キューバ映画祭、そしてチェ・ゲバラ

Posted by 秋山孝二
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 今年は、日本・キューバ外交関係樹立80周年、キューバ革命50周年という記念すべき年で、関連したイベント企画が相次いで開催され、1月31日から2月6日までは、キューバ映画祭が札幌で大盛況で行われました。http://cubanfilmfes.web.fc2.com/index.html

ウイークデイの日中はなかなか足を運ぶのも難しかったのですが、期間中に「ハロー・ヘミングウェイ」、「低開発の記憶」等6本を見る事が出来ました。また、この映画祭とは別でしたが、チェ・ゲバラの2本の映画も見ました。http://che.gyao.jp/

キューバと私とのはじまりは、1994年、高校同窓会の幹事当番期だった時、エリオ・レベ率いる「オルケスタ・レベ」のライブコンサートを企画した事でしょうか。札幌の狸小路6丁目にあるライブハウス「HABANA」

http://homepage.mac.com/salsacubana/habana.html

の経営者K氏の企画(思いつき?)により、同窓会では初めてのライブとなりました。同窓会創立99周年という事で、賑やかにやろうよとスタートはしましたが、来日までの苦労他、今となっては素晴らしい思い出ではありますがかなり大変でした。日本へのビザがなかなかおりなく、一時は入国も危ぶまれる状況でした。30名程の大男が同窓会前日に空港からススキノのライブハウスに現れた時は、思わず大拍手でした、「よくぞ来てくれた!」と。当日の音楽も素晴らしく、老若男女問わず、思わず踊り始めていました。リーダーのエリオ・レベのサインは、今も私のウインドブレーカーの背中に大切に残こしています。帰国して数年後K氏から、レベがハバナでトラックに轢かれて亡くなった事を知りました。眼差しの優しい「レベおじさん」でしたので、大変心が痛みました。

キューバは、今では「農業」、「医療」等で大変話題になっていますが、キューバ革命後も苦労の連続と言ってよいのだと思います。アメリカに接近するが故の難しさ、ソビエト崩壊等、貧しさとの戦いの中から、国民のニーズを国の指導者がきっちり掴んでの国家政策に、あらためてカストロの指導力を感じます。ゲバラが英雄になり得たのも、その後のコンゴ・ボリビアでのゲバラの活動を振りかえってみても、各国における革命のリーダーの大切さを強く感じます。

ゲバラという人物は、どうしてあれ程「革命」に身を捧げ続けたのでしょうね。自国で医師として十分活動できる基盤を持ちながら、ただ「正義」の為とはどうしても思えません。常に「危うさ」を伴いながら、ある意味ではいつ死んでも不思議でない状況の中で、それを越えてでも実現しようとした事、そしてその強い動機は、今も私にとっては謎です。

昨年、ゲバラの娘さんが来日して、数か所で講演をされていましたね。私は直接出席する事は出来ませんでしたが、父としてのゲバラ像を語っている記事を読みました。

集中的にキューバの歴史・文化に浸ったこの10日間でした。