エコビレッジライフ体験塾

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 今年の秋山財団の社会貢献活動助成で、選考委員会で高い評価を得て採択された「エコビレッジライフ体験塾( http://ecovillage.greenwebs.net/course/course.html)」の一コマに参加してきました。当日は明峯哲夫さんの座学で、20名を越える参加者もあり盛況でしたhttp://ecovillagehokkaido.blogspot.com/2010/10/1024.html)。

 代表の坂本純科さんの説明によると、エコビレッジは「持続可能な社会モデル」で、「住民が互いに支えあう仕組み」と、「環境に負荷の少ない暮らし方」を求める人びとが、意識的に創るコミュニティのことだそうです。健康で幸せなライフスタイルを望む人びとの間で着目され、今や世界各地15,000ヶ所に広がっていると言われています。

 EDE(Ecovillage Design Education:エコビレッジ・デザイン・エデュケーション:http://www.ede-japan.org/)を基本に、学びのテーマは、1)持続可能な食と農( CSA:community supported agriculture(http://journeytoforever.org/jp/farm_csa.html)の実践、2)持続可能な住まいと暮らし、3)持続可能な経済、4)持続可能な関係づくりと組織運営、です。

長沼の体験塾・塾用畑と教室ほか

長沼の体験塾・塾用畑と教室ほか

 プログラムによると、近くで「メノビレッジ長沼:http://web.me.com/raymondrepp/mennovillage-jp/Top_Page.html」を営むレイモンド・エップさんも講師のお一人です。CSA(Community Supported Agriculture)を実践し、米、小麦、野菜、養鶏のほかパンや味噌などを会員に提供しています(http://www.waa-bc.com/agri/hokkaido/article/hokkaido_080930151150.html)。2年前の「G8洞爺湖サミット」開催と時を同じくして、「G8サミット市民フォーラム北海道」が、「市民サミット」で数多くのフォーラムを企画して、その一つで「北海道発、世界の未来~環境・農業・地域自立」と題して大変内容の濃いシンポを展開しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=54)。パネリストとしてレイモンド・エップさんもご参加頂き、「北海道に根差した多様な農業を!」と、力強い提言をアピールされたのを鮮明に覚えています。

 先日の講師・明峯哲夫さんは、秋山財団の選考委員でもあります。「やぼ耕作団」等の現場の豊富な経験はじめ、有機農業を通じての「いのちの哲学(http://www.yuki-hajimeru.or.jp/column_5_01.html)」まで、「小規模農業の意義・可能性」について、生物多様性の概念にも言及されて、大変興味深いお話でした。「伝統的な小規模技術の発展的継承」、「大地の慈しみ」を再確認し、大地を耕すことの意義を一層感じました。

 お昼は特製カレー数種類、取れたて新米がデザートと、何とも贅沢な昼食でした。エコビレッジライフ体験塾の充実と進化を祈念しています。

新国際線ターミナルに想う

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  10月21日から、羽田空港に新しい国際線ターミナルがオープン(http://allabout.co.jp/gm/gc/187809/)したので、東京出張のついでにちょっと覗いてきました。出国ブース前のロビーまでの見学でしたが、ひと言での感想は、「日本のハブ空港イメージって、この程度なの?」ですね。香港国際空港、韓国・仁川(インチョン)空港、中国・北京空港と比べると、まさに「ローカル空港」の広さですよ。でも乗客からすると、皮肉ではありませんが、コンパクトで使い易い規模かもしれません。

新しい国際線出発ロビー

新しい国際線出発ロビー

江戸情緒をたっぷり?

江戸情緒をたっぷり?

 メディアによると、「観光立国・日本の空の玄関口として、羽田ハブ空港化への第一歩が歴史に刻まれる瞬間です。30余年のときを経て『羽田から海外へ』、旅立ちのときを心待ちにする往年のファンも多いはず 」ほか、最大限の国際化への評価です。30年前ならいざ知らず、21世紀の現在、どうせなら「世界をグッと引き寄せる、コンパクトなロビー!」とでも銘打つべきですね、「江戸小路」は中部国際空港セントレア(http://www.centrair.jp/restaurant/index.html)の二番煎じではありませんか?私にとっては何とも違和感のあるメディアの表現です、「アジアのハブ空港を目指す」は。

 1969年に私が千葉大学に入学した時、地元千葉県では戸村一作委員長を中心とした幅広い「三里塚空港反対闘争」の最中でした。当時その土地で農業を営んでいた人々を追い出しての「成田国際空港建設」とは一体何だったのか、今一度、「三里塚空港反対闘争:http://www.youtube.com/watch?v=E9hy3ZWS3So&feature=relatedhttp://www.youtube.com/watch?v=bE4Lo8-UbhM&feature=related」をしっかり振り返る必要があると思います。この羽田空港の新しいロビーに期待を寄せる方々は、真摯に「成田空港とは何だったのか」の総括をしなければならないでしょう。今、あらためてあの時の三里塚農民の闘う姿を見て、胸が熱くなります。永年、日本の食供給に貢献してきた農民の皆さんに、暴力的に対峙した権力は、結局さしたる国際化の展望も無く、ただ「めんつ」にこだわる醜い姿だったとしか言いようがありません。「新しい国際化への窓口」とか底の浅い言葉が漂流し、その後不便を強いられて、「国民への利益還元」など無かったではありませんか。メディアも今になって平気で、「なぜ成田に空港を持って行ったのか」ととぼけています。

 戦争責任に関しても感じるのですが、日本人は「歴史に対する責任」という概念が薄いのでしょうか、歴史の記録、保管、継承、総括等、実にいい加減です。現場の歴史的事実を、土壇場になると「関わった個人のもの」としてしか認識しない精神的構図、コモンズとしての価値を感じていない、「歴史と誠実に向き合う」姿勢の欠如、社会的存在の認識軸がないのかも知れません。誤解を恐れずに言えば、信仰に近い何かが欠けているような気がします。

今は、もう秋、そして初雪!

