非武装地帯、さらに「北」への道

Posted By 秋山孝二
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  昨年5月に、韓国のソウルで、北海道演劇財団TPSの海外公演があり、同行ツアーで副理事長の私も参加しました。公演の合間にオプショナルツアーとして板門店へ行き、貴重な光景を垣間見ることが出来ました。この数日間の「飛翔体(?)発射」騒動の中で、北朝鮮の動向は注目を浴びて(浴び過ぎて?)いますが、非武装地帯(DMZ) の現場は、歴史と現実の重みを感じながらも、驚くほどの静けさでした。ただこのツアー自体、米・韓のプロパガンダの臭いも強く、演出の過ぎる場面はかなりの違和感もありましたが。
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋

今から6年前の秋山財団主催の講演会で、東京大学大学院・農学生命科学研究科教授・樋口広芳先生が、「鳥の渡りと地球環境の保全」http://www.justmystage.com/home/hhiguchi/index.html と題して特別講演をされました。シリーズの財団ブックレットとしてまとめてあります。その中で、この非武装地帯が多くの鳥の渡りにおいて重要な中継地となっている事実が、発信機を付けた渡り鳥と人工衛星によるデータで明らかになっている事を力説されていました。非武装地帯は立ち入り禁止区域で、ごく一部を除いて人間の活動は全て禁止されています。また、隣接する緩衝帯では、経済開発も強く規制されています。それゆえに皮肉にも、渡り鳥にとってはいわば聖域、安住の地になっているというのです。国境を越えた自然界にとって、非武装地帯はまさに地球上で数少ない理想的空間となっているのでしょう。そう言えば、昨年行った時も、道端に実に綺麗なキジを見つけました。

歌の「イムジン河」http://protestsongs.michikusa.jp/korean/imjin-river.html も懐かしいですね。ソウルから板門店に向かう途中で、しばし道路と並行して流れていました、この河があのイムジン河で向こう側が北朝鮮か、と。

「ふるさとをいつまでも 忘れはしない、イムジン河水清く とおとおと流る」、あの時代の香りですね。

この非武装地帯(DMZ)は、1953年7月、朝鮮戦争の休戦協定の締結とともに作られた区域で、南北それぞれ2キロメートルずつ(幅4キロ)、東から西まで総延長241キロメートル、総面積6,400万坪の広大な地域です。北朝鮮にとっての歴史認識では、今も交渉相手は国連軍(実質的にはアメリカ軍)しかなく、南北朝鮮問題ではないのでしょう。今一度きっちり振り返りたいのは、朝鮮戦争の位置づけと、更にさかのぼれば第二次世界大戦の日本とアジア諸国との関係性、そして戦後の構図だと思います。

今回の打ち上げ実験でも、ひとえにアメリカに対するデモンストレーションであり、日本への攻撃等と敢えて喧伝するのは、例によって日本メディアとそれを使って防衛予算を増額しようとする輩の思惑に違いありません。「誤探知?」と聞いた時に、とっさに私は「臭うな」と思いました。間違った事が不安なのではなく、これを材料に「システム整備・構築予算」の要求だの、日本の防衛力の不備等の議論の盛り上がりを期待する勢力の画策が「臭い(くさい)」のですよ。

今回は中央官庁の防衛省が「国防」の視点から対処・準備・喧伝し、東北地方をはじめとする各市町村が行政の「防災」の視点から現地で体制を取っていた、と理解出来るのではないでしょうか。自衛隊の活動を接点として、この違いを無意識にも、意図的にも混合してはならないと思います。

いずれにせよ、相変わらずの日本外交の貧弱さを痛感しています、公式発表はともかく、複数の人的パイプがないというか。外交上は、今こそ、東アジアにおける平和と安全に関して「非核化」をキーワードにして、日本は本来のリーダーシップを発揮する時だと思います。そして、一味違う視点として、自然科学者・環境科学者を中心として、たとえば「オホーツク海の生態系」、「北東アジアの大気汚染」、「朝鮮半島の生態系」といったテーマでの、周辺6・7カ国ネットワーク形成プロジェクトを、日本がリーダーシップを取って場の構築等は出来ないものでしょうか。

過去の歴史を受け止めながら、21世紀的テーマの新しい構想の中で平和の時代を創る、そんな時代なのだと強く思います。

One Response to “非武装地帯、さらに「北」への道”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 隣国の家族たち、北と南で Says:

    [...]  一昨年、私は板門店に行き、昨年4月にこの欄に書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=876)。しかしながら、その時の北と南の対峙する場は、多くの悲劇を覆い隠すかのように異様な静けさでした。日本本土では1945年が最後の終戦でしたが、隣国ではその後更に新たな戦争が勃発し、多くの家族の悲惨な状況が今も続いている現実を実感しました。余りにも理不尽な、そしてその中でも脈々と続く親子の愛情、地理的にはすぐ近くの、同じ時代を生きてきた別の家族像を目の当たりにしました。 [...]