2018年4月27日、板門店

Posted by 秋山孝二
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 2018年4月27日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長は、軍事境界線のある板門店で会談し、「板門店宣言」に署名して歴史的な一日となりました。

* 板門店宣言全文:https://article.auone.jp/detail/1/4/8/6_8_r_20180427_1524835601996918

 夜のテレビ、NHKニュースに登場していた南山大学教授のコメントは何ともネガティブ。歴史は一挙に変わるはずもなく、まして朝鮮半島の歴史では、基本的には休戦協定の当事者は北朝鮮とアメリカ(国連軍)ですから、構図的には6月にも想定されている米朝会談で正式な新しい枠組み交渉がなされるのは自明の理です。ただ、その前に、南北会議がこのように設定されて共通の目標を掲げたその両者の勇気に、率直にまずは拍手なのではありませんか。私は、1989年のロシア崩壊、ベルリンの壁の撤去の瞬間を思い出しました、まさに20世紀の冷戦構造の終結です。7年前にベルリンを訪問した時、その瞬間を自らの肌で感じました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10458

 今回、金正恩氏は北朝鮮の指導者として初めて軍事境界線を200mの徒歩で越え、韓国側に足を踏み入れました。午前は韓国側施設「平和の家」で同席者を交えて1時間40分会談、午後にも屋外を散策する途中で約40分間2人だけで会談し、その後で共同記者発表に臨みました。私はテレビでその様子を見ていて、共通の言語・民族が、もちろん世界の目を意識してではありますが、向き合って話す姿に、まさに歴史の瞬間に立ち会っている気がしました。

今朝の新聞各紙

今朝の新聞各紙

 宣言では「完全非核化」のほかに、朝鮮半島の平和構築に関しては「非正常的な現在の停戦状態を終息させ、確固たる平和体制を樹立することは歴史的課題」と指摘し、年内に朝鮮戦争の終戦を宣言したうえで、1953年に締結した休戦協定を平和協定に転換するため、南北米の3者或いは中国を加えた4者による会談を進めると明記しました。

 南北の緊張緩和のため、互いに武力を使用せず1992年の南北基本合意書で約束した「不可侵」の合意を再確認し順守するとし、来る5月1日から、南北の軍事境界線付近で拡声器を使って流してきた北朝鮮の住民向けの宣伝放送を中止し「すべての敵対行為を中止する」と宣言しました。

 南北は相互交流の拡大のため、北朝鮮の開城に南北共同連絡事務所を設ける方針も確認。経済協力に関しては、2007年の南北首脳会談で触れた事項を積極的に進め、鉄道や道路などの整備に関して対策を講じるとも明記しています。

 私は10年前に、演劇交流で韓国を訪問した時に、板門店ツアーに参加して現地に足を運びました。歴史の最前線にいる緊張感は今も心に残っています。

* 板門店 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=876

 その時の私のコメントです~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 いずれにせよ、相変わらずの日本外交の貧弱さを痛感しています、公式発表はともかく、複数の人的パイプがないというか。外交上は、今こそ、東アジアにおける平和と安全に関して「非核化」をキーワードにして、日本は本来のリーダーシップを発揮する時だと思います。そして、一味違う視点として、自然科学者・環境科学者を中心として、たとえば「オホーツク海の生態系」、「北東アジアの大気汚染」、「朝鮮半島の生態系」といったテーマでの、周辺6・7カ国ネットワーク形成プロジェクトを、日本がリーダーシップを取って場の構築等は出来ないものでしょうか。

 過去の歴史を受け止めながら、21世紀的テーマの新しい構想の中で平和の時代を創る、そんな時代なのだと強く思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 あれから10年を経て、何も動いていなかった日本国の姿勢、歴史の舞台から取り残される所以ですね。第二次世界大戦の戦勝国がどこで、敗戦国がどこだったのか、あらためて近い歴史をしっかり認識する必要があります、以前から私自身、声高に言ってきたことではありますが。日本は、アメリカに敗けただけでなく中国にも敗けた事実を認識しなければならず、そして、戦前、朝鮮半島を統治していたのは日本であり、中国の一部を占領していたのも日本であることを、ですね。今回の朝鮮半島の平和的統一への努力を、ただ「歓迎」といっている場合ではなく、何がしかの歴史的責任を負っての使命があるのでは、と私は強く思います。

 10年前の板門店ツアーで、向かうバスの中で聴いた「イムジン河」は、ひと際印象的でした。1969年前後の私の学生時代とも重なります。

* イムジン河 https://www.youtube.com/watch?v=eQF1xdghzGM

 東西ドイツの統合のように、今後、課題は多いでしょうが、南北朝鮮の統合により朝鮮半島の非核化への道が開かれると、韓国駐留のアメリカ軍の位置づけが変わり、ひいては日本の沖縄を中心にいるアメリカ軍基地にも変化が出てくることになります。まさに、朝鮮半島問題は、21世紀の日本のあるべき姿の課題に直結します。

 平和への道筋、一歩一歩前に進んでほしいものです、朝から興奮した2018年4月27日でした。

WNアートギャラリー春季展示会

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 栃木県益子町の「ワグナー・ナンドールアートギャラリー(http://art-museum-39.business.site/」では、今年も春の展示会が開催されています。今回は、丁度、私が毎年参加している「全国経済同友会セミナー」が宇都宮市で開かれるので、早めに入って展示会にも足を運びました。昨年は「ワグナー・ナンドール没後20年記念」で、盛たくさんの企画が大盛況でした。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%AF%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%

 今年の併設展示は、水墨画です。

水墨画

水墨画

モノトーンの魅力

モノトーンの魅力

 益子の春、穏やかな日差しの中、庭をゆっくり散策される方も多かったですね。

春の益子

春の益子

アトリエ外観と「母子像・ふるさと」

アトリエ外観と「母子像・ふるさと」

クミコ、そして、加藤登紀子

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 プロのライブは、それぞれに魅力があり、毎年結局は追いかけて足を運んでいます、世間的には何をやっているおじさんかとの冷たい視線を感じつつ・・・。このところはクミコさんと加藤登紀子さんのライブ。歌だけでなく、2時間少々、その世界に浸る楽しみは、芝居の観劇と共に、大切にしている私の時間です。美輪明宏さんの7月ライブのチケットも買っています。