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 北海道札幌南高学校林(http://www.sapporominami.hokkaido-c.ed.jp/hp/a/gakorin.html)で、「秋の散策会」が催されました。学校の総合学習の一環として、「学校林に生きるキノコたち」がテーマで、酪農学園大学の干場敏博(http://www.rakuno.ac.jp/dep12/sub3.html)教授が講師、多彩なキノコの解説に驚きと感動のひと時でした。秋山財団は、数年前にこの学校林活動へ助成を行っています(http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/1FB7E1C2-5A18-4B10-938E-541F3C6ADB02/0/061hakozaki.pdf))。

森でキノコ採集、多様ですね

森でキノコ採集、多様ですね

  「ひと言でキノコといっても、森の実際のフィールドには、幼菌・成菌・老菌と、赤ちゃんから老人まで多様に生息しています。図鑑には綺麗な時ばかりが写っていますが・・・」とバスの中での解説。最後に「皆さんへのメッセージ」とおっしゃって下記のように結ばれました。、

1) 森林生態系はキノコの種類も豊富です

2) 栄養摂取の様式で観ましょう<腐生菌、寄生菌、共生菌>

3) キノコの価値は食毒では判定できません:どのキノコも素晴らしい!キノコの多様性

 最後は大きな鍋で贅沢な「キノコ汁」でした。

早速、キノコ汁を満喫!

早速、キノコ汁を満喫!

  一方、札幌市内の円山公園は、気がついてみるとすっかり秋の気配。昨年よりも紅葉が遅い?朝のこもれびが素晴らしいですね。

円山公園の朝(1)

円山公園の朝(1)

円山公園の朝(2)、毎年の場所から

円山公園の朝(2)、毎年の場所から

  そんな秋の気配かと思っていましたら、やって来ました札幌の初雪です!

10月26日、今年の札幌の初雪です!

10月26日、今年の札幌の初雪です!

古代メキシコ・オルメカ文明

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  日本メキシコ交流400年記念(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mexico/j_mexico400/index.html)、「マヤへの道:古代メキシコ・オルメカ文明展(http://www.asahi.com/event/olmeca/)」が開催されています。

池袋サンシャインシティでの展示会

池袋サンシャインシティでの展示会

入口正面の巨大石彫(レプリカ)

入口正面の巨大石彫(レプリカ)

  オルメカ文明は紀元前1500 年頃、マヤ以前の謎の文明で、メキシコ湾岸地方に突然あらわれた新大陸でもっとも初期の古代文明と言われています。文明を築いたのはベーリング海峡を渡ってきたモンゴロイドの人びとで、巨大な石を彫刻し、土造りのピラミッド神殿などを築く建築技術、ヒスイなどの玉石を精緻に加工する技術をもっていました。マヤ文明(http://www.2012crisis.com/mayabunmei/)など中米古代文明に共通する美術様式や宗教体系などから、新大陸の「母なる文明」とよばれているそうです。

 築いた人々もモンゴロイド、アジアとの関係性も知ることができて、大変興味深い展示でした。出張中に急に獲得できた時間、目に飛び込んできた「マヤ以前の謎の文明」のフレーズ、近い場所でのこのようなイベントは、「大当たり!」ですね。

「第7回新渡戸・南原賞」受賞式

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  今年の秋山財団「第7回新渡戸・南原賞」受賞式が、先日東京で開催されました。2年前に当財団でお引き受けした事業です(http://www.akiyama-foundation.org/nitobe/)が、今年の受賞者は、

*北海道大学名誉教授・三島徳三(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B0%C5%E7%C6%C1%BB%B0)さん

*成蹊学園専務理事・加藤節(http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/2421704.html)さん

です。この事業の鴨下重彦代表がおっしゃっていますが、「この賞は受賞された方々のご活躍で一層価値が高まっていく」のです。今年の贈呈式・祝賀会にも、素晴らしい方々が駆けつけて来られました。

資生堂相談役 池田守男 氏

資生堂相談役・第3回受賞者 池田守男 さん

元東京大学総長 佐々木毅 氏

元東京大学総長 佐々木毅 さん

韓国・成蹊大学教授 李 静和(リ・ジョンファ) 氏

韓国・成蹊大学教授 李 静和(リ・ジョンファ) さん

朝日新聞論説委員 辻 篤子 氏

朝日新聞論説委員 辻 篤子 さん

前東京女子大学学長 湊 晶子 さん

当事業運営委員(前東京女子大学学長) 湊 晶子 さん

 それぞれの先生方からは、貴重なメッセージの数々を頂きました。「賞の存在意義、それは社会に対する強いメッセージの発信であり、積み重ねることで価値が高まっていくのでしょう」、「時代と人間」、「実践と理念」、「思索と思考する姿」、「密かに闘っている人々への熱いメッセージ」等、心に響く言葉がご来賓の方から発せられました。

