W杯サッカー、日本チームに拍手!!

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 W杯サッカー南アフリカ大会で、予選リーグを通じて岡田ジャパンは前評判を覆す大健闘でしたが、昨晩の決勝トーナメント1回戦パラグアイには惜しくも敗れました。目標のベスト4への進出が出来ずに残念ですが、試合内容はこれまでのどの大会よりも素晴らしく、岡田監督の采配、選手達の一体感、闘志あふれるプレーぶりは、多くの人々に感動を与えたに違いありません。

 とは言っても、今回私は、各試合を最初から最後まで見ていたわけではありません。野球でもそうなのですが、最近は90分間緊張してテレビを見ている根気が無くなったというのでしょうか、終わり部分を見て結果を確認し、後は報道各局・各紙で振り返り、特に日本全国の応援の様子、世界各国の岡田ジャパンの評価を若干の余裕ある状況で知れば十分、そんな心のあり様です。昨晩も夜外で食事をしていたら、「今日試合を見ないのは非国民だ!」と、隣の席の方々が話をされていましたが、私は帰宅後、試合前に寝て、十分「非国民」でした。

 岡田監督はここまで、メディアをはじめ沢山のバッシングに遭いながらも、覚悟を持って信念を曲げずに良く戦いました。責任ある当事者としての立場を全うした稀有な人物、本当に素晴らしい仕事をされました。試合後の公式記者会見の席でも、「本当にこれだけ頑張ったので、選手には勝たせてあげたかった。私の力が足りなかった」と、ひと言ひと言が明快で歯切れが良かったです。思い起こせば、2008年に脳梗塞(こうそく)で倒れたイビチャ・オシム前監督の後任として急きょ就任し、翌年1月のチリ戦から指揮を執り、2月から始まった南アフリカ大会アジア予選を突破しました。W杯予選を突破した日本人監督は1人だけで、岡田監督にとっては98年大会の予選に続く2度目の突破でした。

 選手たちのコメントも、どこか哲学的でインテリジェンスの高さを感じましたね。デンマーク戦に勝利を収めた直後に本田選手の「なぜかそれ程喜べない」みたいなコメント、昨晩は、「批判する人がいなかったら、ここまでこれたかどうかわからない。応援してくれた人だけでなく、批判してくれた人にも感謝したい」等は、奥行きのある発言で興味深かったです。

 地味ではありますが、ディフェンス陣の相手エースの徹底したマーク等、相手を十分研究し、それぞれチーム内の役割をしっかり果たして戦った姿は、何か新しいアジア的、日本的サッカーの「かたち」を見た思いです。同時に、攻撃の創造力というか突破力というか、常識を越える「何か」も足りない気がしますね。以前本であるスポーツ評論家が語っていました。「W杯サッカーで得点をあげるのは、昼間に銀行強盗するようなもの」と。例えは甚だしく不適切ですが、セオリーでは勝てないという意味だと思います。

 課題はいろいろあるのでしょうが、20代・30代の日本の若者が、一生懸命に目標に向かって切磋琢磨し、努力し結果を出し、私たちに夢を与えてくれた、そんな彼らに心から感謝したいです.お疲れさま,胸を張って日本に帰って来て下さい!!

「大和ミュージアム」のメッセージ

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 広島県呉市にある戦艦大和の情報集積施設「大和ミュージアム:http://www.yamato-museum.com/concept/」は、正式には「呉市海事歴史科学館」と言います。

一階ホールにある全長26.3メートル(10分の1)モデル

一階ホールにある全長26.3メートル(10分の1)モデル

科学技術の集積

科学技術の集積

  「沖縄戦」、「海軍」等との関係からも、私は以前からこの施設を機会があれば訪問したいと思っていました。呉市の施設として(現在は指定管理者制度により民間企業コンソーシアムが運営)今年は開設5周年を迎え、戦争武器の戦艦「大和」というよりも、日本の科学技術の結集「大和」の視点から展示が企画されていて、地元に根差す科学・製造技術の伝統他、予想を上回る貴重なメッセージを受け取りました。先日の佐倉の国立博物館(http://www.rekihaku.ac.jp/)、東京九段の靖国神社・遊就館(http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/)とは、かなり趣を異にしています。

 日本海軍の礎として、愛生舘シリーズでも掲載した「長崎海軍伝習所」、勝海舟、小栗上野介(おくりこうづけのすけ:http://www.cocoyoko.net/history/h100000074.html)にも言及されていました。

