ビハール号事件(2)

Posted by 秋山孝二
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 昨年10月9日にこの欄で、「ビハール号事件:Behar case」について書いて以来(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5921)、しばらくの間沈黙の日々が続いていましたが、2011年8月8日から、終戦特集の一つとして、北海道新聞・第一社会面に5日続けて詳細載っています。「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う~」です。海軍兵学校66期卒の父、戦後66年を経て、60歳の還暦を迎えた私が、3・11以降、覚悟を決めました。

 初日以来、想像を上回る反応に、ただただ驚いています。会う人会う人、秋山財団事務所の近くを通る方も、職員に向かって、「ここの財団の理事長でしょ」とか、声を掛けて頂いているようです。約1ヶ月半の取材、北海道新聞の二人の記者の方々には、本当に寄り添っての取材活動、的確な質問、取材相手への敬意、何とも感謝の言葉も無い程の感動です。扱っている話題はとても重たいものにも関わらず、「今・ここ」で世に問いかけなければというジャーナリスト魂を感じました。同時に、「メディアの力」を目の当たりにした数日間です。

 一昨年来、私はメディアに対して、場当たり的な垂れ流し報道ではなく、時間軸のしっかりした調査・検証報道の必要性を指摘していたつもりです。昨年仰せつかった1年間の北海道新聞・新聞評でも、一貫してそれに言及しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%A9%95)。今回、まさにそれを実践する機会を与えて頂いた、そんな気がここまでの中でしています。キーマンお二人と直接面談でき、長時間のお話を伺いましたし、保阪正康さんとの意見交換では、トータルの戦争における「軍隊」の行動パターン、1000人以上の戦場体験者との面談に裏付けられた心理等、短期間で一気に情報の質も量も深化致しました。とても私一人では出来なかったことばかりです。このテーマに向き合う記者・報道部次長の誠意あふれる姿勢に、心から感謝申し上げます。

 明後日の最終回を終えて、再度この欄で書き留めたいと思います。今月から、この「秋山孝二の部屋」へのご意見を受け付けることにしました、ブログ開始3年弱を経て、初めて解禁致しました。スパムほかイレギュラーなメール以外は、基本的に掲載したいと思っています。一覧の画面から、「該当日のタイトル」をクリックするとコメントの受・送信画面が出て、ご覧頂けます。

2010年、少しの満足!

Posted by 秋山孝二
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 今年は、私にとっては情報発信をする機会に恵まれました。この欄は勿論ですが、北海道新聞の1年間の「新聞評」担当、パネルディスカッションのパネラー、札幌劇場祭審査員等です。「新聞評」は、辛口でと担当の方から言われて多少意気込んで取り組みましたが、多くの新聞等も読まなくてはとても辛口での論評は難しく、予想以上の作業でしたね。でも、本当にたくさんの方からの反応も直接頂き、手応えがかなりあったので嬉しかったです。

北海道新聞「新聞評」・担当3回(各1300字)で、以下その抜粋:

<2月上旬掲載>・・・・・・未来は予測するものではなく創り出すものであり、激変期にありながら「従来型」の視座に固執では感動はない。特に「東アジア共同体」構想の国際社会での意味、4つの密約等について、編集には座標軸と原点を示す「覚悟」と「勇気」を期待したい。

<6月上旬掲載>・・・・・・「APEC札幌会合まで1ヶ月」(5日朝刊)、「日本酒外交舞台で存在感」(17日夕刊)に接して、2年前のG8北海道洞爺湖サミットの記憶が蘇った。私は留寿都・国際メディアセンター(IMC)にNGO枠でしばし滞在し、海外からを含めて4000名を越える報道関係者の活きた取材・発信現場を垣間見た。NGOメンバーの記者会見等を含めた真摯で積極的な情報提供活動、市民メディアの的確な課題把握力、日本の映像メディアの浅薄さ、そして質・量ともに贅を尽くしたセンター内の無料飲食メニュー等である。国際会議で大切な地元の姿勢は、上滑りな「おもてなしの心」ではなく、しっかりした議論に裏付けられたメッセージの発信であり、日本のマスメディアに今問われているのは、目の前の状況から課題を認識・抽出する感性と能力なのではないだろうか。

<10月上旬掲載>・・・・・・・・・昨年、足利事件の菅家利和さんが釈放されたのは、元局長が逮捕されるわずか10日前である。多くのメディアは、今年3月に菅家さんの無罪判決が出た時、「捜査の全面可視化」を提起する一方、裁判員制度の導入も踏まえて事件報道のあり方に関して、捜査中心から公判中心へ基本的に転換したはずではなかったのか。本紙には、発表依存の報道から脱却し、以前、道警裏金報道で見せたような、果敢な取材に基づく調査報道の復活を期待したい。

