやってくるではありませんか。思わず声を掛けるとあちらも「お久しぶりです」と、変わらぬ「笑顔」でご挨拶。「あと数ヵ月で定年となり、稚内勤務から札幌に戻り、暫く本社に居る事になりました」と。初めて会ったのはもう30年以上前になりますか、それ以来いつも若くて溌剌とした雰囲気の彼も定年というのは、俄かには信じられないのですが、時の流れは確かなのでしょう。素晴らしい笑顔のお陰で、一日中私は力を頂きました。彼の札幌での充実した生活を祈念しています。

それから間もなく、今度は朝の地下鉄円山公園駅の通路でした。公立高校の入学式の日で、お子さんと親と思われる姿が何組も通り過ぎて行きました。と向こうから来る若く見える男性、あちらも私を見ていたその時、「S・N」と思わずフルネームで呼びとめたのです。ほぼ同時に「しばらくです」と元気な声が返ってきました。今、会社で首都圏の営業部の幹部となって活躍している事、今年から娘さんが市立旭ヶ丘高校に入学した事を短い会話のやり取りで知りました。日に焼けて元気あふれる顔つきに、随分大人になったなと思うと同時に、これからも期待したい気持が湧いてきましたよ。

更に、かでる2・7でフォーラムがありその帰り道、大通公園を横切って歩いていると、後の方から男性の声で「秋山社長ではありませんか」と。振りむくと一瞬名前は出てこなかったけれども懐かしい笑顔の顔、そして隣には会社の同期の女性も。「今どこにいるの」と聞くと、「保険会社にいます」との返事でした。すぐに名前も思い出し、入社年月日を聞くと100周年後でしたから私が社長の時です。背の高い爽やかな彼は、当時入社1年後に新入社員への歓迎の辞か何かを述べた事で記憶に残っていました。10分以上も路上で話をしていましたかね、連絡先を聞いて別れましたが、その日も何かとても自分自身元気が出ていました。

先週の土曜日夜に、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/出身者の会「ケンユー会」愛生舘支部の総会・懇親会が例年通り開催されました。1998年に(株)スズケンと(株)秋山愛生舘が合併した後、当時秋山愛生舘の出身者の会だった「愛進会」もスズケンの出身者の会「ケンユー会」と合併したのです。会社の合併は今では良くある話になりましたが、出身者の会(OB・OG会)も合併というのは大変珍しい事だと思いますね。多くの場合は、出身者というのは合併等には批判的、或いは現在の経営幹部をはじめとする現役に対しても否定的です。毎年ではありますが、先日は特に参加者も多く、現在の会社の状況・新しい取り組み・今後の展望等も本社の現役副社長から説明があり、出席した皆さんは大変興味を持って聴いていました。

10周年記念で作成した支部旗

10周年記念で作成した支部旗

昭和20・30年代に会社で仕事をした方々は、「自分にとって、会社で学んだ事が人生のすべてだった」とおっしゃっていました。古き良き時代と言ってしまえばそれでお仕舞いですが、お花見、海水浴、年末もちつき、新巻しゃけの12月ボーナス、会社が大家族のようで懐かしい時代でした。
50歳を越えてくると、体力的には確かに衰えを感じはしますが、思い出の分母は大きく拡がっているので、人との再会をはじめ沢山の体験に基づく多様なストーリーによって、繰り返し繰り返し自分自身で楽しめるみたいな、そんな充実した気分になるのが不思議です。特に人との思い出では、相手の成長と変化(決して老化とは言いません)も楽しめて一層物語に深みが増しますね。
先日の出身者の会では、「眉毛から額のあたりがお父さんそっくりになってきたわね」とか、悪ガキで倉庫・事務所で遊びまわった私を家族のように評した女性もいらっしゃいました。皆さん、会社を離れてもうかなりの年数が経ているにもかかわらず、懐かしい思い出・貴重な経験として心に残っている素晴らしさ、今会社で働く人々も是非将来そんな感動を持って頂きたいと祈るばかりです。
10周年を記念して撮影した集合写真の出来上がりが楽しみです。

レラ・フォーラム第7回~アフリカから見える世界~

Posted by 秋山孝二
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 酪農学園大学http://www.rakuno.ac.jp/は、黒澤酉蔵が唱えた「健土健民」思想、および学理に基づく実学教育を理念としています。

