札幌演劇シーズン2012-冬

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 「札幌演劇シーズン2012―冬:http://s-e-season.com/」と銘打って、まずは来年1月28日(土)から2月25日(土)までの1カ月間、札幌に演劇シーズンを創ろうと、、二つの専属プロ劇団がレパートリー作品を再演します。先日、その記者会見が和やかに開催されました、いずれ欧米のように、冬3カ月、夏3カ月の半年間にしていきたいという意欲も感じましたね。この辺の経過は、北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)・平田修二専務理事が、こちらで詳細を語っています(http://theaterkino.net/wp/?p=1726)。

 劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/)・イナダさん、劇団TPS(http://www.h-paf.ne.jp/tps/tps.html)・齊藤歩さん、そして、今立ち上がっていて私も呼びかけ人の「演劇による創造都市札幌実現プロジェクト:http://s-e-season.com/about-project/」の代表幹事・蔵隆司さんが壇上に並んでの会見でした。まずは来年の冬・夏の1ヵ月間、毎日レパートリー作品の上演をしていく所から始まります。

記者会見で抱負を語る演出・役者の皆さん

記者会見で抱負を語る演出・役者の皆さん

  今年3月、劇団TPSが「レパートリーシアター:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7983」を行いました。途中、大震災が起こりましたが、こんな時期であるがゆえに舞台の力で皆さんを力づけようと、公演を続けました、素晴らしい判断だったと思います。今回、この大成功も踏まえて、札幌のマチづくりの軸としての多彩な「芸術・文化」を皆で育て・楽しもう、そんな進化を感じます。

 すでに名のある役者・芝居をただ観るのも結構でしょうが、手身近な惣菜を買ってくるように芝居を観て終りで「消費する」のではなく、役者を目指す若い連中、或いは芝居で生きていこうと決めている人たちが、この札幌のマチから続々と輩出される、そのような人たちを劇場に足を運ぶことで育て、勇気づけるみたいな、少々おこがましいですが、こんな風土が北海道にはあると思うし、期待したいですね。

 テレビ・映画・舞台を観ながら、「あの役者、若い頃はこの劇場で一生懸命だったね」とか、辛口の批評も大歓迎、役者・演出家とともに育つファンは魅力的だとは思いませんか!

いいね!さっぽろ給食リサイクル

Posted by 秋山孝二
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 第19回「生ごみリサイクル交流会2011:http://www.taihika-kyokai.or.jp/kouryu/19th/19th.htm」が、東京の早稲田大学で開催されました。昨年、一昨年も参加しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%81%9F%E3%81%84%E8%82%A5%E5%8C%96%E5%8D%94%E4%BC%9A)。

 今年の全体会・事例報告では、集まった500名を前に、「さっぽろ学校給食フードリサイクル・・・学校、行政、地域、農家の輪をつくる:http://www.city.sapporo.jp/kyoiku/top/kyushoku/recycle/recycle.html」として、札幌市教育委員会栄養担当 係長 田村 理都子 さん、元札幌大学 教授 綱島 不二雄 さんのお二人から実践発表がありました。札幌市民の一人として、当日会場で大変誇りに感じました!

早稲田大学国際会議場で発表する田村さんと綱島先生

早稲田大学国際会議場で発表する田村さんと綱島先生

  当日配布のパンフには、~~~~~~~

 「○○ちゃん、作り方よく知ってるね」「給食おいしいね」。こどもたちだけでなく、先生方の職員室での会話もはずむ。フードリサイクルは、2006年4月、モデル校2校でのスタート。2011年は95校が参加。きっかけは、2005年8月の調理員講習会「地産地消にもう一品加える学校給食」である。フードリサイクルの大切さを教育委員会が重視。関係する環境局、農政局との合議をすすめ、4ヵ月で次年度開始にこぎつけた。実践校では、保護者も大ハッスル。年2回の「連絡会議」は、企業、農協、給食会、学校長、栄養教諭、調理員、市役所(環境・農政・教育)がメンバーである。さらに大きな輪をめざす。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~とあります。

 なかなか縦割り組織の中で難しい取り組みだったとは思うのですが、綱島不二雄先生のリーダーシップと田村 理都子さんの実践力・説得力で、素晴らしい実践の成果を挙げられました。以下、お二人の報告からいくつかキーワードを。

* 美味しく、楽しく、「リサイクル」

* 生ゴミ燃やすな!行政は情熱燃やせ!!