 お二人のライブ~~~~~~~~~~~~~~~~

< クミコ >

デビュー35周年! ザ・ベスト・コンサート~最後だとわかっていたなら~

「クミコ」の画像検索結果

* 最後だとわかっていたなら (https://www.youtube.com/watch?v=Xw_lC0uLZjg

* 最後の恋 哀しみのソレアード(https://www.youtube.com/watch?v=BzoGflyWWTw

< 加藤登紀子 >

「TOKIKO’S HISTORY 花はどこへ行った」、サブタイトルは、「1968年から半世紀、2018年に贈る未来への詩(うた)」

 2000年のテレビ番組から「花はどこへ行った(https://www.youtube.com/watch?v=1tk91SF2soo

:アメリカのフォークシンガーで反戦を訴えたピート・シーガーが、ロシアの文豪ショーロホフの”静かなドン”の一節をもとに、1955年に作った名曲”花はどこへいった”は、ベトナムへの代表的な反戦歌として広く歌われたました。大女優マレーネ・ディートリッヒは、祖国ドイツへの思いをこの歌に託し、フィギュアスケート選手カタリーナ・ビットは、ボスニアへの反戦を込めて、この歌をバックにオリンピックで演技。キングトン・トリオ、ジョーン・バエズ、PPM、懐かしいですね。

加藤登紀子が獄中結婚したワケ!夫・ 藤本敏夫、娘の現在は?

あなたの行く朝 (https://www.youtube.com/watch?v=tbOYvy6zy7w

* 1968 (https://www.youtube.com/watch?v=tIdFW7ZUODQ

* 3001年へのプレリュード  (http://recochoku.jp/song/S22123787/

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これまで長く二人の歌を聴いていますが、共通するのはシャンソンを多く持ち歌にしていること。クミコさんは、銀巴里での長い下積みを経て、かなり後に大ブレイクした実力派。声に力があり、反戦へのメッセージほか、歌を通じての確固たる意志を感じます。登紀子さんは、シャンソンばかりでなく、ロシアの歌が魅力で、ハルピン生まれのルーツから現代までの歴史を歌に込め、今回は1968年からの50年をテーマに、私の生きてきた時代とも重なってエネルギーを貰った素晴らしいステージでした。私は長くトキコ倶楽部(http://www.tokiko.com/club/index.htm)の会員です。

 歌はメロディと歌詞だけでなく、その歌手の生きざまと時代を反映しているので、「没頭する時間」+「ストーリー」が、感動を生むのでしょう、ともに素晴らしいひと時でした。

我が家の庭にも春が

Posted by 秋山孝二
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 今年の私は、1月に眼科、2月に耳鼻科に通い、さらに2月末の転倒・骨折により、入院、手術、リハビリとバタバタ過ごしているうちに、外では雪が融けて春の日差しが降り注ぎ、気が付いてみると我が家の庭にも春がやってきています。

 外の流し台には、孫たちがいつのまにかお供え物。

ホタテ貝の上に

ホタテ貝の上に

それぞれ一つずつ

それぞれ一つずつ

 札幌の春は本格化、サクラもそろそろ咲き始め、円山公園は今年もまた多くの人たちとジンギスカンの煙であふれるのでしょう。

第113回 北を語る会 例会

Posted by 秋山孝二
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 異業種交流会で長く続いている「北を語る会」、なかなか例会に皆勤とはいきませんが、毎回盛りだくさんのプログラム満載です。

 これまでの「北を語る会」記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%97%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E4%BC%9A

 先日は、オホーツクに生きる会員・海田有一さんのお話とライブ演奏でした。

海田有一さん

海田有一さん

オホーツクのご紹介満載!

オホーツクのご紹介満載!

 第二部はカンテレ&クリスタルボウルのライブ演奏。

* カンテレ http://tozaimusic.com/index.php?id=i1494353442

 カンテレ はフィンランドの民族楽器の一つで、ツィター属に属する撥弦楽器の一種、フィンランドの国民的叙事詩であるカレワラの中で、老賢者ワイナミョイネンがカンテレを開発したことになっているため、フィンランドでは民族意識の象徴として扱われることも多いそうです。

* クリスタルボウル http://crystalbowlhealing.info/what

 クリスタルボウルは「シリカ(=水晶)」という粉から作られた、「おひつ」のような円筒形の楽器、ボウルひとつにつき、ひとつの音階(ドレミファソ〜)があり、優しく叩くことや、ゆっくりとこすることで、数分続く透明感あふれる音を出し、ヒーリングとしても人気のようです。

当日プログラムより

当日プログラムより

カンテレ(左)佐藤美津子さん、クリスタルボウル(右)尾藤弥生さん

カンテレ(左)佐藤美津子さん、クリスタルボウル(右)尾藤弥生さん

カンテレの生演奏

カンテレの生演奏

クリスタルボウルの奥深い音色

クリスタルボウルの奥深い音色

 二つの楽器の繰り出す音色のコラボが、空間に広がる不思議な世界を醸し出していました。

新渡戸稲造記念公園、春 2018

Posted by 秋山孝二
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 桜前線も一息ついた感、札幌は日差しは春めいてやっと雪が融けはしましたが、体感気温はまだまだといった昨今で、桜の開花はやはりゴールデンウイーク辺りでしょうか。

 先日、久しぶりに行ってみました、2014年12月16日に札幌遠友夜学校跡地に完成した「新渡戸稲造記念公園」は、4月に入って春の装いに日一日と向かっています。

* 新渡戸稲造記念公園の経緯ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92

 「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/」では、この地に記念館を建てるべく、この間、寄付集めをしています。同時に、この記念公園造成にも案内板等の文言作成で協力して、公園完成後は、公園内清掃、彫刻清掃等、ボランティア活動で記念館建設の夢を追い続けており、今年がまさに正念場です。

 昨年は花壇作り、掲示板メインテナンス、そして、今年雪融けを待ってメンバーがひと冬のゴミの清掃活動をしました。毎年少しずつではありますが、50年間この場で続いた札幌遠友夜学校のボランティア活動も多くの市民に知られてきていると思っています。掲示板の内容も新たに、今年も前進します!

雪も融けた公園、掲示板

雪も融けた公園、掲示板

「考える会」メンバーによるゴミ拾いも

「考える会」メンバーによるゴミ拾いも

掲示板には新たな告知

掲示板も綺麗に

当時の遠友夜学校の様子

あらたに当時の遠友夜学校の様子も

裏面は新たな告知も

裏面は歴史年表も整備

公園内の植栽の説明

公園内の植栽の説明

 「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」では、今年度は新たな企画として以下のような連続の「火曜講座」も開催します、多くの皆様のご参加を希望します。

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◎ 火曜講座 場所:愛生舘サロン 時間:13:30~15:00、参加費用:千円

7月10日(火)  松井博和氏 「志ある若者を育てるには」

札幌農学校精神や新渡戸稲造のこころで未来を担う若者の育成を!