長崎海軍伝習所

長崎海軍伝習所

  呉は海軍工廠のまちとして栄え、戦後は伝統的技術と新しい技術のコラボレイトでタンカー製造等も含めて経済成長を支えてきました。パンフレットにもあるように「呉の歴史」は、良かれ悪しかれ明治以降の日本の近代化の歴史でもあります。大上段からただ評論するのではなく、地域の教育、文化、観光への寄与を目的として、科学技術創造立国を目指す日本の将来に向けて、その担い手の子供たちにも科学技術の価値を届けたいという意図を感じました。

  向かいの「海上自衛隊呉史料館(http://www.jmsdf-kure-museum.jp/index.php):通称てつのくじら館」にも寄りました。日本の潜水艦製造技術の歴史、機雷除去を主とする掃海活動の歴史等、技術的側面からの説明・展示が興味深かったですね。

海上自衛隊呉資料館・入口

海上自衛隊呉史料館・入口(展示用潜水艦「あきしお」)

  「いつも反戦とか叫んでいるお前が、なぜ戦艦大和、潜水艦なんだ!」と言われそうですが、私にとって「日本海軍」の歴史は、父の影響もあり幼い頃から興味深く感じており、幕末・維新に始まった基礎から、日本海海戦、ロンドン・ワシントン軍縮会議、太平洋戦争、、海軍解体、戦後の海上自衛隊設立等、引き続き歴史の脈絡として注目をしています。

 これまで江田島の旧海軍兵学校(http://www.mod.go.jp/msdf/mocs/mocs/index.htm)には2回程足を運んでいますが、呉はいつも通過でした。今回しばし滞在できて、呉というまちが、戦後「平和産業港湾都市」として再生してきた歴史も知り、新鮮な視座を与えてくれました。

昭和31年、秋山家祝宴

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  札幌グランドホテル(http://www.grand1934.com/)1階、新館と旧館を繋ぐ部分にビジネスラウンジと併設して、図書類・記念展示の場があります。その一角に当初から、「昭和三十一年五月十二日・秋山家祝宴」とのタイトルで、一つのメニューが展示されています。

 以前から機会があったら写真を撮りたいと思っていましたが、先日たまたま通りかかった所、係の方が拭き掃除をされていたのでガラスケースを開けて頂き、カメラに収めました。

当日の名入りメニュー

当日の名入りメニュー

  日付から思い起こしてみると、私達家族の「野田」から「秋山」への養子縁組・披露宴の時のメニューだと思います。私の父の姓「野田」から「秋山」への縁組です。私はまだ小学校入学前でしたので大きな変更もなく特段の記憶もないのですが、家族5人が、参列された皆さまの前でしばし起立していたのは覚えています。

 当時、グランドホテルというのは大変な「非日常の場」で、白いテーブルクロスにナイフとフォークのセットも、何か大変緊張するひと時だったような気がします。それから50年以上も経て、その時の少し色あせた食事メニューを見ると、感慨もひとしおです。

沖縄「慰霊の日」、ほか

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 今日は、沖縄「慰霊の日」です。1945年4月1日にアメリカ軍が沖縄本島上陸で開始された「沖縄戦」は、6月23日、日本軍第32軍司令官・牛島満中将他指令部の自決をもって組織的戦闘が終結されたと言われています。現地沖縄本島ではその後も悲惨な戦いが続き、多くの民間人が犠牲になったことは周知の事実です。1962年から毎年沖縄県が主催する「沖縄全戦没者慰霊祭」が執り行われる一方、1974年制定の県条例によって、この日が「慰霊の日」の休日となりました。「沖縄戦」については、後日私なりにここで記述しようと思っています。

 

 出張の合間に、面談する相手の都合により時間がポッカリ開く時もあり、先日も映画「グリーン・ゾーン」、「孤高のメス」を相次いで観る機会をもてました。

 ポール・グリーングラス監督、マット・デイモン主演の映画「グリーン・ゾーン:http://green-zone.jp/」は、徹底的に現場に固執していて面白かったですね。「面白い」と表現するのは不謹慎かもしれませんが、アメリカが始めた戦争をアメリカ人が映画製作して世界で上映する、そんな国としての懐(ふところ)の深さを感じるのです。

