愛生舘の「こころ」 (2)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 明治維新の歴史認識にも関係しますが、「愛生舘事業」の歴史的背景は、ある意味で現在の状況と大変似ているのではないかと思います。

先日、長年の私の友人からメールを貰いました。

―――明治維新は、厳密な意味ではフランスやロシヤみたいに迫害された民衆が自ら闘って自由を勝ち得た”革命”ではありませんでした。あくまでも政治の面で捉えれば、単に江戸幕府衰退と共に雄藩が政権を握ったに過ぎません。

 開拓期、そうした薩長土肥の藩閥政府が横行する初期、民衆に医療・公衆衛生を持ち込んだ松本良順や高松保郎の思想の源流、その彼らを中心とする「愛生舘事業」の実践は、ある意味では、すなわち必ずしも新時代の変革は「政治」の舞台だけではないという意味で、後年、藩閥に反発して立ち上がる自由民権運動よりも更に先んじた自由平等主義の実践者たちであったろうと思われるのです。老若男女が心身共に病むこの21世紀の日本が失った、取り戻さなけれなばならないエスプリが、愛生舘のルーツに秘められている気がしてなりません。それは蘭学が内包する”博愛”とか”弱者救済”精神に基づいた学問・技術・文化などが、質実的な面で明治時代の民衆を支えたと言えます。政治の暗闇に光を当てたのではないでしょうか。近代への道は決して政治力だけではなかったはずです。

 黒船来航に伴い幕府が設立した長崎伝習所、勝海舟や松本良順はじめ、幕末のインテリが学んだ”蘭学”に内包する哲学は、タオ財団のワグナー氏の言葉「それぞれ民族の違いの主張ではなく、いかなる共通点を探し求めるか」とする、作品「哲学の庭」に通ずるテーマと言えるでしょう。貴兄の言葉通り「いのち」とは平和そのもの、世界共通語であります故、「人類愛」を意味するキーワードでもあります。

 (注)タオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htm  ――――

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

 

 

 全国的な愛生舘事業の中で、特に北海道支部のミッションは、北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、及び全国から入植してきた開拓移民の健康維持・向上でした。1891(明治24)年、東京神田の館主・高松保郎亡き後は、北海道支部長だった初代秋山康之進が自らの名前を掲げて自立し、「秋山愛生舘」となりました。愛生舘事業の理念は、自社販売していた「通俗民間治療法」の中に明確に示されています。「山間僻地までの医薬品供給、医師の診療を受けられない病人の救済、貧者・弱者への施薬、すなわち、利益追求ではなく、あくまでも民間の衛生・治療の便益を図る事を最優先にする」、それが事業の目的であると書かれています。この理念を継承し地場企業として、秋山愛生舘は北海道の地を基盤に、第二次世界大戦後1948(昭和23)年には株式会社として法人化し、私は1991(平成3年)6月に第五代目社長に就任し、1992(平成4)年には札幌証券取引所上場、1997(平成9)年に東京証券取引所市場第二部上場となりました。その後、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/ と資本・業務提携を経て合併し、北海道は「愛生舘営業部」として、今も活動しています。

私は2002(平成14)年11月に(株)スズケン代表取締役副社長を退任しました。その後、故郷札幌に戻り、これまでの(株)秋山愛生舘の108年の活動を振り返り、持続する企業として3本の論文にまとめました。

「地域企業の持続的経営の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813846以下、「地域企業の進化の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813848/、「持続的経営論」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006392571/と続きます。

一方、(株)秋山愛生舘の100周年事業の一環として、それに先立つ1987(昭和62)年1月に「(財)秋山記念生命科学振興財団」を設立しました。http://www.akiyama-foundation.org/ 「地域社会への貢献」という理念の実現は、医薬品販売の事業から更に発展して、愛生舘事業の理念を根幹に、財団の助成・育成事業として継承・進化しています。

愛生舘の「こころ」 (1)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 何回になるかは分かりませんが、「愛生舘の『こころ』」シリーズを始めます。 

人との出会いは、いつも劇的ですね。暫くの時間経過後に、何か気がつかなかった糸で結ばれていたのを感じる時があります。青山学院大学名誉教授の片桐一男先生http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%95%D0%8B%CB%88%EA%92j/list.html は、そういった数少ない方のお一人です。

