「話を聴く姿勢」は基本ですよね

Posted By 秋山孝二
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 これまで私は、数多くのフォーラム・シンポジウムに参加していますが、来ている方々の「聴く姿勢」も実に様々ですね。

私はいつも開会の15分前には受付を済ませ、好きな座席、殆どの場合中央部分左側か右側サイドに座ります。先日のフォーラムでは、いつもの様に着席していましたら、開会前のアナウンスでは「満席の予定ですので、お詰め下さい」との司会の説明にもかかわらず、壁際の左隣が二つ空いていました。基調講演が始まって20分位したら、若い男性がやってきて私の二つ隣の壁側に座りました。講演がいよいよ主題の重要ポイントに入った所で、何気なく左に目をやると、何とその男性が壁に寄りかかり目を閉じて口を開けているのです。前方舞台右にお立ちになっている演者からは真正面ですので、さぞお気を悪くされているだろうな、と余計な心配でしばしハラハラでした。と同時に、こんな人物をこの貴重な講演会に出席させている団体のレベルも知れると言うものです。

そう言えば思い出すことがありました。もう20年以上前ですが、企業経営者時代に、毎年1月、あるコンサルタント会社が2泊3日で東京で開催している「年始経営フォーラム」に連続して出席していました。年の初めに政・財・学界の素晴らしい方々が、大変貴重なメッセージと時代のトレンドの数々を提供してくれて、毎年楽しみにしていたものです。ところが、数年経って気がつく事がありました。初日のスタート時で、毎年少なくとも1割は空席で3日間ともほぼ現れません。2日目になると2割以上が空席となります。多額の参加登録費を事前に支払って、上場企業が多く、一社から2名という所もありました。経営トップの方ばかりではなかったのですが、「経営者というのも突然の用事で大変だな」と最初は思っていたのです。ところが休憩時に主催者の方との何気ないお話の中では、会社には「出席している」事になっている場合がほとんどとか・・・・。それでは出席登録している人たちは何処へ(?)行ってしまっているのか、と疑問に思ったものでした。私は高い旅費を払って楽しみに来ているというのに、です。バブル華やかな頃でもありましが、企業を支える方々のモラルも緩んでいたのでは、と後になって、妙に納得した次第です。

そうかと思えば、昨年末の札幌での比較的少人数の講演会は、全く逆に大変引き締まった緊張感を受け止めました。どうしても前の会合の都合で冒頭からは参加出来ず、30分程遅れて会場に入りました。静かにドアを開けたその瞬間の会場内の雰囲気が、ピーンと張りつめた演者と若い世代の聴衆の一体感をかもしだしていました。息を堪えて空いている一つの席を見つけて着席し、充実したその後のお話を聞いておりました。

ある講演企画時に、事前に演者が、「午前中の人たちに集まって貰いたい」と言われました。話を聴いて、「良い話だった」と横になって寝てしまう様な夕食後のタイプ、あるいは「一服の清涼剤のようでした」と一言発してお仕舞いのような方々には、来て頂きたくないとのメッセージです。せいぜい午後3時位までの方々という感じでしょうか。

90年代後半に、「21世紀を語る」みたいなフォーラム・シンポが随分流行しました。そう言ったテーマには結構沢山人が集まっていましたが、時間のある方が集まる傾向も強く、そうするとどうしても年配の方が多くなります。年寄りがダメとは言いませんが、「この方は21世紀まで生きていられるのだろうか」と思われる方が、延々と質問と称してご意見を述べられるのには、何回も閉口致しました。

人の話を「聴く」のは、なかなか難しいものなのでしょうね。

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