 イラク戦争開戦から4週間後、ロイ・ミラーと彼の部隊は、砂漠地帯に隠された大量破壊兵器の行方を追う極秘任務で、イラクの首都バグダードを駆けずり回りますが、空振りが続きます。国防総省の動きに不信感を覚えた彼は、同じ疑念を抱いていたCIA調査官ブラウンと共闘することに。部隊を離れ単独で調査を開始し、様々な妨害工作に苦しみながら、更に、ウオール・ストリート・ジャーナル紙の記者も絡んで、核心に迫っていきます。結論は「大量破壊兵器は存在しなかった」です。バグダッド市内の「グリーン・ゾーン」の際立った違和感も含めて、誰が味方で誰が敵なのかが混とんとして進む映像の迫力は、映画の魅力です。ただ、これがほぼ歴史の真実ですから、開戦以来マスメディアによる上空から私たちの目に届いていたイラク戦争の報道とは、一体何だったのでしょうか。この映画では、私には イラク人フレディの役回りが注目でした。

 もう一つ、話題の邦画、成島出監督の「孤高のメス:http://www.kokouno-mes.com/」です。「字幕付き上映」と切符売り場で言われて、「あれっ、外国語映画なの?」と一瞬戸惑いましたが、勿論日本語の映画でした。

 「生体肝移植」、「地域医療」等の課題を正面から扱い、そこに繰り広げられる人間の恨み・つらみ・妬み等、意欲的な映画でした。手術場の臨場感も素晴らしい迫力でしたし、臓器移植(http://www.jotnw.or.jp/)の法的環境の変遷も勉強になりました。更に、北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)でチーフディレクターを創立以来つとめている斉藤歩さんが、悪い(?)医師役で出演していました。舞台の俳優・演出、そして映画に頑張っていますね。

 この数年、比較的お年寄りの観客の多い映画では、2時間を越えて来るとトイレに立つ方々が目立ちます。行く時は良いのですが、戻って来た時にご自分の席を見つけられない方も複数いらっしゃる様子は昔は無かった光景だけに、高齢社会を実感します。

 「いのち」を巡る多方面からのメッセージの数々、平和な時代に感謝しつつ、なお課題と向き合い解決を模索する世代の責任も感じます。

愛生舘の「こころ」 (11)

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 3ヶ月ぶりのこのシリーズです。千葉県佐倉市は、堀田藩の地元として、歴史を語る町並みを今も見ることができます。佐倉順天堂記念館(http://www.geocities.jp/bane2161/kyuusakurajyuntendou.html)、旧堀田邸(さくら庭園)、武家屋敷、国立歴史民族博物館(歴博:http://www.rekihaku.ac.jp/)を散策しながら、藩を挙げて鎖国社会の中でも広く海外から学ぼうとする情熱に感動します。「西の長崎」、「東の佐倉」と、外国の文化・知識等を貪欲に吸収しようとする姿勢で名をはせて、多くの国際センスあふれる人材を幕末・維新でも輩出しています。

佐倉順天堂医院の門

佐倉順天堂医院の門

門の礎石

門の礎石

  「佐倉順天堂」は、天保14年(1843)に佐藤泰然が開いた蘭(オランダ)医学の塾兼診療所で、現在の順天堂大学の源流です。「愛生舘」事業の構想の主・松本良順は佐藤泰然の実子でしたが、松本家に養子となり、一貫して幕臣として活躍し、長崎第二次海軍伝習でオランダのポンぺから蘭(オランダ)医学を弟子40数名とともに学び、日本の近代西洋医学の基礎を創りました。

藩主堀田家の邸宅

旧藩主・堀田家の邸宅

  旧堀田邸は、明治時代に佐倉に移り住んだ旧佐倉藩主・堀田正倫の邸宅と、明治洋式の芝生の庭園です。邸宅の幾つかの部屋には、松本良順の書が掲げられていました。訪れた時は映画の撮影か何かで、スタッフとモデルの方で庭は賑わっていました。昨年から3年間、年末に放映される「坂の上の雲」のロケでも、この邸宅の居間、大きな掛け軸のある部屋でも収録され、その場面は今年末にオンエアだそうです。