8月7日(火) 木原直彦氏 「札幌・遠友夜学校・有島武郎」

9月11日(火) 三島徳三氏 「新渡戸稲造の「日本人精神論」と現代」

武士道だけでなく、新渡戸の「日本人の精神・宗教」論、を紹介し、

現代日本人のココロの根底に迫ります。

10月6日(土)    エルプラザ3Fホール(音楽と講演の集い)14:00?16:00(入場料:二千円)

「マザーテレサと新渡戸稲造ーミュージカル『マザーテレサ』の歌声とともに」

ソプラノ 吉村美穂さん ピアノ 野田常喜さん 講演 小野有五氏

11月13日(火)  秋山孝二氏 「遠友夜学校と私たちのこれまでの活動」

今の時代、遠友夜学校の理念に基づいて、私たちは生きていく糧をどう見出していくか。

12月11日(火) 三上節子氏 「 DVDに見る:創立100周年記念放送『魂の燈台・遠友夜学校』、

海外取材放送『フィンランドで見つけた武士道』」

遠友夜学校で育てられた教師たち・生徒たちの歩みと新渡戸の海外での影響力

1月15日(火) 藤田正一先生 「アメリカ独立宣言と遠友魂」

一見全く関係のないこの二つを結ぶ糸とは?

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 また、「考える会」の北洋銀行、北海道銀行の口座番号を変更しました。任意団体から一般社団法人への移行に伴うものです。以前の口座は閉鎖しましたので、今後はこちらをご案内下さい。ゆうちょ銀行は変更ありません。

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<北洋銀行 本店営業部  (下二けたの違いですのでお間違えないように)>

* 一般社団法人新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会  会長 秋山孝二

店番号 028  口座番号 6925540

* 一般社団法人新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会  記念館建設口座  会長 秋山孝二

店番号 028  口座番号 6925551

<北海道銀行 本店営業部  (口座名称記載冒頭が(社)でよろしいそうです)>

* (社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会  会長 秋山孝二

店番号 101  口座番号 3275025

* (社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会  記念館建設口座  会長 秋山孝二

店番号 101  口座番号 3274986

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 新しい年度を迎えて、気持ちも新たに活動を進めて参ります、目標にはまだ遠いですが、多くの方々の建設寄付へのご厚志をお願いする次第です。

北海道経済同友会 総会 2018

Posted by 秋山孝二
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 今年度の北海道経済同友会(http://hokkaido-doyukai.jp/)の総会と第一回の例会が開催されました。私は幹事を拝命してから20年以上経つでしょうか。今年度から、これまでの横内龍三代表幹事が顧問に、新しく石井純二幹事が代表幹事にご就任になりました。私より年下の初めての代表幹事、時代の流れを感じます。

横内龍三代表幹事は顧問に

横内龍三代表幹事は顧問に

新しくご就任の石井純二代表幹事

新しくご就任の石井純二代表幹事

 横内体制で、委員会活動も大変活発になり、私は環境問題委員会でいろいろ学びの場を与えて頂きました。引き続き、今年度以降もこの委員会に一員として研鑽を積むと同時に、新しく立ち上がった小磯修二先生が会長の「未来検討員会」にも参画することになりました。提言を含めての活発な議論が楽しみです。

* 環境問題委員会ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%92%B0%E5%A2%83%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

 総会に引き続き開催された第一回例会の演者は、日本航空(株)(https://www.jal.com/ja/)取締役で前会長の大西賢(おおにしまさる)さん、演題は『JAL破たんからの歩み~そして新たな企業文化の創造』でした。

経営再建にプロセスを

経営再建のプロセスを語る

淡々と、力強く

淡々と、力強く

 これまで上場廃止になった138社のうち、再上場できたのは9社のみの困難な道筋を、稲盛和夫さんのリーダーシップと相まって、大西さんほかのJAL経営者の賢明な努力で、最短で再上場を果たしたとのこと。それも数千億の債権放棄のご協力を得てであり、感謝以外の何物もないとおっしゃっていました。

 再生JALの社長にご就任された最初の言葉が「過去との決別」、社長就任の言葉としては覚悟を感じます。「事業構造の改革+内面的な構造改革=The New JAL」を実践した日々を丁寧にご説明されました。新しい実践は殆ど何もない、ただ、その目的を明確にして地道に全社員が努力し続けた結果と謙虚にお話をされていました。経営再建の神髄は、恐らくこのような地道な努力の積み重ねなのでしょうね。

* 【参考】大西賢の名言 https://systemincome.com/tag/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E8%B3%A2

 技術畑ご出身で関連会社社長の経営を経て、火中の栗を拾った勇気と覚悟に敬服します。短期間で社長から会長、そして取締役と、ミッションを心得た生き様も共感を持ちます。

 年度初め、身の引き締まるお話に感謝です、ありがとうございました。

限界を越えて、大谷翔平くん!

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 アメリカ大リーグで、日本ハムファイターズからエンジェルスに行った大谷翔平の活躍が素晴らしく、先週のMLB週間MVPにも選ばれました。投打の「二刀流」をこなす選手の受賞は各週の最優秀選手を選び始めた1975年以降、初めてで、日本選手でメジャー1年目の4月の受賞は最速、23歳9カ月は最年少と、初物尽くしでした。日ハムの栗山監督は、普通のことで特に驚かないと言っていますが、アメリカでも大変大きなインパクトを与えていて、私も嬉しく、元気を貰っています。

* https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180411-00000014-dal-spo&pos=4

無断転載禁止無断転載禁止

 6年前、彼が日本ハムファイターズに入団して二刀流に挑戦する時、多くのこの世界の評論家たちは反対の大合唱で極めて批判的でした。そんな様子に当時私はずいぶん憤っていたことが以下のコメントから分かります、どうして、若いこれからの選手の夢を、「やってみなはれ!」と背中を押してあげられないのか、と。

* 2012年12月 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15309

* 2013年6月 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16905

* 2014年4月 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19619

 例えば~~~~~~~~~~~~~私のブログから

* 日ハム球団のきわめてオーソドックスな現行ドラフト制度下での選手指名、交渉姿勢に、さらに大きな拍手をしたいです。丁寧で誠実な交渉を繰り返し、指名した責任をしっかり果たした結果の翻意なのでしょうね。これに対して、星野仙一が批判しているようです(http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20121209-OHT1T00224.htm)、スポーツ報知の記事というのもアンタには言われたくない、ですよ。

