祝・MSN東証一部上場!

Posted by 秋山孝二
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 おめでたいことが続きます!!

 ラグビーのクラブチームで有名な「バーバリアンズ:http://www.hokkaido-barbarians.com/」、そのクラブキャプテン・田尻稲雄さんが社長を務める(株)メディカル・システム・ネットワーク:MSN(http://www.msnw.co.jp/)が、6月8日、東京証券取引所第一部に短期間で上場を果たし(http://stockvoice.channel.yahoo.co.jp/index.php?itemid=1071)、先日記念祝賀会が開催されました。

MCNの東証一部上場祝賀会で

MSNの東証一部上場祝賀会で

 この領域では新しいビジネスモデルであり、6兆円市場のまだ緒についたばかりです。これまで31都道府県でビジネス展開を行っていますが、3年間で残り16県に進出し全国展開を完成したいと、力強く決意表明をされていました。事業活動で生み出したコスト削減による獲得利益は、医療機関・卸への利益分配として、それぞれ地域住民への還元と社会貢献への期待も示していました。この会社はPERは東証平均15倍に比べて、今現在8.5倍と株価も割安となっています。株価向上余地も十分にあり、これからの展開が楽しみです、新聞には「4350:メディシス」で記載されていますので、株価の推移にご注目下さい。

 当日会場では、多くの懐かしい方々と再会し、しばし興奮しましたね。医薬品卸業界でお世話になった元医薬品卸会社の幹部、メーカーの立場でご尽力頂いた方々、元秋山愛生舘の社員、その他今も行政・業界等でご活躍になっているトップの方々。

 昨今の厳しい経済状況の中で、久しぶりの明るい力強いお話の数々でした。これまで幾多の困難にもめげずに乗り越えてこられた田尻社長、沖中恭幸副社長、秋野治郎専務のご努力に心から敬意を表します。今後のご発展を祈念しています!

祝!上原与四郎先生の喜寿

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 今から約50年近く前、私が小学校5年から6年間、チェロを習った上原与四郎先生の喜寿のお祝いコンサートが開催されました。残念ながら私は他の用事で出席出来ませんでしたが、足を運んだ母・妻の話では、500名近くの聴衆で大盛況だったようです。

当日プログラムより

当日プログラムより

  上原与四郎先生は、1933年水戸市生まれで、武蔵野音楽大学卒業後、今井正監督の映画「ここに泉あり:http://homepage1.nifty.com/Kinemount-P/kokoni-izumiari.htm)でも有名になった群馬交響楽団(http://www.gunkyo.com/)に1953年入団されました。1961年札幌交響楽団(http://www.sso.or.jp/)に創立と同時に入団され、13年間首席奏者をつとめられました。この間、札響の定期演奏会には第1回から1991年10月の第329回まで連続して出演されて、同団のインスペクターとしても20年余りに渡り活躍されました。札響に今ではファンクラブ(http://members3.jcom.home.ne.jp/sakkyoclub/index.html)も充実して、世界でも有数な交響楽団に成長し、札幌の文化の誇りとなっています。設立翌年から「財団法人」となり、昨今の公益法人改革(http://www.gyoukaku.go.jp/about/koueki.html)の中、昨年、北海道では第一号の「公益財団法人」への移行認定となって、新たな法人格としてスタートしています。蛇足ですが、私が理事長を務める秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)は、第四番目の「公益財団法人」への移行認定でした。

  今回のお祝いコンサートでは、プロ・アマ合わせて30名ほどの門下生が、チェロ・アンサンブルのために作られたオリジナル曲やアレンジを10曲演奏、最後には先生ご自身も2曲演奏されて、拍手喝采だったそうです。札響の現役団員のブログにも掲載されています(http://blog.livedoor.jp/arakihitoshi/archives/51491294.html)。

 私は高校2年生の秋、上原先生から「音楽学校へ進学するのなら、そろそろ決断する時期ではないか」とお話があり、初めて自分の「進路」について真剣に考えました。私はこの時点で音楽への道を選択しきれずに、ある日曜日の午後、先生のご自宅に普通の進学(?)の道を選ぶ事をお伝えして、これまでの先生のご指導への感謝を申し上げにお邪魔したのを鮮明に覚えています。その後の自分の人生においても、一つの道を断念したみたいな、最初の決断だったような気がします。ろくに練習をしていないでレッスンに臨んでも、決して怒ることなく優しく教えて頂いた記憶だけが残っています。それが当時、運動もしながらチェロを続けられた理由だと、今も感謝しています。他の門下生も、皆さん同じような感想を後に語っていらっしゃいました。

45年前にこんな中学生も上原先生に習っていました

45年前にこんな中学生も上原先生に習っていました

 それにしても当時から、札幌のクラシック音楽への関心は大変高かったような気がします。私は幼稚園生の時から南9条・荒谷正雄先生の札幌音楽院でヴァイオリンを習っていましたし、HBCジュニアオーケストラの活動も盛んでした。市民会館で行われる札響コンサートには、私も小学生時代から度々行っていました。当時から小・中学生はじめ、若い世代の聴衆も多く、スタートから幅広く愛着のある「市民の交響楽団」でしたね。 

 札幌市民会館では、チェロの巨匠:ロストロ・ポーヴィッチの公演が強く印象に残っています。大変大きな楽器で力強く鳴らす演奏は、今でも脳裏に焼き付いています。またピエール・フルニエの公演では、まぶしいばかりの銀髪が美しかったですね。貴族的な優雅な演奏に胸をときめかして聴き入りました。身近な所では今でも忘れられません、私が習っていた時、高校の1年先輩・平野秀清さんは、私より後から上原先生の門下生になられましたが、猛練習と才能で本当に表現も豊かで素晴らしい音色でした。桐朋学園大を卒業後、NHK交響楽団(http://www.nhkso.or.jp/)に入られ、活躍されました。