松本良順:秋山愛生舘100年誌より

松本良順:秋山愛生舘100年誌より

先日「幕末史研究会」http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken/8871554.html に参加した方から、今年1月例会で配布された、「松本良順と『愛生舘』」という資料のコピーを頂きました。長崎海軍伝習所で行われた医学伝習で、蘭学のポンペから学んだ松本良順http://www.bakusin.com/ryoujyun.html。江戸に帰って取り組んだ衛生思想の普及活動、その実践である「愛生舘:あいせいかん」事業の狙い等がその内容です。後に初代陸軍軍医総監に就任した松本良順は、実父・佐藤泰然が創設した順天堂大学http://www.juntendo.ac.jp/ とも深い関わりがあります。20数年ぶりに、片桐一男先生のお名前を身近に拝見しました。

愛生舘事業というのは、松本良順処方の「愛生舘三十六方」(三十六種類の医薬品)と、著書「通俗民間治療法」の販売を行った民間事業体です。高松保郎が館主となり、1888(明治21)年に創設されて、本部は当初は東京市神田区駿河台北甲賀町、3年後の保郎の没後に神田岩本町に移り営業しました。売薬の三十六方は、輸入洋薬で、「通俗民間治療法」にはその三十六方の処方内容が平易に解説されて、医師不足で医療の行き届かない辺境の庶民に、親しみやすいように工夫が施されています。その全国的普及は当初からの目的であり、組織的に活動が展開されていました。

高松保郎:秋山愛生舘100年誌より

高松保郎:秋山愛生舘100年誌より

北海道で108年間続いた医薬品卸業、(株)秋山愛生舘のルーツは、まさにこの愛生舘事業にその原点があります。片桐先生は、この(株)秋山愛生舘のそもそもの事業主「愛生舘」に関する研究の第一人者です。松本良順先生と愛生舘との関係、館主高松保郎の人物像等、大変貴重な研究の数々を残されています。

農業×経営×デザイン = 新しい何か!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 北海道デザインマネジメントフォーラムと十勝農業イノベーションフォーラムhttp://t-afi.net/ が共催で、パネルトークセッションが開催されました。その中のパネラーの一人、鈴木善人さんhttp://www.leaps.jp/?page_id=3 は、十勝マネジメントフォーラムの代表者で、秋山財団のネットワーク形成事業の一つとして支援をさせて頂いてます。

各パネラーのお話で、「農業」と「経営」と「デザイン」というマルチな視点から現在の活動を捉えて、北海道農業の課題みたいなものも浮き彫りになったような気がします。食糧に対する国民の関心は、この所の安全・安心、自給率等の話題とともに、メディアでも大変注目されていますが、現場の担い手と言えばことの他高齢化し、実際に食物を口にする方々との距離は相変わらず隔たりがあるのが現状かと推察していました。

そんな中で、先日のフォーラムのパネラーの方々の実践とメッセージは、新しい時代を担う情熱に溢れて、大変今後に期待を抱かせる内容でした。批判・評論をする事は簡単ですが、こと農業に関しては、毎日の生活に直結する活動として、実践を伴っていなければ意味がありません。これまで良く言えば「聖域」、悪く言えば「タコ壺」と、かなり限定された方々の領域という印象が強かったのですが、最近は企業経営のイノベーションといった発想、「農業セクター」としての認識による投資家の注目度、農業の楽しさアピールによる「まちおこし」的発想等、一歩突き抜けた実践も多く見られるようになりましたね。年明けにある証券会社を訪問した時に、日本の地域農業への投資フォーラムでは、投資家の方々で満員盛況だったという話も聞きました。実体経済活動としての農業セクター、将来有望なセクター、そして、北海道の強みを活かす有望分野として、いま注目しないでいつするのでしょうか。

「生産者」と「消費者」といった従来型の枠組みではなく、「市民」とか「生活者」とかの新しい立ち位置から農業及び食の獲得を考えなおしたいものですね。全国各地に新しい活動の実績が数多く出現している事は、大変力強い動きだと思います。

以下、印象に残ったキーワードです。

* 農業者から農業経営者へ:「顧客を創造する」視点に立ち、自分の「強み」「弱み」、自分で売る、値段をつける意識へ

* 企業化への努力:何の為に活動しているか、「思い」を「形」に

* “もったいない”がキーワード:「遊び」の大切さ、面白がること、覚悟すること、東京有楽町「とかちの・・・」                  http://r.gnavi.co.jp/p737100/ の実践

* 農業の魅力は、圧倒的な自然の魅力

日本を救うイノベーションの力

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 日経BP社創立40周年記念シンポジウムが東京で開催されました。http://corporate.nikkeibp.co.jp/40th/