 2年前に、この事業を引き受けるに当たって、お墓参りと故郷巡礼に行ったのを思い出しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)。新渡戸稲造、南原繁、お二人は大変困難な時代に生きた稀有な人物ですが、その哲学と信念は今の時代に一層学ぶ価値があるように思います。先日の受賞者・関係する方々のお話から、現在の日本を憂う気持と強い危機感と同時に、若い世代育成への並々ならぬ意気込みを感じ、日本の「良心」に勇気づけられました。

トヨタ財団から学ぶ

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 日本での民間財団活動をこの間リードしてきた「 トヨタ財団(http://www.toyotafound.or.jp/)」、先日、「アジア隣人プログラム・研究助成プログラム助成金・贈呈式」、それに先立つ「ミニシンポ:http://www.toyotafound.or.jp/00topics/topics01/2010-1015-1023-4.html」が開催されました。

贈呈式前のミニ・シンポジウムで

贈呈式前のミニ・シンポジウムで

  報告者の3名の方々は、地道なこれまでの活動を淡々と、極めて具体的に報告されました。それぞれの内容は大変濃かったし、こういった活動を選考するトヨタ財団の選考眼、見識にも学ぶところが多いですね。お金を出す側・受け取る側の関係で終わるのではなく、いつも語られる「パートナーとして共に歩む」の姿勢がしっかり貫かれている、その辺りがメッセージとして的確に伝わってくるような気がします。

* 渡辺幸倫:相模女子大学学芸学部講師(http://www.sagami-wu.ac.jp/yukinori-watanabe.html

* 綾部真雄:首都大学東京人文学研究科准教授(http://sites.google.com/site/wwwshajin/Home/staff/stuff_ayabe

* 坂東あけみ:ベトナムの子ども達を支援する会事務局長(http://www.normanet.ne.jp/~jannet/kaiin_hashin/houkoku090918_ml74_01.html

 以下、印象に残った言葉を幾つか~~~~~~

 (渡辺) 個別面接によるライフヒストリーは、類型化してモデルを創ろうとするのではなく、100人の多様性を大切にしたい。“人はそれぞれの人生の主人公”だから

 (綾部) “明るい未来を見せる”、それは「文化」の力。少数民族の「エスニック・セキュリティ」は、国家のセキュリティからはみ出す。 「文化」は、危機に対処するための技術

 (坂東) 親の子どもに対する愛情は世界共通、立ちあがりの時は社会がどうサポートするのか、が重要

 

 トヨタ財団は、「公益財団法人」としてあらたなスタートを切り、「よりよい未来を構築するために」と、新しいきずなを求めて更なる挑戦を始めました(http://202.218.52.67/00topics/topics01/2010-0913-1019-4.html)。これまで多くの研修・フォーラムで、トヨタ財団幹部、プログラムコーディネーターの方々とお会いしてきましたが、いつも芯の通った哲学をお持ちで、新しい「気づき」を得ていた私です。来年創立25周年を迎える秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)としては、これからも学んでいきたいその明確な理念と高い理想ですね。

ロビーコンサート in アサヒビール

Posted by 秋山孝二
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 企業メセナでは先駆的なアサヒビールのCSR(http://www.asahibeer.co.jp/csr/philosophy/index.html)活動、そして芸術文化財団の加藤種男・事務局長(http://eco.goo.ne.jp/business/keiei/keyperson/46-1.html) は今日までけん引してきたパイオニア的存在です。 

 毎回、秋山財団にもご案内を頂いていますが、先日20年目を迎えたロビーコンサート、今回は第14回「死んだ男の残したものは:http://www.asahibeer.co.jp/news/2010/0914.html」でした。ご存じのように、亡くなった武満徹さんの曲に因む作曲家たち、当日配布の資料にはコーディネートされた池田逸子さんが次のように書かれています。「本日のプログラムは、そうして『明日』を信じて音楽を創りつづけ、それらを残して死んでいった男(作曲家)たちの作品を中心に構成した、いわば直球勝負のプログラム・・・・・」

 冒頭と間に挟まれたそれぞれのアレンジ、武満徹「死んだ男の残したものは」が素晴らしく、私は特に、坂田明のサックス、立花千春のフルート演奏が印象的でした。この曲については、以前のこの欄にも少し書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4084)。

コンサートのシラシ

コンサートのシラシ

アサヒビール本社ロビーで

アサヒビール本社ロビーで

  会場には常連と思われる方々が多く、普段は本社ロビーのこの場所が、不思議な音楽空間になっていました。途中休憩の「缶ビール」も一段と美味しかったです。

 入場料は「市民パトロネージュ制」と書かれ、更に「お帰りの時に、お客様のお気持に見合った入場料をお支払いください。金額の多寡は問いません。集まった入場料は、出演者の今後の活動をサポートするため、全額出演者にお渡しします」とありました。

 パイオニアの果敢な活動の継続は、「民が担う新しい公共」のモデルとして、常に勉強になります。今後の財団のご活躍を期待しています。

ヒグマから北海道を見直しました!

