10月21日から、羽田空港に新しい国際線ターミナルがオープン(http://allabout.co.jp/gm/gc/187809/)したので、東京出張のついでにちょっと覗いてきました。出国ブース前のロビーまでの見学でしたが、ひと言での感想は、「日本のハブ空港イメージって、この程度なの?」ですね。香港国際空港、韓国・仁川(インチョン)空港、中国・北京空港と比べると、まさに「ローカル空港」の広さですよ。でも乗客からすると、皮肉ではありませんが、コンパクトで使い易い規模かもしれません。
メディアによると、「観光立国・日本の空の玄関口として、羽田ハブ空港化への第一歩が歴史に刻まれる瞬間です。30余年のときを経て『羽田から海外へ』、旅立ちのときを心待ちにする往年のファンも多いはず 」ほか、最大限の国際化への評価です。30年前ならいざ知らず、21世紀の現在、どうせなら「世界をグッと引き寄せる、コンパクトなロビー!」とでも銘打つべきですね、「江戸小路」は中部国際空港セントレア(http://www.centrair.jp/restaurant/index.html)の二番煎じではありませんか?私にとっては何とも違和感のあるメディアの表現です、「アジアのハブ空港を目指す」は。
1969年に私が千葉大学に入学した時、地元千葉県では戸村一作委員長を中心とした幅広い「三里塚空港反対闘争」の最中でした。当時その土地で農業を営んでいた人々を追い出しての「成田国際空港建設」とは一体何だったのか、今一度、「三里塚空港反対闘争:http://www.youtube.com/watch?v=E9hy3ZWS3So&feature=related、http://www.youtube.com/watch?v=bE4Lo8-UbhM&feature=related」をしっかり振り返る必要があると思います。この羽田空港の新しいロビーに期待を寄せる方々は、真摯に「成田空港とは何だったのか」の総括をしなければならないでしょう。今、あらためてあの時の三里塚農民の闘う姿を見て、胸が熱くなります。永年、日本の食供給に貢献してきた農民の皆さんに、暴力的に対峙した権力は、結局さしたる国際化の展望も無く、ただ「めんつ」にこだわる醜い姿だったとしか言いようがありません。「新しい国際化への窓口」とか底の浅い言葉が漂流し、その後不便を強いられて、「国民への利益還元」など無かったではありませんか。メディアも今になって平気で、「なぜ成田に空港を持って行ったのか」ととぼけています。
戦争責任に関しても感じるのですが、日本人は「歴史に対する責任」という概念が薄いのでしょうか、歴史の記録、保管、継承、総括等、実にいい加減です。現場の歴史的事実を、土壇場になると「関わった個人のもの」としてしか認識しない精神的構図、コモンズとしての価値を感じていない、「歴史と誠実に向き合う」姿勢の欠如、社会的存在の認識軸がないのかも知れません。誤解を恐れずに言えば、信仰に近い何かが欠けているような気がします。