* 「リサイクル」は、「人の輪」であり、それは子どもたちに「社会を見せる」効果となる

* 「リサイクル」に学校教育が入ってくると新たな質的レベルアップとなる:授業科目に展開、すなわちカリキュラムに組み入れること、体験活動から考える場面を創り出し、それが次の体験活動のレベルを上げる好循環

* 「もったいない」、「ありがとう」の言葉の持つ意味を実感として理解出来る

* 学校・家庭・地域の協力体制が生まれる

 以前、綱島先生が札幌にいらっしゃった時に、私はこの取り組みを伺っていました。昔、山形県鶴岡市で綱島先生が取り組んだ学校給食での実践に裏付けられた、本当に素晴らしい活動です。当日、大変控えめに語られていましたが、開会前、会場入口で先生と個別にお会いしてのお話では、現在、仙台で宮城県復興会議の市民代表として率先して行動されているとのことでした。いつも変わらずに、優しく市民・子どもたちを見つめる姿に感動します。

 一つだけ残念だったのは、札幌市内には、民間企業、市民活動として幾つかの「生ゴミリサイクル」を実践している方々がいるのを承知していますが、この事例は「札幌市関係団体」で完結していて、今後はもっと多様な活動者の参画も取り込めば、さらに進化したリサイクルに発展すると思います。

 しかし、190万都市の札幌で、短期間にこのような実践を行うことが出来たのは、今後ほかの新しい取り組み、たとえば「代替エネルギーの検討・導入」、「冬の除雪体制」等にも、きっと良い波及効果を生み出すと思います。今、任にある方が出来ない理由を挙げつらうのではなく、まず意識を変えてやる気になる、そしてネットワーク形成をしてやって見る、そして結果を検証する、「やれば出来る!」、そんな市民力に期待したいですね。

「2025年の病院のあり方」提言!

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 毎月、第三木曜日の早朝に、民間病院の理事長・院長が集まる勉強会「木朝会http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%A8%E6%9C%9D%E4%BC%9A」、今月は特別夜間例会として先日開催されました。テーマは、「2025年の日本を想定した病院のあり方に関する報告書:http://www.ajha.or.jp/voice/pdf/arikata/2011_arikata.pdf」について、全日本病院協会(全日病:http://www.ajha.or.jp/)常任理事で、禎心会(http://www.teishinkai.jp/)理事長・徳田禎久先生のご報告でした。

全日病常務理事・徳田禎久先生

全日病常務理事・徳田禎久先生

  この札幌の勉強会から、現在の全日病会長・西澤寛俊先生、常任理事・徳田禎久先生が大活躍されています。更にさかのぼると、診療報酬を議論する最も重要な機関、中央社会保険医療協議会(中医協:http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000008ffd.html)の委員として、竹内實先生が7年半も奮闘されて、現在は西澤先生が委員として活動されています。この木朝会は20数年前の設立時、竹内先生と私でアイディアを出し合い、札幌パークホテルを会場として始まり、メンバーはかなり変わりましたが今も続いています。先日の夜間例会には、竹内・西澤先生も講師の徳田先生とともにご出席でした。今、思い出してみても、日本の医療制度への積極的提言活動に燃えた素晴らしい日々でした。間違いなく、北海道の医療経営者が政策をリードしてきました、「地域一般病床」はじめ、政策に盛り込まれた項目もこの間かなりに及んでいます。

 詳細は省きますが、今回の報告書は、昨年4月に西澤会長から次のような指示があったそうです、「高齢社会がピークに達する2025年の日本における医療介護提供のあり方を検討し報告すること」と。そして、既刊の報告者や直近の医療情勢にとらわれず、1)社会構造の変化や経済の将来見通し等も踏まえた現実的な対応<現実的シナリオ>、2)これまで追求してきた理想的な医療介護提供のあり方を再検討<理想的シナリオ>です。

 先日、徳田先生もお話されていました、政治の混迷、暗い経済見通し等の中で、将来予測することは大変難しい時期ではありましたが、「医療基本法」制定に向けた整備作業、「産業としての医療」等に対して、果敢に提言しようとする姿勢は、ささやかながら共に議論してきた者として「誇り」に感じています。

 思い起こせば、今でこそ定着した「介護保険」も、導入に向けた事前議論・実験的試み等、かなりの活動がこの北海道をフィールドに、医療関係者の献身的な努力でなされたことも、私たちはしっかり記憶に留めて置くことが大切です。これまで培った医療提供体制基盤を、過疎化とか少子高齢化と言って、簡単に統合したり廃止したりするのは、あまりに知恵がないですね。

 今、北海道の将来を担う人々を支える「健康・医療」を、しっかり議論し実践していきたいものです、せっかく素晴らしい先生方がいらっしゃるのですから。

「当たり前」の光景が素晴らしい・・・

Posted by 秋山孝二
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 月1回の異業種交流会が終わっての帰り路、道庁前庭沿いをゆっくり歩いていると、池のほとりで数組の家族がのんびりと過ごしていました。お父さんに手をひかれて歩く男の子、おばあちゃんとお母さんと一緒の女の子、私は勝手にそう決めつけてカメラを向けました。

道庁中庭では、小さな子供たちが

道庁中庭では、小さな子供たちが

  今から7年前でしたね、札幌を猛烈な台風が襲い、市内でも風速50メートルを越えた時(http://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/news/taihu18_2004.html)、この道庁の大木も倒れ、道を一時塞ぎました。ある意味ではどこにでもある、ただの昼下がりの光景ですが、それがたまらなく幸せに見えるから不思議です。