牛も歓迎してくれます

牛も歓迎してくれます

 

環境システム学部の森川純教授http://www.seeds-rakuno.com/seeds_detail.php?id=147の教え子たちが主催する「レラ・フォーラム」は、先日の例会で第7回を迎えました。今回も1年生から4年生の学生と社会人(経営者)が自主的に集まり、アットホームで不思議な雰囲気でお話を聴き、その後いつもの様にテーブルを囲んでの懇談会では貴重な意見交換でした。
例会時に私はいつも早めに大学キャンパスに行きます。それは生協の12時20分までの限定販売「ソフトアイスクリーム」を食べる為です。口の中でとろける様な、本当に最高のアイスクリームですよ。締切時間近くはいつも行列です。夏休み・冬休み中
休みの時もあり、これまでカラ振りも何回かあって残念でした。
先日は第7回、森川先生の「アフリカから見える世界」で、今までお聴きした事のないお話の数々は大変興味深い時間でした。
このシリーズ、来月は理事長の麻田信二さんで「農的に生きるとは?」です。2回目の登場となります。
森川先生のお話の中から
*1942年日本海軍がヒトラーの依頼により、偵察任務でイ号潜水艦をアフリカに派遣したーーマダガスカルの英国部隊を攻撃
一時的にアリューシャン・ミッドウエー・インド洋の制海権(?)――今回のソマリヤ沖の自衛隊派遣への危惧
*第二次世界大戦で、アフリカは植民地部隊として英国軍によって組織され、アジア戦線で日本軍と対峙
*「国際援助」は、アフリカは人材の貧困な低開発国という前提で行っているーー大きな認識の誤り、アフリカには豊富な人材
*アフリカと縁の深い商品:BMW、赤いバラ、タコ、携帯電話のレアメタル、印鑑、ワカメ、コンブ等
*アフリカとは何処か?地理学的な常識を疑ってみる
*時間と空間を飛び越える「Identity」と「Pride」
*アフリカ大陸自体の持つ多様性と共通性
*サハラ地帯は、5000年ほど前は水と緑と多様な生き物に恵まれていた世界
*意味深いことわざ「眼は食べなくても酸っぱいマンゴーが分かる」、「バナナはゆっくりと熟す」、「2頭の象が争うと泣くのは草」
*世界が変えてきたアフリカ、アフリカが変えてきた世界
これまでアフリカに関しては、恥ずかしい程無知な私でした。歴史・産業・文化等全ての部分においてです。人類の発祥の地、出発点の認識を新たにしたひと時でした。

愛生舘の「こころ」 (4)

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 愛生舘のロゴマーク(高松保郎の家紋)「三つうろこ」は北條氏の紋としても知られていますが、私にとってはこだわりの一つなのです。秋山家の家紋は「まるに平井筒」で、愛生舘のロゴとは異なっています。随分昔に、明治時代の支部開設時に贈られた「愛生舘北海道支部の大鏡」が、暫くの間物置に仕舞われていた時がありました。会社の倉庫と共に遊び場としていた物置、隠れ家のようにいろいろな古い家具等が置かれているややかび臭い空間で、私は幼い頃にこの愛生舘の剥げかけた「三つうろこ」のロゴを不思議な感じで見ていたのを何故か覚えています。

東京の愛生舘館主高松保郎の死去後に、北海道支部長だった初代秋山康之進(私の曽祖父)が1891(明治24)年に「秋山愛生舘」を設立した時も、会社は家紋ではなくこの「三つうろこ」を引き続き自社のロゴとして、明治・大正・昭和・平成時代を100年以上生きたのです。私にとって、ものごころついた時からこのロゴに象徴されるように、「秋山愛生舘」はファミリーとは別の大切な「事業」でした。と同時に、初代秋山康之進が愛生舘事業継承への強い意志を持っていたと感じざるを得ません。

愛生舘大鏡

愛生舘大鏡

まるに平井筒

まるに平井筒

 

 

初代 秋山康之進

初代 秋山康之進

君たちの出番だよ、経営学部での講義

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  私は、札幌学院大学商学部(今年度から経営学部に改組http://www.sgu.ac.jp/management/index.html )の客員教授として、時々講義をしています。