 上原先生のご指導は、実は私だけではありませんでした。随分後になって私の4番目の子供が小学校の6年間、再び上原先生の門下生となり、何と親子2代でお世話になったのです。私は高校卒業後、大学・就職等で札幌を離れて住居を何回も変えましたが、その都度自分のチェロも一緒でした。でも、殆どケースを開けて弾く時はありませんでしたが・・・・。ただ側にいるという自己満足だけで今日まで過ごしています。

 数多くの映画の名場面では、チェロの演奏が多く聞こえてきます。低音部の落ち着きと、高音部の豊かな表現力、ヨー・ヨー・マはじめ若い世代のチャレンジも魅力的です、チェロにまつわる思い出は尽きません。 

RIKKA FOREST in モエレ

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 2010年・六華同窓会の特別事業「森を遊ぼう、森を聴こう:RIKKA FOREST コンサート in モエレ(http://minami35.net/business/)」が、モエレ沼公園(http://www.sapporo-park.or.jp/moere/index.php)・ガラスのピラミッド・一階アトリウムで開催されました。

 5年前にオープンしたこの公園、設計にも関った松岡拓公雄(http://www.architectship.jp/)さんは南21期で私の2年後輩、昨年の東京六華同窓会・新年会で、その時の様子を説明してくれて(http://www.tokyorikka.jp/sinsyunnotudoi/sinsyunnotudoi-2009-Hokoku.html)、先日も会場にいらっしゃっていました。

モエレ山頂上から北を望む

モエレ山頂上から北を望む

ガラスのピラミッド前の霧噴出

ガラスのピラミッド前の霧噴出

  第一部の「クラシックコンサート」では、お話(作曲家):中53期・助川敏弥(http://www008.upp.so-net.ne.jp/sukegawa/contenta.htm)さん、ソプラノ:南高卒・高橋照美(http://kjkb.jp/takahashi-sop2008.html)さん、ピアノ:南35期・上杉春雄(http://www.uesugi-h.jp/)さん、第二部の「ジャズライブ」では、パーカッション&ボーカル:南35期・陣内雄(http://blog.goo.ne.jp/t-jinnouchi)さん、ピアノ:南35期・南山雅樹(http://spysee.jp/%E5%8D%97%E5%B1%B1%E9%9B%85%E6%A8%B9/1579136/)さん、その他、OB・OG合唱団、現役合唱部が出演して、素晴らしいコラボレーションでした。空に昇る唄声と演奏は、天にも届くような気がしました。

同窓生の素晴らしい音の空間へ変身!

アトリウム:同窓生の素晴らしい音の空間へ変身!

 芸術・文化における同窓生の多彩なご活躍は、脈々とDNAとして受け継がれているのでしょうね。会場には幅広い市民150名以上がひと時耳を傾けていました。私は、町なかから札幌市営地下鉄・東豊線「環状通り東」から路線バスに乗換えで25分、モエレ公園東門から入って標高62メートルの山登り他しばしの散策でした。公園内には小さな子供を連れた家族連れ、若いカップルで賑わっていました。190万都市のすぐ隣で(中で?)、広大な敷地と広い空、伸び伸びとした北の大地・北海道を象徴しているような場に身を置き、札幌に惚れ直しました。

 富良野・美瑛で北海道に惚れ直し、今回札幌に惚れ直し、惚れっぽい私で申し訳ありません!

北を語る会・移動例会(後)

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  一日目の余韻に浸りながら、二日目の最初は観光地の中の観光スポット・富良野「風のガーデン:http://www.princehotels.co.jp/newfurano/facility/garden/」、昔のゴルフ場には2回程行ったことがありましたが、途中から天を横に走る激しい雷だったのを覚えています。今では「ガーデンブーム」の先駆けとして人気沸騰ですね。昼食は美瑛町「ファームズ千代田:http://www.f-chiyoda.com/index.htm」でした。

 午後一番は、美瑛町「新星館:http://www.hokkai-bin.com/journal/k-05-sinseikan.html」、ここの大島館長は、東大阪にあるお好み焼き屋「伊古奈:http://www.lococom.jp/article/A27/28/227/30467/96124/L/」のオーナーです。東大阪のお店の近くには、司馬遼太郎記念館(http://www.shibazaidan.or.jp/)もあります。

砦の上の「明新館」

美瑛軟石の石垣・「新星館」

  とにかく、周辺の雰囲気とは大きく異なった「砦」のような美瑛軟石による石垣の上、大島館長にお聞きすると少しの表土を取り除くとこのような岩がごろごろしている土地柄とのことでした。館内には須田剋太(http://www.osaka-art.jp/genbi/suda/about_suda.html)の力のある絵画・書、島岡達三(http://www.koumi-town.jp/museum/exhibition/shimaoka.htm)の作品が集められていて、強いメッセージを感じました。

熱烈館長

熱烈:大島館長・須田剋太を語る

  続いては、上富良野町「後藤純男美術館:http://www.gotosumiomuseum.com/index.html」です。日本画の大家、北海道の風景もたくさん書かれています。オホーツクの流氷、十勝岳連峰等の作品は大変な迫力で釘付けになりました。「白色」とひとくくりにしても、多彩な種類で表現されていて、作品からは厳寒の張り詰めた緊張感が伝わってきます。絵具の原材料が違うのだと、長時間熱心にご案内して頂いた館長から伺いました。

