「九条の会:http://www.9-jo.jp/」の事務局長・小森陽一さんをお招きして、「エンレイソウ9条の会」主催の「原発震災と憲法」と題した講演会がありました。3・11以降の日本の現状を、あらためて憲法に立ち戻って議論を組み立て、貴重なお話でした。
「日本国憲法(http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM)」の前文
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(後略)
* 前文の諸前提が崩れている現状、 「3・11」から問い直す憲法の「主権」者性は、前文と第13条における「生命、自由、幸福追求の権利」の思想に拠り所がある、今、「主権者としての自覚」が重要である(第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする)
* 第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の思想と「復興計画」の矛盾、生存権に基づく項目として思想の基軸にすべきである(第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない)
* 被災地で問い直される福島の子供たちを取り巻く現実、第22条、27条、そして26条の相互関係(第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない:第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ:第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する)
* ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちへの裏切りとしての「フクシマ」
* 「軍国主義の時代」から「原発主義の時代」への同質的な社会構造の移行、「震災後」から「戦後」を検証すべきである
* 3・11以降の日本では、「立憲政治」が行われていると言えるのだろうか、今、私たちが主権者としての自覚を持って事に当たらなければ誰が国を縛ることが出来るのか
* 現在の放射能汚染の諸基準は、ヒロシマ・ナガサキ、そして100キロ圏外にも関わらず被曝した1954年の第五福竜丸の犠牲に基づいて、医師・研究者により設定されたものである
* メディアに踊る言葉:「原子力神話」は、本当の「神話」に失礼である。「原発アレルギー」、そんなアレルギーなど存在しない
* 丸山真男が「現代政治の思想と行動:http://www.geocities.co.jp/fwtetsu/maruyama.html」で語るように、「無責任の体系」と「犠牲」が一対となって進行してきた、典型的な「フクシマ原発」である
* 復興議論中で、町の歴史の尊重か、新自由主義の復活か、引き続きの見極めが重要
* 今こそ、「原子力発電」は何をもたらすか、これまで何をもって「安全」と言ってきたかを検証すべきである。安全性の実証などどこにもなく、最終処分も全くの未知である
* 「脱原発」への政策転換とエネルギー政策の転換
* 「3・11」の経験と憲法九条の思想の統一
1) オキナワとフクシマを同時に捉える視点に基づく東アジアの平和構想
2 )放射能被害の拡大を食い止め、生命・健康・地域社会の健全を最優先させる政策へ
3) 「大連立政権」と憲法改悪と原発推進勢力の一体化に対して、草の根で対抗する重要性
4) 「核抑止力」と「安全な原発」の考え方が、同じ根を持っていることを明らかにする対話運動を!
そして最後に、これまで「唯一の被爆国」であり、国際社会の中で「核廃絶」を主張する立場だった日本国が、3・11以降、「原発テロ国家」になってしまった、と。これからは、たとえば漁業関係者がアジアと草の根で連帯する方策、本当の復興とはどういう形かを議論する文化を醸成していこう、と結ばれました。
9 月 8th, 2013 at 2:01 PM
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