大学からの山並み
大学からの山並み

 先日は1年生200余名を対象に、「企業・組織と経営者の役割」と題して、経営の極めて基本的事項を伝えたつもりです。まだ、大学生活1か月少々のせいか、高校生の雰囲気も漂っていて、「経営」というテーマをどこの視点から、どの程度の深さまで語るのが適切なのか、若干の戸惑いもありましたが、別の意味では最初なので印象も強いはず、経営の面白さと楽しさも理解して貰いたいものとの欲張った気持もありましたね。「今という時代」、「日常活動としての経営」、「実際の社長の仕事とは?」、そして最後は「皆さんに期待する事」で結びとしました。今の閉塞する社会を打開するのは、間違いなくこの若い世代でしょう。

今年4月からの経営学部開設を記念して、数か月以内に「記念論文集」が電子情報で発行されると思います。そこに私も今回の講義と同じテーマ「企業・組織と経営者の役割」で投稿しています。この数年間、組織の責任ある立場の人間達の身の処し方に強い疑問を抱いていて、特に経営者の役割と責任の取り方について、こだわりを持っていました。「総無責任社会」とでも言えるような現状では、次を担う若い世代が全うに育つはずがありませんね。                              

愛生舘の「こころ」 (3)

Posted by 秋山孝二
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 ペギー葉山の「学生時代」の歌詞、「ツタの絡まるチャペル」で有名な青山学院大学http://www.aoyama.ac.jp/に初めて行き、片桐一男先生http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%95%D0%8B%CB%88%EA%92j/list.html ご夫妻と20数年ぶりにお会いしました。

ツタの絡まるチャペルで

ツタの絡まるチャペルで

片桐一男先生は、すでに「愛生舘のこころ(1)」でご紹介しましたように、「松本良順と愛生舘」の研究を長年されています。6年前に青山学院大学を退任された後も、毎年全国各地で講演をされています。その中で、長崎におけるオランダ人ポンぺと海軍伝習・医学伝習、そこでの勝海舟、松本良順との出会い、長崎大学医学部との関係等、実に興味深い歴史の研究で高い評価を得ています。

ポンペ・ファン・メールデルフォールト(1829-1908)はオランダの海軍軍医。東インド各地で勤務中に、オランダ海軍による日本の海軍伝習第二次教育派遣隊の一員として1856(安政4)年に長崎に渡来、松本良順やその弟子の幕医・諸藩医学生を教育しました。このあたりに関しては、司馬遼太郎著「故蝶の夢」http://machi.monokatari.jp/a2/item_1362.html にも、少し語られています。

日本の近代化のはじまりは、「1853年ペリー浦賀来港」と昔から歴史で習っていますが、実はその10年近くも前に、アメリカのキャプテンクーパーが捕鯨船団長として、日本人漂流民22名を救助して浦賀に寄港しているのです。その辺の詳細は、寺島実郎さんのラジオ番組 http://www2.jfn.co.jp/tera/archive_doga.htmlの中で、「2008年10月の動画その2Vol.2」で紹介されています。砲艦外交などではなく、極めて人道的な目的での訪問であり、日本人がアメリカを目の当たりにしたまさに最初でした。その他歴史をよく調べてみると、この前後にヨーロッパ各国要人の訪問も数多くあったと記録されています。

そんな中で、江戸時代の外国との窓口長崎では、ポンぺが海軍伝習・医学伝習で滞在し、特に「近代西洋医学の父」として数多くの事業の種を蒔き、歴史にその名を刻まれています。1858年伝染病治療、1861年養生所・医学所の設立(長崎大学医学部の原点)等とともに、1848年オランダ王国が民主主義に基づく憲法を制定した時代の影響も受けて、ポンぺはその民主主義に立脚した医療を施した、と記録に明記されています。

彼の医学教育伝習は5年間に渡り、解剖学から物理学、薬理学、生理学他全般に及んだ一方、その講義を筆写し、日本語で分かりやすく復講したのが、松本良順でした。学びに集どった延べ40名を越える幕臣伝習生・諸藩伝習生は、松本良順の言わば「弟子たち」であり、それ故に「近代西洋医学のもう一人の創立者松本良順」と、今でも語られているのです。1861年養生所・医学所設立時、初代頭取となりました。長崎大学医学部の創立者であり、現在も大学構内にポンぺとともに顕彰碑として配置されています。また、創立150周年記念事業として長崎医学同窓会が記念同窓会館を建て替え、「良順会館」となっています。http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/med/top/message.html