「後藤純男」美術館・玄関

「後藤純男」美術館・玄関

  夜は白金温泉のホテルで、旭川からお越し頂いた旭山動物園(http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/)園長・坂東元さんのご講演でした。「伝えるのはいのちの輝き」と題してのお話は、前任の小菅正夫園長(高校の2年先輩:http://www.asahiyama-movie.jp/interview_encyo.html)とは一味違うキャラクターで、「野生のいのち」と真摯に向き合ってきた体験がにじみ出ていて、本当に感動しました。「行動展示」よりも「営み展示」の方がより的確な表現である、「入場者数」を最優先で追い求めると動物が単なる「道具」となってしまう、動物園の目的はいらっしゃった人々の満足度向上であるべき等、的を射たメッセージの数々でした。知床が世界遺産に指定されて5周年記念イベントの帰り、大変お疲れの所を来て頂き心から感謝でした。

旭山動物園・坂東園長の熱弁

旭山動物園・坂東園長の熱弁

  翌朝は、前日に続いて再度、「十勝岳望岳台:http://www.ekinavi-net.jp/railway/jr-furano/biei/bogakudai.html」からの眺望にチャレンジしました。頂上付近は流れる雲で覆われていましたが、周辺の雰囲気も十分伝わってきて、圧倒的な自然の景観を目の当たりにして、何か深々とお辞儀をしたくなる気持でした。

 連日の超一流の場・講演者・演奏者から、本物の「いのち」、「文化」が発する輝きとエネルギーをたっぷり浴びて、大変贅沢な旅となりました、皆さん、ありがとうございます!

北を語る会・移動例会(前)

Posted by 秋山孝二
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 ユニークな異業種交流の「北を語る会」・20周年記念移動例会が、総勢40数名・二泊三日で富良野・美瑛・白金温泉・旭川を巡る旅になり、密度の濃い企画の数々は、感動につぐ感動で息つくヒマもありませんでした。北海道は素晴らしい、惚れ直しですよ! 

 まず1日目は、今春オープンした富良野「カンパーナ六花亭(http://www.rokkatei.co.jp/facilities/campana.html)」です。ブドウ畑を育成中で、数年後には素晴らしい場となるのでしょう。ここからの眺望も、坂本直行・相原求一郎作品ギャラリーも、お洒落でセンスが抜群でした。ここでの昼食後は、富良野市内に同様に春開設した「フラノマルシェ:http://www.furano.ne.jp/marche/」です。連休の初日でもあり、沢山の人で賑わっていました。

六花亭ブドウ園より

カンパーナ六花亭・ブドウ園より十勝岳を望む

   次はお馴染みの「富良野演劇工場:http://www.furano.ne.jp/engeki/engekiopen16.htm」です。今上演中の富良野グループ(http://www.furanogroup.jp/)「歸國」を観ました。面白い設定だとは思うのですが、少々無理があるのかな、とも。場面・場面は現代への批判的メッセージも良く分かりますが、「英霊」が今を語る違和感というか、しゃべり過ぎというか、もっと「霊的」であって欲しかった(?)、シナリオとして後半部の刺された息子の登場は冗漫な気がしました。私にとっては昨年の「屋根:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=584」の方がはるかに胸に迫りましたが。かなり期待していただけに残念でした。

富良野グループ演劇ポスター

富良野グループ演劇ポスター

  そして1日目の宿泊場所、「ハイランドふらの:http://highland-furano.jp/」です。ラベンダー畑が香りも上品で見事でした。

富良野高原ホテル・ラベンダー畑

ハイランドふらの・ラベンダー畑

 夜も盛りだくさん、まずは「風と啄木鳥(きつつき)」のギター・尺八のコラボ演奏、ギターは富良野市内でスナック「啄木鳥」を開業している小林庸さん、尺八は山中詔市さんです。「北の国からのテーマ:http://www.youtube.com/watch?v=hsSAnsrQvLk」に始まり北島演歌まで、素晴らしいハーモニーでしたね。特に尺八の音色は多彩で色っぽかったです。

 そして「富良野メセナ協会:http://d.hatena.ne.jp/nobuko945/archive」代表・篠田信子さんのご講演でした。(社)企業メセナ協議会(http://www.mecenat.or.jp/)とも連携した活動をされています。篠田さんは、日本で初めてのNPO法人「富良野演劇工房:http://www.furano.ne.jp/engeki/」の初代理事長で、富良野の演劇を永年地域で支えてきた第一人者です。(財)北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)でも設立以来、大変お世話になっています。

 「文化を手法にまちの活性化を願う」、その草分けとして市民活動をリードし、地域の方々を信頼してすそ野をいつも広く展開して、「演劇のまち・富良野」、「文化の香るまち・富良野」、「50年後の子供たちに宝を残したい」と語りかける彼女の一言ひと言に説得力がありました。行政へのアプローチもポイントをつかんでブレず、怒らず、男はその点ダメですね、女性の「しなやかな強さ」を受け止めました。

 「FURANO」を満喫した一日となりました。

「無言館への旅」を語る

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  戦没画学生慰霊美術館「無言館(http://www.kidailack.co.jp/gallery/mugon.html)」館主・窪島誠一郎さんの講演会が開催されました。彼はこの美術館オープン(1997年)に先立って、 信濃デッサン館(http://www.kidailack.co.jp/gallery/shinano.html)を31年前に開設しています。

窪島誠一郎の講演

窪島誠一郎さんの講演

  書籍「無言館はなぜつくられたのか:http://www.bk1.jp/product/03279120」(かもがわ出版)」にも詳細は記述されていますが、野見山暁治先生との出会いから、多くの画学生の遺作収集、遺族を訪ねる全国行脚等、絞り出すようなお話に200名を越える参加者も聴き入っていました。

 美術館に足を運ぶ目的は、ただ有名な、お目当ての作品を見に行くのではなく、「作品と出会う『未知なる自分』の発見=非日常」を楽しむこととおっしゃっていました。実によくわかります。