  一方、まちの西部・旧佐倉城址公園に隣接して「国立歴史民族博物館(歴博)がそびえ建っています。「壮大な規模を有する歴史の殿堂(?)」のフレーズを目にしましたが、似たような名前「国立民族学博物館(みんぱく:http://www.minpaku.ac.jp/)は、大阪にある別の施設です。全館冷房が効いて、原始・古代から始まり6つの展示室も十分なスペース、特に第6展示室「現代」は、特別展示もあり力が入っているのでしょうか。ただ、何か突き抜けるメッセージが足りないのですよ、「戦争反対」が届いてこないみたいな、展示物と見学者との間に厚過ぎるガラスの壁、時々は曇りガラスの壁を感じます。

 率直な疑問は、この国立博物館が何故この佐倉市にあるのか、真っ先にそれを知りたかったですね。沢山の外国人ツアーと思われるグループも来ていましたが、どう説明していたのかは分かりません。先の地元の3つの施設は、見学者の為に「三館共通入館券」も販売して連携をとりながら、堀田藩の因って来るゆえんと歴史的価値を懇切丁寧に発信していました。

 別の意味で、縦割り行政の印象を受け、その現状が何にも代えがたい「現代」を展示しているようで、そんな言い方はあまりに皮肉っぽいでしょうかね。しかし、行政の在り方がどうであれ、地域に暮らす市民は毎日しっかり生きてきたというように、この佐倉の地に人が育つ風土を実感しました。

ナレッジキャピタル・トライアル2010、ほか

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 大阪の複合商業施設・堂島リバーフォーラム(http://www.dojimariver.com/)において、「大阪・北ヤード、ナレッジキャピタル・トライアル2010:http://www.trial2010.jp/?mode=summaryhttp://www.youtube.com/watch?v=YxmqjEvuaOQ」が2日間の日程で開催されました。

会場入り口で

会場入り口で

 大阪の梅田駅北地区、「北ヤードプロジェクト:http://kita-yard.com/」が先行開発プロジェクトとしてスタートしていて、昨年に続き今年で2回目のイベントだそうです。「世界を変える、大阪が変わる」、「あなたは今日からナレッジキャピタル人です」とのキャッチコピーもパンフレットには見られ、「あつまる」、「つくる」、「みせる」、「まじわる」の基本機能を、「体験」できるイベントとのメッセージです。

 映像・実演の展示あり、トークセッションありで盛りだくさん、私は以下の3つのセッションを聞きました(http://www.trial2010.jp/?mode=program11#s1)。

 「ナレッジキャピタルアドバイザリーボード会議」、「ミニ・アゴラフォーラム:和文化と最先端技術」、「スペシャルトークセッション:アジア太平洋の新しいビジネスパラダイム・留学生のとまり木構想」です。アジアの大交流時代を見据えたスケールの大きい「コンテンツ創造」との印象を持ちました。

 

 その後は、堂島川をはさんだ向かい側、大阪大学中之島センター10階「佐治敬三メモリアルホール」で開催のリレー講座「アジア太平洋のネットワーク型発展における技術交流と人材育成」と題して、立命館アジア太平洋大学(http://www.apu.ac.jp/home/index.php?sel_lang=japanese)前学長、モンテ・カセム氏の講演に出席しました。主催は、アジア太平洋研究所推進会議(APIPC:http://apipc.org/-forum/)です。彼は昨年札幌で開催された、経済同友会全国フォーラムにもパネラーの一人で参加されていましたhttp://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1272

 日本滞在も長く、日本文化も熟知されてる外国人の視点から、日本の大学、人材育成への鋭い問題提起と提言の数々でした。大学への提言の主なものは下記の3つです。

* 個別大学の取り組みでは限界があり、関西7大学連携で「国際化のマインド」を育てて、個人を応援しやすい仕組の構築

* 国際ビジネスマンの大学進学戦略:日本の終身雇用制が国内的にはプレッシャーになっている現実

* 国際規格づくりへの参画

 グローバル化と地域主権の両立では、1)言語・文化・宗教等での多様性の受け入れ、2)創造性の応援、3)地域資源・知恵の活用、を提言されていました。今のままでは国際競争力として、日本社会の魅力が欠如しているとの指摘は、思い当たる節も多く、私の今後の活動にも大いに役に立ちます。

 私が医薬品卸業の経営者だった時は、メーカー本社も大阪の道修町・平野町に多く、この界隈も良く来ましたが、先日久しぶりに足を運ぶと大阪大学他ずいぶん川の両岸も新しい建物も多く、景色が変わっていて驚きました。

千葉大学・西千葉キャンパス周辺は?