 一方、家の庭には、今年も花が咲きました。窮屈な地面から、精一杯花弁を拡げて咲いている、何とも愛おしい姿です。

今年もまた咲きました

今年もまた咲きました

 冷やしたスイカと贈って頂いたナシ(幸水)を食べながら、今年の濃密な夏を振り返るひと時、そんな「当たり前」の時に感謝です。

ビハール号事件(4)

Posted by 秋山孝二
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 昨日の東京は、昼前に猛烈な豪雨と雷、東京駅丸の内地下街への入り口の階段は、まるで滝のように水が勢いよく流れ落ちていました。そして、今日の午前中の札幌、突然空が暗くなり、同じように雷鳴とどしゃ降りの雨です、今はもうすっかりあがって日差しも出ています。気温も空の様子も、急に、秋の気配です。

 「鎮魂」という言葉が、今年のお盆は特に重たいですね、3月の震災の影響か、先日の北海道新聞5回連載記事の余韻かは判りませんが・・・・。この1週間、たくさんの方々とメールのやり取り他、ご意見・ご感想をお寄せ頂き、いつもとはひと味もふた味も違った終戦記念日前後でした、幾つかご紹介致します。

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<私の叔母から>

記事を繰り返し重い心で読みました。表現できないことが多いですが私だけの感想を簡単にのべてみます。

* ハンガリーとの違い:ハンガリーは戦時中、自国をロシアに蹂躙され、それに応戦するドイツにも国をことごとく破壊されました。したがって国民は国を守る為に戦ったので、敗れても、ひどい目にあったがベストを尽くしたと思っています。ナンドールも故郷が戦場で戦いました。
* 最近テレビドラマで時々戦中、戦後の物語が放映されますが、私(80歳)共の世代から見ると 悲惨な、苦しいことばかり強調されて、クラスメート皆で「楽しいこと、美しいこともいっぱいあったのにねー」と、何か別の世界が映されている感じです。人間として偉い、尊敬する軍人も民間人も多かったです。宏お義兄さんの白い制服に短剣を帯びて、もの静かに歩く姿も神々しい感じでした。今そんな大人が何人いるでしょうか。この頃、民主主義に疑問を持つことが多いです。独裁者は嫌ですが、選挙のシステムなど根本的に考える必要があるように思います。

<永年の友人宛のメールから>

うちのオヤジも満州に行った陸軍二等兵ですが、通信部隊だったそうですが、やはり詳しいことは口をつぐんでいましたが、戦友とは最後まで仲が良かったのと、国(政府)というか権威というものを全く信じなかったことがとても印象に残っています。私の喉に刺さるが如くの小骨だらけの反骨精神もこのへんのオヤジの影響かも知れません。

ビハール号事件は明治の軍隊ではあり得ない事件だと思います。組織も人間も簡単に劣化していくことを無残でかつみじめな形で表した事件だと思いますが、劣化は当然他人事でも昔の話でもありませんので、まさに教訓の宝庫なのでしょう。

事件の主役となった重巡「利根」は、砲弾が散らばらないように艦首部に主砲4基を集中した珍しい艦ですが、被告の黛治夫艦長は、砲撃の理論家でも有名でもあったのでこの記事を読んで驚きました。そんなことがあったのか、です。

海軍はその性格上技術屋の集団(艦という機械と電気で出来た動く設備・装置に乗っかった軍隊)ですので、観念的なことは嫌ったはずですが、理論・理屈でははったりには対抗できず、あちこちに青年将校という名の無責任なはったり屋がはこびりだしてこういうことになっていったのだと思います。本来の責任は戦隊以下の現場(現地部隊)ではなく、艦隊司令部とか連合艦隊司令部などの上級司令部でしょうね。記事では軍令部とありますが、キーマンは艦隊司令長官でしょう、南西方面艦隊の高須中将ですね。

陸軍では有名なビルマの山岳地帯を舞台にしたインパール作戦があります。この作戦は軍事理論無視の無茶苦茶で有名ですが、この話も知れば知るほど怒りがこみ上げてきます。担当した軍司令部とその上の方面軍や南方総軍司令部の現地部隊への無理難題が、多くの将兵を死に追いやった他、作戦を担当した4師団の師団長が命令違反で全員解任されるという、陸軍史上始まって以来の事態を引き起こしました。

こういう陸海軍共通した話は、現代の企業戦士の自殺や過労死に通じる話ではないか、と思っています。その意味ではその昔あった話ではないのですね。われわれには被害、加害を問わず、これらの事件と同じ体質を持っているということだと思います。

<私から知人Aへ>

記事の余韻はまだ続きます。昨日は財団事務所に市内の方から電話を頂き、お父様の介護の時に、秋山愛生舘の関係する方にお世話になり、そのお礼を言いたかったと。また、数日前にはやはりお電話で、お父様が「利根」の乗組員だったそうで、ビハール号事件の時に乗っていたかどうかを確認出来ないかというお問い合わせでした。東京・目黒の防衛研究所・図書館閲覧室をご紹介しました。