その後、良順は江戸への帰還を命じられて、1963年緒方洪庵逝去の後の医学所(東京大学医学部の前身)の頭取となりました。1866年幕府軍が長州征伐で敗退した時、大阪城で病む将軍家茂公を治療し、その臨終も看取っています。幕府の海陸軍軍医制を編成し、総取締になり、15代徳川慶喜の信頼も厚かったようです。戊辰戦争では江戸城明け渡し後に会津に下り、藩校日新館に野戦病院を開設し、戦傷兵をポンぺ直伝の軍陣外科で治療を行いました。会津落城後捕えられましたが、ほどなく囚を解かれて、1870年早稲田に洋式病院を設立しました。

1871年、山県有朋の請いにより陸軍軍医部を編成し、1873年初代陸軍軍医総監に就任したのです。この後に、多くの医学啓蒙書を世に出して、その中で「通俗民間治療法」により一般人に衛生思想の心得を広めました。同時に、高松保郎が館主の「愛生舘」事業の目的、庶民への衛生思想と安価な薬の普及にも共鳴し、全面的な支援を行いました。医師の診療を受けられない貧しい人々のために、自分が処方した三十六方(種類)の薬を安く手に入るようしたのです。また、庶民に牛乳を飲む事を奨励したばかりでなく、日本に海水浴を定着させたのも松本良順であり、予防医学、健康増進の先駆けです。現在も湘南の大磯海岸に記念碑が建っています。

社会が混乱し、国をはじめとする官の政策では間に合わない明治維新前後の時代に、自立した民間活動として「愛生舘」事業のこころがあったこと、私は今、21世紀における「愛生舘」事業の再構築の原点を見つけた思いです。

プラハのオバマ演説とミシェルの魅力

Posted by 秋山孝二
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 4月5日、チェコの首都プラハでオバマ米大統領は演説し、これまでから大きく舵を切り、「核のない世界」の実現に向けた新政策を打ち出しました。包括的核実験禁止条約(CTBT)を米国が批准することをめざし、核兵器原料の生産を停止する新条約交渉など具体的な施策に取り組む意向表明でした。

その中で、その後私が出席した幾つかのフォーラムでも、演者が紹介していたフレーズが下記です。大統領就任後は封印していた「Yes,we can」を、この演説の15分過ぎに久しぶりに語り、大きな拍手を浴びていました。「歴史的演説」との評価もあるようです。

http://jinandtonic.air-nifty.com/blog/2009/04/post-c97d.html

・・・・ So today, I state clearly and with conviction America’s commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons. (Applause.) I’m not naive. This goal will not be reached quickly –- perhaps not in my lifetime. It will take patience and persistence. But now we, too, must ignore the voices who tell us that the world cannot change. We have to insist, “Yes, we can.” (Applause.)

Human destiny will be what we make of it. And here in Prague, let us honor our past by reaching for a better future. Let us bridge our divisions, build upon our hopes, accept our responsibility to leave this world more prosperous and more peaceful than we found it. (Applause.) Together we can do it.・・・・・・・

演説の内容もさることながら、「この時代のこの時期に、こう言った格調高い演説をするリーダーを戴くアメリカ国民が羨ましい」とおっしゃる日本国民も多いです。何を言いたいかはお分かりでしょう!

そして更にです、ミシェル・オバマも魅力的ですね。先日彼女の生い立ちを語る本も読みました。近い過去のアメリカに、これ程の人種差別が存在していたこと自体も驚きですが、そういった中でたくましく生きてきた彼女のこれまでの人生と、その彼女が現アメリカ大統領の妻、ファーストレディである事に希望を抱きます。http://ameblo.jp/100312120618/entry-10115328324.html

グラン・トリノ、フロスト×ニクソン

Posted by 秋山孝二
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 クリント・イーストウッド主演「グラン・トリノ」http://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/、伝説のインタビュー「フロスト×ニクソン」http://www.frost-nixon.jp/ は面白かったですね。

