読売新聞北海道支社主催第24回「ほっと茶論」で、「札幌の国際交流」と題して元札幌国際プラザ専務理事・杉岡昭子さん、池田食品社長(元札幌青年会議所副理事長)池田光司さんのご講演と鼎談がありました。
杉岡昭子さんは、現在お母様の介護で、鳥取県に住まわれています。札幌の国際交流事業の基礎を創られた大変な功労者で、私自身、姉妹都市交流の担い手として、アメリカ・オレゴン州ポートランド、ロシア・ノボシビルスクとの経済活動の可能性調査等で、沢山の貴重な機会を与えて頂き、札幌とのネットワーク構築に少しは貢献出来たのではと思っています。このサイトの「’08.11.23:姉妹都市交流からの財産を活かしたい!」で少し紹介をしています。先日のお話からも、杉岡さんの前向きなご認識と今後への期待を込めた内容に、あらためて感動致しました。以下、印象に残ったメッセージを書き留めます。
*原田與作市長、「外国から一人いらっしゃれば10人でお迎えしなさい」
*姉妹都市交流ー>北方都市会議ー>国際協力への発展
*「あの国は」ではなく、「あの人がいる国」のはず:人と人との信頼の絆ーー当時の札幌は姉妹都市ネットワークでのリーダー
*姉妹都市交流を基盤に、経済・文化・スポーツとでの交流に発展:それを支えたホームステイ等の多様な札幌の「市民力」
*国際交流は役所だけでは無理、多様な市民の活動が不可欠
――今で言う「協働」の先駆けですね、ただ根底に市民活動への信頼と尊敬の念が今よりはるかに行政側にありましたね。
*コンベンション事業: 当時理解していた都市は皆無、四面楚歌の中「札幌がやる!」と手を挙げて、「まちづくり」の軸として先駆けて実践
*札幌の国際性: 1930年からの「宮様大会」、1950年からの「雪まつり」、そして1972年札幌冬季五輪、PMF等へ
*国際交流の土台「北方都市会議」――北方のくらしに根ざした“まちづくり”、第一回目は9カ国11都市の参加で、テーマは「冬と雪」、札幌市の除雪活動は先進的だった。66項目のテーマが提起されて、その中には「スタッドレスタイヤの使用」、「ナトリウム灯の街灯」等が含まれていた。特にこの会議の意義は、市役所内の技術部門への影響が大きかった事。国際交流が新たな段階へ進化していった
*苦労したことは、役所内の「前例がない」という反応: 人間が創ったものは壊せるのだ、という発想は大切。なぜなら国際交流はほとんどすべて「初めてのこと」ばかり
*国際交流における行政の役割――10年先を見据えての仕事、基盤づくりに責任を持つ
*経済界ともっと意見交換をすべきだった
*今、思う事: 北方都市会議では、会議の合い間合い間のコミュニケーションが重要、技術部門で英語の話せる人が必要、システム的な人材育成プログラムの必要性を痛感
*「時代」というものがある: その時代、その時代の課題と解決策、一度創ったものを切る勇気も必要。天神山ゲストハウス・姉妹都市コーナー等は、時代に沿った形での変遷と理解すべきで、価値が無くなった訳ではない。今関わっている人たちが考えて判断すべき。税金を使っているのだから、今その任にある方が責任ある判断をするのが最適である。
*女性の台頭――チャンスを与えるだけで十分、力ある人は必ず伸びてくる
出席した方々に杉岡さんの知った顔も多く、「まるで同窓会」と評されていましたが、参加者はとにかくお世話になった等、感謝の念を率直に語る方が殆どでした。私の時代は終わった、と控えめにお話をされていましたが、参加された多くの札幌市民の心の中には、しっかりと杉岡さんの情熱が受け継がれています。
グローバルな時代、今こそ地域が直接世界と結びつく絶好のチャンスです。こんな感じで時代背景をまとめる事も出来るのかと、先日の大学講義資料からの引用です。
*グローバル化:「地域」の位置づけの変化
国境が無くなる――> 「国」ではなく、「都市・地域」という単位で繋がる
キーワード: 個性(地域最適の実現:特色ある発展)、自立、競争、責任
「最初に井戸を掘った人を忘れるな!」、私の好きな言葉です。札幌の国際交流の礎は、間違いなく杉岡昭子さんによって築かれました。これからもお元気で、またお会い出来るのを楽しみにしています。今回の詳報は5月27日読売新聞朝刊で特集されるとの事です。