街に出れば、懐かしい人との出会い

Posted by 秋山孝二
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  札幌のまちは190万都市と言えども、中心部の繁華街を日中20分程も歩くと、必ず知った人に会うから面白いです。この数ヵ月間、駅の構内、地下鉄駅の通路他で、懐かしい人たちと「劇的に」お会いしました。

4月初めにJR札幌駅を地下鉄から北口方面に向かって歩いていると、昔の会社のMさんと思われる人が軽い足取りでやってくるではありませんか。思わず声を掛けるとあちらも「お久しぶりです」と、変わらぬ「笑顔」でご挨拶。「あと数ヵ月で定年となり、稚内勤務から札幌に戻り、暫く本社に居る事になりました」と。初めて会ったのはもう30年以上前になりますか、それ以来いつも若くて溌剌とした雰囲気の彼も定年というのは、俄かには信じられないのですが、時の流れは確かなのでしょう。素晴らしい笑顔のお陰で、一日中私は力を頂きました。彼の札幌での充実した生活を祈念しています。

それから間もなく、今度は朝の地下鉄円山公園駅の通路でした。公立高校の入学式の日で、お子さんと親と思われる姿が何組も通り過ぎて行きました。と向こうから来る若く見える男性、あちらも私を見ていたその時、「S・N」と思わずフルネームで呼びとめたのです。ほぼ同時に「しばらくです」と元気な声が返ってきました。今、会社で首都圏の営業部の幹部となって活躍している事、今年から娘さんが市立旭ヶ丘高校に入学した事を短い会話のやり取りで知りました。日に焼けて元気あふれる顔つきに、随分大人になったなと思うと同時に、これからも期待したい気持が湧いてきましたよ。

更に、かでる2・7でフォーラムがありその帰り道、大通公園を横切って歩いていると、後の方から男性の声で「秋山社長ではありませんか」と。振りむくと一瞬名前は出てこなかったけれども懐かしい笑顔の顔、そして隣には会社の同期の女性も。「今どこにいるの」と聞くと、「保険会社にいます」との返事でした。すぐに名前も思い出し、入社年月日を聞くと100周年後でしたから私が社長の時です。背の高い爽やかな彼は、当時入社1年後に新入社員への歓迎の辞か何かを述べた事で記憶に残っていました。10分以上も路上で話をしていましたかね、連絡先を聞いて別れましたが、その日も何かとても自分自身元気が出ていました。

先週の土曜日夜に、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/出身者の会「ケンユー会」愛生舘支部の総会・懇親会が例年通り開催されました。1998年に(株)スズケンと(株)秋山愛生舘が合併した後、当時秋山愛生舘の出身者の会だった「愛進会」もスズケンの出身者の会「ケンユー会」と合併したのです。会社の合併は今では良くある話になりましたが、出身者の会(OB・OG会)も合併というのは大変珍しい事だと思いますね。多くの場合は、出身者というのは合併等には批判的、或いは現在の経営幹部をはじめとする現役に対しても否定的です。毎年ではありますが、先日は特に参加者も多く、現在の会社の状況・新しい取り組み・今後の展望等も本社の現役副社長から説明があり、出席した皆さんは大変興味を持って聴いていました。

10周年記念で作成した支部旗

10周年記念で作成した支部旗

昭和20・30年代に会社で仕事をした方々は、「自分にとって、会社で学んだ事が人生のすべてだった」とおっしゃっていました。古き良き時代と言ってしまえばそれでお仕舞いですが、お花見、海水浴、年末もちつき、新巻しゃけの12月ボーナス、会社が大家族のようで懐かしい時代でした。
50歳を越えてくると、体力的には確かに衰えを感じはしますが、思い出の分母は大きく拡がっているので、人との再会をはじめ沢山の体験に基づく多様なストーリーによって、繰り返し繰り返し自分自身で楽しめるみたいな、そんな充実した気分になるのが不思議です。特に人との思い出では、相手の成長と変化(決して老化とは言いません)も楽しめて一層物語に深みが増しますね。
先日の出身者の会では、「眉毛から額のあたりがお父さんそっくりになってきたわね」とか、悪ガキで倉庫・事務所で遊びまわった私を家族のように評した女性もいらっしゃいました。皆さん、会社を離れてもうかなりの年数が経ているにもかかわらず、懐かしい思い出・貴重な経験として心に残っている素晴らしさ、今会社で働く人々も是非将来そんな感動を持って頂きたいと祈るばかりです。
10周年を記念して撮影した集合写真の出来上がりが楽しみです。