<私から知人Bへ>

先日、実は戦史に詳しい方とお話をしました。彼の言では、イギリスの戦犯裁判とアメリカの戦犯裁判とでは、随分その処分が違っていると。アメリカの場合は、「怨念」がかなり強く、捕虜3人の殺害事件に対して、戦犯7人の絞首刑とかもかなりあったそうです。ビハール号事件では、65名の捕虜殺害に対して、幹部とは言え1名の絞首刑、1名の実刑7年判決というのは異例の「軽さ」であり、これは英国の日本海軍への敬いとか歴史の尊重とかと考えることが出来るのでは、という見解でした。手を下した人々が一人も裁かれていないというのも、犠牲になったお二人の「武士道精神」を英国が根底では受けとめたのでは、と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 一昨日でしたか、NHK・BSプレミアム(http://www.nhk.or.jp/shogen/)で「シベリア抑留」についての番組がありました。内容は、「戦後、57万を超える日本人が強制労働を強いられた『シベリア抑留』。過酷な収容所の日々、そして戦後日本での苦難。激動の歳月を、人々はどのように生き抜いたのか?」です。

 番組HPには、「過酷な労働を強いられ、少なくとも5万5000人以上が命を落としたとされる『シベリア抑留』。苛(か)烈な生存状況を激化させた日本軍組織の矛盾。スターリン体制のもとで行われた旧ソ連の徹底した思想教育。新たな苦難を余儀なくされた冷戦下の戦後日本。60年を超える激動の日々を、人々はどのように生き抜いたのか? 今も、深いかっとうを抱え続ける元抑留者たち。肉声で語るシベリア抑留の記録。」とありました。日本軍の中での葛藤、帰国後の苦難等、見応えがありました。

 それぞれの戦争体験、それぞれの想い、いずれも実に重たい話です、特にこの2011年は。鎮魂の8月は続きます。

お盆、千葉県館山市では

Posted by 秋山孝二
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 千葉県館山市(http://www2.city.tateyama.chiba.jp/Guide/?tpcid=44&stoid=19961)は、夏は海水浴客で賑わいますが、お盆を過ぎて、夏休みの皆さんも峠を越した感じです。

海岸も海水浴の峠は越えて

静かな館山市鏡ヶ浦方面を望む

 国の律令体制の下、安房(あわの)国は国分寺も置かれ、館山が政治・経済・文化の中心となりました。源頼朝が鎌倉幕府を開き、諸豪族が鎌倉の影響を強く受けて支配していたとされています。戦国時代に入り、里見氏が豪族を支配し始め、戦国大名として成長を遂げ、江戸に幕府が置かれた後も、外様大名として安房を中心に勢力を維持します。やがて幕府によって山陰地方に移されるまで、10代170年にわたって房総を統治しました。

城山公園の館山城(復元)

城山公園の館山城(復元)

 私にとって、館山の海と言うとヘリコプターが必ず思い出されます。今日も、館山市内鏡ヶ浦沖の海ではどこの部隊か、ヘリコプターの着艦訓練が繰り返し行われていました。

沖ではヘリコプターの着艦訓練

沖ではヘリコプターの着艦訓練

 そして、いつものことながら、海上自衛隊館山航空基地では、ヘリコプター訓練が朝から夕方まで行われています。平成20年3月から改編されて、正式には、海上自衛隊第21航空群(http://www.mod.go.jp/msdf/tateyama/)というようです。

<第21航空群部隊改編:HPより>
第101航空隊、第121航空隊、第123航空隊廃止
第21航空隊(館山)新編
第73航空隊(硫黄島航空分遣隊、大湊航空分遣隊)新編
隷下に編入( UH-60J型 ヘリコプター配属)
舞鶴航空基地隊、第123航空分遣隊、第2整備補給分遣隊廃止
第23航空隊(舞鶴)新編
大湊航空隊廃止、第25航空隊(大湊)新編

海上自衛隊館山航空隊で、ヘリコプター訓練

館山市宮城の基地でヘリコプター訓練

 時の経過とともに、マチの様子も変わっていくのでしょうね、暑い日が続く館山です。

始動する「福島原発行動隊:SVCF」

Posted by 秋山孝二
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 4月に、福島での原発事故に対して60歳以上の技術者たちがいち早く立ち上がった「福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト」が話題になりました。後に「福島原発行動隊:http://bouhatsusoshi.jp/http://www.facebook.com/bouhatsusoshi」との正式名称で、一般社団法人格も取得し、現在行動隊メンバーは500名を越え、賛同人も1500名くらいになっています。私は専門技術は何もないのですが、その志に感じるところがあり、設立直後に早速志願・登録し、先日、第8回目の参議院・院内集会に初めて参加しました。

