陸別で、関 寛斎の足跡(2)

Posted by 秋山孝二
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 町の郊外のゆかりの地を巡り、一方、旧陸別駅付近には、関寛斎翁像等、その中で「関寛斎資料館:http://www13.plala.or.jp/doutounavi/sekikannsaisaito.html」は豊富な資料展示でした。

旧陸別町駅前に建つ「関寛翁之像」

旧陸別町駅前に建つ「関寛翁之像」

町の中心部・関寛斎資料館入口

町の中心部・関寛斎資料館入口

内部の豊富な展示物群

内部の豊富な展示物群

  波乱万丈な関寛斎の一生は、その才能を評価して登用した人々、多くの人との出会い、北海道に新天地開拓の意欲に燃えて渡って来た意欲等、数々の感動物語です。長崎医学伝習から松本良順を慕い、人生の歩み方にもそれを検証することが出来ます。

旧陸別駅前のそば屋さん「秦(はた)食堂」

旧陸別駅前のそば屋さん「秦(はた)食堂」

 駅前の大きなおそば屋「秦食堂」、息子さんの秦秀二くんは、(株)秋山愛生舘に新卒で入社し営業で活躍、私が社長時代に退社し、実家のそば屋を継ぐために陸別に行きました。当時、陸別に向かう直前に挨拶に来た時のことをはっきり覚えています。先日お世話になった時にも、地元青年会主催のお祭りの合い間に駆けつけてくれて、久しぶりに会うことが出来ました。松本良順、関寛斎、陸別、愛生舘、秋山愛生舘、秦くん、秋山財団、何か時間・空間を越える不思議な関係性を感じます。

 それにしても、内容の濃い、素晴らしい訪問となりました、陸別の皆さま、ご説明、ご案内等お時間を取って頂き、心から感謝申し上げます。

陸別で、関 寛斎の足跡(1)

Posted by 秋山孝二
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 片桐一男先生のお供で、道東の陸別町(http://www.town.rikubetsu.hokkaido.jp/)を訪問し、関寛斎の足跡を辿りました(http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/23692625.html)。陸別町は「全国最低気温」の地として、天気予報等でもよく名前が出て来ます。今回、松本順と長崎海軍伝習・医学伝習(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E4%BC%9D%E7%BF%92)の延長上で、関寛斎の更なる功績を実感すべく足をのばし、予想通り、関寛斎の「北の大地」で果てしない夢の実現に向けた奮闘を体感しました。地元の斎藤省三さん、向井啓さん、大鳥居仁さんには、お休みの所ご案内頂き、心から感謝申し上げます。

関寛斎・埋葬の丘から陸別町方面を望む

郊外にある関寛斎・埋葬の丘から陸別町方面を望む

丘の頂上に置かれた墓碑

丘の頂上に置かれた墓碑

青龍山・史跡ユクエピラチャシ跡に建つ関寛翁碑

青龍山・史跡ユクエピラチャシ跡に建つ関寛翁碑

 上総国山辺郡中村(現在の千葉県東金市)に生まれ、儒者・関俊輔の養子となり、佐倉順天堂(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4429)で医学を学びました。その後、長崎の第二次海軍伝習(医学伝習)に参画し、松本順と出会います。1年数カ月の勉学の後、奥羽、山梨、徳島と各地で地域医療の基礎を築き、明治35年に72歳で北海道・十勝国斗満(トマム)に入植して、自作農育成に力を注ぎました。開拓方針を、二宮尊親の二宮農場に求め、徳富蘆花との手紙のやり取り等多彩な活動でしたが、82歳の秋に、自らの命を絶った波乱万丈の人生でした。