 野見山先生と窪島さんは、87か所の学徒出陣した先生の同級生を訪問されました。先生にとってはかなり辛い旅だったはず、と窪島さんは同行されての感想も語っていました。そして窪島さんは、それぞれの遺作自体はまだまだ発展途上かもしれないが、自分が感動した想い出を他者に伝える義務があるのではないだろうか、自分のいのちは伝える為にある、そんな気持でいっぱいとのことでした。

 終わりに、この「無言館」にある作品は、反戦平和のプロパガンダではなく、愛する人を描いた数々であり、愛する人への感謝を通じた自分のいのちの証でもある、同時に今を生きる我々はどれだけのものを失ってきたのかを問いかける場に違いない、そう結ばれました。

 野見山暁治先生から「君は戦争を知らないだろう」と言われた窪島さんですが、彼自身は、「養父母のシルエットの向こうから自分も戦争を体験している」と話されていました。戦争の影を引きずるお二人の出会い、そこから戦争と戦没者への深い想いが無言館を通して浮かび上がってくるのでしょうね。

 急な企画と主催者の國田さん(中学・高校の一年後輩)はおっしゃっていましたが、奥行きの深い素晴らしい講演会でした。

サービススタンダード、「三愛の精神」

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 札幌近郊の民間病院経営者の先生とともに、20年以上継続している「木朝会(もくちょうかい)」例会・第261回があり、今回は永年札幌パークホテル(http://www.park1964.com/)でもご勤務の取締役総支配人・田辺俊一さんのご講演でした。正式名称は、「株式会社グランビスタ ホテル&リゾート 札幌パークホテル:http://www.granvista.co.jp/company/index.html」だそうです。

 札幌パークホテルの歴史を大変丁寧にご説明されて、顧客とともに歩むサービスの一端を理解できた気がします。そもそも(株)リコーの創始者・市村清(http://san-ai-kai.jp/ichimura/index.html)さんの「ホテル三愛」からスタートして、今もその「三愛の精神」をサービスの基軸に据えている姿に、学ぶ所が多いですね。現在のロゴも、当時の「H」と「S」との組み合わせのままで使われていて、大変懐かしく感じます。プライベートでは伯父・伯母のスポンサーで、幼い時から、そして私の子供たちも含めて度々お世話になっていて、特に4階中華「桃源郷」にはよく行きました。また仕事では、1991年に(株)秋山愛生舘・100周年記念パーティもここで開催しましたが、その時ご担当だったのが田辺俊一さんでした。「六華(りっか)同窓会:http://www.rikka.net/」の毎年の総会・懇親会でも永年お世話になっています。

 現在、その創業精神は、「EMINA」としてサービススタンダードとなって全てのスタッフの基盤とのことでした。「EMINA」とは、アイヌ語で「ほほえみ」という意味だそうです。

札幌パークほてる:サービススタンダード

札幌パークホテル:サービススタンダード

  ホテルの顧客サービスは、病院他でも大変役に立つ場合が多いですね。継続的に良好な関係をどう創っていくのか、顧客(患者)満足度をどう上げるのか、個別対応の価値等、とにかくわがままな(?)お客・患者に対して、どう対応し満足度を高めるのか、共通する概念もすぐに役に立つお話ばかりでした。顧客からのクレームを記録・分析してみると、2割は「コミュニケーション不足」が原因だそうです。ブライダル部門では、顧客が「何をしたいのか」、「誰を喜ばせたいのか」等をしっかり把握する、またどうニーズを引っ張り出すか、全て対応した担当者の「コミュニケーション力」に因るものであると。そこから「顧客満足度向上」への解決策が生まれるのでしょうね。一方、モンスター化したとんでもないクレーマーに対しては、実に見事に対処する準備をお持ちです、時には毅然とした処置も含めてですね。

 これまで「木朝会」では、札幌パークホテルにお世話になっていますが、確かに朝7時からの毎月の会合では、採算を度外視しての微笑みとコミュニケーション溢れるサービスにいつも感謝しています。それにしても先日田辺総支配人と久しぶりに昔話が出来たのは、はたまらない幸せでした。名前はそのままでも、知っているスタッフが一人もいなくなってしまった老舗ホテルがある一方で、創業の心をきっちり守り育てて、スタッフにも徹底しているその経営姿勢に心から声援を送ります。サービスはやはり「人」と、つなげる「コミュニケーション」ですね、今後とも宜しくお願いします!

がん患者~お金との闘い、他

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  メディア・アンビシャス7月例会(http://media-am.org/?p=203)では、STV(http://www.stv.ne.jp/)・佐々木律プロデューサーをゲストにお迎えして、作品「がん患者~お金との闘い:http://www.stv.ne.jp/tv/dnews/past/index.html?idno=20100528204534&query_start=1」を上映・ディスカッションを行いました。(参考:http://pancreatic.cocolog-nifty.com/oncle/2010/02/post-c4a4.html

 今年1月に、がん患者の女性・金子明美さんが享年41歳で亡くなられました。彼女はがんと闘いながら、がん患者の治療費負担の問題を提起してきました(金子明美さんブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/akiramenaidesu/)。

 私はがんに関しては、これまで医薬品卸売会社の経営者として、現在は北海道対がん協会(http://www.hokkaido-taigan.jp/)・監事として、それなりに近い立ち位置で過ごしてきましたが、今回のような患者サイドの経済的な視点からの問題提起は、恥ずかしながら初めて接しました。