テーマは「日本を救うイノベーションの力」で、鈴木敏文氏、倉重英樹氏他が、大変示唆に富むお話をされました。経営者の話は実体験に基づき、大変分かりやすいですね。ある種当り前の言葉の中に、きらりと輝くフレーズが隠れていて、同じ場を共有出来て良かったと思う場合が多いです。以下、記憶に残る言葉を幾つか。

セブン&アイ・ホールディングス 代表取締役会長 最高経営責任者(CEO) 鈴木敏文 氏

変化の激しい顧客のニーズ、マーケットの動きを、実に正確な現状把握をされていました。動きをタイムリーに捉える体制と、その情報が鈴木会長に日々届いているという社内の情報共有に感動します。

* 2000年頃から「消費飽和」の進行、値下げしても価値がなければ売れない状態、そして今は、「購買意欲を刺激しなければ売れない」時代

* 「変化への対応」は、時間を掛けていては意味がない、2か月程度で対応策を仕上げて実施すべき

* ファミリーレストランの厳しさは、「ファミリーの崩壊」による所が最大の理由、一人・二人ブースの大幅増へ

* 消費は極めて心理的:「現金キャッシュバックセール」――今は、価格に対する信頼を失っている。「2割引」、「3割引」の表示は誰も信頼していない。「現金で返す」手ごたえ、お客さんが「ありがとうございます」とおっしゃる。「55品目下取りセール」――「捨てる」のではなく、「下取り」して換金する、等大盛況だったイベント

* ネットビジネスの伸びを踏まえた、リアル店舗とネットとの融合

* 消費パターンの変化が進行: 「変化への対応」と「基本の徹底」、それがイノベーションの力

 

シグマクシス 代表取締役CEO 倉重英樹 氏

IBM時代に、当時私が社長をしている札幌の会社にも訪問して頂きました。その時の情報に対する見識の高さは、今でも忘れる事が出来ません。その後、コンサルティング会社の経営幹部、そして起業と、そのたびに幅を一層広げて厚みを増したような気がします。新しい時代の企業における人的資源の重要性を良く認識されている印象を持ちました。

* スピードを上げる事は企業競争力を高める事だったが、人間をハムスター化する。人生のスピードにプレーキを掛ける必要

* イノベーションとは「多様性のシナジー効果」、企業の成長を個人の幸せにつなげる時代

* 規模の経済性・効率性追求の時代は、画一性マネジメントが機能する

* 協働の経済性・創造性追及の時代は、多様性マネジメントが機能する   :価値の大転換

* ワークスタイルの変革は、従来は「スタンダード」&「ネゴシエーション」――組織人、最近は「プロフェッショナル」&「コラボレーション」――自立人、自律人

* 21世紀は「ひと」の時代――イノベーション、リーダーシップ、ライフワークバランス、コラボレーション等、みな「ひと」に絡む課題ばかり

* 能力とモチベーションにおいて、「楽しさ」は全ての源泉

弘前で、サクラの「木」を観てきました

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 評判の弘前のサクラを一目見たさに、出張のついでに足を延ばして行きました。来週から始まる桜まつりの準備で作業員の方が大勢、忙しそうに働いていました。すみずみまで良く見て回りましたが、当日現在で開花は間違いなくゼロでした。

サクラの「木」を鑑賞

サクラの「木」を鑑賞

                  

弘前公園から岩木山を望む

弘前公園から岩木山を望む

岩木山は真白の美しい姿で圧倒的な存在感でしたね。弘前公園内の沢山のサクラの「木」も見事でした(?)!!地元のお酒2種もコクがあって美味しかったですよ。今回は下見、来年のサクラのお花見には、またゆっくり来てみたいですね、そんな期待感が一層膨らみました。

「じょっぱり:六花酒造(株)http://www.joppari.com/」、

「豊盃(ほうはい):三浦酒造(株)http://www.tutitatu.com/sake/houhai.html

神宮の杜には、春の気配も

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0
  ほぼ毎日通っている神宮の杜に、おすすめポイントが3か所あります。実は今は、一年中で最も殺風景な時期ですが、ただ小川の水量は円山からの雪解け水により最も豊かで、「どどどーっ」と勢いよく流れています。これからの春、夏、秋、冬、それぞれの景色は最高です。

神宮のおススメポイント2

神宮のおススメポイント2

 