* SVCF:Skilled Veterans Corps for Fukushima (三つ目の単語、「コープス」ではなく「コー」と発音)

ロゴも決定

ロゴも決定

 この活動趣旨等は、代表の山田恭暉さんの記者会見で詳細説明されています(http://www.ustream.tv/recorded/16534418)。設立当初から海外メディアの取材も多く、(http://www.csmonitor.com/World/Asia-Pacific/2011/0803/Fukushima-s-nuclear-cauldron-Retirees-who-want-to-go-in)、死を覚悟した「カミカゼ」行動隊かといったセンセーショナルな質問もあったとか。

 先日の集会でも、応援メッセージとして、「必ず無事帰ってきて下さい!」みたいな言葉も多く、何か鉢巻を締めた隊員のイメージで違和感が私にはありましたが・・・・。今は、一時の感情でも、思いつめた危機感でもなく、冷静に落ち着いた対処が大切だと思うのです。

 このプロジェクトの一番のポイントは、参加呼びかけの終り部分、「・・・・身体面でも生活の面でも最も放射能被曝の害が少なくて済み、しかもこれまで能力を蓄積してきた退役者たちが力を振り絞って、若い世代の被曝を少しでも減少するよう力を出しましょう。まず、私たち自身が、この仕事を担う意思のあることを表明します。・・・・」でしょうね。現在、長期の活動を視野に入れたち密な作業体制構築に向けた基盤づくりの最中です。しかしながら東京電力は、そんな私たちの思いを歓迎はしないのかもしれません。

 山田さんの記者会見でもメディアの方から報告がありましたが、地元の大学が、線量測定・ガレキ撤去等の作業に学生を担わせる計画をしているとか、とんでもありませんね、今の福島原発は教育の場以前の話だと思います。これから数十年、放射能事故の後始末を通して、技術の蓄積と、ヒロシマ・ナガサキに次いで、「フクシマ」を放射能の危険性を後世に伝えるモニュメントとしなければなりません。さらに、この危機を乗り越えた地元福島県民、日本国民の姿を世界に示したいものです。福島・日本だけの問題ではなく、国際社会、そして未来のいのちへの責任だと思います。

ビハール号事件(3)

Posted by 秋山孝二
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 今朝で、北海道新聞朝刊・5回連載「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う」が終わりました。

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 連載前は、取材によって新たな事実をたくさん知り、「これで一件落着」みたいな気になるかと思いましたが、今、正直言って、まだまだ検証途中という感じですね。「捕虜殺害」には、必ずその遺族が居るはずで、何人かは今回の場合、イギリスで今も暮らしているはずです。それと、香港での戦犯裁判の記録は、切り取られることなく、イギリス本国にアーカイブスとしてしっかり保存されているのは間違いないでしょう。この事件をさらに追い掛ける道筋は見えていますので、今後時間をつくって実現できればと思います。裁判記録の検索は、裁判上の専門用語が必要なのかも知れません。確かにあることは分かっていても、検索する用語が少し違っているとヒットして来ない場合もあるのでしょう、研究の余地ありです。

 限られたスペースでメッセージを伝えるために、無駄な修飾をそぎ落とし、コンパクトな言葉に思いを込める、そんな記者の努力を垣間見た気もします。たとえば記事の中、初日の中盤、「むさぼるように読んだ」には、私自身の本に対する思いが込められていましたし、2日目の後半部、「現場は口達指令の呪縛に追い詰められていく」のフレーズは、現場で増大する緊迫感が伝わってきます。さらに4日目の中盤、「法廷の論点は、被告人2人のどちらに責任があるかに矮小化された」は、経過を説明するとかなりの字数を必要とする事実を、実に端的に状況を言い当ててると思いました。

 今朝の記事は、最も緊張しましたね、試験の発表を待っている心境とでも言いましょうか。記者が一連の私との話でどう受けとめたのか、その結果が明らかになる感じでした。最後の表現は、まだまだこれからも検証は続く、「旅の途中」と言い渡された気がします。

 3・11以降に、特に原発事故に関わりのある組織で、今、「無責任の体系」が蔓延っています。結局、現場に全てを任せて(押しつけて)、第一義的責任を負う立場の人間達が逃げようとしている、今朝の報道で3つの中央官庁のトップが、「更迭」と報道されながら割増退職金を得る処遇となっているというのも、納税者としては許し難い話です。責任の取り方・取らせ方、戦前と何も変わっていません、出す方も出す方、貰う方も貰う方です、そしてそれを許してしまうメディアと国民も。これからも私たちは自立する市民として、油断せずに国政に携わる人々を「監視して」いかなければなりません、犠牲になったこれまでの命に申し開きができません。

