大地震、今、感じること(8)

Posted By 秋山孝二
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 放射能・原子力発電所で思い出すことがあります。

 「放射能」という言葉を初めて真剣に聴いたのは、昭和30(1955)年代だったと思います、もう50年以上前になるのですね。昭和21(1946)年の実験を皮切りに、ビキニ等では13年間に渡って計66回もの核実験が行われ、昭和29(1954)年には人類史上初の水爆実験が推定15メガトン、ビキニ環礁で行われました。この時の「死の灰」を、日本の漁船の第五福竜丸(http://d5f.org/top.htm)が浴びて乗組員が被爆したのはよく知られています。目に見えないけれど、人間の体に大変危険であること、雨が降った時に雨粒に溶けて、地面に落ちたり人の皮膚に着いたりするのも危険と教えられた気がします。雨に濡れると頭がはげると脅かされて、当時まだ幼かった私はすごく怖かったのを覚えています。ウラン、ストロンチウム、セシウム、プルトニウム等の言葉も、その頃から馴染みがあった言葉です。

 二つ目は、今から7年くらい前に、静岡県浜岡原発・原子力館(http://www.chuden.co.jp/hamaoka-pr/)を見学に行きました。実は、そこの近所に住んでいる私の知人夫婦のご案内で、静岡カントリー浜岡コース(http://www.scg.jp/hamaoka/)のクラブハウス・ホテルで食事をしたついでの訪問だったのですが。このホテルは、2002年日韓ワールドカップサッカー大会(http://www2.tba.t-com.ne.jp/tamaro/newpage8-1.htm)の時に、イングランド代表チームの宿舎として使用されて、あのベッカムが泊まったという建物でした。

 原子力館のHPには、「ようこそ、人・自然・エネルギーが出会う情報パークへ」というタイトルに始まり、「私たちの生活に欠かせないエネルギー『電気』、日本の電気の約30%を原子力発電が担っています。浜岡原子力館を中心とする浜岡PR展示施設では、『原子力発電のしくみ』や『新エネルギー』について学べる展示コーナーやジャンボスクリーンのオムニマックスシアター(無料)などがあり、一日中楽しめる施設となっています。みなさんも浜岡原子力館で、『見てふれて科学する』体験をしてみませんか?ご来館をお待ちしております!」と続いています。いまは、「プルトくん:http://www.youtube.com/watch?v=bJlul0lTroY」の方が有名です、異常な神経ですね、これらに関わっている方々は。

 この中部電力原発の危険性は、皆さまもご承知の通りです。図らずも今回の一連の事故で、ここまで足を運ばなくても、世界中の人々が原子力発電の危険性と出会ってしまい、固唾を飲んで状況を見守っています。今すぐにでも、日本政府はこの原発に停止命令を出さねばなりません。

 「お金を掛けて作った建物」という印象で、エレベーターなどもとてつもなく巨大でした。原子力関係予算で建設されたものだろうと容易に推測できましたが、壁に、「阪神・淡路大震災の5倍(?)までの地震にも耐えられます」みたいな標語が貼ってありました。直感的に、「ああ、そうか、それ以内には責任を持つけれど、それ以上だと壊れるのだな」と、いかにもあらかじめ責任を回避する逃げ道のようだね、と一緒に乗っていた人たちと話をしていました。今回の大震災・津波で、いち早く「想定外の地震だった」と東京電力幹部が語った時、私はあの時のエレベーター内の文言を鮮明に思い出しましたね。

 言葉と言えば、今回の一連の事態で「未曾有の」とか、「1000年に一度」とかをメディアで見掛けますが、後に発生する補償に対する「保険金支払い」を意識している様子も伺えます。姑息なプロパガンダに惑わされず、「想定していなかった責任」を企業経営者は負わねばなりませんし、エネルギー「電気」で選択肢のない顧客である国民は、その責任を見逃してはいけません。

 こんな中、今回の悲惨な出来事でも、数多くの「ファインプレー」もしっかり見ておく必要があります。昨日テレビで、宮城県山元町の中浜小学校の建物についての報道がありました。海岸から程近い場所に建っているので、水害を想定して、土盛りした土地に、向きを海岸線と垂直に、廊下の両サイドの大きな窓、吹き抜けにも大きなガラス戸をはめ込んで、いざという時にはそれらのガラスが壊れて水の通り道にする設計だったとか。80名以上の児童を含めた関係者は、全員救助されたとのことでした。過去の歴史から学ぶ姿勢とでも言うのでしょうか。

 一方、NHKラジオ第一では、国際的NGO「Save the Children:http://www.savechildren.or.jp/top/jpn/」の東京本部・津田さんという女性が、被災地の子どもに向けた新しいタイプのボランティア活動を紹介していました。活動それ自体も迅速で素晴らしいですが、彼女の簡潔明瞭な日本語、ラジオアナウンサーとのやり取りが実に清々しく立派でしたね。

 東京電力福島第一発電所(http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/index-j.html)の状態は一進一退で、予断を許しません。相変わらずのプロパガンダが続く映像系メディアですが、インターネットには腑に落ちるブログ・会見もあり、以前よりはインディペンデントメディアが活躍しています。ボランティアの実情とそれへの提案サイト(http://www.ustream.tv/recorded/13788982)、 当面の緊急対処と同時並行的に、今、具体的な中長期提案(http://www.isep.or.jp/images/press/ISEP_StrategyNo2.pdf )(http://www.youtube.com/watch?v=5mBlngPiaSY&feature=related)も始まっています。こちらのニュースサイトも注目です(http://fpaj.jp/)。

 昨日昼過ぎ、札幌市内の小学校近くの交差点で、入学式に向かう新1年生と少し着飾った保護者の方々の姿に出会いました。昔よりランドセルが大きくなったからなのでしょうか、背中一面がランドセルで、地面すれすれを歩く子どもたちを見て、心が少し明るくなりました。あの子たちが大きくなった時、今より幸せな社会でありますようにと、祈るような気持でもありましたね。

2 Responses to “大地震、今、感じること(8)”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ONKALO、「地下深く、永遠(とわ)に」 Says:

    [...]  幌延にある「ゆめ地創館:http://www.jaea.go.jp/04/horonobe/prsite/index.html」のサイトを見ると、以前の浜岡原発の記念館とそっくりの雰囲気で(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8116)、子どもたち、地元住民へのプロパガンダです。ここに至ってもなお「研究・実験」する意義がどこにあるのでしょうか、急には止まらない、止めたくない、いや、止めるにも長~い年月が掛るのでしたね。これからの研究者の存在意義は、まさに長い年月にわたる「処分場の最終処分」の研究でしょう。 [...]

  2. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 放射能と共に暮らす時代に Says:

    [...]  私にとっての「放射能」認識は、広島・長崎への原爆投下が最初でした。この数年、時間を見つけて両都市を訪問し(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1602)、(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5199)、そこに至る歴史も再認識しながら反戦・平和の誓いもあらたにしています。そして 今年4月に掲載したように(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8116)、実際に自分の身に降りかかる「放射能の怖さ」を意識したのは、第五福竜丸事件でした。 [...]