神宮のおすすめポイント1

神宮のおすすめポイント1

神宮のおすすめポイント3

神宮のおすすめポイント3

非武装地帯、さらに「北」への道

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1
  昨年5月に、韓国のソウルで、北海道演劇財団TPSの海外公演があり、同行ツアーで副理事長の私も参加しました。公演の合間にオプショナルツアーとして板門店へ行き、貴重な光景を垣間見ることが出来ました。この数日間の「飛翔体(?)発射」騒動の中で、北朝鮮の動向は注目を浴びて(浴び過ぎて?)いますが、非武装地帯(DMZ) の現場は、歴史と現実の重みを感じながらも、驚くほどの静けさでした。ただこのツアー自体、米・韓のプロパガンダの臭いも強く、演出の過ぎる場面はかなりの違和感もありましたが。
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋

今から6年前の秋山財団主催の講演会で、東京大学大学院・農学生命科学研究科教授・樋口広芳先生が、「鳥の渡りと地球環境の保全」http://www.justmystage.com/home/hhiguchi/index.html と題して特別講演をされました。シリーズの財団ブックレットとしてまとめてあります。その中で、この非武装地帯が多くの鳥の渡りにおいて重要な中継地となっている事実が、発信機を付けた渡り鳥と人工衛星によるデータで明らかになっている事を力説されていました。非武装地帯は立ち入り禁止区域で、ごく一部を除いて人間の活動は全て禁止されています。また、隣接する緩衝帯では、経済開発も強く規制されています。それゆえに皮肉にも、渡り鳥にとってはいわば聖域、安住の地になっているというのです。国境を越えた自然界にとって、非武装地帯はまさに地球上で数少ない理想的空間となっているのでしょう。そう言えば、昨年行った時も、道端に実に綺麗なキジを見つけました。

歌の「イムジン河」http://protestsongs.michikusa.jp/korean/imjin-river.html も懐かしいですね。ソウルから板門店に向かう途中で、しばし道路と並行して流れていました、この河があのイムジン河で向こう側が北朝鮮か、と。

「ふるさとをいつまでも 忘れはしない、イムジン河水清く とおとおと流る」、あの時代の香りですね。

この非武装地帯(DMZ)は、1953年7月、朝鮮戦争の休戦協定の締結とともに作られた区域で、南北それぞれ2キロメートルずつ(幅4キロ)、東から西まで総延長241キロメートル、総面積6,400万坪の広大な地域です。北朝鮮にとっての歴史認識では、今も交渉相手は国連軍(実質的にはアメリカ軍)しかなく、南北朝鮮問題ではないのでしょう。今一度きっちり振り返りたいのは、朝鮮戦争の位置づけと、更にさかのぼれば第二次世界大戦の日本とアジア諸国との関係性、そして戦後の構図だと思います。

今回の打ち上げ実験でも、ひとえにアメリカに対するデモンストレーションであり、日本への攻撃等と敢えて喧伝するのは、例によって日本メディアとそれを使って防衛予算を増額しようとする輩の思惑に違いありません。「誤探知?」と聞いた時に、とっさに私は「臭うな」と思いました。間違った事が不安なのではなく、これを材料に「システム整備・構築予算」の要求だの、日本の防衛力の不備等の議論の盛り上がりを期待する勢力の画策が「臭い(くさい)」のですよ。

今回は中央官庁の防衛省が「国防」の視点から対処・準備・喧伝し、東北地方をはじめとする各市町村が行政の「防災」の視点から現地で体制を取っていた、と理解出来るのではないでしょうか。自衛隊の活動を接点として、この違いを無意識にも、意図的にも混合してはならないと思います。

いずれにせよ、相変わらずの日本外交の貧弱さを痛感しています、公式発表はともかく、複数の人的パイプがないというか。外交上は、今こそ、東アジアにおける平和と安全に関して「非核化」をキーワードにして、日本は本来のリーダーシップを発揮する時だと思います。そして、一味違う視点として、自然科学者・環境科学者を中心として、たとえば「オホーツク海の生態系」、「北東アジアの大気汚染」、「朝鮮半島の生態系」といったテーマでの、周辺6・7カ国ネットワーク形成プロジェクトを、日本がリーダーシップを取って場の構築等は出来ないものでしょうか。

過去の歴史を受け止めながら、21世紀的テーマの新しい構想の中で平和の時代を創る、そんな時代なのだと強く思います。

カジノ誘致でまちづくり?