 繰り返しになりますが、今回の連載、初日から私へのメール・電話・直接のお話等、大変な反響でした。一般的な読者のご感想は今後分かるのでしょうが、メディアの威力というか影響力というか、まざまざと実感しました。北海道新聞デスク・お二人の記者のご尽力に、心から感謝申し上げます、そして昨年、最初にこの事件を伝えてくれた小樽在住の渡辺大助さん(http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A1%E8%BE%BA-%E5%A4%A7%E5%8A%A9/e/B004LUT7F4)、読んで頂いた読者の皆さまに御礼申し上げます。

ビハール号事件(2)

Posted by 秋山孝二
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 昨年10月9日にこの欄で、「ビハール号事件:Behar case」について書いて以来(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5921)、しばらくの間沈黙の日々が続いていましたが、2011年8月8日から、終戦特集の一つとして、北海道新聞・第一社会面に5日続けて詳細載っています。「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う~」です。海軍兵学校66期卒の父、戦後66年を経て、60歳の還暦を迎えた私が、3・11以降、覚悟を決めました。

 初日以来、想像を上回る反応に、ただただ驚いています。会う人会う人、秋山財団事務所の近くを通る方も、職員に向かって、「ここの財団の理事長でしょ」とか、声を掛けて頂いているようです。約1ヶ月半の取材、北海道新聞の二人の記者の方々には、本当に寄り添っての取材活動、的確な質問、取材相手への敬意、何とも感謝の言葉も無い程の感動です。扱っている話題はとても重たいものにも関わらず、「今・ここ」で世に問いかけなければというジャーナリスト魂を感じました。同時に、「メディアの力」を目の当たりにした数日間です。

 一昨年来、私はメディアに対して、場当たり的な垂れ流し報道ではなく、時間軸のしっかりした調査・検証報道の必要性を指摘していたつもりです。昨年仰せつかった1年間の北海道新聞・新聞評でも、一貫してそれに言及しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%A9%95)。今回、まさにそれを実践する機会を与えて頂いた、そんな気がここまでの中でしています。キーマンお二人と直接面談でき、長時間のお話を伺いましたし、保阪正康さんとの意見交換では、トータルの戦争における「軍隊」の行動パターン、1000人以上の戦場体験者との面談に裏付けられた心理等、短期間で一気に情報の質も量も深化致しました。とても私一人では出来なかったことばかりです。このテーマに向き合う記者・報道部次長の誠意あふれる姿勢に、心から感謝申し上げます。

 明後日の最終回を終えて、再度この欄で書き留めたいと思います。今月から、この「秋山孝二の部屋」へのご意見を受け付けることにしました、ブログ開始3年弱を経て、初めて解禁致しました。スパムほかイレギュラーなメール以外は、基本的に掲載したいと思っています。一覧の画面から、「該当日のタイトル」をクリックするとコメントの受・送信画面が出て、ご覧頂けます。

初めてでした、「アンドロイド演劇」

Posted by 秋山孝二
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 財団法人・北海道文化財団(http://haf.jp/)のアートゼミ事業として、「アンドロイド演劇『さようなら』&『トークセッション』」が札幌で開催されました。プログラム最初はアンドロイド演劇「さようなら」の上演、次にトークセッションで、青年団主宰・平田オリザさん(http://www.seinendan.org/jpn/seinendan/about/index.html)、大阪大学教授・石黒浩さん(http://top.irl.sys.es.osaka-u.ac.jp/)、そして北海道大学教授・小野哲雄さん(http://chaosweb.complex.eng.hokudai.ac.jp/~tono/)でした。

舞台上の瞬きするロボット&トークセッション

舞台上の瞬きするロボット、どちらがアンドロイド?

 開演前、暗い舞台に座る女性、時々微妙に動きはするものの、「アレがロボット:http://www.youtube.com/watch?v=bwOAnc1SANcかな?」とささやく声も聞こえていました。この所、話題の演劇で、「平田オリザ+石黒浩研究室のロボット演劇・最新作!」、 「死を目前にした人間に、ただ詩を読み続けるアンドロイドと、一人の少女の物語」ほか、いろいろ紹介されています。