* 今、学校教育現場で「いじめ」が大きな課題になっていますが、今回の「翻意」に対して、学校及び本人に対して幾つかの批判メッセージが届いているとか。朝日系の「強行指名」という言葉も不適切です、大手メディアの寄ってたかっての球団、若者バッシングではありませんか。ゆがんだ今の日本社会ですね、「いじめ」は学校現場だけではなく、むしろ日本社会そのものに横たわるどす黒い風潮なのでしょう、これを子どもたちが真似してしまっているのだと思います。

*  栗山監督のあの教育者としての立ち振る舞いと表現は、彼がただ東京学芸大学の卒業であるだけでは説明できないでしょう。以前にも書きましたが、「人を育てる」ことを根本の所で、人生の目的にしているのではと、私は彼に哲学を感じて尊敬しています。言い方は大変失礼ですが、「ただのプロ野球選手ではない」、そんな思いですし、彼を監督に据えた北海道日本ハムファイターズの球団関係者に敬意を表します。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14871

* 新人大谷へのレベルの低いコメントに辟易していると、全く対照的な事例として、私は、先月盛岡で、ジョン・V・ルース駐日米国大使が、経済同友会全国フォーラムの基調講演で「日本経済の未来を支える3つの鍵」と題して熱く語られ、日本の若者への期待感がにじみ出ていたのを思い出します(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16803)。

* さらに大藤さんに共感するのは、大谷翔平選手の前代未聞の「二刀流」挑戦を目の当たりにして、まだ始まったばかりではありますが、投打とも素晴らしい成績を挙げている現状から、このコメントが発せられていることです。昨年も、従来型の解説者、プロ野球選手OBは大谷翔平、日本ハムファイターズの挑戦に大変ネガティブな反応でしたね、まるで成功しては困るかのようでした。今年はさすがにそれ程ではありませんが、張本勲氏を筆頭に相変わらずの方も多いです。

* 何回もこの欄でも書いていますが、新しい挑戦を従来型の眼でしかコメントできない、理解しようとしない、その構図が今日本の閉塞状況を象徴しているような気がします。ベテランは、自分で判断できないことは素直に「分かりません」、「果敢に挑む本人を応援しましょうよ」と、どうして言えないものか、社会全体の器の小ささ、解説のプロフェッショナル不在を感じる昨今です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~私のブログからの引用 おわり

 寄ってたかって若者を批判する姿、カッコ悪いですね。新しい時代は新しい担い手が創る、そうです、化石のような方々は静かに去って頂きましょう、邪魔をしないように。実は、昨日のある会合でも、定番のように講演後に質問する80歳を超えた方が、質問を幾つも独り占めして時間を使う場面がありました。年寄りだからダメとは言いませんが、ああいう場で、質問は吟味したもの一人一つというのが「作法」ではないでしょうか、ご本人は現役時代からあの調子、未だに気が付いていな様子に、何か哀れを感じました。最後はお口汚し、失礼しました。

 大谷翔平くん、これからも限りない挑戦を!!!

結婚披露宴で @ 八雲町

Posted by 秋山孝二
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 北海道の八雲町(http://www.town.yakumo.lg.jp/)で結婚披露宴があり、出席しました。披露宴世話人の方々ほか3時間の宴を通して、地方のマチを支える若い世代の力が溢れ、脈々と暮らす人々の営みを感じて、こちらが元気を貰いました、感謝です。

 HPより町名の由来は以下の通りです。~~~~~~~~~~~~~~~~~

 町名は明治14年に徳川御三家の一つ、尾張徳川家(旧尾張藩)の17代当主徳川慶勝侯が、豊かで平和な理想郷建設を願い、古事記所載の日本最古の和歌である須佐之男命(スサノオノミコト)が読んだ「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を引いて名付けました。

 旧熊石町の開基は、鎌倉時代後期の永仁4年(1296年)に日蓮上人の六老僧の一人、日持上人がこの地に足跡を残した時を持って定められています。元禄4年(1691年)には和人地エゾ地の境界地として番所が相沼から熊石に移され、当時の日本国最北の地となりましたが、寛保元年(1741年)に松前大島の噴火があり、村損壊の危機にさらされました。しかし、永享元年(1744年)頃から再び有力者の移住により新たな村づくりが進められ、漁場の拡大等によりニシンの千石場所として再び繁栄するようになりました。明治6年戸長、副戸長制度により熊石、泊川、相沼の3村に戸長が任命されました。明治35年北海道二級町村制が改正公布され、新しく熊石村として発足しました。明治20年代頃まで村の産業経済の中心であったニシン漁は明治30年代以降不漁の年が多く、地域活力も低迷を辿り、大正時代にはニシン漁は皆無となったため、イカ漁、イワシ漁等への転換が行われました。昭和35年、有史以来最も多くの人口1万有余人を数え、昭和37年には町制施行となり、高齢化や過疎化が進む中で、地域活性化のために農漁業の基盤整備や平地区の開発等が進められてきました。

 平成17年10月1日、渡島山系を挟んで隣り合っていた、渡島管内八雲町と檜山管内熊石町が新設合併を行い、新「八雲町」が誕生しました。この合併により面積955.98㎢、人口19,684人、世帯数8,640戸(平成20年3月1日現在)、日本で唯一太平洋(内浦湾)と日本海に面する町になったことにちなみ、新たに「二海郡」という郡名が付けられました。

* プロモーションビデオ http://www.town.yakumo.lg.jp/modules/yakumois/content0010.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ HP 引用おわり

 披露宴は300名の大宴会、オープニングは旧熊石町に400年続く伝統行事、続いて岩村克詔八雲町長の来賓祝辞で和やかに開会しました。

地元で続く伝統行事でのオープニング

地元で続く伝統行事でのオープニング

300人の披露宴!

300人の披露宴!

 新郎はお菓子屋さんの社長で職人、新婦も隣の長万部町ご出身で福祉施設のベテラン、ウェディングケーキも自作の畳1畳分もあるイチゴショートケーキでした。

ご自身制作のウェディングケーキへの入刀!

ご自身制作のウェディングケーキへの入刀!

 来賓ご挨拶、友人ご挨拶、余興等、心がこもったものばかり、最後の新郎からの御礼の言葉もこれまでの感謝が伝わり、地域で生きる姿に感動しました。

参会者への感謝のご挨拶

参会者への感謝のご挨拶

 企業城下町ではない歴史を基盤に、地域に生きてきた人たちの暮らし、まさにこれからの地方のあるべき姿を垣間見たようなひと時でした。先輩たちにお世話になり、お世話を次の世代のためにして、地域のお祭り・イベントを通じて人のネットワークがつながる、まさにまちづくりの原点ですね。どうか、新郎・新婦、末永くお幸せに!!