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 北海道市民環境ネットワーク(通称・きたネット: http://www.kitanet.org/index.html)と、一般財団法人セブンイレブン記念財団(http://www.7midori.org/)との共催「北海道環境活動交流フォーラム」が、昨年に引き続き(http://www.kitanet.org/event/index.htm#work2009)、札幌円山動物園(http://www.city.sapporo.jp/zoo/index.html)で開催されました(http://www.kitanet.org/event/index.htm#work2010)。

幅広いパネリストで大盛況

午後のプログラム:幅広いパネリストで大盛況

  今年は、国際生物多様性年スペシャル『北海道の生物多様性を考える』、「ヒグマのいまを知る、豊かな自然の道しるべとして」と題して、多面的な視座からの意見交換でした。このところ本州で、ツキノワグマが人を襲う被害(?)が大々的の報道されていますが、生物多様性の視点からは、かなり違った現実と受け止めるべきではないでしょうか。クマと人との距離感を間違った人間の暮らしとでも言えるのかもしれません、メディアにそんな見識を求めたいですね。

 クマとの付き合いかたは、アラスカでの活動を基に作成された手引き翻訳版としての 「クマとの調和したくらし:http://www.oshima.pref.hokkaido.jp/os-ksktu/kuma/LivingInHarmonyWithBears_J1%201p-16p.pdf」が、大変参考になります。

 分科会の一つでは、昨年に引き続きエゾシカ問題も新しい切り口で議論されたようです。私は後半部分しか参加できませんでしたが、ただ「対策」に追われるのではなく、エゾシカがなぜこんなに増えてしまったのか、の検証もして欲しかったですね。生態系の頂点「オオカミ」の絶滅が直接的な理由であるとか、どこかでエゾシカ・ヒグマ・オオカミ等、「生態系」をめぐる多様な議論も今後期待したいです。

ガールズ・パワーで、エゾシカ問題をかみくだく!

分科会:ガールズ・パワーで、エゾシカ問題をかみくだく!

 ヒグマは、ツキノワグマより世界的にははるかに広い生息分布で、しかも北海道はその南限として、大変コンパクトなエリアに多数のヒグマが存在する、言い換えればヒグマが広く動き回らなくても生息できる「豊かな多様性・生産性のある生態系」を育む貴重な大地であることを知りました。

 もう15年以上前になりますが、私はアラスカ・キーナイ半島(http://www.silverfinguides.com/japanese/)に「キングサーモンほかの釣り」に行きました。ある一日は小型水上飛行機で離れた湖に着水し、そこに流れ入る小川の河口付近で7時間程の紅シャケ釣りでした。機内でパイロットが、「一つだけお願い、もし釣ったシャケをクマと争ったら、クマに譲ってやって下さい!」と言ったので、私も含めて大笑いをして「面白いジョークをいうパイロットだね」と、湖面から離陸して7時間後に迎えに来る飛行機の姿を見送ったのです。

 ところがですよ、釣りを始めて30分もしない内に、何と何と山からいろんな種類のクマが続々(!)と私たちの方に降りて来るではありませんか。一堂、足は震え胃は痛み、ある人はツルっと滑って全身ずぶ濡れ、記念にカメラを回していた人のビデオを後日見ると、画面が震えで揺れているのが分かります。「大変なことになったな」と、私は動揺しました、もう釣りどころではありませんでした。ガイドの腰にはライフルの弾が6発用意されていましたが、到底そんな数では足りません。実は後でアメリカ人に聞くと、それは釣り人を守るというよりも、事故が起きて紛争になった時のアリバイ(体制は整えていた?)だとおっしゃる方もいたりして・・・・。総数〆て20頭以上はやって来たでしょうか、「お邪魔しました」の世界でしたね。

 結局は、勿論何の事故も無く、予定通り釣りを続けて戻りましたが、多くのクマたちが本当に至近距離を、まるで私たちの存在を無視するように自然体で通り過ぎていくその姿に驚きを感じました。先日フォーラムの講演を聴いていて、アラスカでそのような「人との共生の環境」を創り出す永年の活動を知り、あらためてこれまでの努力の賜物なのだと理解しました。

 札幌・北海道は、ヒグマと「共存する知恵」を身につける、世界に類を見ない貴重な場だと強く思いました。ただ「射殺」を繰り返すだけでは、あまりに知恵が足りません。北海道におけるヒグマとヒトとの関係は、イコール「人間と野生との関係」が試されている、そんな気がしてきます。

TPS、サハリンで初公演!