http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=24153

http://www.seinendan.org/jpn/info/2011/06/iworker_geminoidF/

http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20101004/E1286123616031.html

 ~~~~「現代口語演劇理論」に基づき、ち密な劇世界を織り上げる演劇界の旗手・平田オリザと、自分そっくりに、精密にコピーしたロボット「ジェミノイド:http://robot.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/07/21/93.html」で知られるロボット研究の第一人者・石黒浩。世界的に活躍する二人の才能がタッグを組み、大阪大学で進めている「ロボット演劇プロジェクト:http://www.robo-labo.jp/modules/d3blog3/details.php?bid=19」が、北海道・札幌で初上演となります。~~~~~チラシも話題豊富です。

 

 トークセッションでは、小野先生の進行で、大変面白いやり取りが続きました。

* 演劇との出会いと新しい研究:状況を踏まえたロボットの存在

* サッカーボールを蹴るロボット、それが何なの?という素朴な疑問、感動がなかったこれまでのロボット

* 演劇製作において、ロボットと俳優の差は基本的にはなし!

* 「アンドロイド・サイエンス:http://www.is.sys.es.osaka-u.ac.jp/research/0007/index.ja.html」は人間を理解すること、「人間とは何か」がテーマである

 

 正直、事前にチラシを読んでみてもどんな演劇か良く理解していなかったのです。ただ、20分と短い芝居という程度で。会場は若い方々も大変多く、満席でした。これまでの「ロボット開発」は、確かに状況とは隔絶したオタク的存在という感じ。平田オリザさんがおっしゃるように、「歩くロボット、ボールを蹴るロボット、それで何なのさ」、という素朴な疑問でしたね。

 演劇分野で、今後役者の半分くらいはロボットで十分なのではないか、と不気味な予測をされていた平田オリザさん。演劇における「人間の存在」が、あらためて問われる今後なのでしょうかね。大学の授業をロボットが行って、報酬を得ることが出来るかという提起も面白かったです。自宅からライブ遠隔操作での授業、巨大な人間の形をした携帯電話が教壇に立っていると考えれば、何の違和感もないではないかという石黒先生のお話は、妙に説得力がありました。

 大変新鮮なお話の数々、足を運んだ甲斐がありました、ありがとうございます。

私の札幌の原風景、藻岩山

Posted by 秋山孝二
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 人には、他の人には何の変哲もない景色に、たくさんの想い出と物語が詰まっている場合があります。この角度からの札幌「藻岩山:http://www.welcome.city.sapporo.jp/sites/moiwa」は、私にとっての札幌の原風景です。3年前のこの欄に、こんな書き込みもしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)。

札幌市中央図書館横から藻岩山を望む

札幌市中央図書館横から藻岩山を望む

 私の母校の小学校校歌「明星輝く藻岩の山の、気高き姿を日ごとに仰ぎ・・・」、中学校校歌「藻岩嶺を仰ぐ学び舎、我ら今、ここに集いて・・・」(http://www.youtube.com/watch?v=tczsnF-FqsI)、高校校歌「明日に望む藻岩嶺に、夕べ河畔の豊平に・・・:http://www.tokyorikka.jp/~minami21/kohka/index.html」、全てに登場する「藻岩山」は、私の心のふるさとです。

 札幌の街は、西側に山並みが連なり、南西に藻岩山、南9条通りから西を望むと円山が、南大通から西を望むと大倉山が、北5条通りから西を望むと三角山が、そして遥か北西には手稲山を仰ぎみることができ、景観的にも明治時代の開拓設計者の素晴らしいセンスに感謝したいですね。

 先日、東京からのお客様を、久しぶりに藻岩山観光道路を走って藻岩山頂にご案内しようと思って近くまで言った所、「現在休止中」との看板が掛っていました。山頂の建物のリニューアルで今年12月まで休業とのことでした(http://moiwa.sapporo-dc.co.jp/)。藻岩山頂からの夜景は素晴らしいですね、函館山と世界に誇れる夜景だと思います、香港、長崎なども行きましたが、比較になりません。

 遠くから眺めてもよし、登ってもよし、夜の夜景もよし、こんな素晴らしい山は私のこれまでの人生にはありませんですよ!

キタラに響く吹奏楽の音!

Posted by 秋山孝二
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今年も、社団法人全日本吹奏楽連盟(http://www.ajba.or.jp/)と朝日新聞社(http://www.asahi.com/shimbun/)が主催する「全国吹奏楽コンクール」の札幌地区予選があり、高校の部で、我が母校が今年も金賞を受賞し、全道大会出場となりました。今年は是非、全国大会へ進んでもらいたいものです、金賞を受賞しても、必ずしも全国大会に行ける訳ではないようですね。

2011年度(平成23年)吹奏楽コンクール情報(中学校・高等学校)
2011年度 吹奏楽コンクール課題曲
I マーチ「ライヴリー アヴェニュー」 堀田庸元 約3分半
II 天国の島 佐藤博昭 約4分半
III シャコンヌ S 新実徳英 約4分
IV 南風のマーチ 渡口公康 約3分
V 「薔薇戦争」より 戦場にて 山口哲人 約4分半

<今年の課題曲>