映画「ペンタゴン・ペーパーズ 」

Posted by 秋山孝二
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 前評判の高い映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書(http://pentagonpapers-movie.jp/(原題: The Post)は、息詰まるシーンの連続で、今の時代、タイムリーな内容でした!「フェイクニュースに対する解毒剤」といった評価も見られます。第90回アカデミー賞では、作品賞と主演女優賞にノミネートされました。

* http://eigaz.net/prediction/2018.php

画像検索結果

 メリル・ストリープ×トム・ハンクス、スティーヴン・スピルバーグ監督

http://pentagonpapers-movie.jp/news/2018/04/04/pentagonpapers0404/

 HPより~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていた。国防総省はベトナム戦争について客観的に調査・分析する文書を作成していたが、戦争の長期化により、それは7000枚に及ぶ膨大な量に膨れあがっていた。
 ある日、その文書が流出し、ニューヨーク・タイムズが内容の一部をスクープした。
ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走する。真実を伝えたいという気持ちが彼らを駆り立てていた。
 しかし、ニクソン大統領があらゆる手段で記事を差し止めようとするのは明らかだった。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…報道の自由、信念を懸けた“決断”の時は近づいていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 扱っていた時代、まさに私自身の生きてきた時代そのもの。表面化するかなり前からベトナム戦争の源流があったこと、メディアと政治、マスメディア間の熾烈な競争、女性経営者と70年代、社主の決断等、複数のテーマが錯綜する濃密な映画でした。

 幾つかの評論を読むと、スピルバーグ監督は、「本作は、ジャーナリズムの英雄の物語だよ」、「脚本を読んで受けた印象は、リーダーシップの物語だということだった。“リーダーはどう生まれるか? 決断を下すことに前向きではないリーダーを前向きに変化させるようなひらめきは、どういうものだろうか?”。キャサリン・グラハムの物語に、そんな“変化”を感じ、私は心をつかまれたんだ」と語ったそうです。そして、スピルバーグ監督がこの製作を発表したのは、トランプ政権発足からわずか45日後、この物語には、現代との共通点がとても多いと考えたとか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~以下はHPからの引用

 歴代大統領と公私共に蜜月関係を続けて来たブラッドリーが、時代の変化に呼応するメディアのあるべき姿を、少しの諦めと懐かしさを感じつつ語りかけるのに対し、グラハムはあっさり掲載を即決する。夫亡き後、新聞社を引き継ぎ、無能で社交好きな女性オーナーと蔑まれ、差別されて来た彼女が、会社存続か良心かという二者択一を迫られた時、当たり前のように後者を選択するのだ。

 それは、男性主導の世界に身を置き、秘かに疑問と怒りを溜め込んできたグラハムの痛烈なしっぺ返し。メリル・ストリープのこの種の設定でありがちな力演でなく、肩すかしのように軽妙な演技が、男女平等という最も今日的な問題を、約半世紀昔から今も変わらぬ現在へと運ぶ大事な役目を果たしている。

 女性のさらなる社会進出と、国民には見えない政治や社会の裏側に隠れた事実を次々と暴いてきた新聞及び新聞文化へのエールが、当時使われていたタイプライターや電話機、印刷所内の機器やシステム等、優れた時代考証と共に描き込まれた本作。“20世紀の映像記録人”スピルバーグが今、扱うべきテーマは、他にもまだたくさんありそうだ。

 映像では、ストリープ演じるキャサリンのキャラクターに焦点が当てられている。映画では、女性であるという偏見や、社主という重圧に苦悩しつつも、最善の決断を下そうともがく姿が描かれるが、ストリープは「彼女は元々女性らしい人だった。当時は男性だけが権力を持っていたの」と当時の時代背景を解説。

 さらに、プロデューサーのエイミー・パスカルとクリスティ・マコスコ・クリーガーは「1971年のワシントンでは、男が政治の話を始めると女は席を外した。女性経営者なんてありえない時代よ」(パスカル)、「女性の意見をテーマにした物語よ。キャサリンのおかげで、私たち女性は自己主張ができるようになった」(クリーガー)とキャサリンの偉業をたたえる。

 女性の出演者たちのインタビューも収められており、キーキャラクターの1人を演じたアリソン・ブリーは「強い女性が主人公の最高の物語よ」と誇らしげに語っている。本編映像も多数収録され、キャサリンが「政府の秘密を暴露する気か!」と言われても、き然とした面持ちで「許可ではなく、助言を求めに来たの」と言い放つ姿や、「もう父の会社じゃない。夫の会社でもない。私の会社よ」と宣言する勇ましい姿を確認できる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~HPからの引用 おわり

 キャサリン・グラハムとベン・ブラッドリーとの関係はこちらの「プロダクションノーツ」をご参考に:

http://pentagonpapers-movie.jp/production_note/3.html

 「Democracy Dies in Darkness(暗闇の中では民主主義は死んでしまう)」というスローガンで今は知られているワシントン・ポスト、この映画のラストシーンで予告しているのは、映画『大統領の陰謀』で描かれる「ウオーターゲイト事件」、こちらも面白かったです。1976年度アカデミー賞で作品賞・監督賞を含む8部門でノミネート、助演男優賞、脚色賞ほか全4部門に輝いたダスティン・ホフマン&ロバート・レッドフォード主演の実録作です。

* https://movie.walkerplus.com/mv5654/

 この作品こそ、当初は熱心な共和党支持者の単独犯行だと思われていた民主党本部への侵入と盗聴器の設置が、実はニクソン大統領の指示の下に行われた組織的な行為であることを突き止め、「ウォーターゲート事件」の真相を暴いた、ワシントン・ポスト紙の若き記者たちの物語でした。

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 今回の「ペンタゴン・ペーパーズ」のワシントンポスト社主キャサリン・グラハムを演じたメリル・ストリープは、脚本を読んで、「大きな変化は1人の人間の勇気から始まる」と語っています。「The Times」と「The Post」のジャーナリスト魂、ジャーナリズムの勇気と司法の自立性と主体性、今の日本でも発揮してもらいたいし、市民の声がこれを後押しする力としていきたいものです。できれば見逃しているシーン、味のある言葉を拾いたく、もう一度観に行きたいですね。

待合時間に思うこと

Posted by 秋山孝二
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 このところ、期せずして幾つかの場で「待っているひと時(待ち時間」があり、その間、様々なことが頭を巡りましたので、多忙な日常ではあまり考えることもないある意味では貴重な体験であり書き留めておきます。昔は、床屋さん、歯医者さん等、待っている場面がずいぶんありましたが、最近は予約制も普及してずいぶん減りはしました。