 この番組は3回目のリメイク、3年間の取材中にSTV「どさんこワイド」でニュースとして20回以上報道され、岩波書店からも「がん患者~お金との闘い:http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-022499-4」で出版されています。佐々木さんもお話されていましたが、一連の取材では、患者・家族の周りには多様な課題が横たわっていて、「何をテーマとするか」、「どこに解決の道筋があるのか」等、誰も見つけられない難しさがあったようです。創りようによっては、「がんを支える家族物語」で終わってしまう、そんな危惧さえお持ちだったとか。厚生労働者の窓口の方も、新聞レベルの現状把握でしかなく、一般市民にとっては推して知るべしですね。生命保険会社に対しては、「知らせる」意味あいでは大きな成果があったのかもしれません。

 製薬会社は、競ってこの分野で新薬開発を莫大な投資により行い、市場に出たとしても大変高価な医薬品となります。その上、「治療」というよりも「延命」効果に止まる訳で、研究領域を越えた幅広い医師・医療機関、患者・その家族にとって本当に望む医療なのかどうか、まだまだ議論の余地がありそうな気がします。ただ、患者サイドに立った報道というのは大変貴重であり、是非これからもこの視点からのメディアの役割に期待し続けたい気持です。

 

 もう一つ、医療関係の話題です。「札幌医科大学・医療安全公開講座:『女子医大の経験』~再発を防ぐために(http://web.sapmed.ac.jp/jp/public/local/index.html)」が開催されました。黒澤博身先生による2001年3月の東京女子医大(http://www.twmu.ac.jp/)事件から学ぶ貴重なお話でした。英国「ブリストルの経験:http://dr-urashima.jp/pdf/r-5.pdf」から、「システムエラー」の中で、コミュニケーションの重要性を指摘され、「現代医療の限界」を、事前にどう患者・家族に説明するか、医療従事者の認識とギャップのある課題を提起されました。そして同時に、ここでもメディアの役割の重要性が語られました。

 超高齢社会、疾病構造の変化、医療の進歩、新薬の発売等、日本では我々にとって未知の課題解決までの間に、まだまだ幾つかの貴重な「いのち」の存在が必要なのかも知れません。どこかに「悪者がいる」といった悪代官探しよりも、みんなで創っていく姿勢が急務なのだと思います、それが亡くなっていった「いのち」に対する責任かと。

劇場/新時代への展望

Posted by 秋山孝二
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 今月上旬に、劇作家・演出家、劇団青年団(http://www.seinendan.org/jpn/seinendan/about/index.html)主宰、内閣官房参与の平田オリザさんを東京からお招きして、「劇場/新時代の展望」と題してのセミナーが(財)北海道文化財団(http://haf.jp/)主催で行われ、当日は260名を越える方々の参加で、大変な盛り上がりを見せました。

平田オリザさん(右端)も参加の鼎談

平田オリザさん(右端)も参加の鼎談

  平田オリザさんの基調講演では、「芸術立国論」を発表してからの10年の足跡を辿り、「舞台芸術の現状と未来~優れた劇場からの創造発信」や、「創る、観る、育てる」劇場と新しい国立劇場構想、劇場法策定の意義について、貴重なお話を聴くことができました。その理念については、文化庁文化審議会文化政策部会の資料からも読みとれます(http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/seisaku/08_08/pdf/shiryo_2.pdf)。

 創作活動としての「劇場」の位置づけ、成熟した国家・社会における「政策」の重要性、そしてそれが世界へ発信できる人材の確保・育成につながる一連の効果を、フランス・イギリスの例も提示されて大変分かりやすいお話でした。不足している「教育システム」と「劇場の創作活動」とのご指摘はまさにその通りで、従来型ハコモノ政策ではない市民活動の高まりとして、「文化で生きていく覚悟」を問われたような気がします。思えば、これまで北海道演劇財団の設立以来発信してきたメッセージそのものでもあります(http://www.h-paf.ne.jp/hpaf/tokushoku.html)。

 従来の「国立劇場」のイメージとはかなり違った、創作活動の拠点としての全国各地の「創る劇場」構想は実に興味深く、北海道の芸術・文化政策としてもかなり現実味を帯びていると感じました。今後、道民としてもしっかり地に着いた議論を重ねて、実現したいと思いましたね。

 来月2日午後6時30分から、札幌市中央区大通東3丁目・内田洋行1階「U-cala」で、「演劇文化は街の活力~演劇人が活躍する街をめざして」をテーマにフォーラムが開催されます。札幌をもっと芸術・文化のあふれる街にしたい、そんな想いから「芸術・文化フォーラム:ACF」が結成されて、今回はここ主催の第5回フォーラムとなります。私もパネラーの一人として参加する予定です。

アオムシは、今、元気です

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  イモムシでもケムシでもない、アオムシが庭で元気でした。キアゲハの幼虫でしょうか、数匹存在感を示しています。やがて美しい蝶となって、大空を飛んでほしいですね。

庭で元気な青虫です!

庭で元気な青虫です!

  参議院選挙が終わりました、結果は結果としてただ受け入れるだけです。ただ、その後の各政党のコメントを読むにつけ、「どうして日本の政治家は、どいつもこいつもこう見識が低いのか、今後のビジョンも理念も感じられない」そんな落胆を隠せません。「あなた方の最優先課題は、選挙に勝つことですか!」と、言いたい今の私の心境です。

 昨年の政権交代後、私の尊敬する多くの経営者の方々とお話をする機会がありました。100%の皆さんが、「交代を選んだのだから、少なくとも4年間はやらせてみての評価でしょう。この課題山積の今、メディアの言うなりにコロコロ政権を代えるその事が一番のマイナス要因だと思います」と、お話になっていました。現実的課題にリスクを取って日々向かい合っている経営者は、交代した新しい体制が機能する時間というのがどの位なのかを、本能的に理解しているのだと思います。今朝新聞で読んだ各経済団体の代表の方々のご発言も、そのようなメッセージでした。(http://www.doyukai.or.jp/chairmansmsg/pressconf/2010/100713a.html)私も全く同様に思います。谷垣氏の「今回の結果を得て衆議院解散・総選挙に追い込む」みたいなコメントが事実なら、現状認識の誤りもいい加減にして頂きたいものです。メディアの「騒ぎ屋」的スタンスも相変わらずで、メディア自身の「立ち位置」が私には全く伝わってきません。