<10月・新聞週間特集(800字)として>~~~~~~~~~

 メディアとしての「新聞」の危機は、諸外国の事例で頻繁に語られている。日本では、発行部数の多さ、テレビと内容的に同期している点、広告料の構成比の違い等、特有の環境があり、必ずしも同じ道をたどるとは思えない。ただ、本来の新聞の強みを関係当事者が見失った時、衰退が始まるのだろう。

 先月の記事で、私が数社を比較して注目した一行の見出しがある。2010年版防衛白書・閣議報告は「沖縄海兵隊の役割強調」(10日夕刊)、他紙は「防衛白書、薄い民主色」(11日朝刊)と、一歩踏み込んで沖縄普天間問題の迷走との関連を表現していた。また青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場問題で、本紙が「再処理工場2年延期」(10日夕刊)とした記事が、他紙では「核燃 展望なき操業延期」(11日朝刊)だった。「安心・安全」への国民の高い関心に応える見出し、記事になっているかどうか、考えていただきたい。

 私はこよなく新聞を愛する読者として、期待を込めて望むことがある。一つは、「時代を展望して」、「流れを読んで」と難しいことを言うつもりはないが、少なくともリアルな現場から発せられる「今」を伝えてもらいたい。現場を深く掘る取材によって、「時代の空気」を読者に提供できないものだろうか。もう一つは、「たれ流し」のごとき発表報道ではなく、徹底した取材を基に、主語の明確な検証・調査報道を行ってほしい。発表報道の偏重は、いずれテレビやインターネットへ取って代わられる自滅行為ではないか。

 戦前、新聞は「上から目線」の国民教育機能で、権力の監視機能とは大きく性格を異にしており、さらに「報道」が「宣伝」に変わっていった。検証・調査報道の意義は、出来事には時間がたってから分かることがあり、安保・沖縄関連の「密約」でも明らかなように、当時「報道されなかったこと」の意味も、後に検証すると重要性を再認識することができるということである。

 市民の視点を貫き、立ち位置を明確にするためにも、記事の検証企画・調査報道にこだわって頂きたい。冷戦後の国際社会、政権交代後の日本社会、今、新しい時代に会社としての「覚悟」が問われているような気がする。

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パネラーとして: 

8月「札幌の芸術都市構想フォーラム」http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5134

12月「社会起業研究会フォーラム」http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6770

 

劇場祭審査員として:

11月札幌劇場祭審査員講評:http://www.s-artstage.com/2010/tgr/2010/12/936/

 

 いずれも多くの皆さま方からご批判、お褒めを頂き、私自身大変励みとなりました。世の中まだまだ先の見えない混とんとした時期が続きますが、やらなければならない事がたくさんあります、来年も一日一日丁寧に生きていきたいものと心に決めています。今年1年、この欄を読んで頂いた方には心から感謝申し上げます。どうか、良いお年をお迎え下さい。

画期的判決、「情報開示」への新たな時代

Posted by 秋山孝二
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  沖縄返還時の日米政府間の密約を巡る情報公開訴訟は、先日東京地裁で画期的判決が出ました。

http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201004090506.html

http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/

 山﨑豊子著「運命の人:http://bunshun.jp/pick-up/unmeinohito/#character」でも、リアルに表現されています。長い戦いの末に獲得した「判決」と言えましょうか。控訴するかどうかはまだ分かりませんが、戦後生まれの私としては特段に重要な今後の動きであり、引き続き注目して参ります。

 今年2月2日、北海道新聞朝刊に掲載された私の「新聞評」の原稿です(太文字はこの欄用に編集)。 ————–

 日韓併合100年、日米安保条約改定50年、冷戦終結20年、2010年をどう位置付け認識するのか、転換点として期待と不安を抱きながら、私は選挙による政権交代後の新年を迎えた。

 「新春四季対談:時代を開く」(4日朝刊)の歴史学者加藤陽子氏・川島真氏の対談、「小樽商大生と記者座談会」(11日朝刊)は、新鮮な視座を提供して、時代の変化をそれぞれの立場で実に的確に指摘している。特に昨年の衆院選での出口調査の経験から時代を読みとる若い感性に、メディアは大いに学ぶべきではないか。対談では説得力ある史料公開の重要性を語っていたが、モスクワ・ロンドンからの「北海道の独立・英米が警戒」(5日朝刊)、冤罪根絶を語る「徹底した証拠開示を」(18日朝刊)にもあるように、「情報公開」により時代認識を変え、新しい方向性を見出せる。モスクワからの記事は、昨年5月の連載「シェワルナゼの証言」とともに興味深かった。

 新政権誕生によりメディアの自由度は高まり、政権・検察ばかりでなく、権力とメディアの新たな緊張関係が生まれて、本来の監視機能が問われる。情報文書は国民のものであり、「情報公開」への扉を是非こじ開けて頂きたい。         