 まずは、先日も書きましたが、医療機関外来窓口の対応。昨今の厳しい競争の賜物とでも言うのでしょうか、昔に比べると格段に来る患者(顧客)に対してのきめ細かい姿勢を感じます。例えば、私が二か月に一回通っている内科外来窓口では、スタッフの声掛けが事務受付から検査看護師、診療室看護師まで、挨拶だけでなくごく自然な形でコミュニケーションを取っています。医療機関に来ている人々なので、どこかしら具合が悪いという状態を鑑みて、おそらく日ごろからそいう教育研修をしていると思われます。診察後の次回の予約を取る段では、名前を呼んだあと、「あっ、そのままで結構ですよ、今、行きますから」と、毎回100%同じ対応で、膝をついて座っている私たちと同じ目線で対応しています。どのスタッフでも誰でも同じですから、その医療機関の日頃の教育なのでしょう。

 もう一つの医療機関窓口では、高齢者が多いせいか、朝の受付にかなり早くから訪れる方もいらっしゃるようですが、整理券を配り、機械での受け付け時刻を明示しています。待合ロビー・廊下には、それぞれの先生の患者番号が電光掲示板に順番に掲示されて、「あと何人で自分の番か」が一目瞭然、待っていてもその時間に別の算段ができます。また、受付窓口の事務の方も、プラス1名カウンターの奥に立って待合室の状況をいつも視ているスタッフがいるのです。これもその病院の体制・システムとしてかなりよく吟味された仕組みと私は毎回感心しています。

 と、そんなこんなで時代と競争の激化でサービス産業のフロントラインのレベルアップを具に感じていた時、つい先日、私が代表を務める法人格を持った団体の銀行口座について用事があったので、市内中心部の北洋銀行本店営業部と北海道銀行本店営業部を訪れました。普段は、ATMで用件が済むので、久しぶりの窓口でした。以前から、私の周りの方々ともお話をしているのですが、「今、税務署窓口の対応はよくなったけれど、銀行窓口が一番訪れて気分が悪い」との声を聞いており、私自身もこの十数年、ますますその気持ちを強くしています。ただ、もう時間も経っているので、さすがに銀行自身そういった顧客の声を取り入れてサービス対応はレベルアップしているだろうとのほのかな期待を持って先日行ってみたのですが、北洋銀行はかなり改善されていましたが、北海道銀行は全く以前のままのひどい状態でした。

 今回、両行ともに団体の口座に関して3つの用事があったので、窓口の女性にそれぞれご説明をして必要書類等に書き入れて、そこまでの様子はほぼ同じ、ただ、北洋銀行窓口の女性は、上司に伺いを立てる箇所についてはすぐに席を立って、OKですとの返事を得たとか、その場で即決している雰囲気は感じられました。いつも感じることですが、日本のサービス業のフロントラインのレベルの高さは、世界でもかなりのものだと思いますね。今回も、両行とも窓口の女性の対応は説明の言葉も非の打ちどころがなかったと思います。

 問題はその後です。北洋銀行では「30分ほど時間を頂きますのでご容赦下さい」と、北海道銀行では「1時間ほどお時間を頂けますか?」とのことでもちろん了解してその間、ロビーを離れて自分なりの他の用事も済ませました。時間が経ち、北洋銀行窓口に行くと、私が預かっていた番号札を渡すと別の担当の方が、「こちらの通帳ですね、引き継いでいましたのでお渡し致します」と、ほんの1分のやり取りで銀行を出ました。

 次に北海道銀行本店営業部に移動して、ロビーに立っている案内係の方に、「これできていますかね?少し時間が早いのでできるまでここで待っています」と私は係の方の目の前の席に座っていました。スマホで高校野球のライブをチェックしたり、何だかんだで受け付けてから1時間が経ったので、「そろそろ出来上がりましたかね?」と代わった案内係の方にまた伺ったところ、バックオフィスに行って戻ってきて、「まだのようです」とのご返事。その間、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を何十回聞いたことか、コンビニ以上でした、案内係を責めているのではありません、やらせている仕組みと上司にこれでいいのか、と言いたいですね。

 結局、結論は、受付から2時間15分後に、私は「念願の?!」通帳を受け取ることができました。ただ、私に通帳を渡してくれた女性は、まだ入行それほど経っていない職員ではないでしょうか。何もいきさつを知らされずに、もちろんお待たせしたというような気すらなく、ただ「ありがとうございました」と。私は、今回はクレーマーにはなりたくないと我慢していたのですが、バックオフィスにチラチラ見える上司と思われる男性陣に無性に腹が立って、「どこでこんな時間が掛かるのか説明して頂けませんか?」とかなり冷静にお願いしました。しばし奥の方で気乗りしない様子の上司と思われる男性がやってきて、「申し訳ありません」を繰り返し語るのみ。私は、「いや、お詫びを聞きたいのではなく、どうしてこんなに時間が掛かるのかを説明して頂きたいのですが」と再度聞いてみたのですが、明確な答えは何もありませんでした。

 私は2時間以上も待ったあげく昼食も取りそびれ、食後の薬も飲めず、これ以上道銀に寄り添う気持ちも無く、早くその場を離れたかったので退出した次第です。2時間が掛かりすぎるというのではなく、業務の見積もりで当初から2時間程度かかるのであれば、最初にそう言うのが顧客への配慮ではないかと思うのです。そうすればその間の時間の算段が付くし、顧客としても予定が立つというものでしょう。それにしても、あの程度の業務で2時間以上、営業店の看板を降ろして事務所と名称を代えた方がいいと思います、顧客不在です。

 実は、北海道銀行では以前にも本店営業部二階で同じようなことがあったので、これじゃ忍耐強い日本の顧客も離れていくのではないかと、まるで銀行幹部になったような心境で寂しくなった次第です。バックオフィスの非効率、決済の過剰なプロセスによるスピード感の欠如。曲がりなりにもこの間大学で「経営組織論」を10年間教えた私としては、北海道銀行の経営幹部にこの声が届くことを期待します。

 ちなみに、秋山財団は北海道銀行鳥居前支店にお世話になっています。昨日も私は払い出しで窓口に行きましたが、カウンターの女性、お金をお渡し頂いた女性とも、穏やかで笑顔を絶やさず会話もあり、何も文句を言う筋合いはありませんでした。ATMが主流の銀行窓口業務、せめて人が対応する場面では、心のこもった会話とかコミュニケーションが一層大切になっている気がします。バックオフィス上司の方々も、顧客目線を忘れてほしくないですね。

 書いていてだんだん不愉快になってきたのでこの辺でやめます、それにしても日本の銀行、顧客を粗末にしている、またその意識さえ銀行全体にない、憂うべき事態だと私は思います。

 以下、ついでなので、今年2月にFacebookに私がアップした記事も一緒に掲載します。金融機関窓口は、私にとっては鬼門かも。

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 テナントビルの受付業務を熟知されている方、いかが思われますか?