「グラン・トリノ」は、「硫黄島からの手紙」にも通じる78歳のクリント・イーストウッドのメッセージを感じました。音楽も印象的でしたが、自らの命の価値をラストシーンで見せつける、以前日本映画でも同じ様な衝撃を受けたのを思い出しました。「武士道」にもつながるいのちの終わり方の価値とでもいうのでしょうか。

チラシには「俺は迷っていた、人生の締めくくり方を。少年は知らなかった、人生の始め方を」とありました。フォード車「グラン・トリノ」を媒介として、老人から若者への命の繋がりを受け止めたつもりです。日本車営業の息子、朝鮮での軍隊経験等、アジアとアメリカとのこの間の歴史でも、彼は何か課題を提起したかったのではないでしょうか。

「フロスト×ニクソン」は、1970年代を彷彿させました。フロストの髪型もそれを象徴していましたね。「マスメディアの王座に駆け上がろうとする男:フロスト」と、「政界の王座から引きずり降ろされた男:ニクソン」とのインタビュー番組を通しての迫真の対決の経過は、次第に双方の立場が変わっていく様子が分かり、映像の説得力を感じました。

現実として、大統領経験者でウオーターゲート・スキャンダルで権力の座を引きずり降ろされたニクソン、過熱するメディア競争の中でスポンサー探しに奔走しながらも巨大アメリカ市場への野心を燃やし続けるフロスト、ともに日本の同様な経験を持つ人物と比較して、良い意味でも悪い意味でも目的達成への激しさと気迫を感じます。それぞれのスタッフ(陣営)の切れのある能力と魅力、延々と続く会話にも飽きることもなく、あっという間の2時間少々でした。

温泉、札幌のみずがめ:豊平峡の春

Posted by 秋山孝二
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定山湖(ダム上流)

定山湖(ダム上流)

 

豊平川源流(ダム下流)

豊平川源流(ダム下流)  

もう40年以上前になりますが、高校入学して間もなく、クラスの新しい友人2名と、豊平峡ダム完成前の渓谷をハイキングに行きました。画面左上のトンネルの見える細い川沿いの道を歩いたような気がします。途中、山道横に出てきた「青大将」を友人の一人が見つけて、手際よく遠くに投げた光景を、何故か今でも覚えています。豊平峡温泉から電気バス乗り場まで、上り道で徒歩約45分かかりますが、途中の白樺他草花が本当に美しかったですね。

神宮参道のさくら

神宮参道のさくら

一方、北海道神宮のさくらは今が満開です。円山公園方面は、焼き肉のニオイでいっぱい。途中の梅林付近はカラオケが騒音でした。昔は紅白の幕を木と木の間に張ったりして・・・。今はブルーの場所取りシートと、時の流れとともに色・形も変遷しますね。もう一つ、私の幼い頃の食べ物は、重箱にお稲荷さんとおにぎり、飲み物はオレンジジュースと大人は一升瓶の日本酒だったような気がします。

裁判員制度とメディア

Posted by 秋山孝二
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 今年2月に設立されたメディア・アンビシャスhttp://media-am.org/主催の「裁判員制度とメディア」が開催されました。今回は1)制度に対する提言、2)裁判員になる人への提言、3)メディアに対する期待と提言、を目的としたパネルディスカッションでした。

今月5月21日から実施される日本の裁判員制度は、アメリカ型の「陪審制」ともヨーロッパ型の「参審制」とも違った独自の制度とのことです。http://www.saibanin.courts.go.jp/introduction/

制度に対する課題の提起、期待する事等、パネラーの方から発言があり、その後フロアーからの質問に対してのコメントもありました。「市民感覚」をどう刑事裁判に取り入れるか、制度開始以降も慎重に推移を見極めて、制度の修正に対しても真剣な議論が必要な気がしました。また、メディアのこの制度に与える重要性も指摘され、昨今の一連の過剰報道に対する不信感も強く指摘されていました。以下、幾つかのキーワードを書きとめておきます。

*本来は、「小さな政府」=「小さな権力」、と思いこんでいたが、実は「責任のアウトソース化」に過ぎず、権力は保持するという  グロテスクな姿の一つが、今回の裁判員制度である