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 このところ新聞記事で、「カジノ誘致でまちづくり」を何回か読みました。複数の北海道のまちが、町おこしの企画として検討している内容ですが、正確には、どなたかが町にそんなプランを持ち込んでいる、ということでしょう。以前札幌市にも議員数名から話があったと聞いています。

マカオ観光局公式サイト

マカオ観光局公式サイト

私は昨年9月に香港に出張する用事があり、台風接近中ではありましたが、ひととき自由な時間も出来たのでマカオに日帰りで足を延ばしました。その時にも道内の「カジノ誘致によるまちづくり」の企画が思い出されて、何か気になっていたのです。今、本気で「カジノ誘致」でまちを創ろうとお考えの方がいらっしゃるのなら、世界のカジノで成り立つまちを真剣にリサーチされているのか、お尋ねしたいのですよ。沢山の議員たち他の日本人が、「視察旅行?」でモナコ、ラスベガス等も訪問している事実もありますから。

マカオ観光局公式サイトには、『2005年7月、南アフリカで開催された第29回ユネスコ世界遺産委員会において、マカオの22の歴史的建造物と8カ所の広場が「マカオ歴史市街地区」として世界文化遺産に登録されました。中国の世界遺産としては31番目の登録であり、世界で三番目に多く世界遺産を持つ国となりました。』とあります。

約450年の長きにわたり、マカオでは中国とポルトガルの両国民が文化を融合・共有してきましたが、そもそもは16世紀半ばにポルトガル人航海士たちがマカオに居住を始めたことに始まります。遺産登録された歴史的建造物に教会が多いのはその証であり、彼らがもたらした西洋的な社会インフラ技術や建築遺産の数々が、中国の伝統的建築物に囲まれ完全な形で保存されている姿に、マカオの世界遺産たる価値があるようです。

また、観光パンフレットには、「マカオ歴史市街地区は世界遺産ではありますが、立ち入り禁止区域になったり入場料が必要になったということはありません。旅行者にとって世界遺産は観光の対象ですが、マカオ市民にとってここは今なお生活空間そのもの。また建築物・史跡など有形のものに限らず、様式、宗教的寛容さ、食文化など多くの無形文化が街とともに共存しています。マカオはまさに街全体が歴史・文化の博物館なのです。・・・・・・・・」とも書かれています。歴史と今の暮らしとの位置づけを表現していて、理想的な観光資源と読み取れました。

ところがです、すでに行かれていてご承知の方も多いとは思いますが、マカオのフェリー乗降場に近づくにつれてまず目に飛び込んで来るのは、金色に輝く異様な建物・ネオン群でした。観光局公式サイト・観光パンフレットとは大きく違い、外観がカジノ一色の違和感は、価値のあると言われている文化の融合・共有とは程遠く、喉の渇きを覚える光景でした。そして、外観だけではありません、簡単な見学ツアーで数十分、あるカジノの中を巡りましたが、パソコン操作によるゲーム台は、およそ面白さとは無縁な感じの無機質で、ただ一つトイレの立派さが際立っていました。人の体から出てくるものはどんな場所でも同じだというのにですよ。

アジアでカジノでのまちづくりを本気で構想するのなら、マカオを越えるようなプランになるのでしょうが、北海道のどんな都市も、あそこまで今ある資源を台無しにしてはいけないと思います。「目を醒ませ!」、思いつきならすぐに撤回すべきですし、まともにそんな企画を提案するのなら、もう一回顔を洗って出直して頂きたいと思いますね。とても責任のあるお話とは受け止められません。

ただ「消費する」だけでは・・・

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 人の話を聴いたあと、あるフレーズがずっと気にかかっている場合があります。

「メディア・アンビシャスhttp://media-am.org/」という任意団体が今年2月に始動しましたが、その時のゲストとして、東海テレビプロデューサーの阿武野勝彦さんがご講演をされました。彼の話の中で、自分が制作したドキュメンタリー番組を見たある方が、いとも簡単に「面白かったよ」と言ったというのです。阿武野さんはとっさに「一生懸命創った作品としての番組を、ただ消費された気がした」とおっしゃいました。私はその時の「消費」という言葉が、妙に心に残っていて、自分の中にある「使い捨て」の意味に近い「消費」に対する嫌悪感と共通なものを感じました。

「食」分野でも、スーパーマーケットの総菜売場が拡大しています。思い返せばもう40年も前ですが、私が学生時代に千葉県市川市で自炊生活をしていた時、コンビニも無かったし、スーパーに総菜売場などはそれ程無かったように思います。私は昔から、自分で調理するのは嫌いではなく、いや、むしろ一人で外食する方が、注文してから運ばれるまでの沈黙も含めて楽しくもなく、かなり自分のアパートで食べ物は作っていました。お皿に盛ることを省いて、鍋から直接食べたり、料理中に味見をしながら結構おなかが膨れたりではありましたが・・・。当時は、ニンジン・ジャガイモ等も一袋がかなり大きくて、一度買ってくると何日も保存するか、同じ食事を続けるか、それもまた良き思い出でした。