Posted by 秋山孝二
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  「6・15」を忘れる訳にはいきません、1960年6月15日、国会議事堂前で当時東大生だった樺(かんば)美智子さんが日米安保条約改定反対デモ参加中に亡くなった日ですhttp://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kannba.htm

 私が千葉大学(http://www.chiba-u.ac.jp/)の学生だった(1969年入学)頃、毎年この日は西千葉キャンパスから東京の明治公園等に行き、追悼集会に参加しました。また、西千葉キャンパスには樺美智子さんのご両親・俊雄さま、光子さまもいらっしゃって講演会も開催され、追悼著書の「人しれず微笑まん」は心に残るメッセージでした。

 先日、たまたま時間があったので、昨年に続いて千葉大学・西千葉キャンパスに行ってきました。現在は1万5千人の学生数とのことで、40年前は土が舞い埃っぽかったキャンパスが、見違えるようなうっそうとした木々の並木道へと変貌し、風格を感じ嬉しくなりました。

40年前は小さな木々でしたが、立派になりました!

40年前は小さな木々でしたが、立派になりました!

  しばしゆっくり散策していると、今でも通りの向こうから笛の音とアジ演説の声が聞こえて来そうです。それにしても平穏です、立て看板も同好会イベントみたいなものばかり、米軍の沖縄・普天間飛行場等を糾弾するような立て看板は一枚もありません。

 そして40年前に時々通った東門斜め前の中国料理店「北京亭」は、今も健在でした。それどころか、丁度昼時だったので中に入って見ると、当時は楕円形のカウンターだけだった場が随分広がっていて、テーブルも入り、倍くらいの座席数となっていました。そこで私は、思い出の「レバニラ炒め」を注文して、マスター風の男性にお尋ねしましたら、何とその方が私が学生時代にも主人としてお店をやっていたことが分かりました。何とも懐かしく、レバーの味は全く変わりなく格別でしたよ。

「北京亭」も拡張して元気でした!

「北京亭」も拡張して元気でした!

絶品のレバーは今も健在!

絶品のレバーは今も健在!

  懐かしくて愛おしくて、良くこの間お店をお続けになっていたと感動しながら店を出て見ると、その出口の取っ手付近にステッカーが貼っていました。「底力宣言!千葉大学を応援しています:We support Chiba University」とありました。

地域から愛される大学へと!

地域から愛される大学へと!

 「変わるキャンパス」と「変わらぬ門前のお店」、ともに現在の姿に感動致しました。

 これまで私は自分の卒業した大学をそれ程「懐かしく」思ったことはありませんが、妻と出会った場も大学の臨海実習所、その後様々な場面で千葉大学卒業の方々ともお会いする度に、今キャンパス周辺がどうなっているのかと気になるから不思議です。

山﨑葵さん、横田滋さん、つながる絆!

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  首都圏在住の高校同窓生を中心に集う会・東京六華同窓会(http://www.tokyorikka.jp/)が、今年で何と105周年を迎えました。500名を越える登録で、節目の懇親会には、昨年12月のYamahaミュージックレボリューションで、「グランプリ」と「審査員特別賞」の2賞に輝いた現役2年生の山﨑葵さん(http://pksp.jp/yamazakiaoi38/?o=0, http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3001)がライブで、北朝鮮拉致被害者の会の前代表・横田滋さんも壇上からご挨拶をされました。横田さんのお父さんは、札幌一中の教頭をお務めになったとお話をされていました。

東京の同窓会の特別参加で2曲

「ユメノナカ」他、特別参加で2曲

 

横田滋さんもご挨拶

横田滋さんもご挨拶

 毎年、母校への熱い思いで大変盛り上がる集まりですが、今年は更なる熱気でした。特に札幌一中卒業の大先輩の皆さまは、勿論男子校だったので男性のみですが、30人以上壇上にお上りになり、一中校歌・応援歌等をきっちりお歌いになりました。

 そして現役高校生の山崎さんは、グランプリ受賞曲「ユメノナカ:http://www.youtube.com/watch?v=1_Vr38fAaNo」、NHKでも取り上げられている「強くなる人:http://www.myspace.com/yamazakiaoi」の2曲を歌ってくれて、会場中の大歓声でした。「強くなる人」は約30秒のTVスポットとしてNHK総合テレビ(北海道ブロック)で随時オンエアされていて、耳にする機会も多く楽しみです。先日は北見ご出身のお母さまと二人で出席でしたが、近くにいた私を含めた同窓生のオジサンたちは、「お姉さまかと思いました!」と、率直な感想(?)を漏らしていました。