 特集「多極化すすむ世界」(18日朝刊)は、寺島実郎氏の枠組み論議の構想力が際立つ。軍事同盟としてだけの日米関係は片肺であり、21世紀の日本の安全保障という視点から、日中米関係、及びグローバル社会での気候変動等、日本の果たすべき役割の企画も期待する。「COP15に参加して」(7日夕刊)は、全員参加型秩序の時代とはいえ衝撃の結末で、結果的にG8・G20の枠組みでも間に合わない「転換期」を印象づけた。

 経済分野では経営破たんとなった日本航空の会社更生法適用、すでに十数年前から利用者としてその体質を感じていた私は他社を選択していたが、今回は膨大な税金投入による再建で、納税者として注視せざるを得ない。「信奉者多い起業家」(14日朝刊)、この時期に日航CEOに就任した稲盛和夫氏の「覚悟」と「勇気」に対して、この程度の記載では全く物足りない

 一方北海道との関係性で、「地域主権改革勝負の年」(6日朝刊)が具体的で分かりやすかった。同じく地元に根付いた地道な活動の連載「変える変えたい2010」(3-9日朝刊7回)は、キーワードの解説も毎回コンパクトに含まれて、担い手達の力を実感した。

 未来は予測するものではなく創り出すものであり、激変期にありながら「従来型」の視座に固執では感動はない。特に「東アジア共同体」構想の国際社会での意味、4つの密約等について、編集には座標軸と原点を示す「覚悟」と「勇気」を期待したい。

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  判決後の記者会見で西山さんがおっしゃっていましたが、この判決は「情報開示に対する『革命』だ」と。昨年の政権交代後、時代は少しずつ変わってきているのでしょう。メディアの情報開示に対する姿勢も転換して貰いたいものです。

 

「密約」調査発表に思う

Posted by 秋山孝二
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  今年1年、他の3名の方々と「北海道新聞・新聞評」をするように言われました。4名でそれぞれ一カ月を受け持ち、年3回紙面上に「新聞評」が掲載されます。今年の初回は私の担当で、2月に掲載されましたが、その末尾に以下のように書きました。

・・・未来は予測するものではなく創り出すものであり、激変期にありながら「従来型」の視座に固執では感動はない。特に「東アジア共同体」構想の国際社会での意味、4つの密約等について、編集には座標軸と原点を示す「覚悟」と「勇気」を期待したい。・・・・ 

  先日、以前から約束されていた外務省の有識者報告書が発表されました。昨年9月の外務省内部調査報告書、及び今回の報告は次のとおりとなっています。http://www.nikkei.co.jp/topic/100309_a.html

新聞各紙1面トップで

新聞各紙1面トップで

 大きく分けると「核持ち込み」と「お金の動き」に関する密約だと思います。新聞は10日の報道で大きく取り上げる以外は、この件の認識を敢えて過小評価しようとしているのか、或いは余りに重大な事実の判明に苦慮して扱いに時間が必要なのか、連なる報道が続いているとは思いません。

 メディアはどうあれ、戦後を生きてきた私を含む世代としては、今回の件は決して見逃すことが出来ない事実であり、一国民として歴史の転換点との認識から、新しい日米関係(決して反米・嫌米になるという意味ではなく)構築に向けた議論をしっかり始めること、そして日本国においてある時間を置いて外交情報等を公開する義務を課する、言い換えるとその間は機密を義務付ける「機密保護法」の早急な制定を感じます。

 残念がら昨年お亡くなりになりました江畑謙介さん著「情報と国家http://d.hatena.ne.jp/kurohige-ossadot/20090709/1247129572」に、「機密保護法」の必要性が提起されています。235・236ページに明確に記載されている通りだと思います。当事者に情報の秘密指定の選択をさせてはならなく、まずは「公開ありき」の原則を貫くべきでしょう。その中で、誰にどこまで公開してよいかが規定されるので、それに準拠される限り情報を公開した者の責任は問われない、そんな概念です。今の日本では、先進国の中では特異的にこの種の法律が存在しなく、幾つかの職種にのみ立場上知り得た機密保持が義務付けられているので、どうしても自分の責任が問われないようにと、まずは「秘密ありき」となってしまうのでしょう。情報の機密・公開を、個人の職種・判断に任せては同じことが何回も起きてしまいます。そうさせない制度・法律等の「装置」が必要だと思います。

もうお一人、「世界平和アピール七人委員会」の委員、池田香代子さんのブログ(http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51362122.html)では、市民の意識改革として新鮮な視点からの提言です。一昨年札幌にいらっしゃった時にしばしお話を致しましたが、彼女の無理のない眼差しは、札幌西高生、翌日の市民400名参加のパネルディスカッションでも新鮮でした。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=88

 歴史の転換点を見逃さない、大事なポイントで思考停止にならない、新しい政権で是非新しい歴史の方向性を示すべく、一市民からも声を出し続けたいと思いますね。