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  札幌のプロ劇団「TPS:http://www.h-paf.ne.jp/tps/tps.html」が、アントン・チェーホフ生誕150周年記念で、サハリンのチェーホフ劇場で「秋のソナチネ:http://www.h-paf.ne.jp/tps/kanou.html#aki」公演をしました。これまでハンガリー(ブダペストほか)、韓国(光州・ソウル)、ルーマニアでも海外公演を行っています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=97)。今回、私は同行できませんでしたが、先日帰国報告会が開催されて、東欧・韓国とは一味違ったロシアの舞台事情を聴くことが出来ました、大変興味深かったですね。

当日プログラムの表紙

当日プログラムの表紙

  TPSはこれまでチェーホフ作品を国内で多数上演していて、今回生誕150周年の演劇祭「チェーホフの秋」に招待されました。2日間で500人以上が来場し、地元でも拍手喝さいだったようです。劇場前の道路は穴ぼこだれけでも、10数万人のマチに立派な劇場が存在する、それだけでもロシアにおける芸術・文化の位置づけを感じますし、その伝統が観客のレベルの高さを創り上げているのでしょうね。日本の、いや札幌市の政策は、もっともっと芸術・文化の振興に本気になってもらいたいものです。

 サハリン国際チェーホフ劇場のヤーナ・チェーホワさんは、「モスクワなどから来ている劇団の公演をたくさん観てきたサハリンの観客も、『秋のソナチネ』を観て心が奪われた。洗練された演技、シーンにふさわしい音楽の演奏によって、チェーホフの作品に基づいた多くの公演よりチェーホフの雰囲気に通じていたと言える」と、絶賛するコメントをメディアに寄せていました。

サハリン公演を終えた出演者たち

サハリン公演を終えた出演者たち

翻訳・カーチャさん、チェロ・土田英順さん、女優・宮田圭子さん、

翻訳・カーチャさん、チェロ・土田英順さん、女優・宮田圭子さん、

 報告会では、ロシアの劇場・舞台を取り巻く事情も垣間見られて楽しかったですね。特に土田英順さんがいつになく怒っていました、「どうして劇場にあんなに人がいるのか!」と。劇場には200人を越えるスタッフ(?)がいて、それぞれ受け持ちの仕事が縦割りで分担されていたようです。「人が多いとそれぞれに仕事を作るだけだ!」とも、かなり厳しい口調でおっしゃっていましてね。戸のカギを開ける担当も、扉ごとに違う人が現れる(?)、日本では一人で賄っている多くの仕事を、それぞれ違う劇場スタッフが入れかわり立ちかわり行っている、出演する役者も準備作業をどんどんやる姿に驚いた様子、そんな状態だったそうです。 

 メディアの取材もかなり多かったり、歓迎パーティーの設営もあったりと、昨年のルーマニア・ハンガリー公演と比べて、今回は受け入れがかなりしっかりしていたと言えるのかも知れません。いずれにせよ、若い劇団員にとって海外公演でそれぞれの国の演劇事情、観客の反応を肌で知ること、驚きと苦労を体験する、そのことが何より肥やしになりますね、お疲れさまでした!!

ノーベル化学賞受賞に思う

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 2010年のノーベル化学賞を鈴木章・北海道大(http://www.hokudai.ac.jp/)名誉教授、根岸英一・米パデュー大(http://www.purdue.edu/)特別教授ら3人が受賞しましたが、特に北海道大学の鈴木先生は鵡川町ご出身の道産子(どさんこ)で大変身近なせいでしょうか、いつもとは一味違った感動を覚えますし、誇り高いですね。「HOKKAIDO」がまた世界ブランドになりました。

 昨年11月9日のこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2583)に、ノーベル賞の理念ほかを書き留めました。本来の意図が十分日本では伝わっていない部分もあり、特にノーベル平和賞の位置づけについては、中国の反応を見ていると、彼らも十分把握していないのではないか、と思われますね。国際社会の中で、なぜ今回、劉暁波さんにノーベル平和賞が授与されたのか(http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101008-OYT1T01158.htm)を、冷静に受け止めるべきだと思いますし、同時にノルウェーのノーベル委員会の決定にも敬意を表します、受賞理由が実に明快です。

 2001年に名古屋大学の野依良治先生がやはりノーベル化学賞を受賞された時(http://www.natureinterface.com/j/ni05/P24-28/)に、北大薬学部の先生が、「この分野は、日本の研究レベルが世界をリードしている」とおっしゃっていました。今回それを証明するかのように、お二人の先生が幅広い分野への応用を可能にする技術で受賞でした。ただ、懸念されることは、これまでの受賞者もそうですが、その殆どの研究が1970年代に為されている成果であることです。

 2000年代小泉政権時代に、国の自然科学に対する研究費が大幅に傾斜配分されて、基礎研究等への「投資」が必ずしも十分にはされていません。高等教育機関への資金も他の先進諸国に比べて、大変見劣りのする金額となっています。独立行政法人化により、研究の成果を近視眼的に追及されるとった弊害も指摘されています。政権交代後の「仕分け」でそうなったという方がいますが、それは事実と違います。間違いなく、小泉政権時代の「競争原理の導入」が直接の契機です。

 今回の受賞をきっかけに、自然科学系研究への関心が高まり、基礎研究分野でも日本の力を発揮して貰いたいものです。秋山財団の24年間の研究助成が、少しでもお役に立っていればとささやかな期待もしたいですね。そして、今後の助成活動にも大きな励みとなりました。ノーベル賞受賞だけがゴールでは勿論ありませんが、研究者の皆さん、これからのご活躍を祈念しています!!!

