北海道経済同友会の今年度総会があり、引き続きの例会では、北海道神宮(http://www.hokkaidojingu.or.jp/)の吉田源彦宮司のご講演でした。札幌開府の歴史を、担った人々をご紹介しながらの視点で面白かったです。
特に、開拓使設置以前の北方探検・松浦武四郎(伊勢の国出身)の功績、さらに吉田宮司の著述には、「北海道の歴史は浅い」という従来の通説ではなく、「先住民アイヌ民族の文化が永い間維持されてきていて、北海道の大自然というものを今日に伝えてきた」と記されています。
新政府は、諸外国の圧力に危機感を持つ佐賀藩主・鍋島直正を蝦夷開拓督務に命じ、島義勇(よしたけ)、松浦武四郎らを蝦夷開拓御用掛に、その後、鍋島は明治2年に開拓使設置とともに開拓使長官、島は開拓判官に任命されました。
島判官は、「札幌本府建設」、「大友堀(現在の創成川)」、「大通り」、そして「開拓三神の鎮齋:http://www.hokkaidojingu.or.jp/history.html」等で大きな功績を残しましたが、その後は必ずしも陽のあたる一生ではなかったようです。今も命日の4月13日には、佐賀にゆかりのある方々が参列して、北海道神宮で祭祀が執り行われています。
さらに、北海道開拓に心血を注ぎ、偉大な業績を果たした功労者三十七柱をお祀りしている「開拓神社」の説明もあり、開拓神社大神輿、子ども神輿の由来も知ることができました。
5年前でしたか、秋山愛生舘の発祥の地、「札幌市中央区南1条西5丁目」が属する「本府連合町内会:第一祭典区」が、10年に一度の北海道神宮の年番となり、私も総務部の一員として活動しました。190万人の大都会となった札幌のマチ中を渡御するのは大変ですが、札幌の6月の風物詩として、今も続いています。思い出します、その時の連日の「直来(なおらい)」を。「ハレ=祭」から「ケ=日常」への移行期、「直り合う」意味でお供えを頂く、そう言った意味だそうです。
儒教・仏教が伝来して後に、「神道」という言葉が生まれ、古代より日本は、本来「まつりごと」として、祭政一致の歴史だったとお話されていました。
ほぼ毎日通っている北海道神宮境内、お話を伺ってから、また一味違った心持で歩いています。
7 月 27th, 2011 at 9:34 AM
[...] 橋口くん、ブログにありましたが北海道でも「打ち上げ」とも言いますよ、「なおらい」は「直来」で神道の言葉かと、参考になるのであれば以前私が書いたこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8359)の後半部もご覧頂ければ嬉しいです、先日のパフォーマンス、「見せる」演奏は「魅せ」ました、素晴らしかった!! [...]
8 月 29th, 2014 at 2:45 PM
[...] 以前にも例会については記載しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8359)。 [...]