 大先輩たちと若い世代が、15歳から18歳の一時期集った場を介して「つながる」、肩書きも仕事も関係なく、「等身大の一人の人間」として現在を生きているゆえの「絆」は、本当に素晴らしいものですね。

「パーソナルサポーター」実現に向けて

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  「構想日本:http://www.kosonippon.org/」が主催の「JIフォーラム第155回」が開催されました。今回のテーマは、「日本から無縁・孤立・貧困・閉塞感をなくそう『パーソナルサポーター』特区実現に向けて」でした。

 代表の加藤秀樹さんがコーディネーターで、前半・後半の二部構成の企画、パネラーは以下の通りです。先月、釧路のフォーラムにパネラーで参加頂いた日置真世さん、札幌に講演でお招きした湯浅誠さんも、キーメンバーのお一人で活躍です。別々の場面での人のネットワークが、様々な場でまさに「つながって」いきますね。

NPO法人ユースポート横濱http://www.youthport.jp/:岩永牧人、鈴木晶子
社会福祉法人いきいき福祉会http://www.rapport.or.jp/:小川泰子
NPO法人アクションポート横浜http://actionport-yokohama.org/:川崎あや

内閣府行政刷新会議事務局http://www.cao.go.jp/sasshin/:重徳和彦
NPO法人地域生活支援ネットワークサロンhttp://n-salon.org/:日置真世
NPO法人ライフリンクhttp://www.lifelink.or.jp/hp/top.html:清水康之
NPO法人北九州ホームレス支援機構http://www.h3.dion.ne.jp/~ettou/npo/:奥田和志
財団法人沖縄県労働者福祉基金協会http://www.rofuku-okinawa.jp/index.html:玉城勉
反貧困ネットワークhttp://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/:湯浅誠

全国各地で課題解決に活動する人たち

全国各地で課題解決に活動する人たち:前半

  今、横浜を拠点に活動する各種NPOがプラットホームを形成して、特区申請を行っていますhttp://www.kosonippon.org/temp/20100517personalsupporter.pdf。主たる目的は「若者の就労支援」ですが、その本質は、ホームレス、高齢者等でも同様で、社会のつながりをなくした「貧困」でもあります。

 「絆(きずな)の取り戻し」、「行政の限界」、「伴走支援体制の確立」、「生活課題の解決」、「家族とは何だったのか」、「就労という言葉のワナ」、「家族が家族でいられる支援」等、キーワードが次々と活動されている方々から出てきていました。

 縦割りの行政、諸制度、そして市民活動も同様に縦割りになっている弊害。それらを突破して、「いのちをつなぐ」、次の世代へ、行政と、民間同士で・・・・。取り敢えず横浜の特区申請に注目ですが、全国各地で「パーソナルサポーター」の概念と取り組みはスタート出来そうです。今、確実に日本社会は変わり、それへの課題解決が急務ですね。

検証・昭和報道

Posted by 秋山孝二
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  先日、朝日新聞シンポジウム「検証・昭和報道」が開催されました。2年間の現場記者20名程を含めた事前検討会議の後、2009年4月から2010年3月まで朝日新聞夕刊に250回連載された「検証・昭和報道」の取り組みに対する総括シンポジウムでした。

当日配布資料:朝日新聞夕刊連載記事より

当日配布資料:朝日新聞夕刊連載記事より

  取材班から上丸(じょうまる)洋一氏の報告、基調講演として入江昭(ハーバード大学名誉教授)氏、討論(前・後)では船橋洋一(朝日新聞)、入江昭、劉傑(りゅう・けつ:早稲田大学教授)、バラック・クシュナー(ケンブリッジ大学准教授)の各氏がパネラーでした。

<船橋>

*時間が経ってから分かることがある――記事の「検証」機能が必要、現在に鏡をつくること、「調査報道」が無かった

<入江>

*今回の「検証」は、知的に正直な試み

*国内の記事:市民の目をどこまで貫いたか、国家権力の手先となっていなかったか、 国外の記事:欧米大国中心の報道、国際関係の記事:国家権力からの情報・関係性が多い、最近は「交流と共生の昭和史」が書かれるようになってきた

*20世紀の流れ:前半はナショナリズムの台頭、後半は国境を越えた「つながり」(経済・ITネットワーク・移民・避難民・人権・環境・宗教・民族等)