10年程前に、名古屋市内に単身赴任した時、学生時代と同様に私は住んでいたマンションの台所で自炊をしていましたが、学生時代とは違って、スーパーでの野菜・果物の一袋が、随分小さくなっている事、プラスチックトレイとか袋が極端に多くなっている事から、時代の変化を感じ取りました。同時に閉店時刻が深夜或いは24時間営業というお店の多いのにも驚きましたね。夜遅く出張から帰ってきても買い物が出来る便利さは確かに捨て難かったし、自分の部屋の小さな冷蔵庫の存在感は以前よりも格段に下がっていたように思います。それまでの間、札幌でもスーパーには家族と一緒に日常的にも行っていたのですが、全くの運転手或いは荷物持ちとして「ついて行っているだけ」の存在だったので気がつかなかったのでしょう。

この傾向は、私のアメリカでの経験でも同じでしたね。19歳でアメリカに初めて行った時と、それ以来度々アメリカに出張してスーパーマーケットの売り場を見た時とでは、「サラダバー」の出現とか、或いは逆に「COSTCO」のような倉庫の中に入って行ったような超大型店とかが出来てきて、大きな消費者の行動変化を感じました。

何を言いたいのかといいますと、「調理」というプロセスは、「食物」を作り出すただの手段のみならず、調達・調合・待機・熟成等の知的総合活動だと思うのですよ。その面白さ・価値を外部に簡単に「委託」して、安易に「食物」を手に入れる、そんな安っぽさを私は「消費」という言葉に強く感じるのです。買ってきてすぐ食べてお仕舞いみたいな、貴重な自分固有の食文化もへったくれもないではありませんか。たとえば、ゆで時間5分の乾麺を3分半の固めで食べるとか(これは文化といえる程のものではありませんが)、今日のつけタレは濃いめで食べようかとか、生産者の苦労に思いを寄せるとか、ですよ。あてがいぶちでは満足しない自分固有のスタイルというのがあるのではありませんか。

昨今の社会をこんな視点から振り返ると、同じような構図が見えてきます。例えば「教育」では、人を育てるというのはどんな場でも、本来は毎日向き合った中での格闘ですよね。喜怒哀楽、理屈では解決できない感情のぶつかり合いの連続でしょう?それ故に人間関係の微妙さ、社会の複雑さをその過程で学んで育つのだと思います。そのプロセスを本当にいとも簡単に他に手渡してしまう、自分の見えない場に遠ざける、せっかくの機会を手放してしまって、もったいないと言うか何というか。

メディアの情報もそんな気がします。最近の日本国民は、情報を「消費している」に過ぎないのですよ。「原材料」としての情報ではなくて、「総菜」としての情報に終始している、そんな感じです。提供者が悪いのか、消費者が悪いのか、意見の分かれる所かも知れませんが、奥行き・味わいがないのです。材料を使って自分流に解釈する、考える、組み立てる、そんな「構想力」を、優れた仲間とネットワークとともに、磨き続けたいものです。

新年度を迎えても、なお春遠し

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 2

 

 平成20年度が終了しました。今振り返ってみても、、まさに歴史的な年度でした。昨年9月からの世界金融恐慌は、まだまだこれからも予断を許しません。一番心配するのは、日本国内の新聞・テレビ等のメディアが、その悪化していく状況に対して、理由もなく楽観的に過ぎるところです。日々の暮らしと世界経済が遮断されていて、空虚な笑いと騒々しさの中に、人々の価値観が「漂流」してしまっている気がするのです。そして何かの折にそんな事を口走ると、途端にバッシングにあうような雰囲気が蔓延していて、なお一層気持が滅入ってきます。

私は、だからと言って沈み込んでいる訳ではありません。むしろ全く逆で、向こう数年を厳しく予測するゆえに、今やらなければならない基本的な事が見えて来ているし、ここしばらくは、本来の経済活動を取り戻す過程と位置付けられると思うのです。現在の状況が、過去からの結果ではなく、未来の予兆と考える方法は、新しい視点の獲得として大変有効ですね。

雪の下にはすでに植物の新しい芽が出始めています。