ビハール号事件(3)

Posted by 秋山孝二
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 今朝で、北海道新聞朝刊・5回連載「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う」が終わりました。

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 連載前は、取材によって新たな事実をたくさん知り、「これで一件落着」みたいな気になるかと思いましたが、今、正直言って、まだまだ検証途中という感じですね。「捕虜殺害」には、必ずその遺族が居るはずで、何人かは今回の場合、イギリスで今も暮らしているはずです。それと、香港での戦犯裁判の記録は、切り取られることなく、イギリス本国にアーカイブスとしてしっかり保存されているのは間違いないでしょう。この事件をさらに追い掛ける道筋は見えていますので、今後時間をつくって実現できればと思います。裁判記録の検索は、裁判上の専門用語が必要なのかも知れません。確かにあることは分かっていても、検索する用語が少し違っているとヒットして来ない場合もあるのでしょう、研究の余地ありです。

 限られたスペースでメッセージを伝えるために、無駄な修飾をそぎ落とし、コンパクトな言葉に思いを込める、そんな記者の努力を垣間見た気もします。たとえば記事の中、初日の中盤、「むさぼるように読んだ」には、私自身の本に対する思いが込められていましたし、2日目の後半部、「現場は口達指令の呪縛に追い詰められていく」のフレーズは、現場で増大する緊迫感が伝わってきます。さらに4日目の中盤、「法廷の論点は、被告人2人のどちらに責任があるかに矮小化された」は、経過を説明するとかなりの字数を必要とする事実を、実に端的に状況を言い当ててると思いました。

 今朝の記事は、最も緊張しましたね、試験の発表を待っている心境とでも言いましょうか。記者が一連の私との話でどう受けとめたのか、その結果が明らかになる感じでした。最後の表現は、まだまだこれからも検証は続く、「旅の途中」と言い渡された気がします。

 3・11以降に、特に原発事故に関わりのある組織で、今、「無責任の体系」が蔓延っています。結局、現場に全てを任せて(押しつけて)、第一義的責任を負う立場の人間達が逃げようとしている、今朝の報道で3つの中央官庁のトップが、「更迭」と報道されながら割増退職金を得る処遇となっているというのも、納税者としては許し難い話です。責任の取り方・取らせ方、戦前と何も変わっていません、出す方も出す方、貰う方も貰う方です、そしてそれを許してしまうメディアと国民も。これからも私たちは自立する市民として、油断せずに国政に携わる人々を「監視して」いかなければなりません、犠牲になったこれまでの命に申し開きができません。

 繰り返しになりますが、今回の連載、初日から私へのメール・電話・直接のお話等、大変な反響でした。一般的な読者のご感想は今後分かるのでしょうが、メディアの威力というか影響力というか、まざまざと実感しました。北海道新聞デスク・お二人の記者のご尽力に、心から感謝申し上げます、そして昨年、最初にこの事件を伝えてくれた小樽在住の渡辺大助さん(http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A1%E8%BE%BA-%E5%A4%A7%E5%8A%A9/e/B004LUT7F4)、読んで頂いた読者の皆さまに御礼申し上げます。