ビハール号事件(1)

Posted by 秋山孝二
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  私は今、自分の時間を以前よりも持つことができるので、明治維新から今日までの近代の歴史を振り返りながら、検証らしきことをしています。特に、戦後のA・B・C級戦犯の検証、実際に足を運び、ヨーロッパでのナチスによるホロコースト、中国での日本軍による数々の事実を自分の目で確認し、新たな歴史的課題も見えてきました。

 そんな中、ある意味では思いもよらなかったのですが、ごく身近に私の知らない一つの「事件」があったことが最近分かりました。それは、旧日本海軍の重巡洋艦「利根:http://military.sakura.ne.jp/navy/c_tone2.htm」による「ビハール号事件」です。これから何回になるか分かりません、身内にも関係する重要な事実ですので、どんな展開になるか予想もつきませんが、追いかけてみようと思っています。

 これまでこの欄に数回書いている通り、私の父は4年前に亡くなりました。海軍兵学校66期卒で、キスカ撤退では旗艦「阿武隈」の、レイテ沖海戦では重巡洋艦「利根」の通信長として作戦に従事しました。その後、広島県江田島の海軍兵学校分隊監事で終戦を迎えました。

 没後に、私たち家族の発案で追悼集「絆」を発刊し、その中で私は父の思い出として次のように書きました。~~~~~

・・・・一方で私は、海軍兵学校時代の生活、キスカ撤退作戦、レイテ沖海戦等の最前線の経験を何回も聴いていた。とりわけキスカ撤退作戦での木村昌福司令官の勇気ある決断に関しては、旗艦「阿武隈」の通信長として身近にその現場を体験して、企業経営者としても社内報等で「バランスの重要性」として繰り返し強調していた。

 ある時に、自宅2階の自室で、戦争で生き残った者の苦しみについて静かに語ったことがあった。沢山の人間が戦争で無くなった悲しみは私には容易に感じても、父が言う生きて帰って来た人間の「その後の苦しみ」というのは、つい最近まで理解できなかった。ススキノのカラオケでも軍歌を歌う気にはなれない、戦争を賛美していた人間が戦後途端に反戦論者になっているのは許せない、今でも戦争が起これば自分は戦地に赴く、と戦争を巡る場面では、父はかなり頑固なこだわりを持ちつづけていた様な気がしている。

 そんな父ではあったが、入院中の夜中のベッドで、「火事だ、火事だ、水を」とうわ言の様に叫んでいる様子を聞いた時、それが戦艦の甲板での消火活動ではないか、と直感した時があった。自ら志願した海軍将校の人生ではあっても、心の底に沈む恐怖の存在を、私は数少ない場面ではあったが父の心の中に見た思いで、強い衝撃を受けた。・・・・・ ~~~~~~~~~

 4年前にこれを書いた時、私は勿論今回の「サ号作戦」については知る由もなく、ただ、「うわ言」に衝撃を受けていた、そんな自分でした。昭和19年に、キスカ撤退作戦の後、父は重巡洋艦「利根」の通信長として作戦に従事し、インド洋上での通商路破壊作戦(サ号作戦)に参加しました。そこで起きたのが「ビハール号事件」です。父は終戦後、海軍施設の進駐軍の接収・移管業務を済ませて、札幌に移りました。昭和22年に香港の戦犯裁判の証人として、ほぼ1年間程(その後、2・3カ月だと分かりました)、香港に滞在していたことは分かっていますが、それがどんな裁判だったのか、その辺りがこの事件を知る多少の手掛かりになります。私は、父からキスカ撤退作戦、レイテ沖海戦については話を聴いていましたが、インド洋上での作戦は一度も聴いた記憶がありません。

 4年前に青山淳平・著『海は語らない―ビハール号事件と戦犯裁判(http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102322644)』(光人社刊)が出版されたのを最近知り、すぐに読んでみました。「なぜ捕虜は処刑されたか、救助した捕虜111名、うち65名をその後殺害した衝撃の真相。英国商船乗員乗客「処分」事件」、或いは「英国戦争裁判・香港法廷の実情」とも書かれています。この本には私の父の名が、まるで映画のシーンを見るかのように数か所リアルに出ていました。

 私は、まずは自分で過去の資料を調べようと思い、先日市ヶ谷の防衛省に行ってみました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5391)。そこの職員に問い合わせた所、戦史・艦日誌等は市ヶ谷にはなく、別の場所に所蔵されていて、閲覧も出来ることが分かりました。何かの機会に時間を取って調べようと思っています、なかなか時間的都合もあり難しい作業になりそうですが、しっかり真実を見極めたいですね。

 戦争の検証は他人事ではなく、自分の家族の人生の検証になってきました。

経済成長と医療を考える

Posted by 秋山孝二
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  医療経済研究機構(http://www.ihep.jp/)による第16回シンポジウム「経済成長と医療を考える」が開催されました。

 ○ 基調講演: 『医療政策の難しさを考える~中医協委員としての経験から~』

          伊東 光晴 氏 (医療経済研究機構 所長)