*現在の絶望的裁判の改革に別の方法がないのか、という素朴な疑問。検察有利には変わりはない

*「量刑の判断」を裁判員に課すのは、過大な負担ではないか

*迅速な裁判の手段としてこの制度導入があるとすれば、拙速な裁判への懸念の方が重要。国家が行う人権侵害に対しては慎重であるべき

*「公判前審議」に市民を入れなくて良いのか

*自由に辞退できないのは、「苦役の強要」ではないか: 参加する権利とすべき

*守秘義務があまりにも広すぎるのは、むしろプロセスの検証が出来ずに密室化する

*メディアの立場としては、取材できる部分がほとんどない

*この制度がなぜ必要なのか、国民に説明できていない――棚上げして導入したのではないか

*裁判のワイドショー化に拍車をかける危険性とメディアの裁判員判断への影響力

*当局の“ほのめかす供述”という発表について、本来の意味を捜査側・メディア側は承知しているが、国民は理解していない

*国民・メディアは検察の正当性を注視し、裁く対象は被告人ではなく、検察そのものである

*捜査中心から公判中心の報道へ

*被疑者の人権、犯罪者の社会復帰等の更生保護が重要

*これまでのようなメディアと世論の熱狂の中で、どこまで「市民感覚」が理性的でいられるのか

*権力の質的変化を促すのではないか: すなわち刑罰の質が変化し、国家のあり方が変わる

一生に一度とは言え、量刑判断までに及ぶ新しい「裁判員制度」、どんな分野においても新しい社会制度導入には、念入りの慎重な周知徹底と時間が必要であったと思います。そして今となっては、「仕方がない」ではなく、導入後も改革すべきは速やかに発言し行動する責任が、国民にはあると思います。「思考停止」であってはなりません。これまで私は裁判の傍聴には何回も足を運んでいますが、あの場の強い違和感は「タコ壺」の雰囲気です。分かる人が分かれば良いと言ったメッセージが法廷から発信されています。今回の新しい制度が、これまでの裁判官の市民への姿勢、及び裁判そのものの改革の風穴となる事を願ってやみません。

“世界先住民族ネットワーク AINU”

Posted by 秋山孝二
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  昨年の北海道洞爺湖でのG8サミットを機会に 、一昨年・昨年・今年と、国内・海外のNGO等を中心とした市民活動も大変活発でした。その中で、特筆する新たな動きの一つが、「世界先住民族ネットワーク AINU」の設立です。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/161450.html                      

役員紹介:09.4.25創立の集い

役員紹介:09.4.25創立の集い

 先月、「創立の集い」が札幌で開催されました。その場で、昨年の「G8サミット市民フォーラム北海道」の共同代表として、私はご挨拶を致しました。http://www.kitay-hokkaido.net/

・・・・・・・一昨年9月にこの場所で、キックオフ・ミーティングが行われました。その時、「先住民族サミット」の企画説明の冒頭に結城幸司さんが、「今回、アイヌはお客さんとしてでもゲストとしてでもなく、活動当事者としてフォーラムを開催する。そして、過去を見つめると同時に、自分の子供・孫たち世代のアイヌ民族が堂々と胸を張って生きていける、そんな社会にすべく活動したい。」と力強く語ったのを鮮明に覚えています。昨年7月の市民サミットオープニングでは、アイヌアートプロジェクトがお祈りの舞い、クロージングでは木幡カムイサニヒさんが、先住民族サミットの成果報告をされました。一連の活動を傍で見ていた私には、自信満々に感じていましたが、終了後の報告会で島崎さんのお話によると、「財政的にはハラハラドキドキの連続だった」とか。・・・・・・

サミット後、「先住民族サミット」で得た力を糧に、それを担った方々が、「アジア太平洋女性法律と開発フォーラム会議」への参加、「第8回世界の先住民族教育会議(WIPCE)」への参加http://www.cais.hokudai.ac.jp/event/e_kouen.html、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/index.html」に対する提言等、一まわりも二まわりも進化した活動を展開していますね。先日の集いでもDVDを見ながら、大きな自信を獲得された姿を再確認しました。来年カナダで開催予定の「第2回先住民族サミット」はじめ、今年も幾つかの国際会議への参加等が当面の活動になるのでしょう。先住民族の人権獲得は、当事者の方々ばかりではなく、北海道民、日本国民一人一人の再認識の問題ですし、今後の多様な価値を認める社会づくりへの必須課題として、教育の優先順位の高い課題でもあるに違いありません。