 今、日本社会に山積する難題は国家的危機であり、多くの課題が超党派で対応すべきものばかりだと私は思います。この大切な時期に政府・国会が機能しないとすれば、リスクは高まるばかりです。待ったなしの政策課題を、何とか国民の知恵と勇気で解決したいものです。

 先日、マチ中でお会いした知人との立ち話で、「しばらくは政治には何も期待できない、どんな政権であっても、自分の責任のあるフィールドをしっかり守っていく時期なのでしょうね」という点で意を同じくしました。多くのコストをかけての選挙をはじめ、政治のコストパフォーマンスを「仕分け」して貰いていですね。同時に、どの党にせよ、若い人材に期待したいと思います、従来型から脱却して、新しい世界の形成に向けた努力にですよ。

隣国の家族たち、北と南で

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 ミニシアター系映画館の上映スタイルは、一つの作品を一日の中で繰り返し上映ではないので、同じ日に同じ映画館で違う作品を観ることができます。札幌・狸小路6丁目のシアター・キノ(http://theaterkino.net/)で、二本続けての韓国映画は、いずれも「家族の関係性」をテーマとしていました。 

 一つは、「息もできない:http://www.bitters.co.jp/ikimodekinai/」で、俳優として活躍してきたヤン・イクチュン初の長編監督作品です。「自分は家族との間に問題を抱えてきた。このもどかしさを抱いたままで、この先は生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった」と、チラシにあります。そんな切実な思いから脚本を書き始め、自分で資金を集め、製作にこぎつけたそうです。自身の感情のありったけを注ぎ込んだ主人公サンフンを演じるのはもちろん彼で、まさにヤン・イクチュンの魂そのものですね。物語はフィクションでも、映画の中の感情に1%の嘘もない、と彼は更に語っています。

 観客の胸を激しく揺さぶり、彼の感情を受け止めるのも大変です、観客こそ、まさに「息もできない」でした。見終わった後の疲労感もかなりでしたね。最初から最後までトップギアといった感じで、「間」とか「溜め」がもう少しあると、作品としてはもっと感動出来たような気がしますが。

映画チラシより

映画チラシより

  もう一方のキム・テギュン監督、「クロッシング:http://www.crossing-movie.jp/」は完成度の高い映画でした。「生きるために命を賭けて国境を越える人々:国家とは何か、人間とは何か、彼らの存在が私たちの心を激しく揺さぶる」、「果たされなかった父と息子の約束」、「生きるために別れるしかなかった」・・・・、胸に刺さるフレーズの数々、涙が止まりませんでしたね。11歳の息子ジュニが、「お母さんを守る約束を果たせなかった、ごめんなさい」と、遠く離れた父に詫びる場面は、特に胸が痛みました。折しもW杯サッカーの真っ最中、そしてどこにでも同じように降る「雨」が場面場面で現れて、思い出の糸となって繋がります。背景の映像も素晴らしく、韓国・中国・モンゴルでの撮影は、移動距離で8000キロにもなったとか。

 一昨年、私は板門店に行き、昨年4月にこの欄に書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=876)。しかしながら、その時の北と南の対峙する場は、多くの悲劇を覆い隠すかのように異様な静けさでした。日本本土では1945年が最後の終戦でしたが、隣国ではその後更に新たな戦争が勃発し、多くの家族の悲惨な状況が今も続いている現実を実感しました。余りにも理不尽な、そしてその中でも脈々と続く親子の愛情、地理的にはすぐ近くの、同じ時代を生きてきた別の家族像を目の当たりにしました。

