市ヶ谷台は、今

Posted By 秋山孝二
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  全国的に猛暑が続きますが、防衛省・市ヶ谷台ツアー(http://www.mod.go.jp/j/publication/events/ichigaya/tour/index.html)に参加しました。なぜ今、私がこのツアーに行ったか、それは後日ゆっくり書き留めます。

市ヶ谷に復元:三島由紀夫でも有名

市ヶ谷に部分的に復元:三島由紀夫でも有名

  このツアー、それ程混んではいないかと思っていましたが、事前申し込みをして当日防衛省玄関前に行くと2団体の多くの方々がすでに待機、個人は私だけでしたが、総勢50名以上でしたでしょうか。後でインターネットの検索を見ると、実にたくさんの方々がこのツアーの解説をされていましたので、私はツアー自体の説明は省略します。

 最も印象に残ったのは、やはり部分的に復元された市ヶ谷記念館(旧1号館)の一階、東京裁判法廷現場と、二階総監室でした。昭和45年(1970年)11月25日、三島由紀夫によるバルコニーでの演説(http://www.youtube.com/watch?v=1a4Wy5QTymU&feature=related)、後日新聞一面トップの総監室内の写真は、当時大学生だった私にとっても大きな衝撃でした。今回あらためて三島由紀夫の檄文(http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html)を読み返しましたが、彼の強い思いは昔よりも理解出来たような気がします。ニュース録音によると、演説途中に「お前ら聴け、よく聴け!」と何回も繰り返す彼の言葉から、当初の準備していたメッセージと現実とのギャップを、彼はバルコニーの上から感じていたのではないか、と今私は彼の心中に思いをはせます。

東京裁判の場としても有名な大講堂

東京裁判の場としても歴史に残る大講堂(当時の2階傍聴席から)

  一方一階大講堂、本来は陸軍士官学校建物で正面が「玉座」でしたが、その後大本営、終戦後、昭和21年5月から23年11月までの間、極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯の法廷となり、左側が裁判長他判事席、右が被告席、正面は連合国VIP、手前が傍聴席だったとか。180度逆向きがそもそもの建物の位置と説明がありました。今ある施設は移設・部分復元ですので、率直に言って何となく臨場感は薄かったですね。

 実は私、今、東京裁判のB・C級戦犯の記録をたどる作業を始めています。私の身近な所で、私の知らない事実が間違いなく起こっていたことを最近知りました。もう少し事実確認をはっきりさせた所で、この欄に記録として留めようと思っています。そんな意味からも、今回の市ヶ谷台ツアーは、大変興味深かったです。

2 Responses to “市ヶ谷台は、今”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ビハール号事件(1) Says:

    [...]  私は、まずは自分で過去の資料を調べようと思い、先日市ヶ谷の防衛省に行ってみました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5391)。そこの職員に問い合わせた所、戦史・艦日誌等は市ヶ谷にはなく、別の場所」に所蔵されていて、閲覧も出来ることが分かりました。何かの機会に時間を取って調べようと思っています、なかなか時間的都合もあり難しい作業になりそうですが、しっかり真実を見極めたいですね。 [...]

  2. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 「裏切りのサーカス」、ほか Says:

    [...]  クライマックスの防衛庁バルコニーでの演説(http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html)とその後では、2年前に私も防衛省ツアー((http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5391))で、移転されたものとは言え現場にも足を運んだので、臨場感がありました。1970年11月25日の朝日新聞夕刊には、確か切り落とされた首が、部屋の床にあった写真も一面トップに掲載されていたような気がします。先日マスメディアに居た方に伺うと、初版の紙上だけに掲載されてその後は差し替えられたのだと。当時、首都圏で学生だった私にとってはあまりの衝撃で、今も鮮明に覚えています。 [...]