<劉傑>

*歴史の分かれ目をどう理解するか:ロンドン軍縮会議、満州事変

*新聞は「時代の空気を伝える」もの、「流れを読む」、「先を展望する」は別のこと

*戦後は平和を手に入れた:時代の空気は「平和を守る」であり、しばらくは「アメリカの政策に従う」ことであった、80年代に入って、「市民」、「グローバル」等のあらたな視点が生まれてきたのではないか

*「中国報道」をどう行ってきたか:評価の分かれ目、「1945年」は東アジアの多くの国にとって「戦争の終わり」ではない

<クシュナー>

*戦前の日本では、新聞は「第4の権力」ではなく、「政府の一部」だった

*アメリカでは、新聞は200年以上前から「政府を批判する」ことを求められた

*沖縄返還に絡む「密約事件」で、「報道されなかったことの意味」が再認識されるべき、同じ時期のアメリカ・ペンタゴン
ペーパーズ(http://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/pentagon/pent1.html)におけるランド研究所ダニエル・エルスバーグは、極秘書類をニューヨークタイムズに掲載、日米を巡る状況の違いは象徴的、「The Most Dangerous Man in America」は、NHK-BS世界のドキュメンタリーで2回にわたり放映された(http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/100301.htmlhttp://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/100302.html

*映画「大統領の陰謀(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD5664/story.html)」、「フロスト×ニクソン:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1064」、このような映画が日本で制作されるだろうか

<その他>

*戦前の新聞は、「上からの目線」で国民の教育機能、国民と国家の間に位置した、調査報道が無かった、「報道」が「宣伝」に変わった、国際秩序をどこまで報道出来たか、昭和の報道は明治以降の「日本」をどう総括するかである

*戦後の報道では、「占領」をどう書けたのか、「東京裁判」で多くの知らない事実が明るみになった

*「冷戦構造」にとらわれ過ぎたのではないか、世界各地では多様な動きが進行していた、特に中国の台頭等

*調査報道は、情報公開法に基づいた「情報公開」活動により実現可能性が高まった

 

最後に、「ジャーナリズムは検証報道・調査報道ができるかどうかが生命線である」と結ばれました。聴衆は400名を越えていたでしょうか、平均年齢はかなり高かったですね、学生は20名程度だったような気がします。このシンポジウムの詳細は、6月21日朝刊特集面として掲載予定とのことです。

「札幌地下広場」は完成近し?

Posted by 秋山孝二
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  札幌市中央区大通西3丁目に「北洋銀行大通ビル」が完成し、地下鉄大通駅から地下で直結もしました。その結果、大通駅からJR札幌駅方面の地下通路を見ることができるようになりました。

地下通路:大通から駅方面を眺めると

地下通路:地下鉄大通駅からJR札幌駅方面を眺めると

  完成オープンにはまだまだ時間が掛るのでしょうが、イメージはつかめますね。現在いろいろな構想・計画が検討されています。ただの「通路」としてではもったいない「空間」ですね、まさに「新しい公共の場」として市民のアイディアを出していきたいものです。札幌駅北口通路・北1条地下駐車場上の通路みたいな殺風景な場だけにはしたくありません。センスが悪いし、まちづくりの情熱も発想も感じません、まさにカネを使うのが目的としか、私のように札幌のマチを愛する者からするとそう感じてしまいます。

 「通路だ、広場だ」と言うと、1969年前後の新宿駅西口地下「広場」を想い出しますね。「フォークゲリラ」が出現して、大変な数の若者を毎回集めていました。「死んだ男の残したものは(1965年)http://www.youtube.com/watch?v=DABGM-4t5Po&feature=related」、「自衛隊に入ろう:高田渡(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=sywgy3YPtec&feature=related」、「フランシーヌの場合は:新谷のり子(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=5dVgVwBe8Os&feature=related――フランシーヌとは、1969年3月30日にベトナム戦争に抗議して焼身自殺したフランス人女性フランシーヌ・ルコンテ(Francine Lecomte)のこと」、「イムジン河:ザ・フォーク・クルセダーズ(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=M6I7byV5Zu8」、「さとうきび畑:http://www.youtube.com/watch?v=tyB9z2C98tM」、何回も「ここは通路である」と絶叫する警備陣に追い立てられていましたが、引いては集まるそのエネルギーは、時代の空気なんですね。

 新しく出来上がる札幌の地下「広場」も、腕章をはめた警備員たちが追い払うように立ちまわる無粋な場面だけは、やめて貰いましょう。狸小路1丁目から5丁目界隈の午後8時過ぎには、若者グループのライブ(練習?)で賑わっている、あんな風に是非、若者が集い・つながる「場」にしていきたいですね。

「ポロクル2010」、実証実験スタート!