麗人・美輪明宏の存在感

Posted by 秋山孝二
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  昔から気になってはいましたが、特段にファンという訳ではありませんでした。しかし先日、NHK衛星放送「The Star:麗人・美輪明宏(http://www.nhk.or.jp/star/past/20100703.html)」を見ていて、私は「ただ者にあらず」の感を強くしました。HPのトップに、次のようなメッセージが掲載されています。

~~~~~~~~~人間は肉体と精神とでできています。
肉体を維持するためのビタミン剤や栄養補助食品は過剰なくらい出回っているし、
それらのものに関しては、あなた方もとても敏感に反応する。
なのに、もう一方の精神を健やかに維持するものに対して、あまりに無頓着です。

では、精神におけるビタミン剤や栄養補助食品に匹敵するものは何か?
それこそが「文化」なのです。
ですから、それが欠ければ、当然精神的栄養失調が起きます。
いたずらにイライラしたり、焦りを覚えたり、落ちこんでみたり、自信をなくしたり、
理由のない怒りがフツフツと湧きあがってきたり・・・
そんな経験があるとしたら、あなたの心が飢えている証拠でしょう。

美輪明宏(~『天声美語』より~)  ~~~~~~~~~~~~~~~

  美輪明宏(http://www.o-miwa.co.jp/)さんは、現在はスピリチュアル系としてテレビでご活躍ですが、私は勿論歌手として、「メケメケ:http://www.youtube.com/watch?v=0QkQrpyPFTw」とか、後の「ヨイトマケの唄:http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg」で強く印象に残っています。

 先日は本当に久しぶりに、美輪さんの「ヨイトマケの唄」を聞きました、素晴らしかったですね。同時にその他の作品、「亡霊たちの行進:http://www.youtube.com/watch?v=0GwI3UlJlQE」、「祖国と女達:http://www.youtube.com/watch?v=YIS8mqx5-2U」、「悪魔:http://www.youtube.com/watch?v=oyk2K63aApM&feature=related」、「ふるさとの空の下で」等の痛烈な反戦歌があったことも知りました。歌詞にメッセージ性が強く、声も表現力があり、プロフェッショナルですね。

 「戦争というのは、全ての美しいものを失くすること」とも、番組に参加していた女子高校生に語っていました。美輪さんの経歴(http://www.fesh.jp/utterer_784_1_1.html)に因るのでしょう、長崎での被爆等、戦争の悲惨さでは大変リアルな体験に基づく明確な反戦への意思、「美」、「愛」への造詣の深さ、ひと言ひと言に力強さがあります。番組の最後で、「今の時代は、以前よりはだいぶ戦争反対の声は大きくなっているけれど、まだまだ油断できない」と、真剣な眼差しで語っていたのが印象的でした。

 美輪明宏、恐るべし、ですね!

スタートした「ウレシパクラブ」

Posted by 秋山孝二
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  札幌大学ウレシパクラブ(http://www.sapporo-u.ac.jp/bunka/urespa_project.htm)の第一回総会が開催されました。昨年、プロジェクトが発足して以来、応援団もクラブへ、現在支援団体・個人も150に発展しています。

総会:会長の本田優子教授のご挨拶

ウレシパクラブ第一回総会:会長の本田優子教授のご挨拶

  先日の総会には、宮腰昭男学長、山田玲良副学長、昨年から札幌在住となった作家の池澤夏樹(http://www.impala.jp/)さんも駆けつけて、祝辞を述べられました。今年度の活動予定では、学習会、ウレシパツアー、ウレシパフェスタ、会報「ウレシパ・ソンコ」の発行、ウレシパクラブ・ブログと、盛り沢山の内容です。

 総会後の交流会では、ゼミ学生、奨学生達が次々に挨拶をされました。それぞれご自分の人生においてアイヌ民族であることの位置づけ他、率直な言葉でメッセージを伝えていました。38歳にしてアイヌ民族であることを公表した方、社会に一旦は出たものの、再度アイヌ文化をしっかり学ぶ為に入学した方等、私は直接こういった言葉を聞く機会も無く、これまでの紆余曲折を知り有意義でした。応援団の方々も多様で、どうやら本田優子先生を囲む「秘密クラブ?(冗談ですが)」があるようです。大学内では、「逆差別ではないか」との批判もあるでしょうし、ウレシパプロジェクトのような新しい試みは戦いの連続だったかとは推察しますが、ここまで推進された本田先生他関係者の皆さまの勇気に頭が下がります。アカデミックセクターのチャレンジを見せて頂きました。

 今年5月22日「生物多様性の日」に、札幌植物園の元園長・辻井達一先生にご案内をして頂きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4214)。その時、辻井先生は、「生物多様性」について最後にこうおっしゃいました。「『多様性』というと、何か種類を多く集めることと誤解される場合が多いのですが、本来は個々の種が生育できる環境を担保すること、というのが正確な表現です。ですから私は、『多様性』というよりも『不同性』、すなわち同じではないという言葉の方が適切だと思っています」と。

 様々な経緯をたどって札幌大学のこの場に集ったアイヌ民族の学生たちが、これからアイデンティティの再発見・再構築をされることを心から祈っています。それが成し遂げられるかどうかは、受け止める社会が「不同性」を担保できるかどうか、だと思うのです。出口戦略としての企業の受け入れ体制も問われるのでしょう。本来的意味で、北海道という大地の「バイオリージョン:生きている地域」としての懐(ふところ)の深さが試されるのでしょうね。これからもささやかですが応援していきます。

シネマの風景~懐かしの映画

Posted by 秋山孝二
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 「北の映像ミュージアム(http://kitanoeizou.net/modules/official/index.php/main/shushi.html)」の10周年記念事業「シネマの風景フェスティバル」が札幌狸小路5丁目の札幌東宝プラザで7日間開催されました。ロビーには懐かしい映画ポスターも貼られて、レトロな雰囲気も漂い、お客さんも若干平均年齢は高めでしたが大盛況でした。来年以降の継続開催の期待も高まります。

北の映像ミュージアム10周年記念パンフレットより

北の映像ミュージアム10周年記念パンフレットより

ロビー:懐かしの映画ポスター

ロビー:懐かしの映画ポスター

2階ロビー:懐かしの映画ポスター

2階ロビー:懐かしの映画ポスター