 東京都内、金融機関本拠が入居するビル、ビル玄関前の表看板にもその金融機関の名称が明示。詳しく言えばグループ企業がテナントとして入っているのかもしれません。受付カウンターでどこにでもあるように入館表を書き終えたら、「お名刺を2枚提示を」と冷たい笑顔で受付嬢は言いました。私はとっさに「以前は何も言われなかったけど、どうして2枚なの?」と聞いた所、「ご本人様確認のため」と何のためらいもなくそう返事、要するに1枚だと他人の名刺かもしれないということらしい。これまで国内外、何千回と企業訪問して多くの受付を体験していますが、こんなのは初めてでした。少なくともここまで足を運んできた訪問者に対して失礼な、と。総合受付を通り該当階に行くとそこにまた受付。私は少なくとも顧客、アポイントも事前に取っての訪問です。時代が変わってしまったのか、東京ではこれが常識となっているのか、どこか寂寥感を感じる私なのですが・・・。今の日本の金融機関とすれば、当たり前のビヘイビヤーか。

 言いたいことは、テナントビルなら万が一の不審者来訪のリスクはビル側が取れと。ほとんどの善意の訪問者に求めるものではないと思うのです。

 日本社会、責任をとにかく回避するために懸命に知恵を働かせる、そのくせ、大きな損失は減りもしない、まさに経営者の劣化ですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~Facebookの私の投稿コピー おわり

昨今の演劇事情 @ サッポロ&北海道

Posted by 秋山孝二
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 (公財)北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)は、20年を経た今、あらたな方向性で地域の芸術創造に邁進しています。

 新しい年度を迎えて、最初の会報に掲載するご挨拶&報告をベースに、さらに補足した内容でご紹介します。

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 公益財団法人 北海道演劇財団 理事長 秋山孝二

 皆さまへ

 おかげさまで公益財団法人北海道演劇財団は21年目を終え、一昨年策定した中期5か年計画に基づき、新たな方向性でスタートを切っています。転換・変革は容易ではありませんが、この間、皆さま方から寄せられた多大なお力添えとお励ましを糧に、関係者一同、日々努力しており、厚く御礼申し上げます。

 振り返ると、予算の適正規模を模索しながらも、事業が着実に発展していく一方、演劇の制作公演ばかりでなく、地域文化活動への貢献、小中学校におけるコミュニケーション教育、様々な世代へのワークショップ、まちづくりへの参加、劇場の運営等、多岐に渡る活動を展開し、北海道の演劇界にとっても少なからず貢献できたのではと思っています。

 まず、制作公演では、札幌座新作「象じゃないのに・・・。」を皮切りに、サハリン公演、清田公演、国際芸術祭参加公演、そして真冬の札幌で佐々木譲さん原作・札幌座新作「暴雪圏」と、大いに盛り上がりました。特に「暴雪圏」は、斎藤歩常務理事が7年越しに実現できた力作で、雪の表現を得意とする札幌座の魅力を存分に発揮しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32276

 3か国語の字幕付きでの日替わり公演、外国人向けのSNSサイトへの予約注文等、細かいサービスへのチャレンジも続きました。事前に原作者・佐々木譲さんをお招きしてのトークショー、多くのメディアの皆様からの名義後援等、これまでにない規模の広報活動も行い、全てのステージの前売りが瞬く間に完売となり、今後に繋がる公演でした。

 また、シアターZOO企画公演「劇のたまご」と銘打って、出演者も含めて子育て世代のために、親子で楽しめる稽古場、劇場設定で、新たな観劇ニーズを掘り起こし大成功でした。

* http://kodomo-manabi-labo.net/dramaeducation-kaigai

 次にご報告したいのは、東京での長期公演初日にご逝去された中嶋しゅうさんの代役として、わずか数日前に急きょ呼ばれた北海道演劇財団常務理事の斎藤歩が、東京芸術劇場、大阪の梅田芸術劇場での3週間の長期公演を見事に勤め終えたことです。役者としての彼の底力はあっ晴れでしたが、君ならできると背中を押した財団関係者、身内ながら大切な時期にそれを地元で支えた演劇財団職員にも拍手を送ります。それ以外にも、近畿大学、青森県立美術館シアター等でも活躍した1年でした。

* https://www.youtube.com/watch?v=IQurM0Br3cc

* https://spice.eplus.jp/articles/134822

 さらに人材育成活動においては、大きく活動の幅が広がり、深まりました。札幌市内の小・中・高・大学の教育現場への講師派遣プログラムほか、道内各地への学校・学童保育施設・社会福祉協議会・PTA等への派遣も積極的に行い、演劇人の持つノウハウを地域に活かす取り組みを進展し、ここでも子育て世代をつなぐセミナーも開催しました。

 ここまで、過ぎた1年を簡単に振り返りましたが、新年度も、基本的には新しい方向性に基づき、演劇創造では、新作創造に取り組む一方、好評作品の再演・海外交流にも力を入れて参ります。また、講師派遣は前年度事業を継続し、子育て世代・高齢者対象のワークショップほか、引き続き教育現場でのセミナー等も実施します。劇場運営においては、創造型劇場に向けた劇作家育成ほか、幅広いお客さまを劇場に招き入れる企画も充実したいと思います。地域文化活動は、方向転換で今年度以降、財団としては大幅に規模を縮小しますが、提携・委託で活動は続け、演劇作品の提供だけでなく、地域づくりへの講師派遣事業に力を入れていきます。

 以上、20年の歴史を経て、今、私たちはさらなるステップアップを目指し、一層の公益財団法人として地域への貢献を軸に大きく方向転換の最中です。財団経営と演劇創造の両方を担える人材が、これからの北海道における芸術・文化の主軸として活躍する時代はもうすぐそこまで来ていることを実感する昨今です。どうか、引き続きのご支援・ご協力をお願い申し上げます。

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 会報掲載予定に少々追補して簡単に活動を振り返りました。演劇創造と演劇財団経営(マネジメント)、この両立を目指して、これからも北海道演劇財団は前進して地域社会に貢献して参ります!