 ○ パネルディスカッション

  コーディネーター:南 砂 氏 (読売新聞東京本社 編集委員:http://www.odh.or.jp/minami/minamisuna.html

  パネリスト:河北 博文 氏 (河北総合病院 理事長:http://kawakita.or.jp/honin/rijichou.html

         島崎 謙治 氏 (政策研究大学院大学 教授:http://www.grips.ac.jp/jp/files/shimazaki_kenji.html

         邊見 公雄 氏 (全国自治体病院協議会 会長:http://www.jmha.or.jp/outline/outline01.html

パネルディスカッション

パネルディスカッション

 今回のこのフォーラム、さらなる経済成長を見込むことが難しい現状の中で、国民皆保険を堅持しつつ、量・質ともに十分な医療を提供し続けるためには、どのような改革が必要か、医療提供側と医療を享受する側から議論を深めることが目的でした。

 更に、2010年6月18日に閣議決定された菅政権の「新成長戦略:http://www.kantei.go.jp/jp/sinseichousenryaku/sinseichou01.pdf」、その中で「強みを活かす成長分野:(2)ライフ・イノベーション」で、医療自体が経済をけん引するという発想をどう考えるか、「混合診療の拡大」、「メディカルツーリズムの推進」等をどう受け止めるか。

 最後に、「国民皆保険制度の将来像」についてもパネリストは展望されていました。

 「医療」自体が日本の経済成長を「けん引」する力があるかどうかについて、経済成長は枠の拡がりをもたらす必要があり、社会保障・医療は所得の再分配であり、皆さん少々懐疑的ではありましたが、「医療」、「教育」が日本の基幹事業であることに認識の違いはありませんでした。そしてこの10年程は、どちらもまともな議論も無く推移していることに、大変な危機感をにじませています。私自身、教育基本法の改訂では、今の政治家たちの見識の無さに憤りを感じました。

 久しぶりに河北先生とお会いしましたが、相変わらずの論客ぶりでした。想い出します、20数年前に、河北先生を含む東京の病院経営者の皆さんと、当時の「JCAHO:現在はJoint Commission(http://www.jointcommission.org/)」はじめシカゴ大学病院管理学講座、ServiceMaster社(http://www.servicemaster.com/)他、アメリカの医療現場を訪問しました。突っ込んだ意見交換のやり取りは、今でも忘れられません。

新渡戸の理念を受け継いで・・・

Posted by 秋山孝二
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 札幌市内には、新渡戸稲造・メアリーのゆかりの地が、幾つかあり、その中の一つ、札幌市中央区にある「Let’s中央」内の「遠友夜学校記念室:http://www.city.sapporo.jp/kyoiku/youth/enyuyagakko/index.html」も貴重な場です。ここは、1894(明治27)年に創立された遠友夜学校の跡地です。

札幌市Let's中央内・遠友夜学校記念室

札幌市「Let's中央」玄関横で

  資料室内には、新渡戸稲造自身の書が掲げられています。

 まずは「学問より実行」、これは「知ることよりも実行すること」の意で、更に実行るすることよりも自分が自分として存在することに価値がある、と続きます。

学問より実行

学問より実行

  次は、「去華就實」、「うわべだけの華やかさを取り去り、実質のともなった確かな人格形成」を説きました。

去華就實

去華就實

  更に、「心清者福也」、「心が清く誠実な者は、結局は幸せな人生を送ることができる」と言った意味でしょうか。

心清者福也

心清者福也

  最後は、「With malice toward none, With charity for all !」、アメリカ合衆国第16代・リンカーン大統領の言葉で、「何人にも悪意を抱くことなく、慈愛をもって生きよ!」です。

リンカーンの言葉より

リンカーン大統領の言葉より

 パンフレットには、「札幌のボランティア活動の原点がある」と書かれています。1944(昭和19)年の閉校まで、50年に渡って多くの方々の支援によって支えられました。不十分な教育制度のすき間を埋めながら、希望の灯りをともし続けた、まさに新渡戸稲造・メアリーの崇高な理念と、市民の共感が結実した貴重な教育実践だと思います。「生きる力」を育てる目的の「リベラル・アーツ教育」、その出発点が、軍国主義への道を走る時代にこの札幌の地にあった意義を、今私たちはしっかり噛みしめるべきですね。

新渡戸稲造と妻メアリーの精神

Posted by 秋山孝二
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  「現代を生かす新渡戸稲造と妻メアリーの精神(こころ)――教育と平和」と題して、東京女子大学(http://www.twcu.ac.jp/)前学長・湊晶子先生のご講演でした。湊先生は、秋山財団の一つの事業「新渡戸・南原賞:http://www.akiyama-foundation.org/nitobe/」で、その運営委員会メンバーのお一人です。この賞を秋山財団が受け継いだ経緯は一昨年のこの欄に掲載しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)。

素晴らしいご講演でした

素晴らしいご講演

  前日の夜は、お忙しい中お時間をとって頂き、夕食をご一緒にする機会もあり、じっくりお話を伺うことができて光栄でした。昨日のご講演も含めて、体が感動で震えるとでも言うのでしょうか、素晴らしいメッセージの数々でした。

 新渡戸稲造はご承知の通り、初代の東京女子大学・学長、湊晶子先生は、新渡戸稲造の妻メアリーの研究でも有名な方です。札幌ANAホテル玄関横に、1891年1月1日にアメリカで結婚されてすぐに帰国、札幌農学校教授となった時の官舎跡碑があります。写真の2階窓から姿を見せているのがメアリー夫人です。別件ですが、この年に秋山愛生舘が地元企業として創業しています。恐らく札幌の街中のどこかで、新渡戸稲造・メアリーと初代秋山康之進が出会っていたかも知れません。