 私はその中で、「赤いハンカチ:http://www.youtube.com/watch?v=0KMLJz44a38&feature=related」と「網走番外地:http://www.youtube.com/watch?v=CFnYmKUBvgw」の二本を見るにとどまりましたが、往年の大スター達の若かりし頃の姿を目の当たりにして、興奮しましたね。題名と歌は以前から何回も聞いていましたが、当時私はまだ幼なかったこともあり、これまで見たことがありませんでしたので良い機会でした。

 「赤いハンカチ」は、1964年の日活作品です。今でいう「刑事もの」で、パンフレットによると、日活ムードアクション最盛期の傑作だそうです。石原裕次郎、浅丘ルリ子、二谷英明、金子信雄、芦田伸介ほかの出演です。浅丘ルリ子の若かりし頃の魅力はすごいですね、芦田伸介の渋さもひきつけます。またダム工事宿舎、飲み屋街での裕次郎の「赤いハンカチ」を歌う場面も印象的です。随所に「北へ流れる北海道」の場面も映し出されて、雰囲気も盛り上がっていました。

 「網走番外地」は、1965年の東映作品です。白黒映画で、高倉健、南原宏治、丹波哲郎、田中邦衛、そして嵐寛寿郎ほかの出演です。高倉健の人気を決定付けた現代アクションのヒットシリーズ第一作、とパンフレットにはあります。網走市を中心とした北海道ロケによる背景の数々は、荒涼とした雰囲気と冬の厳しさが伝わり、素晴らしいですね。

 中でも嵐寛寿郎(アラカン:http://movie.goo.ne.jp/cast/97746/)の扮する「鬼寅」の存在感は際立っていました。彼は、鞍馬天狗、新東宝映画の明治天皇役など、幼い頃の記憶にも鮮明でした。気品というか風格というか、「映画俳優の誇り」みたいなもの感じます。

 それにしても、映画というのはこんなにも時代を映し出すものなのだとあらためて感じましたね。会話の言葉、やり取りのテンポ、今のコンピューターグラフィックによる映画よりも、はるかに違和感なく染み入ります。「溜めがある」とでもいうのでしょうか、見る側に考える時間をあたえてくれるみたいな、そんな「優しさ」を感じさせる「シネマの風景」でした。

‘71 北アメリカへの一人旅 (5)

Posted by 秋山孝二
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 気がついてみると、もう7月です。昨夕、W杯サッカー岡田ジャパンが日本に戻り、記者会見の様子も昨晩・今朝のニュースでみましたが、岡田武史監督の心配りと懐の深さに、あらためて感動致しました。徹頭徹尾選手を主役に位置づける姿勢に、彼のリーダーシップと選手たちのフォロワーシップを感じました。最後まで素晴らしいパフォーマンスに感謝です!

 この表題シリーズの第一回目(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2626)で私は、太平洋航路・APL(アメリカン・プレジデント・ライン)所属、「プレジデント・クリーブランド号:http://teikisen.blog84.fc2.com/blog-category-166.html」に乗船して、横浜大桟橋からハワイ・オアフ島ホノルル経由でサンフランシスコに行った、と書きました。

 当時は丁度、ボーイング747(ジャンボジェット)機が就航して間もなくで、人々の関心が大型旅客機に集まっていた時でしたが、「時間のある今、是非、船で太平洋を渡る経験をすべき」とアドバイスしてくれた方がいらっしゃいまして、貨客船の旅となりました。料金的には、片道では若干船(二等船室)の方が安かったような気がします。船旅は等級が厳格で、一等と二等ではデッキも食堂も全く別でした。ハワイで一時船を下りる時に、それまで船内では見なかった一等船客のインド人大富豪一行と初めて出合いました。

 一日が23時間、8日間でハワイ・オアフ島ホノルル港ピア10に到着、ここはあの1941年12月8日未明の日本海軍奇襲攻撃、真珠湾(パールハーバー)からもすぐ近くでした。入国手続きはここで行われるので、事前情報として、「怪しげで貧乏くさい人は、入国管理官から滞在期間を多く貰えない」と聞いていましたので、髪はしっかり分けて髭を剃り、下はバミューダ、上はスーツジャケットにネクタイという不思議な出で立ちで、着席の係官の前に向かったのを鮮明に覚えています。作戦は見事に成功し、6か月間の長期滞在日数を貰いました。

 横浜を出港してすぐ、台風を避ける為に予定航路から南下したので、丸1日余計にかかりました。遅れも半端ではありませんね。台風接近時は、船が数メートルも繰り返し上下し、部屋の丸い窓には鉄製のふたがはめられて緊張感も高まり、更に狭い室内は一晩中きしむ音で寝られませんでした。20数年前のアリューシャンもこんな海だったのかと、キスカ撤退作戦(http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-16kisuka.htm)に旗艦「阿武隈」の通信長として従事した父を思い出し、北と南の違いはあれ、「太平洋の嵐」を実感した貴重な体験でした。

アルバムから:台風接近の海上で

アルバムから:台風接近の海上で

 ホノルル一泊の後に、サンフランシスコに向けて出港しましたが、こちらは一転して気温は低いのですが穏やかな(退屈な?)海が続きました。一週間後の早朝にサンフランシスコ金門橋の下をくぐり、ベイブリッジを通過して湾の奥の桟橋に到着でした。朝もやの金門橋のライトとサンフランシスコのマチの灯を船のデッキから眺めた時、感動というよりも「アメリカに来てしまった」みたいな、震えのくるような不安な気持の方が強かったような気がします。

 一方今年1月に、幕末史研究会に参加した時、「咸臨丸子孫の会:http://www.kanrin-maru.org/」の方々とお話をする機会がありました。今年は咸臨丸が太平洋を渡って150周年の記念すべき年であり、自分たちの祖先が勇敢に太平洋を渡って、生きて帰って来たからこそ今の自分たちがある、そんな趣旨の自己紹介を聞き感動しました。咸臨丸(http://www.d9.dion.ne.jp/~senaun/pageBT11.html)は、アメリカから戻った後も、北海道とは大変縁の深い歴史を辿っています。そして更に、その研究会・交流会で、榎本武揚さんの曾孫で東京農業大学客員教授の榎本隆充さんとお会いして、リアルなお話を聞くことが出来て、幕末維新を身近に感じました。

 4月下旬に、榎本さんから、今度は「開陽丸(http://www.h6.dion.ne.jp/~kaiyou/)子孫の会」総会で、青山学院大学の片桐一男先生が特別講演をされる旨の連絡があり、1月に続き片桐先生のお話を伺いました。1月は「勝海舟と坂本龍馬」、今回は「榎本武揚と開陽丸」、いずれも幕末維新の激動期を生きた人々ですね。開陽丸も北海道とは縁が深く歴史に刻まれています。

 そして先日の「大和ミュージアム:http://www.yamato-museum.com/concept/」、何か今年は「船」、「太平洋」、「日本海軍」、「歴史」の縁が続き、ついでに私の太平洋横断の記憶もたどることができました。

 この2週間の船旅で、多くのカルチャーショックを受けた体験は、今も私の宝となっています。