* マーチ「ライヴリーアヴェニュー:http://www.youtube.com/watch?v=cx74-LE4zNo

* 「天国の島:http://www.youtube.com/watch?v=KNgQZJT7DjI&feature=related

* 「シャコンヌ S:http://www.youtube.com/watch?v=Goje9Tj8PQ4&feature=related

* 「南風のマーチ:http://www.youtube.com/watch?v=5xFqC4LfPz0&feature=related

* 「薔薇戦争」より戦場にて:http://www.youtube.com/watch?v=gLX3OJEfEw0&feature=related

もう3カ月程前になりますが、5月下旬に、この高校の吹奏楽部が、「東日本大震災復興支援チャリティーコンサート」というサブタイトルで、第29回定期演奏会を開催しました。プログラム前半はオーソドックススタイルでの演奏、後半は「ハリウッド万歳」、「イエスタディ」、「アフリカンシンフォニー」等のジャンルで、そして最後は「坂本九メモリアル」でした。自由闊達な姿、こちらが元気をもらいました、素晴らしいですね、生徒たちの笑顔!

プログラム前に、「オープニングコンサート」として、打楽器、フルート、クラリネット、サックス、金管、木管、それぞれの四重奏、五重奏、八重奏の演奏があり、開演前に来たお客さんを楽しませてくれました。

プレ・オープニングセッションで

プレ・オープニングセッションで

上の写真、開演50分前なので、客席もまだ閑散としていますが、開演直前は満席。これを撮影直後、「撮影は禁止です!」と注意を係員から受けました、何と言うセンスの無さ!

このコンクールは、個人の部もたくさんあって、高校生には大変良いチャレンジの場となっています。いわゆるクラシック的緊張感と、マーチングとしてのウキウキ感、先日の高校野球全道大会でも応援席で活躍したようです。毎年感じますが、部長の生徒の挨拶も、実にしっかりしていて感動します。今年はフィナーレは、「見上げてごらん夜の星を:http://www.youtube.com/watch?v=-VUeSVjN1cM」の全員の大合唱でした。3・11の震災後、特に心に染み入ります。

陸別で、関 寛斎の足跡(2)

Posted by 秋山孝二
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 町の郊外のゆかりの地を巡り、一方、旧陸別駅付近には、関寛斎翁像等、その中で「関寛斎資料館:http://www13.plala.or.jp/doutounavi/sekikannsaisaito.html」は豊富な資料展示でした。

旧陸別町駅前に建つ「関寛翁之像」

旧陸別町駅前に建つ「関寛翁之像」

町の中心部・関寛斎資料館入口

町の中心部・関寛斎資料館入口

内部の豊富な展示物群

内部の豊富な展示物群

  波乱万丈な関寛斎の一生は、その才能を評価して登用した人々、多くの人との出会い、北海道に新天地開拓の意欲に燃えて渡って来た意欲等、数々の感動物語です。長崎医学伝習から松本良順を慕い、人生の歩み方にもそれを検証することが出来ます。

旧陸別駅前のそば屋さん「秦(はた)食堂」

旧陸別駅前のそば屋さん「秦(はた)食堂」

 駅前の大きなおそば屋「秦食堂」、息子さんの秦秀二くんは、(株)秋山愛生舘に新卒で入社し営業で活躍、私が社長時代に退社し、実家のそば屋を継ぐために陸別に行きました。当時、陸別に向かう直前に挨拶に来た時のことをはっきり覚えています。先日お世話になった時にも、地元青年会主催のお祭りの合い間に駆けつけてくれて、久しぶりに会うことが出来ました。松本良順、関寛斎、陸別、愛生舘、秋山愛生舘、秦くん、秋山財団、何か時間・空間を越える不思議な関係性を感じます。

 それにしても、内容の濃い、素晴らしい訪問となりました、陸別の皆さま、ご説明、ご案内等お時間を取って頂き、心から感謝申し上げます。

陸別で、関 寛斎の足跡(1)

Posted by 秋山孝二
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 片桐一男先生のお供で、道東の陸別町(http://www.town.rikubetsu.hokkaido.jp/)を訪問し、関寛斎の足跡を辿りました(http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/23692625.html)。陸別町は「全国最低気温」の地として、天気予報等でもよく名前が出て来ます。今回、松本順と長崎海軍伝習・医学伝習(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E4%BC%9D%E7%BF%92)の延長上で、関寛斎の更なる功績を実感すべく足をのばし、予想通り、関寛斎の「北の大地」で果てしない夢の実現に向けた奮闘を体感しました。地元の斎藤省三さん、向井啓さん、大鳥居仁さんには、お休みの所ご案内頂き、心から感謝申し上げます。

関寛斎・埋葬の丘から陸別町方面を望む

郊外にある関寛斎・埋葬の丘から陸別町方面を望む

丘の頂上に置かれた墓碑

丘の頂上に置かれた墓碑

青龍山・史跡ユクエピラチャシ跡に建つ関寛翁碑

青龍山・史跡ユクエピラチャシ跡に建つ関寛翁碑

 上総国山辺郡中村(現在の千葉県東金市)に生まれ、儒者・関俊輔の養子となり、佐倉順天堂(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4429)で医学を学びました。その後、長崎の第二次海軍伝習(医学伝習)に参画し、松本順と出会います。1年数カ月の勉学の後、奥羽、山梨、徳島と各地で地域医療の基礎を築き、明治35年に72歳で北海道・十勝国斗満(トマム)に入植して、自作農育成に力を注ぎました。開拓方針を、二宮尊親の二宮農場に求め、徳富蘆花との手紙のやり取り等多彩な活動でしたが、82歳の秋に、自らの命を絶った波乱万丈の人生でした。