札幌ANAホテル玄関横のパネル

札幌ANAホテル玄関横のパネル

 1894年に遠友夜学校(http://www.city.sapporo.jp/kyoiku/youth/enyuyagakko/index.html)を創立し、初代校長に稲造が、没後妻メアリーが就任しました。 

 湊先生は、第13代の学長、卒業生では初めてで、女性では安井てつ先生に次いで2番目です。新渡戸稲造とメアリーの教育者としての足跡、特に女子教育への造詣、平和主義者としてのメッセージを語られました。著書では、『新渡戸稲造と妻メリー』、『女性を生きる』ほか多数あります。以下昨日のお話からいくつかを。

* 稲造はジャンヌ・ダルクが好きだった?――大学に所蔵されている資料のかなりの部分は彼女に関わるもの

* 二人が実践した「リベラル・アーツ教育」は、いわゆる「一般教養」などではなく、「自信」と「喜び」を通して得られる「生きる力」そのものである

* 知識として教えられることをすべて忘れた後に残っているものが教養である

* 人はどこか動じないところ、譲れぬという断固とした信念がなければならない

* 「太平洋の橋」として、『武士道』を英語で出版した。副題は「Sole o Japan:日本の心」、「武士の心得」を書いたものではない

 湊先生は、最後に「二人から現代へのメッセージ」とおっしゃって、講演を結ばれました

1) 一人称で語れるわたしに ―― To know, to do, to be :知ることよりも実行すること、実行することよりも私が私として存在することがまず大切で、価値がある

2) 責任を取り得る人物に ―― 「自分を治める」こと :Personality(人格)のないところにはResponsibility(責任)は生じない :別の表現では、「孤独に勝て」と

3) 平和をつくり出す人に ―― 「寛容の精神」、「私と公と公共」の理念を :当時は「滅私奉公」に象徴されるように「公=国家」だったが、本来は「公=個の集合体」であるはず、そして「つくり出す」のは、「参画する」ことから始まる

2004年に姿を消しましたが、左下に太平洋もありました

2004年に姿を消しましたが、左下に太平洋もありました

 お札から姿は消えましたが、私たち北海道の人間の心の原点として、再度その「精神(こころ)」を見つめ直したいものです。ゆかりのある場所は、大切に保存し、札幌市民として一層誇り高い場所としていきたいですね。

 湊晶子先生、貴重なお話の数々をありがとうございます、心から感謝申し上げます。

愛生舘の「こころ」 (13)

Posted by 秋山孝二
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 大阪に出張のついでに、少し足を伸ばして、以前から一度行きたかった東大阪の「司馬遼太郎記念館:http://www.shibazaidan.or.jp/」を訪問しました。

 地元ボランティアの方々が管理・運営されていました。多様な植物の茂るお庭を通り、圧巻は記念館内の天井までの大書架に収納されている数多い著書の存在、地下ホールのビデオも彼の立ち位置を理解する手立てとなります。

「沖縄に住む人は原倭人の姿」、「時空の旅人」、「可視的な過去」、「本土が沖縄に復帰する」、「土地は社会のもの」等、印象に残る言葉の数々、心に沁みます。

庭から書斎を眺める

庭から書斎を眺める

記念館のエントランス

記念館のエントランス

   地下1階の壁に掛けられた「21世紀を生きる君たちに:http://gogodiet.net/Forkids.htm」の全文、素晴らしい文章ですね。分かりやすく、眼差しが優しく、率直に訴えるメッセージ、司馬遼太郎の原稿と校正の過程が分かる資料も挿入された著書を、記念に買いました。

 パンフレットには、「見ていただくと同時に、この空間で、司馬作品との対話あるいは自分自身との対話を通じて何かを考える、そんな時間をもっていただければ、と思います。この記念館は、展示品を見るというより何かを感じ取ってただく場所でありたいと念じています。・・・・」と書かれています。資料のメモ書き、付箋のついたそのままの状態の本は、司馬遼太郎の取材・執筆に対する真摯な姿勢を感じます。
 
 この記念館のそばに、実はもう一つ尋ねてみたい場所がありました。今年7月に美瑛町に行った時、砦のような「新星館」を訪問し、大島館長にお会いしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4855)。その大島館長の本業が、東大阪の司馬遼太郎記念館近くのお好み焼き屋「伊古奈」と聞いていました。先日、少し探して見つけましたが、残念ながら今年1月で閉店し、隣で喫茶店として新たなスタートのようです。 

「伊古奈」は1月に閉店していました

「伊古奈」は1月に閉店していました

 なぜ、司馬遼太郎記念館が「愛生舘の『こころ』(13)」か?彼の著書「胡蝶の夢:http://webkohbo.com/info3/bakumatu_menu/turedure03.html」に、松本良順(順の前の名)が登場するからです。良順の人生について、長崎での医学伝習、第14代将軍徳川家茂の臨終に大阪城で立ち会ったこと、新撰組土方歳三との出会い等、臨場感いっぱいです。

 書斎の前庭に立つと、司馬遼太郎さんが戸の向こうから現れて来るような気がする程、「そのまま」でした。