そもそも、学校林と私は

Posted by 秋山孝二
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 これまで札南高学校林(http://www.rikka-forest.jp/)のことについては、何回も記事にしてきたつもりでしたが、そもそも「学校林」とは何か、なぜ私が関わるのかは、一度もここでは書いていないことに気が付きました。

* 札南高学校林とはーー> http://www.rikka-forest.jp/outline/100.html

* 札南高学校林関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%9E%97

 たまたま、今年6月の東京の同窓会幹事当番期の方に依頼されて、この間の活動について書いたので、少々フライングですが掲載します。

* 東京六華同窓会(https://www.tokyorikka.jp/

* 2018年度総会・懇親会 (http://www.tokyorikka2018.net/

3月の学校林の空

3月の学校林の空

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あれから5年、「みんなの六華フォレスト」

一般財団法人 北海道札幌南高等学校林 理事長 秋山孝二

 あれから5年、ひと言で表現すると多くの方々のご協力のお陰で、「極めて順調に進捗!」といっていいでしょう、誠に喜ばしいことです。

 その前に、まずは皆さんに報告しなければなりません。2014(平成26)年6月に、新しく私たちの学校林財団理事長に就任された久末聖二さん(南16期)が、このプロジェクトの開始間もない同年11月に、ガンでお亡くなりになりました。同時に常務理事になった私は、プロジェクトの底固めをしようとしていた矢先で大きな衝撃であり、久末理事長のお気持ちを察するに悔しさも感じました。そして直後の理事会で、私が第十八代の理事長、常務理事に池内和正さん(南21期)が急きょ就任して、理事会、評議員会、企画活動委員会の推進等、学校林財団運営の重い責任を背負うことになり、今日に至っています。

 ご承知のように、2013(平成25)年3月に策定された「グランドデザイン」は、紺野忠義理事(南8期)を委員長に事業検討委員会で議論を続けて、これまでの100年間の歴史と活動を踏まえて、長期ビジョンとして策定されました。詳細は、「学校林100年沿革誌」を参照して頂きたいのですが、端的に言うと具体的展開は、「森林経営(Forest Management)」と「運営管理(Social Management)」の二つの要素から成り立っています。いずれも学校林の向こう100年を支える重要な要素で、お陰さまでこの5年間、しっかりしたスタートを切っています。これまでの限られた方々のご尽力から、実に数多くの同窓生の活動へと大きく幅を広げているのです。言い換えれば、「森林保全」主体の活動から、より積極的に森に入り、地下・地表を含めて環境林・教育林として森林生態系に学ぶ活動へと進化しています。

 まずは、「森林経営」ですが、これまでごく一部の理事、札幌森林組合にほぼお任せだった作業道開設、徐間伐作業は、このグランドデザインの理念に基づいて、所有者の私たち学校林財団の構想を主軸に大きく舵を切りました。一つは、10年程度を目途に121haを網羅する「心地よい」作業道を構築し、その後は散策道として多くの方々の憩いのフットパスへと繋げる構想です。最近、足を踏み入れた方はお分かりだと思いますが、この5年間に造られた作業道は、土地の傾斜・表面に優しく、周辺の樹木とも実に調和しています。

 次に、作業道と密接に連なる徐間伐作業も、それぞれのエリアのゾーニングをベースに、100年後の成熟した森を想定した樹種選定を行い、経済性と心地よさに配慮した計画に基づき、同窓生を含むプロの木こり達が活躍を始めています。ただ丸投げのお任せではなく、例えば、その事前調査等には、企画活動委員会メンバーはじめ、同窓生、そのご家族、或はお友達ほか、毎年3月の雪のある時期に、解説付きでカンジキ・スノーシューをはめての山林調査・散策もイベントとして実施したり、作業の様子を見学したり、以前には考えられなかった多くの方々が、四季を通じて学校林に入ってきています。

 学校林のもう一つの柱となる「箱崎プロジェクト」の実践は、「オオムラサキ・キノコチーム」として新たな担い手たちが立ち上がり、一歩一歩前に進んでいます。特に昨年からの活動は目覚ましく、ここでは簡単にご紹介します。

 最初は、エゾエノキ植林・国蝶オオムラサキ繁殖プロジェクトです。準絶滅危惧種に指定のオオムラサキの幼虫の食樹となるエゾエノキの植林活動は、今後の苗木を育成するために、まずは種子拾いから始まり、幾つかの環境で発芽を試行しています。一方、これまで学校林に植林した苗木は、以前、有明小学校に貸与していたスキー場跡地の広さ約0.8haに、定時制の生徒・同窓生たちによる約400本ですが、その後の生育状況の調査と、しばらく滞っていた下草・笹刈り等の環境整備を、年間10回ほど粘り強く行いました。年数が空いていたのでかなり大変な手作業でしたが、強力な女子力のお陰で完了し、今年は雪解けから見違えるほどの良好な環境になっているでしょう。

 オオムラサキ繁殖も大きく進展しています。昨年は、4月の越冬幼虫の観察に始まり、栗山町の「ファーブルの森」で、羽化・産卵を間近に観察、その後、秋には再三の越冬幼虫の採取の後、ネズミ対策を含めた越冬準備作業に取り掛かりました。今後は餌づくり、飼育方法を学びながら、今年5月以降の放虫、飼育・モニタリングも楽しみな一方、オオムラサキのDNA解析も行っていく予定です。

 もう一つはキノコ栽培による昆虫類の生育調査プロジェクトです。以前、箱崎陽一先生が定時制高校生を指導されて実施していましたが、その後の観察が少々手薄になっていましたので、昨年は、ホダ木準備から始まりナメコ、ヒラタケ、シイタケのキノコ植菌、ホダ木の本伏せ、笹刈りほか周辺環境の整備を根気強く行いました。秋にはナメコ・ヒラタケの初収穫もあり、さらに年末には、今年に向けたホダ木の切り出しも終えているので、更なる調査研究の継続・発展が期待できます。

 財団運営の重要な要素のもう一つ「運営管理」は、このグランドデザインのけん引役としての「企画活動委員会」が、ほぼ毎月20名程度の参加で開催され、毎回新たなメンバーも加わり、熱心な議論でフル稼働しています。理事会・評議員会への提言、イベント企画、諸計画の策定等、こらからも中核的機能として活躍してくれると確信しています。

 以上、いっぱい詰まったこの5年間をコンパクトにご報告しました。六華の風が吹き抜ける学校林、私は自分自身の高校時代があまり納得のいくものではなかっただけに、今、四季折々、この風の中に身を置けることが大変心地よいのです。「千の風になって」の唄ではありませんが、「六華の風になってあの大きな空を吹きわたっています」と、100年、そしてさらに先まで見守っていきたい気持です。

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 土の温もり、春の日差しと心地よい風を感じると、私は何か「六華の風」になって学校林を永遠に吹きわたる自分の姿を思い浮かべます。