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  ドーコン(http://www.docon.jp/)とNTTドコモ(http://www.nttdocomo.co.jp/)が、サイクルシェアリング実証実験「POROCLE(ポロクル):http://poro-cle.jp/」を今年も札幌市都心部で開始しました。昨年は1ヶ月間でしたが、今年は9月末までの4ヶ月間に渡ります。

 今年は、中央区南1条西5丁目の愛生舘ビル前にも設置されてスタートしています。

南1条西5丁目電車通りです

南1条西5丁目電車通りです

DoCoMoとの提携です

DoCoMoとの提携です

 ブルーの自転車は遠くからも大変目について、利用するには事前登録が必要ですが、6月は取り敢えずお試し期間です。

 私は時々人から言われます、「財団理事長は全く無給と聞いているけれど、どうやって毎日暮らしているの?」と。私は(株)スズケンを退社した後、この「愛生舘ビル」の管理会社の社長に就任し、その報酬が日々の私の食いぶちです。愛生舘ビルのあるこの場所で生まれ、18歳までここで育ち、札幌の町なかの変貌ぶりを実感しています。幼い時の自転車と市電は、私の札幌の町なかの原風景です。

 数年前に、6丁目との間の通り沿い敷地内にあった飲料自動販売機4台を撤去して、そこを「自転車駐輪場」としました。昨今、「放置自転車」と目の敵にされている自転車ですが、本来は大変便利で安上がり、特に町なかの賑わい創造として、公共交通とのタイアップを前提として、将来的にも有望な移動手段だと以前から思っています。道路交通法では、「軽車両」の扱い、それ自体時代遅れとも思えますが、その走行に関しての法律上の定めが一層現実に合っていませんし、多くの市民が誤解をしています。

 町なかの商店街の方々も、従来からクルマで来るお客さんには駐車料金優待を行っているにも関わらず、自転車で来るお客さんには何の特典もありません。それどころか、「違法駐輪」とか「放置自転車」とレッテルを貼って、自転車を虐げてきている現状です。

 今回の実験では、まだまだ改善余地はあるのですが、「地域の活性化」、「CO2排出量の削減」といった目標もしっかり掲げて「札幌のまちの元気」を目指していますので、この実験から得られる貴重なデータの解析は、今後の町なかでの本格的自転車利用に向けて、大変楽しみです。

変わる時代、目を引くフレーズ?

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
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  テレビのコマーシャルは、日常ほとんど関心がありませんが、時々何気なく飛び込んでくるフレーズには、思わず笑ってしまう時があります。

  「笑える時代、つくろうやhttp://www.youtube.com/watch?v=5TuZGIA21DQ」は、クリック証券のCMで松本人志が登場しています。まさに昨今の日本社会は、恨(うら)み・つらみ・妬(ねた)みが充満する閉塞社会です。心から「笑える」社会を取り戻したいですね。

 「かっこ悪いのは白髪ではなく、ほっておくそのココロhttp://salondepro.jp/cm_media_info/index.html」、そして続いて、「パパである前に、男であれ!」と。私に向かって言っているのかい!と思う時は、少々疲れているからでしょうか。

 NHK総合テレビニュースの特集コーナー、「縮む、ニッポン」も時代の変遷を追いかけています。今朝は若手の自衛隊員を取材して、「希望者減る、戦闘機パイロット」がテーマでした。昔は航空自衛隊でも戦闘機パイロットは適性試験も厳しく、誰しもがあこがれる職種だったとか。ところが最近は災害支援とか救難援助といった輸送機の方が人気があるようです。若い隊員は「倒すというより助ける方が自分には向いている」と発言して憚(はばか)りません。自衛隊基地内部の壁紙、「男は黙って、戦闘機」、即応自衛官制度(http://www.mod.go.jp/j/saiyou/yobiji/sokuou.html)の案内キャッチコピーも「キャリアよ、眠るな」です。

 何と理解してよいやら、平和で良い国なのか、危機感の無い危ない国なのか、今また日本のリーダーであるべき人が代わるようです。